板碑からみた私年号「福徳」の受容

福徳

[375] 福徳 (旧字体: 福德)

元号名

板碑等用例

[102] 板碑用例は調査の進展と共にどんどん増えており、何度か集成されています。

[106] の集計によると

が知られています (亡失資料を含みます)。 >>97

[116] このうち武蔵地域に59基あります。また、同時期の公年号である延徳3年銘が25基あります。 >>97 >>97 には一覧表があって、福徳・延徳3年の通しでNo.01 から No.84 まで連番が振られています。

[117] 武蔵の59基中、

にわけられます。 >>97

[122] No.45 は2年説と3年説があります。原物は既になく、拓本から2年だと >>97 は判定しています。

[38] 青梅 : 定本市史, 青梅市史編さん実行委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3022484/1/130 (要登録) /311, /326

福徳2 = 延徳2、文正説も

[41] 八王子市史 下巻, 八王子市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3022498/1/735 (要登録)

福徳2 = 1467, 1491

[46] 大宮市史 第2巻 (古代・中世編), 大宮市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2989704/1/296 (要登録) /318

[47] 町田市史史料集 第4集, 町田市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641054/1/163 (要登録)

[55] 戸田市史 資料編 1 (原始・古代・中世), 戸田市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642301/1/305 (要登録)

[56] 戸田市史 通史編 上, 戸田市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643895/1/327 (要登録)

[59] 田沼町史 第3巻 (資料編 2 原始古代・中世), 田沼町, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643164/1/322 (要登録) /330

[60] 酒々井町史 通史編 上巻, 酒々井町史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644122/1/119 (要登録)

[61] 騎西町史 考古資料編 2 別冊, [騎西町教育委員会]社会教育課郷土史料係, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644935/1/15 (要登録)

[64] 千葉県史料 金石文篇 3 補遺, 千葉県企画部県民課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641996/1/79 (要登録)

[67] 板碑入門, 小沢国平, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2980023/1/78 (要登録)

[68] 川口市史 古代・中世資料編, 川口市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/317 (要登録)

福徳元年辛亥

[86] 日本国東京都練馬区南大泉妙福寺 月待信仰板碑 「福徳元年三月廿三日」 >>80

[96] テキスト / コラム 板碑に刻まれた私年号, https://adeac.jp/miyashiro-lib/text-list/d100010/ht200510

[173] 練馬区史 歴史編, , https://www2.i-repository.net/contents/myc/text_2rekishihen/rekishihen_honcho6.xhtml

[332] 日本国東京都青梅市吹上 宗泉寺 板碑 >>492 (青梅市の板碑, 青梅市教育委員会, ):

[337] 日本国東京都青梅市今寺 泉蔵院跡 板碑 >>492 (青梅市の板碑, 青梅市教育委員会, ):


日時事例

[331] >>330 /111 は、福徳私年号で、延徳であることが解明されている、 と書いています。福徳延徳元年が違うのですが、 西暦換算は正しいので、まったくの別名と考えているわけでもなさそうです。 言葉の綾のようなものでしょうか。

[39] 注意を要するもの

[40] 立川市史研究 第3冊, 立川市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2989350/1/39 (要登録)

[42] 立川市史 上巻, 立川市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9640331/1/376 (要登録)

[69] 川口市史 古代・中世資料編, 川口市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/338 (要登録)

かつて福徳二年と読まれていたが不明に

[95] >>80 東村山市徳蔵寺 板碑(上部欠) 右行「福徳二年」左行「(十一)月廿三日

銘文部分の拓本写真あり。銘文のおよその字形がぎりぎり読み取れる解像度。

棟札用例

[51] 水沢市史 2 (中世), 水沢市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9569710/1/385 (要登録)

文正元年


[62] 宮城県史 第1 (古代史・中世史), 宮城県史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2995409/1/238 (要登録)

[372] 宮城町誌, 宮城町誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3019310/1/27 (要登録) /35

福徳元年丙戌 =

[182] 宇那禰神社の情報| 御朱印集めに 神社・お寺検索No.1/神社がいいね・お寺がいいね|15万件以上の神社仏閣情報掲載, https://jinja-bukkaku.net/detail.htm?jbId=71460

芋沢字明神に鎮座する宇那禰神社は、桓武天皇を祭祀しており、創祀年代は明らかではないが、封内風土記によれば、社殿造営の際に梁の上に古い棟札が3枚あり、その中の1枚は、藤原朝臣長沼伊勢守政継が、福徳元年(福徳という年号は公式にはないが、非公開の年号で西暦1490延徳2年にあたっている。)に建立したという棟札、その2は、藤原朝臣長沼式部少輔宗次が天文5年丙申(1536)に建立、その3は、藤原朝臣長沼郷六大膳宗家が永禄5年壬戊(1562)に建立したという棟札である。

仏像仏具等用例

[43] 福島市史 第6巻 (原始・古代・中世資料(資料編1)), 福島市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2993589/1/205 (要登録) /250 /65

[44] 福島市史 第1巻 (原始・古代・中世(通史編1)), 福島市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3027510/1/335 (要登録)

[50] 郡山市史 第1巻 (原始・古代・中世), 郡山市, 郡山書店連盟, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9569414/1/308 (要登録)

[45] 郡山市史 第3巻 (近世 下), 郡山市, 郡山書店連盟, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9536826/1/74 (要登録)

[48] 郡山市史 第8巻 (資料 上), 郡山市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9569387/1/202 (要登録)

[49] 町田市史 上巻, 町田市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641034/1/386 (要登録)

[53] 図説福島市史, 福島市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641429/1/54 (要登録)

[371] 福島県歴史資料館研究紀要 (1), 福島県歴史資料館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4421275/1/43 (要登録) 右下

鰐口 平時福徳三年辛宛六月日

[380] 幸田一族の墓域.indd - 29.koudaitizoku.pdf, , https://www.city.yashio.lg.jp/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai.files/29.koudaitizoku.pdf

昭和 47 年 3 月 9 日 八潮市指定記念物(史跡) ●八潮市中央3丁目 19 番地2(妙光寺)

福徳3年日正筆私年号曼荼羅(非公開)


[94] 「下総国松沢大権現鰐口也 大旦那頭白上人 当社大工聖浄金 福徳二年八月八日」 (同じく頭白上人の順礼札 延徳 ) >>289

[368] 勝山記書き入れ 勝山記の日時

大機翁曰、昆陽漫録ニ載ス鎌倉鶴岡八幡宮座不冷所着到ノ軸ニ福徳二年四月一日ト彫テアリ、

同所光明寺ニ祈禱ノ額ノ裏ニ福徳二年辛亥九月吉日トアル由鎌倉志出、

一条過去帳ニ延徳二年十二月十七日板垣善満逆修、福徳二年正月四日同五月一日トアリ、延徳三年七月六日、八月十三日同九月十六日ト記セリ同六月十日、按ニ庚戌十二月ノ末ニ改元、但シ復延徳六月十日ノ後七月六日迄ノ間ナリ

[369] 一条過去帳一蓮寺過去帳のこと (>>295)。


[398] 甲子夜話 : 未刊 第1, 松浦静山, 坂田勝 校訂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2933205/1/80 (要登録)

仏典等用例

[295] 日本国山梨県甲府市太田町一蓮寺一蓮寺過去帳 には、次のような日付がみられます。 >>492

  • [296] 延徳2年庚戌10月24日
  • [297] 延徳2庚戌12月17日
  • [298] 延徳2庚戌12月17日
  • [299] 福徳2辛亥正月4日
  • [300] 福徳2辛亥2月13日
  • [301] 福徳2辛亥3月24日
  • [302] 福徳2辛亥3月27日
  • [303] 福徳2辛亥4月11日
  • [304] 福徳2辛亥5月9日
  • [305] 福徳2辛亥5月21日
  • [306] 福徳2辛亥6月10日
  • [307] 延徳3辛亥7月6日
  • [308] 延徳3辛亥8月13日
  • [309] 延徳3辛亥8月27日
  • [310] 延徳3辛亥9月16日
  • [311] 延徳3辛亥10月27日
  • [312] 延徳3辛亥12月17日
  • [313] 延徳2庚戌12月14日
  • [314] 延徳2庚戌12月7日
  • [315] 福徳2辛亥正月20日
  • [316] 福徳2辛亥2月10日
  • [317] 延徳3辛亥7月6日
  • [318] 延徳3辛亥8月16日
  • [319] 延徳3辛亥8月29日
  • [320] 延徳3辛亥9月16日
  • [321] 延徳3辛亥10月8日
  • [322] 延徳4年壬子正月21日

[280] 常在寺所蔵聖教に福徳2年辛亥5月16日の写本奥書があります。 勝山記の日時

[281] 日本国山梨県塩山市竹森 玉宮神社旧蔵大般若経 (野尻倹之助所蔵) について、 塩山市市史編さん係と山梨県の県史編さん中世部会の合同調査によると、

がありました。 >>279

日時事例

[134] 甲斐近世史の研究 上, 磯貝正義, 村上直 共編, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9537166/1/32 (要登録)


[166] 日本国滋賀県大津市坂本西教寺所蔵二諦義案立奥書 「福徳二年辛亥」 >>97

[167] >>166 令和2年時点で知られる (有形物の) 西限 >>97

文書用例

[52] 水海道市史資料集 第4集 (諸家文書), 水海道市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641441/1/7 (要登録)

[54] 日光市史 上巻, 日光市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641847/1/513 (要登録)

[57] 久喜市史 資料編 1 (考古・古代・中世), 久喜市史編さん室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644349/1/255 (要登録)

[58] 会津坂下町史 2 (文化編), 会津坂下町史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9640725/1/193 (要登録)

日時事例

[353] >>351 >>352 は発給者不明で、茂木上総介宛です。 茂木上総介は天文20年に同じような御教書を古河公方足利晴氏から受け取っているため、 これらの発給者を古河公方足利成氏とする渡部恵美子の説があります。 >>594

[354] 足利成氏延長年号は使っていましたが、 他の私年号を使った記録はありません。どうなのでしょうね。 関東の延長年号

[355] 渡部恵美子は、 私年号は寺社で呪術的に使われたものと主張していました ( 中世私年号 ) が、 これらは足利成氏が使用したものとし、 足利成氏延長年号を使ったように、 朝廷に対する政治的な対抗意識を寺社を通じて知った私年号で表したのだと主張しました。 日光山福徳が使われ、足利成氏の死後にそれが使われなくなるのも、 宗教的理由ではなく足利成氏との関係で選択されたと主張しました。 >>594

[356] 自らの呪術的私年号説を一貫させずに足利成氏日光山だけ関係を逆転させて政治的理由に帰するのは、 あまり説得力を感じませんが...

[386] 日本古文書ユニオンカタログ - 詳細, https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20210310001048?dispid=disp01

【管理番号】 66503703426023

【和暦年月日】 (延徳3年)6月2日(14910060020)

【文書名】 足利政氏補任状

【詳細内容】 私年号「福徳二年」と記す。

[385] 日本古文書ユニオンカタログ - 詳細, https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20210310001094?dispid=disp01

【管理番号】 66503703426069

【和暦年月日】 (延徳3年)7月12日(14910070120)

【文書名】 足利政氏補任状写

【詳細内容】 「補遺 茂木文書(流出文書)」所収、私年号「福徳二年」と記す。『栃三』五三

日光

[70] 日光山輪王寺記録より >>207:

[74] 延徳および福徳は当時日光山全体で使われた (公年号は使われなかった) と推測されています。 室町時代における日光山の私年号使用

[75] この他に日光輪王寺慈眼堂収納の

の用例があります。 関東各地から日光に移されたと考えられています。 >>207 (>>77 >>78 は詳細不明。)

会津

[79] 会津塔寺八幡宮長帳 延徳

信濃

[341] 諏訪文書に「福徳元年十二月一日」が2通あります。 >>340

[342] 信濃史料はこれを延徳2年に排列していますが、 延徳2年12月にも同様の文書があり不審だと注記しています。 >>340

[343] 延徳元年、延徳3年、延徳4年にもあるので、前後にも収まらず謎です。

  • [344] 延徳元年己酉12月2日、延徳元年12月5日 >>340 /267
  • [345] 延徳2年庚戌12月26日、延徳2年12月28日 >>340 /273
  • [346] 延徳3年辛亥12月6日、延徳3年12月6日 >>340 /280
  • [347] 延徳4年明応元年壬子12月15日、延徳4年明応元年壬子12月15日 >>340 /288

更に前後、本書収録範囲の応仁2年から明応2年まで、毎年すべて埋まっていて、どこにも福徳元年が入る余地がありません。

[348] 延徳の4組はすべて当社神幸記、福徳だけ諏訪文書で出典が違うのも関係ありそうです (どちらも諏訪家所蔵)。延徳の4組には干支年があり福徳にはまったくないのも不思議で、 我々には都合が悪い。

[349] 元号を改めて当社神幸記に収録したということでもなさそうです。 日付がどれとも一致していません。延徳元年が一番近いですが...

[350] 平成時代の歴史研究者渡部恵美子は、 干支年がなく福徳元年がいつに当たるか定かでないものの、 信濃史料が 「この福徳元年を延徳二年と考えているので、延徳二 年もしくは三年に当たると想定されているのだろう。」 としています。 >>594 どういう意味でしょうか。

記録

[88] 続群書類従妙法寺記延徳元年条に、 「京ニテハ正享二年ト延徳ヲ改玉フ也。・・・又京ニテ王崩御トテ。福徳二年ト年号ヲ改ル也。殊ノ外ニ大飢饉・・・」 とあります。 >>80

[91] 私年号正享が同時期に伝えられたこと、 足利義政足利義尚の死去が改元理由と伝えられたことがわかります。 >>80

無形物

えびす信仰の福徳元年

[213] 日本の人形芝居, 堂本寒星, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1125715/1/30 (要登録)

[171] 事代主命社祭(事代主とエビス・えびす)《諏訪大社上社の神事》, , https://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sinji/ebisu.htm

一方、兵庫県の(福男レースで有名な)西宮神社の摂社に「百太夫神社」があります。例祭で舞われる「えびす舞」の台詞ですが、見たことも聞いたこともないので、大江時夫著「武居エビスの謎」から書き写しました。

「さて御目出たき戎(えびす)殿の生まれ月日をいつぞと問えば、福徳元年正月三日寅の一天(刻)まだう(卯)の刻になるやならずに信州信濃の武居が宮にてやすやす(安々)とお誕生なされたなされた」

これには、恵比寿様は「長野県の武居神社」で生まれたとあります。「武居」が「竹井」になるなど、人形浄瑠璃や門付の台詞などと微妙に異なりますが、「武居」で間違いないでしょう。長野県といっても各地に「武居」がありますが、諏訪大社上社の氏子とすれば、ここの「事代主命社」を強く推すしかありません。

[172] 西宮えびす平成8年新春号, 西宮神社, 平成8年1月1日発行, , https://nishinomiya-ebisu.com/newsletter/backnumber/004.pdf#page=3

最後にもう一つ、えびす様のお誕生日は福徳元 年正月三日と謡われています。

(楷書体フォント)

[181] 【今宮・天満宮】十日戎 えべっさん【西宮】, , http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/kyoto/1291950008/364-365

364 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/01/23(月) 16:19:13.59 .net

>>361
「西宮の恵比寿三郎左衛門尉は
福徳元年正月三日、信州の竹井が森の生まれ」…だろw 

365 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/01/23(月) 16:36:46.58 .net

はじめ諏訪三郎左衛門尉満隆、のちに諏訪三郎薩摩守満隆。
戦国時代の武将。諏訪頼満の三男。
福徳元年(1490年)信州の竹井ヶ森で生まれ。
天文15年(1546年)武田信玄に反乱を起こして切腹を命じられるが
脱走して放浪の旅へ。最後は西宮に落ち着く。 

[222] 吉井良尚選集, 吉井良尚先生古稀勤続五十年祝賀会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2965396/1/48 (要登録) 左


[253] 民俗芸能研究 (5), 民俗芸能学会編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7959555/1/13 (要登録) 左上

鹿児島

鹿児島

[252] 夜須町史 下巻, 夜須町史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9576271/1/227 (要登録) 右

福岡県

[215] 近畿民俗 = Bulletin of the Folklore Society of Kinki : 近畿民俗学会会報 (18)(26), 近畿民俗学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6046000/1/20 (要登録) 左下

石見国

[197] >>195 >>196

福徳元年正月三日まだ卯の刻になるかならざるに信濃国武井宮の元安が木のもとで

松江藩

広島 因島

[234] 家船民俗資料緊急調査報告書, 広島県教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9769128/1/61 (要登録)

[240] 広島県民俗資料 8, 村岡浅夫, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9573980/1/167 (要登録) 左

[236] いきなじまというところ : 生名島と久兵衛さんの増刊号, 森本正勝, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9768994/1/193 (要登録)

愛媛県 (因島の隣)

[214] 祭り風土記, 宮尾しげを, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9542658/1/40 (要登録)

関西

[211] 淡路の人形芝居, 広川清, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1055520/1/53 (要登録)

[224] 淡路島の民俗, 和歌森太郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9544744/1/191 (要登録)

[249] 兵庫教育 37(12)(420), 兵庫県立教育研修所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7924527/1/2 (要登録)

淡路島

[177] m-uta052, , http://www.eonet.ne.jp/~rekio/kayouken/backmumber/m-uta052.htm

3つめに紹介したいのが、明石海峡大橋が架かる淡路島の、淡路町 岩屋にある、石屋(いわや)神社の「恵比須ばやし」です。

その石屋神社では、毎年3月に、大漁を願い春を 告げる祭りが行われます。そのときに、神社の境内で恵比須舞が舞 われます。

昭和50年ごろまでは、人形座がエビスさんなどの人形を操っていた そうですが、今は、地元の人がエビスさんや庄屋さんにふんして舞 います。そして、恵比須ばやしの謡い手と、その謡いに合わせて太 鼓や拍子木を打つ人がいます。次に挙げる歌詞は、今年3月10日(日 )にうたわれた恵比須ばやしです。

◆ ────────────────────────── ◆

▼△▼ 恵美須ばやし ▼△▼

(岩屋恵比須舞保存会 「恵比須ばやし」台本より)

※<の記号は、歌詞の繰り返し。

さて、さても目出たし恵美須殿の生まれ月日は何時かと

問えば、福徳元年正月三日、寅の一天まだ卯の刻に

なるやならずに、淡路の国は岩楠が宮にて、やすやすと

ご誕生なされた、なされ、なされ、なされた。

◆ ────────────────────────── ◆

石屋神社の宮司さんがおっしゃった、「昭和20年代には、淡路島の あちこちの神社で、エビス舞をそれは盛大にやっていたものですよ 」というお話が印象的でした。淡路島は海に面しているので、人形 芝居のエビス舞によって、大漁が願われたのでしょう。今では、淡 路島の中でエビス舞があるのは、石屋神社と人形浄瑠璃館だけです

[201] 民俗芸術 3(9)(33), 民俗芸術の会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1524799/1/20 (要登録) 右下

徳島県

[216] 近畿民俗 = Bulletin of the Folklore Society of Kinki : 近畿民俗学会会報 (19)(27), 近畿民俗学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6046001/1/19 (要登録) 左上

徳島市

[220] 柿島村史, 柿島村誌編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2993276/1/217 (要登録) 左

徳島

[225] 浦庄村史, 浦庄村史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998251/1/309 (要登録) 左

徳島

[226] 貞光町史, 徳島県美馬郡貞光町史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3022340/1/810 (要登録)

[232] 芸能 11(12)(130), 芸能学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2276325/1/17 (要登録) 右

徳島県 三好

>>209 阿波

[219] 神領村誌, 神領村誌編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2996786/1/408 (要登録) 右下

徳島

[227] 諸国祭礼行脚, 宮尾しげを, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9545320/1/40 (要登録)

徳島

[233] 正月の行事 第3 (徳島県・三重県), 文化庁文化財保護部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9546162/1/33 (要登録)

徳島

徳島県

[218] 七十七年の回顧, 高畠亀太郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3008610/1/63 (要登録) 阿波

[243] 徳島の研究 第7巻 (民俗篇), 石躍胤央, 高橋啓, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9575152/1/59 (要登録) 右

阿波、淡路

[180] 東京外国語大学学術成果コレクション, https://tufs.repo.nii.ac.jp/records/6456 #page=7

これに対して本稿では、16 世紀前半に西宮神社の神人として諸国を徘徊した祝福芸に由来す る木偶(=人形)箱廻しの芸能と、出雲大社の神人に系譜を有すると推定される大黒人(大黒 舞)の芸能をとりあげ、その詞章と楽曲の分析を通して、門付け・祝福芸について、その「商 品としての芸能の具体的なあり方」の検討を目的とする。

本稿が、既述のように、徳島県三好郡の吉野川上流域の門 付け芸人によって伝承された木偶箱廻しと、1997 年からその芸人に実際に師事することでその 芸能を復活した「阿波木偶箱廻しを復活する会」(以下、「復活する会」)の記録と演唱を素材と するのは、

「三番叟まわし」詞章

阿波木偶箱廻しを復活する会 1)

(ここからそのまま恵比寿廻しに移行――引用者注)

西宮からえびすさんが 生まれ誕生はいつぞと問うなら まずは生まれは福徳元年正月三日 虎がいってんまだ卯の刻に なるよならずよ 信濃の国の竹井が森で 金の木陰で やーすこんがらしょと おいべっさんが御誕生なされた

1) この詞章は「復活する会」が調査の過程で記録したものをご提供いただいた。

[183] 在郷風土記 多度津 西宮の戎さん, , https://tkamada.web.fc2.com/fudoki5/fudoki5409.htm

これは、門付けにもよく来たが、ご祝儀もので、よく寄席などで、かくし芸で披露される。 ここでは、その祭文の全部を、多度津の藤岡清さんに聞かして貰ったものを書くことにした。

先づは芽出度や、西の宮の恵比須三郎左衛門の丈は、

生れ月日を何時ぞと問えば、福徳元年正月三日

寅の一天、まなわの刻(こく)に、成るや、成らさん、信濃の國は、

竹日(ちくひ)が森の木々の木陰(こかげ)で、安すやす御誕生なされ、

成され、成された。成された処で、氏子子供に、肴のことなら、鯛の浜焼き、

香川県

[203] 讃岐俗謡集, 笑門散人, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1233932/1/10 (要登録)

[217] 法勲寺村史, 法勲寺村史編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998191/1/233 (要登録) 左上

香川県

[235] 詫間町誌 : 新修, 詫間町誌編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9573069/1/497 (要登録)

香川県

[237] 財田町誌, 財田町誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9572806/1/508 (要登録) 左

香川県

[238] 高瀬町誌, 高瀬町誌編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9573154/1/462 (要登録) 左

香川県

[241] 豊中町誌, 豊中町誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9770490/1/480 (要登録) 右下

香川県

[244] 新編香川叢書 民俗篇, 香川県教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9574940/1/371 (要登録)

香川県

[184] データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム, https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/50/view/6596

他には元来他の土地から家々を訪れていた門付芸が土着したものと思われる「大黒舞」「えびす舞」の例がある。一例ずつ歌詞を掲げる。

まずはめでたい西の宮の恵比須三郎左衛門尉は 生まれ誕生はいつよと問えば 福徳元年正月三日 寅の一点まだ卯の刻にやすやすと 御誕生なされた〈以下略〉(松山市泉町 恵比須まわし歌)

[221] 愛媛民謡集, 愛媛県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9544183/1/192 (要登録) 右下

[239] 長浜町誌, 長浜町誌編纂会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9769393/1/443 (要登録) 左上

[185] えびす信仰事典 - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?id=glXcN9r6GhAC&pg=PA166&dq=%22%E7%A6%8F%E5%BE%B3%E5%85%83%E5%B9%B4%E6%AD%A3%E6%9C%88%E4%B8%89%E6%97%A5%22

えびす様の石像(勝山町)エビス石像. -166- 、家々を寿いだ。「まずはめでたやめでたや、西宮の恵比須三郎左衛門尉は、まろが生まれはいつぞと聞けば福徳元年正月三日は ...

[186] 出典重信町誌。愛媛県。

[242] 信濃 [第3次] 31(1)(349), 信濃史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6069832/1/7 (要登録)

愛媛

[248] 三善生活誌 第1輯 (肱川とむら), 常磐井忠伽, 森正経, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9576123/1/149 (要登録) 右

愛媛

[247] 愛媛県史 民俗 下, 愛媛県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9774873/1/143 (要登録) 左下

[254] 土佐史談 (197), 土佐史談会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7913140/1/15 (要登録) 左

高知県土佐清水市

[223] 上南部誌, 上南部誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3020954/1/403 (要登録)

和歌山

[176] 書業50周年!書家・柏木白光『天と地 熊野をめぐる書巡礼』出版記念プロジェクト - CAMPFIRE (キャンプファイヤー), Kashiwagi_Byakko, 2023-03-22に募集を開始, https://camp-fire.jp/projects/view/658512

現定1口<柏木白光直筆サイン入り・BOOSTER限定版カバー>

【作品集『天と地 熊野をめぐる書巡礼』+ 作品名:恵比寿まわし歌(えびすまわしうた)コース】 1,188,000円

まずはめでたや まずはめでたや

恵比寿様が福徳元年 正月三日 とらの一天

まだ うのくにから やすやすやすと ご誕生なされた

なされた どっこい なされた なされた日には

【作品「恵比寿まわし歌」について】

伊勢の浜島にある宇気比神社(うけひじんじゃ)には、恵比寿神社があります。祀られているのは、必勝の守り神である「鼻欠け恵比寿様」。大漁を願う漁師たちが、夜密かに恵比寿様の像の鼻をお守りとして削っていったと言われています。

作品「恵比寿まわし歌」では、ネパールで梵字と仏画を学んだ柏木白光によって恵比寿様が描かれています。恵比寿様の周りに書かれているのは、「まずはめでたや、まずはめでたや」から始まる「恵比寿まわし歌」です。日本古来の福の神であり、漁業や商売の神として祀られてきた恵比寿様のとてもおめでたい作品です。


[191] 倭文麻環 巻之5,6, 白尾国柱 (斎蔵), 山本盛秀, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/899885/1/45

福徳元年正月7日、まだ巳の刻にもならないとき

[194] 徳川文芸類聚 第9, 国書刊行会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/945814/1/128 左下

福徳元年正月三日まだ卯の刻に

[198] 謡曲界 12(1), 丸岡出版社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1531893/1/49 (要登録) 左上

福徳元年正月三日まだ卯の刻に

[202] 大日 (22), 大日社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1595728/1/87 (要登録)

[205] 民政 7(1), 民政社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1583468/1/56 (要登録) 左中央

[208] 辻風土記, 山下待夫, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1234829/1/278 (要登録)

[210] 木太刀 33(1), 木太刀社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2346896/1/27 (要登録)


[168] 日本国広島県広島市安佐南区沼田町阿刀神楽 (広島県指定無形民俗文化財) 恵比寿舞 >>97 (若田佳子)

そもそも恵 () 寿 () (さぶ) (ろう) 殿 (どの) () (たん) (じょう) 何時 (いつ) ぞやと ふくとく (がん) (ねん) (うるう) (の)正月の (はじめ) (の) (みっ) () () (とし) () () () (とき) () (たん) (じょう) なされしが (うぶ) () () (だい) (おも) (しろ)

[169] これは日本国東京都府中市郷土の森博物館企画展 「中世東国と改元」 (令和元年) の開催中に若田佳子が知らせたものとのこと >>97ウェブ検索によると日本国広島県で神楽に参加する若田佳子という人物があるようです。 たまたま企画展で福徳私年号を知って深澤靖幸に伝えたということでしょうか。

[175] ウェブ上では平成時代に確かに 恵比寿舞 が舞われていたらしいことはわかりますが >>174、 その内容まではわかりません。

[256] これ1例だけ他と系統が違いそう。ウェブ上にはこの系統のものがまったく見当たりません。 これはたまたまなのでしょうか。それとも本当に孤例なのでしょうか。

[261] >>168 の三日巳年巳日巳刻はもともとは言葉遊びというか語呂合わせで出てきたのでしょうけど、 三寅 徳川家康生年問題 のように十二支ゾロ目の縁起が良いだの悪いだのというのはあるあるネタなので、 この種の事例を集めれば考察のしがいはありそうな。

[399] 応久, 崇宝


[187] えびす信仰というものは全国に広がっているようですが、ウェブ上でこの謡の痕跡が見つかるのは瀬戸内海四国が中心で、その周囲にちらほらと見られます。 これは実際の地域分布なのでしょうか、 それともたまたまウェブ上で見つかるのがこれだけなのでしょうか。

[188] 瀬戸内海沿岸を除くと中国地方にはほとんどなく、 九州鹿児島以外ほとんどない、 中心地の四国高知県はほとんどない、 という分布はとても興味深いです。

[255] 西宮神社についての伝承であるにも関わらず、 西宮神社自体を除けば兵庫県本土や近畿地方にはぜんぜん分布していないのも不思議です。

[189] 各地域とも 「いってん」の解釈に苦労していそうな感じがしますが、 「一点」、時刻単位と解釈するのが妥当でしょう。

[258] 本項の通り西日本各地に分布していることは、明治時代以来数々の記録がありますが (ウェブで見つからないだけで近世にも記録はあるのではないでしょうか)、 その内容の考察がほとんどされていないのは不思議です。

[259] 「福徳元年」についても考察はほとんどありません。 民俗学はそれがいつかあまり重視していないし、 歴史学は民俗学的資料をあまり扱わないのでスルーされてきた感じですかね。

[170] この「福徳元年」は令和2年まで私年号研究分野では報告されていなかったようです。

[190] >>180 16世紀前半といういい感じのタイミング、なんだか気になりますね。

[263] 組み合わせとしては

  • [264] 恵比寿の「福徳元年」と関東の私年号はまったく別
  • [265] 恵比寿の「福徳元年」から関東の私年号が生じた
  • [266] 関東の私年号から恵比寿の「福徳元年」が生じた

が考えられますね。どれもそれなりの理屈は立てられそうですが、これといった確証は今のところなにもありません。

[267] 恵比寿と「福徳」というキーワードは「福徳元年」と関係ないところでもかなり強く結びついていて、 >>263 のどの起源だとしてもそれが発展して「福徳元年」伝承の元になった (「福徳元年」伝承から恵比寿と「福徳」の関係が生じたのではない) ように感じられます。

[257] 類例にミロク10年辰の年が知られています。

[260] >>259 でも弥勒元年の伝承は民俗学方面で一応言及はされてますし、 「弥勒元年」「福徳元年」みたいな表現が何なのかって民俗学的にも普通に興味持たれそうな題材ではないのですかねえ?

[262] このタイプのなんとか元年って他にはないんですかねえ?って聞いたら答えてくれる博識の学者さんはいそう。 でもそういう論文は出てこない。深掘りはされてなさそう。

福徳の3年目と100年目

[365] 「福徳の三年目」「福徳の百年目」という言葉があります。

[366] 元号福徳と関係があるのかは不明です。

[25] >>24 p.127

明治17年11月11日 日本国長野県南佐久郡南相木村字栗尾の山中の炭焼小屋で働く久作

「南無有難や、有難や、福徳の三年目。や、寸刻もこう しちゃゐられねえ。」

[27] 当文章は秩父暴動の首謀者の親族が昭和初期に執筆したドキュメンタリーです。 事件とその後の逃亡の様子が描写されています。 当事者らへの取材で構成されたものでしょうが、 会話等の細部がどれだけ史実に忠実かは不明です。

[29] 当該部分は逃亡者に遭遇した現地民の会話です。 久作は仕事で山に篭もりっきり、 世情に疎く秩父暴動の騒ぎにも気づかないどころか未だに髷を結っている時代遅れの老人だとわざわざ説明されています。

[360] 事件当時に老人ということは昭和50年どころか筆者と生存期間が重なっているかも疑わしく、 わざわざ伝承されるような重要な台詞でもないので、創作の可能性がありますね。 もしそうだとすると、 「福徳の三年目」 は 「昭和の人がイメージする明治の老人の言いそうなこと」 ということに。

[361] 福徳の三年目(ふくとくのさんねんめ)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書, https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%A6%8F%E5%BE%B3%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%B9%B4%E7%9B%AE/

《福徳の利益 (りやく) は3年目に回ってくるという意から》予期しない幸運にあうこと。思いがけない利益を得ること。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

[363] 福徳の三年目(ふくとくのさんねんめ)とは? 意味や使い方 - コトバンク, 精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉, https://kotobank.jp/word/%E7%A6%8F%E5%BE%B3%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%B9%B4%E7%9B%AE-617466

福徳の三年目(読み)ふくとくのさんねんめ

精選版 日本国語大辞典 「福徳の三年目」の意味・読み・例文・類語

ふくとく【福徳】 の=三年目(さんねんめ)[=百年目(ひゃくねんめ)]

(福徳の利益(りやく)は三年目(あるいは百年目)にまわってくるという意で) 久しぶりに幸運に会うこと。思いがけない利益を得ること。

※俳諧・世話尽(1656)曳言之話「福徳の三年め」

[362] 福徳成就, , http://www.kokubunji.org/hukutoku.htm

福徳とは

「善行およびそれによって得る福利」とあります。

中でも「福徳の三年目」や「福徳の百年目」などは、滅多にない幸運な出来事に出会うことのようです。

[364] 落語「百年目」に出てくる「百年目」は、落語用語ではなく一般名詞 - 気になる言葉 on 国語辞典, https://kininarukotoba.hatenablog.com/entry/2013/05/16/000539

『広辞苑』第六版を引いてみる。

(1)めったにない好機。浮世草子、好色盛衰記「福徳の—」 (2)「おしまいの時」の意で、陰謀などの露顕した時などにいう語。「見つけられたが—」

[367] XユーザーのCheese!編集部さん: 「佐倉紫露先生の「レイアイ同盟」は、霊を成仏させる男子×霊を呼び寄せる女子のラブファンタジー!さらに、歪んだ愛を描いた「福徳の百年目」、夢のある女子は共感必至な「コンプレックス・ハーモニー」の3編を収録! https://t.co/jW4EEirsmj」 / X, , https://twitter.com/monthly_cheese/status/659635617861505024

研究史

[373] 近世日本では、 異年号考伴信友の研究などがありました。 異年号考

[400] 異年号考は鎌倉光明寺額裏書用例を紹介していました。 昆陽漫録の説を引いていました。

[374] 後南朝 日本南北朝時代の元号

[192] 川柳獅子頭 3(3), 獅子頭発行所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1511890/1/13 (要登録)

[193] >>192 福徳弥勒不時の正月の一種だったとする説。

[294] 武蔵野歴史地理 第1冊, 高橋源一郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3432375/1/206 (要登録)

[382] 刀剣刀装鑑定辞典, 清水孝教, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1222005/1/271 (要登録)

[389] 昭和7年の久保常晴の論文では、福徳は4種あると指摘しています。 >>388

[81] 千々和到は他の私年号と異なる福徳固有の特徴を5つ指摘しました。 >>80 中世私年号

[92] 福徳の用例は日本私年号の研究に63件、うち板碑が23件ありました。 >>80

[93] 昭和時代後期時点で東国板碑調査団の十年の調査の資料の整理 武蔵国板碑集録, 千々和実編が一部刊行済 途中でしたが、 板碑用例は倍増すると見込まれました。 >>80

[276] 平成時代初期時点で延徳3年、福徳板碑武蔵国における分布を図示しましたが、 どちらも武蔵国に満遍なく所在していること、 延徳3年は少数で大多数は福徳であることがわかります。 >>444

[277] また、図には示されていませんが、武蔵の東側には福徳元年が比較的多く、 西側では福徳2年が多く用いられています。 >>444

[278] 同じ延徳3年が福徳の違う年数で使われていることは、 複数の改元伝達ルートの存在を示唆しています。 中世東国私年号

[325] 平成時代初期の歴史研究者渡部恵美子は、 これらの日本国山梨県域の用例 (>>295 >>280 >>281) から、 甲斐国では延徳3年の1月頃から6月頃まで福徳2年が使われ、 その後7月頃から延徳3年が使われるようになったとしました。 >>492, >>97 (渡部1997)

[328] ところが山梨県には11月8日の板碑も1例あります (>>326)。 渡部恵美子はこれが公年号私年号が選択的に使用された証拠で、 板碑という場だから呪術的な目的で私年号に使ったのだと説いています。 >>492

[329] しかしそれではなぜ一蓮寺を始め甲斐国一円で呪術が6月に不要になったにも関わらず、 1例の板碑でだけ呪術を「復活」しなければならなかったのかは説明されていません。 当該板碑のある地域で前後にどのような年号が使われたのかも不明です。

[338] 渡部恵美子はまた、 日本国東京都青梅市の 「歩いて も半日もあればたどり着けるような大変近い距離」 の板碑が同時期に福徳2年だったり延徳3年だったりする事例 (>>332 >>337) を引いて、 片方が私年号のみを(そうだとは思わず)知っていたとは考えられず、 私年号だと理解して呪術的に利用していたに違いないとしています。 >>492

[339] しかしやはり一方の板碑は呪術を必要とし、他方は不要としたのかは説明されていません。

[99] 日本国東京都府中市の歴史研究者深澤靖幸は、 福徳板碑を計量的に分析してその伝播の様子を詳細に描き出しました。 >>97

[100] この研究は武蔵地域の板碑を対象としています。 福徳銘の板碑のほとんどは武蔵に分布しているためなのですが >>97、 域外は対象外となることや、板碑以外の金石文や文献なども対象外となることには、 注意が必要です。

[123] この研究では、

といった指摘がありました。 >>97

[269] >>268

ふくとく

>>97 の結論の要約 + いくつかの資料のカラー写真

[272] テキスト / 板碑(いたび), https://adeac.jp/miyashiro-lib/text-list/d100010/ht200500

また、西光院の福徳(ふくとく)元年銘阿弥陀三尊種子板碑は、私年号板碑であり、この板碑からこの時期におけるこの付近の領主は古河公方とも考えられている。

[273] >>272 これは中世私年号の一部と足利成氏との関係を指摘した説を誤って拡大解釈しているのでは...? 関東の延長年号

[370] >>353 の説と関係あるのかは不明。

宮代町における私年号は、西光院にある板碑に刻まれた「福徳元年□月三日」銘である。「福徳」は、延徳元年(一四八九)に甲斐国あたりで疫病が流行し、翌年の秋は異常寒気となり降雪に悩まされていた。そのため、これまでのように年号を変えることによって、この惨況を克服するため公年号の一字を入れ替えて「福徳」と命名したと考えられている。福徳元年は延徳二年に該当する。

私年号の「福徳」が使用された範囲は、武蔵、相模をはじめ関東地方一帯に及んでいる。

(カラー写真あり)

関連

[1] 育喜福徳の影響を受けたとされます。

メモ

[2] 練馬区史, , https://www2.i-repository.net/contents/myc/text_1junenshi/junenshi_honcho2.xhtml

[3] 刀剣と歴史 (431), 日本刀剣保存会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7901125/1/20 (要登録)

関東の公年号無視風潮の極限が偽年号 私年号

文正元年 福徳 継続年数不明

常陸 妙法寺過去帳 延徳2年 = 福徳元年 → 関東、甲斐、奥州。 大飢饉と前年の将軍足利義政死去

福徳3年 「神武以来?」の豊作が年号のためと大騒ぎで「福徳の三年目」という諺に、 思いがけず幸運に巡り合うという意味。 福徳の神は3年目にやってくると解説する辞書は曲解。 「福徳の百年目」は原義を知らない濫造。

相州住宗吉 短刀 福徳二年 水戸家家老中山氏家来の差料だったもの

[4] 日本歴史論究 : 遺物遺習資料と歴史研究 昭史会三十周年記念論文集, 東京教育大学昭史会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2972384/1/99 (要登録)

[5] 東京都文化財調査報告書 第19 (西多摩文化財総合調査報告書 第1分冊), 東京都教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2476882/1/83 (要登録)

[6] 東京都文化財調査報告書 第19 (西多摩文化財総合調査報告書 第1分冊), 東京都教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2476882/1/85 (要登録)

[7] 史跡ある記 続, 石島潔, 上尾市企画財政部広報課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644437/1/62 (要登録)

[8] 埼玉県史 第四巻, 埼玉県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3439275/1/309 (要登録)

[9] 富士見市史 資料編 3 (古代・中世), 富士見市総務部市史編さん室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643536/1/112 (要登録)

福徳元年1例、2年辛亥4例、いずれも図録に拓影

巻頭に写真1例

[10] 浦和の歴史と文化を知る本, 青木義脩, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642619/1/94 (要登録)

[11] 難波田城資料館の「私年号板碑」が新聞で紹介されました|富士見市, Fujimi City, , https://www.city.fujimi.saitama.jp/madoguchi_shisetsu/02shisetsu/shiryoukan/nanbatajo/exhibitions/Fukutoku-itabi.html

[12] 歴史考古学 (5), 歴史考古学研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7951453/1/30 (要登録)

[13] 考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 9(6)(233), 日本考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3548248/1/23 (要登録)

[14] 徳蔵寺(とくぞうじ)釈迦三尊種子板碑, , https://kawai24.sakura.ne.jp/tokyo-tokuzouji-40_90_179_227.html

[16] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7

私年号異説元年相当公年号(西暦)継続年数典拠・備考
福徳 -延徳元年(1489年)など不明『旧録司代家文書』(『香取文書』)、『本土寺過去帳』など多数

[17] 武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡), 千々和実, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/46 (要登録)

[18] 武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡), 千々和実, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/148 (要登録)

[19] 仏教考古学講座 第五卷, 雄山閣, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1914064/1/82 (要登録)

[20] 板碑概説, 服部清五郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/384 (要登録)

[30] 千葉県史料 中世篇 香取文書, 千葉県史編纂審議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/23 (要登録)

[31] 群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文), 群馬県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/192 (要登録)

[32] 群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文), 群馬県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/379 (要登録)

[33] 弥勒と合わせて考えたい。

[34] 室町時代の1490年ごろ、関東以北では「福徳」という、なんともめでたい「私年号」が使用されていた - Google 検索, https://www.google.com/search?q=%E5%AE%A4%E7%94%BA%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE1490%E5%B9%B4%E3%81%94%E3%82%8D%E3%80%81%E9%96%A2%E6%9D%B1%E4%BB%A5%E5%8C%97%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%80%8C%E7%A6%8F%E5%BE%B3%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%81%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A8%E3%82%82%E3%82%81%E3%81%A7%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8C%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E3%80%8D%E3%81%8C%E4%BD%BF%E7%94%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F

室町時代の1490年ごろ、関東以北では「福徳」という、なんともめでたい「私年号」が使用されていた。 飢饉や戦乱が続き、「そろそろ改元があってほしい」「徳政があってほしい」との期待から私年号が広がった。 続いて、反政府という文脈で改元が準備された近代の例も見ておこう。2019/04/03

論点:元号を考える | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190402/ddm/007/040/133000c

[35] 私年号曼荼羅.indd - 18.mandara.pdf, , https://www.city.yashio.lg.jp/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai.files/18.mandara.pdf

[63] 神奈川県の歴史, 中丸和伯, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9536176/1/66 (要登録)

変革を望む声が広まっていた、その証拠に公年号を拒否して私年号福徳を使っている。

[357] 福徳の草書を低解像度画像で見たら延徳になるような気がしてきた。。。

[358] 実際は延徳時代に福徳が出現したし、低解像度画像がそう見えたからどうなんだという話ではあるんだが。 でも文字図形として似てないとは言い切れない可能性が出てきたのは収穫なのかも。

[359] 中世の草書で「延」が「福」に見えるとか「福」が「延」に見えるとかが発見されないか?

[383] Xユーザーのところてんさん: 「安野君のポスター張りを手伝おうかと思って申し込みフォームから張ってない場所の地図を見ているんだけど 都心部はほぼほぼ張り終わっていて、郊外はほとんど埋まってなくて、 支持者が都心に集まっていることが図らずとも可視化されていてめちゃくちゃ面白い 例えば、荒川が境界線になってたりする https://t.co/Ckarev7Pg8」 / X, , https://x.com/tokoroten/status/1804467114172158248/photo/1

[384] >>383 川を挟んで綺麗にわかれてるけど、完全に綺麗ではなくてぽつぽつ混じってるのがちょっと不思議でおもしろい。 たまたま人が寄りにくいとか逆に行きやすいとか、たまたまそこの近くの人がいたとかいろいろと事情はあるのだろうけど。

で、これを一目見たとき、これって福徳元年と福徳2年の分布図じゃんwって思っちゃったw

どちらも結局地形から街が出来て人が動いて生じる結果の現象だから似てくるのかな。 きっとこういう現象は他にももっといろいろありそう。探せばもっと福徳板碑分布に似てるのも見つけられそう。

[387] XユーザーのDr. Yusuke YAMASHITA, PhD, Associ.Prof. of CSRさん: 「歴史上、日本には「私年号」「異年号」と言われるものが存在する。これは、 元号の一字を縁起の良い文字に変えて使う、という縁起物的風習であり、 例えば、「延徳」を「福徳」として使用した事例が存在する(※二代古河公方・足利政氏の御書の事例)。 (参照:市村高男『足利成氏の生涯』)」 / X, , https://x.com/YAMASHITAnoID/status/1631488764248993793