[86] 現所在地は日光ですが、各地から集められたものが収蔵されており、 日光で作られたものとは限りません。
[87] 書写奥書より、比叡山で書写されたものと推測されていますが、 いつどのような経緯で東国へ渡ったのかの研究は見当たりません。
[83] 関係する人物の活動期間から南北朝時代中頃と考えられています。
[84] それ以上に具体化したいろいろな説がありますが、 強い根拠を持たない推測によるものか、 伝言ゲームの結果であり、 現時点で範囲を狭める有力な材料はありません。
[7] 、 古谷淸が日光輪王寺慈眼堂經藏所蔵品の調査報告で、 未知の私年號の眞賀の用例 >>6 を報告しました。 >>4
[41]
の目録に
>>6
が掲載されており、
奥書の日付が
「
[42] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 これは発音の類似から判定したものだろうとみています。 >>36 昭和39年の久保常晴の論文は、 時系列 (>>18) から成立しないと述べています。 >>17
[37] 昭和12年12月に日本国東京都浅草伝法院の大蔵会で >>6 が公開されました。 久保常晴はこの際に実見したとのことです。 >>36
[18] 昭和39年の久保常晴の論文と昭和42年の日本私年号の研究は、 次のように推測しています。 >>17, >>36, >>43
真も賀も公年号にない >>17, >>43[16]
所功の表は、日本私年号の研究を出典に「
[12] の研究報告 (要旨のみ記録され、詳細は不明) に、 次のようにあります。 >>207
[51] 日本私年号の研究以後の一覧表等では時期が次のように説明されています。 >>52
[71] いずれも日本私年号の研究からの派生と思われますが、 元の時期特定のニュアンスを無視して勝手に要約したり、断定化したり、 西暦年に換算した結果、 諸説に増殖しています。
[63] の SNS 投稿で「僧侶らの内輪での私年号」 断言するものがあります >>61。 出典等の記載はなく根拠は不明です。
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 真賀 - 延文-応安年間(1356年-1374年) 不明 日光輪王寺慈眼堂経蔵『眷属妙義』奥書
[66] 時系列 :