東洋の日時表示

東洋式日時表示

日付

[222] 日付
  1. |
    1. =
      1. ?
        1. 紀年接頭辞
      2. 年部
      3. ?
        1. |
          1. =
            1. ?
            2. 月部
            3. ?
              1. |
                1. 日部
                2. 旬部
          2. =
            1. 月部日部
          3. 年日部
    2. 月日
    3. 日部
    4. 省略年
    5. 省略年月日

月日

[470] が自明な場合、省略して月日だけ書くこともあります。

  1. 月部
  2. ?
    1. 日部

[471] 日本中世書状月日のみ書くことが多く、 は書かないものとされます。 >>468 p.62

[472]永正四年十月廿三日」付筒井順興書状 (山城綴喜郡記 所収) は日本永正4(1507)年が明記されており、 これが偽文書と判定される根拠に挙げられています。 同様に 「永禄元年八月廿九日」付三好築前守長輝書状 (京都府田辺町史 所収) は日本永禄元(1558)年が明記されています。 いずれも江戸時代後期に作られた椿井文書とされます。 >>468 pp.61-62

年部
  1. |
    1. =
      1. 年号年番号
      2. |
        1. =
          1. 年の字
          2. ?
            1. |
              1. =
                1. ?
                2. 年干支
              2. =
                1. (
                2. 年号年番号
                3. 年の字
                4. )
        2. =
          1. 年干支
          2. ?
            1. 年の字
        3. =
          1. (
          2. 年号年番号
          3. )
          4. 年の字
    2. =
      1. ?
        1. 年号
      2. 年干支
      3. ?
        1. 年の字

元号名

[244] 元号名スロット
  1. 元号名
  2. ?
    1. 元号名接尾辞

[247] 元号名漢字仮名元号名です。 異表記が使われることもあります。 元号名 接尾辞がつくことも稀にあります。 元号名接尾辞

[246] 元年号は、末尾が元号名です。

年数

[245] 年号年番号
  1. |
    1. =
      1. ?
        1. 元号名スロット
      2. |
        1. =
          1. ?
          2. 年番号
        2. カン
    2. =
      1. 元年号

[195] 年数は漢数字で 「年」 と書くのが最も普通でした。

[511] 支那では「元」が避諱されることがありました。 元年

[356] 元号名の末尾が「元」で元年と続く時、 「元号々年」 と表記することがありました。 元々年

[239] 年番号
  1. ?
    1. -
  2. 非負整数
[248] 省略年番号
  1. |
    1. 一桁正数
    2. =
      1. |
        1. 十廿
        2. =
          1. 一桁正数
      2. ?
        1. 一桁正数

[197] 年数の前に「第」をつけることもありました。 日本では鎌倉時代中期 - 南北朝時代に最流行 (>>76)。

[443] 近現代では立教命知と書いた例が注目されます。

年干支

[194] 年干支
  1. |
    1. =
      1. ?
        1. 歳次
      2. |
        1. 干支
        2. 割干支
        3. 十二支
    2. 歳次干支
    3. 干支
    4. =
      1. 割歳次
      2. 干支
    5. 十干

[435] 「大歳戊辰」や「歳次戊辰」のように、 干支の前に太歳を表す語を付けることがありました。 歳次

[632]歳次」 や 「歳次干支」 は12世紀頃の日本に多いようです。

[254] 斜め書きの程度にはバリエーションがみられます。 注意してみないと区別は難しく、意味的には違わないのでしょう。

[323] 印刷文字で翻刻したとき元の配置をどの程度再現するかは、 何を重視してどう表現するか、どこまで区別するかの翻刻者の判断と、 媒体の技術的制約に左右されます。ある拓本集では、 銘文を次のように書き分けていました。

  • [315] 近藤守重(重蔵)墓碑 「文政十二己丒年󠄂 六月十一部欠六日」 翻刻: 「文政十二己丒年 六月十 (〔有〕) 六日>>255 40 PDF 59頁, 128頁
    • [316] 通常文字と同じサイズ、配置。
  • [308] 椀屋墓碑 「延寳五歳九月初七日>>255 41 PDF 60頁, 129頁 1677年4月7日
    • [309] 印刷文字では、干支2字は縦横半分、2文字合わせて行の横幅に収まるサイズ。 字間なし。
    • [310] 原本(拓本)でも、2文字合わせて行の横幅に収まるサイズ。
  • [311] 安部宗任女墓碑 「仁平二年󠄂 四月二十有日」 翻刻: 「仁平二 四月二十有日>>255 32 PDF 50頁, 124頁
    • [312] 印刷文字でも原本(拓本)でも干支2字は水平にも垂直にも重ならずちょうど斜めに配置。
    • [313] 印刷文字では干支も通常の文字サイズ。
    • [314] 原本(拓本)では干支は通常より気持ち小さく見える程度のサイズ。
  • [317] 豊国神社銅燈籠 「慶長十五 アキ年 七月吉曜日翻刻: 「慶長十五 七月吉曜日>>255 69 PDF 89頁, 148頁
    • [318] 印刷文字では干支も通常の文字サイズ。字間なし。
    • [319] 原本(拓本)では干支は縦横半分程度の小さなサイズで、 各文字垂直中央が行の左右端付近にあたり、 干支2文字の中間に干支1文字弱程度の空白。
  • [320] 御津八幡宮大和屋甚兵衛名代一座踊子寄進石燈 「天和二 アキ 正月十五日>>255 67 PDF 90頁, 146頁
    • [321] 印刷文字では干支も通常の文字サイズで、前後3行分で記述されている。
    • [322] 原本(拓本)では干支は通常の文字と同程度のサイズで、 行の幅から完全にはみ出して左右に接するように配置されている。

[505] 縦書き横書き斜め書きの違いの校訂を問題とした事例 鬼室集斯墓碑

[466] 稀に斜め書きルビを付した例がみられます。 ルビ

[333] 石垣島の石碑・説明看板(市街地-1), , http://www.zephyr.justhpbs.jp/ishigaki_hibun_cityarea-2.html

このWebページの引用 「平成二十六甲子歳 清秋」

写真内の石碑現物 「平成二十六 アキ アキ歳清秋」 2文字は垂直半分くらい重なっている。

序文日付 「歳一月上浣>>253 p.12 (上旬)

干支は行の中央から左右に、それぞれ行の端から半分くらいはみ出すサイズで配置。

はしがき 日付 「二〇〇九年二月>>214 p.17

[583] 水が織りなす安曇野今昔物語 歴史・文化・伝統編 - 4823.pdf, , https://www.city.azumino.nagano.jp/uploaded/attachment/4823.pdf#page=5

[595] 秋葉@さらすば亭(千葉県弁財天調査本) 冬コミ2日目(金)東J12bさんはTwitterを使っています 「実際は白黒コピーの本になるんですが、千葉市中央区の30以上の弁財天を調べました~ 明日の12/31のコミケ東J12bで600円で販売しますので宜しくお願いします 「千葉県弁財天調査本 Vol.3 千葉市中央区地域/さらすば亭」 https://t.co/dNkRzgLw53」 / Twitter, , https://twitter.com/A_KIBA/status/1476555076248686598/photo/4

前例に倣ったのでしょうが、平成10年にもなってまだ新たに干支斜め書き紀年銘が新たに作られた事例があるようです。

年干支併記の有無

[424] 元号年の表記には、 年数と年干支の併記がよく使われてきました。 日本では、 平安時代中期と明治時代以後には、 年干支を併記しない元号年だけの表記もむしろ広く用いられました。

[425] 石田茂作は表記方式を分類して、日本の時代ごとの傾向をまとめました (>>64)。

[427] 久保常晴は特に日本奈良時代年干支の併記の有無の傾向を調べました。 それによると年干支併記が多かったのが、 天平頃から年次単記が多くなりました。 >>426

e
元号
kd
年干支あり: 大日本金石史
ks
年干支あり: 正倉院御物棚別目録 第三版
kn
年干支あり: 奈良県銘文集成
km
年干支あり: 平城宮木簡 一解説、伊場遺跡出土文字集成 (概説)
kr
年干支あり: 寧楽遺文
kt
年干支あり計
nd
年干支なし: 大日本金石史
ns
年干支なし: 正倉院御物棚別目録 第三版
nn
年干支なし: 奈良県銘文集成
nm
年干支なし: 平城宮木簡 一解説、伊場遺跡出土文字集成 (概説)
nr
年干支なし: 寧楽遺文
nt
年干支なし計
e
慶雲
kd
3
kr
8
kt
11
nd
1
nr
2
nt
3
e
和銅
kd
3
kr
6
kt
7
nd
1
nr
1
nt
2
e
霊亀
kt
0
nt
0
e
養老
kd
1
kr
14
kt
15
nr
1
nt
1
e
神亀
kd
3
kr
3
ks
1
nr
3
nt
4
e
天平
kd
3
kn
1
kr
54
kt
58
ns
2
nm
9
nh
30
nr
136
nt
177
e
天平感宝
kr
1
kt
1
ns
1
nr
5
nt
6
e
天平勝宝
kd
3
kn
3
kh
1
kr
6
kt
13
nd
3
ns
12
nm
2
nh
1
nr
109
nt
127
e
天平宝字
kn
1
kh
2
kr
10
kt
13
nd
1
ns
2
nm
1
nr
83
nt
87
e
天平神護
kt
0
nt
0
e
神護景雲
kd
1
kr
2
kt
3
nd
1
nr
2
nt
3
e
宝亀
kd
1
kr
4
kt
5
nd
1
nr
4
nt
5
e
天応
kt
0
nt
0
e
延暦
kd
1
kt
1
nd
1
nt
1

[428] 金石文として 大日本金石史摂河泉金石文 を、 奈良時代の紀年銘資料のまとまっている正倉院の目録を、 資料豊富であろう奈良県のものとして 奈良県銘文集成 を、 地方との結び付きが濃く新しい資料である木簡として 平城宮木簡伊場遺跡出土文字集成 (概説) を、 文献資料の傾向を知るべく 寧楽遺文 を参照したとのことです。 >>426

[429] ただし 摂河泉金石文 は表に現れていません。表の 大日本金石史 に含まれていたのか、それとも欠落しているのか不明です。

[430] 正倉院伎楽面の研究 には天平勝宝の資料66点がありましたが、 すべて年干支がないため表から除外されました。 >>426

干支年の単記

[459] 元号のない時代には干支年のみを使うことがありました。 元号がある時代でも干支年のみを書くことがままありました。

十二支年のみ併記

[306] 十二支のみ書かれることがあります。

[340]金峯山久米鶯堂 正暦二年卯二月」銘鰐口があり >>402 p.一八󠄂五 (正暦二年の鰐口に就いて, 木崎愛吉)日本正暦2(991)年2月と解されています。 しかし平安時代のものとされる鰐口には偽物が多く、 現存最古は長保3(1001)年のものとされます >>402, >>339久保常晴は正暦2年鰐口が長保3年鰐口に類似することから、 なお吟味されるべきと書いていましたが >>402、 その後の銘文集では当代のものと首肯し得ないと自ら否定しました >>339

[344] 日本国栃木県上都賀郡鉢石町磐裂神社鰐口に 「治暦元年巳十一月一日」 とあり >>402 p.二〇二日本治暦元(1065)年11月1日と解されています。 星宮の古社なるを証せんと偽作した疑いが濃いとされます >>402 p.二〇二。 その真贋判定中、 「紀年法は何等疑問視さる可き点なく」 とされました >>402 p.二〇三

[347] 日本越後国南魚沼郡上田村天満宮鰐口に 「長保四」の下に「寅年」 とあるもの (日本長保4(1002)年) は、 紀年銘の形式から信が置けないとされました。 >>339 p.二〇九

[512] 「康正元年卯八󠄂日」 元二年 のように紛らわしい例もあります。 この「卯」は卯月 = 4月です。

十干のみ併記

[304] 十干のみの事例がわずかにあります。

干支の後に年数

干支元号年形式

年の字

[462] 年の字は、異体字や似た意味の違う字を含め、 いろいろあります。 年の字

[271] 「年」の字がないこともありました。 構文解析に注意が必要な場合もあります。

[527] 翻刻文では漢数字が連続しているように見えても、 実物ではスペース改行が入っていて区切りがはっきりしていることもあります。

年の字と年干支

[345] 日本戦国時代以前は干支が「年」の後にあるものが多くありました。 鎌倉時代末から室町時代初期にかけて「年」を欠くものがありました (例: 日本甲斐国南巨摩郡増穂村青柳昌福寺鰐口永徳二正月日」: 日本永徳2(1382)年1月)。 干支が年数と「年」の間にあるものは古くから間々ありましたが、 戦国時代以後に専ら行われました (例: 日本土佐国高岡郡窪川村高岡神社鰐口嘉暦三戊辰年」: 日本嘉暦3(1328)年日本国愛知県名古屋市西区中村町妙行寺鰐口大永五乙酉歳」: 日本大永5(1525)年)。 >>402 pp.二〇二-二〇三


[533] 「年」と干支の順序が中世近世で逆転するという大原則は、 例外もなきにしもありませんが、紀年銘の真贋鑑定に大いに役立つチェックポイントとして活用されています。

[346] 偽作の疑いが濃いとされる日本国東京都荒川区本行寺卅番神堂鰐口文明十一己亥年七月吉日」 (日本文明11(1479)年7月) は 「用法上の相違より一応疑問視さるる」 のです。 >>402 pp.二〇二-二〇三

[369] 日本国埼玉県御堂浄蓮寺板碑 「文明十三年四月 日>>364 pp.二七五-二七六 1

埼玉史談 第二巻第五号雑報は干支の下に「年」 を書いていますが、 実物にはありません。 あるとしたら「江戸時代の記載 形式となり後世の追刻となってしまう」 とされます。 >>364 p.三〇〇 (4)

[537] 日本国愛媛県伊予郡長浜住吉神社水盤 「永八󠄂年辛巳拾一月念二日>>536 p.六六 (24) (愛媛県金石史, 正岡健夫) は、 「永」の上が「寛」か「応」、 干支2文字目が「巳」か「未」で、 素直に見ると「寛」で文体は「応」だとされます >>536 p.七五 (愛媛県金石史, 正岡健夫)干支の位置から「応」とし後考を待つとされました >>536 p.七五

[538] 日本国京都府宮津市大垣籠神社水盤 「永享五年八󠄂月 日>>536 p.六六 (27) (籠神社と古異物, 川勝政太郎)干支の位置が当時の用法でなく疑問が残るとされました >>536 p.七六

山城國井堤郷舊地全圖

本図の年紀は「康治二(癸亥)年」、「嘉暦元(丙寅)」年」とある。 この年紀の形式は「年号-数字-干支-年」であり、これは中世ではなく近世の形式である。椿井文書の特徴の一つである。

興福寺官務牒疏

年紀の形式から見ると、「官務牒疏」は嘉吉元年次辛酉(1441)と奥書にあるが、本文中には近世の形式である「年号-数字-干支-年」が多く見られ、到底中世の成立ということは出来ない。 例えば、「官務牒疏」の普賢寺の記述は以下の通りである。 「(普賢寺補略録曰)天平16甲申年勅願、良弁僧正再造開基、号息長山、・・・、亦々永享9丁巳年・・悉炎上、同10年戊午再建、・・・・ 最初に眼につくのは、「略録」からの引用と云う体裁をとるにもかかわらず、年紀の記載形式がバラバラである。到底中世のものとは思えない。

  • [556] 日本国京都府井出町高神社所蔵添状 「寛平七 ((八󠄂九五)) 乙卯年九月>>555 p.318 (山城綴喜郡誌 一七六頁, 注釈は >>555 にあるまま, ルビは均等配置)
    • [557]日付の干支の位置から近世に作成された偽文 書と判断される。 ((31)) >>555 p.318 椿井文書
    • [558]中世ならば「七年乙卯」となるはずで、「七乙卯年」の如き表記は、中世末期には じまり近世になって一般的となる。>>555 p.351 (31)

月部
  1. ?
  2. ?
  3. |
    1. =
      1. 月番号
    2. 正月
    3. =
      1. 月名
      2. ?
        1. ?
    4. =
      1. 十二支

季節

  1. |

閏月

  1. |

[37] 南山御出次第, http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0020-54627&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E5%8D%97%E5%B1%B1%E5%BE%A1%E5%87%BA%E6%AC%A1%E7%AC%AC%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&BID=null&IMG_NO=5

潤十月一日

明徳三年壬十月二日

潤、壬とも

[42] 大門寺一切經

37、説一切有部順正理論卷第七十五 「弘安四年壬七月三日」 >>44 p.82

42、阿毗達磨藏顯宋論卷第三 「弘安四年壬七月日」 >>44 p.83

月番号

[249] 月番号
  1. |
    1. 省略月番号
    2. =
      1. 1
      2. 0
    3. =
      1. 1
      2. 1
    4. =
      1. 1
      2. 2
    5. =
      1. 0
      2. 一桁正数
[250] 省略月番号
  1. |
    1. 一桁正数
    2. =
      1. ?
        1. 1
        2. 2

[221] 日部
  1. |
    1. =
      1. |
        1. =
          1. =
            1. ?
              1. 朔日干支
            2. |
              1. =
                1. ?
                  1. 日名
                2. 月日部
                3. ?
                  1. ?
                  2. 日干支の日
              2. 日干支の日
        2. 朔日干支
      2. ?
        1. 日暦注部
    2. 月日部日暦注部
    3. 吉日部
[291] 日名
  1. |
    1. 時正
    2. 于時彼岸入日
[261] 月日部
  1. |
    1. =
      1. ?
      2. 月日番号
    2. =
      1. ?
        1. 一桁+月日番号
    3. 旬日
  2. ?
    1. |

朔日干支

[406] 朔日干支
  1. 日干支

[614] 朔日干支は、 朔日 (第1日) の日干支を表すものです。 一般的には朔日干支日干支を組み合わせるか、 朔日干支日番号日干支を組み合わせます。 朔日干支があるとがなくてもを特定できます。 研究にはありがたい存在です。

[615] 表す朔日のときは、 朔日干支だけで表すことがあります。

[464] に分けて書くことがあります。 またを特定せずまでしか書かないこともあります。 の後に吉日が続くこともあります。

[227] 旬部
  1. 吉日部
[226]
  1. |
  2. |
[523] 旬日
  1. ?
  2. 一桁正数

日番号

[219] 月日番号
  1. |
    1. 省略日番号
    2. =
      1. 0
      2. 一桁正数
    3. =
      1. |
        1. 1
        2. 2
      2. 一桁数
    4. =
      1. 3
      2. |
        1. 0
        2. 1
    5. 十廿一桁数
[251] 省略日番号
  1. |
    1. 一桁正数
    2. =
      1. |
        1. 十廿
        2. =
          1. |
            1. 1
            2. 2
      2. ?
        1. ?
        2. 一桁正数
    3. =
      1. |
        1. =
          1. 3
      2. ?
        1. ?
        2. 1

日干支

[403] 日干支の日
  1. |
    1. =
      1. 日干支
      2. ?
        1. ?
    2. 日次干支
[235] 日干支
  1. |
    1. 干支
    2. 割干支

日の暦注

[224] 日暦注部
  1. |
    1. =
      1. (
      2. |
        1. =
          1. 曜日1
          2. ?
            1. |
              1. 曜日
              2. =
                1. ?
                2. 祝休
        2. =
          1. 祝休
          2. ?
            1. ?
            2. 曜日1
      3. )
    2. 曜日1曜日
    3. 曜日1曜日
    4. 曜日曜日1宿宿名
    5. =
      1. 時正
      2. ?
        1. 一桁正数
    6. 彼岸初日
    7. 彼岸終
    8. 十二直
    9. その他の情報
[228] 曜日1曜日
  1. =
    1. 曜日1
    2. 曜日
[229] 曜日曜日1
  1. =
    1. 曜日
    2. 曜日1
曜日
  1. |
    1. =
      1. |
        1. よう
      2. ?
    2. ようび
祝休
  1. |
    1. 休日
    2. 祝日
    3. 振休
    4. 振替休日
[230] 宿宿名
  1. 宿
  2. 宿名
  • [231] 海龍王寺愛染明王「永享十二年六月一日曜󠄃木宿鬼>>25

吉日

[225] 吉日部
  1. |
    1. 吉日
    2. 初吉
    3. 彼岸

[434] 「吉日」やそれと同趣旨の色々な語句が使われました。 吉日


[384] 時正彼岸を示したものもありました。

[383] 彼岸
  1. |
    1. 日時正
    2. 時正
    3. 時正日
    4. 彼岸
    5. 彼岸中日

[232] その他の情報:

[624] untitled - t156_272.pdf, , https://www.totetu.org/assets/media/paper/t156_272.pdf#page=9

昭和十三年四月二十九日天長節

年の日

[223] 年日部
  1. |
    1. =
      1. 時正
    2. =
      1. 時正
      2. 吉日
    3. 結制
    4. =
      1. 結制後
      2. 月日番号
    5. =
      1. 解制前
      2. 月日番号
    6. 年の吉日
  • [298] 小幡俣松平宮内少輔蔵雲版 (現所在不明) 「応永十五結制記之>>288 28 1408年
[360] 吉日
  1. =
    1. 今月
    2. |
      1. 吉日

省略形

[243] 省略年月日
  1. 元号名
  2. 省略年番号
  3. 省略月番号
  4. 省略日番号
[423] 省略年
  1. 元号名
  2. 省略年番号

数字

[20] 十廿
  1. |
    1. 廿
[30] 廿
  1. |
    1. 廿
[238] 一桁数
  1. 0
  2. 一桁正数
[218] 一桁正数
  1. |
    1. 1..9

[240] 前近代は専ら漢数字が使われましたが、近現代は算用数字も混用されます。

[241] 漢数字には大字異体字も多い。

[351] 4 は、 「二二」 や 「」 と表記されることもありました。 二二

[444] 表記が混在することもあります。

漢字40

干支

[207] 干支
  1. 十干
  2. ?
  3. 十二支
[236] 割干支
  1. |
    1. 十干の
[237] 十干の
  1. 十干
  2. ?

[208] 十干十二支は異名、仮名表記が使われることもある。

助詞

[210]
  1. |
  1. |

前後

[299] 紀年銘の前に于時のような 「とき」のような語句が付いていることがままあります。 紀年接頭辞

[26] 稲荷山古墳出土鉄剣 - Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E5%87%BA%E5%9C%9F%E9%89%84%E5%89%A3 (日本)

「辛亥年七月中記

[27] 鉄剣・鉄刀銘文 - Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E5%89%A3%E3%83%BB%E9%89%84%E5%88%80%E9%8A%98%E6%96%87#%E6%B1%9F%E7%94%B0%E8%88%B9%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E5%87%BA%E5%9C%9F%E3%81%AE%E9%8A%80%E9%8C%AF%E9%8A%98%E5%A4%A7%E5%88%80 (日本)

「治天下獲□□□鹵大王世奉事典曹人名无利弖八月中

[28] 鉄剣・鉄刀銘文 - Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E5%89%A3%E3%83%BB%E9%89%84%E5%88%80%E9%8A%98%E6%96%87#cite_note-7 (朝鮮半島)

葛項寺造塔記 「二塔天寳十七年戊戌中立在之」 西暦758年

[355] ★抜き刷り20号.indd - toyobunka_20_131_153.pdf, https://glim-re.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=4928&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=161#page=3

欠字

[342] 日時に限らず欠落、判読不能をなどで表すことがあります。 日時の場合、 数値部分が欠けていることも、 構文的部分が欠けていることもあり得ます。

[343] >>402 p.二〇〇

日光中禅寺宝物館所蔵の 鰐󠄂口には

文󠄃明□年七月

の墨書銘あり、

[348] 日本国京都府京都市東山区清水寺鰐口 >>339 p.二一二 6

嘉禎二年丙申 ||五|| 月 ||廿|| 八󠄂日

(嘉禎2(1236)年)

[349] この本は判読不能で表していますが、 ここでは普通サイズの文字の4辺に線を配置しています。 各辺はつながっていません。 判読不能文字の推定を内に書き入れる記法を再現しようとしたものなのでしょうか。

記入欄

[327] 女工契約書49点一括 山梨県製糸工場主・井上長十郎 大正期 : 古書 古群洞 kogundou@jcom.zaq.ne.jp, kogundou, https://kogundou.exblog.jp/240710555/

大正 年 月 日」 と印字された契約書。

[457] サマンサ ラジオさんはTwitterを使っています 「大正、昭和時代の種痘は2回行われ、これは2回分の種痘済証です。 https://t.co/ntt3xZQE3O」 / Twitter (午後4:39 · 2021年2月7日 , ) https://twitter.com/samansacat/status/1358319579320078339

注釈付き

改竄痕

[368] 日本国埼玉県御堂浄蓮寺文化元年板碑 「文化(保)元年 十二月 日>>364 pp.二九二-二九三 17

室町時代以前の造立とみられるものの、 「化」 に「 かに保を改竄せる鑿の痕迹」 があり、 改竄は普通古く遡らせるところ新しくしているのが珍しく、 墓碑か塔婆の代用にしたものと推測されます。 北武蔵名跡志, 明治二〇年が文明一三の碑ありとするのは、 これの誤認とみられます。 >>364 pp.二九二-二九三 17, p.三〇二 (26) (青石塔婆の偽物に就いて, 稲村坦元)

[522] 日本国東京都品川区荏原7丁目摩耶寺板碑 「應安元年夘月八日」, 「應安二二年八月⿸廾丶」 の2基は、 「應安」 を 「應和」 に改竄したものでした。 なおこれらは他所から移管されたものとされています。 >>519 pp.三五一-三五二 (拓本あり) ,

[530] 日本国東京都台東区池ノ端二丁目宗賢寺題目板碑のものがありました >>529 p.二二 (東京日日新聞 大正十五年三月十二日, 池田文痴庵) が、 を改竄したものでした。 >>529 p.二二

[553] 清保

	

特殊例

[458] 聖暦

[450] 永戌

[451] 「六四、嘉永戌二酉年十月、酉年貢可納割付之事」 >>449 (, , )

[473] 遡及年号偽造文書事件

[509]年月日」 天命

[258] このような例は多くないものの、中世の石造物にも見られることがあります。 >>513 p.13

[378] 伝浙江会稽道紹興古墓出土重列神獣鏡 太歳在

[514] 道後温泉碑

[379] 晋太元十九年歳次甲午銅像銘 歳次

[585] 中原皇清国

[586] 古史古伝の日時

[590] 04郷土の文化財(第6版) #2860C9 - P55-82.pdf, , https://www.city.kurume.fukuoka.jp/1080kankou/2015bunkazai/3010bunkazai/files/P55-82.pdf#page=8

裏面に「 (げん) (ろく) 八年(1695)次乙亥十一月日建焉」の 文字が刻み込まれています。

[591] 後漢書/卷103 - 维基文库,自由的图书馆, , https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8/%E5%8D%B7103#:~:text=安帝元初四年

安帝元初四年秋,郡國十淫雨傷稼。

安帝元(年)〔初〕四年秋郡國十淫雨傷稼 校補謂「元年」乃「元初」之訛,各本皆失正。蓋訛沿上和帝永元十年、十三年、十四年、十五年迭舉之例,不覺其訛。然自孝武建元以下,史無書元不著年號者。況安帝屢改元,不書年號,何以辨之?且據本書安紀,亦惟元初四年秋七月京師及郡國十雨水,而由元初元年秋上溯永初元年秋,皆無此異,是其為訛亦顯而易見也。今據改。

[593] https://ir.lib.shimane-u.ac.jp/files/public/0/1025/20170425011922581971/b002002600k016.pdf PDF 15頁

[627] 張今:出土六朝磚銘文字校訂十五則, 先秦秦漢史, 2022-07-13 19:00, , https://mp.weixin.qq.com/s/fbRyDAKiUaleE1FovJ3TTg

[628] >>627

太和五八月四日作」 (楷書?)

「年」の脱落と推定されている。

[629] >>627

永安四年太歲在辛巳乙卯之朔十一月十二日乙卯

“永安”為吳景帝孫休年號(258-264),四年(261)歲次丁巳,十一月朔日當為甲辰,但當年十月為小月,也許是刻製地券的工匠疏於考慮,遂將十一月朔日天干延後一天至“乙”,但地支“卯”又較朔日甲辰提前了一天,可知這名工匠對天干和地支的計算是分離的。此外,“乙卯之朔十一月”這一紀月方式也僅見此例。

[636] 自祭文:陶淵明自らを祭る, , https://tao.hix05.com/502jisaibun.html

歳惟丁卯 律中無射 歳は惟れ丁卯 律は無射に中る

年はあたかも丁卯、季節は中秋の九月、天は寒く夜は長く、風の気配は物寂しい。鴻雁は遠く旅立ち、草木は枯れ落ちた。(丁卯の年は陶淵明63歳にあたる、無射は音階12律の11番目、季節としては9月にあたる)

書字方向

[385] 文章中に登場する日時表示は、 通常の文章書字方向に従います。 漢字文化圏では伝統的に右上縦書きが主として使われてきました。 近代以後左横書きが増加し、 現代中華人民共和国では左横書きが原則に、 日本中華民国でも主流になっています。 書字方向右上縦書き左横書き

[386] 文末や金石文タイムスタンプとして使われる日時表示も、 基本は文章中と同じように配置されますが、 媒体の形状やデザイン上の都合 (対称性など) から、 やや特殊な配置が取られる場合があります。 現代ではポスターパンフレットなどの日時表示にも、 数値の強調やデザイン性の追求などのため、 特別な配置がなされる場合があります。 近現代の事例は横中縦昭和時代の日時も参照。

[387] 金石文古文書翻刻やデジタル化データでは、 書字方向文字の配置の完全な再現は困難です。 現物をどの程度忠実に再現するかは、 翻刻者の解釈や掲載媒体の特性によって様々です。 例えば現物が縦書きでも横書きで記述されていることがあります。 翻刻の方針は必ずしも明記されていないので、 必要に応じて現物や写真を確認しないといけません。 引用が繰り返された結果、 異なる方針の翻刻が混在していることがあります。 その過程で現物が失われて確認が不可能となってしまっていることすらあります。


[389] 碑文などでそこまでスペースがないとき、 日付月日に分けて別のに書くことが、 ままあります。 いくつかの類型があります。

[400] 1つ目、2つ目の形は普通の右上縦書きといえます。

[419] 稀に、左行に元号名、右行に年数を書くような配置もありました。 >>417

[414] このような書き方の違いは、他の特徴と合わせて板碑編年に使われることがあります。 >>415 p.一一八󠄂

[416] こうした日付を分断した表記法は、 割書と呼ばれることがありました >>415。 ただし割書などにもみられる小書き割注の意味でも使われるので要注意です。

[418] 翻刻では、スペースの都合で改行を記号「」に置き換えて示していることもあります >>417。 (こうした表記法は日時表示に限らず使われることがあります。)


[393] 板碑などで日付を 「」 の字のように中央行、それを跨いで左右行と分けて書くことがよくありました。

[394] 普通の右上縦書きの文章とみなすと、 日付の構成要素が入れ替わっている不自然な形になってしまいます。 (翻刻文で改行を保持しなかったため、そうなってしまっている事例がないでもない。)

[395] 意味的には、中央文、右行、左行という順序でが並んでいると解釈するのがいいでしょうか。 すると単純な右上縦書きとは違った書字方向「と言ってしまってもいいのかもしれません。

[396]」のように、といっても現物は翻刻文のように隣接した3行として書かれているとは限らず、 利用可能なスペースの中央と右端、左端にかなりスペースをとっている場合もありますし、 中央と左右で文字の大きさに違いが有る場合もありますが、 そうでない場合もあります。 つまり翻刻文と実物で印象がかなり違ってくることがあるので要注意です。

[398] こうした書法は何も日付に限ったものではなく、「敬白」 を右に「敬」、左に「白」と分割して書いたりもしていました。

[640] 翻刻の再現程度は担当者が十分と判断した程度なので、 書き方を問題にするときは拓本 (や実物) で確認したいものです (がなかなか難しい)。

[641] 銘文翻刻の再現度が低い例は >>637 #page=12 もそう。「」の左側が剥落した跡 (月日が書かれていた?) が翻刻されず省略されている上に、中央と更に左側が1ブロックのようになっていて、 右側が右下ではなく下段にあって、 拓本がなければまったく違う構造に見えてしまいます。 これで翻刻銘文だけが他書に引用されると、 そこに日時表示があったということ (そして左隣の「末法万年」が日付表示の一部を構成しているわけではないということ) を検出するのが難しくなる。

[388] 干支などは割書されることがよくあります。 その翻刻の再現の程度にもいろいろあります (>>323)。 原文が割書でも、普通の文字列で表現されていることがあります。

[350] 日本国岐阜県郡上郡相生村比新社鰐口 >>339 p.二一五 14 (正嘉元年銘ある懸仏について, 伊東富太郎; 美濃国那比新宮の懸仏郡について, 塩田敏郎)

文󠄃永五年三月十三

(日本文永5(1268)年3月13日)

[357] 日本国京都杉浦丘園所蔵鰐口于時延󠄁宝六戊午歳  二月吉日  >>339 p.二一八 27 (雲泉荘山誌, 杉浦丘園)

(日本延宝6(1303)年2月)

[361] 多古町中村唐竹妙光寺板碑Iの翻刻 >>362 p.二三一応安五年大才壬子二月十九日

「大才」の右半分が「応安五年」の左半分と同じ垂直位置。 「二月」が「応安五年」と同じ垂直位置。

[365] 日本国埼玉県御堂浄蓮寺大永八年板碑 「大永大歳八年戊子七月 日>>364 p.二七八 2

[367] 日本国埼玉県御堂浄蓮寺板碑 「文󠄃禄四四月八>>364 pp.二八九-二九〇 14

[60] 百貨店の広告, , http://tokyowanyosai.com/soft/shakai/pr-hyakka.html

昭和17年3月 「330日―46日

[332] グランフォンドKOMORO 長野県小諸市さんはTwitterを使っています 「12月18日12:00~13:00開催の東京オリンピックのシンポジウムにて6月28日に行われた、オンラインサイクリングイベント、GRANFOND KOMORO feat. LongRiderStories! Enjoy Rideについて事例発表いたします! お時間ある方はこちらからご視聴ください! https://t.co/RMg6ii7ClQ https://t.co/0oOs04rWoo」 / Twitter, 午後0:42 · 2020年12月17日 , https://twitter.com/gfkomoro/status/1339415633469919232

ポスター的な画像 「令和2年12月18日 (金) 12:00〜13:00

[359] 日本国東京都八丈島中ノ郷中里大御堂鰐口徳治二年 未 三月二日>>339 p.二一八 30 (八丈島の史蹟, 稲村坦元)

(日本徳治2(1307)年3月2日)

[363] 多古町島正覚寺板碑I 「応永十三年戌一月日>>362 p.二三六

石碑 「萬延二𮠕載

固定値

[51] 固定の日時

文脈

[467] 日下

[474] 中世の古文書(小島道裕)さんはTwitterを使っています 「北条氏にしても、動物の絵を印の上に付けるのは、東アジア諸外国には例を見ないし、押印位置も日付上ではあるが安定しない。「東アジア標準」の印と押印位置をきちんと取り入れたのは、実は明治政府です。下の例も、天皇印ではないので、年号の一字目を避けて押しています。 https://t.co/66HcQ7UhaH」 / Twitter, 午後8:44 · 2021年3月15日 , https://twitter.com/kojima_sakura/status/1371427123248783365

研究史

石田茂作

[61] 造像銘記は、 日本に現存していた仏像銘文を集成したものとして、 大正十五年九月一日に発行されました >>62

[63] 考古学研究者の石田茂作は、 造像銘記 掲載の紀年銘を中心に分類整理し、 考古学会の会長で 造像銘記 編纂に尽力した三宅米吉 (-) の追弔論文として昭和5(1930)年紀年銘の記載形式に就いて として発表しました >>25

[65] 紀年銘の形式に時代差があることは既に知られてはいましたが >>25、 統計的に考察しその全体像を掴もうとしたことに大きな意義があります。 それも 造像銘記 というデータベースが整備されてこその成果と言えます。

[531] 著者自身が、 「思いつきで、手近󠄁の材料のみ」 によってまとめたに過ぎず、 「諸賢の御敎示によって、後日の完成を期し度い」 とした >>25 ように、 元のデータベースの限界が自ずとこの研究の限界でもあります。 残念なことに、 100年近くが経過しても未だこれを超えるものはなく、 貴重な研究成果として参照され続けています。 (部分的に補足する研究はいくつかあるのですが。)

[532] 金石文も文献資料も当時より圧倒的な数が発見されていてデジタル化も少しずつ進んでいるので、 改めてこの分野の研究に取り組んでくれる人が現れてほしいものです。


[64] 年次󠄄の記載形式は、次のように分類していました。 >>25

[89] 分類の粒度が一定でないのが気になります。用例の多寡によるものでしょうが。 「大した問題にならぬらしい」とは何に照らした判断なのでしょうか。

[90] の字として、次のものを挙げていました。 >>25

  • [91]
  • [92]」 「𠦚力→刀, 下の一トル」 「⿱禾亐」: 同一字。 「𠦚力→刀, 下の一トル」 が唐則天文字で最も正しい。
  • [97]」: 徳川時代に非常に多いが、 慶長以前は少ない。
  • [98]」: 鎌倉時代中期以後。 「第何天」 となるのが多い。
  • [99]」: 鎌倉時代中期以後。
  • [100]」: 正倉院御物銘識中にも相当多いが勝寶七年から寶字改元までに限る (c.f. 天平勝宝7年春正月甲子勅)。 しばらく用例がないが、 南北朝時代頃から用例が現れる。
  • [101]」: 興福寺南円堂銅燈銘「弘仁七載」が最古。
  • [102]

[103] 極稀に干支に異名を使うこと 十干十二支 、 時たま私年号を使うこと 元号一覧 もありました。 >>25

[104] 月次󠄄の記載形式は、次のものを挙げていました。 >>25

  • [105] 正月二月三月、...: 9割方この記載方。
  • [106]詩的名稱󠄁とも云うべき月の呼稱󠄁」 (青陽建辰月卯月など 月名 ): 時たま、 ことに金石銘によく見かける。 ほとんど全部が鎌倉時代以降で、 禅宗文学との関係を思わせる。 異名中でも「卯月」が非常に多く「四月」は稀。 「死」を忌避したものか。
  • [107]季節󠄄を以て月次󠄄の上に冠せ、或はこれを以て月名に代用させている場合」 (仲春など 月名 ): 時々ある。 大部分が鎌倉時代以降、 多くの場合月名に代用されている。
  • [108]今月當月等と主觀的の月次󠄄を記したの」: 室町時代の経筒銘に殊に多い。

[109] 季節の用例は、 「夏四月」、 「秋七月」、 「冬十月」 といった月名に併記したものと、 「春時正」 (春分) のようなものを挙げていました。

[110] 日次󠄄の記載形式は、次のものを挙げていました。 >>25

  • [111] 一、數字的に日次󠄄を表したもの: 三月二十六日九月三日など。 飛鳥時代から現在まで銘記中に最も多い。
  • [112] 二、數字的日次󠄄と干支とを兼󠄁ね合せたもの
    • [113] 1、丙午朔二十八日癸酉: 支那金石文に多いが日本には少ない。
    • [114] 2、十四日日次󠄄己丑: 観世音寺不空羂索観音像 「貞應元年歲次󠄄壬午八月十四日日次󠄄己丑」 が最古。
    • [115] 3、二十日癸酉日: 天寿国曼荼羅銘文はじめ古いものに却ってあって、新しいものに少ない。
    • [116] 4、十三日壬寅: 奈良時代以前からあり、 平安時代初期にも相当あるが、 次第に減少し室町時代以降にはほとんどみられない。
    • [117] 5、二日: 京都岩船寺阿弥陀像銘 「天慶旧年九月二日」 が最古。 藤原時代に殊に多く、 4 の干支縦書きが平安時代中期以降減少するのと反対。 鎌倉時代には多少あるが、 室町時代以降は稀。
    • [118] 6、二壬子日
  • [119] 三、唯干支のみで日次󠄄をあらわしたもの: 日本書紀續󠄁日本書紀。 銘記では足利学校蔵孔子像胎内墨書銘 「天文三年正月庚申之日初刻」 のみ。
  • [120] 四、日次󠄄を其の異名によって表したもの
    • [121] 1、朔日
    • [122] 2、望󠄄日
    • [123] 3、晦日
    • [124] 4、初日
    • [125] 5、初何日
    • [126] 6、生十八日: 月始めて現れてから後の第何日という古い書法といわれている。
    • [127] 7、結制後十一日 解制前󠄁一日: 安居を結ぶ、解くこと、 日本の禅家では4月15日に結び7月14日に解く。
    • [128] 8、彼岸
    • [129] 9、時正: 鎌倉時代以降室町時代のものに限る。 常陸中家般若寺鐘銘 「建治元年八月廿時正第二」 が最古。 時正彼岸中日時正第二は彼岸中日翌日。 「時正十六日」は時正すなわち16日の意。 「時正吉日」は時正すなわち吉日の意。
  • [130] 五、十日宛を一括する言葉によって日次󠄄をあらわすもの: 第10日まで、 第20日まで、 第30日までを表す。 澣と浣は沐浴を意味し、 古代支那で10日に1度沐浴した風習から転じたとみられる。
  • [134] 六、主觀的の文字に據って日次󠄄を表したもの
  • [143] 七、日次󠄄を指示する限定詞を略したもの: 「三月日」など。 記入漏れと見られないではないが、 余りに事例が多く、 字配りから察して、 最初からの意志と考えられる。 東大寺持国天銘 「治承三年十二月日」 が最古。 藤原時代はそれが唯一、 鎌倉時代に入って用例が急増 (53例)。 南北朝時代も多い (23例) が、 室町時代終わり頃から桃山時代にかけて吉日の増加と反比例して減少 (室町時代15例、戦国時代5例、桃山時代6例)。
  • [144] 八、記載日に關する說明的の字句を添えたもの: 全体から言えば多くない。
    • [145] 十二直の一を日次󠄄の下に加えることが稀にある。
    • [146] 七曜竝に二十八宿の一を日次󠄄の下に加えることもある。
    • [147] 其他記載の日が彼岸とか遷󠄉宮日とか、立柱日とかに當った事を日次󠄄の下に併記していることがある。

[151] 干支数字異字を用いている場合が相當にあるとして、 次のものを挙げていました。 >>25

[167] 紀年銘に語を冠させることがありました。 >>25

[173] 武蔵光明寺阿弥陀銘「永仁三八十五」 (永仁3年8月15日) のように年月日の字を省略することも、 往々にしてみられました。 鎌倉時代以後に限って見られ、 とくに室町時代に多くありました。 >>25

[174] 次のように紀年銘の全体を時代ごとにまとめて分析しました。 紀年銘の変遷をたどるだけでも日本の文化史、思想史の外観が察知され愉快だと述べていました。 >>25

  • [175] 飛鳥時代の典型は 「歲次󠄄丙寅年正月十八日癸卯日」 のような干支を主としたもの。 元号未制定や非秩序的な時代、 天皇即位元号よりも干支の方が最も正確を期せたからだろう。
  • [176] 奈良時代平安時代初期は元号制定が秩序正しくなったため、 干支なしの數字的記載だけで十分正確を保て、 しかも便利。 一方で 「天平五年歲次󠄄癸酉八月二十五日癸酉」 のような干支併記もある。 従来慣習にもよろうが、 物事を大事に考えて數字と干支を合せて後日の間違いに備える意味もあっただろう。 正倉院御物の衣装など一時的なものに數字的記載が多い。 金石文など永久性を要するものに干支併記が多い。
  • [177] 藤原時代干支なし數字的記載のみの 「大治五年五月三 」 型が相當あらわれてくる。 永久性を要する金石文さえ隨分出てくる。 「大治五年歲次󠄄庚戌三月三日」 「大治五年」 のような干支だけ細字割書する書式が現れ、 大いに行われている。 これらは干支の重要性の低下を意味するのではないか。 表面的には全国が統一され元号制定が秩序を保って行われ、 元号と数字に頼れるからでないか。
  • [179] 鎌倉時代前半は、 藤原時代を踏襲。他の文化現象と同様。 ただし歲次󠄄何々のかわりに太歲何々と書いたり、 のかわりにを書いたりが一部の人に試みられている。 藤原時代末期からとの交流が盛んになったためだろう。
  • [180] 鎌倉時代末期は飛鳥時代以来の伝統に一大変革が起こり、 この時代で紀年銘記載形式は前後に大別される。 日本文化は美術も工芸も文学もこの時代で大きく二分されるように思われる。
    • この時期の大きな変化:
      • [181] 1弘安三年」 を 「弘安第三年」 のように、元号数字の間にを入れる形式が試みられた。
      • [182] 2文永五年」 を 「文永五年」 のように、干支割書を斜めに書く形式が起こった。
      • [183] 3 年次を干支のみで数次を書かない形式が現れた。
      • [184] 4 卯月林鐘夷則など月名の異名が好んで用いられた。
      • [185] 5 ()、 二二 ()、 ()、 𠦚力→刀, 下の一トル () などの異字が現れた。
      • [186] 6八月日」 のように日次を明記しない形式が現れた。
      • [187] 7永仁二三十五」 のように年月日の字を省略した形式が現れた。
      • [188] 8 于時などを上に冠する形式が現れた。
      • [189] 細かいことは他にもある。
    • 伝統にとらわれず新しいこと、変わったことが試みられている。 複雑化 (惡く云えば閑人の文字を弄ぶかに見えるもの) と単純化が同時代に雑居して渦を卷いている。そこに第三次󠄄のものが出來、そこに超越した世界が展開している。 鎌倉時代の新宗教、新芸術、新文学はみなこうした雰囲気に芽生え育まれたのだろう。
  • [190] 南北朝時代室町時代は大体において鎌倉時代の忠実なる伝承。 鎌倉時代の試みはすべてこの時代に引き継がれ、 更に小さな変化が試みられた。 それは記載上の便宜や意味上の正確のためではなく、 変化のための変化とみられるもの、悪く言えば文字の遊戯。 強いて難解なものを記して自ら高しとする物識りの戲れ。
    • [191] 茶湯芸術と同じ道程で、 不立文字といいながら文字を弄ぶ禅宗僧侶に負うところが多かったのではないか。
    • [192] 南北朝時代室町時代の頃から再び干支紀年銘と深い交渉をもって来たことが注意される。 たいてい数字的記載に干支が併記されている。 南北朝の対立、元号並立で元号と数字的年次のみでは不安を感じたためではないか。
  • [193] 戦国時代、 「天正十年」 を 「天正十年」 のように、 の下から上に干支が書かれるようになった。 干支と数字的年次が同格に重要視された思想の1つの表われだろう。 群雄割拠の時代で足利幕府元号に極度の不安を覚えたのも無理がない。 私年号が現れたのもこの時代。

[503] 昭和時代の論文には、石田茂作の本論文を引いて、例えば

金石文の紀年銘には、時代によってほぼ一定した記載形式が見られるので、 たとえばこの金 石文は、疑銘だと疑うことができるのである(注38)

... (「この金石文」は鬼室集斯墓碑, 注38は >>504) のように議論するものがありました。 >>2634銘文を記す金石遺品の時代相は、銘文の書風や彫法、紀年銘の記載形式などの時代相と一致する>>504 とされました。

[242] 日本国熊本県昭和時代郷土史家前川清一は、 熊本県金石文等の日付の形式を 郷土調査の手引き で一覧にしました。 >>513

関連

[582] 神代文字表記例 的野正八幡宮神代文字石塔

[381] 派生: 新港文書の日付表示

メモ

[23] 金石文拓本 : 「梵鐘」資料について, 角田芳昭, 関西大学博物館紀要, 1: 114-139, https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/16502/1/KU-0200-19950330-10.pdf (消滅確認 )

https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=920&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

[4] () https://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/59/1/kz16.pdf

[5] 御伝鈔 - WikiArc () http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%BE%A1%E4%BC%9D%E9%88%94#P--1061

[時に永仁第三の暦、応鐘中旬第二天、晡時に至りて草書の篇を終へをはりぬ。]

[暦応二歳己卯四月二十四日、ある本をもつてにはかにこれを書写したてまつる。

[康永二載癸未十一月二日筆を染めをはりぬ。]

[8] 蓮華王院宝蔵御本の奥書より >>7

巻三十九

長寛二年清涼八月

巻四十

長寛二年之秋

[9] 金沢文庫本群書治要奥書より >>7

巻卅四

文応之冬

巻卅五

文応之暦仲冬之律

巻卅六

文応元年孟冬之候

巻卅九

正元〻年仲冬之候

巻五十

文応改元之暦応鐘上旬之候

[19] 日本書紀の写本, 石上英一, 日本書紀の誕生―編纂と受容の歴史―,

p.44 兼石本日本書紀巻三十奥書

正応第六之暦仲春第九之日

p.47 水戸本日本書紀巻一奥書

時、嘉暦第三 ((一三二八)) 執徐 ((辰)) 之年季秋 ((九月)) 中旬 ((戌)) ((十五日))

嘉暦三年戊辰夏五 ((五月)) 十七日

[11] Template:和暦 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E5%92%8C%E6%9A%A6

[12] 通航一覧. 第5・6巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション () http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908952/399

慶長十四年龍集己酉孟秋二十五⿱艹𭁷

[13] 解説字体辞典:

[14] 普及版 p.10

[15] 普及版 p.11

[16] 普及版 p.146

享禄、元禄の諸用例

[18] 立正大学学術機関リポジトリ: 中世の紀年銘ある水盤 () http://repository.ris.ac.jp/dspace/handle/11266/3392

[21] 46.pdf, http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/46.pdf#page=7

一九五九年九月吉辰七日 (縦書き)

[22] 西暦仏暦

[24] 100年前「防疫先進国」に後藤新平が導いた日台の明暗 () https://ironna.jp/article/14760?p=2

大正癸丑夏

長野県松本市の松商学園高校で発見された後藤新平直筆の扁額

[29] manyo_151.pdf, http://manyoug.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/03/manyo_151.pdf#page=3

[31] 多武峰略記(神道体系本) (Niels Guelberg著, ) https://web.archive.org/web/20170404141013if_/http://www.f.waseda.jp/guelberg/ryakki/sht.htm

治承二年八月六日丁酉申時奉居常行堂、

日干支 + 十二支時刻十二支連続

[32] 多武峰略記(群書類聚本) (Niels Guelberg著, ) https://web.archive.org/web/20190504045554if_/http://www.f.waseda.jp/guelberg/ryakki/gshr.htm

靈廟在當寺。

碑曰。

入唐求法沙門定惠。

和銅七年六廿五。春秋七十。

端座遷化矣。

[33] 年中行事秘抄 : 近代, https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wa03/wa03_06277/index.html

wa03_06277_p0051.jpg (JPEG 画像, 2592x1728 px) - 表示倍率 (29%), https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wa03/wa03_06277/wa03_06277_p0051.jpg

[34] 東京国立博物館 - トーハクメールマガジン バックナンバー 第731号 (東京国立博物館 -トーハク-著, ) https://www.tnm.jp/modules/r_db/index.php?controller=dtl&t=mail_magazine&id=731

次に巻末の奥書にご注目ください。

長寿三年六月一日という日付が見えます。

長寿というのは中国・唐時代の元号で西暦694年にあたりますが、

「年」「月」「日」は、見慣れない文字を使っています。

これは則天文字というもので、唐の則天武后が定めた独自の文字。

[35] horitsuronso_26_5_58.pdf, https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/9206/1/horitsuronso_26_5_58.pdf;

[36] Rilas04_417-438_Kei-UMEDA.pdf, https://www.waseda.jp/flas/rilas/assets/uploads/2016/10/Rilas04_417-438_Kei-UMEDA.pdf#page=5

[38] 鬼室集斯墓

[39] 上代歴史地理新考 東山道・附風土記逸文註釋、井上通泰 () https://kiebine2007.amearare.com/rekisitiri2.htm

癸卯歳孟冬十一月

乙巳初夏十日

[40] 昭和時代の日時

[41] 壬春

[47] 22.仁和寺所蔵史料(御経蔵)の調査・撮影 syoho53-saiho () https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/53/saiho_53_022.html

(書写奥書)「于時天文元年沽洗(三月)日遂書功了、/卅二相等後加書 之者也、秘蔵之」*改元七月。

( 校合奥書)「右行状絵詞十二巻/加数校為私本者也、/被 (ママ) 蔵々々、/永 禄乙丑(八年:一五六五)八月廿一日/二品親王任助誌之」

[49] AN00181387_1959_19_27.pdf, https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/3532/1/AN00181387_1959_19_27.pdf#page=5

推古天皇二十年歳未ヽ

[48] AN00181387_1959_19_27.pdf, https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/3532/1/AN00181387_1959_19_27.pdf#page=8

延応元秊春比 ((亥))

[50] () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/247470/1/shirin_011_2_249.pdf#page=15

[52] 小説・ラノベのルール基本+記号作法12選まとめ!【校正チェックはこれだけ!】 | 作家の味方|だれでも無料で受けられる小説講座 (, ) https://sakka-no-mikata.jp/2019/03/30/character-setting-93/

例外.2:西暦2019年1月1日といった年号や日付の表記方法にも注意しておきましょう。

※縦書きでは「二〇一九年一月一日」と9マス使います。二千十九年は誤りなので気をつけましょう。

 

例外.3:(例外.2)とあわせて、平成21年は縦書きの原稿用紙では平成二十一年と書きます。

[53] jinbunkagakukiyo_40_399.pdf, , https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/9889/1/jinbunkagakukiyo_40_399.pdf

[54] jinbunkagakukiyo_44_(25).pdf, , https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/9936/1/jinbunkagakukiyo_44_%EF%BC%8825%EF%BC%89.pdf

[55] 西周金文における字体の多様化について, https://www.jstage.jst.go.jp/article/shogakushodoshi/2011/21/2011_27/_article/-char/ja/

[56] 090905.pdf, , https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2009_09/090905.pdf

[57] くぎり符號の使ひ方〔句讀法〕(案) は 「」の使い方で 「昭和二一・三・一八」 のような例を示していました。

[58] ○青梅市公文規程 (, ) https://www.city.ome.tokyo.jp/d1w_reiki/34990221000200000000/34990221000200000000/print.html

(2) 数字の桁の区切り方は、3位区切りとし、区切りには「,」(コンマ)を用

いる。ただし、年号等は、区切りを付けない。

(4) 日時、時刻および時間の書き方は、次の例による。この場合において、年の

表示には元号を用いるものとする。

ア 普通の場合

(例)日付 平成23年1月1日

時刻 10時20分

時間 9時間20分

イ 省略する場合

(例)平成23.1.1

[59] 「太」ったり、「大」きくなったり―九州・太宰府へ(2) - ことばマガジン:朝日新聞デジタル (The Asahi Shimbun Company, ) http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/photo/photo.html%3Fphoto=%252FS2007%252Fupload%252F2011091600013_9.jpg.html

昭和六十乙丑年

[148] x_hibari.jpg (312×397) (, ) http://www.asahi-net.or.jp/~qm4h-iim/x_hibari.jpg

[149] アニメイト和歌山さんはTwitterを使っています 「【✨フェア情報✨】 アニメイト和歌山では【「中島由貴」アーティストデビュー&1stアルバム「Chapter Ⅰ」発売記念キャンペーンinアニメイト】を開催いたしますワカ!! ①抽選会 ②等身大スタンディ展示 ③コメント動画の放映 3つの施策を開催しますワカ!! 🔽詳細はPOPをチェック!🔽 https://t.co/xXSkGYBknC」 / Twitter, 午後1:30 · 2020年10月23日 , https://twitter.com/animatewakayama/status/1319496410228666368/photo/1

パンフレット画像 「開催期間 20201222日(火)S型2021110日(日)

「2020年」「2021年」は小さなサイズで、に収まる横幅。

[150] 看板・プレートに見る昔の姫路 電柱番号札2 - まちなみのアクセント - お散歩 Photo Album () https://osampo2001.sakura.ne.jp/machi/denchu2.html

森富の東側にある「茶町跡」の碑。「辛酉七月」というのは昭和56年(1981)7月のことでしょう。

撮影:2011年1月 兵庫県姫路市古二階町

[268] >>267 pp.二四-二五

なお三河の西村白烏の『煙霞綺談』 (明和七年・一七七〇) にも

貞享三丙寅八月、三河国伊良湖崎の山間に初立と云所あり、農夫畑畦の堤より古き軒瓦を掘出す、径七寸ばか り、中に七曜の輪あり、中通りの三つ((東))((大))((寺))、右の方の二つ((大))((仏))、左の二つ((殿))((瓦))筆勢凡ならず古昔東大 寺草創の時、瓦を造りたる所と見えて、其畑近辺数多瓦の破れるあり、今も折々掘出す、中には神亀執二年二 月と彫付たる瓦工の割符と見えて、瓦の裏面に南の字、あるいは東の字など彫りたるも間々ありて四方へ執去、

とある。なお周りに「東大寺大仏殿廻󠄃廊」と中央に「:」の梵字を現わせる鎧瓦を図示している。

[269] 囲み文字は、本文文字よりやや小さな文字のまわりに、本文文字よりやや大きくなるように括弧状の弧を四方に配置したもの。斜めの四箇所に切れ目が有る。
[270] 梵字は、涅槃点 (のみ) のようにも見えるが汚れのようにも見え、 本来意図した文字が欠けたる誤植のようにも思われる。

[273] 古瓦の一覧表の年月日 >>267 pp.三八-四九 からいくつか抜粋。 (漢数字が原文ママではなく改行が保存されていないなど、 元の銘文と同文とは限らないことに注意)

[294] 雲版 (現亡) >>288 17 1391年

峕明徳二年南呂

下澣二候日

上野州群那󠄃波柴般山玉泉寺常住

(去永禄三年半角半角極月二十日)

(南甲越河時失却)

(今同十一年十月一)なし

(月叟󠄂尋的之置者也)

[295] book12.pdf, , https://www.kansai-u.ac.jp/Museum/naniwa/publication/book12.pdf#page=52

さんたのりよの日

PDF125頁

[324] 【READPIA】オリジナル朗読劇「顎門の如き、雲の峰」令和弐年師走公演直前 キャストインタビュー - YouTube () https://www.youtube.com/watch?v=MjCjfQJehDE

[330] 樹下清さんはTwitterを使っています 「鎌倉時代の永仁2年(1294)の銘を持つ板碑。 上部を欠いていますが、素朴な花瓶と個性的な文字がキラリと光ります。 埼玉県小川町。 #板碑 #石仏 #石分補給 https://t.co/wt2R7YO8fw」 / Twitter (, ) https://mobile.twitter.com/rokumeibunko1/status/1335183593295900672

[331] 満洲時局と前衛の警察官記念写真帖 大連・満洲警察官警備記念帖刊行会 昭和7年 : 古書 古群洞 kogundou@jcom.zaq.ne.jp (kogundou, ) https://kogundou.exblog.jp/240702578/

[334] 20170817105515 - 1531120406.pdf, , https://www.town.taketomi.lg.jp/sp/userfiles/files/autoupload/2018/07/1531120406.pdf#page=12

本文 「62425

[335] 明和の大津波 (, ) http://www.zephyr.justhpbs.jp/meiwa_tunami.html

1983年(昭和58)4月24日 明和大津波遭難者慰霊碑建立期成会

[336] 西表島の石碑・説明看板 (東部), , http://www.zephyr.justhpbs.jp/iriomote_hibun_east.html

碑文 「平成7年 ((1995年)) 11月吉日建立

西暦年も文字サイズは同程度

[337] 石垣島の石碑・説明看板(市街地-2), , http://www.zephyr.justhpbs.jp/ishigaki_hibun_cityarea-3.html

新八重山音頭

二千一年十月吉日建立

[341] >>288 p. 一八󠄂五

一は、丹後国与謝郡吉津村智恩寺のものにして、、銘次の如し。

至治二年壬戌(我元亨二和年西歴一三二二)十月十六日 海州 伏願皇帝万々歳(香取秀真氏『山陰めぐり』)

四は、慶尚北道発見の新羅時代末のものにして (アキなし朝鮮古蹟図譜アキなし七図版八󠄂六〇)。次の如し。

咸通陸歳乙酉(我が貞観七年西暦八󠄂六七)二月十二日 (香取秀真氏アキなし金鼓と鰐󠄂口アキなし)

[374] >>700 p.二四八󠄂

時を示すのに年号をもってするのは昔も今もなお変わらぬが、西暦・皇紀を用1画る場合がある。また人皇によ る場合もある。しかしかかる際にはこれをのみ単独に使用すること右1画く、年号と併用するのを普通とするのであ って、栃木県小俣鶏足寺の天正一二年在銘釈迦󠄃像に「仁王百八󠄂代」とあるのはその例である。この皇代と同様に 年号と同時に仏滅後の年次󠄂を使用する場合もある。

[376] KJ00005114250.pdf, http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/14011/KJ00005114250.pdf#page=5

翻刻文。「年」と干支年割書の間で改行

[437] CiNii 図書 - 岩崎氏雜記 () https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB29520772

『新陰流極傳』: 奥書に「紀元二千五百三十七年明治十年一月冩之 第二大区八小区北五番丁弐百三拾九番地 伊波佐喜」とあり

[480] 『全唐詩逸』をめぐる長崎の日清文化交流―文化元年の市河三亥を中心に―, 杉仁 https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1368&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

論文本文「文化元一八󠄂〇四年、

[506] 拾萬字鏡さんはTwitterを使っています 「「キシ乙」という不思議な3文字を書いた呪符。文字および故事は1198年頃に成立した南宋の『夷堅志・異僧符』に由来する。日本では1680年代前後からまじないの文字として資料に現れる。天然痘やコレラなどの疫病が流行すると家や集落の門戸にこの3文字を貼って祈ったという。 #コロナ疫退散 https://t.co/k8QWsYmSGr」 / Twitter (午後0:09 · 2021年4月13日 , ) https://twitter.com/JUMANJIKYO/status/1381806779894362118/photo/1

[510] https://hirosaki.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1821&file_id=20&file_no=1#page=19

[300] 朱里 【syuri 】さんはTwitterを使っています 「明日🌸 スターダムのみんなの気持ちを胸に 小波 なつぽい 朱里 参戦します⭐️ よろしくお願いいたします🙇‍♀️🌸 #木村花またね #stardom https://t.co/lZNRF1oHVq」 / Twitter (午後8:30 · 2021年5月22日 , ) https://twitter.com/syuri_wv3s/status/1396065831159668740/photo/1

[305] 平成10年問題 ‐ 通信用語の基礎知識, https://www.wdic.org/w/TECH/%E5%B9%B3%E6%88%9010%E5%B9%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C

日本語版Windows 95にはファイルの作成日付などを和歴(元号)で表示するオプションがあり、これを有効にすると、例えば「1995年」のかわりに「平成 7年」と表示させることができる。

しかしながら、「1998年」は「平成10年」ではなく「平成 0年」と表示されてしまう。

表示形式を、出荷時の「yy/MM/dd」から「gg yy/MM/dd」に変更すると、「平成10年」と表示させることが可能となるが、その場合には一桁の年の表示が「平成07年」といった、違和感のあるものになる。

[354] どなたか「第八龍集」の意味を教えてください。陰暦八月の古表記であろう... - Yahoo!知恵袋, Yahoo! JAPAN, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1448920294

[366] 御伽比丘尼卷五 ㊃行暮て此辻堂をやど付菊水の叟: Blog鬼火~日々の迷走, https://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2020/12/post-d9dcd3.html

[541] 日本国東京都日野市坂西第一号墓 (横穴墓) には、 (判読困難な部分もあるものの、) 「永仁二年三月十二」 (左文字), 「永仁□年」, 「」, 「」 とロームの壁に掘られていました。 >>540 p.一一五

[542] この墓を調査した久保常晴は、 書いた人の階層と地域が近いと考えられ、 比較的まとまった写真資料が入手可能だった東京都大田区および埼玉県西北部の板碑文字を調査しました。 「仁」の字は変化が少なく、 「永」の字は変化に富むことから、 「永」の字形を13種に分類し、 年代を8期に分けました。 >>540 p.一一五

[543] この編年などから「永仁」は永仁時代に書かれたものとみて構わなそうと判断されました。 また「午」はの意かとされました。 >>540 pp.一一五-一一六

[554] 筆跡を様々に変えて偽文書を作成していたが、 頻用される「年」の字形から同一人物によるものと推定された事例 >>552 p.242

[552] みなと商事コインランドリーさんはTwitterを使っています 「\みなと商事ドラマCD化!!/告知解禁 【2021年7月15日(木)発売の】月刊コミックジーン8月号にて大人気ゆるきゅんBL「#みなと商事コインランドリー」の豪華ドラマCDが付いてくる!! 湊晃 CV.山下誠一郎さん 香月慎太郎 CV.島﨑信長さん コミックス②巻特典も続々!おたのしみに♪ https://t.co/cpNjkm8SDu」 / Twitter, 午前1:03 · 2021年6月15日 , https://twitter.com/minato_syouji/status/1404469667897307136/photo/2

宣伝画像 「20217/火⃝27

年部分の上下が行の上下と同じ高さ。

[563] 安田の髙松家_チラシ_了 - takamatuke.pdf, , https://yasuda-nagomi.com/pdf/takamatuke.pdf

[564] みんなのドゲンジャーズRadio【公式】さんはTwitterを使っています 「【おしらせ】 7/10(土)の「#みんなのドゲンジャーズRadio」公開収録の詳細が決まりました!! 東京・渋谷パルコのGG Shibuyaにて、 ①11:00~12:00 ②13:00~14:00 ③15:00~16:00 豪華なゲストに加え、盛り沢山な内容でお届けいたします!!! チケット受付はこちら⏬ https://t.co/Ho3dm7xzFo https://t.co/Nb4ATWgCYh」 / Twitter, 午後0:00 · 2021年6月26日 , https://twitter.com/henshin_agqr/status/1408621034547286021/photo/1

[566] 日本江戸時代盛岡藩家老の執務日誌雑書は、 「五ノ十日」や「五ノ十」のように月日を記述していました。 朔日以外は月名を記載しない巻もありました。 閏月は「閏正ノ三日」 のように書いていました。でなくと書いた巻もありました。 >>585

[567] 第4章 松前藩の成立, , http://www2.town.yakumo.hokkaido.jp/history_k/k04/index.html#:~:text=%E4%B8%89%E6%9E%9A%E7%9B%AE%E3%81%AE%E7%99%BD%E7%B5%B9%E3%81%AB%E3%81%AF

天明の二とせという年のなが月の十日あまり二日の日」 (変体仮名)

[570] 人名規範資料庫 () https://authority.dila.edu.tw/person/search.php?aid=A010707

卒年出處 Deathdate Reference:泰昌改元庚申仲冬二十七日辰時坐逝(〈南明禪師行狀〉)

[571] () https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/31/2/31_2_527/_pdf/-char/ja#page=2

これは「泰昌改元の歳、庚中にあり」というから、明の泰昌元年(}9一六二〇)に書かれたものである。

[572] 明 陳元素, https://www.christies.com/zh/lot/lot-6205689

[573] 大乘起信論直解 憨山大師解_刻起信論直解辭 () http://www.book853.com/show.aspx?id=1042&cid=88

[574] 寧極齋稿 (四庫全書本) - 维基文库,自由的图书馆 (, ) https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%AF%A7%E6%A5%B5%E9%BD%8B%E7%A8%BF_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)

[575] min0101a.html (, ) http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_a/html/min0101a.html

景泰6年(1455)11月上望吉旦

[576] min0180x.html (, ) http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_a/html/min0180x.html

年代 : 正徳6年(1511)4月上瀚之吉

[577] min0205x.html (, ) http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_a/html/min0205x.html

年代 : 正徳12年(1517)7月既望

[578] min0418x.html (, ) http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_a/html/min0418x.html

年代 : 萬暦45年(1617)正月初吉日

[579] min0453x.html (, ) http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_a/html/min0453x.html

年代 : 崇禎9年(1636)正月上元日

[580] 吴周 - 维基百科,自由的百科全书 (, ) https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B4%E5%91%A8#cite_note-3

[581] lit54_1-76.pdf, , https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/197453/1/lit54_1-76.pdf

[584] おじさんだけで遊びたい!公式さんはTwitterを使っています 「ベテラン声優たちによるイベント『おじさんだけで遊びたい!』開催決定🎉 🥸日程 2021年8月15日(日) 🥸場所 川口総合文化センター・リリアメインホール 🥸出演者 【両部】#置鮎龍太郎、#千葉一伸、#檜山修之、#緑川光 【夜の部のみ】#三木眞一郎 🥸チケット https://t.co/Eo8eRvIOFR お楽しみに! https://t.co/CB2rLQ8g72」 / Twitter (午後6:01 · 2021年7月7日 , ) https://twitter.com/ojisanproject/status/1412698165141151747/photo/1

[587] 日本古代碑の再検討 宇治橋断碑について 藤田友治, , http://furutasigaku.jp/jfuruta/simin10/sekihika.html

[588] 境田稔信さんはTwitterを使っています 「■『言海』大型本(※=新たな正誤表) 75版※(明40) ──2点のうち1点は奥付を後から付け直したもの。 76版※(大元) 77版※(大5) ──77版だけが総クロースで、背革装ではない。 https://t.co/MmuJKtkv2S」 / Twitter (, ) https://twitter.com/pX03dDIs4dQ1G3x/status/1388995877117693952

[589] このアーカイブについて | 宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧 -書誌書影・全文影像データベース- () https://db2.sido.keio.ac.jp/kanseki/T_bib_han.php

本デジタルアーカイブは、平成24至28年度科学研究補助金による基盤研究(A)「宮内庁書陵部収蔵漢籍の伝来に関する再検討—デジタルアーカイブの構築を目指して—」、令和2年至6年度同基盤研究(A)「江戸幕府紅葉山文庫の再構と発信―宮内庁書陵部収蔵漢籍のデジタル化に基づく古典学―」、及び平成24至25年東京大学東洋文化研究所東洋学研究情報センター共同研究「日本漢籍集散の文化史的研究—「図書寮文庫」を対象とする通時的蔵書研究の試み—」、平成26至27年同共同研究「日本所在漢籍に見える東アジア典籍流伝の歴史的研究—宮内庁書陵部蔵漢籍の伝来調査を中心として—」の成果の一部である。

[592] 漢書/卷026 - 维基文库,自由的图书馆 (, ) https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8/%E5%8D%B7026

四夫閏月庚午

[594] ¯Ñ²ñ¾Ç³ø-p1-4 - 耕莘學報第五期-06.pdf, http://ir.lib.ctcn.edu.tw/bitstream/987654321/355/2/%E8%80%95%E8%8E%98%E5%AD%B8%E5%A0%B1%E7%AC%AC%E4%BA%94%E6%9C%9F-06.pdf

[596] ナカムラブングテンさんはTwitterを使っています 「昭和31年に届いた年賀状の宛先が… https://t.co/94zGqttGPg」 / Twitter, , https://twitter.com/nakamurabung10/status/1477187719705284608/photo/1

[608] 文徳 (大理) - Wikipedia (, ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%BE%B3_(%E5%A4%A7%E7%90%86)

時天福丁酉二年也

[609] 文德 (大理) - 维基百科,自由的百科全书 (, ) https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%BE%B7_(%E5%A4%A7%E7%90%86)

時天福丁酉二年(937)也

[610] 明开 - 维基百科,自由的百科全书 (, ) https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E6%98%8E%E5%BC%80

《陇西氏比丘释戒明之碑》:“明开七年立冬十九日迁亡

[611] ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム () https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/2321315100/2321315100100010/mp00798400

元奥書「宝永改元甲申秋社日」。

[612] (, ) https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1964/pdf/19640203.pdf

貞享改元甲子夏日

[625] 西夏の日時表示

[613] 大义 - 维基百科,自由的百科全书 (, ) https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%89

《祷雨龙王文》开篇称“维大义二年岁次辛丑四月辛巳朔越三日癸未”

[616] 明史/卷191 - 维基文库,自由的图书馆 (, ) https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7191

明年,嘉靖改元正月,

[617] 明史/卷306 - 维基文库,自由的图书馆 (, ) https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7306

崇禎改元五月

[618] 明史/卷214 - 维基文库,自由的图书馆 (, ) https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7214

自嘉靖改元至十五年

[619] 大阪歴史博物館:常設展:展示更新情報:大阪月山派の展開 (, ) http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2011/tenjigae/120328.html

銘 大和住月山貞利謹作/平成寿五年三月吉祥日

平成15年 月山貞利作 当館蔵(月山貞利氏寄贈)

[621] 漢字ピンインを併記した西暦年月日の例: 上ルビ

[622] Tour Master -旅行メディア-さんはTwitterを使っています 「/ 日本アルプスを天空から眺められる✨ #ヘリコプター遊覧飛行🙆‍♂️ \ 皆さんGWはどう過ごされますか?☺️ 本記事では、GWにおすすめしたい長野県白馬村の広大な絶景を眺めるヘリコプター遊覧飛行をご紹介します✍️ ▼詳細はこちら https://t.co/dwT3BJH3Ei #ツアーマスター #白馬樅の木ホテル発 https://t.co/QPqfiMd5oR」 / Twitter, , https://twitter.com/Tours_Master/status/1509026687459024900/photo/1

デザイン的に付け加えたにしても蛇足感が強く謎な英語曜日ルビw

[623] Talk:頭版 - 維基百科,自由嘅百科全書, , https://zh-yue.wikipedia.org/wiki/Talk:%E9%A0%AD%E7%89%88

2022年4月23號 禮拜六 11:54 (UTC)

[454] pic_all.pdf, , https://www.kobe-sc.jp/image/history/pdf/pic_all.pdf#page=149

同じページで縦書きでは「4994」、 横書きでは「50.7.4」と . が書き分けられている。

[626] この時代の出版物では一般的な表記。

[630] 歴史編, http://sudati.iinaa.net/rekisi.html

御隠尊の日精上人が『随宜論』を著したのは、寛永10年あるいは11年の11月である(『随宜論』の巻末には「寛永十戌年」と記されている。しかし、戌年は正しくは寛永11年である)。(『地涌』第232号1991年8月20日)

[631] F7-A01-01.pdf, , https://iiif.lib.keio.ac.jp/FKZ/F7-A01-01/pdf/F7-A01-01.pdf#page=9

蒲節後2日