私年号

改元手続き

[23] 改元にはいろいろな手続があり、 元号の選定にはいくつかの基準があります。

[2] 元号一般については元号

改元の概観とその実施に伴う様々な事項については改元

元号の制定や選択の権限

[1045] 元号制度は、国家権力などが新たな元号を制定し、 移行を繰り返していくことで運用されるものです。

[256] 元号を改めることを改元といいます。 改元 境界の日時の処理、境界を超えた旧元号の扱いなどについては改元期日

[182] 元号制度内部での通常の改元の他に、 終了していた元号の再開、 元年以外の途中年からの開始、 元号以外の紀年法への移行のような特殊事情が発生することもあります。 改元

元号制定権

[278] 歴史的には、独立した権力を有する東洋の各国がそれぞれの元号を定め、 その領域で並行して使われていました。元号の制定権は独立した国家権力の象徴であり、 元号を使うことはその政府を支持する(勢力下にある)ことを意味していました。

[279] 政府が分裂したり、弱体化したりすると、国内でも複数の元号が使われることがありました。

[50] 日本南北朝時代には、 南朝北朝がそれぞれの元号を定めて使っていました。

[368] 日本では、元号天皇により定められています。 ただし実際の改元の判断や新元号の決定の過程には、 幕府等その時々の政権が介入しています。 現在は国会の議決により成立した元号法に基づき、 内閣政令で定めることになっています。 政令公布天皇の国事行為なので、 改元手続きの最終段階を天皇が担う制度は日本の歴史を通じて一貫しています。 日本の元号

[88] 第二次世界大戦終戦後に日本の国政に介入した GHQ は、 改元に関する新しい法律の制定を妨害することで、 日本政府から元号制定権を奪おうとしました。 しかしその数十年後、国民的な議論を経て 元号法が制定され、 日本独立国として改元権を有することが再度明らかにされました。 昭和時代の日時元号法

[386] 中国属国だった朝鮮は、歴史上のほとんどの期間、 独自の元号を定めることができませんでした。 というのも新羅の時代、独自の元号を用いていたことを宗主国に咎められ、 それ以後支那の元号を用いなければなりませんでした。 下関条約で独立が承認され、 ようやく元号の制定権を得ました 朝鮮半島の紀年法

[51] 日中両属だった琉球王国は、中国の元号を主として使っていました。 琉球藩時代には日本政府から日本の元号だけを使うように要求されながらも拒んでいました。 沖縄県時代にようやく日本の元号となりました。 米国統治時代には米軍から西暦の利用を強制されましたが、 日本復帰に伴い再び日本の元号が使えるようになりました。 琉球の元号

[91] (契丹) の保護国だった北漢は、 建国当初旧王朝の元号乾祐」を使い続けましたが、 に「天会」に改元しました。 皇帝はこれを批判する書類を送付しました >>40 普及版 p.205 (長編巻四乾徳元年閏十二月丙子条)。 ただし了承を得なかったことで非難されましたが、 独自元号については問題ではなかったのだろうとされています >>40 普及版 p.205 (>>92 PDF p.11)

元号並立

[234] 元号の分裂にはいくつかのパターンがあるようです。

[550] 属国が宗主国の元号を用いるようなケースを別にすると、 外交や貿易を除き、他国の元号を使うことは基本的にありません。

[52] 基本的には自国の元号を使い、 私年号も、利用者は国内の一部住民にとどまっていたとすると、 世界的に見れば元号が複数使われていたとしても、 それらが併記されることは多くありません。 例外的には次のような事例があります。

[74] 足利義満建文帝に送った国書では、 「応永八年五月一三日」と日本の元号が使われました。 その後靖難の変の結果が不確かなときに送られた国書は、 建文帝宛の「建文」元号と永楽帝宛の「永楽」元号の2種が用意されました。 >>75

利用元号の選択

[82] 元号の制定が独立国の有する権限であるということは、 その実施、つまり国民が国家の元号を利用することが統治の行き届いていることを表しています。

[84] これが顕著にみえるのが戦乱の時代で、例えば日本南北朝時代には、 ある人物が南朝北朝元号を切り替えて用いるタイミングで、 ある時期にどちらの勢力に属していたかを知ることができます。 また幕末に日本各地で私年号延長年号が残されていることで、 中央政府の統治能力が低下していたことを確認できます。 日本の元号幕末維新期の日時

[306] このように元号の選択は政治的宗教的な行為であったりします。 しかしこれは実は暦法全般に言えることでもあります。

私年号

[280] 政府が制定したとされる元号公年号といいます。 それ以外の元号異年号といいます。 異年号の中でも特に公年号と関係なく実用されたとみられるものを私年号といいます。


[90] 安定した政権の元号であれば制定の記録が残されていることが多く、 正しい表記も明らかです。 しかしそれ以外にも制定者の明らかではない元号や、 短命政権や反乱軍が使った元号公年号の表記のバリエーションらしき元号、 実用目的ではないスローガン的元号架空の元号などが存在しています。 こうしたものの総称が異年号であり、 その中でも特に (公年号のバリエーションや非実用ではなく) 私的に実用されたとみられるものが私年号です。

[68] 私年号と同義または類義の用語に異年号逸年号偽年号僭年号古代年号九州年号といったものがありました。 これらの用語は中世以来の日本の私年号の研究の中で、 ときに主観的、政治的な判断とともに、 ときに古代年号日本中世の私年号を一緒くたにし、 ときに制定・利用者について特定の学説と結び付いて使われてきました。 それぞれの語によって表される範囲にもばらつきがありました。

[65] そのなかで、日本の私年号研究を大成した 日本私年号の研究 によって公年号に対する各種の異年号 (私年号古代年号など) という整理がなされました。 日本の私年号 以後学術的には私年号の語が定着しました >>93, >>96, >>60。 ただ一般の解説などは私年号を中心としつつも依然として他の用語を並列に示したり、 不明瞭な定義にとどまっていたりします。

[95] 例えば公年号のバリエーションであって異年号だとしても私年号とはいえない (私年号の例には適切ではない) 白鳳私年号の代表例に挙げたり、 偽年号などと呼ばれるためか私年号は学界から無視されているという根拠のない陰謀論につなげたりするものがあります。

[93] 日本年号史大事典は、 「異年号 (私年号・偽年号・逸年号)」 を民間で私的に作られた年号であり、 久保の日本私年号の研究以来「私年号」という呼称が一般的になったようだ、 としました。以後本文では「私年号」の語を使いました。 >>40 普及版 p.338

[94] 一方同著者のより新しい著書 元号―年号から読み解く日本史― は、 法興私年号と紹介する一方で、 「私的であれ該当時期にあったとは認め難い、 かなり後代に作られたとみられるもの」 を異年号偽年号といい、 一部で古代年号九州年号と呼ばれている >>83 p.53 としました。

[98] 歴史研究者の前川清一は、 私年号

  • [99] 一、その時代に使用されたものでなく、後世の偽作によるもので、いわゆる架空の年号
  • [100] 二、その当時に於いて、公年号が存在しているのもかかわらず創作、使用されたもの

... に大別しました。 >>60 前者は古代年号の類であって、後者は狭義の私年号に当たるものです。

[102] 更にこの2分類に

  • [101] 誤記・誤読によって、一見元号と異なる年号のようにみえるに過ぎない例

... を補い、それが時間経過により一に、 空間的伝播により二が生じたのではないかとする指摘もあります >>60。 ただこれは成立要因の分析であって、分類の1つとするには適さないかもしれません。 日本の中世私年号

[103] 新版元号事典は、 私年号建元事由としてよくいわれるものの他に、 四「曽祖父が生きていた○年頃、祖父の時代の第○年目」という呼び方が固有化したもの、 を挙げました。 >>60 具体例は不明で、古い時代でこの類型に当たる事例があるのかわかりませんが、 戦後命知などが該当するでしょうか。 元号の定義に関わる境界的現象といえます。 元号


[66] 大陸の私年号とされるもののほとんどは、 短命政権や反乱軍などの正統王朝とみなされない政府によって制定されたとされています。

[67] 一方で日本の私年号のほとんどには反政府的要素は見られず、 戦乱などのための社会的混乱や改元デマから広まったものとみられています。 日本の私年号

[639] 元号公年号とするか私年号とするかには、 政治的な判断も含まれてくることがあります。 複数政権が並立した時、その当時あるいは少し後の時代には一方が他方を偽の元号と扱うことがあります。 短命の反乱軍の元号などはそうした経緯から私年号に分類されるのかもしれません。 しかし現在の日本政府の数える日本の元号の数に北朝南朝も含まれるように、 和解や時の経過によりどちらも正統な公年号と扱われる場合もあります。

[97] 南朝元号公年号として扱われる一方で、 後南朝元号私年号として扱われます。 これを短命の反乱軍の元号私年号と矮小評価している、 と批判することもできますが、 実のところ後南朝元号の記録は二次資料しか見つかっておらず、 制定や実用の様子がはっきりしないようです。 ( 日本の元号 ) 同様に奥羽越列藩同盟元号も確実な資料がないため私年号として扱われています。 ( 幕末維新期の日時 ) 敗者の史料は残りにくいという事情もあります。

[551] 近年の新興宗教の中には、国を越えて信者が広がっており、 かつ独自に紀年法を用いるものも見られます。 そうした紀年法は、国をまたがって使われる元号と言える場合もあるかもしれません。 統一教会暦

[85] 異年号

手続き

[72] 日本では大宝慶雲の頃から改元の行事が制度化したとみられています。 >>71

[76] 幕末までの改元では、 年号勘者を定めて案を提出させ、 公卿難陳 (審議) を踏まえ天皇詔書公布していました。 >>73

[39] 朝廷内で様々な案を出して絞り込み最終的に天皇が決定する方法が平安時代から江戸時代まで一貫して採られていました。 最終案を天皇が承認することもあれば、 数案提出させて天皇が選ぶこともありました。 >>40 p.25-53

[47] 改元があると、 朝廷では政始の儀が行われ新元号が通達されました。 >>40 普及版 p.415

[77] 摂関家上皇幕府といったその時々の権力者たちも、 改元元号の選定に介入しました。 朝廷の正式な手続きは幕末まで続きましたが、 採用案が内定している形骸化した選定手続きも多かったようです。 >>40 p.25-53 (c.f. >>55)

[61] 特に江戸時代には、 江戸幕府改元の実施や新元号の決定の実質的な決定権を有していたとみられています。

[78] 朝廷での改元手続きに関する文書は 続群書類従公事部や古事類苑歳時部に多数収録されています。 江戸時代初期の江戸幕府改元政策については林春斎改元物語 に記録されています。 >>40 普及版 p.25-53

[41] 明治改元では、 形骸化していた従来の手続きが廃され、 候補案から明治天皇が籤で選びました。

[79] 大正昭和改元では、旧皇室典範に基づき践祚時に枢密院諮詢し、 天皇が勘定して勅令として公布していました。

[80] 平成改元以後、 元号法に基づき内閣が選定し、 天皇政令として公布しています。

[106] 所功は、 出版の書籍で、 「年号文字は、どのようにして選ばれ定められたのか。 中国のことは、寡聞にして今のところ明らかでない」 >>105 しました。 日本以外の元号の選定手続きの詳細は研究が進んでいないようです。

発表

[19] 平成の発表は官房長官記者会見で行われました。 平成改元

[18] 令和の発表は官房長官内閣総理大臣記者会見で行われました。 手話で同時通訳されました。 英語同時通訳もあったとする説もあります。 テレビインターネット生配信されました。 令和改元

伝達

改元時期

[45] 律令制下では朝廷から国衙を介して各地に通達されていました。 >>40 普及版 p.415

[69] 平安京の役所は覆奏より前から新元号を使っていました。 諸国は太政官符が到着してから新元号を使いました。 >>83 pp.118-119 (江家次第)

[42] 菅原道真は、 讃岐国太宰府寛平延喜改元の詔書を受け取ったことについての詩を残しました。 当時中央から地方への改元の伝達が確かに行われていたことを伝えています。 >>40 普及版 p.185


[46] 鎌倉時代半ば頃から、 六波羅探題から鎌倉幕府に通達されるようになりました。 鎌倉幕府政所吉書始の儀を行いました。 おそらく守護寺社を介して各地に通達されました。 >>40 普及版 p.415

[43] 吾妻鏡にある京都六波羅探題から鎌倉への改元の詔書の伝達記事などから、 改元日から鎌倉まで約10日、 そこから一般で通用するまで約1ヶ月かかったとされています。 >>40 普及版 p.395 (千々和到 1995、峰岸純夫 1979) (c.f. >>55>>40 の各元号の項にも吾妻鏡の伝達記事の日付の記載あり。)

[44] 鎌倉時代九州の文書 5507通の分析から、 改元後約2ヶ月で九州全域に新元号が広がったことが確認されています。 >>40 普及版 p.395 (瀬野精一郎 1968) 文永の役の蒙古襲来が博多から京都まで約12日で伝わったのと比較すると、 かなりの速度で広がっており地域社会も改元に敏感だった >>40 普及版 p.395 と評されています。

[48] 室町幕府鎌倉府へ通達を行っており、 鎌倉時代同様に伝達されたと考えられています。 >>40 普及版 p.415

[49] 一方南朝綸旨により直接諸国に伝達しました。 >>40 普及版 p.415 (峰岸純夫 1979、千々和到 1990)

[86] 中世の庶民に改元がどう伝わったかは十分明らかではありません。 鎌倉時代以後東国などの板碑元号年が記されていることから、 ある程度普及していたことはわかっています。 >>83 pp.130-131

[87] 紀伊国阿弖河荘百姓訴状 には 「ケンチカン子ン十月廿八日」 とあり (4月25日改元) >>83 pp.130-131農民元号を使うことができ、しかも改元が数ヶ月以内に伝わっていたことがうかがえます。


[57] 江戸時代朝廷では改元の日から新元号が用いられましたが、 京都町内では幕府からの通達があってから用いられたため、 平均で10日ほどかかっていました。 >>40 普及版 p.543

[58] 朝廷改元すると、 京都所司代を通じて江戸幕府に伝達されました。 江戸幕府は諸大名江戸城に集め、これを披露しました。 幕府の正式な改元日は披露の日とされ、 全国にもこの日が伝えられました。 >>40 普及版 p.543

[59] によっては、 家臣を集めて改元を披露しました。 >>40 普及版 p.543

[60] 松前対馬薩摩なども含め、 全国に1ヶ月から2ヶ月程度で新元号が伝達されました。 伊豆大島に4ヶ月後に伝達されたというのが現在確認された最も遅い事例です。 全国各地にかなりのスピードで伝達されたと評されています。 >>40 普及版 p.543

[107] 一方で大正昭和改元伊豆諸島青ヶ島に伝わるまで 1年近くかかったとされています。 延長年号 離島で記録が残っていない、より伝達に時間がかかったケースはありそうです。

[62] 農村に対しても、 少なくとも名主庄屋などには確実に伝えられたようです。 古文書では干支年もみられますが、 借用書など証文類では元号年のことが多く、 過去帳石碑では干支年よりもむしろ元号年の場合が多いです。 争論の経緯の文書でも元号年が使われる例があります。 >>40 普及版 p.579

[63] あるいは暦本にも元号が明記され、各地に頒布されました。 従って農村でもほとんどの人が元号を知っていたと考えられています。 >>40 普及版 p.579

[64] 江戸では、(正式な伝達経路以外に) 改元直後に新元号を紙に書いて売り歩く者がいました ( 改元 )。 改元直前に偽の新元号が流布されたことも何度か記録されています。 正式発表前にも改元情報がある程度出回っていたのでしょうか。 改元デマ


[20] 平成改元時、令和改元発表時には各国政府に通知されました。 改暦の通知は外交儀礼上の慣例になっていると思われます。

[21] 他国では、例えば大韓帝国からの通知を日本国が受け取った例が知られています。 大韓帝国の日時

法令の措置

日本の元号法制

具体的事例は平成改元, 平成31年新元号

[35] 参議院法制局 () http://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column104.htm

改元とそれに伴う法律改正について

工業標準の措置

改元

元号の意味

英訳

[17] 日本政府外務省は、 令和改元令和の意味が英語「beautiful harmony」 であると発表しました 令和改元 。 今後これを前例に英語の短い説明が発表されると期待されます。

元号らしさ

[24] 元号の選定の基準はありますが、 これだけでは元号を元号たらしめている「元号らしさ」 は見えてきません。

[26] それでも過去の元号のほか、 私年号改元デマ架空の元号の事例をみても、 何らか「元号らしさ」 というものはあって、庶民を含むいろいろな人々の間で共有されていようことがうかがえます。

[25] 令和改元では新元号発表まで多くの人が予想を楽しんでいました。 どうにも元号らしくないものも (ネタで) 挙げられましたが、 本気の予想の多くは元号らしがが感じられるものでした。

[27] 一方でスローガン的元号は元号らしさがないものがほとんどです。 初期は漢字2文字など元号らしさがまだ残っていましたが、 時代が下るに連れてかけ離れていったようです。 スローガン的元号

[5] >>3, >>4 タイトルだけみると、くだらない元号予想合戦にバズワードを足した低俗な釣り記事のように感じるのですが、 実際読んでみると、 われわれの感じる「元号らしさ」の正体を探る企ての端緒として興味深くおもわれます。

[6] (その点 >>3 の続編の【続】平成の次の元号を、AIだけで決めさせる物語(@テレビ取材) - Qiita () https://qiita.com/youwht/items/7b1118ecd91bd2e232bb は残念ながらただの予想記事です。)

[7] >>6 の記事は過去の元号画数を現在の字体で議論しているっぽいのがちょっと・・・

[11] >>5令和」は最初に見せられた時ちょっと元号っぽくないかも?と思ってしまった。 よく見ているとだんだん元号っぽさを感じてくるから不思議。

[12] 「元号っぽさ」も当然時代が進むに連れて変わっていってるのだろう。 平成改元当初はぴんとこなかったと言っている人が多い。 令和も年を重ねていくことで意味が積み重なり折り重なり、 「元号らしさ」を染めていくのだろう。

[13] そうだとしたとき過去の元号から学習した「元号っぽさ」 がまだ見ぬ将来の元号にどれだけ適用できるのか、というのも興味深い。

[14] ある理系院生による新元号予想の軌跡 (2ページ目) - Togetter () https://togetter.com/li/1333815?page=2

[28] 文明治安など、同字の一般名詞が生じて現代では元号らしさが消失したものもあります。

[29] ネタ枠代表扱いの「タピオカ元年」も音の響きは案外漢字2文字4音の漢語にありそう。 タピオカ流行を祥瑞といえなくもない。 伝統と新鮮味を適度にミックスするという近年の元号選定事例にのっとっているともいえる。

[30] 「俗用されていない」という現在の元号の選定の基準は満たさないけど、 奈良時代くらいに遣唐使が持ち帰ったタピオカ孝謙上皇がいたく気に入り改元した、 的な並行世界はあり得るのではなかろうかw

[31] タピオカ平成の30年で大流行したのだから、追号するなら平成時代にかもな。

[32] 元号の選定の規則は後付けで、 1000年以上の歴史の中で日本人に刷り込まれた 「元号らしさ」 を最低限書き表しただけのものだから、 候補を絞り込むための条件として検査には使えても、 そこから元号候補を発見するのは難しいかも。

研究史

日本の元号の研究については日本の元号

メモ

[520] 元号 Q&A-4 ( 版) http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/gengou/gengou_5.htm

猪瀬直樹の「天皇の影法師」(参考資料2)は天皇制の暗部に光をあてた、なかなか面白い本です。これには「光文スクープ事件」、「森鴎外-元号考」の話に関係して、元号が満たすべき条件として、かつて一木宮内大臣(いまの宮内庁長官に相当するものでしょうかね)があげたものが紹介されています。

元号は、本邦はもとより言うを俟たず、支那、朝鮮、南詔、交趾などの年号、その帝王、后妃、人臣の謚号、名字等及び宮殿、土地の名称等と重複せざるものなるべきこと。

元号は、国家の一大理想を表徴するに足るものとなるべきこと。

元号は、古典に出拠を有し、その字面は雅馴にして、その意義は深長なるべきこと。

元号は、呼称上、音階調和を要すべきこと。

元号は、その字面簡単平易なるべきこと。

[521] 元号 Q&A-4 ( 版) http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/gengou/gengou_5.htm

「年号の歴史」(参考資料1)の第9章には、現在の制定手続きと選定条件に関する規定(閣議申合せ事項)が紹介されています。それによると、選定条件は、

(ア) 国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。

(イ) 漢字二字であること。

(ウ) 書きやすいこと。

(エ) 読みやすいこと。

(オ) これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと。

(カ) 俗用されているものでないこと。

[527] 書経 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B8%E7%B5%8C

昭和や平成を始め35個の日本の元号は、この書が由来になっている。ただし、平成については出典箇所が偽古文尚書であるため、一部の専門家からは典拠としてはふさわしくないと指摘された。

森鴎外は最晩年、候補・典拠の一覧になった『元号考』(『鴎外全集 第20巻』岩波書店、所収)を作成したが、「平成」も既に江戸末期に「明治」等と並んで候補に上っている。鴎外は没した際『元号考』は未完だったので、親友吉田増蔵が、本人から依託され完成させた。なお吉田が改元に際し候補として「昭和」を勘申している。

[348] 「年号」の背後にあるもの:研究:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞) () http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20171116.html

漢籍の出典を持つ年号がいつから出現したかを正確に見定めることは難しく、「仁寿」(851-854)まではさかのぼれそうですが、それ以後も典拠不明の年号が続き、漢籍の利用が常態化するのは、正暦(990-995)以後のようです。

[382] 天皇の退位等に関する皇室典範特例法 () http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/viewContents?lawId=429AC0000000063_20200616

附則

(意見公募手続等の適用除外)

第八条 次に掲げる政令を定める行為については、行政手続法(平成五年法律第八十八号)第六章の規定は、適用しない。

一 第二条の規定による皇位の継承に伴う元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づく政令

[383] 新元号、少ない画数に…1文字15画上限の方針 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) () http://www.yomiuri.co.jp/politics/20180102-OYT1T50071.html

政府は、皇太子さまの即位に伴う2019年5月1日の改元を巡り、新たな元号は画数ができるだけ少なく、なじみやすい漢字を用いる方針だ。

国民の「元号離れ」を防ぐ狙いがある。新元号は最終的に3案に絞り込んだ上で、有識者や衆参両院議長らの意見を踏まえて決定し、18年中に事前公表する見通しだ。

これを踏まえ、1文字15画を上限とし、できる限り画数の少ない漢字を選ぶ方針だ。

[328] 元号選定手続について (内閣公文・国政一般・一般・暦時・A04-1・第1巻 独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001159113

[1] 新元号 過去と重複判明しても「違法とはならない」 | NHKニュース (日本放送協会著, ) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190309/k10011841251000.html

昭和から平成への改元に先立って、内閣法制局が、改元の法的な問題点などを整理した際、新元号を定めた後、過去に用いられた元号や地名、それに会社の商号などと重複していることが判明しても、「違法とはならない」とする見解をまとめていたことが、NHKが行った情報公開請求でわかりました。

また、見解では、当時、改元の事務を担当していた内閣内政審議室が、情報管理を徹底するため法制局による事前審査にも候補名を示さない姿勢を取ったことから、「重複の防止は内政審議室の責任に帰す」として、その旨を担当者に告知したとしています。

[8] 新元号、予想ランク上位は回避方針 1日昼前めど発表へ - ライブドアニュース () http://news.livedoor.com/article/detail/16233114/

民間で流行している元号予想で取り沙汰されている「安久」などの案について、政府関係者は「俗用の一種に当たるので、なるべく避ける」と語る。よくある人名や大企業名などは使わない方針だが、中小企業や小さな商店などの名前と重複することはあり得るという。政府高官は「俗用されていても、よい意味であれば総合評価で選ばれることもある」と話している。

[9] いよいよ新元号発表、有識者会議はじまる『新元号の有識者懇談会のメンバーに選ばれるのは国民の意向・意識を反映できる人物って解説していたがそこにNHK会長が入っているのはなにかのギャグですか?(笑)』とネットユーザのツッコミ - Togetter () https://togetter.com/li/1333657

[10] 左大臣・藤原頼長の言い分とは? 白熱の元号論議「難陳」が続いた1000年(日経BizGate) - Yahoo!ニュース () https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190325-00010000-nkbizgate-bus_all

[15] () https://www.digital.archives.go.jp/das/contents/pdf/lossy/H11B0001720000/069509831435.pdf

[16] 日本の年号候補・未採用文字案 | ミカド文庫 () http://mikado-bunko.jp/?p=842

[22] 新元号「政府の最有力案」葬儀社名に使われ断念 : 令和・新時代 : 読売新聞オンライン () https://www.yomiuri.co.jp/kaigen/news/20190501-OYT1T50036/

[33] >>22 この記事に書かれていることが正しいと仮定すると、

前者は明治生まれの日本人が2000人前後在命と推測されているため回避されてよかったと思われます。

[37] JIS X 0301 で元号を表すために「N」、年を表すために「Y」が使われているので、 これが先頭に来る元号は好ましくないという意見があります。 JIS X 0301 のような正式なものではありませんが、「G」や「X」 が使われることもあります。

[38] といってもこれらはいずれも書式の記述に使うこともあるという程度のもので、 元号の選択を縛るほど深刻な影響をもたらすとは思えません。