佛敎考古學論攷

石田茂作

[3] 石田茂作は、 歴史研究者でした。

[4] 仏教考古学を確立しました >>1

[5] 久保常晴が師事しました。

日時制度

[24] 日時制度研究の業績として、 東洋の日時表示形式を分類検討した論文 紀年銘の記載形式に就いて がありました。

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佛敎考古學論攷

[6] 論文を集成した 佛敎考古學論攷 全5巻があります。

[13] 古書として比較的よく流通しているようで容易に入手可能です。 5冊セットで安価で売られていることもあります。

[14] 収録論文の原著作時期は大正時代から昭和時代後期にわたります。 そのため現代仮名遣いに改められ、 送り仮名が変更されています 第1巻 p.7漢字字体は新旧併用されている 第1巻 p.7 とありますが、実際はほぼ旧字体となっているようです。 皇紀西暦に改めた 第1巻 p.7 とあり、ちらほら西暦年がみられます。 すべて原表記が皇紀だったのかは不明です。

[17] 単位はほぼ全面的に尺貫法で、 注記すらもありません。図の縮尺表示に尺貫法メートル法が併記されている程度です。 (おそらく原出版時からそうだったのでしょう。) 扱っている分野的にメートル法より尺貫法で通す方が便利そうです。

[15] Webサイトの紹介は 仏教考古学論攷 とするところが多いですが、 背表紙、 題名ページ、 奥付、 外箱の表紙面・背表紙面のいずれも 佛敎考古學論攷 と表記されました。

[16] 佛敎考古學論攷 一 寺院編󠄁

昭和五十三年二月二十三日 印刷

昭和五十三年二月二十八日

[18] 佛敎考古學論攷 二 佛像編󠄁

昭和五十二年八月二十五日 印刷

昭和五十二年八月三十日

[19] 第2巻には読者カード葉書の他に、 ごあいさつ として著者死去と刊行継続の報が「思文閣出版」名で記した紙が挟み込まれていました。

[20] 佛敎考古學論攷 三 經典編󠄁

昭和五十二年四月二十五日 印刷

昭和五十二年四月三十日

[21] 佛敎考古學論攷 四 佛塔編󠄁

昭和五十二年六月二十五日 印刷

昭和五十二年六月三十日

[22] 佛敎考古學論攷 五 佛具󠄁編󠄁

昭和五十二年十月二十五日 印刷

昭和五十二年十月三十一日

[23] 佛敎考古學論攷 六 雜集編󠄁

昭和五十二年十二月二十四日 印刷

昭和五十二年十二月三十日

メモ

[1] 石田茂作 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E8%8C%82%E4%BD%9C

[25] risshonokoukogaku_compressed.pdf, , https://www.ris.ac.jp/museum/profile/lvhgqo0000004877-att/risshonokoukogaku_compressed.pdf#page=5