正久

正久

[19] 狭山市史 中世資料編, 狭山市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642490/1/202 (要登録)

拓本あり

正久2年庚申2月6日

新編武蔵風土記稿 承久2年板碑 : 現地から報告された音から判断か

入間郡誌 承久2年板碑 : 新編武蔵風土記稿が出典か

板碑は鎌倉時代

正元2年か、久と元は判別しがたいこともある

[16] 埼玉史談 7(1), 埼玉郷土会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1477723/1/38 (要登録)

正久2年庚申

改竄はなさそう

承久なら干支合わず

正元では「久」と違う

[3] 日本私年号の研究

[22] 日本国埼玉県飯能市 板碑 「正久二年二月六日」 >>21

[23] 鎌倉時代関東の唯一の私年号現存例とされてました。 >>21

[25] 板碑鎌倉時代後期の形状です。 >>21

[24] 久保常晴は正久2年をとしました。 >>21 千々和到もこれを妥当としました。>>21

[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7

私年号異説元年相当公年号(西暦)継続年数典拠・備考
正久-元応元年(1319年)不明埼玉県飯能市西光寺(廃寺)墓地板碑

[20] Wayback Machine, https://web.archive.org/web/20061006181344/http://www.town.shibayama.chiba.jp/kouhou/h16kouhou/3gatu/pdf/p19.pdf

(しょう) (きゅう) 二年 田向城跡板碑 鎌倉時代末期 反朝廷

[1] 正久: 年号迷路 ( 版) http://gaowei.cocolog-nifty.com/nengo/2005/04/post_098b.html

これまで「正久」の使用例としては、埼玉県飯能市の正光寺墓地の板碑が あるのみでした。しかし、昨日ネット上で発見した千葉県芝山町の「広報 しばやまH17.3」によれば、同町の田向城跡で発見された板碑にも「正久」 年号(正久二年の紀年銘)が刻まれているようです。 「正久」元年が何年に相当するかについては、上記の正光寺板碑に「正久 二年庚申」とあることから、その干支と板碑の形式により、1259年(正元 元年:『板碑の総合研究』)、もしくは1319年(元応元年:『日本私年号の 研究』)とされています。ただ、公年号の一字を別の字に替えた私年号が 他にも数例ありますので、1219年(正“元”→正“久”)の妥当性が高いよう に思います。


[9] 小学校掲示資料, 教育実際社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/808849/1/91

正久元年閏 記録所設置

(誤植? 正しくは延久)

[11] 手書きの「延久」がOCRで「正久」と誤読された事例あり。

[18] 時宗教学年報 10, 時宗教学研究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4424041/1/42 (要登録)

正八幡神社 明治40年作成の由緒 正久2年 1070

(正しくは延久)


[12] 続群書類従 第壹輯下, 塙保己一, 続群書類従完成会 校, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1768030/1/19 (要登録)

正久元年11月12日甲辰

(平安時代頃? 誤植か、原典の誤写か?)

[13] 伊勢大神宮纂記 : 正続群書類従 第3, 塙保己一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1186799/1/20 (要登録)

(同文、ということは誤植ではなく共通祖本の誤写?)


[6] 伊豆の郷土研究 第10集, 田文協編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9539818/1/18 (要登録)

正久元年七月一八日 源頼家

(正しくは元久)

[8] 日本の刀剣, 佐藤貫一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2493950/1/51 (要登録)

九条家伝来の刀 正久元(1204)年

(誤植か?)

[14] 石清水八幡宮史 史料 第4輯, 石清水八幡宮社務所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1240468/1/88 (要登録)

正久元年8月

ママ注あり

(近くに元久元年3月あり)

[17] 冬柏 11(2), 冬柏発行所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/10987234/1/33 (要登録)

正久2年 新古今和歌集成立

(正しくは元久2年)


[4] 鎌倉国宝館図録 第3集 (彫刻篇 第3), 鎌倉市教育委員会[ほか], , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2476561/1/33 (要登録)

霊鷲山極楽寺 正久元(1259)年 開山

[5] 霊鷲山 感応院 極楽寺 鎌倉, , http://www.izumi-loc.com/kamakura/gokurakuji/index.html

北条重時(ほうじょうしげとき)が良観房忍性(りょうかんぼうにんしょう)を開山(かいざん)に正元元年(1259)に創建したといいます。


[15] 備中誌 下編, 日本文教出版, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3012359/1/254 (要登録)

引用されている応永33年造営帳中、正久元年9月24日

(誤写、誤植かも?)


[7] 東日流外三郡誌 第3巻 (中世編 2), 小館衷三, 藤本光幸, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9571399/1/94 (要登録)

正久元年

(鎌倉時代らしき記事、和田家文書 偽書)


[26] 日本古文書ユニオンカタログ - 詳細, https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20150331000327?dispid=disp01

【管理番号】 66503703232497

【和暦年月日】 (年未詳)正月3日(55550010030)

【詳細内容】 「正久」は私年号