[29] 旧暦は、明治5年まで日本で用いられていた太陰太陽暦と、 それを過去あるいは明治6年以降に延長した暦です。 中国式太陰太陽暦の一種です。
[36] 改暦から100年以上経過した現在、日常生活では使われなくなりましたが、 一部の行事やカレンダーの記述、六曜の根拠などとして根強く使われ続けています。
[132] 全体的には「旧暦」と呼ぶのが最も一般的です。 当用漢字字体表以前は「舊曆」とも表記されました。
[619] 必要なら日本の旧暦のように呼ぶのが適切でしょう。
[134] 曖昧でない時には種別である「太陰暦」、より正確には「太陰太陽暦」 で呼ぶこともあります。「陰暦」と略されることもありました。 近代日本では陰暦 (陰曆) という言い方がよくありました。 厳密にはこうした名称は中国の旧暦なども含み得るもので、 文脈による判断が必要となります。
[198] 和暦と呼ばれることもありますが、 元号表記のことを和暦と呼ぶこともありますし、 明治6年以降の和暦はグレゴリオ暦と同じものをいいますから、 明治5年までの暦法のことを指すのに和暦というのは不正確で誤解を招きます。
[135] 英語では「Kyuureki」、「Japanese Calendar」、「Japanese Classic Calendar」 などと呼ばれることがありますが、広く通用するのかは不明です。
[19] 平山清次が「天保暦の準據せる暦法原則を今の術語によりて記載」>>18 したものが現在の旧暦の説明の原典と考えられています >>22, >>20。
[23] >>22 は更に... との「当然の条件」を補っています >>22。 (この条件は旧暦2033年問題に関わります。)
[279] 加えて、旧暦2033年問題のためのパッチ... を加えたのが、現在の旧暦の事実上の標準となっています。
[294] 更に厳密に定義するなら、次の基本条件も加えるべきでしょう。
[213] 旧暦であることを明示して日付を示す場合、 「旧暦2015年6月1日」のように最初に「旧暦」を付けます。 「旧1月2日」のように「旧」のみつけることもあります >>214。 旧正月や旧盆のように、旧暦に基づく行事を区別するときにも最初に 「旧」を付けます。
[615] 3_59.pdf, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jrsi/3/0/3_59/_pdf#page=14
5)これ以降,アラビア数字の日付は西洋暦,漢数字の日付は和暦を表すこととする。
[281]
上古の暦法や日本書紀、古事記その他の記載については、
様々な議論があります。
[286] 暦日の存在が確実なのは持統天皇の時代以後ですが、 それ以前に存在していたことも確かだろうとされています。 >>18
[289] 江戸時代まで、 中華王朝の暦法が日本でも採用されました。 次のものが実施されました >>18。
[293] 宣明暦は日本で823年も用いられ続け、 暦元からは862年も経っていました。 宣明暦では1年 = 365.2446日のため、 862年で2日以上の差が生じました。 これにより改暦の機運が高まりました。 >>18
[298] 当初は明国の大統暦が採用されることになりましたが、 1年も経たずに保井春海の貞享暦が採用されることになりました。 >>18
[299]
貞享暦は、
元國の授時暦に里差 (経度差)
を加え、
実測により京都の子午線としたものでした。
>>18
[300] 授時暦の消長法は大きすぎる値でした。 貞享暦はこれを更に2倍にして歳周 (太陽年) を改めたため、 1年 = 365.2417日という小さすぎる値になりました。 >>18
[303] 宝暦暦は、 安倍泰邦、 渋川図書らが貞享暦を小改訂したものでした。 >>18
[304] 寛政曆は、 高橋至時、 山路徳風、 吉田秀升、 間重富らによるものでした。 清国の(後)時憲暦に里差を加え、 麻田妥彰の歳周消長法を用いたもので、 間接的に Cassini などの西洋天文学に学んだものでした。 >>18
[305] 天保暦は、 江戸幕府の天文方の渋川景佑、 足立信頭らによるものでした。 フランス人の J. J. de Lalande の Astronomie (蘭訳版 Astronomia of Sterrekunde, 1773-1780) に主に学んだものでした。 >>18
[224] までで (現在で言う) 旧暦は用いられなくなり、 からグレゴリオ暦が日本の暦となりました。
[225] 改暦により旧暦明治5年12月は2日だけとなるため、11月30日および11月31日とすることが定められましたが、 すぐに取り消されました。日本の旧暦で31日が生じる予定となったのはこの時だけです。
[16] 明治改暦後も、 明治42年/1909年の暦までは陰暦 (旧暦) が併記されていました >>17 が、その後廃止されました。
[38] 最近まで海上保安庁が旧暦を発表していたと言及されることがありますが、 から2010年までの情報がWebサイトに掲載されている >>37 のみであり、旧暦を管理していたというよりは参考情報として掲載していただけのようです。
[66] 従って、現在日本国内では「公式」な太陰太陽暦の計算は行われていません >>65。 明治43年/1910年以降のカレンダー等に掲載されているものは、 旧暦の計算法に従い独自に計算されたものです。
[147] 日本政府としては「もはや旧暦は存在しない」というのが公式見解だとみられます。 しかし、かといって直ちに旧暦がまったく存在しないわけでもありません。
[226] 二十四節気は国立天文台が公式に計算し、 暦要項などに掲載しています。 あとはこれに旧暦の月名決定規則を当てはめれば、 旧暦の年月日は機械的に決定できます。
[149] そのような年月日は、日本政府のお墨付きこそ得られないものの、 かつての公式な旧暦と歴史的連続性を有する正統の旧暦と評価できます。
[620]
旧仙台藩領における初売りに関する景品表示法の特例があり、
旧正月がその期間に含まれています。
令和時代になっても依然として現行法令として運用されているようです。
[133] 旧暦が唯一正式な日本の暦だった時代の最後の改暦 (計算法改革) は天保期に行われ、これを天保暦と呼んでいます。
[124] そのため現在でも旧暦のことを天保暦という場合がありますが、 正確な表現ではありません。
[126]
明治6年、
明治改暦により太陽暦と定時法の西洋式時刻が導入されました。
これと同時に暦の計算に使う時刻も、
京都時から東京時に改められました。
東京時の定義も数年間で何度か改められました。 >>125
[127] 明治21年、 標準時実施により暦の計算に使う時刻も、 中央標準時に改められました。 >>125
[128] 大正元年、 平山清次が天保暦以来の旧暦計算法を近代的に再定義したものを発表しました (>>19)。 これはその後の旧暦計算の規範とみなされるようになりました。
[129] こうした計算法改革によって成立した旧暦は、 天保暦の次の世代、明治旧暦とでも呼ぶべきものです。
[130] 更には旧暦計算に用いる二十四節気など種々の値の計算法も、 科学の発展に伴い随時改訂されています >>153。 中央標準時もまた、天文学的観測による時刻から原子時へと微妙に変化しました。
[146]
2015年、
暦文協は旧暦2033年問題の対策として閏11月案を推奨しました。
小さなパッチ程度の変更とはいえ天保あるいは明治以来の本質的変更とみることもでき、
平成旧暦とでも呼ぶべきでしょうか。
[67] 太陽暦採用以前に日本で用いられた太陰太陽暦にはいくつかの種類があります。 過去に用いられていたものは、それぞれの年の時点で採用されていた暦の計算法に基づき政府 (朝廷や幕府の担当機関) が計算したものです。
[33] 現在「旧暦」という場合、天保暦実施以前の日付は当時の日付なのか、 天保暦を過去に延長したものなのか不明瞭です。 本来は当時実施されていた暦に基づくべきですが、 現在公開されている変換ソフトウェアやサービスの類の中には、 現在から前後数十年程度しか扱えないものや、扱えても現在の計算方法を過去に延長しただけのものも多々あります。
[68] 変換ツールには計算だけで対応関係を記述しようとしているものもありますが、 数度の改暦や、多数の例外処理 (意図的あるいは誤りによるその年限りの処理) に対応しなければならず、正確に実装するのは難しいようです。
[411] 天平5(733)年2月30日の日付が 出雲風土記 にありますが、 長暦が2月を小の月としていたため、 薮田嘉一郎が偽作説を提出しました >>413 (出雲風土記剝偽, 日本歴史 二二)。 益田勝実、 岡田清子が長暦が信頼できず、 大の月だったと考えられることを示しました >>413 (出雲風土記の成立年代, 日本歴史 四七)。 これによって薮田の偽作説は否定されました。 >>413 p.三五七
[48] 768年/神護景雲2年3月が大の月か小の月かは議論があり >>468, >>469, >>50, >>49、 日本暦日原典の版により掲載されている値が異なっています >>49, >>50。
[52] 旧暦1884年4月と旧暦1908年9月は計算上の値と当時の実際の旧暦とが異なっています >>13。
[414]
文献の記述に矛盾があって、誤記と判断される場合もあります。
[398] 194207.pdf, , https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1942/pdf/194207.pdf#page=2
[399] senmyoreki.pdf, , http://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/OgawaKiyohiko/senmyoreki.pdf
[632] 古事記学会投稿 - 094-099MWatanabe.pdf, , https://www2.nao.ac.jp/~mitsurusoma/gendai3/094-099MWatanabe.pdf
[539] 室町時代の研究, 史学地理学同攷会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1918379/1/182 (要登録)
[34] 中世には地方で京暦とは異なる暦が発行されていて、 日付がずれていることがありました。
[76] 鹿島暦は、
鹿島神宮から頒行され常陸で使われたと推定される暦です。
暦本は現存しませんが、諸文書から推測されています。 >>374
京暦では平安時代末期から室町時代中期まで行われていた閏8月退閏が1604年/慶長9年まで引き続き行われていて、
京暦とは閏月の配置が異なっていました >>22。
1564年/永禄9年、1585年/天正13年、1604年/慶長9年が該当します >>91。
退閏法は特殊で、
神託によるとして「朔の移動もせず無造作に」行われました >>374。
鹿島神宮の神託で閏8月を他のどの月に移すか決めた例として、
と
[77] 1374年/応安7年旧暦3月は京暦と三島暦で異なっています >>25, >>22, >>81。 京暦3月4日は三島暦3月3日でした >>22, >>81。 伊豆国熱海を訪れた所、3月4日なのに3月3日上巳だったとする記録が残されています >>401 (空華日用工夫集応安7年3月4日条)。
[82] 旧暦1617年/元和3年6月にも日付が1日ずれていました >>22, >>81, >>474。 朝廷の京暦と江戸幕府の三島暦で日付が異なるために大きな問題となったといいます。
[85] >>78 や >>82 は地域によって、また朝廷と武家や幕府との間で用いている暦が違って特に混乱が生じていたようです。
[87] 1468年/応仁2年には南都暦が1日ずれていたようです >>86。 応仁の乱で京都の暦博士の造暦が遅れたため奈良の幸徳井家で独自に造暦したところ、 京暦と閏月の相違がありました >>401。
[88] 、 大坂暦と丹生暦で暦日に相違がありました。 大阪暦が誤りであるとして、以後大坂暦は禁止となりました。 >>86, >>401
[402] 三島暦と大宮暦で月の大小が異なることがありました。 北条氏政が安藤豊前守に検証させたところ三島暦が選ばれ、 大宮暦は以後廃止されました。 >>401 (東大図書館本北条五代記) 北条氏政の執政期間-・(1577・78)年のことと推測されます >>401。
[540] 、 南都暦に京暦と暦日の相違がありました。 >>401
[535]
弘前藩日記の日付より、
江戸時代初期の東北地方では中央と異なる暦日が使われていた可能性が指摘されています。
[534]
の弘前藩の公務記録によると、
誤った大小暦を売り出した者があり、
出版差し止めとなりました。
[624] 陰陽暦対照年表, 高山昇, 丸橋金治郎 合編, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/993673/1/135
[165]
江戸時代の東北地方北部の藩には、
12月が小の月のとき、
大の月に変更する私大という制度がありました。
本来の1月1日が12月30日とされました。
1月のいずれかの日を省いて調整していました。
[79] 琉球王国は
1372年の支那王朝への朝貢開始以来、
支那王朝の暦を使っていました。
1465年に福建で造暦法を学び、
以後琉球国内で暦が作られるようになりました。
これは日本の薩摩藩の属国となった後も継続されていましたが、
明治時代に沖縄県が設置され、
以後日本の暦が用いられるようになりました。
[248] 清國時代の台湾は当然清の農暦を使っていたと思われますし、
中華民国統治下の現在の台湾も農暦を使っています。
[72] 1947年のグレゴリオ暦から始まる月とグレゴリオ暦から始まる月は、 それぞれ旧暦閏2月、3月とも計算できますが、神宮暦では旧暦3月と閏3月としています >>70。
[73] グレゴリオ暦から始まる月は神宮暦では旧暦閏7月とされていますが、 7月の誤りと考えられています >>70。
[257] 明治44(1911)年の民間の暦には、旧閏6月を置かずに以後1ヶ月ずつずれているものがありました >>256, >>157。
[158] その他にも太陽暦改暦以後に民間で発行された旧暦は、 神宮暦や他の旧暦とずれているものがいくつもあります >>157。
[131] 旧暦は天体観測の結果により定まるため、 将来の暦を正確に推測するのは、 困難です。 例えば自転や公転の速度は正確に一定ではないので、 将来の変化次第で旧暦にどう影響が生じるか完全には予測できません。
[276] 閏秒の実施が旧暦計算に影響する可能性も指摘されています >>275。 ただし実際に今後数十年内に旧暦の日付・六曜に影響が生じるとは予想されていません。 (閏秒の廃止も検討されており、将来の日時の予測はそもそも困難です。)
[278]
現時点では少数意見ながら、
日本の標準時を改正するべきという主張は常に存在しているようです
(
[277] 数値計算の方法や精度によっても計算結果に影響があると指摘されています。 プログラミング言語やプラットフォームのデータ型や切り捨てなどの演算の仕様次第で、 不正確な結果が得られる場合があります。 旧暦計算ソフトウェアの他言語・他プラットフォームの移植版ではそうした検証を十分に行っていないおそれもあり、 利用者側で事前に検証するべきです。
[596] “平成32年”暦要項: suchowan's blog, 2019年02月02日, https://suchowan.seesaa.net/article/201902article_2.html
計算上、来年の厳しいポイントは、
大雪 12月7日1時9分
ちょうど9分30秒付近のため閏秒の挿入の有無が利いていそうです。
[597] 再来年の立春: suchowan's blog, 2019年02月04日, https://suchowan.seesaa.net/article/201902article_4.html
実際、計算してみると秒を29捨30入して 23時59分 !
ただし、午前0時との間隔は1分以上あるので、 閏秒などの問題で微妙に日付がゆらぐような 事態はないでしょう。
[24] 自転速度や誤差により旧暦に影響する可能性がある日として、 旧暦2033年問題以外に次の日が指摘されています。
[151] 暦の換算によく用いられるソフトウェア qreki とその派生物は、これらについて「可能性がある」結果 (つまり実際とは異なる可能性が高い方の結果) を出力することが知られています。 qreki は色々な言語に移植され (内容を十分理解しないまま) あちこちで使われているため、意外と影響力は大きいように見受けられます。 近年ではYahoo!カレンダーやスマートフォンアプリなどでも採用されているようです。
[598]
qreki で問題が知られている主な旧暦月:
1884-04 1908-09 2017-02 2033-11 2051-10 2074-07 2177-07 2224-02' 2224-03 2224-03'
[338] 2017年には qreki 型の誤った旧暦が出回ったため、
結婚式業者などに若干の混乱が見られたようです >>339, >>216, >>217, >>6, >>265, >>373。
[541] 【太陽暦】暦について語るスレッドpart7【太陰暦】, , http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sky/1429294131/740-750
[595] 旧暦計算誤差, https://www.ajnet.ne.jp/diary/kesangosa.html
[342] 旧暦の計算に用いる値は、 日本政府の国立天文台が前年2月に発表する暦要項に掲載されたものとするのが普通です。 事前の予測に基づくものや、一般化された計算を行う変換ソフトウェアの計算結果が「正しい」 かどうかは、暦要項の発表により確定することとなります。
[266] 変換ソフトウェアや事前に印刷されたカレンダーの日付や六曜は、 毎年の暦要項と照合し、 必要があれば訂正しなければ正しい旧暦にはなりません。 このことを理解せず、 配布されている旧暦算出ソフトウェアを流用しその後のメンテナンスを怠っているソフトウェアや Webサイトが少なからず存在するため、注意が必要です。 またそうしたソフトウェアやカレンダーの製作者は、 自身の軽率な行為が社会に混乱をもたらすことを自覚し猛省するべきです。 誤った暦の頒布は時代と地域によっては厳しく処罰されてきた理由を理解しなければなりません。
[403] 質問3-10)伝統的七夕について教えて | 国立天文台(NAOJ) () https://www.nao.ac.jp/faq/a0310.html
[404] 暦Wiki/七夕 - 国立天文台暦計算室 () https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/BCB7CDBC.html
[405] 暦Wiki/中秋の名月とは - 国立天文台暦計算室 () https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/C3E6BDA9A4CECCBEB7EEA4C8A4CF.html
[406] 旧暦2033年問題について - 国立天文台暦計算室 () https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2014.html
2014年、1984年
[92]
旧暦の 2033年-2034年について、
閏月をどこに配置するか従来の規則で決定できないという問題がありました。
多くの旧暦は閏11月を採用しています。
産学官の有識者で構成される団体である暦文協は、
これを追認し閏11月案を推奨するとの見解を表明し、
事実上問題は決着しました。
[427] 後醍醐天皇の時代、偽綸旨が流行しました。 その中には暦に関するデマもありました。 花園院宸記 (花園天皇日記) に次のような記述がありました。 >>426 p.88
[137]
旧暦データファイルとして、
神武東征開始の西暦-666年から西暦2100年までのすべての日の旧暦と先発グレゴリオ暦の対応の一覧表を用意しています。
[380] 暦図は、 室町時代末期の写本で、 応永11(1404)年から弘治3(1557)年の月の大小、 月朔干支、 二十四節気を示したものでした。 何年にもわたる日本の暦日を記したものとして最古とされています。 これ以後にも同種のものが2、3ありました。 >>377
[381] 古暦は、 江戸時代の小冊子の刊本で、 天文元(1532)年から元和元(1615)年を示したもの、 あるいはそれ以後まで記載されたものもありました。 >>377
[382] 古暦便覧は、 江戸時代の刊本であり、 最も広まったものでした。 はじめ吉田光由により制作され、 慶安元(1648)年の自序がありました。 天正4(1576)年からの二十四節気、 没滅などを時刻まで記していました。 吉田の死後の延宝元(1673)年、 将来60年分まで計算されたものが刊行されました。 貞享暦に改暦された後中根元圭が改算したものが出版されました。 それも度々改版されました。 増続古暦便覧が中西敬房により、 古暦便覧備考が苗村丈伯により出版されるなどしました。 >>377
[384] 蛮暦は、 元禄12年の陰陽対照表、 元和航海書から転載された 1629年から 1681年の陰陽対照表など、 享保5年に到る陰陽対照表などが収録された本でした。 >>385
[443] 日本長暦は、 渋川春海による神武天皇即位前七年から貞享元年の表でした。 各月朔干支、 閏月、 冬至、立春などを記載したものでした。 >>377 刊本はなく写本のみで、 序文により延宝5(1677)年、 延宝8(1680)年、 貞享2(1685)年の3版が知られています >>386。
[436] 持統天皇6年以後は各時代の暦法で計算したもので、 持統天皇5年以前は日本書紀から逆算し 3種の暦法を創作したものでした (根拠のないもので後に批判されました) >>386。
[437] 後に三正綜覧は日本長暦の値は計算のままであるとしましたが、 実際には 続日本紀、 続日本後紀、 文徳実録、 三代実録 と照合されていました。 >>386
[438] 朝廷や神社に嘉納され、 重要な祭祀の日を知ることができると賞賛されました >>386。
[439] 日本長暦を略して長暦といい、 ひいては同様に昔の暦日を遡って復元したものも長暦といいます。 >>377
[346] 本朝統暦は、 貞享4(1687)年に安藤有益により刊行された長暦でした。 対象期間はほぼ日本長暦と同じでしたが、 二十四節気や没滅から食計算まで行っていました。 ただ計算はすべての時期を宣明暦によっていたため、 宣明暦期間以外には利用価値がありません。 >>377
[445] 皇和通暦は、 正徳4(1714)年に中根元圭により刊行された長暦でした。 日本長暦の計算値を使いましたが、 月朔干支を文献と照合して訂正したり、 章首を示して退閠を明らかにしたりといった独創性が評価されました。 >>377
[107] 天朝無窮暦は、 天保8(1837)年に平田篤胤が制作した長暦でした。 しかし学問的には何ら見るべきものはないと評価されました。 >>377
[390]
万国普通暦は、
嘉永7年から毎年刊行されていた日本初の本格的な太陽暦
(和暦、グレゴリオ暦、ユリウス暦の対照表)
でした。
[366] 陽暦陰暦対照表は、 内田五観による対照表でした。 (内田はその後明治改暦に関わりました。) >>361
[363] 太陰太陽両暦対照表 >>371 は、 明治7年から明治11年に内務省図書局により逐次編纂された木版和綴3冊本でした。 武烈天皇2年から明治5年のグレゴリオ暦と対照していました。 法規分類大全第一編に収録されました。 >>361
[364] 和洋対暦表 >>372 は、 明治13年に撫蘭仙 (Bramsen) により編纂された、 大化元年から明治6年までの対照表でした。 1582年以前はユリウス暦と対照していました。 >>361
[446] 三正綜覧は、 明治13(1880)年に日本政府の内務省地理局 (当時の暦道担当部局) が編纂し塚本明毅が監修した、 孝元天皇元(紀元前214)年から明治36(1903)年の和暦、 中国暦、ユリウス暦・先発グレゴリオ暦、グレゴリオ暦、 回暦の対照表でした。 >>377, >>383 明治改暦により歴代天皇の祭日を太陽暦に換算する必要が生じたため、 編纂されました >>383。 塚本の序文によれば、 「三正」は三正論にちなみ、 太陽暦、太陰太陽暦、回暦の3暦に、 あるいは古代支那の亥正、日本の寅正、陽暦正月の3正にかけたものでした >>383。 皇和通暦を基データとして使っていました。 出版が急がれたためか誤植が多く史料の参照も少なく不備が多々指摘されていました。 昭和7年の第2版、 昭和40年の第3版、 昭和48年の第4版まで改訂され、 かなりの訂正が行われましたが、 史料との照合はついに行われませんでした >>383。 とはいえ日本暦日原典出版以前は他に選択肢がなく、 規範性の高い対照表として用いられていました。 >>377, >>383
[365] 陰陽暦対照年表は、 明治36年の高山昇、丸橋金治郎共編による、 神武元年からの対照表でした。 歴史関係者に広く用いられました。 >>361
[362] 年代対照便覧 >>361 (年代対照便覧並陰陽暦対照表) は、 神田茂による対照表で、 「三正綜覧の欠をある程度補っており日本暦日原典以前のものとしてもっとも正確であるという評価を受けていた」 ものでした。 >>375 しかし「干支を指数であらわし、 簡単ではあっても計算しなければならず、 数表を引くわずらわしさを伴う、 という文科系の人びとにとってはかなり致命的な欠点があった」 >>377 ために、 長暦の新たな決定版とはなりませんでした。
[387] 昭和30年代、 史料編纂所の桃裕行、 東京天文台の前山仁郎は、 計算機による暦日復元を試みました。 >>388 しかし前山は宣明暦時代の暦日計算を試行したところで死去し、 中断しました。 >>389
[31] 日本暦日原典 >>25, >>41 は、 内田正男による対照表です。 445年から 1872年までのデータが掲載されており、 「日本の暦日に関する限り、現在の所これ以上のものは求められないという程度に整備された」 >>377、 「最も確かなもの」 >>361、 「新旧暦対照表の中でも最も信頼性が高いもの」>>27 とされており、多くの書籍や研究、対照表で参照されています >>41。 大半はデータですが、後半の「暦法編」に日本の暦について詳しい説明があります。 計算機により暦日を復元し、 桃が収集した資料に基づき編纂したものでした >>388。
[75] 日本暦日原典は第4版まで出版されていて、 改版の度に新たな研究成果による修正が加えられています。
[458] 第4版のいくつかの年月には、次のような注釈がありました。
[192] 日本書紀暦日原典は、日本暦日原典と同著者によるもので、 日本書紀に記載のある暦日 (-666年以降) のデータを掲載しています。
[379] 暦と時の事典によると、 日本暦日原典と主要長暦の差異は次の通りでした >>377。
これは月朔干支を比較したものです。 ここで「*」は渋川春海の誤算と思われるものです。 「*」が皇和通暦 にそのまま現れることが、 独立して計算していないことの確かな証拠とされています。 「史料の誤用」とは、 吾妻鏡 などの誤った干支から推算を訂正したものです。 また三正綜覧の誤りは月朔干支以上に太陽暦への換算に多く見られます。 >>377
[74] 暦の百科事典 >>69 には暦に関連する記事多数の他、 593年-2100年の旧暦のデータが掲載されています。 1872年までは日本暦日原典 (>>31) 第3版に基づいています >>69。
[32] 暦の大事典 >>22 (2014年初版第1刷) には日本を含む各地の暦についてかなり詳細な解説があります。 巻末に593年-2000年のデータが掲載されています。
[64] 日本暦日便覧には692年-1872年のデータが掲載されています >>63。
[71] 20世紀暦―曜日・干支・九星・旧暦・六曜 >>70 と 21世紀暦―曜日・干支・九星・旧暦・六曜 >>121 は、 それぞれ20世紀と21世紀の旧暦のデータを掲載している書籍です。 20世紀は官暦 (「太陽暦」「明治暦」「大正暦」「昭和暦」) および「神宮暦」を出典としていますが、原典にないデータは編集部によって補っています >>70。
[109] 海上保安庁は1997年から2010年までの情報をWebサイトに掲載しています >>37。
[9] qreki >>8 というスクリプトが色々な言語に移植されて広く使われています。 このスクリプトは先発グレゴリオ暦 (0年あり) を入力とし、 旧暦 (中央標準時に基づく先発天保暦?) と六曜を出力としています。
[61] qreki は旧暦の定義に基づき計算しているようです。 ドキュメントによると、 暦の百科事典 >>69 により出力を検査しています >>27。
[26] qreki とその派生ソフトウェアは広く採用されていますが、
開発停止後長い期間が経過し、既に正しい結果を返せなくなっています。
新たに利用するべきではなく、既存のソフトウェアも修正または破棄するべきです。
[35] WHEN.EXE >>39 は旧暦を含む様々な暦の表示・変換に対応しています。 暦の百科事典 >>69 (1986) と日本暦日原典 >>25 第4版 (1992) に基づいています >>39。ドキュメントは暦 (日本史小百科) >>28, >>62や日本暦日便覧 >>63 も参照しています >>39。
Japanese
Japanese0764
[51] Webサイト 和暦(わごよみ) >>47 の対照表は、 日本暦日原典の計算式を元に、 その注記等に基づき修正を加えたものです >>40。 637年から889年は日本暦日原典の「進朔可能性大」の注記に基づき日本暦日原典とは異なる値を採用しているようです。
[378]
日本の暦日データベースは、
令和元年に公開された国立天文台暦計算室による対照表です。
神武天皇元年から明治改暦まではグレゴリオ暦、
ユリウス暦との関係を表示できます。
日本暦日原典などを出典としています。
[55] DateTime::Calendar::Japanese
>>53 は
Perlモジュールの実装ですが、依存モジュールの非互換変更により動作しなくなっているようです。
>>54 はそれが修正されているようで、動作します。
[193] HuTime >>156 は、 日本書紀暦日原典、日本暦日原典、官暦、神宮暦に基づき旧暦と西暦とを対応付けています。
[118] Kyuureki
>>117 は >>95 の変換表を使った先発グレゴリオ暦と旧暦の変換用のPerlモジュールです。
[120] kyuureki.js
>>119 は >>95 の変換表を使った先発グレゴリオ暦と旧暦の変換用の
JavaScript ライブラリーです。
[139] ruby 和暦ライブラリ >>138 は、 >>95 の変換表を使った旧暦対応を含む Ruby ライブラリーです。
[46] その他多くの対照表が出版、公開されています >>13, >>93, >>238。
[110] その他各言語のソフトウェアやライブラリー、 Webアプリケーションなどが存在します >>58, >>268, >>313, >>329, >>330。
[98] 各対照表・変換ツールの出力は多くの日付に差異があります。 >>96、>>97 はそのうちのいくつかと先発グレゴリオ暦との対応関係が異なる部分を表にしたものです。 >>96 から特に差異が大きいものを除外したのが >>97 です。
[111] 各対照表等のカバーする範囲は様々です。開始時期としては -710年 (神武天皇生年)、 -666年 (神武東征年)、-659年 (神武天皇1年)、 推古天皇1年、大化元年、江戸時代初期などがあります。終了時期としては明治5年末、 出版日前後、2100年などがあります。ソフトウェアによっては過去または未来に無限に計算できるものもあります。 逆に20世紀や21世紀の前後十数年程度しか対応しないものもあります。 表にしてもソフトウェアにしても、実際に旧暦が用いられていた時期から離れるほど、 対応関係は怪しいものとなりますし、実用性も低いと思われます。
[113] 変換ソフトウェアの多くは、過去や未来の広範囲をカバーしていても、 そのうち正しい値を出力できるのはごく一部の時期に限られているようです。 特に天保暦の計算規則に日付を当てはめているだけのような実装は、 過去に実施された暦と多くの年でずれが生じています。 計算式のみで旧暦とグレゴリオ暦の変換を行うのは不可能です。
[114] 古代の日付は研究者間でも議論があり、日本暦日原典だけでも版によって異なる箇所があります。 それを引用または孫引きした対照表や変換ソフトウェア、あるいはそれ以外の研究成果から訂正を加えたものなど様々なバリエーションが存在しています。現状では古代の日付の変換は信頼できるものと考えない方が良いでしょう。
[116] 近世の暦は当時のものが現存することもあり、どの対照表も同じ値になっているようです。 江戸時代最初期までは地方の暦が異なることがあったようですが、 いずれも京暦を採用することで一致しているようです。
[115] 明治6年の改暦後しばらくして旧暦の併記も廃止されているものの、 その後の日付はほとんどの対照表で値が一致しているようです。 旧暦2033年問題も、閏11月を置き他は順に配置すること (平成旧暦) でほぼ一致しています。
[112] 表によって西暦を先発グレゴリオ暦で表記しているものとユリウス暦で表記しているものがあり、 注意が必要です。
[628] Emacsと暦 - Qiita, https://qiita.com/kawabata@github/items/04c67296123c6394a273#%E5%8F%82%E8%80%83%E8%AE%96%E7%B7%AF%E8%AA%AC%E3%81%A8%E8%A5%BF%E6%9A%A6445%E5%B9%B4
戦後、この発見は公表され、すぐに定説となりました。これに従い「日本暦日原典」は暦表を西暦445年から始め、本書に倣った和暦の実装もまた、西暦445年(安康天皇からならば454年)から対応するのが一般的となりました。
(この発見 = 小川清彦説)
[629] そんなに「一般的」かなあ? 表もソフトウェアも対応範囲はばらばらにしか見えないので、 統計データが提示されない限りは信じがたい。
[172] 閏月と通常の月の違いは誤りやすいポイントです。 古くから、 暦の類に限らず日付表記でも、 閏をつけ忘れたり、誤ってつけたりするのは頻出のミスです。 閏月に馴染みがない現代人による対照表や実装でもこの種の問題は枚挙に暇がありません。 閏月が想定外で入出力できなかったり、 おかしな表示になることがあります。 閏月の表示がなく同名の月が繰り返されることがあります。 閏月が1ヶ月分欠落することがあります。 閏月と通常の月を逆に選択したり、ランダムに選択したりすることがあります。
[500] 月名決定法に問題があるのか、月番号が飛んだり重複したりすることがあります。
[140] 日本の旧暦は中国の暦を輸入したものでしたが、日本本土 (琉球を除く。) の暦は中国での計算方法の改訂に時折追随しつつ、 日本での観測結果に基づき独自に計算したものですから、 中国の暦とは一致しないこともありました。
[142] 明治22年/1889年 (日本は改暦後) の官報は、 清国の暦と日本の陰暦が異なる旨の注意を促しています >>141。
[45] >>44 によると、近年でも中国の農暦と日本の旧暦が異なることに気付かずに中国の旧暦を日本で出版することがあるようで、注意が必要です。
[261] 農暦が記載された暦を外国で入手して日本で使っている人もいます >>260 が、差異に気づいているのかどうかは不明です。
[394] Windows 10 は日本向け日本語設定で動作中 日付と時刻 の設定の タスクバーに追加のカレンダーを表示します に 「追加のカレンダーを表示しない」 の他になぜか 「簡体字中国語 (旧暦)」 「繁体字中国語 (旧暦)」 オプション(だけ)が表示されます。 この2つの「旧暦」は日本の旧暦ではなく農暦なのですが、 そのことは明記されていません。 選択すると中国語表記の農暦の日付がタスクバーの日時欄をクリックすると表示されるカレンダーのグレゴリオ暦日の直下に小さく表示されるようになります (中華圏のカレンダーにありがちな日付表記と同様)。
[227] なお、越南の旧暦も中国式太陰太陽暦ですが、 計算上の時差により、やはり農暦や旧暦と日付が異なることがあります。
[396] lit0184.pdf, https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1485055/lit0184.pdf#page=155
[397] 日中暦日相違-2, , http://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/Kyuureki/RekijitsuSoui2.html
[231] 現在でも地方により、また行事により、 旧暦によって祭事等の実施の日を決めることがあります。 特に沖縄では旧暦が強く意識されていることが知られています。
[232] 旧暦から求まる六曜を記載するカレンダーも少なくありません。 旧暦の日付を併記するカレンダーも珍しくはありません。 結婚式等の日次の決定には六曜が参照されることがよくあります。
[233] 太陽暦より旧暦の方が良いなどと主張する人はあとを絶ちませんが、 あまり合理的な根拠を示している人はいないようです。 実際に太陽暦ではなく旧暦を使っている人がいるのかどうかは大変怪しいです。
[295] ほぼ毎日何らかの旧暦に関するWebページ (季節の話題の記事など) が作られる程度には、 まだ旧暦も関心を持たれています。
[320] 日本の月名のことを旧暦の月名のような言い方をする人もいます。 しかし日本では昔から月番号が正式な月名であり、 改暦によって月名から月番号に切り替わったわけではありません。 本項の旧暦と直接結びついたものではありません。
[321] 月遅れのことを旧暦ということがあります。 改暦により行事の日取りが旧暦から月遅れに移行して旧暦に近い時期を保ったことを曖昧に表現したものと思われます。
[15] かつての日本では、 現在とは違って正子 () 以外を日界、 日の境界とする風習があり、 それを指して旧暦と呼ぶことがあります。
[80] 古い暦という意味で確かに旧暦といえなくもありませんが、 現在日本で一般にいう旧暦、 すなわち本項にある明治の改暦以前の暦という意味の旧暦としては、 日界は昔から正子だったので、 そうでない日界は旧暦ではありません・
[4] 国立天文台 | 質問3-5)「旧暦」は現在の暦より季節に合っているの? ( ( 版)) http://www.nao.ac.jp/faq/a0305.html
[7] Wikipedia:表記ガイド - Wikipedia ( ( 版)) http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89#.E5.B9.B4.E6.9C.88.E6.97.A5.E3.83.BB.E6.99.82.E9.96.93
[10] 和暦(宣明暦)について 【OKWave】 ( ( 版)) http://okwave.jp/qa/q3758502.html
[11] 幕末期の暦と時刻の違いによる混乱 - かつて日本は美しかった ( ( 版)) http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20130104/1357288107
[12] 暦Wiki/歴史 - 国立天文台暦計算室 ( ( 版)) http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/CEF2BBCB.html
[43] 正倉院文書調査 syoho15-saiho ( ( 版)) http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/15/saiho_shousouin%20monjo.html
[57] 鎌倉時代の暦日変更 ( ( 版)) http://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/Kyuureki/Kamakura_Rekijitsuhenkou2.html
[99] 新暦と旧暦を対照できる資料を調べる | 調べ方案内 | 国立国会図書館 ( ( 版)) https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-400108.php
[100] 公卿類別譜(公家の歴史)-和暦・西暦対照表〔インデックス〕 ( ( 版)) http://park.geocities.jp/okugesan_com2/
[103] 「和暦-西暦変換」エクセルの詳細情報 : Vector ソフトを探す! ( ( 版)) http://www.vector.co.jp/soft/winnt/edu/se497750.html
[104] ( ( 版)) http://www.media.saigaku.ac.jp/bulletin/pdf/vol1/human/08_yuasa.pdf
[105] ( ( 版)) http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AN10113157/nk_19_37.pdf
[160] 日中暦日相違、「後の月」考 ( 版) http://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/Kyuureki/RekijitsuSoui.html
[161] 江戸時代暦復元プロジェクト:貞享暦~天保暦 ( 版) http://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/Kyuureki/EdoCalendar/
[162] 旧暦/グレゴリオ暦対照表 ( 版) http://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/Kyuureki/
[169] 旧暦の仕組み ( 版) http://homepage2.nifty.com/o-tajima/rekidaso/calendar.htm
[178] 日本暦学史案内 ( 版) http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1981/pdf/19810105.pdf
[179] 日付と干支の問題 ( 版) http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/24451/KJ00005088683.pdf
[180] 和銅年間における日唐の暦日の相違 ( 版) http://optik2.mtk.nao.ac.jp/~somamt/gendai3/094-099MWatanabe.pdf
[182] 日本書紀朔日考 ( 版) http://www.u4ren6.com/Moritsune/Moritsune.html
[186] 『日本書紀』の編纂における暦日の設定 ( 版) http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/15999/20141016124412120581/nk_19_37.pdf
[188] 日本書紀の暦日について (小川清彦著、 版) http://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/OgawaKiyohiko/shoki-rekijyutu.pdf
[189] 日本書紀の暦日の正体 (小川清彦著、 版) http://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/OgawaKiyohiko/rekijitu-shotai.pdf
[201] 旧暦の1700年問題 旧暦の2033年問題を解決するヒントがここにある (Katsuji YAMAMOTO 著, 版) http://homepage2.nifty.com/yamakatsu/cal_kyuureki_1700.html
[203] KAKEN - 日本古代の時間制度・観念と初期陰陽道に関する研究(22520700) - 2012年度研究実績報告書 ( 版) https://kaken.nii.ac.jp/d/p/22520700/2012/3/ja.ja.html
[204] KAKEN - 日本古代の時間制度・観念と初期陰陽道に関する研究(22520700) ( 版) https://kaken.nii.ac.jp/d/p/22520700.ja.html
[219] (第124号) ~伝統ある奈良の暦~ 南都暦 (平成10年9月1日号)|三島市 ( 版) https://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn000109.html
[241] 『続日本紀』淳仁天皇即位前紀の成立段階―暦日の観点から ( 版) http://ci.nii.ac.jp/els/110009557514.pdf?id=ART0010003706&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1455284198&cp=
[244] 天正十年改暦問題 - Consume Mind ( 版) http://seesaawiki.jp/consume_mind/d/%C5%B7%C0%B5%BD%BD%C7%AF%B2%FE%CE%F1%CC%E4%C2%EA
[249] 古代日本の曆に就て(10) (S・I 著、 、 版) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/168118/1/tnk000236_045.pdf
[250] 古代日本の曆に就て(1) (S・I 著、、 版) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167940/1/tnk000226_102.pdf
[252] 天保暦 - Wikipedia ( ( 版)) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BF%9D%E6%9A%A6
[253] suchowan's UniWiki Calendar/When/Exe/暦説明/本編/日本/補足/天保暦置閏法の謎 ( ( 版)) http://hosi.org/u/wiki.cgi?Calendar%2FWhen%2FExe%2F%E6%9A%A6%E8%AA%AC%E6%98%8E%2F%E6%9C%AC%E7%B7%A8%2F%E6%97%A5%E6%9C%AC%2F%E8%A3%9C%E8%B6%B3%2F%E5%A4%A9%E4%BF%9D%E6%9A%A6%E7%BD%AE%E9%96%8F%E6%B3%95%E3%81%AE%E8%AC%8E
[264] Akou-Roushi's Uchiiri is in 1702 or 1703? ( 版) http://nanyanen.jp/history/yeargap.html
[267] 長暦 (暦) - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%9A%A6_(%E6%9A%A6)
[272] 『日本書紀』 の暦日 ( 版) https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/15983/20141016124403805074/nk_16_1.pdf
[283] おりおりに和暦のあるくらし | 旧暦くらし研究会, RARI YOSHIO | 本 | Amazon.co.jp ( ()) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/404853792X/wakaba1-22/
[291] 暦制史 - Uyopedia () http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E6%9A%A6%E5%88%B6%E5%8F%B2
[309] 今日は節分! ~旧暦の大晦日です~│プロサポート-スタッフ日記- () http://prosupport.gunmablog.net/e379602.html
[311] 同じ文章で何の断りもなく2つの異なる説明が混在しているが、朝日新聞は校正とかしてないのか?
[316] 明治31年にもなっての出来事なのに旧暦か新暦かわからないとは、 地方の住民の生活でいかに旧暦が根強く使われ続けていたのかがうかがえます。
[318] まあ昭和といっても長い時代だからいろいろですけど... 旧暦の一掃が進んだ時代ですよね。 なんだかんだでまだ旧暦を使っていた明治時代とは違って、 昭和の人達は生まれたときから新暦がある世代ですし。 ほんとにそれで昭和生活とやらが実現できるんですかねぇ。
[323] 旧暦の日付を問う試験問題に何の意味があるのだろう。 この書きぶりだと諸条件を与えて計算させる問題というわけではなさそうだが、 だとすると1日限りの知識を暗記させる問題か。 実際効果が薄いとわかっているのに、 こだわり続ける意図はいったい...
[325] NengoCalc (Matthias Schemm著, ) http://www.yukikurete.de/nengo_db.htm
[326] Vergleich der Tabellenwerke von Tsuchihashi und Zoellner: () http://www.yukikurete.de/shadows/datenbasis.pdf
[331] Japanese imperial calendar · Issue #560 · MenoData/Time4J () https://github.com/MenoData/Time4J/issues/560
[332] 平安朝『蜻蛉日記』の時間叙述 () https://www.jstage.jst.go.jp/article/timestudies/4/0/4_1/_article/-char/ja
[333] 天正十年改暦問題 - Consume Mind () http://seesaawiki.jp/consume_mind/d/%C5%B7%C0%B5%BD%BD%C7%AF%B2%FE%CE%F1%CC%E4%C2%EA
[343] Kyoto University Research Information Repository: 古き曆の跡を訪ねて : 本邦天文曆學史覺書(1) () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/168641
[344] Kyoto University Research Information Repository: 古代日本の曆に就て(1) () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167940
[345] Kyoto University Research Information Repository: 古代日本の曆に就て(2) () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167961
[56] 旧暦の日付が違う?(2001年の騒動)(No.0150) (M.Suzuki著, ) http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0150.htm
[258] () http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/pcs/edogoyomi-workshop.pdf
[271] 1960年白露 suchowan's blog/ウェブリブログ () https://suchowan.at.webry.info/201405/article_23.html
[274] 天保暦の二十四節気の丸め suchowan's blog/ウェブリブログ () https://suchowan.at.webry.info/201405/article_21.html
[348] () http://www2.nao.ac.jp/~mitsurusoma/gendai3/094-099MWatanabe.pdf
[349] 暦制史 - Uyopedia () https://web.archive.org/web/20151228143359/http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E6%9A%A6%E5%88%B6%E5%8F%B2
[350] 『日本書紀』皇極天皇二年五月十六日の月食記事と元嘉暦 () https://www.nao.ac.jp/contents/about-naoj/reports/report-naoj/15-12-2.pdf
[353] 間接的に天皇号の始用時期とも係わる推論二話 () http://www5e.biglobe.ne.jp/~menme/mmj14.html
[354] 改暦 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E6%9A%A6
[355] 暦法計算(資料庫):貞享暦 () https://web.archive.org/web/20060215094417/http://www.cablenet.ne.jp/~nihei-s/Calender/JyoukyouReki.html
[356] 暦法計算(資料庫):時憲・天保暦 () https://web.archive.org/web/20060107091954/http://www.cablenet.ne.jp/~nihei-s/Calender/TenpouReki.html
[357] 授時暦の敗北? 延宝三年五月の日食について () http://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/Kyuureki/Koyominokai20101120/Koyominokai20101120.html
[358] Akou-Roushi's Uchiiri is in 1702 or 1703? () http://nanyanen.jp/history/yeargap.html
[359] Defeinition of Traditional Calendar () http://nanyanen.jp/calendar/kyureki.html
[360] 和暦、西暦の年月日対応に関する注意点 () https://web.archive.org/web/20081212114605/http://www.pk-shibuya.school-info.jp/fg-slope/chokanji/nanda.html
[407] () http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1973/pdf/19730306.pdf
[408] モジュール:サンドボックス/ルーア/天保暦 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB:%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%A2/%E5%A4%A9%E4%BF%9D%E6%9A%A6
[410] K3SOFT () http://www.kai3.jp/k3soft.htm
[416] 前者の日付 (源空 = 法然死去) は建暦2年1月25日。 後者の日付 (親鸞死去) は弘長2年11月28日。
[423] おまつのブログ: おまつのブログ シーズン 2 「近世頒暦の研究」緒言 () https://omatsuja2.blogspot.com/2020/03/koyomi-preface.html
[493] 旧暦←→新暦変換(2020年) () http://web.kyoto-inet.or.jp/people/jn0219/206sekki_kyureki2020.html
[494] 副主席さんはTwitterを使っています 「そういえば沖縄で車借りてラジオつけたら、結構な頻度で「今日は○月○日、旧暦では×月×日」や、「うちなーぐゆみ(沖縄暦)ぬ、×月×日やいびーたん」みたいなアナウンスが聞こえてきた。陰暦が生活に密着してる土地に憧れる。」 / Twitter (午後4:27 · 2019年12月6日 , ) https://twitter.com/SEI__jou/status/1202851984065232896
[495] 副主席さんはTwitterを使っています 「「北東北某県に赴任した時(90年代)、地元の人から『○月○日に祭礼があるから来い』と言われて、ちゃんと言われた日に酒携えて行った。そしたら○月○日は旧暦で祭礼も何もなかった」っていう失敗談を聞いたことがある。当たり前に日取りを陰暦で言う程、最近まで身近な存在だったということ。」 / Twitter (午後4:38 · 2019年12月6日 , ) https://twitter.com/SEI__jou/status/1202854692620890113
[496] Google カレンダー用の良い沖縄暦無い? - s0met1me◆JIRN.kBNd のやんばる名護パトロール隊(起承転々)2nd () https://s0met1me.hateblo.jp/entry/20100627/1277615751
[221] 西暦から変換 | 西暦和暦変換 () https://reki.gozaaru.com/
[549] さすがにこれは無理があるんとちゃう? 明治も平成も廃止されてないことになるよね。。。
[550] 古事記学会投稿 - 094-099MWatanabe.pdf, , https://www2.nao.ac.jp/~mitsurusoma/gendai3/094-099MWatanabe.pdf
[551] () https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-22520700/22520700seika.pdf
[400] 1444-9.pdf, , https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/pdf/1444-9.pdf
[543] のいまごさんはTwitterを使っています 「もうちょっと、校正を頑張ってほしい。 https://t.co/87lAM5pQMa」 / Twitter (午後10:21 · 2020年10月22日 , ) https://twitter.com/noimago/status/1319267633733136390
[544] 北条 氏規さんはTwitterを使っています 「ぶっちゃけ信長が三島暦にしたかったかもよく分からないし東西の暦の東が三島暦だったのかもよく分からん。いっぱいあるから もし信長が三島暦を使いたかったなら自分も使ってるはずだけど証拠がないからこれも分からないんですよなぁ...」 / Twitter (午前11:27 · 2020年10月23日 , ) https://twitter.com/ujinoriH/status/1319465530571386882
[545] somekita@特発性血小板減少症@EBIちゃん号さんはTwitterを使っています 「大宮の氷川神社が三島暦をパクった罪で処罰されるところ、当の三島暦の暦師が助けてやった https://t.co/UnMv0v8JSn」 / Twitter (午後9:21 · 2020年10月11日 , ) https://twitter.com/mazuisake/status/1315266298683691008
[546] 国家鮟鱇さんはTwitterを使っています 「『晴豊記』に「くわんれきと申物」と書かれているものが三島暦のことだと推定されているだけのこと。『小田原北条記』で関東でも閏月論争があったことからの推測ではないかと思われるが、この推定が妥当なのかはもっと考察が必要では?」 / Twitter (午前6:11 · 2017年9月20日 , ) https://twitter.com/tonmanaangler/status/910250077909770241
[547] 太田うしいちさんはTwitterを使っています 「①元亀が存在しなかったことになってる ②天正て別に信長が決めた年号じゃない ③改元は前年から朝廷主導で進んでいた話 ④まず信長が使いたかったのが三嶋暦かどうかはっきり分からん 「あなたの感想ですよね?」部分を抜きにしても… 1ページもない範囲でいくつガバるんだ(゚A゚;)」 / Twitter (午前7:57 · 2020年10月23日 , ) https://twitter.com/ootaushiichi/status/1319412519954378752
[553] 高村不期さんはTwitterを使っています 「閏月のずれは頻繁にあったとどこかで見て気になっていたので確認。下山年表で3つ。天正10年閏12月のほか、天文2年に閏5月が入っていて「『快元僧都記』は五月の記載を二回に分けて記載し、当記事は後の五月に記載され、三島暦ではこの年五月に閏月を入れているが京都暦には見えず」としている。」 / Twitter (午後10:58 · 2017年9月27日 , ) https://twitter.com/buqimingri/status/913040031526170626
[555] 高村不期さんはTwitterを使っています 「また、永正12年閏1月には「武蔵国小杉天神を造営し、大旦那に黒岩顕季が見える(天神社所蔵棟札・武銘542)。実際の閏月は二月」とある。この年は史料がとても少ないので誤記の可能性もあるが、武蔵氷川暦がずれていたのかも知れない。」 / Twitter (午後10:59 · 2017年9月27日 , ) https://twitter.com/buqimingri/status/913040354399494145
[556] 谷津 珠葉(李厳命)さんはTwitterを使っています 「一番わかりやすいのが、「信長公記」首巻の日付ですね。 信長公記は一巻から十五巻までの日付はきわめて正確なのに対し、首巻の日付は一ヶ月ずれていたり、2~3日ずれていたりします。 これは著者の太田牛一が、当時の日記を尾張で使われていた三島暦で書いた為だろうと思われます。」 / Twitter (午後9:46 · 2017年5月22日 , ) https://twitter.com/Rigenmei/status/866636502993821696
[557] 谷津 珠葉(李厳命)さんはTwitterを使っています 「話が大きくなりましたが、戦国時代の暦は宣命暦であったにも関わらず、暦変換サイトの旧暦変換は幕末最後の太陰太陽暦である天保暦での変換になるので、大小の月の付け方や閏月の付け方が異なるので、実際の日付と誤差が生じているはずです。」 / Twitter (午後9:50 · 2017年5月22日 , ) https://twitter.com/Rigenmei/status/866637395554320384
[558] 高村不期さんはTwitterを使っています 「宇都宮国綱・小田氏治・上杉景勝は天正10年閏12月の文書が遺されている。織田信長は閏12月を主張したと『晴豊記』にあるから彼も三島暦使用者かも知れない(ただ、言い出したのは「濃尾之暦者」と『兼見卿記』にあって直接の関連性は不明)。『信濃史料』と『家忠日記』は天正11年閏1月。」 / Twitter (午前0:22 · 2016年12月1日 , ) https://twitter.com/buqimingri/status/803982437650812928
[559] 高村不期さんはTwitterを使っています 「三島暦だと天正10年に閏12月が入るが、その他の暦では翌年に閏1月が入る。年を跨いでの異同なので影響は大きいと思うのだけど、この辺をどう調整していたかは不明。後北条氏系の史料は全て閏12月でいっている一方、家忠日記だと閏1月なので徳川家は同期していない。」 / Twitter (午後0:13 · 2016年11月30日 , ) https://twitter.com/buqimingri/status/803799195635154944
[560] KJ00005088683.pdf, http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/24451/KJ00005088683.pdf
[561] https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/1/1046/823_1_%E4%BA%95%E6%88%B8%E3%81%8B%E3%82%89%E5%87%BA%E5%9C%9F%E3%81%97%E3%81%9F%E5%B9%B3%E5%9F%8E%E4%BA%AC%E3%81%AE%E6%9A%A6.pdf
[563] 先週の記事: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201112/article_6.html
[564] 旧暦とサマータイム: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201209/article_27.html
[565] 退閏: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201210/article_25.html
[566] 日本百科大辭典: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201301/article_19.html
[567] 『暦法及時法』の置閏法 ― 進展: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201305/article_22.html
[568] 『暦法及時法』の置閏法 ― 進展その2: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201305/article_27.html
[569] 『暦法及時法』の置閏法 ― 進展その3: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201308/article_8.html
[570] 活水女子大学機関リポジトリ, NetCommons, https://kwassui.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=331&item_no=1&page_id=13&block_id=21
[572] 19730306.pdf, , https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1973/pdf/19730306.pdf
[571] 宝暦暦~天保暦の計算: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201403/article_22.html
[573] 寛政暦の二十四節気: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201407/article_13.html
[574] 天保15年の八十八夜と二百十日: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201411/article_11.html
[575] 天正11年雨水と朔: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201504/article_6.html
[576] 進朔の閏月への影響: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201504/article_7.html
[577] 神託で閏月をきめること: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201504/article_13.html
[578] 奈良時代後期の閏月: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201505/article_16.html
[579] 定気法に至る経緯: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201510/article_10.html
[580] 貞享暦・宝暦暦の定朔(スクリプト): suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201510/article_23.html
[601] >>599 >>600 あわせてからがカバーされているとのこと。 有料ファイルで、サンプルとしてとが配布されている。
[602] 多機能暦カレンダー - SoLunar -の詳細情報 : Vector ソフトを探す!, https://www.vector.co.jp/soft/win95/personal/se307527.html
[603] >>602 旧暦を計算しているとのこと。ソースコードなし。
[612] 昌泰04(0901).01.01の日食(つづき): suchowan's blog, https://suchowan.seesaa.net/article/201910article_3.html
[616] 貞享二年暦: suchowan's blog, https://suchowan.seesaa.net/article/202006article_17.html
[617] https://kwassui.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=331&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1
[618] 寛政暦の歳実(つづき): suchowan's blog, https://suchowan.seesaa.net/article/202108article_6.html
[622] 学芸志林 9, 東京大学, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1558688/1/1 (要登録)
[623] 史談 (2), 広文館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1466745/1/2 (要登録)
[630] 江戸時代暦復元プロジェクト:貞享暦~天保暦, , http://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/Kyuureki/EdoCalendar/
[631] 【提言】仏教行事を旧暦に戻そう――東アジア仏教世界の一体感を取り戻す - ひじる日々, https://naagita.hatenablog.com/entry/2019/03/21/131714
[633] 紀元・暦法を集めるスレ, https://academy4.5ch.net/test/read.cgi/whis/1044889496/183-248
昔あやめが叔父の仕様に基づいて現行暦と旧暦との変換用のBASICプログラムを 作成し、某PC誌に掲載が予定されたことがあります。その際に編集部の要請により 叔父が旧暦システムの基本構造を、あやめがアルゴリズムの概要を解説したしたものを ドキュメントしたのですが、この雑誌は間もなく廃刊となってしまい日の目を見るに 至りませんでした。
御参考までに以下に何回かに分けて載せることにします。
[229] null, , https://web.archive.org/web/20041107214442fw_/http://homepage3.nifty.com/zatsunen/koyomi/1999down.htm
1998年09月01日~1999年12月31日までの
[90] null, , https://web.archive.org/web/20041230124206fw_/http://homepage3.nifty.com/zatsunen/koyomi/2000down.htm
1999年09月01日~2000年12月31日までの
[84] null, , https://web.archive.org/web/20041108160935fw_/http://homepage3.nifty.com/zatsunen/koyomi/2001down.htm
2000年09月01日~2001年12月31日までの
・旧暦(太陰暦)
・六曜星(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)
・十二直(建・除~開・閉)・二十八宿(角・亢~翼・軫)
・二十四節気(立春・雨水・啓蟄 ~ 冬至・小寒・大寒)
・雑暦・年中行事(八十八夜・社日・半夏生など)の補足
・暦日(日の吉凶)
[89] null, , https://web.archive.org/web/20041109103549fw_/http://homepage3.nifty.com/zatsunen/koyomi/2002down.htm
2002年01月01日~2002年12月31日までの
[167] いずれも配布データは現存せず
[530] 日本天文研究会報文 4(3)(15), 日本天文研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3204885/1/15 (要登録)
[531] 明窓・旧暦ではようやく10月 | 山陰中央新報デジタル, https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/480876
旧暦では、あす13日が10月1日。1872年に「改暦の詔書」が出されるまで千年以上使われてきた暦が現代でも採用されていれば、今は9月の終わり。夏日もさほど不思議とは思わずに済む
[532] いやそのりくつはおかしい...
[533] 旧暦だと季節感がなくなるから (毎年季節と月が移り変わってくから) 違和感がないはずだってコト? それならまあ...
[536] 日本史研究 = Journal of Japanese history (341);1991・1, 日本史研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13007063/1/24 (要登録)
[542] PAX_SAPIENTICA/Data/Calendars/JapaneseEraName.tsv at v1.0.0 · AsPJT/PAX_SAPIENTICA · GitHub, https://github.com/AsPJT/PAX_SAPIENTICA/blob/v1.0.0/Data/Calendars/JapaneseEraName.tsv