享徳

享徳

元号名

[64] 鎌倉市文化財資料 第2集, 鎌倉市教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2476533/1/95 (要登録)

異体字

享徳の延長年号

[41] 享徳4(1455)年7月25日 康正改元

[9] 足利成氏 正木文書で康正2年相当の事例 >>289

[11] 足利成氏 黄梅院文書で応仁2年相当の事例 >>289

[12] 足利成氏支配下の大名で享徳14年、享徳20年まで使用した事例があります。 >>289

[8] 埼玉県鳩山村妙光寺に永享18年銘、享徳8年銘の板碑があります。 >>289

日時事例

[51] 解釈と研究史は関東の延長年号参照。

[63] スライド 1 - 560.pdf, , http://koshigayahistory.org/560.pdf#page=7

享徳5年 私年号といっている (延長年号)

享高

[1] 日本私年号の研究 p.292

山本達雄所蔵山水画 「享高四禩乙亥」

画風室町時代

この時期の公年号私年号に「享」が多い

享徳4年乙亥、延長年号だが関東への改元伝達速度ならあり得る

誤記と断定できないので私年号としておく

[22] 防長の歴史研究 第2集, 徳山大学地歴研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9574834/1/22 (要登録)

年の字として「禩」を使った事例

[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7

私年号異説元年相当公年号(西暦)継続年数典拠・備考
享高-享徳元年(1452年)不明山本達雄蔵山水画。公年号「享徳」の誤記か。

[2] 山本達雄 (-) 所蔵画の現所在は不明。 養子山本達郎 (-) 平成考案者として知られている。 山本達雄没後は山本達郎所有となったのだろう。

[3] ややこしいことに同時代に画家の山本達郎 (-) もいる。

[4] 日本私年号の研究は出典を書いていないので、 久保常晴 (-) が現物を見たのか、どのように知ったのか不明。

[6] いくら乱世といっても4年になるまで間違った元号名が流通するとは考えにくい。

[5] 「高」と「徳」(の右側) は草書体なら誤読されることもあるか?

[7] 敢えて「禩」のような一般的でない年の字を使っているので、 他の字も特別な書き方の可能性がある?

享徳の干支不一致

[61] 南帝由来考 : 後南朝秘史, 中谷順一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12270358/1/50 (要登録)

[62] >>61 後南朝資料の干支誤り (怪しむ要素)

関連

[50] 享正

メモ