[56] 歓喜 (旧字体: 歡喜) は、 日本の私年号の1つです.
[23] 法隆寺旧蔵であることが識語により知られます。 >>4 /18
[25] 昭和時代に於いて仏教系収集家の松田福一郎 ( - ) の所蔵でした。 >>1, >>4
[13]
>>21 十二支年のみの併記って鎌倉時代にあるんですかね?
[54] 元号年と十二支年の併記がどこまで遡れるかはあまり資料がなく確実なことは言えないのですが、 鎌倉時代だとすると早い事例にはなりそうです。
[53] 日本私年号の研究は私年号への発展の過程として積極的な評価をしています (>>49) が、前近代の同音の漢字が交替しがちな表記習慣との関係が検討されていないのが問題です。 同音異字の元号が時代を問わず出現するのが、公年号の軽視論と整合するのかには疑問があります。
[26] の松田福一郎の書籍では、 歡喜は私年号とされ、 平安朝の先頭 (弘治と天延の間) に配置されています。 >>1 比定年には言及がありません。
[29] に東洋文庫で開催された東京大蔵会の第28回大蔵会展に出展されました。 >>28
[22] の目録およびの松田福一郎の書籍では、 銘文の歡喜の私年号の奥書が珍しいと書いていますが、 比定年は不明としています。 「凡そ鎌倉末期と推定」 しています。 >>28, >>4 /18
[47] なおの松田福一郎の他の目録では、 日付のみで他の説明はありません。 >>46
註
4 松田福一郎氏の蔵品解説書『不空葊常住古鈔旧槧録』。同じく松田福一郎氏『不空葊常住紀年録』では、それ以前に出版した松田福一郎氏『不空庵常住紀年銘目録』に平安時代の私年号としたものを、鎌倉時代のものと訂正している。
と述べています。ところが、現在の各種検索では不空葊常住紀年録は見つけられません。
[201] 昭和時代の日本国奈良県の歴史研究者田村吉永は、 松田福一郎所蔵華厳経巻第六十
と墨書識語があるのを紹介しています。 >>200
[10] 松田福一郎の 不空庵常住古鈔旧槧録 に写真があり、 私年号奥書は珍しいとし、 鎌倉時代末期の書写と推定しています。 >>3, >>200
[12]
裏表紙の「応永二十一年
[11]
見返しに「奉安置法隆学問寺五部大乗経之内」
とあり、法隆寺の旧蔵品です。
>>3, >>200
法隆寺との関係も注目されます。
>>200
[40] 昭和42年の日本私年号の研究は、 >>19 について
... より、 寛喜の同音異字年号であってを表すと断定しています。 >>36
[49] 日本私年号の研究の分類では異年号の中に同音異字年号や私年号などの小分類があります。 日本私年号の研究は、平安時代に人目に触れず使われた同音異字年号が、 鎌倉時代に堂々と使われるようになり、その後の私年号の発生につながる、 という時代変遷論を提案しており、歓喜はその変化の初期の事例に位置付けられています。
[51] 日本私年号の研究に先立つ昭和39年の久保常晴の論文では、 同音異字の異年号表に掲載されるだけの簡単な紹介でした。 >>36
[33] ほとんど研究対象になっておらず、言及もあまり多くありません。
[2] 時系列:
[5] 法政史学 (48), 法政大学史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7928456/1/53 (要登録)
明月記歓喜元年、歓喜2年から引用
[7] 日本史の回想 「一ノ宮巡り」備後国一ノ宮・吉備津神社・祭神吉備津彦命・広島県福山市新市町宮内400・旧国弊小社祭神は大吉備津彦命で第七代孝霊天皇の第三子、四将軍の一人とし, 寿限無, , http://oneecho.blog.fc2.com/blog-entry-431.html
後白河天皇の歓喜元年(1229)に起った社殿焼失事件が「百錬抄」に記載されていたりする。
[6] 北野天満宮から洛北の堂宇へ, , http://www.chiikibun.com/kyoto/16-2016shoka/2016shoka2.html
洛北のゆったりとした山並みに抱かれるようにしてある実相院は、1229(歓喜元)年静基による開基の門跡寺院で、かつては天台宗寺門派(現在は単立)の三門跡のひとつでした。