歓喜

歓喜

[4] 不空庵常住古鈔旧槧録, 松田福一郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1905773/1/97 (要登録)

写真

[1] 不空庵常住紀年銘目録, 松田福一郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1207988/1/8 (要登録)

平安時代、歡喜元年丑10月写経、歡喜は私年号

表紙裏に応永21年6月の書き込み

[2] 大藏會展觀目録 第28回, 東京大藏會, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1183725/1/10 (要登録)

鎌倉時代書写、尾紙に歡喜元年丑10月写、私年号 鎌倉末期と推定

裏表紙に応永21年甲午6月日

[3] 日本歴史 - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?id=8nUHAQAAMAAJ&q=%22%E5%BB%BA%E6%95%99%E5%85%83%E5%B9%B4%22

75 ページ

村吉永はしがきかれこれ四十年のむかし、和歌山県高野口町国鉄駅前の一寺「大道」なる私年号のある石燈籠をみた。これが私の私年号に接した始めであった。この大道は南北朝の頃のものといはれ、紀伊国続風土記にも載せられてみる。それから国史辞典をみる ...

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松田福一郎氏所蔵華厳経巻第六十に、「歓喜元年五十月写金剛仏子」との墨書識語がある。同氏の不空庵常住古釣旧栗録にその写真が載せられ、記して「書写年代は鎌倉時代なるが、歓喜元年丑十月写の私年号の奥書の存するは珍らしき資料であるが、その何年に ... 生年廿四右筆花敲宗末学大法師宗性花厳宗末学大法師宗性之一建教元年二月廿七日照於東大寺中院一交了、大法師宗性とあって、建教なる年号が東大寺にあった事を同図書館司書の堀池春氏に教へられた。何れも宗性によって記されたもので、建教元年は宗性の ... この二月十七日、及び二十七日の両度に記されてみる事は殊に注意すべきで、宗性のみが個人的に記したものか、また東大寺々中 ...

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昭和廿六年夏観音寺経を調査され永宝の文字をみられた奈良女子大学教授岩城隆利氏は、奈良県総合文化調査報告書中に、「永宝は只一回で他に例を見ない。私年号であるかどうか同研究の余地がある」と記されてある。なる程重な見方である。元来私年号として ...


[201] 昭和時代日本国奈良県の歴史研究者田村吉永 (-) は、 松田福一郎所蔵華厳経巻第六十 「歓喜元年丑十日写、金剛仏子」と墨書識語があるのを紹介しています。 >>200

[10] 不空庵常住古鈔旧槧録 に写真があり、 「歓喜元年丑十日写」 の私年号奥書は珍しいとし、 鎌倉時代末期の書写と推定しています。 >>200

[12] 裏表紙の「応永二十一年六月日儲之」 からも鎌倉時代末期との想像が付きます。 >>200

[11] 見返しに「奉安置法隆学問寺五部大乗経之内」 とあり、法隆寺の旧蔵品です。 法隆寺との関係も注目されます。 >>200 大和の私年号

[13] 干支でなく十二支だけの「丑」は注意が必要かもしれません。 東洋の日時表示


[5] 法政史学 (48), 法政大学史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7928456/1/53 (要登録)

明月記歓喜元年、歓喜2年から引用

[9] 寛喜年間が含まれるので、その誤りか。

[7] 日本史の回想 「一ノ宮巡り」備後国一ノ宮・吉備津神社・祭神吉備津彦命・広島県福山市新市町宮内400・旧国弊小社祭神は大吉備津彦命で第七代孝霊天皇の第三子、四将軍の一人とし, 寿限無, , http://oneecho.blog.fc2.com/blog-entry-431.html

後白河天皇の歓喜元年(1229)に起った社殿焼失事件が「百錬抄」に記載されていたりする。

[6] 北野天満宮から洛北の堂宇へ, , http://www.chiikibun.com/kyoto/16-2016shoka/2016shoka2.html

洛北のゆったりとした山並みに抱かれるようにしてある実相院は、1229(歓喜元)年静基による開基の門跡寺院で、かつては天台宗寺門派(現在は単立)の三門跡のひとつでした。

[8] これらは寛喜の誤り。