私年号か
私年号 永和年間前後
板碑編年より
[7] 日本国東京都の武蔵野郷土館保管板碑 「至大元年 月 日」 >>6
[8] 久保常晴は南北朝時代末、永和年間頃と推定しました。 >>6
[9] 千々和到は (元真を除くと) 南北朝時代の関東唯一の確実な私年号としていました。 >>6
[11] 肥留間博は応永年間としました >>6 (>>12) が、 千々和到が至徳年間頃としたため、 肥留間博は再検討により永和から明徳のものとしました >>6 (>>1)。 >>6
[13] 肥留間博の推定は蓮座、花瓶、「 月 日」という紀年銘に注目した型式編年で、 十分に信頼できる結論だと千々和到は評価しています。 >>6
[14] 千々和到は公年号の至徳の「徳」をよろこばしい「大」に置き換えたもので、 他の私年号にも類例があるとしています。 >>6
[15] 至徳は北朝の元号なので、久保常晴の南朝方土豪説は成り立ちません。 >>6
私年号 永和・康暦から明徳
>>3 より詳細な板碑編年
[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 至大 - 永和または至徳年間(1375年-) 不明 東京都武蔵野郷土館蔵板碑
私年号 連番13 至徳年間 1384-1387
至大
板碑編年より1380年代 - 1420年代、 公年号との類似性から至徳年間
至大元年
板橋区旧在 江戸東京たてもの園所蔵
カラー写真あり