災異改元

災異改元

[67] 災異改元は、 凶事を避けるためのものです。 地震戦乱彗星などの出現によって行われました。 >>298

批判

[1] 江戸時代には中井竹山藤田幽谷石原正明広瀬淡窓らが却って混乱を招くとして批判しました。 >>298

[2] 明治時代一世一元の制によって廃止されました。

関連

[3] 改元待望, 今必要なのは政権交代ではないか

メモ

[68] 資料詳細:福岡県立図書館, https://www.lib.pref.fukuoka.jp/winj/opac/switch-detail-iccap.do?bibid=1409015017

タイトル元号も震えた転地動乱の轍—災異改元に見る平安期—
著者市丸敏和
出版地小郡市
出版者小郡市郷土史研究会
出版年20220331
ページ数61-68
大きさ8
シリーズ名故郷乃花
シリーズ名カナコキョウ ノ ハナ
各巻書名2022年3月 47号

[4] 明治以降の日本では、元号は天皇の代替わりによって一度きり改元される「一世一元」の原則が制度として定着している。明治維新以前の改元が、ときに天変地異や社会不安によってなされていた「災異改元」であったことは、制度上の過去として片づけられるのが通例である。だが、現代社会においても、ときおり「もし前近代ならこの年に改元されていただろう」と感じさせる年がある。は、その最たる例だろう。

この二つの年に共通するのは、自然災害や大事件がもたらした社会的動揺の深さだけでなく、それらを契機として「時代が明らかに変わってしまった」と感じさせる変節が、制度・思想・価値観の各層にわたって観察されるという点である。

[5] 平成7年には阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件をはじめとする一連のオウム真理教事件という、性質の異なる二つの衝撃が連続して発生した。前者は自然災害であり、都市型地震による甚大な被害と行政の初動対応の失敗が浮き彫りになった事件であった。震災対応をめぐる政府の初動の遅れは、社会党首班による連立政権の統治能力に対する信頼を失墜させ、自民党への政権回帰の道を決定づける要因となった。一方後者は、科学技術と宗教的教義を結びつけた新興宗教による国内テロ事件であり、戦後日本において前例の少ない「国家秩序の内側からの破壊行為」であった。

この年は「ボランティア元年」とも称されるように、自発的な市民の公共参加が台頭する契機ともなったが、それは同時に、国家と社会の関係において「期待される国家像」が大きく揺らいだことの裏返しでもある。また、報道のバラエティー化が一気に進行し、「情報空間」の構造そのものが変容した年でもあった。さらに、新興宗教に対する不信と関心の入り混じったまなざしが社会のあちこちに滲み出し、カルトや宗教の自由、国家の介入の線引きなど、法と倫理の接点が問われ始めた。

これらの現象を一つ一つ見ると、制度の連続性は保たれていたように見えるが、精神的には「昭和の残滓」が一気に瓦解したかのような衝撃があった。人々の生活感覚は確実に更新され、「平成」という元号が持っていた曖昧な期待と穏やかな日常性のイメージは、この年を境に大きく変質したといえる。

[6] 平成23年の東日本大震災は、被害の規模においても衝撃の質においても、阪神・淡路大震災を凌駕する未曽有の災害であった。加えて、福島第一原発事故という技術的災厄が重なり、「現代国家の合理性」が根底から問われる事態となった。情報の隠蔽、政府発表と現場感覚の乖離、復旧政策の遅滞と混乱―それらすべてが、民主党政権の信頼を著しく損ない、のちの政権交代につながった。

しかし、平成23年の特異性は、制度の危機だけにとどまらない。情報化社会の進展、とりわけSNSの急速な普及が、国民の言論空間を一変させた年でもあった。信頼できる一次情報への接近と同時に、根拠なき流言や陰謀論が拡散する基盤もまた整備されてしまった。原発事故をめぐる不信が、「国家や大企業は真実を隠している」という疑念を社会全体に広げ、それがやがて特定の政治勢力の言説と結びついていく。

この年を契機として、従来は政治の周縁で囁かれていた陰謀論的言説が、国政政党の政策や広報の一部として公然と語られるようになる。言論の分断が現実の政治空間に進出し、「事実の共有」それ自体が困難になっていくという、ポスト真実時代の入口が、この平成23年に開かれていたと見ることもできよう。

[7] こうして見てくると、平成7年と平成23年はともに「制度は保たれたが、時代が変わった」年である。人々は、制度の連続のなかで非連続を感受し、その裂け目を「別の時代」として記憶している。

ここであらためて注目したいのが、前近代における災異改元の意味である。災異改元はしばしば、為政者が天変地異や社会不安に対して「政治的な応答」として改元を行う主体的行為と理解されてきた。たしかにそれは、一種のリセット機能を果たす儀礼であったかもしれない。しかし、実際の史料にあたると、たびたび朝廷が有力者らからの「改元要求」に―ときには民衆の評判にさえ―押されるようにして改元を決断していた事例も見られる。すなわち、時代の裂け目が制度に対して圧力をかけていたという、受動的な側面が否定できない。

現代においては制度上の改元が行われない以上、「改元要求」というかたちで制度が動くことはない。しかし、社会の記憶と感覚のレベルでは、やはり「時代の裂け目」がそこに刻まれている。「あの年を境に、社会が変わった」という感覚が共有されるとき、それはもはや改元されなかったことが不自然に思えるほどの制度と感覚の乖離を示している。

[8] 結局のところ、元号とは単なる暦の記号ではなく、「時代の手触り」を記憶する装置である。その改元が、為政者の統治のための手段としてだけでなく、時代が変わってしまったという人々の感受性に応答するかたちで行われてきたとするならば、「災異改元」は決して封建的・非合理的な制度ではなく、社会の自己認識に沿った合理的な時間操作の一形式だったとさえ言える。

平成7年と平成23年は、制度としては改元されなかったが、多くの人々の意識のうえで「時代が変わった」と記憶されている。ならば、これらの年を「されなかった改元」として捉えなおすことは、災異改元の歴史的意義を再評価する手がかりとなるのではないか。

[9] Xユーザーの德薙零己さん: 「「平安時代なら改元しているところだ」と思う人もいるでしょうが、 ・富士山噴火 ・阿蘇山噴火×2回 ・応天門の変 ・播磨国震災 ・貞観震災&貞観津波 ・新羅の日本侵略 ・鳥海山噴火 ・開聞岳噴火 があっても改元しなかった貞観(859-877)という例もあります」 / X, , https://x.com/rtokunagi/status/1742082964895240233

[10] >>9 このような主張は正しくない。この時代は災異改元の慣例がない。

[11] 菅原道真を取り巻く政情が革命革令改元災異改元という日本独自の改元制度を生んだのは興味深い