2014/4/8 15:16
感動の(?)デリニエータとの遭遇地点のすぐ先で、道は谷底の広い地平へと降り立った。
ここまで峠からは約400mの距離で、この間に標高も40mほど下って、海抜90m付近である。
道はここで左へカーブして沢沿いに進むようだが、後にしようとしている右側の地平には、明らかに休耕田と分かる野原が広がっていた。
陽当たりのよい部分にもほとんど草木が侵入していないので、放棄されてからあまり年数を経ていないかもしれない。
そこにはっきりとした道も見当たらないが、オフロードバイクのような轍が入り込んでいた。これは御津側に入ってから初めて見る轍だ。
また、休耕田の向かいには鬱蒼とした杉の植林地が広がっているが、その林床には、屋敷割のような段差が工作されていた。
地理院地図を見ると、この峠直下の水源地一帯は、東西にやや扁平な小盆地を形成している。
盆地内に人家らしいものはほとんど描かれていないが、北側の宮路山山麓を中心に妙に密な道路網が描かれているほか、寺と神社がある。
広い休耕田や、整地された植林地の存在と合わせて考えれば、ここにはかつて、それなりの規模を持った集落があったと見て間違いないだろう。
【馬頭観音の解説板】 に、「 この灰野坂は、江戸時代には 灰野村 と御油宿の往来が、はげしい道であった 」と書かれていたが、現在の地図をいくら眺めても「灰野」という地名は見つからない。代わりに、この一帯の広い範囲は「御津町金野」の大字を持っているようだが、地図から消えた「灰野」という名の村が、この地に栄えていたのかも知れない。
そんな想像は、石仏が佇む静かな峠路の姿とよく重なりあい、私の心を楽しませた。
もっとも、これは行き会ったりばったりに近い探索であり、県道の先を追いかけることに夢中の私は、敢えて集落跡と思われる一帯に踏み込むこともしなかったし、なんら確証を得ることもなかったのであるが、帰宅後に多少追加の調べをしたので、「灰野」という峠名ともなった地名の正体は、最後に説明したい。
小盆地を後に前進を再開すると、路肩と水路を隔てる石垣が現れた。
路上にもいくらか轍がついている。
水路の向かいは休耕田のように見えるが、取り囲むように獣よけのフェンスが設置されており、完全に放棄されているわけではなさそうだ。 アヤメとか植えてある?
この先