[4] に日本国埼玉県川口市の鈴木茂が発表した 川口板碑年表 (埼玉史談 第七巻第一号所収) に、 「永章」 私年号の板碑が掲載されました。 後に中英夫が電話で鈴木茂に確認したところ、 永章に間違いないと証言がありました。 >>3
[118] に日本国埼玉県浦和市の歴史研究者中英夫はこれを引いて >>3 「筆者手持ち資料」に基づく私年号板碑の一覧表に
を掲載しました >>117。 この時点で中英夫は未見でした >>3。
[15] 説明なく とありますが、これはにあたります。 音通の異表記と考えてのことでしょうか。
[6] に考古学者の小沢国平が出版した 板碑入門 は、板碑研究分野ではよく読まれた書籍ですが、 >>3 を引いて板碑の私年号の1つとして紹介していました。 >>1
[5] 、 中英夫は日本国埼玉県川口市の源長寺を訪れ当該板碑を実見しました。 しかし中英夫には 「永章」 とは読めず、 「永享二年」か「永享六年」のように見えました。 にこれを発表しました。 >>3
[8]
には拓本と翻刻などが掲載されています。
「永享二年」と読まれていて、特に注釈はありません。
>>7
[9] 拓影でみても文字の判読は厳しいところがありますが、 確かに「永享二年」と読めないことはありません。 「永章」と読んでしまった気持ちもわかります。
[12] 現在、 源長寺の公式サイトほかいくつかのウェブサイトに源長寺の板碑群の全体写真があります >>10, >>11 が、個別の写真は見当たりません。 どれが当該板碑なのかもよくわかりません。
[13] 結局、「永章」は昭和時代に私年号として報告されたものの、 「永享」の誤読に過ぎなかったと結論付けられたようです。
[14] 私年号の一覧表に取り込まれたこともあったものの、 辞典類のような有名な元号一覧には収録されることなく、 忘れられて令和時代に至りました。
[18] 南朝遺史 追加之2 自天王碑, 林嘉三郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/772453/1/83 左上
「
[19] 賀名生村史, 賀名生村史編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2995327/1/81 (要登録)
[21] 賀名生村史, 賀名生村史編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2995327/1/176 (要登録)