[7] 霊寿 (y~1390) は、 昭和時代の日本の私年号です。
[19] 現在みられる用例はすべて近年の紹介で、 新字体の霊寿ばかりです。
[18] 旧字体は靈壽です。 改元は当用漢字表制定 () 以前ですから、 こちら (や混合) で表記されたこともあったかもしれません。
[12] 教団幹部の長岡良子 (>>9) は天照大神の霊統が昭和天皇から遷移したことで天皇となったと主張しており、 元号名はこれを反映したものとされます。 >>6
[8] 元年は日本昭和21(1946)年でした。 >>1, >>5, >>6
[10] 、 昭和を廃して霊寿に改元されました。 >>13, >>25
[9] この年、 昭和天皇の 新日本建設に関する詔書 (いわゆる人間宣言) を受け、 教団幹部の長岡良子は、 「天皇の神性」 が乗り移ったと称しました。 璽宇は長岡を中心とした国家風の制度を整備しました。 元号はその1つだったようです。 >>3, >>4, >>2, >>6
[20] この時期には他にも私年号が発生しました。
[30] 現代日本の宗教, 渡辺楳雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1162247/1/102 (要登録)
昭和22年1月21日読売新聞 : 昭和20年6月に霊壽と改元
[29] 現代日本の宗教, 渡辺楳雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1162247/1/112 (要登録)
「霊壽元年六月二十日」と書かれた文書がある
[15] 現在知られている最も新しい用例は 「霊寿十四年二月十二日」 です。 >>14, >>13 と解されています。
[17] 璽宇は勢力を拡大することなく、 昭和59(1984)年に長岡が死去しました。 霊寿の元号がいつまで用いられたか不明です。 璽宇はその後も細々と続いているとされ、 現用されている可能性も一応あります。
[31] 現代日本の宗教, 渡辺楳雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1162247/1/112 (要登録)
[32] https://dl.ndl.go.jp/pid/7925110/1/15 (非公開)
福音と世界 33(12)
雑誌
(新教出版社, 1978-12)
15: 救世の神業が始まる「霊寿元年」とさだめ、金沢に「皇居」を置いた。天災地変の到来を予言して良子は
[33] https://dl.ndl.go.jp/pid/11435869/1/54 (非公開)
主婦の友 35(10);10月特大号
雑誌
(主婦の友社, 1951-10)
54: 昭和二十一年を期して霊寿元年れいじゆかいこれを霊寿改元と申しますが、と改まり、いまれいじゆお