改元

改元

[256] 元号を改めることを改元 (かいげん) といい、改元改元日といいます。

[2] 元号改元日は、原則として当地の政府が決定します。

[1] 改元の理由は色々あります。 現在の日本では、皇位継承があったとき改元されます。

まもなく日本で予定されている改元については平成31年新元号

改元と紀年法

[50] 最も広義には、 紀年法を改めることを一般に改元といいます。 改元は新旧紀年法の関係より次のように分類できます。

[51] なお、元号改元の「元」とは元期の意です。

[49] 改元は広義の改暦の一種ともいえます。

[7] 非元号の紀年法の改元について、民国紀元フィクションの紀年法

改元施行の時期

[56] 改元布告から施行までの時間の違いにより、 改元は次のように分類されています。 >>298

[85] 歴史的に見れば、 改元の事実と新元号の発表が施行の当日である即日改元が何度もありました。 計算機システムなど元号を扱う機構は、 これを想定し改元施行後可及的速やかにこれを実施できる備えが必要となります。 ロケールの更新

[65] 支那王朝では元号制度確立以前の在位紀年の頃から踰年改元が行われました。 明国清国時代は原則踰年改元でした。

[66] 支那王朝では全国への周知に時間がかかるため踰年改元が現実的な方法でした。 服喪の意味もありました。 >>298

[62] 日本の元号のうち、 大正への改元昭和への改元は、 即日改元でした。 官報新聞などの年号勅令公布の後直ちに改められました。 ただし、離島改元の事実すら数ヶ月間伝わっていなかった地域もありました。

[63] 平成への改元は、 翌日改元でした。 昭和天皇崩御による譲位で行われた改元だったため、 直前の連日の深刻なご容態の発表を改元の予告と捉えることは可能でした (実際日本政府元号の選定などの準備を密かに進めていたとみられます) が、 改元の手続きやシステム変更などの準備を行っていると公言するのはとても憚られる状況でした。

[64] 令和への改元では、 改元される見込みであることが1年以上前に示されつつも、 直前まで法的措置はとられませんでした。 新元号に発表されました。 あくまで今回限りのスケジュールであって恒久的制度ではありませんが、 今後の事前予告ありの改元は 1ヶ月前には発表されるとの前例になると期待したいところです。

[120] しかし令和改元では事前予告ありの改元ゆえの問題も指摘されました。

境界の扱い

[358] 改元がいつ行われる (と解釈する) かの処理は、かなり複雑で込み入った問題のようです。


[97] 日本の政府による元号のうち、唯一文中への改元だけ、 改元日が明らかではありません。他は、 (異説があったとしても) 一応の定説があります。 日本の元号

[265] 白雉朱鳥改元されず、 元号自体が使われなくなりましたが、 いつまでがこれらの元号の期間だったと扱うかには、揺れがあります。 日本の元号


[159] 明治への改元までは、同年の1月1日に遡って新元号を適用する (立年改元 >>298) と考えられていたとしばしば言われます。 しかしそれが適切な解釈なのかどうか、いつをもって改元と考えるべきかは、 平安時代から既に議論があったといいます >>356。 年初に遡った切り替え方も、改元日当日の切り替えも、 どちらの方法も採られてきました。少なくても、 どちらが歴史的に正しいと言えるものでは無さそうです。

[359] 現実問題として、改元日の前に旧元号を使ったものは (すべて修正して回るわけにもいかないので) 残りますし、 後から新元号で言及したものもあり、混在することとなります。 改元日の後の日付についても、 改元の事実の伝達の時差や、政治的な理由による改元の拒否などで、 旧元号がしばらく (時には何年も) 使われ続けることがあります。従って、 元号表記の日付の解釈では、 境界を厳密に定めて、そこから外れたものを誤りとするのは適切ではありません。 改元から十分な時間が過ぎたものは誤りとする検査は可能かもしれませんが、 その「十分」の長さを確定するのが難しい。

[161] Wikipedia の一覧表は、明治への改元までは、 旧元号の最終日も新元号の開始日も、どちらも改元のあった当日としています。

[625] 一般に西暦から元号への変換ソフトウェアでは、 改元日とそれ以後を新元号とするものが多いと思われます。

[271] 歴史教科書などで過去の出来事に言及する場合、 改元以前の出来事は改元前の当時の元号を使うのが普通だと思われます。

[264] 明治への改元は、明治の改暦の前に行われたこと、 立年改元と扱うか否かの問題、 多くの場合明治時代まで取り扱えれば十分でその前の改元を無視したいことがある、 といったような事情の組み合わせで、後述の通り4種類以上の「改元日」 が存在してしまっています。


[162] 大正への改元昭和への改元は、 改元日から新元号であるとされています。 しかし改元詔書は旧元号改元日を表記しています。 つまり、改元日当日は旧元号でもあり、新元号でもあるということになります。

[628] 詔書が旧元号で書かれているのは、詔書を書いた時点ではまだ旧元号で、 これが公布され発効することで改まる、ということなのでしょう。 であるならば、少なくてもリアルタイムでは、発効の瞬間までは旧元号、 それ以後は新元号と処理するのが最も適切ということになります。 ただし、詔書公布発効時刻が記載されているわけではありませんから、 これを厳密な境界として扱うのは困難です。

[627] 実際には、詔書によりの始まりに遡って改元されたと解釈する説と、 一世一元の制を根拠に新天皇即位をもって改元されたとする説があるようです。 >>298

[629] 実務上、時刻精度で区別するのは扱いが複雑過ぎるので、 の始まりに遡って新元号とするのが良いのでしょう。 一方で、旧天皇崩御時刻の表記で新元号が使われるのも不自然に見えます。 しかし少なくても、改元がその日にあった以上、当日の一部は新元号とするべきで、 翌日から新元号として扱うのは不適切そうです。

[626] 対応表や変換ソフトウェアの類では、 改元日を新元号開始日とするものと翌日を新元号開始日とするものでやや揺れていますが、 当日から新元号を採用するのが優勢のようです (>>45)。

[163] Wikipedia改元日を旧元号の最終日かつ新元号の開始日とするのを「当時」、 改元日前日を旧元号の最終日とするのを「公的」として併記しており、 「当時」の出典を改元の詔書、「公的」の出典を JIS X 0301 としていますが、この区別に意味があるのかは謎です。 少なくても、詔書の記述よりも JIS が「公的」であるとするのは違和感があります。 (どちらも公的なものとはいえ、詔書法令ですが、 JIS はただの工業標準です。) 実際には政府機関の解釈や取り扱いにも揺れがあり >>356、 そうした明確な境界を定めることはできないように思われます。


[176] 平成改元令和改元日の境界で行われており、 どのがどちらの元号に属するかは明確となっています。

[119] ただし、時差の取扱いの問題は残っています (>>195)。

[132] 令和改元では、 会計年度平成31年度改元以後令和元年度と改めることとされました。 年度に関しては立年改元的な取扱いといえます。 年度と改元の関係


[90] 年単位の対応表や変換ソフトウェアでは、境界のについて、 新旧両方の元号を示すものが多いですが、新しい元号のみ、 または古い元号のみ示していることもあります。

[94] 天平感宝改元から1年を待たずに改元されています。 元号西暦の対応表の中には天平感宝が欠落しているものもあります。

[331] 宝亀12年1月1日の天応への改元は、唯一旧暦1月1日に行われました >>206Wikipedia は (他の改元同様に) 宝亀12年1月1日かつ天応1月1日であるとしています。 年単位の対応表は、宝亀12年を含めているものも、 省いているものもあるようです。

[45] 各種の文献やソフトウェアは、明治以後の日本の元号の境界を次のように扱っています。

name
名称
明治
明治初日
大正
大正初日
昭和
昭和初日
平成
平成初日
終末
対応最終日
name
JIS X 0301:1992 附属書2 (参考)
明治
1868-10-23 (旧暦9月8日)
大正
1912-07-31
昭和
1926-12-26
平成
1989-01-08
name
JIS X 0301:2002 附属書1 (参考)
明治
1868-01-25 (旧暦1月1日)
大正
1912-07-30
昭和
1926-12-25
平成
1989-01-08
name
Wikipedia >>20
明治
1868-01-25 (旧暦1月1日)
大正
1912-07-30
昭和
1926-12-25
平成
1989-01-08
name
Windows >>15
明治
1868-01-01
大正
1912-07-30
昭和
1926-12-25
平成
1989-01-08
name
.NET >>44
明治
1868-09-08
大正
1912-07-30
昭和
1926-12-25
平成
1989-01-08
name
Ruby Date
明治
1873年/明治6年以後対応
大正
1912-07-30
昭和
1926-12-25
平成
1989-01-08
name
EraJa >>26
明治
1868-09-08
大正
1912-07-30
昭和
1926-12-25
平成
1989-01-08
name
erajp >>38
明治
1868-09-08
大正
1912-07-30
昭和
1926-12-25
平成
1989-01-08
name
Date::Japanese::Era::Table >>40
明治
1868-09-08
大正
1912-07-30
昭和
1926-12-25
平成
1989-01-08
終末
2999-12-31
name
Date::Japanese::Era::Table::JIS_X0301 >>40
明治
1868-09-08
大正
1912-07-31
昭和
1926-12-26
平成
1989-01-08
終末
2999-12-31
name
Lingua::JA::FindDates >>41
明治
1868-01-25
大正
1912-07-30
昭和
1926-12-25
平成
1989-01-08
name
Unicode Standard >>100
明治
1867
大正
1912-07-29
昭和
1926-12-24
平成
1989-01-07
[165] Perl - 西暦から元号のついた和暦に変換する ( 版) http://atamoco.boy.jp/perl/datetime/seireki-wareki.php

1926年12月25日は大正15年であり、昭和元年でもある。 どちらを優先させるかは、システムごとに決定すればよいだろう。上記では新しい時代(昭和)を優先している。

[352] 元号の変わり目・改訂版(1) - 2007-07-16 - 雑記 ( 版) http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20070716#GengoEd2_1

簡単に答えるのであれば,政府の通達等のレベルで,大正元年内閣送第30号内閣書記官長回答*1が,国定教科書の記載について,新帝即位時説を採用していたこと,大正元年民事第62号司法省民事局長通牒*2が,司法行政事務に関する文書について,翌日説を採用していたこと,大正元年官房第1420号海軍省文書*3,昭和2年秘第29号司法省刑事局長通牒*4が,即位に伴う大赦令の解釈について,午前0時説を採用していた可能性があること,昭和39年9月17・18日高知地方法務局管内戸籍住民登録事務協議会連合総会決議*5が,戸籍事務について,改元日併用説を採用していたこと,昭和42年7月3・4日福岡連合戸籍住民登録事務協議会決議*6が,同じく戸籍事務について,午前0時説を採用していたことなどを指摘することができる。

[353] 2007-07-29 - 雑記 ( 版) http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20070729#GengoEd2_2

この見解の重要な論拠は,大正,昭和の改元詔書が,「大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス」などと日単位で記載しているのに対し,慶應以前の改元詔書が,「改貞観十九年,為元慶元年」などと年単位で記載していることである。『続日本紀』など,正史における日付の記載が,年始説に整合的であることも指摘に値するであろう*2・*3。

しかし,反対説も譲らない。改元詔書の記載は,単に「大まか」に書いた書式が慣用となったにすぎず*4,現に,慶應以前でも,「宜改天平勝宝九歳八月十八日,以為天平宝字元年」と日単位で処理した事例がある*5,『続日本紀』の記載は,日付を整理する上での「便法」にすぎず*6・*7,実際,改元日説を基本にして整理された史書として,『類従国史』を指摘することができるというのである*8。

[354] 2007-07-29 - 雑記 ( 版) http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20070729#GengoEd2_2

前近代の改元においては,遅くとも平安時代から,年始説と改元日説の対立がありながら,実際上,何となく曖昧な取り扱いが続けられてしまい,権威と認めるべき見解を見いだすのは困難である。まして,改元日説によった場合に,午前0時説によるのか,詔書発布時説によるのか,それ以外の説によるのかになると,さらに判然としない。

[355] 2007-09-30 - 雑記 ( 版) http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20070930#GengoEd2_6

これまで紹介してきた各説を整理すると,以下のようになる。ただし,平成に関しては,争いがないので掲載せず,照会文書の中で披瀝された見解については,議論の途中経過にすぎないということができるので参考として掲載した。これによれば,元号の変わり目については,諸説紛々として,確立した解釈はないというのが正当であろう。

終了日を超えた表現

[241] 改元の情報伝達の速度や改元に従うかどうかに政治的な判断を伴う場合以外でも、 本来の終了日を過ぎて旧元号を使った日付の表記が用いられることがあります。

[242] 最新の元号の終了日は定まりませんから、将来の日時を表現する時、 最新の元号が十分長く継続すると仮定します。 実際にはその時期には次の元号改元されているかもしれません。 改元後からみると、終了日を超えた存在しないはずの元号表記となります。

[243] リニア中央新幹線は、平成57年 (2045年) に大阪まで延伸する予定とされています。 しかし2045年までに改元される可能性もあります。

[245] >>244 には「昭和62年11月1日から昭和72年10月31日まで」 のような期間の記述があります。昭和は64年までしかなく、 平成に入って改正されたらしい部分は平成で記述されていますが、 改正がなかったらしい部分は元の表記のままなのでしょう。 法的にも (適当に読み替えて) 有効であると考えられます。

[93] 法令契約書などで旧元号で日時が記入されている場合、 改正や訂正の手続きは不要で、 適切に読み替えて解釈することになっています。 改元時にはこのことを政府・地方公共団体や金融機関などが明示的に通知しています。 平成改元令和改元

[95] ただし、改元時に新元号に書き換えたり、 新元号に読み替えることを明文化したりする地方自治体条例や組織の規則などが制定される事例があるようです。 また、 別件で法令などが改正されることがあれば同時に旧元号日付表記も新元号に改める事例がしばしば見られるようです。

[131] 令和改元時には、元号のみを改める必要はないことが政府から明示的に通知されました。 ただし提出用の書式等改める方が好ましい場合は改めても良いともされました。 >>130

[246] 改元前に印刷された書類などは、作り直されることもあるようですが、 難しい場合や実害のない場合は、そのまま用いられたようです。 申請書等の書式で旧元号が印字されている場合、手書きなら、 書き直して (無視して) 新元号にしていたようです。

[96] 改元前から用意されている課税関係の書類は、 改元後であっても旧元号のまま送付されることがあるようです。

[248] 付けの硬貨は、 改元後のまで発行が続けられました >>247

[251] 計算機システムには、昭和平成を (改元に関わらず) 内部的に用いているものもあります >>249, >>250

[252] 神武天皇即位紀元 (皇紀) も、 本来の終了日を超えて神武擬似元号が用いられる特殊な場合といえなくもありません。

[8] 崇禎紀元もそのようなものです。

[116] 改元に慣れていない人は、 旧元号表記に対して苦情を言うことがあります。 改元のたびに政府等が明確化する通知を出す必要があるのもそのためです。

[117] 令和改元時には、「有効期限: 平成33年」のような表記にそんな年はない、 永遠に来ないから無期限だ、などと自らの無教養さを政府や主張の異なる者を叩く理由にする輩が出現しました。

[118] 元号に形式的に対応しているだけで実務適用経験に乏しい計算機システム改元以後の日付が与えられた時エラーとすることがあります。 令和改元時にそうしたシステムのいくつかは修正されたようです。

暦との関係

[200] 元号表記の日付を解釈する際には、 との関係に注意する必要があります。 元号西暦 (や皇紀その他の紀年法) との関係と、 明治6年以前に日本で用いられていた旧暦と現在用いられているグレゴリオ暦、 かつて欧米で用いられていたユリウス暦との関係が複雑で、 混同されていたり、換算に誤りがあったりすることがあります。

[636]西暦」というとき、純粋に紀年法として言っているのか、 欧米式太陽暦まで含めて言っているのか明確でないことも、混乱を助長しています。


[240] 元号によるの表記は、純粋な紀年法とは違って、 改元日を介して異なる元号と連結されています。 が違っても連結点自体 (改元という歴史的事実) は移動しませんが、 それがのもとでどう表現されるかは問題となります。

[199] 旧暦が用いられていた当時の日本の元号表記のと、 太陽暦が用いられていた欧米西暦表記のの対応関係は、 自明とまではいえません。 旧暦グレゴリオ暦ユリウス暦のそれぞれのの開始と終了のは違いますから、 同じ「」という概念であっても、別のものです。 それでも次のように考えると対応関係は定まってきます。

  • 太陽暦年の西暦表記は、欧米での利用により定義されていると考える
  • 太陽暦年の元号表記は、明治6年以降は日本で定義されている
  • 旧暦年の元号表記は、明治5年以前は日本で定義されている
  • 西暦表記におけるは、改暦点も含め、連続している
  • 元号表記におけるは、改暦点も含め、連続している
  • 従って、次のものも、 (後述する改元付近の問題を除けば) 改暦前後に自然に延長できる
  • こうして決めた旧暦年と太陽暦年の対応関係は、 「異なるであっても、大部分のが重なるなら、同じである」 という直感的な理解と一致する
[171] ここでいうの連続性は、 n 年の翌年が n+1 年という関係がすべてので成立することをいいます。 改元があっても旧元号最終年と新元号元年が同一年であることから、 全体としてこの関係は成立していると考えます。

[174] 旧暦時代の年月日や年を西暦年と月日で表記することもよくあります。 普通、この西暦年は、旧暦の元号表記から西暦に改めたもので、 太陽暦の年とは必ずしも一致しません。

[198] 例えば関ヶ原の戦いのあった旧暦慶長5年9月15日/グレゴリオ暦1600年10月21日のことを、 「1600年9月15日」、「慶長5年(1600年)9月15日」、「1600年(慶長5年)9月15日」 などと表記することがよくあります。

[173] 旧暦太陽暦は開始と終了が一致しないため、 境界付近の日付の変換には注意が必要です。年月日の変換は、年と月日に分けず、 全体として行わなければなりません。

[175] 改元旧暦n 年年末に行われた場合、 太陽暦n + 1 年の年初に当たることがあります。 その新元号の元年を西暦 n 年とするのは不適切で、 n + 1 年とするべきだ、とする人もいます >>29, >>22。その場合、 新元号元年も新元号2年も西暦 n + 1 年ということになってしまいます。 太陽暦との関係の記述としては間違っていませんが、としては不自然です。 また、改元日ではなく年初に遡って元号を改めるという扱い (>>159) とは矛盾します。

[190] そのような改元の場合、太陽暦西暦 n + 1 年の年初の日付を元号表記にすると、 旧暦では旧元号 m 年が最後であっても、太陽暦では旧元号 m + 1 年が生じることになります。しかも新元号元年が消失してしまいます。

[191]

                       西暦n年        | 西暦n+1年
旧暦         旧元m年       | 新元元年 |  新元2年
        -------------------+----------+------------
                         改元
        ---------+---------+-----------------------
太陽暦   西暦n年 |            西暦n+1年
         旧元m年 |旧元m+1年|      新元2年

[177] 逆に公式な太陽暦となった後の平成への改元太陽暦の年初、 旧暦の年末に行われたため、昭和64年は消失し、昭和63年の途中で改元したことになりますが、 それは平成元年より1つ前の年となってしまいます。

[178] これを平成0年と呼ぶことがあります >>84, >>179, >>183

[192]

                        1988年        |  1989年
旧暦           S63年       |   H0年   |   H1年
        -------------------+----------+------------
                         改元
        ---------+---------+-----------------------
太陽暦    1988年 |            1989年
           S63年 |  S64年  |      H1年
                        1/7|1/8

[457] なお、太陽暦であるユリウス暦でも平成0年が出現します。
[556] 日本の旧暦農暦越南陰暦といった旧暦のバリエーションの違いにより 0年が出現するケースもあります。
[542] この他、実装によっては歴史的な初の扱いの差により便宜上0年を設けていることがあります。 三正を参照。

[193] こうした問題は元号単位で考えるために起こるので、 (明治への改元までは) 改元が年初にあった (>>159) とすれば、 違和感は少なくなります。 (旧暦グレゴリオ暦ユリウス暦で新元号の開始の時期が変わってしまいますが、 新元号2年、3年の年始もずれているのですから、構わないでしょう。) ですが、そうはせずに実際の改元日を尊重して元号を決めるのが現在は一般的なようです。


[212] 元号のない時代の天皇擬似元号は、 文武天皇を除き、1月1日を便宜上の改元日と定めています。 通常の元号とは異なりこの改元日には意味がありませんから、 純粋にの名称と捉えて、に関わらず1月1日から新擬似元号とする方が妥当である、 という考え方もあり得ます。 日本の元号

[630] 複数の元号を扱う場面では、これもまた処理を複雑化させ不具合を誘発する要因ですから、 注意しなければなりません。

[290] 年度もまたグレゴリオ暦とは年始が異なる暦法ということができ、 改元年度名との関係の問題が生じてしまいます。

[84] HuTime - 時間基盤情報-暦変換(和暦(明治以降の旧暦)) ( 版) http://www.hutime.jp/basicdata/calendar/calendars/OldJapanese.html

昭和から平成への改元直後、12月1日から29日までの期間(新暦:平成1年1月8日~2月5日)は便宜上、平成0年として扱います。

[634] <西暦と元号の整合性>忠臣蔵・赤穂浪士はいつ「討ち入り」したのか? ( 版) http://blogos.com/article/101141/

[635] 歴史の年月日~旧暦と新暦の誤差: エムズの片割れ () http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-e8f7.html

大分前だが、読売新聞にこんな記事があった。

「歴史の年月日 正確な表記を 笠谷和比古

■疑似西暦

このように「一七〇三年一二月一四日」がまずいので、「一七〇二年一二月一四日」と表記した例も目にした。だが、先に述べたように討ち入りは西暦1703年の出来事なので、完全な間違いである。

■表記の改善を

疑似西暦を野放しにしていると、このようなトリックにからめ取られてしまいかねない。トリックとも気づかないままに、もはやどれが正しい西暦で、どれが疑似西暦であるかの判別もつかないまま、戸惑うことになるだろう。

歴史家として多くの本や資料に当たる中で、懸念し続けてきた問題である。早くこの病弊から脱却するために、表記が少し長くなっても、一部で実行されているように、せめて、関ヶ原合戦なら「慶長五(一六〇〇)年九月一五日」、王政復古なら「慶応三(一八六八)年一二月九日」とする書き方が適切だと、呼びかけたい。

かさや・かずひこ=1949年神戸市生まれ。国際日本文化研究センター名誉教授。日本近世史、武家社会論。著書に『歴史の虚像を衝(つ)く』『関ヶ原合戦と大坂の陣』『武士道』など。」(2016/09/21付「読売新聞」p21より)

時差との関係

[195] 元号の選択には時差は考慮せず、年月日のみを使うのが一般的と思われます。

[194] 明治への改元までは、標準時がなく、国内でも地方時時差がありました。 大正昭和への改元の時点では西部標準時などの中央標準時と異なる時間帯がありました。 単位で元号が切り替わるとすると地域によって旧元号と新元号が同時に存在することになります。 昭和への改元までは切り替えの時刻が不明確である上、ある時刻に定めても、 時差をどう扱うべきかが問題となります。

[197] 平成への改元の時点では、国内には中央標準時しかありませんでした。 改元政令は「公布の日の翌日から施行する」としています。 日本国内はすべて中央標準時で、午前0時から平成施行されたことは明白です。

[631] しかし、日本で1月8日となった後の (例えば) 米国でまだ1月7日である間の出来事を記述するのに、 時差はあれど日本の1月7日と同じに属することから昭和とするべきなのか、 中央標準時に基づき施行された瞬間より後であることから平成とするべきなのかは不明です。

[534] 戸籍事務では、現地時刻で1月8日以後を平成と取り扱うこととされました >>533。 (在外公館経由での手続きがあるので、時差も考慮する必要があるようです。)

[111] 在外公館用の出生死亡の届出書にも、 国内用同様に、時刻の記載欄はあっても時差の欄はありません >>109, >>110出生届は役所で保管されるものの、 戸籍時刻は記載されません。現地の日付がそのまま記載されるものと思われます。 死亡届(証明書)の時刻戸籍に記載されます。 時差の処理の方法は不明ですが、 そのまま記載するのではないでしょうか。

[112] 届出の日時 (医師が証明書に記載した日時) がそのまま使われるとすると、 在外公館の所在地や時差に関わらず、 医師が選択した時差に基づいた日時が記載されるということになります。

[113] 例えば外国行きの船舶内で船医により出生または死亡が確認された場合、 船医が船内時で証明書を記載し、 これが到着地最寄りの在外公館に提出されると、 船内時日時戸籍に反映されると推測されます。 ただし証明書にも戸籍にも時差欄がないので、 船内時だったという情報は残らないとみられます。

[114] この推測の通り運用されているとすると、 船内時日付変更のタイミングは船長がどうとでも定めることができるので、 ある元号が用いられていた期間を時差も含めて示すとなると、 改元当日の前後24時間くらいはずれる可能性があります。

[140] この方法だと、日本本国で中央標準時0時に達して政令施行される前であっても、 時差の関係で0時に達して新元号が開始される地域が生じるということになってしまいます。

日界との関係

[632] 日本では、伝統的に日の出(頃)がの境界と考えられていました。 旧暦から太陽暦への切り替えと同時に、正子が境界と明確化されました。 それ以前であっても、知識層は正子が境界と認識しており、 旧暦はそれに基づいて計算されていました。

日界参照。

[633] 明治以前の改元時刻精度で扱う場合は、日界の扱いも問題となりそうです。

元号年と年内連番

[160] 平成年第号のような表記については年内連番と改元の関係

改元の理由

[599] 支那式在位紀年元号改元の理由は4種類に大別されています。

[74] 代始改元 (称元) は、 新しい天皇皇帝国王将軍即位践祚によるものです。 ただし、必ずしも即位践祚の日に行われるものではなく、 歴史的には翌年に行われることが多かった >>73 ようです。

[75] 祥瑞改元は、吉事を祝うものです。 代始改元にも祥瑞改元の要素が含まれるといわれます。 日本では奈良時代頃によく行われました >>73

[67] 災異改元は、 凶事を避けるためのものです。 地震戦乱彗星などの出現によって行われました。 江戸時代には中井竹山藤田幽谷石原正明広瀬淡窓らが却って混乱を招くとして批判しました。 >>298

[69] 革年改元は、 讖緯説三革 (革令: 甲子年, 革運: 戊辰年, 革命: 辛酉年) を踏まえて行われたものです。 日本では平安時代以来、 易経により革命が起こるとされた辛酉年に革命勘文により改元が提案され、 実施される慣例となっていました。 後には同じく革命の年である甲子年にも実施されました。 >>68

[602] 近代においては一世一元の制が各国で採用され、 代始改元以外は行われなくなりました。 元号名が定められることを除けば在位紀年に近い運用となっています。 一世一元

[604] 近現代日本では旧天皇崩御後直ちに新天皇即位すると共に改元されることになっていますが、 歴史的にはそうでなかったことも少なくありません。地域と時代によっては翌年に改元されたこともあります。

建元

[5] 新たに元号を定めることを建元 (けんげん) といいます。

[48] 建国などで既存勢力の元号を使う必要がなくなり、 独立勢力であることを示す必要が生じると、 新たに元号が建てられました。

[83] 建元は旧支配勢力の元号からの改元の一種、 あるいは在位紀年など他の紀年法からの改元の一種とも捉えられます。 干支紀年からの変更と捉えられる場合もありますが、 干支紀年元号と併用され続けたため、 改元ではなく建元という表現がより相応しそうです。

[99] 満州国は建国と同時に建元しました。 元号を定め、開始日を西暦で指定することにより行われました。 大同

[81] 日本では大化建元の後中断混じりの期間があり、 大宝建元後は元号制度が継続しています。 日本の元号

[82] 弱小政治勢力により建元された元号は、 後の歴史家により私年号に分類されることが多いようです。

中断元号の再開

[523] 普通は元号は一旦改元されると元に戻されることはありませんが、 複雑な政治状況下では元の元号に戻されることがあります。

g
地域・政権
1
改元前、復活後
2
改元後 (中断中)
note
備考
g
後漢
1
中平
2
光熹昭宁永汉
g
西晋
1
永安
2
建武
g
東晋
1
隆安
2
元興
g
東晋
1
元興
2
大亨
g
前涼
1
建興
2
和平
g
2
永新
1
元和
g
京都
1
元弘
2
正慶
note
日本の元号
g
北朝
1
観応
2
正平
note
日本の元号
g
渤海
1
大興
2
宝暦
note
>>512
g
後梁
1
乾化
2
鳳歴
g
後晋/後漢
1
天福
2
開運
g
2
建文
1
洪武
note
>>524
g
1
光緒
2
保慶
g
蒙古
1
共戴/モンゴル国紀元/モンゴル人民共和国紀元
2
民国紀元
note
共戴紀元
g
中華民国/中華帝国
1
民国紀元
2
洪憲
note
>>525 1916年
g
中華民国/
1
民国紀元
2
宣統
note
張勲復辟 1917年
g
/中華民国
2
民国紀元洪憲民国紀元
1
宣統
note
張勲復辟 1917年
g
沖縄奄美吐噶喇小笠原伊豆
1
昭和
2
西暦
g
/中華民国/満洲国/満洲国臨時政府
2
民国紀元洪憲民国紀元大同康徳
1
宣統
note
満洲国臨時政府設立 2004年

[4] この他にも隣国との攻防で国境線が行き来した場合には、 国境地域では両国の元号への変更が繰り返されたと考えられます。

[512] 大興 (渤海) - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%88_(%E6%B8%A4%E6%B5%B7)

閻万章の考証によれば大欽茂は大興37年(774年)に宝暦(唐の宝暦とは別)に改元したが、晩年に再び大興を使用するようになったとされる。

[524] 建文 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E6%96%87

建文の元号は、建文帝から帝位を簒奪した永楽帝によって非公式化されていた時期があった。すなわち、永楽帝の即位後、建文4年7月1日に、建文元年を洪武32年、建文2年を洪武33年、建文3年を洪武34年、建文4年を洪武35年とし、洪武35年の翌年を永楽元年とした[1]。その後、万暦帝によって万暦23年(1595年)に建文の年号が復活された[2]

[525] 中華帝国 (1915年-1916年) - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E5%B8%9D%E5%9B%BD_(1915%E5%B9%B4-1916%E5%B9%B4)

1916年は民国5年ではなく洪憲元年とされた。

年号「洪憲」は3月23日に廃止され中華民国暦が復活した。

既存元号への合流

[526] 普通元号による元年から始まりますが、 特殊な状況では2年以降の途中のから開始されることがあります。 次のような場合があります。

[6] 当該地域住民日時利用の観点では改元となりますが、 手続き上は地域併合などとなり、 明示的な元号の変更手続きを伴わないのが一般的です。

元二年

元二年

改元の手続き

[72] 日本では大宝慶雲の頃から改元の行事が制度化したとみられています。 >>71

[76] 日本では歴史的に年号勘者を定めて案を提出させ、 公卿難陳 (審議) を踏まえ天皇詔書公布していました。 >>73

[77] 幕府朝廷に対し改元について意見を表明していました。

[78] 江戸時代には、改元時に江戸幕府の承認が必要でした。

[79] 明治時代以後、旧皇室典範に基づき践祚時に枢密院諮詢し、 天皇が勘定して勅令として公布していました。

[80] 昭和時代以後、 元号法に基づき内閣が選定し、 天皇政令として公布しています。

[52] 元号名の決定については元号の選定

各種法令の措置

具体的事例は平成改元, 平成31年新元号

[35] 参議院法制局 () http://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column104.htm

改元とそれに伴う法律改正について

計算機システムにおける改元

[13] 日付を扱う計算機システムは、改元の情報を保有し、 前後で年号表記を切り替える必要があります。 過去の情報を保持するのはもちろん、 改元があり次第その情報を追加する必要があります。 ロケールの更新

[14] 少なくても日本国内のシステムで元号表記に対応したものは、 改元に即座かつ低コストで対処できる必要があります。 改元日本では1000年以上続く元号システムの根幹であり、 それに対応できないのは欠陥です。

[16] 次のような点に留意が必要です。

[31] 残念ながら、現実には改元への対応コストが大きかったり、 時間がかかったりするシステムも少なくないようです >>30平成から平成31年新元号への改元の場合、 前の改元からわずか30年しか経過していないはずですが、 前の改元でその場しのぎな対応をしていたり、 平成になってから次の改元のことを考えずに作ったりしている粗悪なシステムがあるようです。

[32] 昭和から平成への改元では、 昭和のままのシステムが何年か残っていたり、 手書き用の書式に昭和と印字されていたり平成の選択肢が抜けていたりするのを記入者が訂正するような運用でカバーがありました。 平成からの改元では電子化ネットワーク接続されたシステムが多く、 こうしたその場での対処は難しくなっているかもしれません。

[139] 申請書等の選択肢では、必ずしも直近までのすべての元号が提示されるわけではありません。 例えば平成初期の小学生保護者生年月日欄には昭和までの選択肢はあっても平成が省略されていることがありました。

工業標準

[11] 改元に伴い改正される (可能性または実績のある) 工業標準

[107] マイクロソフト標準キャラクタセットにも元号を表す合字が含まれますが、 マイクロソフト社は平成31年新元号への改元時に新元号を追加しないと発表しました。 平成31年新元号

[106] JIS X 0213 にも元号を表す合字が含まれますが、 誰も使っていない規格ではないかとみられています。 平成31年新元号への改元時に改正されなければ、 その傍証となります。

[108] 明確な工業標準とはなっていませんが、 各種システム元号コードにも新元号が追加されています。 元号コード

改元日の一覧

[3] 元号

作品

[10] 改元の作品

メモ

[9] 読者の声:明治改元は何月何日? - 毎日新聞 () http://mainichi.jp/articles/20181029/ddm/005/070/076000c

政府の明治150年記念式典(24日朝刊)について神奈川県の男性が電話で尋ねます。「明治改元は旧暦(太陰太陽暦)の9月8日ですが、今年の新暦(太陽暦)カレンダーの23日は旧暦9月15日、旧暦9月8日は16日。本当は何月何日ですか」

改元は新暦では10月23日です。この日は旧暦だと明治元年が9月8日、明治100年の昭和43年が9月2日でした。旧暦では月日が年により変わります。

[592] 元号の改元日の境界処理 (中博俊著, ) http://blogs.wankuma.com/ognac/archive/2008/07/30/150960.aspx

DateTime.ParseExact(r, "ggy年M月d日", culture); で和暦の整合性をチェックできます。

昭和65年1月1日はNG...昭和の終了年超は押さえているようです。

昭和64年12月31日はOK...改元日は押さえてないのか。

平成1年1月1日 はOK.....改元日は押さえてないのか。

昭和1年1月1日はOK......改元日は押さえてないのか。

明治1年1月1日はNG......?なんでNG?

明治1年10月1日はOK.....?なんでOK?

境界点は明治1年9月8日でしてた。 この日は、明治に改元された日です。 なんで、明治だけ、改元日が考慮されているの?

しかし、コンピュータ上はの9月8日は太陽暦で処理されている。 明治1年9月8日改元は旧暦で行われているので、一致しません。

[593] JavaSE6 和暦の昭和の改元日が違う!? - Java Solution - @IT () http://www.atmarkit.co.jp/bbs/phpBB/viewtopic.php?topic=35637&forum=12&6

また、元号法の審議の際の政府委員の答弁

( http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/087/1020/08705241020009c.html の後半部分)

によると、

・理論的な考え方は崩御の時刻によって分けるという見解だった

・しかし、世の中の実際の実務として、役所の出生届等の受理については、

大正と昭和のどちらの日付でも受理されていた。

と言うのが実態のようです。

[59] チベット・インディペンデンス2015 - Students for a Free Tibet: 日本 () http://www.sftjapan.org/nihongo:tibetindependence2015

明治天皇は1912(明治45)年7月30日に崩御し、元号は大正に変わっていたが、チベット滞在中の矢島保治郎はこのことを知らず、明治46年と記している。実際は大正2(1913)年1月1日

[267] 【太陽暦】暦について語るスレッドpart7【太陰暦】 ( ()) http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sky/1429294131/675

平成になってもしばらくは昭和に換算した人がいたくらいだし。

(例えば平成3年を昭和に換算して昭和66年と理解していた人もいたほど)

その段階では定着度が昭和>西暦>平成でカレンダーもしばらく昭和併記したくらいだからなあ…。

(平成1桁のカレンダーにはその手のが結構あった)

[384] 道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道 (ヨッキれん著, ) http://yamaiga.com/road/tpr236_seihou/main10.html

島民は大正や昭和の改元を、それぞれ1年近く知らないまま暮らしていたというものがある。このうち昭和の改元については、昭和2年12月に漂着した高知県の遭難漁船の船員によって初めて島に伝えられたそうだ。

[385] Mule Software - 改暦のはざまで () http://hp.vector.co.jp/authors/VA004777/strn/1501.html

別のシステムでは、担当プログラマーが1989年1月7日までは昭和表記、1月8日以降は平成表記をするべきだと勝手に決めつけて苦しんでいた.年・月・日を個別に比較するロジックを何十本ものプログラムに組み込むため、テストに膨大な時間が必要となるからだ.

業務内容によってはそんな必要はなく、1989年は元日から平成表記で構わない場合も多い.そうすれば「年」の比較だけで済み、格段に楽になる.実際、多くの企業が昭和64年は存在しないものとみなして仕事をしていたように思う.

[394] 禁中並公家諸法度 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E4%B8%AD%E4%B8%A6%E5%85%AC%E5%AE%B6%E8%AB%B8%E6%B3%95%E5%BA%A6

実際にはこの法度の発布される4日前の7月13日に「慶長」から「元和」に改元されているが、現存する法度の写本は「慶長廿年七月」の日付が記載されている。まさにこの改元において、当法度第8条に規定されている改元権を巡り、朝幕間で諍いがあった。

[395] 新島村の近世史ー古文書 「御用書物控」に見る天保2年の新島 () https://www.niijima.com/facility/community/hakubutsukan/files/H18_kiyou018_ocr.pdf

天保2年(1831)になっても、当初、新島では文政 14年と認識していた。 3月 22日、新島の権左衛門船が江戸から持参した伊豆代官田口五郎左衛門の「書付」には「卯二月十三 日jとあって改元の様子は伺えない。十二支の「卯」だけですべて事足りたのである。

同じ2月付けで別の「書付」は次の通りであった。

「天保

右之去寅十二月十六日、年号改元被仰出候間得其意、小前不残様可申聞もの也

田口五郎左衛門

天保二卯年二月

新島には4ヶ月後にもたらされた情報であった。この時代としては改元の情報の伝達はほぼこれが標準であったと思われる。 かくして、新島での天保期は天保2年4月から幕を開けたので、あった。

[12] 元号の変わり目(1) - 略本雑記 () https://hakuriku.hatenablog.com/entry/20070716/GengoEd2_1

[33] 皇位継承と改元に関する若干の覚書 () https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1790495/shichinohe_1790495.pdf

[34] 宝亀の乱 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E4%BA%80%E3%81%AE%E4%B9%B1

[39] 3.1.1 年号の追加 : SEWB+/標準サブルーチン ライブラリリファレンス () http://itdoc.hitachi.co.jp/manuals/3020/30203B8610/B860217.HTM

[42] 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 : 東京時事新報 1912.8.7 (大正1) () http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00765906&TYPE=HTML_FILE&TRUE_TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA&AID=6&HISTORY=null

改元と小切手

東京組合銀行の申合せ

[43] 神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 : 大阪毎日新聞 1912.8.2 (大正1) () http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00765905&TYPE=HTML_FILE&TRUE_TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA&AID=6&HISTORY=null

改元と手形交換

[655] 法令の条文中に未来の日付が記述されているものがあるが、改元された場合、どのような取扱いになるのか知り... | レファレンス協同データベース (国立国会図書館著, ) http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000232427

[656] 改元対応、どうしますか? | 日本一小さな仮想自治体 () http://www.v-localgov.com/2017/01/%E6%94%B9%E5%85%83%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E3%80%81%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%8B%EF%BC%9F/

[36] 本邦における被害地震の日本暦について () https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1948/22/3/22_3_253/_article/-char/ja/

[37] 文学の歴史叙述に於ける遡及年号について () https://www.jstage.jst.go.jp/article/chusei/39/0/39_39_73/_article/-char/ja/

[46] 未来年号の世界から : 日付に矛盾のある文書よりみた荘園の様相 () https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigaku/92/8/92_KJ00003650411/_article/-char/ja/

[47] 暦Wiki/歴史/元号 - 国立天文台暦計算室 () http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/CEF2BBCB2FB8B5B9E6.html

[98] 幕末の改元詔書下書き、大阪で発見 : 地域 : 読売新聞オンライン () https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20190324-OYO1T50005/

[115] 新元号決定、不敬なプロセスが生む「第2の光文事件」 () https://ironna.jp/article/12265

[137] 佐賀)大正・昭和の改元、即位の資料展 県公文書館で:朝日新聞デジタル () https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190403003217.html

[138] 庶民の世論が影響? 江戸時代の改元|日経BizGate (日本経済新聞社著, ) https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO4285708025032019000000?channel=DF150320194919&page=2

吉野氏は「各大名を通じて全国に伝達されるまでに改元から2週間から1カ月程度かかった」としている。改元費用は幕府が負担し、江戸時代の後期には全体で200~400石程度の費用が発生したという。

[141] ―新元号は「令和」!「改元元年」にちなみ「各世代の結婚観に関するアンケート調査」を発表―結婚を決めた理由トップは昭和・平成世代変わらず「運命を感じたから」|ワタベウェディング株式会社のプレスリリース () https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000368.000011086.html

[142] 「改元元年」とかいう謎ワード

[143] 新元号の免許証、5月から=有効期限まだ「平成」:時事ドットコム () https://www.jiji.com/jc/article?k=2019040300969&g=soc&utm_source=jijicom&utm_medium=referral&utm_campaign=jijicom_auto_aja

警察庁によると、新元号が記載された運転免許証が交付されるのは5月5日からの見通し。同月1~4日は祝日などで交付手続きができないためだ。

国土交通省や中小企業庁が交付する車検証や船舶免許、中小企業診断士登録証なども4月中の交付は有効期限が平成表記のまま。狩猟免状などを扱う都道府県も「国の基準に従う」(東京都)という。