永喜

永喜

[1] 永喜は、 日本の中世私年号の1つです。

陸奥

[43] 河北町誌 上巻, 河北町誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9569712/1/221 (要登録) /239

千葉県下

[15] 千葉県史料 中世篇 香取文書, 千葉県史編纂審議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/251 (要登録)

メモ

[2] 日本私年号の研究に詳しい。

[3] クマのとんだ大手柄!? 壊した神社の板壁の中から470年前の餅板発見/栃木, 読売新聞 東京朝刊 2面

栃木県粟野町にある「上永野今宮大明神」の社(やしろ)の板壁が破られ、中から約四百七十年前のものとみられる祭り用の餅板(もちいた)二枚が見つかった。壁にはクマのツメ跡が残されており、ハチの巣を探しにきたクマが板壁を壊したらしい。

餅板は二十五センチ四方のスギの木で、高さ約三センチの足が付いている。一方の板には「永野今宮大明神餅板 □□□□□□八月吉日」との朱書きの文字が読み取れた。

同社には、「永喜二年丁亥八月吉日」と朱書きされた餅板一枚が従来もあり、九一年五月に町文化財に指定。「永喜」は一部限られた地域でだけ使われた私年号。永喜二年は大永七年(一五二七年)にあたり、約四百七十年前のものとされる。

同社の社は一五〇〇年以前に建立されたと伝えられ、現場で板を確かめた町文化財審議委員の八木林治さん(73)は「同じ朱塗りで、字も同じようだ。文化財に指定されている餅板と同じ年代のものとみて間違いない」と指摘。

[4] 栃木史学 = The Tochigi journal of Japanese history (国学院大学栃木短期大学史学会): 1988-03|書誌詳細|国立国会図書館サーチ () https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002392784-00

卒業論文・報告 十五・六世紀における私年号の考察--「永喜」を中心として=Graduation Theses and Reports A Study of "Shinengo" (Unofficial Name of an Era) in the 15th and the 16th Centuries / 山崎真佐恵 / p154~177 (0083.jp2)

[29] 下野国を中心に分布するとされていました >>217 (>>4) が、 千々和到岩手県水沢市正法寺の年譜正法寺年譜往山記宮城県川北町の永喜2年板碑にあることを紹介して、 永喜陸奥まで伝わったことが明らかとしました。 >>217 (暦と改元, ) 更には日本私年号の研究にも岩手県江刺市西光寺木造阿弥陀像墨書銘の 「永喜二年丁丑霜月吉日」 が掲載されています。 >>217

白黒写真あり

[17] 小山市史 史料編 中世, 小山市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641947/1/399 (要登録) /522

[7] 小山市史 通史編 1 (自然.原始・古代.中世) 本編, 小山市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643282/1/444 (要登録)

[11] 小山の文化のあゆみ : 小山市立博物館常設展示解説, 小山市立博物館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643035/1/27 (要登録)

[26] 下野 小山市 須賀神社蓬莱文和鏡縁針書銘に永喜二年 (大永7年) の用例があります。 >>207

[27] 下野 日光市 二荒山神社施入刀身銘に永喜二年 (大永7年) の用例があります。 >>207

[28] 当時日光山の他の記録では公年号が使われており、 伝播による偶発的知識での使用例と考えられています。 >>207

[14] 和泉国日根郡熊取谷中家文書目録 によると中家文書 信達荘納帳 に永喜元年とあるとのこと。 >>13 p.256

[18] 泉南市史 通史編, 泉南市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9576401/1/128 (要登録)

[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7

私年号異説元年相当公年号(西暦)継続年数典拠・備考
永喜永亀大永6年(1526年)2『旧案主家文書』(『香取文書』)、『会津塔寺八幡宮長帳』など

[8] 軍記と語り物 : 軍記・語り物研究会機関誌 (15), 軍記・語り物研究会運営委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4413412/1/10 (要登録) 右上

>>6 を引用

[9] 重要文化財会津塔寺八幡宮長帳, 是沢恭三, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3001042/1/70 (要登録)

永龜元年丁亥正月8日

[16] 栃木史学 = The Tochigi journal of Japanese history (2), 国学院大学栃木短期大学史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4424952/1/83 (要登録)

[12] 考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 14(8)(295), 日本考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3548310/1/28 (要登録)

[19] 関城町史 史料編 3 (中世関係史料), 関城町, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643412/1/79 (要登録)

[20] 平泉町史 史料編 1, 平泉町史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9571397/1/100 (要登録) 左

[21] 栃木県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第2輯, 栃木県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1143666/1/136

[22] 宮城県史 第17 (金石志), 宮城県史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2992580/1/254 (要登録)

[23] 千葉県史料 金石文篇 2, 千葉県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641486/1/250 (要登録)

[24] 千葉県史料 金石文篇 3 補遺, 千葉県企画部県民課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641996/1/79 (要登録)

[25] 茨城県史料 中世編 3, 茨城県立歴史館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644436/1/53 (要登録)

[30] 島根県文化財調査報告 第1集, 島根県教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2508728/1/46 (要登録)

[31] >>30 島根県下石見国太田市 南八幡宮

鉄塔から発見された経塔。

[35] 大永7年の15個のうち、4個が永喜2年です。永喜元年はありません。

[36] 国は日本全国に散らばっています。全国からの来訪者がこの地で書いたものでしょうか。

[37] 元号がないものもあり、大永8年と推定されています。

このような表記は異例で、考えさせられます。

元号があるものもちゃんとあります。

こちらは大永7年。これは年号上部欠損とされています。

[39] 大永7年で月がわかるものは年の前半

[40] 文學論叢 = Literary symposium (21), 愛知大学人文社会学研究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4430257/1/21 (要登録) 左

釈順西奥書本無明法性合戦状 永喜二年

[41] 004-85-06.pdf, , https://hu.repo.nii.ac.jp/record/1165/files/004-85-06.pdf #page=14

[42] 岩手の歴史論集 2 (中世文化), 司東真雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9538754/1/283 (要登録) 左