嘉貞

嘉禎

元号名

素然

[28] 嘉禎と書かれたとみられるものが素然と読まれた事例が知られています。

用例

日時事例

諸説

[29] 昭和時代に目録の形で翻刻紹介されたときに素然と読まれましたが、 そのような元号は他に知られていません。

[30] その後昭和時代嘉禎の誤読説が提唱されました。

[32] その他にはこれといった議論はみられません。

[31] 素然嘉禎ではまったく違うようにも思われますが、草書の崩れた字形では、 このような誤読もあり得ることなのでしょう。写真で見ると、嘉禎で妥当と思われます。

研究史

[26] 昭和18年の目録は、 >>10 を掲載して紀年素然と読みました。 他の元号と違って比定皇紀年を記載していません。 >>21

[11] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 私年号でなく私年号的諸資料>>10 を紹介し、

としています。 >>8

[25] 中文维基百科の一覧は、 嘉禎の欄で 日本私年号の研究 を出典に 天台宗書籍綜合目錄·天台宗一乘義秘要抄素然と誤るとしています。 >>24


[27] これ以外に私年号研究の文脈で紹介した事例は見当たりません。

嘉貞

[57] 嘉禎のことを嘉貞と書いた事例がいくつか知られています。


日時事例

[51] 成立 >>50 とされる栄尊大和尚年譜

[49] >>46嘉貞があります。前に文歴, 後に宋嘉煕があります。 >>44

[59] この位置と干支年から、同音の嘉禎と断定できます。

[58] から40年後の成立で、 その当時の字形がそのまま転写されているとするなら、 かなり同時代に近い用例であり、あるいは同時代的にも嘉貞と書かれていた可能性が出てきます。

[60] 実際この字形がどこまで遡れるものなのか、検討が待たれます。

[61] 本書は日本宋国の交流に関係するものであり、 そこに嘉貞字形が出現するとなると、 あながち大陸側資料 (>>34) も単純な誤記と安易に片付けられるものでもなくなります。

[54] の論文は、 >>45 を紹介して、 特に注釈なく嘉禎と説明しています。 >>53

[52] の論文は、 >>45 を紹介して、 「嘉貞(禎ヵ)元年乙未」 (明朝体) と書いています。 >>50


[34] 紀元類聚考に、嘉貞があります。 >>37 (紀元編)

[40] 厯代建元考 は、 四條院天皇の1つ目の元号として嘉貞を掲載しています。 >>39, >>41

[43] 吾妻鏡 刊本は、 目次でのみ嘉禎嘉貞 (明朝体) と書いています。 >>42 本文になく誤植と思われます。

[35] 紀元編は、 >>34嘉禎の誤りとしています。 >>37

[38] 昭和42年の日本私年号の研究は、 私年号でなく私年号的諸資料の本文中 (単独立項なし) で、 >>37 を紹介しています。 >>37 昭和39年の論文でも立項しないのは同じです。 >>20

[33] 中文维基百科の一覧は、 嘉禎の欄で 歷代紀元編 を出典に、 鍾映淵建元考嘉貞とする、 としています。 >>24


[56] のブログ記事は、 嘉禎のことを嘉貞と書いています。 >>55 誤記の可能性が高そうですが、記事の単純な誤変換なのか、 何らかの原資料から誤りを引き継いだのかは不明です。

[55] 662.松虫塚(熊野街道): 古民家アンティークギャラリーカフェ なつめのブログ, 2019年07月10日, https://natsumemomiji.seesaa.net/article/467821626.html

松虫鈴虫は、法然の弟子の勧めで瀬戸内海の生口島(いくちじま)の光明坊(現広島県尾道市)で念仏三昧の余生を過ごし、松虫は(元仁元年(1224)36歳で、鈴虫は(嘉貞元年(1235)45歳で亡くなったといわれています。

関連

[1] 横浜緑区史 資料編 第1巻, 緑区史編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9522894/1/87?keyword=%E5%98%89%E8%B2%9E (要登録)

[2] >>1 「嘉貞禎四年五月廿日」、(衍)と注釈。

[3] 表現学論考 : 今井文男教授還暦記念論集, 今井文男教授還暦記念論集刊行委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12442638/1/115?keyword=%E8%B3%80%E7%A6%8E (要登録)

[4] >>3 消息耳底秘抄, 賀禎二年林鐘

誤植か?

[6] >>5群書類従本では嘉禎二年林鐘廿日

メモ