[8]
>>5 は百姓が屋敷を変換する際の証文ですが、
香取まで改元伝達があるのは早くても至徳元年3月のことと思われます。
>>148
ところがこれは至徳元年2月とあり、遡及年号に該当する可能性が高いと言えます。
[9]
元二年説をとる歴史研究者の山田邦明は、
これは至徳2年2月の意味だと主張しています。
元二年
[15] これは土地の四至を定めた文書。このタイプの文書で遡及年号はもうアウトでしょう。
- [17] 金皷と鰐口, 香取秀真, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/971698/1/74
- [18] 高知県史要 : 附・高知沿革略志、元禄大定目, 高知県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/978760/1/23
左
- [19] 土佐美術史, 山本淳, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1212886/1/230 (要登録)
左
- [22]
宿毛市史, 宿毛市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9573993/1/79 (要登録)
[20] 銘文が至徳元年2月25日。遡及年号 -2日。
[21] この種のものは遡って日を書いていることもあるので、これだけで偽銘とは断言できない。
[3] 板碑概説, 服部清五郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/384 (要登録)
致得元年甲子正月五日
私年号 至徳元年甲子か
[1] 埼玉県史 第四巻, 埼玉県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3439275/1/309 (要登録)
致得
[2] 仏教考古学講座 第五卷, 雄山閣, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1914064/1/82 (要登録)
致得元年甲子正月五日
私年号 至徳元年甲子
[4] 板碑入門, 小沢国平, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2980023/1/78 (要登録)