[1] 古事類苑 歳時部2, 神宮司庁古事類苑出版事務所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/897572/1/108
[2] 大日本史料 第4編之6, 東京帝国大学文学部史料編纂所, , https://dl.ndl.go.jp/pid/782833/1/219
迎雲元年1月24日
つぎの南北朝には南朝の旗色悪く孤立した状況の中で南朝の者が、雲即ち天子を迎えると云う意味の迎雲とか、
と説明しています。 >>258
まず1167年(仁安2)に当たる保寿の年号は,平清盛の全盛時,平氏と藤原氏の対立を背景に,藤原氏の息災を願う者の使用するところ,また90年(建久1)に当たる和勝・迎雲の年号は,ともに源平争乱の終結(和勝にはより明示的に源氏の勝利の含意がある)による平和の再来をことほぐ者の使用するところであって,いずれも個別特定の願意や祝意を,正年号を拒否する政治的態度をもって表明したもので,異年号のもつ基本的性格の一つを示している。 南北朝時代に入ると,1345年(興国6∥貞和1)能登に白鹿,駿河に応治の年号が現れ,いずれもそれぞれの地方における反北朝(南朝系)の人々の使用と考えられている。
[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 迎雲 - 正治元年(1199年) 不明 『法隆寺文書』9