[2] 改元デマは、偽の改元情報です。 定期的に発生してきたようです。
[5] 架空の元号の一種ですが、騙されて実用して私年号化した例もあります。
[56] しかし、
といったものまで含めるとあまりに範囲が広がるので、 元号や改元のそれ自体に関係する誤情報が流布されたものに限定して 「改元デマ」 と呼ぶべきです。
[83] 改元に関係していても、 改元手続きに関係するもの (誰が元号を決めた、など) や元号の解釈に関係するもの (元号の典拠はこれこれでどういう意味である、など) は除外するべきです。
[58] また、 「かつてこれこれの元号が使われていた」という過去の改元の情報や、 「遠くのあの国ではこれこれの元号が使われている(た)らしい」 という遠隔地の改元の情報は、 どうしても誤情報が多く含まれる性質があります。 こうしたものまで含めてしまうと対象の性格がまちまちになりすぎてしまうので、 あくまで同時代 (近過去から近未来の改元についての)、 同地域で流布した誤情報 (とそれに由来して広まった情報) に限定して 「改元デマ」 と呼ぶべきです。
の1つまたは両方で構成されます。
[3] 改元が決まっていないのに改元が起こると勝手に決めつけたデマと、 改元がありそうな状況で未発表の元号を勝手に決めつけたデマに分けられるようです。
[128] 昭和時代の新聞業界の雑誌では改元誤報, 元号誤報と紹介されたことがあります >>103。
[129] 昭和時代当時はどうだったかわかりませんが、「誤報」という言葉は 「何らかの誤解によって誤った情報が報じられる」 といった意味合いに感じられます。意図的な偽情報の流布や、 一般的情報流通の上流から下流への流れと違った草の根的な 「噂」のような流れ方は含まれないニュアンスがあります。
[130] そのような限定的なイメージを持つ改元誤報という語より、 幅広い情報流通形態を包含した改元デマという語がこの現象全体を表現するには適していると考えられます。
[137] 改元デマの発生と伝播の実態の詳細は、資料が少なすぎてほとんどわかっていません。 今後も新資料の発掘が進み、 個別事例の検証や全体的傾向の分析に取り組む研究者が増えることが期待されます。
[138] 改元デマを悪意ある者が意識的に発した可能性も、 新元号予想のような悪意なき情報が偶発的にデマ化した可能性も、 誤読、聞き間違いなどまったく意図せず発生した可能性もあります。 個々のケースで発生事情は異なるとも予想されます。
[139] 中世東国私年号は当時の改元伝達ルートに何らかの事情で虚偽の改元情報が乗って伝わったと推測され研究が進んでいます。 しかし権力構造が不安定な時代の改元伝達は公年号についても未解明なことが多く、 公年号、私年号の垣根を超えて研究が進むことが期待されます。
[140] 逆に近世、近現代は統治体制が確立され公年号の改元伝達システムが安定運用されているだけに、 非正規の改元デマがいかに波及し得たのかという大変興味深い問題があります。 都市伝説等の広がり方との比較も必要でしょう。
[141] 改元デマを広める人達、信じる人達の意識の解明も待たれます。 中世東国私年号の改元デマ説が提唱されるまでは、 私年号の提唱者と利用者が明確に区別されずに元号名に利用者の思想信条、 願望が反映されると理解されていました。 改元デマだったと判明してからは、 私年号の作者と伝達・利用者を分けて考えるべきで、 伝達・利用者の思想は必ずしも元号名のごとくではないと認識されるようになりました。 しかし弥勒を典型例に、 元号名が伝達・利用者に一定の思想的影響や一体感を与えた事例はあるでしょう。 改元待望説がいう改元伝達ルートが無機質で機械的な媒体ではないとの理解は、 近世や近現代の改元デマ現象の解明にもつながるはずです。
[28] 改元デマや、それに準じる誤情報等 (改元手続き関係の同時代的な虚偽情報など) で知られているものは多数あります。
[34] ★は、近い時代の公年号の不採用案を誤認して発生した可能性のある改元デマです。
[85] ◆は、「本来公年号の改元予定だったものが漏洩を理由に差し替えられた」 とする誤情報が二次的に付加された改元デマです。
[9] ▼は、誤情報を信じて実用されたと考えられ私年号にも該当する事案です。
[35]
平安時代後期の承安2(1172)年、
泰平や万平に改元されるとの噂が京都にありました。
[67] この時代に既に正規の改元伝達ルートとは別に風説としての新元号情報が流通したことがわかります。 噂された新元号を実用したとする記録は未発見ですが、 実用した者まではいなかったのか、記録が現存しないだけなのかは不明です。
[57]
平安時代末期の源平の戦いの最中、
関東の源頼朝は、
平家政権による寿永への改元を当初無視していた、
と言われていました。
同様に中世にはしばしば中央の改元に従わない勢力が出現します。
近年の研究では、
朝敵であるためや社会の混乱が理由で改元が伝達されなかったケースもあったと考えられています。
誤った新情報を流す改元デマとは異なりますが、
偽の新元号を「正」の誤情報とするなら、
改元情報の欠落は「負」の誤情報とでもいうべきものでしょうか。
正規の改元伝達経路の機能不全は、
改元デマを生む土壌となりました。
[32]
室町時代、
関東地方で延徳▼の私年号
(公年号の延徳とは別)
が広まりましたが、
改元デマでした。
[23]
戦国時代、
関東地方で福徳▼の私年号が広まりましたが、
改元デマでした。
[36]
戦国時代の関東地方で、
京で正京、正享と改元されたとの情報が記録されています。
そのような事実はなく改元デマに当たります。
[24] 江戸幕府には日本各地で改元デマが恒例化していました。
[59] 、 日本各地で慶喜▼2年の私年号が使われました。 実在しない代始改元 (実際には約1年後) の改元デマと考えられています。
[132] 3月、 尾張藩で宝永が藩からの発表前に流布されました。 情報源は不明ですが、 朝廷での改元日より後、江戸幕府の施行前というタイミングであり、 尾張藩の正式発表前で一般庶民には情報の正誤を検証不能でしたから、 改元デマと同種の事案といえます。
[74] 末頃、 陸奥で宝久▼の改元デマがあり、 一部で用いられました。
[22] 享和4(1804)年2月、 文化への改元 (朝廷では2月11日) 直前の江戸では、 元明と改元されたと紙に書き付けて売り歩いた者があり、 処罰されました。
[25] 文化14(1817)年 (朝廷では翌年4月22日文政に改元)、 江戸では、 永長と改元されたと紙に書き付けて売り歩いた者があり、 処罰されました。
[65] に天保と改元された頃、 永長と改元されたと紙に書き付けて売り歩いた者があったといわれます。
[27] 天保8(1837)年、 加賀, 美濃, 陸奥 (福島県域) で永長▼の私年号が用いられました。 改元デマが疑われます。
[29] 、 加賀の一部で元暦▼2年の私年号が用いられました。 改元デマが疑われます。
[26] 天保15(1844)年12月、 弘化への改元 (朝廷では12月2日) 直前の江戸では、 嘉政★◆と改元されたと紙に書き付けて売り歩いた者がありました。
[55]
幕末にはいくつか私年号が出現しました。
[42]
大正改元のとき、
東京日日新聞
と
大阪毎日新聞
(合併して現毎日新聞)
は政府発表と異なる新元号の読み方
「たいせい」
を報道しました。
[41]
昭和改元のとき、
東京日日新聞
(現毎日新聞)
は新元号が光文★◆▼だとするフェイクニュースを報道しました。
一部で実用されました。
社長は引責辞任を表明しましたが、実行しませんでした。
後に自称関係者が実は光文に内定していたと主張したため、
令和時代に至っても一部マスコミ関係者が陰謀説を唱えています。
影響の大きさではかるなら史上最悪の改元デマ事件といえます。
[51]
改元詔書を偽造した新聞社もありました。
[38]
第二次世界大戦の終戦後アジア大陸に取り残された日本人の間で、
大新▼と改元されたとの噂が広まり、
一部で私年号として使われました。
[12] 平成改元に先立つ昭和50年代頃から、 いろいろな「新元号」 の噂がありました。 次のものが知られています。 >>15
[70] 浅羽通明が自分の周囲や雑誌記事から収集したとされます。 >>431
[47] 「ひかり」が目立ちますね。 浅羽通明は、 表面的な平穏さへの苛立ち、 平穏さを打ち破る時代の夜明けへの期待が表現され、 (一世一元下で稀にしかない) 事件としての改元のイメージと結びついていると考えました >>431。
[69] 昭和天皇がご高齢になったとはいえ、死を願うように取られかねず公に語りにくいタブー感が、 逆に密かな話題の楽しみを増したものだと指摘されています。 >>431
[52] 浅羽通明 memoさんはTwitterを使っています 「たとえば(一九八八年)一月二十四日付読売新聞の連載コラム、「平成―新元号を追跡」の十五回は、兜町、印刷、広告、事務用品の各業界、政界に流れたうわさとして、→」 / Twitter (午後8:50 · 2016年7月13日 , ) https://twitter.com/asaba_memo/status/753194895137910785
[53] 浅羽通明 memoさんはTwitterを使っています 「→光元 知光 承天 文建 大元 和晃 光業 光輝 光紀 光華 高輝 弘文 明徳 弥生 桜花 平和 和光 という「昭和の次の元号」が報告されている。」 / Twitter (午後8:50 · 2016年7月13日 , ) https://twitter.com/asaba_memo/status/753194932500766720
[95] 平成改元時には、広義の改元デマの類ともいえる平成改元毎日新聞社情報漏洩疑惑が生じました。
[1] 令和改元の頃新元号が安久だとするデマ騒ぎがありました。
他にも「安」が入るというデマが数種ありました。
[60] 平成改元前の「ひかり」といい、時代の空気のようなものが現れているのかもしれません。
[143] 新元号予想の上位に入った平和を決定ないし有力案のように誤解する人も出現しました。
[10] 「新元号『悠久』って本当ですか?」国民民主の議員「令和」公表前にツイート→削除 () https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/yukyu
[6] ネットに現れた未来人たちの予言した年号はことごとく外れた事象に対して「平行世界の住人」「禁則事項」「政府が予言を知って変更」などの説が乱立 - Togetter () https://togetter.com/li/1334279
[155] Xユーザーの伊藤 祐策(パソコンの大先生)さん: 「これは秘密のリーク情報なんですが、新元号は「皇暦」だそうですよ。」 / X, , https://x.com/ito_yusaku/status/1111193224306016257
[156] >>155 雰囲気的にジョークなんだろうけどおもしろくないしこういうのでも実際デマの元になるからな
[68]
の新元号発表直後から、
当時の内閣総理大臣の安倍晋三を嫌ういわゆる反アベの人々を中心に、
令和の意味や出典を曲解して貶める動きが見られました。
[61]
デマという程ではありませんが、
令和の発表直後に一部海外メディアが偏った意味で解説した記事を海外に配信したため、
日本政府外務省が公式の英語説明を発表する事態となりました。
[8] 時を経るに従ってエスカレートし、 新元号の偽の由来を考案して披露するデマがしばしば流されるようになりました。
[63] 栄和, 令和改元統一教会陰謀論も参照。
[66] >>64 陰謀論、放射脳デマ、反ワクチンのいつもの組み合わせ!
[87] 安久のような広範囲に広まった改元デマには一般の人々も関わっているので事情が複雑なのですが、
... と時期によってデマの内容は変化しつつも、 特定の思想や陰謀論を信じる同じような人達が同じような主張を展開しているようにみえます。
[90] 従来型の改元デマとは少し性質が違って、近年増加しているといわれる 「自分達の主張の正当化のためならデマでもなんでもいい」 タイプの過激な人々の素材にたまたま時勢柄改元が選ばれたということでしょうか。
[144]
陰謀論や反アベの類は除外するとしても、
令和改元前後の SNS 投稿等は改元デマの考察に有用な情報を提供してくれています。
[93] 改元そのものについてのデマではありませんが、
日本共産党やキリスト教系極左団体に関係する「市民」グループなどが
「政府に元号を強制されている」
などとするデマを流しています。
裁判で主張が却下されても活動を続けているようです。
こうした主張は以前から日本共産党が行っていましたが、
令和改元を機にまた出現するようになりました。
[94] こちらの主張の人々は元号 (と天皇) 全体を嫌っているので、 (最終的に反政府活動に行き着くところは同じでも) 改元デマや改元経緯デマの人々とは重なっていないようです。
[48] 令和元年になってからの天災や凶悪事件、 令和2年のコロナウイルス騒ぎ、 令和2年の天災と事ある毎に、 もう一度改元しろと言って騒ぐ人が SNS に現れますね。 どこまで本気か知らんけど。 これは改元デマが生まれる素地ができつつあるのかも。
[49] 【超速報】改元決定, 2020/07/18(土) 16:16:59.39, , http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1595056619/
[96] 日本では、 改元デマだと判明したことが平安時代後期の泰平・万平以来しばしば同時代的な記録に残されてきました。
[97] 複数の改元デマに言及した事例としては、 の改元デマ (嘉政) の際に天保改元の際の改元デマ (永長) に言及したのが知られている最も古い記録です。
[99]
江戸時代末期までに、
薩摩藩の歴史研究で慶喜が改元デマであることが確認されました。
[100] 昭和時代中頃、 日本私年号の研究 はそれまで私年号・異年号の扱いをされることがあった泰平・万平を、 改元デマとする同時代の記録を引いて、 私年号ではないと整理しました。 これによって私年号と改元デマの区分けがなされました。
[98]
、
国立公文書館の石渡隆之は昭和改元の記録を調査し、
50年前の光文事件の元号差し替え説が成り立たないことを示しました。
[102] 、 千々和到が主要な中世東国私年号が改元デマ由来だったことを解明し、 私年号研究は新たな段階へと進みました。
[105] 、 瓦版研究者の平井隆太郎 (当時立教大学教授、江戸川乱歩の子) は新聞業界の機関誌にコラム記事を寄稿し、 近世の改元デマについてまとめて紹介しました。 >>103 改元デマというテーマで多数の事例を集めた現在知られる最古のものです。
[123] 最後の部分は特に出典も論拠もなく筆者の感想で文をまとめています。 新聞業界へのリップサービスなのか、 それとも新聞研究者というより新聞屋として本心で書いているのでしょうか。
[124]
宝永改元時に処分されたのは改元施行日 (
[125] 考えてみれば近現代のマスコミが未発表改元情報を流布しようとするのと構図は同じです。 それがきっかけで処罰される可能性を筆者は思い至らなかったのか、 書かなかったのか、どちらでしょうね。
[126] またこの時代改元伝達には何十日もかかるのが普通で、 関所の役人が旧元号だからと通行を認めないとは思えません。 よほど不審な場合くらいでしょう。 少なくても公式の改元発表が到達しないほどの短期間で旧元号を認めなくなる状況は想像し難いように思われます。 即座に改元が伝わる現在ですら、 旧元号の文書が無効になることはありません。 瓦版屋が先走ろうがなかろうが、一般庶民には関係のないことです。
[127] この記事が掲載されたのは昭和54年。筆者は生まれで、 昭和改元は5歳のときのことでした。 筆者やこの時代の多くの人にとって改元はほとんど未経験に等しい出来事で、 しかも社会情勢が異なる遥か過去の改元のことともなれば、 想像が及びにくいのは致し方ないことなのかもしれません。 一世一元で元号継続期間が長大化することの弊害です。
[191] 、 研究者の山田忠雄は、 江戸時代の元号の話題の中で改元デマを取り上げました。 >>190
[211] いくつかの話題のうちの1つで個別に詳細な検討がなされているわけではないとはいえ、 現代歴史学的に江戸時代の改元デマを取り扱った最古の業績です。
[212] ただその考察には無理も見られ結論ありきのようにも思われます。
[213] 言論の自由がなく厳しい弾圧までなされたこの時代にありながら、 他の事件ほどの「筆禍に発展しなかった」と認めながらも 「単なる浮説以上に許すべからざる異説」 として禁止したというのは理由がありません。 せめて当時どのような言論がどのように処罰された事例があるのか検討しないことには、 このように結論づけるのは危険です。
[214] また、箱根の一件も、 役人が少々の書き誤りならともかく公布もされていない元号など不届き千万と拒んだ旨を引きながら、 「たとえ無知な誤解にせよ」 元号の改変を許さないと結論付けているのは強引です。 うっかりの誤り程度なら融通をきかせると当の役人が表明しているのですから。 また、 不正な元号の使用者は関所の通行許可が与えられていないだけで、 何の処罰も受けていないことにも注意が必要です。
[157] 、 歴史研究者の河野昭昌は永長と長徳を江戸時代の私年号として報告しました。 >>158
[133] 平成時代になると中世東国私年号 (のいくつか) は改元デマから生じたものとする説は学界で通説化していきました。
[134] また、元号関係の出版物等で江戸時代の改元デマがしばしば紹介されました。
[135] しかし改元デマと私年号の関係を総合的に分析した研究はなく、 中世、近世、近現代の改元デマ事案を通時代的な視点で検証することも望まれます。 公年号の改元伝達ルートとの関係も考察を深める余地が残されています。
[136] 大陸での状況は未だほとんど不明なままです。
[183]
に永長を素材に光文事件と関連付けた陰謀論が発表されています。
[162] 発行、普及版発行の 日本年号史大事典 は、 コラムで私年号や改元デマを取り上げていますが、 江戸時代の改元デマは2つのコラムで元明, 永長, 嘉政を紹介しています。 >>160, >>161 原資料の記述を掻い摘んで紹介しており、独自の知見は特にありません。
[169] 令和改元直前の発行の一般向け雑誌の記事 (連載コラム) で、歴史研究者の竹内誠は、次のように紹介しています。 >>164
[180] 竹内誠は江戸時代を専門とする研究者ですが、元号に関する業績は見当たらず、 独自の知見ではなく定説的事項を一般向けに解説したものと思われます。 記事の大部分は原資料の翻案や一般的事項で、 それ以外 (>>173 >>174 >>175 >>179) は時代の専門家としての肌感覚からの補足なのでしょうが、 特に根拠のない推測となっています。
[181] 特に >>179、正式に決定した元号が漏れた可能性は、「可能性」 レベルでは確かにあるといえばあるのですが、 現在までに具体的な「可能性」が確認されている事例は1件だけ (>>132) で、それも漏れたと断定できる証拠はなく、しかも本記事ではそれを取り上げていません。 その他はすべて偽の改元情報だったので、正規情報が漏れた「可能性」 をわざわざ文末の締めに使ったのは蛇足だったと言わざるを得ません。
[182]
改元作業があったこと自体が「何となく世間に漏れ出ていた」か、
というのはまさしくこれらの改元デマの記録を基に検証されるべきでしょう。
また、改元情報を秘密にしていたかどうかも、当時の距離と情報伝達速度を前提に検討する必要がありながら、
これまで十分に考察されていません。
[185] 久保常晴が古事類苑を参照していたのは間違いないのでしょうけど、 >>184 の事例が日本私年号の研究にないのは、私年号と改元デマを結びつけて考えていなかったからなのでしょう。
[43] 中世、近世の未発掘の改元デマ事例はまだまだありそう。
[11] 「改元デマ」でぐぐると1位が安久、 2位が光文で草www
[17] 平成改元でも令和改元でも、 陛下がご高齢になった頃に新元号のデマが生じるのは興味深い。
[18] 別に陛下の死を願ってデマを流しているのではないだろうけど、 一世一元の負の側面のようにも思える。
[19] たぶん延長年号、 中世私年号、 改元デマ、 新元号予想あたりは地続きの現象として総合的に考察する必要があるのでしょうね。
[44] 最初の私年号が出現する平安時代終わり頃に改元デマも出現しているのに注目したい。
[20] 平成末期、おそらく東日本大震災の頃から、 改元と大仏建立が必要だ、みたいなネタが Twitter とか、 Web 系の会社の社員とかの間で何度か盛り上がりましたよね。 だから改元デマの発生とか、 中世私年号が世直し改元願望から発生した説とか、 なるほどありそうな話だという実感があります。
[21] 実のところ Twitter の表示とか、 IT 系でも特に Web 系の会社とかは元号じゃなくて西暦を扱うのがほとんどじゃないですか。 だから元号なんて関係ないはずなのに、 改元を切望する。 もちろんただのネタなので、ほとんどの人は面白がってるだけで真面目に改元努力をしている人などいないでしょうけど、 日本の歴史の積み重ねが時代の最先端の分野までつながってるのが興味深いし、 中世私年号も元号自体より改元という事実が重要だったという指摘が現代に重なっておもしろい。
[39] 中世はどうだかわかりませんけど、江戸時代に江戸で流行ったような改元デマは、 きっと平成や令和の人々と同じで、 天災などの社会不安、 政治への不満とか風刺で改元があるのではないか、 新元号が何だろうとネタで話していたのがエスカレートしたものだったのでしょうね。
[62]
現代の中華人民共和国やベトナムでも風刺の私年号が発生しているのも興味深いです。
中華人民共和国やベトナムは元号を使っていないので改元デマにはなり得ないのですけど。