4 (整数、数字)

[1] 4 は、 3 より大きく 5 より小さな整数です。

[351] 4 は、 「二二」 や 「」 と表記されることもありました。

[7] 東洋の日時表示でよくみられます。

[8] 整数4 を表す例が多いですが、 桁の 4 を表す例もあります。

[48] 4 を 2 + 2 と解釈したものとも、 2 × 2 と解釈したものともみることができます。 後者の解釈では乗法紀年法の一種となります。


[2] 「亖」 という独立した漢字もあります。

[27] が、「二」を2つと翻刻する例が大多数のように思われます。 縦書きの場合、「」と「二二」の区別がつかない場合も多いです。

[25] 印刷文字フォントの「亖」は、たいてい「二」を2つ重ねたような、 上から順に短、長、短、長の横線で構成されています。

[29] GlyphWiki には、 「亖」の字形として短、長、短、長のものと、同じ長さの4本線のものがあります。 他に「亠二」 (横線の長さは上から長、短、長) もあります。 >>28


[30] GlyphWiki には 「亖」 に関係して 「二二」 で1文字の字形があります。 上が短く下が長いものと、上下同じ長さのものがあります。 >>28

[31] GlyphWiki にはその他に 「氺󠄁|なし」 や 「冫人」 のような字形があります。 >>28

[36] >>34 p.131 本文 (明朝体)

亀二年本運歩色葉集では漢数字「四」を意味する「氺󠄁|なし」の形 (元来これは「二」を横に連ねたものであろう) も見える。 このように点や横画を四つ記す形が運筆上「氺󠄁|なし」と書かれることに不思議はなく、

[37] この本での「氺󠄁|なし」の字形は左上と右下が明朝体の点 (止め) の形、 左下と右上が中央に向かって払う形。

[352] 石田茂作は、日本金石文紀年銘において 「二二」 は日本鎌倉時代後期から南北朝時代に多く、 「」 はそれと相反するように室町時代に多いとしました。 東洋の日時表示

[11] 日本国滋賀県蒲生郡日野町中之郷長寸神社棟札 文和4(1355)年9月2日

[10] () () に通じることを嫌って二二と表記するのだとされます。 >>9 p.128

[38] 関連記事: 日本古代の日時

[325] 大発見? 漢数字の四・肆を「亖」と書いた実例 - 日本中近世史史料講読で可をとろう, https://japanesehistorybasedonarchives.hatenablog.com/entry/2017/09/14/123501

[326] 漢字の「一」「二」「三」の次がいきなり「四」になるのはなぜなのか? - ねとらぼ, https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/14/news015.html

[338] 拾萬字鏡さんはTwitterを使っています 「室町期に(特に宝徳4年(1452)以降増える気がする)「四」が「==」と独特の異体字で書かれるのが妙に気になる。来年調べてみるか。」 / Twitter, 午前7:18 · 2020年12月24日 , https://twitter.com/JUMANJIKYO/status/1341870735791288320

[22] 2327.pdf, , https://www.city.chikushino.fukuoka.jp/uploaded/attachment/2327.pdf#page=2

[24] 2-3syou.pdf, , https://www.city.omura.nagasaki.jp/bunka/kyoiku/shishi/omurashishi/dai2kan/documents/2-3syou.pdf#page=2

本文中の翻刻だと 「于時延徳二二子壬三月十五日」 (明朝体)。 割書は本文と同じ文字サイズ。 左右中央揃え。 割書部分は PDF の文字データとしては左横書きになっている。

現物写真 (楷書体) で見ると「二二」は上下には最低限のスペースだけ取って、 左右は1文字分の幅しか使っていない。 「子壬」は2文字分の幅を使っている。 「二二」は左下の線が左下から右上に払う形、 その他の3つは水平に見える。

[39] >>637 この「」は左右ともはっきり「二」 (上が短く下が長い、平行)。

[42] 万葉仮名に「二二」で「し」と読ませるものがあります。 >>41, >>43

[44] 志木市史 民俗資料編 2 (石造遺物), 志木市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642260/1/48 (要登録)

板碑 3基 四年 4基、 死に通ずるからだが流行があった

[45] 歴史と地理 17(3), 星野書店, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3566918/1/41 (要登録)

斜め書き

[46] 秋田叢書 第10巻, 秋田叢書刊行会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1174145/1/157

写経の各巻奥付の日付一覧、「4年」の各表記入り混じっている

[47] 新編香川叢書 史料篇 2, 香川県教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9574679/1/457 (要登録)

[49] 信濃 [第3次] 61(12)(719);2009・12, 信濃史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11199604/1/22 (要登録)

宝徳二〻年

「シ」すなわち「死」に通じるとして忌み嫌われ たもの。

[51] >>50 は「寛正==」の「==」を右上がりにした字形を使っています。 全体は明朝体ですが、「==」だけ手書きのような字形になっています。 左右はに収まる巾です。 上下は通常の1文字分の高さを取っています。

日付以外

[52] 神奈川大学 学術機関リポジトリ, https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/records/14171 #page=70

メモ

[40] 漢数字~123と4について~, , http://www.shosha.kokugo.juen.ac.jp/oshiki/graphono/3to4/index.html

[23] サンハイツ白樺の里(群馬県嬬恋村・旧磯村建設別荘地) 序 : URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記- () https://urbansprawl.net/archives/29619371.html

この白樺の里は、それぞれ販売期によって、第1期、第2期、第3期、第5期の4期に分かれていてる。第4期がないのは縁起を担いだものと思われるが、そのゲン担ぎには、結果としてなんの効果もなかったことは、既に述べてきたように磯村建設自らが体を張って証明している。