[12] 日本古建築菁華 [第1冊上冊, 岩井武俊, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/967472/1/52 (要登録)
弘徳元年甲子6月
至徳の誤り
[9] 古美術行脚大和, 足立源一郎 等著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/977442/1/178
弘徳元年甲子6月
至徳の誤り
[4] 寧楽 (1), 寧楽発行所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1517257/1/20 (要登録)
弘徳元年 至徳か、要検討
[11] 奈良県下国建見学提要, 京大建築会奈良研究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1176397/1/75
弘徳元年甲子
至徳の誤り、様式と一致
[13] 宝雲抄, 東伏見邦英, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1181160/1/80 (要登録)
弘徳元年甲子6月
至徳の誤り、南北朝の混乱期で遠隔地故
[10] 国宝解説 建造物之部, 入江軍児, 宝鏡会 補, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1176060/1/88 (要登録)
弘徳元年甲子6月13日
(時期記載なし)
[5] 考古学 11(7), 東京考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3548140/1/16 (要登録)
弘徳元年甲子6月13日
建造年代から至徳
[17] 神道大辞典 : 3巻 第二卷, 平凡社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1913348/1/107
弘徳元年6月13日
室町式
(よく造営時期を示すと書きながらいつなのか書いていない)
[14] 生駒山脈 : その地理と歴史を語る, 立命館大学地理学同好会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1043784/1/134 (要登録)
弘徳元年甲子6月13日
(時期記載なし)
[15] 成虫樓随筆 続, 天沼俊一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1058800/1/245
弘徳元年甲子6月13日
干支より、様式と一致
[1] 重要文化財十六所神社社殿修理工事報告書, 奈良県教育委員会事務局文化財保存課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2426822/1/29 (要登録)
模写
弘徳元年甲子6月13日
干支より至徳の誤記
[2] 重要文化財十六所神社社殿修理工事報告書, 奈良県教育委員会事務局文化財保存課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2426822/1/31 (要登録)
弘徳元年甲子6月13日
[16] 奈良歴史案内, 松本俊吉, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9573475/1/54 (要登録)
弘徳元年甲子6月13日
私年号、至徳の誤りか
[3] 日本私年号の研究 pp.234-236, pp.266-267
資料2(+1)点 (>>2 の2点 + 1文字欠の1点)
北朝元号選定の抗争と関係あるか
[22] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 弘徳 - 元中元年/至徳元年(1384年) 不明 奈良市十六所神社棟木銘、叡山文庫蔵『般若心経秘鍵抄』奥書
[201]
昭和時代の日本国奈良県の歴史研究者田村吉永は、
日本國奈良県生駒郡富雄村大字中
(昭和の大合併により奈良市中町)
の雲仙寺裏山の十六所神社中央社殿の棟木の墨書に
「棟上雲仙寺十六所造営
[26] 田村吉永は「勿論」>>18 私年号だとしています。 >>18, >>200
[25] 天沼工学博士は、この社殿の調査の記録で、 弘徳元年とし、至徳の誤かとしました。 >>18
[27] そのためか国宝目録でも建立が至徳となっています。 >>18
[28]
社殿の蟇股に「文安五年
本土寺過去帳 「好徳」 別本および内容より明徳の誤記
(「私年号的諸資料」として本文中で言及され、私年号として立項されていない)
[6] 千葉県史料 中世編 本土寺過去帳, 千葉県企画部広報県民課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642635/1/81 (要登録)
好徳元年
好徳 → 弘徳 → 至徳
[7] 千葉県史料 中世編 本土寺過去帳, 千葉県企画部広報県民課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642635/1/238 (要登録)
『本土寺過去帳』と我孫子, 森田洋平, 我孫子市研究 4 : 日福没年の前年の
下総国小金本土寺過去帳覚書, 石井英雄, 白山史学 5 : 類似奥書より明徳元年
本書 : 整合性等から宝徳より明徳。 私年号の弘徳とも。 従って14世紀後期。
[20] 日本私年号の研究が私年号認定しなかった理由はよくわからない。 単独の資料の用例のみで異本との比較で誤記と明らか (だと判定した) かつ過去の研究者が私年号扱いしていないからか?
[21] 宝徳、明徳、弘徳と3説あって一応弘徳が最新説? 自明に誤りとはいえず議論になっていたという研究史上の位置を考えれば、 今後は私年号として扱ってよかろう。