永平

永平

[16] 永平は、 東アジア諸国で使われた元号の1つです。

永平 (後漢)

[11] 汉明帝 y~1848 西暦58年

[18] Google検索によるとこの「永平」が一番よく言及されていそうです。

[19] 漢の元号であるのと、18年くらいも続いた (永平で一番長い) のが理由でしょう。

永平 (西晋)

[12] 晋惠帝 y~279 西暦291年

永平 (北魏)

[14] 元恪 y~67 西暦508年

永平 (麹氏高昌)

[13] 麹玄喜 y~909 西暦549年

永平 (魏)

[15] 李密 y~230 西暦617年

永平 (蜀)

[17] 王建 y~1510 西暦911年

永平 (日本)

[1] 大河原町史 諸史編, 大河原町史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9539432/1/728 (要登録)

小谷山長寿院 永平5年戊寅10月19日 供養塔

安永風土記書上げにいつかわからないとある

町史当時既に磨耗してほとんど読めない

永正5(1508)年? 長寿院創立前

私年号? 誤年号?

[3] 大河原町史 諸史編, 大河原町史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9539432/1/677 (要登録)

永享(1433) の読み誤り?

[2] 大河原町史 諸史編, 大河原町史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9539432/1/678 (要登録)

長寿院 慶長15年開山 明治7年頃まで存続

永平碑の高月桂公禅尼の素性は不明


[9] 様式や風化度合いで時代を絞れないか。

[10] 情報がなく現況不明

[4] 長寿院があったときに作られたとすると、 開山 慶長15年 安永風土記 の間。

[5] もっと前にあったものが移された可能性もあるが...

[20] 漢土方面の「永平」はどれも干支年があいません。

[6]

[7]寛永十五年」が「永平五年」に?

[8] 「寛」が磨滅していればあり得ないことではない?

メモ