亀光

亀光

[6] 亀光は、 幕末に使われた日本の私年号の1つです。

呼称

[33] 読み方は不明ながら 「きこう」 または 「きっこう」 とされます。 >>8

紀年法

[11] 元年は、 です。 >>2, >>60

文脈

[12] 平成時代には福岡藩内の一部で使われたと考えられていました >>2, >>60 が、令和時代になって東海地方西部方面で用例が複数見つかっており、 再検討が必要です。

用例

[31] とみられるもの。

[50] 令和改元絡みで報道やSNSで注目されて新発見が相次ぎました。 まだまだ未発見の用例が眠っていそうです。

[1] 近世| 古賀の歴史| 古賀市の魅力 -観光ガイド-| 古賀市オフィシャルページ () http://www.city.koga.fukuoka.jp/guide/history/005.php

高木・前田遺跡で発見された墓石には「亀光元年戌九月廿五日」と彫られていました。「亀光」は私年号といわれるもので、朝廷によって定められた年号(公年号)とはことなるものです。

この私年号は博多商人の間でも使用されたようで山本屋甚兵衛名義の『講鋪證文之事』にも「亀光元年戌九月」とあります。

この「亀光」のつくられた年は、現在のところ文久2(1861)年をあてるのが最も妥当と思われますが、この年号を使用した人々やこれを考えつくった人に関しては不明です。

また使用された地域は福岡藩内に留まるものと思われます。なお、確認されている2例ともに「亀光元年戌九月」ですから、ごく短期間に使用された可能性も考えられます。

[8] 私年号「亀光元年」銘墓石 文化遺産オンライン () https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/427992

「きこう」と読むのか「きっこう」と読むのか不明


[36] 岐阜県歴史資料館所蔵林周教旧蔵 伊勢山御運上帳日付が 「亀光元癸戌.3月25日」 とされるものがありました。 >>26

[37] 「癸戌」 は干支にありませんが、 の意としても矛盾はなさそうです。

[49] 「癸」の異体字「关」と「壬」が書写や翻刻の過程で混同されたのかも?
[26] 林周教_1_9 - 岐阜県公式ホームページ(歴史資料館), 2020年2月27日更新, , https://www.pref.gifu.lg.jp/page/12904.html
亀光元癸戌.3月25日伊勢山御運上帳1冊9文化9-228

[14] 近江国天保時代にあった一揆について言及した 近江国田畑御見分ニ付騒動写 (隠岐邑浅五郎、岡山大学付属図書館黒正文庫所蔵) の日付は「亀光元年」 とされています。 >>27, >>4, >>15, >>16, >>17

[18] この「亀光」が何年なのかは不明。 当該一揆がで、それ以後。

[46] 昭和時代の研究では著者隠岐邑浅五郎が作った私年号とされていたようですが、 近年の発見例を踏まえて再検討してみる価値はありそうです。

[17] 歴史への招待 - 南條範夫, 鈴木健二, 日本放送協会 - Google ブックス (第 19 巻 南條範夫, 鈴木健二, 日本放送協会 日本放送出版協会, 1981 ) https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=ZJLSAAAAMAAJ&dq=%E4%BA%80%E5%85%89

37 ページ

そして今るを得なかったに違いないこのように考え得る根拠は、史料の表紙害かれた「 亀光元年」という文字である。もちろん亀光という元号は存在しない。浅五郎が勝手に 作った元号、すなわち私年号である。明治以降の一世一元制と異なり、それ以前は朝廷 が ...

37 ページ

もちろん他光という元号は存在しなであった 処神取締め切。れたこ年写装さ、 5 合以上本「反 37 百姓一揆大行進 。て、この私年号問題は大いに興味深い。今い 。浅五郎が勝手に作った元号、すなわち岡山大学図書館の黒正文庫は、全国の一 ...

[15] 一揆 - Google ブックス (第 2 巻 東京大学出版会, 1981 ) https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=k6EyAQAAIAAJ&dq=%E4%BA%80%E5%85%89

280 ページ

この一揆を記した黒正厳文庫の史料の表題には、「亀光元年近江国田畑御見分ニ付 騒動写発端より御裁許逸記」とあり、「亀光元号」とは私年号と考えられる。国家威信 保持の道具立てである元号に私年号が対置されていることは、反幕政を掲げた一揆の 性格 ...

[16] 史料教養の日本史 - Google ブックス (竹内誠 東京大学出版会, 1991 - 273 ページ ) https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=310wAAAAMAAJ&dq=%E4%BA%80%E5%85%89

(太田尚宏)社会が大きく変わることを予見し、これを私年号「亀光」という幕府の政策が 一揆の前に撤回を余儀なくされたことを眼前にして、年までも続くようにと願ったもので あろうか。ともあれ浅五郎は、ものとされる「亀」と「光」とを組み合わせ、新たな世の光が 万「 ...

そこで九月に入り、野洲郡三上村の庄屋土川平兵衛らは、検「亀光」というのは 浅五郎が自ら作った年号である。縁起が良い地中止を求める嘆願書を作成し、 市野との直接交渉を計画した。ものとされる「亀」と「光」とを組み合わせ、 新たな ...

[4] () http://www.edu-konan.jp/ishibeminami-el/kyoudorekishi/404030100.html

亀光(ママ)元年の『近江国田畑御見分ニ付騒動写』(岡山大学付属図書館黒正文庫所蔵 裏表紙に「隠岐邑浅五郎書」とある)という文書の末尾に取り調べのひようをもからんで一揆に対する心境が簡単にかたられている。

関連

[7] 他にもいろいろな私年号が使われました。 幕末維新期の日時

メモ