[27] 享保 (y~302) は、日本の元号の1つです。江戸時代の公年号の1つです。
[33] 名古屋叢書 続編 第12巻 (鸚鵡籠中記 第4), 名古屋市教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2972668/1/305 (要登録) 左下 /308 右上
[25] 享永 (y~4187) は、日本の私年号の1つです。
[26] 1件の用例が確認されており、享保の誤りと考えられています。
[10]
平成の大合併により現在の日本国熊本県球磨郡あさぎり町上西となった上西別府・下西別府地域にあったと思われる墓碑です。
[11] 地名と銘文のみしか掲載されておらず >>3 詳細な位置や現状は不明です。 検索でも発見できません。
[30] 年の字に天を使うのは中世後期から近世に全国的に見られる様式です。 干支年を元号年と年の字の間に挟むのは近世に見られる様式です。 享保時代と考えて違和感はありません。
[12]
享
がつく日本の元号は他に江戸時代に享和があり、
室町時代に遡れば享徳, 享禄もありますが、
干支が合うのは享保だけです。
[4] 6年にもなって間違って彫って、そのまま残すかという疑問もないでもないですが、 金石銘にはこうした間違いはまま見られます。
[13]
江戸時代で2文字目に永
が付く元号名は享保の2つ前に宝永,
更に遡って寛永があります。後には安永があります。
永
は比較的元号名によく使われる文字ではあるのですが、
享保とは少し時代が離れているのは気にかかります。
[14] 昭和時代の日本国熊本県の歴史研究者前川清一は、 誤記とみなして私年号には含めませんでした。 >>3 そのため一言触れているだけに留まっていて、詳細は不明です。 何を出典とするのか、実見したのかどうかわかりません。
[31] 私年号でないと判定されたためなのか、その後の私年号の研究では言及もされておらず、 一覧表などにも掲載されていません。
[32] 公年号の誤記と推測される元号や用例がごくわずかの元号も私年号に分類されている状況を鑑みれば、 享永も私年号といってしまって差し支えなかろうとも思われます。
[22]
に刊行された
上総国町村誌
の日本上総国天羽郡条に、
「
[23] 日本国千葉県富津市に現存する普賢寺を指すと思われます。
[24] 「三尊の銅板」の現状は不明です。「享永三年」 が原文ママなのか誤植なのかも不明です。
[18] >>8 は月堂見聞集巻十五の享保八年条からの引用の直前に、
容敬侯記の
「
[19] 嘉永を次の享保に引きづられた誤植と思われます。 実際、より古い版では嘉永となっています >>20。
[21] なお容敬とは松平容敬で、享保時代には生まれておらず、 に没しました。
[15] >>5 は昭和時代中期の新聞業界の業界誌掲載の随筆で、 墓石の話の中に 「享永元年×月×日没」 と出てきます。
[16] 時代柄もあるのであろう、軽いノリの文章でいまいち文意を掴み兼ねますが、 具体的な実在の墓碑銘の話では無さそうですし、 時代にもあまり意味は無さそうで、元号名にはたまたま思いついた (思い出した) それっぽい名前という以上のものではないのかもしれません。
[17] あるいは誤植という可能性もあります。原掲載誌の表記も不明です。