[16]
自由自治
(y~468)
は、
明治時代に使われたとされる日本の私年号の1つです。
昭和時代に注目され、
平成時代から令和時代にも稀に使われているようです。
[116]
秩父暴動 (秩父事件) は、明治17(1884)年に発生した、
租税や負債の軽減を訴えた暴動事件でした。
[20]
、
大日本帝国埼玉県秩父郡の農民らで構成される困民党が蜂起しました。
、
困民党は秩父郡の役場等を制圧しました。
[117]
、
大日本帝国政府は秩父郡の大半を奪還しました。
一部部隊は長野県下に逃亡しました。
首謀者らは郡下および周辺各県に潜伏しました。
、
残党は鎮圧されました。
首謀者のほとんどは殺害または捕縛されましたが、
一部はその後日本各地で逃亡を続けました。
[218]
秩父暴動で武装蜂起したのは、
景気悪化で高利貸への借金が膨張し生活が苦しくなった農民らでしたが、
その中にはちょうどこの事件の直前に解散した自由党の過激派が入り込んでいました。
そのためこの事件は百姓一揆としての性質を持ちながら、
自由民権運動の激化事件の1つともされています。
[219]
秩父暴動の首謀者らは、
借金減免や徴兵停止などを主張していましたが、
国体の変革や日本国からの分離独立のような過激な主張は見られず、
郡役場等官公庁は襲撃したもののそれにかわる政権構想は無かったようです。
軍規が乱れても上層部は各部隊を制御しきれず、
郡下の統治に取り掛かるまでもなく瓦解しました。
[77]
「自由自治元年」
の唯一の用例は、
太田次郎らの八王子での
盟約
とされます。
>>151, >>74
事件鎮圧後の太田義信 (太田次郎) の供述に盟約書なるものがあり、
明治時代にまとめられた事件資料に収録されています。
[223]
盟約書は西郷旭道、
富松正安、
太田次郞の3者による血判状で、
専制政府を打倒し自由政府を設立することを誓い同盟するものであって、
「自由自治元年八月二日」
の紀年がありました。
>>213
[318]
ただし、
秩父事件史料
に収録された
盟約書
では、日付は
「自由自治元年月日」
になっています。
>>317
どちらが原表記なのか (それとも2バージョンあるのか) 不明です。
[319]
大元の埼玉県庁文書課所蔵秩父暴動始末に原本があるのか、それとも
秩父暴動始末
時点で既に複写なのか不明です。
秩父事件史料
所収
秩父暴動始末
では太田義信発警察署長宛自首本末書の項に含まれていて、
そもそも太田義信が提出したものが (太田義信による) 複写 (の体)
かもしれません。
[225]
この盟約は、
(ないし = 旧8月2日)
に日本国神奈川県八王子の旅館角屋で西郷旭道が提示し、
太田次郞が同意し成立したものとされます。
>>213
[154]
この
盟約
は偽文書の疑いが強いとされます。
>>151, >>74
[226]
盟約書の本文は、
加波山事件の檄文として現地に配られたものとほぼ同文だったようです。
[160]
大田次郎ないし太田義信は誇大妄想狂だったとされ
>>13、
それが信憑性に疑問をもたせています。
[347]
富松正安は、
西郷旭道も太田次郞も知らず、
盟約の事実はないと供述しています
>>346。
[229]
盟約書に署名したとされる3人はいずれも秩父暴動の首謀者グループのメンバーではありません。
自由党員が武装蜂起を煽り、
その首謀者グループおよび戦闘員に加わっていたのは事実だとしても、
この3人の主導によりその政治的な思想と政権構想に基づき挙兵したという事実は無く、
盟約書
と秩父暴動それ自体との関係性を過剰に高く評価するべきではないでしょう。
[304]
つまり、
というのが現在言えることでしょうか。
[309]
この盟約書は昭和時代中期まで一般公開されなかったと思われます (>>286)。
- [213] 秩父騒動, 江袋文男, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2995613/1/26 (要登録)
- [349]
八王子市史 下巻, 八王子市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3022498/1/664 (要登録)
-
[317]
秩父事件史料 第1巻, 埼玉新聞社出版部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12283444/1/50 (要登録)
- [346]
茨城県警察史 上巻, 茨城県警察史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9768688/1/449 (要登録)
[332]
昭和時代の論文や書籍には盟約書の異本が掲載されていることがあります。
[321]
昭和時代の日本の近代経済史学者で自由民権運動や士族反乱を天皇制と民衆の対立の構図として研究した後藤靖のの著書には、
8月2日の3人の
「おそるべき盟約」
が収録されています。
>>320
[322]
この「盟約」は、何の注釈もなくあたかも原文のように掲載されていますが、
他書掲載の盟約書の後半を平仮名化し細かな表現を変更したものとなっています。
[323]
ここでは日付は「自由自治元年 月 日」となっています。
>>320
[324]
この改変(?)版が何に由来するのかは不明です。
[327]
国立国会図書館デジタルで全文が公開されていない断片情報なので不確実ですが、
の共産系歴史雑誌にやはり
“自由自治元年月日”付の平仮名の盟約書が掲載されているようです。
>>326
[328]
>>327 それを引用した昭和60年の論文によると、 >>320 版の盟約書とほぼ同文が掲載されていたようですが、
>>326 版は冒頭に「(前略)」とあったようです。
>>195
だとすると >>320 はなぜそれを削ったのでしょう。
[331]
の書籍 >>330 は8月2日に3人が結んだ盟約を掲載していますが、
これは >>320 からさらに注釈や署名を削った版です。
日付は「自由自治元年 月 日」。
出典は不明。
- [325]
歴史評論 = Historical journal (59);1954年9月, 歴史科学協議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/10232761/1/31
- [320]
自由民権運動, 後藤靖, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2991011/1/84 (要登録)
- [330]
東陲民権史, 関戸覚蔵, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2995647/1/11 (要登録)
[231]
に武装勢力が郡役場等を占拠し、
自由自治元年付の布告が発されたとする説があります。
[232]
その原典とされるのは、
の日本共産党員で作家の西野辰吉の歴史小説で、
それによると
自由自治元年十一月二日
と書かれて役所の前の掲示板に張り出されたのだといいます。
>>217, >>201
[233]
本作は元より小説ですから、まるで現地で見ているかのような会話や描写がありますが、
そこには出典も書かれていません。取材を重ねての執筆ではあるのでしょうが、
文中のどこからどこまでが史実で、どこからが創作なのかはわかりません。
[234]
本書巻末にはマルクス主義系評論家の佐々木基一の解説があります。
そこでは本作が高く評価され、特に
作者はその困難をおかして、自らの手で資料を調べ、埋もれた事実を掘りおこし、ここに真
の意味での歴史小説を完成した。「自由自治元年十一月二日革命軍総理田代栄助」という困民党の布
告を明るみに出したこと一つにも、千鉤の重みがある。
... とあたかも本布告が隠された史実の発掘であるかのように紹介されています。
>>230
[235]
しかし、本布告の出典、根拠となるものはその後発見されていません。
西野辰吉の創作とみなす >>195 のが通説となっているようです。
佐々木基一の目は史実と創作の区別もつかない節穴だったということでしょうか。
不思議なのは、
西野辰吉は出版前になぜ佐々木基一に誤解を指摘しなかったのでしょうか。
たとえ気づいたのが出版後だったとしても、
訂正が必要なレベルの重大な事実誤認です。
[243]
いずれにしても本作は研究者を含む昭和時代中期の一般人の秩父暴動の理解に大きな影響を与えました。
本作を読んだ人々は、自由自治元年の実在を信じて疑わなかったようです。
最初の刊行時の解説がその史実性を訴えているくらいですから、
無理もないことです。
[78]
昭和時代の左翼運動家・日本共産党員で大学教授の色川大吉は、
秩父暴動を含む自由民権運動の著名な研究者でした。
色川大吉は、
はじめ「自由自治元年」と書かれた布告があったと主張していました。
その後、
誤りを認めて撤回しました。
>>81, >>151
(それはテレビドラマを通じて拡散された責任の一端を感じてのことでした (>>157)。)
[236]
布告文が域内に配布されたのではなく掲示板に1枚張り出されたに過ぎないのだとすると、
事件中または事件後に消失し現存しないのも不思議ではありません。
仮にそうだとしても、目撃証言がまったく残されていないのは不審です。
[237]
また、布告に使われた元号をその後他の文書でまったく1回も使わず、
それを見た領民が使ったこともない、というのも不自然です。
[238]
明治の元号を奉ずる明治政府に対抗する新政府樹立構想が武装蜂起前から練られていたのなら、
新元号を使った行政文書の1つや2つは当然作られていそうなものですが、
この幻の「布告」以外にはありません。
[239]
盟約書が史実ならこの元号自体は武装蜂起前から自由党方面で利用されていて、
それが秩父地域に波及したということになりますから、
蜂起前の準備過程から新元号が使われていたとしてもまったくおかしくないはずなのですが、
それが何の痕跡もなく消え去ってしまうことは、あり得るでしょうか。
[351]
小説に
盟約書
が登場しないのも不思議な点です。
当布告が創作だとすると
盟約書
に着想を得たに違いないのですが >>195 (偶然の一致とするのは無理があるでしょう)、
だとするとその重要な史料を作品に反映させなかった理由は何でしょうか。
[355]
なお、元号を除く布告の本文や、「革命軍総理」の肩書も含め、
「布告」の全体においてその史実性は著しく疑わしいといえます。
このような布告や「革命軍」のような呼称が実在したとすれば、
やはり何らかの痕跡が現存していそうなものです。
[17]
自由自治は秩父事件で使用された
>>1
とされます。
その詳細にはいろいろな説があります。
[69]
出典が明確でないもの、
後世の脚色によるものが含まれています。
当時実在した確実な根拠はないようです >>13。
[310]
それにしてもこれだけ具体的な用例、用法が史実として説明されていながら、
その実ろくな根拠も出てこないというのはとても恐ろしいことです。
- [265] 長野県政史 第1巻, 長野県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9768847/1/64 (要登録)
- [269] 町田 : 歴史と文化財, 林陸朗, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9640738/1/46 (要登録)
- [271] 作家 (312), 作家社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2367057/1/16 (要登録)
- [272] 小説。
作中の秩父で生まれ育った人物が幼少期によく聞かされたという話。
(どの程度取材してどこまで史実のつもりで書いたものかはわからない。)
- [256] 信州歴史の旅, 南原公平, 若林伝, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9538632/1/57 (要登録)
- [258] 大井町史 資料編 3-2 (現代), 大井町史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644410/1/329 (要登録)
[145]
明治17年は明治改暦から11年が経過していましたが、
農村部ではまだまだ旧暦が主流でした。
「11月2日」はグレゴリオ暦のようですが、
当時の秩父では既にグレゴリオ暦が普及していたのでしょうか。
それとも記述者が新暦を使う生活をしていただけなのでしょうか。
[206]
記録によると首謀者らの会見について盆のうちに、のような約束があり
>>203、旧暦の盆を基準に人々が行動していたことが知られます。
そこから日付の記述まで飛躍することは難しいですが、
現在より遥かに旧暦が生活に溶け込んでいたことは確実です。
[311]
盟約書 (>>223) の8月2日は、
旧暦の日付と考えた方が辻褄が合います。
[312]
革命軍布告の11月2日は、旧暦を忘れた昭和時代中期の都会民の創作だとすればしっくり来ます。
[169]
秩父暴動の蜂起当時に用いられたものでない、
妄想や偽造に属する類だとしても、
事件の関係者
(首謀者でないことには注意。)
にこのような私年号の発想が生じたことは確かなようです。
[252]
盟約書の成立の経緯が事実だとすれば西郷旭道が、
そうでないとすれば太田次郞が、秩父暴動と同年に
「自由自治元年」を紀年法として使ったことになります。
[254]
どちらにせよ、
加波山事件の檄文とほぼ同文の盟約書は自由党系過激派グループによって生み出されたことは間違いなく、
「自由自治元年」もまたそうした文脈で生じ、使われた紀年法ということになります。
[170]
欧米から渡来した当時としては新奇の自由民権思想に触れた人達が、
東洋の、それもどちらかといえば大陸系の反乱、革命の蜂起の伝統にのっとり現政権の元号を否定し、
独自の元号を建元するべきと判断するに至ったというのは、
興味深い現象です。
そうした新思想を受容した知識人達は土台として従前の東洋思想も熟知していたのでしょうか。
[171]
東洋の伝統にのっとりつつも、
2文字でなく4文字の、それも思想をそのまま捻らず元号名とする大胆さは、
まさに型破りです。
[172]
武力蜂起して建元する例は日本では前にも後にもほとんど例がありません。
大規模な例ではオウム真理教の真理くらいでしょうか。
[173]
自称政府の建元例としてはこの事件の約10年後に芦原太陽暦がありました。
秩父事件以前に参考にできたであろう事例は日本国内には見当たりません。
敢えて言えば奥羽越列藩同盟の改元の噂が流れたくらいです。
噂が流れた地域とも近いので、もしかするとそれを知っていた人はいたかもしれません。
延寿
[255]
あるいはフランス共和暦に重ね合わせる昭和時代のマルクス主義者の分析
(>>205) も、あながち無視できないかもしれません。
「自由元年」
()
のようなフランスの元号を「自由自治」の考案者が知っていた可能性も、ないではありません。
[289]
しかしそれにしても異例の4文字元号名に違和感はなかったのかという疑問は残ります。
フランスの元号の和訳は自由元年、平等元年とやはり2文字に収まっています。
その模倣にとどまらずに「自由自治」としたのはなぜでしょう。
[282]
後世において自由自治の元号は秩父事件や自由民権運動の象徴として祭り上げられている割に、
それに対する考察は十分になされていないように感じられます。
「自由」は自由党や自由民権運動の自由ということでひとまずよしとしましょう。
「自治」とはどういうことでしょう。現代でも連邦国家の民族自治、
各国の地方自治体、
町内の自治会、
大学の自治、
など同じ自治でも大きな幅があります。
当時の秩父や八王子の人々、あるいは自由民権運動に関わった人々が描いた
「自治」はどういったものだったのか。
秩父や八王子の人々が書き残した文書に「自由」や「自治」
はどのような意味で使われ、どれだけの量、現存しているのか。
数ある概念の中から「自由」と「自治」を選び、
この順序で並べたことにはどのような意味があるのか。
彼らは自由党であって自治党ではないのですから、
この2つの言葉には元来差があったはずです。
「自由自治」と組合せた語は自由民権運動の中で、
どのような人々がどのくらい使ったものなのか。
それは秩父や八王子に残された文書にどれだけ出現するのか。
それは「自由自治元年」と元号名に採用されるまで、
どのような過程を経ているのか。
「自由元年」や「自治元年」や「秩父元年」ではなぜいけなかったのか。
といった基礎的な分析が、未だ十分なされないまま
「自由自治」の語感だけが独り歩きしているのは遺憾と言わざるを得ません。
[111]
Google Books
の収録対象がどんな集合なのかよくわからないのであれですが、
西暦1951年頃からコンスタントに言及されるようになるみたいです。
西暦1970年代くらいからどんどん増えていくのは、
井出孫六,
色川大吉,
NHK
らの作品が世に出ていったのと、
元号法
などで世間の元号への関心が高まったためでしょうか。
[147]
前後は自由民権運動から100年ということで顕彰の動きが広がりました。
またその前後を含む昭和時代後期には、
社会主義や共産主義を信奉する人達が明治時代の自由民権運動を自分達の思想の源流とみなしてその歴史をたどる動きが出ていたようです。
[148]
そうした人々によって一連の武装反乱事件 (激化事件)
は抵抗権・革命権の行使であって、
自由自治の元号を建てて新政府樹立を目指した秩父事件は自由民権運動の最高の到達点だったと絶賛されたのが、
この時代だったようです。
[164]
「自由自治元年」
の元号は昭和時代後期のそうした空気の中で
「発見」
され、
絶賛され、
そして否定されたのでした。
(が絶賛の後から否定してもなかなか受け入れられなかったようです。)
[165]
見方によっては昭和時代こそが「自由自治元年」の最盛期だったのかもしれません。
[163]
昭和時代の一部の人々の
「自由自治元年」
の捉え方は過剰評価と言わざるを得ないようです。
それは後述 (>>147) のように、
大東亜戦争の反省と反動による自由民権運動の再評価や、
55年体制下における自民党政権への反発の文脈の中で生み出されたように思われます。
[183]
その時代の学術研究や映像作品等の意義は認めつつも、
今一度明治時代の同時代史料に立ち返って客観的に事実関係を精査していく必要があるのではないでしょうか。
[285] 該当しそうなのは: 自由民権運動と秩父騒動|書誌詳細|国立国会図書館オンライン, , https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I5032002-00。
著者の江袋文男は5年後に単著あり (>>213)。
- [360] 日本史研究 (190);1978・6, 日本史研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13000561/1/29 (要登録)
- [361]
元号問題雑感
―朝鮮人・戸籍・憲法そして日本史研究会―,
田中真人
[273] 歴史地理教育 (239), 歴史教育者協議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7939412/1/53 (要登録)
[274] >>273 「自由自治九十一年」。
秩父暴動の首謀者の1人がアイヌ村落に逃亡していたことを「発見」
し、明治政府に弾圧された秩父の農民とアイヌ民族に共通性を見出そうとしている。
[276] 掘る : 北海道の民衆史掘りおこし運動, 北海道歴史教育者協議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9490736/1/6 (要登録)
[277] >>276 そのつながりに関連して秩父の農民1万人が自由自治元年のために蜂起したと説明し、
活動資金の寄付を求めているチラシ。
[278]
幻の布告書からどんどん話が大きくなっていき、いつの間にか北海道の左翼団体の活動資金集めのためのシンボルにまでなっている。
紀年法も使い方次第で資金源になるという興味深い事案。
[363]
もちろん「自由自治」の明治時代の用例が北海道にあるわけではない。
昭和時代の左翼団体による新たな用法というべきもの。
[21]
日本を代表するテレビ局で公共放送を自称している
NHK
が昭和55年に制作、放送した大河ドラマ
獅子の時代
は、
終盤で秩父事件を描きました。
[27]
作中では、
「自由自治元年」
の旗が作られ、
元会津藩士で犯行グループ秩父困民党メンバーの平沼銑次
(本作主人公の架空の人物)
がこれを掲げて走り回る姿が映されました。
>>7, >>5, >>9, >>26, >>3, >>28
[126]
当時の NHK の大河ドラマの影響はかなり大きかったようです。
しかしドラマのシナリオをさも史実であるかのように引いて歴史を議論しようとするようなものもいくつかあり 例えば >>125、
さすがにいかがなものかという気がします。
ともかく自由自治という私年号の知名度とイメージは、
この作品によって昭和時代末期に一気に向上したようなのです。
[29]
平沼銑次を演じた役者の菅原文太が死去した際に、
その演者個人の政治的主張と重ね合わせていくつかのブログ記事で好意的に紹介されました。
[157]
かつて「自由自治元年」布告の存在を主張した色川大吉は、
後にその主張を撤回しましたが、
それに際して大河ドラマの社会への影響をみて責任を痛感したと述べていました。
>>151
研究の進展で旧説が否定されるのはよくあることで、
その時にできる最善を尽くしただけのことですから罪はないのですが、
結果的に偽史の拡散を招いてしまったのはやはり悔やみきれないのでしょう。
[144]
時代劇ドラマは史実、
それを元にした創作、
それに扮した演者の3つの重ね合わせで生み出されるもので、
それが作品の味を創り出す一方で、
その違いを理解しない人々を生み出すという
「功罪」
があるのです。
[186]
色川大吉の名誉のためにも、
史実と創作を混同して語る向きには断固として反対しなければなりません。
[175]
NHK
が自由自治の元号に対してその後どのような態度を示したのか
(あるいは示さなかったのか) はよくわかりません。
歴史番組などで秩父事件を扱うことはその後何度かあったのではないかと思われますが。
NHK はその責任を果たしているでしょうか。
[177]
日本の昭和時代の仏教研究者中村元は、
専門外と断りながらも、
困民党が
「日本共和国元年」
と称した、
「はっきり書いた」
と明言しました。
>>176
[178]
高名な研究者の中村元がかなり断定的な文面で、
「相当重要視すべき」
だとまで言っているのですから、
専門外と謙遜していたとしても、
まったくの出鱈目ではなく、
それなりに根拠があってのことではないかと思われますが、
それが何なのかは不明です。
[179]
「日本共和国元年」で検索しても、新元号をそのようにするべきだという意見が極めて少数あるくらいです。
[244]
秩父暴動の折に農民らが自由自治の元号を使ったとする説は昭和時代中期に急速に広まり、
定説化したようです。
一時は学校教科書にまで掲載されました。
しかしそれに根拠がないことに気づく人々も表れました。
[245]
色川大吉は、かつて自由自治元年布告の実在を信じていたようですが、
後に非実在に気づき、 NHK の大河ドラマの影響力に責任を感じ、
自説を訂正しました (>>78)。
[246]
ただ残念ながら色川大吉のように素直に過ちを受け入れられた人ばかりではありませんでした。
[161]
昭和時代の作家で首謀者の子孫でもある井出孫六は、
... を認識しながらも、
秩父暴動の当事者らが「自由自治元年」を発想してもおかしくないとした上で、
「自由自治元年」が秩父暴動が目指したものを象徴しているものであることから、
自著を自由自治元年と命名しました。
>>202
[248]
自由自治元年の表紙絵は「自由自治元年」
と大きく書かれた幟でした >>203。
時系列的にはこちらが NHK の大河ドラマよりも前ですが、
これが NHK に影響を与えたものでしょうか?
[249]
井出孫六は秩父暴動の目的を象徴するのが「自由自治元年」
であると解釈したのですが、
実際には太田義信らの思想を象徴したものと言うべきでしょう。
太田義信が秩父暴動にさほど関与していないことは井出孫六自身が認めるところです。
にも関わらず秩父暴動の全体を「自由自治元年」としてまとめたのは、
当時のマルクス主義系知識人が見たかった秩父暴動の姿を表しているのかもしれません。
(書籍の題名はマーケティングのためのものでもあります。)
[205]
井出孫六はフランス革命でフランス共和暦が導入されたことから、
秩父暴動において「自由自治元年」の元号が発想されても不自然ではないと主張します。
>>202
確かに自由民権運動はフランス革命から多くの影響を受けていますが、
マルクス史学は自由民権運動をフランス革命に読み替えて市民革命へ向かう階級闘争として理解しようとしていたようです。
するとフランス共和暦と自由自治元年の相似性はとても魅力的に感じられたのでしょうが、
フランス共和暦はそれに至るまでに多くの前段階の試行錯誤を経ていることが無視されています。
[250]
秩父で何の土壌もないままある日突然「自由自治元年」が湧いて出てきて、
革命失敗後には一切の痕跡もなく消え去った、
ただし遠い関係者がうっかり口を滑らせた、
でも実は秩父で「自由自治元年」は発想されていたのだ、
という珍説を本気で信じていたのでしょうか。
[156]
平成時代の左翼系作家の保阪正康は、
色川大吉が自由民権で自由自治元年実在説を撤回した (>>78)
のを紹介したのに続けて、
しかし首謀者らの会議でこうした語が使われた節もあるという、
と紹介しました。
>>81
ところが自由民権にそのような記述は見つかりません。
「節もある」
という話は何か他の文献から持ってきたのでしょうか。だとすると非常にわかりにくい、
誤解を招く表現です。
「節もある」というのが具体的に何を言っているのかは不明です。
[242]
よく読むと当該布告は現実に発せられたものではない「とする説もある」、
と紹介されています。いわゆる諸説あります論法でしょうか。
保阪正康は非実在説をあまり信じていないようですが、
その根拠は不明です。
- [203]
自由自治元年⸺秩父事件資料・論文と解説,
井出孫六,
第1刷 昭和50年1月15日
- [150]
自由民権,
色川大吉,
1981年4月20日 第1刷発行,
2015年9月18日 第9刷発行
- [146] 自由自治元年の夢―自由党・困民党 (思想の海へ「解放と変革」) | 井出孫六 |本 | 通販 | Amazon,
January 1, 1991,
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4784531076/wakaba1-22/
- [84] 反逆者たち: 時代を変えた10人の日本人 - 保阪正康 - Google ブックス,
2000,
https://books.google.co.jp/books?id=qcosDwAAQBAJ&pg=PT80&dq=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4%E2%80%9D
[194] 歴史地理教育 (373), 歴史教育者協議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7939546/1/9 (要登録)
[195] 歴史地理教育 (381), 歴史教育者協議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7939554/1/8 (要登録)
[121]
昭和時代の学校教育関係者の一部には、
秩父事件と自由自治を高く評価する人達がいたようです。
歴史教科書から自由自治の言及が削除された件に対しては、
それが歴史的事実か疑わしいという学術的な根拠に基づくものだったにも関わらず、
イデオロギー的な理由から反発を示しました >>97。
[364]
>>87 にも否定的研究成果を知りながら自由自治が重要だという言説。
[333]
>>195 は昭和時代中期になって「自由自治元年」が出現した経過を慎重に辿った結果、
秩父暴動の「自由自治元年」が根拠がないものとしつつも、
自由民権運動の中で「自由自治元年」が使われた可能性は否定できず、
研究が必要だと結論づけています。
[334]
この行論の方向性は妥当だと思われますが、なぜか歴史研究と歴史教育の対立構図の中にあって、
歴史研究者が「自由自治元年」を否定しても歴史教育者は「自由自治元年」の掘り起こしを進めるべき、
歴史教育から「自由自治元年」を一層することは
「歴史学の成果を正
しく受けとめたことにはならない」という謎の見解を表明しています。
[132]
「教科書に載ってない」
「学校で教えてくれない」は平成時代の日本人が大好きな言葉。
ゆとり教育の反動だろうか。
疑似科学的な危うさがある。
[280]
本件の場合、近年よくある真偽不明の謎の雑学知識の枕詞としての
「教科書にない」レベルではないんですよねえ。
教科書にあった学術的裏付けのない記述を削除しろという文部省の指示が裁判沙汰にまでなっていて、
今の教科書に載っていないのはちゃんとした理由があるのです。
それを「教科書では教えない」と評するのは陰謀論しぐさ。
[281]
まあこのブログの著者がそんな経緯を知っていたのかどうかはわからないが、
謎の「教科書にない」信仰はこんな風にころっと人を騙してしまう危険思想だということを学校でちゃんと教えたほうがいい。
[267] 教育委員会月報 = Monthly reports of the board of education 26(5)(288), 文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6034941/1/74 (要登録)
[268] >>267 教科書裁判における裁判所の事実認定では、やや係り受けが不明瞭ながら、
「自由自治元年」は加波山事件に関係するものと考えられているようです。
[36]
根拠は不明。
このWebページの著者は
「秩父事件は、日本近代史上、幕末の函館にこもって「北海道共和国」を作ろうとした事件と並んで重要な事件である。秩父の農民達も、天皇制ではない日本の建設を企てたからである。その意味で、第2の「共和国」建設の試みであったといって良いだろう。そのことは、秩父困民党の指導者の一人、大野苗吉が農民達に結集を呼びかけるときに「天皇に敵対するから集まれ」とふれていることからもわかる。憲法私案を作った人々のほとんどが、天皇制を否定できず、立憲主義をとっていたことと比較して、秩父の農民達の思想的レベルの高さを示す事件として興味深い。」
>>10
と自身の思想信条を根拠に過剰に秩父事件を高く評価している。
出典の明記のない記述は素直に信じがたい。
[358] 「21世紀」とは程遠い昭和の亡霊ともいうべき旧説が子供教育用のかるたの解説になっている。
子供の育成と称しているが、これではプロパガンダによる洗脳。
正しい知識を与えずに何が「自由」「自治」だ。
[65]
自由自治は近現代の日本の私年号の中では知名度が高い部類に入るようです。
近現代日本の私年号が少ない (と思われていた) こと、
その中で4文字元号名で大直球の異様さから、
人々の記憶に残りやすいのでしょう。
[66]
日本の元号に反対する人や、
日本政府に反対する人の中には、
自分達の主張が受け入れられないのは日本に自由自治が根付いていないためと考える人がいるようです。
秩父事件を自分達の思想の先駆者に見立て、
自由自治の私年号を高く評価し、
中には自ら利用する人もいるようです。
[119]
極左主義者のおもちゃにされて、反乱で死んだ人達も浮かばれんな。。。
[67]
似たような事例は他にも戦後暦や原爆暦もあるのですが、
一方こちらは既存の私年号の再利用という点が特異といえます。
賛同者がそこそこいても、
実用者がどれだけいるのかはっきりしない点は、
共通しています。
[68]
思想的背景の有無は不明で単に面白がっているだけのような事例は一々ここに挙げていませんが、
それも含めれば
Web
や
SNS
で毎年数件くらいのペースで今年は自由自治何年と言及されているようです。
令和改元で元号への関心が高まったためか、
近年は少し多めにみえます。 (がそれでもせいぜい年十数件程度でしょうか。)
[297] >>296 これはわかりにくいが自由自治と私年号を併用しているということか?
この投稿者は反日本政府、反自民党、反アベ系の政治思想の持ち主と思われ、
旧字体利用者というのも特徴的。
[133]
武力革命を称賛したり (お、共産党か?)、
民主的に選ばれた国会で正式に決められた制度を国会で改正させるのではなく無視、無力化しようとしたり、
自由民権運動に生涯をかけた人々が知ったら絶望しそうなことを言ってる人達ばかりですね、、、
(まあでも秩父事件も武装民の反乱だし、相性はいいのでしょう。)
[115]
過去に一旦断絶した紀年法を後から第三者が復活再利用する事例は珍しいです。
他には満洲国臨時政府の元号やマヤ暦くらいでしょうか。
[120]
血統的または思想的な系譜の継承関係にない (と思われる) のに反政府活動に勝手に再利用されるという点では、
満洲国臨時政府の元号が特に似た事例といえそうです。
[134]
ほとんどの用例は明治時代の自由自治と一致していますが、
>>14
で使われているものと、
急行志摩紀元に併記されるものは、
1年ずれています。
西暦1884年を0年とする、
周年式の数え方です。
[71]
当時実在しなかったとしても、
以来多くの人と書物がこれを私年号として扱っており、
しかも延長年号を実用する人まで出現している以上、
今や私年号として扱うべきものというほかありません。
[80]
しばらく忘れ去られていたのが昭和時代末期の大河ドラマあたりから再浮上したのでしょうか。
[113]
あやふやな証拠しか残っていないのに、
「自由自治」
という言葉のインパクトと、
戦後の反動や共産主義的思想から来る過剰な礼賛で、
実態がないまま過大に評価され拡散されてきたようですね。
[114]
昭和時代、
平成時代の人々が私年号に抱いたイメージや、
投影した政治的理想という近現代史的な意味や日時制度史的な意味で興味深いものです。
[181] 政治と社会,
差出人: OsI,
送信日時: 2013年4月15日月曜日 0:13,
, http://www5e.biglobe.ne.jp/~kaorin57/e-Yoron%20Society%20for%20Social%20Politics.html
秩父事件の弾圧と第二次世界大戦の敗戦
以前に取り上げた秩父事件は革命軍の敗北に終わりました。明治10年の西南戦争は有名な西郷隆盛を押し立てて起こった士族の反乱だったのに対しその7年後に起きた秩父事件は無名の民草が起こした反乱だったため明治政府は「事件」として矮小化しましたが大宮郷(現秩父市)の郡役所に掲げられた「自由元年」の4文字はそれが単なる暴動ではなく自由民権社会の実現を目指した革命行動であった事を示しています。草莽の民
が自由民権を求めて起こした武装蜂起は明治藩閥政府にとっては西南戦争以上に怖かった事でしょう。その13年前にフランスで起きた1871年のパリコンミューンの影響もあったかも知れません。何れも政府によって凶暴に弾圧されました。秩父事件の詳細は井出孫六著「秩父困民党群像」をご覧ください。
[337]
>>181 「事件」という呼称だから矮小化されている。
「自由元年」という元号だから暴動ではなく革命。
昭和時代から平成時代にかけて自由自治元年の実在を信じた人々は、
元号に紀年法の記号を超えた意味を見出していたようです。
(そしてそれは東アジアの元号の伝統の範疇です。)
[193] 長野歴史散歩 : 50コース, 長野県歴史教育者協議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9539798/1/21 (要登録)
[196] 平和運動 (86)(401), 日本平和委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2803328/1/14 (要登録)
[197] 日本及日本人 (新春)(1569), J&Jコーポレーション, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3368344/1/80 (要登録)
[198] 国民の歴史 : カラー版 第19, 文英堂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3005652/1/140 (要登録)
[200] 国民文化 (229), 国民文化会議, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1757646/1/6 (要登録)
[214] 明治の群像 第5, 三一書房, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2991243/1/37 (要登録)
[215] 茨城県警察史 上巻, 茨城県警察史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9768688/1/449 (要登録)
[216] 鹿児島短期大学研究紀要 (7), 鹿児島短期大学図書委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1769762/1/22 (要登録)
[275] 平和運動 (86)(401), 日本平和委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2803328/1/14 (要登録)
[290] 昔の日本人は勝手に元号を作っていた件|森往来の日本雑記, https://note.com/ourai/n/na0f4bc6dcee0
2019年4月3日付の毎日新聞から。東京大学教授の加藤陽子氏(日本近代史)のインタビュー。適宜改行。
続いて、反政府という文脈で改元が準備された近代の例も見ておこう。戊辰戦争で新政府と対峙(たいじ)した東北地方の諸藩は「大政」という元号に改元する構想を持っていた。
また、1884年の一大農民蜂起として知られる秩父事件でも「自由自治」元年が唱えられていた。〉
▼とても面白い、教科書では教えない歴史だ。
[291]
>>290
確かに反・明治政府という点ではどちらも「反政府」には違いないのだが、
北日本政府と西日本政府が分裂した内乱の一方の政府による元号といわれるものと、
一地方の農民反乱の元号といわれるものを同列に扱うのはどうなんだろう。
[292]
しかも大政はその信憑性がまだ決着していないし、
自由自治は秩父事件本体と無関係である可能性が濃厚になっていて、
こんなふうに一般人向けになんの注釈もせずに広めていい話とは思えない。
研究者倫理、報道倫理は一体どうなっているのか。
[293]
案の定教科書が教えないとありがたがる人も出てきているわけで。
自由自治は昔は教科書に載っていたのに信憑性がなくて削除されたんだぞ。
[294]
>>290 このブログでは前後何本もの長編連載シリーズで反政府、反アベ、反元号、反令和の論を必死に展開していらっしゃる。
東大教授と毎日新聞は (そして自由自治は) その素材に使われたわけだ。
東大教授と毎日新聞が怪しい情報を書いているはずないという信頼のもとに。
教科書はもっとメディアリテラシーを教えた方がいいな。
[295] なおこの東大教授は日本学術会議の任命拒否されたうちの一人。
[302] もうマルクス史観の時代でもないのだし、そろそろ自由自治も呪縛から解放してあげてほしい。