琉球暦

南西諸島の日時

[1] 現在の南西諸島では、 他の地域と同じ日本の暦中央標準時 +09:00 が使われています。

時刻の変遷の概略

日本の標準時

琉球暦と元号

[28] 平安時代頃までに、奄美群島吐噶喇列島日本の統治下に入りました。
[17] 琉球王国正史によると、 12世紀、 日本で失脚した源為朝琉球に渡り、 王家の祖となりました。
[29] 14世紀頃、奄美群島南部が沖縄本島北山王朝の統治下に入りました。
[18] 琉球中山王朝が朝貢しました。

[79] 琉球王国朝貢以来、中国 (支那の元号農暦) を使っていました。 >>22

[31] 北山王朝は滅亡し、中山王朝の統治下に入りました。
[19] 中山王朝が沖縄本島を統一しました。 これが琉球王国の成立とされています。 奄美群島南部の与論島沖永良部島琉球王国の統治下に入りました。 その後徳之島も統治下に入りました。
[32] 奄美大島琉球王国の統治下に入りました。

[21] 琉球人が福建造暦法を学び、 以後琉球国内でが作られるようになりました。 >>22

[33] 喜界島琉球王国の統治下に入り、 奄美群島全体が琉球王国領となりました。
[20] 琉球王国クーデターがあり、 第二尚氏の王朝が成立しました。
[23] 石垣島与那国島琉球王国の統治下に入りました。
[25] 日本薩摩藩琉球王国に進攻しました。 奄美諸島薩摩藩に編入されましたが、 形式的に琉球王国の管轄下にも置かれました。 その他の地域は琉球王国領土として存続しましたが、 琉球王国薩摩藩属国となりました。 ただし支那への朝貢も継続されました。

[432] 琉球最古の歴史書である中山世鑑 (成立) は、 源為朝の伝説を日本の元号を使って記述していますが、 全体的には南宋支那の元号を使っています。 最初の年号は「南宋淳煕十四年丁未」 (源為朝とされる舜天の即位) です。 中山世鑑中山世譜

[469] 実際には中国に初めて朝貢した頃より前は支那の元号が使われていたわけではないでしょうし、 歴史書の記述自体も史実かどうか疑わしいとされています。

[113] 琉球王国発給の辞令書の日付は、 かつては支那の元号の年月日として表記されていましたが、 頃から干支年も記載されるようになりました。 >>112

[437] 薩摩藩直接統治下の奄美諸島では、 日本の元号が使われていたようです。 (例えば >>468 参照)。 元号なしで十二支だけでを表記することもありました。

[53] 十二支年のみの表記は日本本土でも一般的に見られました。

[57] 出来事の呼称に元号が含まれる場合、 日本の元号が使われたり、 支那の元号が使われたりしていて、 同じ事象に複数の呼称がある場合もあります >>464, >>465, >>56。 以前は支那の元号が一般的だったのが、 沖縄県設置後に日本の元号の呼称に置き換わったという事例 >>690 もあります。


[234] からへの交代期には、琉球はしばらく南明政権と交流しています。 その時期はまだではなくを使っていたと思われます。 (1648年の両者の閏月の配置が異なっています。 閏月日付が入った記録があるかは不明。)

[503] 滅亡で中国主要部を占拠した後も、 しばらくは南明と交流があり、その元号を使っていたようです >>484, >>485, >>486, >>487。次のような例がみられ、 すっきり一度で切り替わったわけではなさそう >>112 です。


[14] 1682年から1879年/明治12年まで琉球王国で発行されていた琉球暦 (りゅうきゅうれき) と呼ばれています。 1718年以降は選日通書という題名で発行されています。 正式には時憲暦を用いることとなっていましたが、 その到着までの便宜用という名目で琉球暦を発行して用いていたようです。 内容は時憲暦と同じで、北京時刻により計算されていました。 >>22

[156] 李朝清国を採用しつつ、 実際には自国で計算していました。 李氏朝鮮の日時
[445] 古琉球の元号: 目からウロコの琉球・沖縄史 ( 版) http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2009/06/post-72ef.html

明朝の朝貢国だった琉球では、一貫して中国元号を使用していました。元号を受け入れることは、空間的に中国の国際体制に参加するだけでなく、時間的にもその傘下に入ることを意味していたのです。ちなみに琉球の「○○王統」や「○○王~年」という表現は、古琉球当時には一切ありません。

洪武 こうぶ (1368~1398)

建文 けんぶん (1399~1402)※

永楽 えいらく(1403~1424)

洪煕 こうき(1425)

宣徳 せんとく(1426~1435)

正統 せいとう(1436~1449)

景泰 けいたい(1450~1456)

天順 てんじゅん(1457~1464)

成化 せいか(1465~1487)

弘治 こうじ(1488~1505)

正徳 せいとく(1506~1521)

嘉靖 かせい(1522~1566)

隆慶 りゅうけい(1567~1572)

万暦 ばんれき(1573~1619)

※建文帝は永楽帝のクーデターにより皇位を奪われたので、その存在を抹消されていた。琉球側の記録では建文年号の使用は見られないが、当時の状況から言えば建文帝存命当時には使用されていた可能性が高い。

[444] 琉球新報新聞博物館 ( 版) http://page.freett.com/aienar/main/sinbunmuse.htm

来館した時、明治27年12月16日付と同年12月28日付の琉球新報のコピーがおいてありましたので、頂いて参りました。年号が明治の元号、西暦の他に、神武暦が書かれているのは時代的なものでしょうが、中国の清暦の記載まであるのは沖縄の地域的なものなのでしょう。

[443] 沖縄紀行:琉球八社を巡る -2日目- ( 版) http://hobbyland.sakura.ne.jp/Kacho/tabi_yukeba/2007/2007_0629_Okinawa_02/2007_0629_01.html

一方、スポンサーの懐具合についてはどうだろう。そのヒントは由緒書に隠されている。

天久宮の創建は "成化年間"とあるが、実は日本の元号に "成化" というのはなく、琉球にもない。これは中国の元号である。当時の王朝は明で、成化年間は1465~1487年に相当する。

一国が自国の歴史を刻むとき、自前の暦(こよみ)を使うか外国の暦を使うかで、国家間の力関係を読み解くことができる。この場合、もちろん琉球は明に柵封される立場であり、強い影響下にあったので暦も明暦を使っているのである。

[484] ( 版) http://www.okinawa.oiu.ac.jp/cd/dai-3/%93%DF%94e%8Es%8Ej/%97%F0%95%F3%93%C7%92%8D.txt

[二九七 中山王世子尚賢より隆武帝あて、登極を賀し、朝廷の恩を謝す奏文]

隆武二年三月初九日

琉球国中山王世子臣尚賢、謹んで上奏す

[485] ( 版) http://www.okinawa.oiu.ac.jp/cd/dai-3/%93%DF%94e%8Es%8Ej/%97%F0%95%F3%93%C7%92%8D.txt

[三〇二 中山王世子尚質より福建布政使司あて、未だ帰国しない進香および慶賀使節の安否を問う咨文]

右、福建等処承宣布政使司に咨す

隆武五年二月 日

※本項の記年の隆武五年は順治六年(一六四九)に相当するが、隆武 は二年までで、その年に清に亡ぼされている(なお鄭成功は「隆武 四年暦」を出している)。当時の琉球の情報は隆武帝の即位までで あり、隆武二年の金正春らの慶賀使派遣、同年冬の毛大用の帰国以 後、情報はとだえており、この間の金正春らの探訪船の派遣も福州 に達していない。まして、清軍による福州制圧の情報は未だもたら されていなかった可能性が強い。なお、本項への中国側(魯監国) からの返書は二九六項にあるので、項注ともに参照されたい。]

[486] ( 版) http://www.okinawa.oiu.ac.jp/cd/dai-3/%93%DF%94e%8Es%8Ej/%97%F0%95%F3%93%C7%92%8D.txt

[三〇四 中山王世子尚質より巡撫福建都察院捉あて、金思徳らの送還の際の尽力に感謝する咨文]

右、巡撫福建都察院捉に咨す

順治六年十一月十三日

[487] ( 版) http://www.okinawa.oiu.ac.jp/cd/dai-3/%93%DF%94e%8Es%8Ej/%97%F0%95%F3%93%C7%92%8D.txt

[二九一 中山王世子尚賢より中国あて、先帝毅宗への進香使の派遣についての符文]

弘光元年四月十五日給す

[488] ( 版) http://www.okinawa.oiu.ac.jp/cd/dai-3/%97%f0%91%e3%95%f3%88%c4%91%e6%88%ea%8fW%83e%83L%83X%83g/03.txt

一集 巻三

勅詔集

起順治四年

歴代宝案

至康熈三十四年

[624] () http://rekibun.jp/201212tyousa.html

[6] () https://web.archive.org/web/20170408100324/http://rekibun.jp/201212tyousa.html

『比嘉春潮全集』(第一巻 歴史篇Ⅰ)の後のグラビアに「のろの辞令書」として掲げてあり、本文に「のろ辞令書」についての説明が見つからない。「中国の三藩動乱と沖縄」(201頁)の琉球のスタンスを示すものとしてのものであろう。そのことについて、島袋源一郎は『補遺伝説 沖縄の歴史』(317頁)の「明・清の乱と琉球の態度」でこの辞令書を挙げている。「承応二年(1653)王尚質より今帰仁間切中城のろくもいに賜はりし辞令に、隆武八年と記されている。是れ即ち靖南王の称へた年号で清の福臨の順治十年に当たっているのから考えれば、あるいは順治を称へ、あるいは隆武を用い、その間日和見的態度にいたと推定することが出来る」とある。

伊波普猷は「その頃から進貢使は空道と称する琉球国王の印璽を押した白表を携帯していて、万一支那の革命の時は直ちに之に表文を認めることにしていたという。以て当時如何に事大主義なりしかを察知すべきである」と。

隆武年は動乱で1年しかないが、琉球では隆武八年(順治10年:1653)まで架空の年号を用いたことになる。中城のろ辞令書であるが、架空の年号を7年も使っていたわけである。動乱中の弘光元年(1645)の辞令書、それと隆武三年の辞令書があるが(辞令書等古文書調査報告書:沖縄県文化財調査報告書)、二点については動乱中、動乱間もない頃なので、当時の情報の流れからすると致し方ないのかもしれない。

[464] 「癒しの島」から「冷やしの島」へ:琉球王国の測量技術と遺産「印部石」 ( 版) http://earthcooler.ti-da.net/e2559845.html

1609年に琉球王国を侵攻した薩摩藩が「慶長検地」を行い石高を定めた後、首里王府は1735年から1750年にかけて自主的に検地を実施した。これを「乾隆(注1)大御支配」(けんりゅうのおおごしはい)といい、その際に用いられた図根点(基準点)を「印部石(シルビイシ)」という。

[465] 小禄 -OROKU- うるく ( 版) http://098oroku.net/haru.html

その後、1737~50年(乾隆2~15)に王府は印部土手を用いた独自の測量法で両先島を除く沖縄島と周辺離島を検地した(乾隆大御支配=元文検地)。

[56] 企画展「琉球王国の小さな遺産」 () http://www.city.ginowan.okinawa.jp/pageRedirect.php?url=/2556/2562/2563/2602/36742/37476.html

印部石とは、沖縄が琉球王国だった時代、1737年~1750年にかけて実施された「乾隆(けんりゅう)検地」(「元文検地」または「乾隆大御支配(けんりゅうおおごしはい)」ともいう)の際、測量の基準点として置いた石のことです。

[690] 八重山地震 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%87%8D%E5%B1%B1%E5%9C%B0%E9%9C%87

先島諸島(特に八重山列島)が大きな被害を受けた。そのため、元号を取って明和の大津波ともよばれる。

防災システム研究所の山村武彦は、従来、地元ではこの地震による津波は乾隆大津波又は八重山大津波と呼ばれていたようだとする。そして、前者の名称は、この地震の発生年が、当時、琉球王国が使用していた中国の元号[注 1]で乾隆(けんりゅう)36年にあたることに由来しており、牧野清が1968年に著した『八重山の明和大津波』[20]で日本の元号で呼んでから、明和の大津波と呼ばれるようになったとされると述べている[24]

[466] ( 版) http://www.shimatate.or.jp/20kouhou/simatatei/50/06-09.pdf

図の左端の上に「嘉慶元年(一七九六)丙辰九月九日」と製作年月日と思われる日付を見ることができる。瓜二つの『薩摩藩調製図』も、これと同時に王府内で調製されたものと考えられる。

嘉慶日本北朝元号でもあり、 清国元号でもありました。この場合は清国の方です。
[467] 奄美諸島のノロ(女性祭司)関係文書 ―16世紀から19世紀において ( 版) http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/26342/1/cdats-hub2-17.pdf

萬暦十五年十月四日

[13] 白雪姫と七人の小坊主達 チベットゼミ in 沖縄(前半) (白雪姫 著, 版) http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-602.html

今日は沖縄三山時代の北山の王城の地、今帰仁城(ナキジングスク)に行く。むろん、世界遺産であーる。

この城の上には乾隆14年の碑文があり、沖縄が薩摩の実効統治下にありつつも公式には中国元号を用いていたことがわかる。

首里城下の報時

[342] 琉球王国時代には、首里城日時計水時計に基づき太鼓で城内に時刻を知らせ、 更ににより城下にも報時していました。

[37] 日本本土の他の城下町でも同様でした。 時の鐘
[89] 沖縄美ら島財団 - 琉球王国御用達の時計 今では身近な時計ですが、昔は正確な時刻を知るというのは大変なことでした。... ( 版) https://www.facebook.com/okinawa.churashima/posts/423749107812650

かつての琉球王国では時間をどのように計っていたかというと・・・

水時計と日時計を組み合わせて用いていました。

水時計は、水槽に水を流し、水がたまる速度が一定であることを利用し、時刻を知るという方法です。

その水時計があった場所が、漏刻門(ろうこくもん)と呼ばれる場所でした。

「漏刻」とは中国語で「水時計」を意味しています。

日時計は、太陽の位置から時刻を知る方法です。

琉球王国では、「日影台(にちえいだい)」と呼ばれる日時計が用いられていました。

時刻版と呼ばれる石の円盤の上に棒を立て、その陰の位置から時刻を計っていました。

日時計は太陽の動きに対応しなければなりませんので、季節ごとに時刻版を変えていたようです。

[90] 時計番はエライのだ: 目からウロコの琉球・沖縄史 ( 版) http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2007/02/post_2cc4.html

この日時計が設置されたのは近世(江戸時代)の1744年のことです。日時計の導入を進めたのは、あの大政治家と呼ばれた蔡温です。実は、首里城の門の名前(漏刻門)からもわかるように、蔡温による日時計の設置以前にも、ここには時計(漏刻器。水時計)が設置されていました。古い記録から1463年(古琉球時代)にすでに存在していたことがわかりますが、この時計はあまり正確ではなかったようです。

蔡温は西原の幸地村(刻時嶺)であらかじめ日時計の実験をおこない、5年間の観測の後に首里城に導入します。この時計によって、琉球では正確な時間が計れるようになります。

[91] 首里城をゆく ( 版) http://www.lint.ne.jp/~uematsu/shuri.html

漏刻門(ろうこくもん)

「漏刻」は中国語で「水時計」の意味。門の楼内の水時計と奥の広場にある日時計とセットで時間を計った。時刻は太鼓で知らせたという。

[92] 首里城跡 ( 版) http://5.travel-way.net/~niemon/okinawa/nahasi/syurijo.html

漏刻門

「漏刻とは、中国語で水時計という意味です。この門の上の櫓の中に水で時間をはかる水槽(水時計)が設置されていました。門をすぎた広場には日時計があり、その二つで時刻をはかり、太鼓をたたいて時をしらせました。

[93] 沖縄旅日記8 ( 版) http://homepage2.nifty.com/aquarian/Okinawa/OkinawaJourney/OkwaJrny_8.htm

次に辿り着いた門が「漏刻門(ろうこくもん)」。櫓の中に、時刻を計る水時計があったことから、名付けられた。門の内側には、かつて、日時計があって、太鼓を打ち鳴らして時刻を知らせたという。

[94] JOBBB 168 沖縄ボラボラ② 那覇市 写真と記事のページ ( 版) http://jobbb.sakura.ne.jp/radio/168Okinawa-bora-bora2/Okinawa-bora-bora2-picturecaption01.html

漏刻門(ろうこくもん 漏刻は中国語で水時計の事。門上のやぐらの中に水時計が設置されていたことからこの名がついた)を過ぎたところに現れる広場。

ここには日時計があり街の方に向けられています。

琉球王国時代はこの日時計で午前・午後という大きな時刻を、漏刻門の水時計(漏刻)で細かな時刻を計算し、太鼓を叩いて人々に時刻を知らせたそうです。

[95] JOBBB 168 沖縄ボラボラ② 那覇市 写真と記事のページ ( 版) http://jobbb.sakura.ne.jp/radio/168Okinawa-bora-bora2/Okinawa-bora-bora2-picturecaption01.html

西(いり)のアザナという高台からは那覇市内が一望できます!目の前に広がるビル群に圧倒されること間違い無し!?現地解説板によると琉球王国時代にはここに鐘楼が建っており、鐘を打ち鳴らして時刻を知らせたそうです。標高は約130mあるとのこと。

[96] 西のアザナ |「テンペスト」沖縄観光ガイド - Walkerplus ( 版) http://sp.walkerplus.com/tempest/13.html

かつて「西のアザナ」は「島添(シマスイ)アザナ」とも呼ばれており、その意味については「浦々を支配する」と「浦々を擁護する」の2説が存在しています。この「西のアザナ」でも、「東のアザナ」や「右掖門(うえきもん)」と同様に、1879年の琉球処分まで「漏刻門(ろうこくもん)」の時を報せる太鼓に呼応して、同時に鐘を打って城下に時刻を報せていました。

[97] 首里城公園紹介動画「西のアザナ」 | 首里城公園 ‐ 琉球王国の栄華を物語る 世界遺産 首里城 ( 版) http://oki-park.jp/shurijo/1717

別名「島添(しまそえ)アザナ」ともいい、往時はここに旗を立て、鐘を備えて時刻を報じた。

[38] 西のアザナ (観光情報) (観光情報) | 沖縄観光 VELTRA(ベルトラ) ( 版) http://www.veltra.com/jp/japan/okinawa/ctg/173782:%E8%A5%BF%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%B6%E3%83%8A/

昔はここに旗を立て、鐘を備えて時刻を報じたといわれています。1879年の琉球処分まで(漏刻門)の時を報せる太鼓に呼応し、同時に鐘を打って城下に時刻を報せていました。

[99] おきなわ建築Web|沖縄 暮らしのでざいん研究会【野外ワーク・第1回首里城~玉陵】 ( 版) http://www.okinawa-kentikuweb.com/special/okinawakurasi/work/01/index.html

西のアザナと東のアザナ、右掖門では、漏刻門の時を報せる太鼓と合わせて、同時に鐘を打って城下に時を報せていました。明治12年の琉球処分まで続いていました。

[100] 那覇港、沈みゆく夕日、那覇市街、三日月…首里城「西のアザナ」から - 結~つなぐ、ひらく、つむぐ~ ( 版) http://blog.goo.ne.jp/nrai5029knai/e/1d8a31f85a5e5bdb8e41a91b6beaa1f3

「西(いり)のアザナ…城郭の西端に築かれた物見台で、別名を『島添(しまぞえ)アザナ』ともいいます。かつてはここに鐘楼が建っていて、鐘を打って時刻をしらせました。 標高は約130mで、那覇市街や那覇港のようす、そして遠く水平線上には慶良間諸島を望むことができます。」


[438] 琉球王国米国条約では、 琉球の日付として支那の元号が、 米国の日付として西暦が示されていました >>439


[143] 沖縄、特に先島では、数値の記述に藁算と呼ばれる結縄法が用いられました。 明治時代頃まで続いていたようです。 その用途には暦日記述も含まれていました。 >>142

[147] 石垣島では、木製の日時計が (の) 「最近」喜舎場氏により旧家から発見されました。 「一年の季節を表した字」がはっきり判読できる状態でした。>>145

[148] 石垣島石垣町約一里の山麓のハナル山なる場所に、 天測の遺跡がありました。 カナハリかカラハカリ (唐計り) の転かとの説もありました。 >>145 (しかし○○バルはの可能性の方が高いのでは。) 星見石 >>154 でしょうか、 あるいはもっと大規模なものがあったのでしょうか。

明治維新後の内地化

[24] 廃藩置県により鹿児島藩 (薩摩藩) は鹿児島県となりました。 奄美群島吐噶喇列島鹿児島県管轄となり、 琉球王国鹿児島県属国となりました。
[68] 琉球王国廃止され、琉球藩が設置されました。

[433] 琉球藩時代には、 まだ支那の元号が使われていたようです。

[722] 改暦により太陽暦が実施されました。

[404] 日本政府琉球藩に対し、明治元号を使うよう求めています。 当時の沖縄では日本に対しては日本の元号を使い、 清國に対しては支那の元号を使っていたようで、 そのような慣習を改めなければならない、とされていました。 >>403

[4] まで琉球藩は引き続きを発行していたといいます >>22 し、 中央政府から清国元号をやめて明治元号を使うようわざわざ要求されている状況でしたから、 実態としては琉球王国時代と変わっていなかったのかもしれません。

[723] 琉球藩廃止され、 沖縄県が設置されました。

[80] 沖縄県設置後公式には選日通書は発行されなくなりました。 しかしその後も石垣島では選日通書という時憲暦による略暦が発行されていたようです。 >>22

[434] 沖縄県設置後本格的に明治など日本の元号が使われるようになりました。

[407] 中央標準時 +09:00 が実施されました。

[30] ただし沖縄までの海底電信線が開通したのはなので、 それまでは中央標準時に正確に同期された時計はなかったかもしれません。

[2146] 尖閣諸島江戸時代以前から先島諸島と人の行き来があり、 実質的に琉球の一部でした。沖縄県設置後も、 その行政的な管理下にありましたが、 日本政府閣議決定 (明治28年内甲第2号閣議決定) >>72 により、 正式に日本の領土に編入されました >>71
[75] 明治28年/1885年には北大東島南大東島が、 明治33年/1900年には沖大東島が (明治33年沖縄県告示第95号) 沖縄県に編入されました。

[27] 尖閣諸島大東諸島も、 (法的には) 中央標準時 +09:00 が実施される地域となりました。

[302] 琉球王国 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%8E%8B%E5%9B%BD

1872年には琉球藩を設置し、琉球国王尚泰を琉球藩王に「陞爵」して華族に列した。明治政府は、廃藩置県に向けて清国との冊封関係・通交を絶ち、明治の年号使用、藩王自ら上京することなどを再三にわたり迫ったが、琉球は従わなかった。そのため1879年3月、処分官松田道之が随員・警官・兵あわせて約600人を従えて来琉、武力的威圧のもとで3月27日に首里城で廃藩置県を布達、首里城明け渡しを命じ、4月4日に琉球藩の廃止および沖縄県の設置がなされ[10]、沖縄県令として前肥前鹿島藩(佐賀藩の支藩)主の鍋島直彬が赴任するに至り、王統の支配は終わった(琉球処分)。

[303] 琉球藩 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E8%97%A9

明治政府は翌1875年、琉球に対して清との冊封と朝貢関係の廃止、ならびに明治年号の使用などを命令するが、琉球は清との朝貢関係を継続する意向を表明。

[447] 台湾出兵 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%87%BA%E5%85%B5

明治政府は翌1875年(明治8年)、琉球に対し清との冊封・朝貢関係の廃止と明治年号の使用などを命令した。しかし琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球の朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。

[446] 琉球王国 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%8E%8B%E5%9B%BD

明治政府は、廃藩置県に向けて清国との冊封関係・通交を絶ち、明治の年号使用、藩王自ら上京することなどを再三にわたり迫ったが、琉球は従わなかった。

西部標準時

[9] 西部標準時は、 >>8 から昭和12年/1937年9月30日 >>59 まで、大日本帝国の西部地域で用いられていた標準時です。

[62] 東経120度子午線時刻 >>8、すなわち +08:00 でした。

[44] 西部標準時と共に夏時刻制が実施されたことはありません。

[64] 台湾澎湖列島八重山列島宮古列島に適用されていました >>8

[227] 関東州および満鉄附属地でも西部標準時が採用されていました。 更に、満州国の標準時支那北京南京上海等を含む地域の標準時とも一致していました。 関東州の標準時中国大陸の標準時

[299] 守禮之邦便り保存箱2 () http://home.b-star.jp/~deepdive/shurei2.htm

第二次大戦中、宮古・八重山諸島と、当時日本領だった台湾が、日本標準時より1時間遅い「西部標準時(+8H)」だった時期がある。

名称

[212] 西部標準時は次のように呼ばれることがあります。

[974] 西部標準時の呼称

利用事例については日本の標準時

創設

[45] 西部標準時は、 勅令第167号 標準時ニ關スル件で定められ、 施行されました >>8

[366] 日本政府帝国大学 (現在の東京大学)総長濱尾新は、 理科大学 (現在の東京大学理学部) の協議をまとめ、 文部大臣西園寺公望に提出しました。 には台湾事務局 (当時の大日本帝国台湾の行政府)総裁伊藤博文に送付されました。 そこでは次のように述べられていました。 >>228

[381] 中央標準時制定を主導した、 初代理科大学長だった菊池大麓に退き、 かわって山川健次郎理科大学長をつとめていました。 (山川は天文学者ではなく物理学者であり、議論に参加したかは不明。)

[378] 本案は台湾事務局委員の賛同を得て 勅令案が内閣総理大臣に提出され、 裁可されました >>228

[379] 当初勅令案には 「朝鮮王國所在ノ帝國諸官衙ノ標準時ハ西部標準時ニ依ル」 ともありました。しかし内地朝鮮国駐在官との連絡は便利になるとはいっても、 朝鮮国標準時となるわけではないので、 時期尚早であると台湾事務局で判断され、削除されました >>228 朝鮮半島の標準時

[51] 提案から勅令となるまで半年かかっていますが、 その間に沖縄県先島諸島現地への照会や調査があったのかは不明です。

[47] 勅令には施行が明記されていませんが、 時刻は明記されていません。

[49] 一般に法令で開始のだけが記されているなら からと解するべきですが、 帝國從來ノ標準時 +09:00本土にあってはそのまま中央標準時 +09:00 になり、 西部にあっては西部標準時 +08:00 に戻ったということでしょうか。

[50] あるいは帝國從來ノ標準時実施時には新標準時の0時に日本各地で時砲が同時に鳴らされた ( 中央標準時 ) ということですから、 同様に西部標準時の0時に施行されたと考えるべきでしょうか。

[48] 台湾先島時砲のような施行の合図があったかは不明です。


[52] なお、下関条約発効により日本領となった時点で台湾の標準時は明治19年勅令第51號 本初子午線経度計算方及標準時ノ件が適用され帝國從來ノ標準時 +09:00 になっていた、と法令の文面から解釈することも可能ではあります。 台湾における法律の適用については後に明治29年法律第63号 台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律が定められていますが、 それでもなお憲法その他の法令が適用されると解釈するべきかどうか争いがあったようです。 台湾の標準時については、法令の解釈はともかく実態として、 西部標準時実施以前には存在しておらず地方時が使われていたようではあります。

西部標準時施行下の沖縄

台湾の状況は台湾の標準時、関東州の状況は関東州の標準時

[586] 西部標準時実施中は沖縄県の区域の中に時間帯の境界があったことになります。 現代からみると不便そうに思えます (実際末期には不便だったようで廃止の理由の1つに挙げられています ( 大東亜の標準時 ))。 しかし同じ沖縄県とはいえ沖縄諸島先島諸島は距離がありますし、 明治初期には沖縄諸島先島諸島の間に国境を置く案すら清国と交渉が進められていたくらいです。 当時の交通通信の状況や庶民への時計の普及の具合では、 ここに境界線を引くことにそこまで大きな障害は無かったのでしょう。

[43] に日本で出版された石原昌家 大密貿易の時代: 占領初期沖繩の民衆生活 >>571 によると、 西部標準時実施当時の与那国島では腕時計も普及しておらず、 石原の調査時点で時差のことを記憶している人は少なかったようです。

[42] 新聞記事は、 西部標準時廃止当時の石垣島の尋常高等小学生で 20世紀末まで時差撤廃のことを記憶している者がほとんどおらず、 当時時計のある家が少なかったためかとしていました。 大東亜の標準時

[588] 那覇で出版された八重山諸島に関する本は、 当時の諸島の様子を詳細に説明しているにも関わらず、時差時計への言及が一切ありません。 大正時代であっても、著者が島内で時刻について特筆するべきことを見出さなかったということになります。


[70] 西部標準時の適用範囲に尖閣諸島は明記されませんでしたが、 元より尖閣諸島八重山の行政機関の管理下にあり、 正式編入後は八重山郡 (設置 >>73) 石垣村 (設置 >>74 = 旧八重山村設置 >>74、現石垣市) に所属したことから、八重山の一部として西部標準時の適用範囲内だったと思われます。


[16] 気象観測では一貫して中央標準時が用いられました。 日本の標準時

西部標準時の廃止

内臺時差撤廢

[65] には西部標準時 +08:00 が廃止され、 旧西部標準時地域には中央標準時 +09:00 が適用されました。をもって とされました。

[98] 中央標準時への統合は、国内の時差の不便を解消することを目的としていました。 同時期に南洋群島満州国でも時差の解消が進められていました。


[106] 大東亜戦争の停戦後の台湾総督府により台湾の標準時西部標準時 +08:00 に改正されました。 この時標準時が改められたのは、台湾総督府管下、 すなわち台湾本島の他に澎湖諸島新南群島を含むと思われます。 臺灣の標準時

誤情報

[269] Shanks (2003) >>270 は、 から日本の一部地域を +08:00、それ以外の地域を +09:00 とし、 それ以前を地方時としていました。 これは最初の(中央)標準時の制定を見落としたもので、誤りです。


[572] に日本で出版された石原昌家 大密貿易の時代: 占領初期沖繩の民衆生活 >>571 は、第二次世界大戦の前に台湾与那国島西部標準時を用いていたとし、 石垣島との間に1時間の時差があったと述べています。

[573] 原文未確認ですが、本書が現地住民の証言に基づき執筆されているのであれば (そしてその記憶が正しいなら)、 公式な制度とは異なる実態があった可能性もあります。例えば、 西部標準時廃止前から沖縄諸島寄りの石垣島では中央標準時が非公式に用いられており、 台湾寄りの与那国島では西部標準時が用いられていた、 ほとんどの住民は時計を持たずそのような違いを意識しなかった、 ということもあるかもしれません。

[213] 第二次世界大戦終戦により西部標準時廃止されたとするもの >>397, >>576 もありますが、明確に誤りです。

[519] 1950年代の米国政府の地図を基に作られたのではないかと推測される地図 >>570 では、先島諸島+08:00、それ以外の南西諸島+09:00 で塗られています。

[521] 米国政府時間帯の図では、版から 版まで、 先島諸島 (尖閣諸島を含む。) が +08:00 で着色されていました。 版以降は +09:00 となっています。 >>520 版を元に描かれたという日本地図でも +08:00 になっています >>549

[522] Shanks (1991 >>150, 2003) は、 先島諸島各地を +08:00 としており、標準時改正が無かったものとして扱っていました。 (Shanks (2003) では台湾の標準時も一度も中央標準時に統一されていないことになっていました。)

[149] tzdata は、Shanks を出典に Asia/South_Ryukyu を1896年以来現在に至るまで +08:00 としていましたが、代表都市不明のため注釈にして保留にしていました >>150

[523] その後 tzdata石垣島を代表都市として Asia/Ishigaki という名前でこれを正式な項目としました。 tzdata を採用していた1990年代の OS などでは、これに対応する時間帯south Ryukyu Islands などとして日本本土と別に表示していました。 >>150, >>151

[525] UNIX USER 誌の連載記事ルート訪問記 >>524 を契機に奈良女子大学鴨浩靖 (かもひろやす) らの South Ryukyu Islands調査隊が事情を調査し、 西部標準時の誤伝であると結論付けて同誌上で報告しました >>150tzdata からも (1970年以後が異なる場合のみ収録するとの方針に反するとして) Asia/Ishigaki は削除されました >>150, >>151, >>152, >>526

[141] 本件をきっかけに >>150日本時間計算機をテーマにした tz-japanメーリング・リストが作られました。 アーカイブが残されておらず内容は不明で、 頃までに消滅したようです >>139, >>140西部標準時問題を tzdata に報告した鈴木秀幸は、 東京代表点の訂正 ( 日本の標準時 ) や昭和基地情報の追加 ( 南極の標準時 ) も求めており、 そうした情報収集が行われたのかもしれません。

[590] ブリタニカ百科事典地図は、時点で未だに先島諸島+08:00 に着色しています >>589

[580] 米国統治時代先島諸島で、 西部標準時 +08:00 が復活していた可能性もありますが、 それにしては現地の記録や当時の記憶を語る人がまったく見られないというのが不自然です。 以前の西部標準時の情報が残り続けていたに過ぎないと解釈する方が自然です。 ただ、 +08:00 で描いた時間帯図が、 同じく米国統治下だった小笠原諸島+10:00 で描いていることには注意する必要があります。 小笠原の標準時

[119] 返還直前のの航空時刻表 >>118 には、 時差への言及がなく、 那覇宮古石垣与那国の所要時間から各島間で時差がなかったと判断できます。

[397] 占星術用語事典 ( 版) http://www.ffortune.net/fortune/astro/dict/na.htm

日本の標準時は江戸時代までは首都である京都の平均太陽時が使用されていた。しかし明治維新以降、天皇が東京に「移動」してしまったため、一時的に東京の平均太陽時を全国の標準時とした時期があった。しかし明治17年、国際会議によって各国はグリニッジ標準時から1時間の倍数異なる時刻を使おうということになったため、日本の標準時として、東経135度線、つまり明石の平均太陽時が使用されることになった。これを「日本標準時」という。

その後、日本は一時期台湾を領有したため、台湾用に「西部標準時(JWT=Japan Western standard Time)」を定め、明石時刻は「中央標準時(JCT=Japan Central standard Time)」とした。しかし、太平洋戦争敗戦により台湾を失ったため、西部標準時は消滅し、中央標準時が、再び日本標準時と呼ばれることになった。

[211] 日本標準時-Japan Standard Time () http://can.ifortune.net/wiki/wiki.cgi/astro/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82 も同内容。

[571] 大密貿易の時代: 占領初期沖繩の民衆生活 - 石原昌家 - Google ブックス () https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=hVNDAQAAIAAJ

22 ページ

台湾鬵圈內の与冒霸与那国鳥の諸特撖麵戦前、台湾と与那国島とは同一時間だった。 しかし与那国島から石垣島に行く場合は時計の針を一時間早めた。 つまり、与那国—石垣間には一時間の時差があった。両島間の距離は南北一二七キロ にしかすぎず、現在、時差はなくなっているが、台湾と沖縛とには依然、一時間の時差が ある。これは、戦前、与那国島も台湾同様、「西部標準時」を使っていたからである。 この事実を知っているひとは与那国出身といえども数少ない。戦前、腕時計を持ち歩いていたひと は限られているからである。崎原永著氏(一九二-一卩大正一一年生。沖純療育園長)の

[158] 空白の沖縄社会史: 戦果と密貿易の時代 - 石原昌家 - Google ブックス () https://books.google.co.jp/books?id=dZsnAQAAIAAJ&dq=%E6%99%82%E5%B7%AE

22 ページ

台湾経済圏内の与那国島%与那国島の諸特徴徴戦前、台湾と与那国島とは同一時間 だった。しかし与那国島から石垣島に行く場合は時計の針を一時間早めた。 つまり、与那国ー石垣間には一時間の時差があった。両島間の距離は南北一二七キロ にしかすぎず、現在、時差はなくなっているが、台湾と沖縄とには依然、一時間の時差が ある。これは、戦前、与那国島も台湾同様、「西部標準時」を使っていたからである。 この事実 を知っているひとは与那国出身といえども数少ない。戦前、腕時計を持ち歩いていたひと は限られているからである。崎原永著氏(一九二二=大正一一年生。沖縄療育園長)の中学時代、帰省の折りの体験 である。この点については、沖縄気象台観測課主任技術専門官・宮良孫好氏からも確認 を得た。

[157] 地域経済における集積 : 展望, 大城肇, 琉球大学経済研究 (72): 9-28, http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/104/1/oshiro_h10.pdf#page=6

石原(2000)によれば、戦前、与那国と台湾は同一時間 帯であり、与那国一石垣間で1時間の時差があったという12) 戦後になり、 標準時は国境線の中に設定され、与那国‐ 石垣が同一時間帯となり、与那国‐台湾の問に1時間の時差が設定された。

12)石原(2000)22~28頁及び316頁参照。

石原昌家(2000)『空白の沖縄社会史一戦果と密貿易の時代』晩聾社。

[574] 与那国島民の台湾テレビ電波による東京オリンピック視聴の意味考察 (坂田謙司) http://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/2012/48-2_02-02.pdf#page=13

例えば,戦前には与那国島 と台湾は同一時間帯であり,石垣島とは1時間 の時差があったという点からも,同一生活圏に あったことがわかる42)

42) 石原昌家『大密貿易の時代−占領初期沖縄の民衆生活−』晩声社,1982,p22。

[1050] 日本統治時代から台湾には時差がありましたか? - 歴史 解決済み| 【OKWAVE】 (2017-11-23 23:01:52 oska2 ) https://okwave.jp/qa/q9400478.html

奄美諸島・琉球列島とともに、東京の標準時間よりも1時間の時差が存在しました。

が、戦時体制になるに従って東京の標準時間に統一されました。

軍部としては、二重の時間は作戦上面倒だったのでしよう。

[1051] 奄美諸島から台湾まで +08:00 だったと主張しているが、 そのような事実はない。
[576] 知ってた?八重山は昔、台湾標準時間だった|観相師 ふかマン () http://ameblo.jp/fukaman-life/entry-12218513572.html

大東亜戦争が終わるまで

八重山は、日本からみて“時差”が1時間存在してました。

戦争が終わってからは

ここ、八重山の時間は明石市の『日本標準時刻』に組み入れられました。

日本西部標準時刻

ここに詳しいことが載ってます。

昔は沖縄までが、明石市を起点とする標準時刻。

宮古~西側が台湾標準時刻。

いや、正式には日本西部標準時刻。

米国統治時代

[46] 米軍沖縄本島に進攻し、 までに制圧しました。 米国琉球諸島奄美群島吐噶喇列島のうち下七島を統治下に置きました。 、 正式に日本政府から米軍に統治権が移行されました。 米国統治時代、奄美群島下七島は同じ行政区に含められました。

[435] 米軍の統治下に置かれた地域では、 日本の元号ではなく西暦が原則として用いられました >>440, >>441元号を用いることは憚られていました >>160

[451] 法令については、米軍統治が開始されるまでの日本の法令と、 それ以後の米軍当局およびその下部の政府組織による法令が適用されました。 日本の法令を参照するときは、元号を使った法令番号が引き続き用いられました。 琉球政府等の法令番号は、西暦を使っていました。 法令中の日時西暦で表記されていました。

[161] 戸籍では日本の元号が用いられました >>160

[40] 標準時としては、引き続き中央標準時 +09:00 が使われたようです。 米国統治下の法令でこれを明示したものは見当たらず、 法的には大日本帝国時代の勅令がそのまま存続したということになるでしょうか。

[41] 夏時刻も実施されていたようですが、 日本本土夏時刻法は適用されておらず、 米軍の指示で地域ごとに独自に実行したもので、 期間も異なっていました。 昭和のサンマータイム

[78] 米領琉球時刻の名称として、 沖縄時間などが用いられました。 日本の標準時

[2160] 沖縄太陽
  • 那覇 標準時 +09:00
    • tz=+09:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-03-20 offsetbefore=02:00

      春分
    • tz=+09:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-06-21 offsetbefore=02:00

      夏至
    • tz=+09:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-09-23 offsetbefore=02:00

      秋分
    • tz=+09:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-12-21 offsetbefore=02:00

      冬至
  • 那覇 夏時刻 +10:00
    • tz=+10:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-03-20 offsetafter=01:00 offsetbefore=01:00

      春分
    • tz=+10:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-06-21 offsetafter=01:00 offsetbefore=01:00

      夏至
    • tz=+10:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-09-23 offsetafter=01:00 offsetbefore=01:00

      秋分
    • tz=+10:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-12-21 offsetafter=01:00 offsetbefore=01:00

      冬至
  • 那覇 二重夏時刻 +11:00 (実施例なし)
    • tz=+11:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-03-20 offsetafter=02:00

      春分
    • tz=+11:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-06-21 offsetafter=02:00

      夏至
    • tz=+11:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-09-23 offsetafter=02:00

      秋分
    • tz=+11:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-12-21 offsetafter=02:00

      冬至
[34] 吐噶喇列島日本に返還されました。
[10] 日本国との平和条約によって米国奄美群島および琉球諸島の統治権を得ました。
[35] 奄美群島日本に返還されました。

[5] 米国統治下の琉球政府によって定められた祝祭日として、 お盆の日旧暦7月15日とされていました。

[7] 琉球政府は正式な旧暦を決定していたのでしょうか?

[124] 確かな情報は得られていませんが、当時の法令や議事録を検索する限り、 旧暦は自明なものとされていたようにみえます。 農暦ではなく旧暦ということでいいのでしょうかね? (両者で違いが出る日付の琉球の出来事を扱った文献は現在のところ見つけられていません。)

[11] 休日について詳細は琉球の休日

[164] 八重山法務支局のみ、 付け登記公告まで昭和を使っていました >>165 が、付け登記からは西暦となりました >>166

[759] 米国の書籍は、 RYUKYU ISLANDS の標準時+09:00 としていました >>761

[163] 米国統治時代末期になると、 日本本土の制度との関係から日本の元号が使われる事例もありました。 >>162

[985] 頃から、 中華人民共和国中華民国尖閣諸島領有権を主張するようになりました。 中華人民共和国は現在に至るまでしばしば周辺海域に軍艦を派遣しています。 中華民国中華人民共和国法令上は、 両国の標準時 +08:00 (あるいは時期によっては夏時刻 +09:00) が適用されることになっていると思われます。 実際には米領琉球 (返還後は日本国) の実効統治下にあり、日本の標準時が使われています。 台湾の標準時中華人民共和国の標準時

[39] 琉球日本に返還され、 沖縄県が復活しました。
[160] 戸籍整備法 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E7%B1%8D%E6%95%B4%E5%82%99%E6%B3%95

琉球政府やその管轄下の市町村の公文書は、全て西暦が用いられており、「昭和」等の元号表記や住所として「沖縄県」を用いるのはタブーであった。しかし戸籍に限っては、本籍に「沖縄県」、年月日は「昭和」などの元号表記が貫徹されていた。

現代

[26] 米国統治地域が日本に返還されてからは、 最新の日本の法令の適用下となり、 本来の日本の暦中央標準時が実施されるようになりました。

[121] 昭和四十六年法律第百二十九号 沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律 により、琉球政府法令は移行期間後失効、 市町村条例は原則としてそのまま適用されることとなりました。

[120] といっても公的に用いられる紀年法西暦から日本の元号へと変わったのと祝日が一部異なっていたものが日本の祝日に統一された ( 琉球の休日 ) 程度であり、 標準時改正のような大きな変更はありませんでした。

[502] 現在の日本の歴史書等では、 琉球の歴史的事項はすべて西暦で表したり、 日本の元号で表したりすることもあれば、 琉球王国時代は支那の元号で表すこともあります。

[36] 沖縄県では現在でも旧暦に基づく年間行事が盛んに行われています。 旧暦としては (農暦などではなく) 日本の旧暦が用いられています。


[104] から (は不明) の夏季、 米国空軍嘉手納基地では、 省エネ日光の有効活用を名目にサマータイムが実施されていました。 日本人従業員は生活に悪影響が出て反対しており、 沖縄県知事沖縄県議会も取り上げました。 >>102, >>103

[105] 実施対象が一部従業員のみ >>102 ということから、時計を動かす夏時刻制ではなく、 夏季業務時間制度が一部業務に適用されていたということでしょうか。

[107] ちょうど第二次石油危機の時代で、世界各地で夏時刻が実施されていました。
[102] () http://www2.pref.okinawa.jp/oki/Gikairep1.nsf/f2d4b51dfefc430f492567220015ee7a/436ea1e11a82860b492573e2000b88e8?OpenDocument

昭和56年 第 4回 沖縄県議会(定例会)

第 4号 6月13日

○中根 章君

それから次に、空軍のサマータイムの問題で御質問を申し上げる予定でありましたけれども、時間がありませんので簡単に申し上げますけれども、この問題は7時から出勤になる。そうすると大変生活にもいろんなことで支障を来すということになって従業員は反対を続けております。それで知事も6月5日付で全駐労の委員長に対してサマータイム問題の回答を寄せておられますけれども、来年からはぜひこれが取り外されるように知事も県も大きく撤回するようにしたいというふうに答弁をしておられますので、来年度、これの取り組みとその見通しについてお伺いをいたします。

○知事(西銘順治君)

次、サマータイムの問題、その他細かい点につきましては副知事、担当部長から答弁させることにいたします。

○副知事(比嘉幹郎君) サマータイムの問題についてお答えいたします。

在沖米空軍においてサマータイムを実施しているわけでございますが、その理由は、私が嘉手納の基地司令宮と会ったときにいろいろ述べておりました。1つは省エネルギーの観点からであると。もう1つは昼間の明るい時間を合理的に使うということでございます。それからもう1つは、もしこのサマータイムを実施していろんな面で支障を来す従業員がおれば、その人々が直接申し出ればそれなりの措置をとると。つまりいろいろ時間を大目に見たり、あるいは仕事の時間をちょっと変更したり、つまり個別的な例外的に取り扱いたいということでございました。しかしいずれにしても、省エネとかその他の理由によって昭和53年以降、いわゆるサマータイムを実施しているわけでございます。その対象は嘉手納空軍基地内の従業員約2000人のうち、約880人となっております。県としては、従業員及びその家族の生活サイクルと健康管理等の面からその及ぼす影響が大きいのでその撤回を求めて検討委員会というものを設置いたしまして県の考え方、意見等を述べて協議を重ねてきたわけでございます。それで米側の省エネ委員会では、ことしのサマータイム実施期間を5月4日から9月27日までの約5カ月間とし、基地司令官へ進言しているわけでございます。そこで私も、また担当部長も師団長とか基地司令官とその再考方を求めて折衝してきたわけでございますが、それで結局6月1日から8月28日まで実施するということになったわけでございます。来年以降のサマータイム問題について米軍側との交渉で従業員に負担をかけないで、軍内部の努力による他の方法で省エネ対策を強化しエネルギー節減を図ることとすると。それから来年以降は、従業員に負担をかけるサマータイムが実施されないよう努力すると。そういった確認のもとに、このサマータイムの問題の解決のために努力していきたいと考えております。

[103] () http://www2.pref.okinawa.jp/oki/Gikairep1.nsf/f2d4b51dfefc430f492567220015ee7a/acf4068d56f2e0a6492573000020adbf?OpenDocument

昭和58年 第 2回 沖縄県議会(定例会)

第 3号 3月 3日

○小橋川朝蔵君 本員は、自由民主党沖縄県連の議員団を代表いたしまして、かねて通告してありましたもろもろの案件につきまして本員の所見を述べながら知事並びに関係部長に質問をいたしますので、誠意ある御答弁をいただきたいと思っております。

思うに、米軍基地関係業務は、その中に基地労働業務を繰り入れた従来の組織は基地から派生する諸問題の解決に足かせとなっているのが現状でございます。私は、今日まで議会の中で軍特別委員会に属しておりましたけれども、長年の活動の中で基地問題は論議されましたが、基地労働問題に対しましては、「サマー・タイム」があったとき以外は議会で論議されておらないわけでございます。これをもってしても基地の諸問題と基地労働者の関係は、おのずから違った形で、違った政治的、行政的な配慮がされるべきだと思うわけででございます。

[285] サマータイム: 金政工務店社長日記 (金丸政司, 2011年04月19日 21:35, 版) http://kanemaru-blog.seesaa.net/article/196642169.html

私は以外なところでサマータイムを体験しました。それは沖縄の米軍基地内。 学生時代にときどき基地内の運送屋さんのアルバイトをしていましたが、 基地内及び米軍施設はすべてサマータイムでした。(多分) 朝7時から仕事が始まり、11時半から13時まで長い昼休み。午後は4時までで終わり。

[114] 健康住宅 注文住宅 リフォーム|金政工務店(宮崎県日向市) () http://ietateru.com/aisatu.html

代表取締役 金丸政司

(経歴)

昭和60年 琉球大学 工学部 建設工学科卒業

[769] この書き方だとはっきりしないけど夏季営業時間の意か。
[125] 【news】サマータイム導入について | お便りコーナー | 沖縄のうわさ話 () https://www.098u.com/2018/08/200541#comment-1807704

匿名さんより

2018年08月14日(火) 17:48

復帰前の沖縄では、米軍基地の中では一時期サマータイムやってたそうだ。米軍人軍属以外で経験したのは基地従業員だけ。まあ、復帰前と言っても1950年代の話らしいから民間地域には大した影響なかったのだろうね。


[126] 沖縄における中央標準時 +09:00 は、 30分-45分程度の通年夏時刻に相当します。 本土に比べると遅くまでが昇らず、 遅くまでが沈まないことになります。

[127] それだけならばそれに最適化された社会となっているのでしょうが、 本土と経済や文化でつながっている以上、 解消できない無理も生じているのでしょう。 後述の通り、沖縄独自の時刻の提案にもつながっています。 そこまで飛躍しなくとも、 「夜型社会」が問題視され、 健康への影響を懸念する人もいます。 夏時刻の健康被害

[122] 沖縄 サマータイム ( 沖縄県 ) - すべらない沖縄JOHO - Yahoo!ブログ (2013/6/5(水) 午後 9:49 ) https://blogs.yahoo.co.jp/kawai2951/68232593.html

この時期のナイトダイビングでは

夜の8時に海に入ったりする。

 

キャバクラのお姉ちゃんの出勤時間が22時

ナイトフィーバーは0:00〜賑わう・・・

モーニングの習慣がありません (喫茶店もないし)

沖縄独自時刻の提案

南西諸島を含む日本全国の標準時や夏時刻の提案については日本の標準時

[129] 沖縄太陽
  • 那覇西部標準時 +08:00 (実施例なし)
    • tz=+08:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-03-20 offsetbefore=01:00

      春分
    • tz=+08:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-06-21 offsetbefore=01:00

      夏至
    • tz=+08:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-09-23 offsetbefore=01:00

      秋分
    • tz=+08:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-12-21 offsetbefore=01:00

      冬至
  • 那覇 中央標準時 +09:00
    • tz=+09:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-03-20 offsetafter=01:00

      春分
    • tz=+09:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-06-21 offsetafter=01:00

      夏至
    • tz=+09:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-09-23 offsetafter=01:00

      秋分
    • tz=+09:00 lat=26.213083 lon=127.678056 day=2000-12-21 offsetafter=01:00

      冬至

  • 石垣島西部標準時 +08:00
    • tz=+08:00 lat=24.334444 lon=124.156111 day=2000-03-20 offsetbefore=01:00

      春分
    • tz=+08:00 lat=24.334444 lon=124.156111 day=2000-06-21 offsetbefore=01:00

      夏至
    • tz=+08:00 lat=24.334444 lon=124.156111 day=2000-09-23 offsetbefore=01:00

      秋分
    • tz=+08:00 lat=24.334444 lon=124.156111 day=2000-12-21 offsetbefore=01:00

      冬至
  • 石垣島 中央標準時 +09:00
    • tz=+09:00 lat=24.334444 lon=124.156111 day=2000-03-20 offsetafter=01:00

      春分
    • tz=+09:00 lat=24.334444 lon=124.156111 day=2000-06-21 offsetafter=01:00

      夏至
    • tz=+09:00 lat=24.334444 lon=124.156111 day=2000-09-23 offsetafter=01:00

      秋分
    • tz=+09:00 lat=24.334444 lon=124.156111 day=2000-12-21 offsetafter=01:00

      冬至

[81] 沖縄県那覇市の商業施設パレット久茂地前の街頭演説で、 民主党の沖縄2区総支部長だった島尻昇は、 沖縄標準時+08:00 とすることで、株式取引時間などから経済効果が生じると主張しました >>69

[82] 民主党の沖縄県連代表となっていた島尻昇は、 国会衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会沖縄振興特別措置法案の審議に参考人として出席し、 沖縄県一国二制度の一貫で沖縄時間 +08:00 を導入することが株式取引その他の市場の活性化につながると主張しました >>67

[83] 民主党沖縄政策をまとめた民主党沖縄ビジョンを公表しました。 本土沖縄時差を設けることで、 本土からの観光客の活動時間が長くなり観光業にメリットが有ると主張しました。 の改訂版にも同内容が盛り込まれました。 >>76, >>77

[84] 当時の沖縄ビジョンは、 沖縄独立一国二制度導入を掲げるなど、 親中派琉球独立派に寄った非常に攻めた内容となっていました。 当然民主党沖縄県連の意向も反映されていたはずですが、 経済色の強い島尻の主張に対し、 沖縄ビジョンは観光をメリットに謳っていました。

[111] 朝日新聞船橋洋一は、 与那国島+08:00 とするなど日本全国を3区に分けることを提案しました。 与那国島日本の西端として取り上げられたもので、 実際には日本西部を意図していたとみられますが、 どこまで +08:00 とするべきと考えていたのかは不明です。 (抽象的な提案に留まっており、そこまで真剣に考えていなかった可能性もあります。) 日本の標準時

[88] 衆議院議員総選挙が行われ、 沖縄2区では民主党離党した島尻昇無所属で出馬しましたが、 落選しました。民主党は沖縄2区で社民党の候補を支持し、 自党候補を擁立しませんでした。 (結局社民党候補が当選しました。) ちなみにこの選挙はいわゆる郵政選挙で、 中央では夏時刻推進派が失脚し導入が頓挫することにもなりました。 日本の標準時

[85] 沖縄ビジョンにも改訂版が公表されましたが、 時差に関する記述はありませんでした。この版では以前の過激な主張は抑えられ、 比較的現実的な政策がまとめられている印象があります。

[87] 民主党政権 (鳩山由紀夫内閣) 時代に沖縄ビジョンが公表され、 標準時 +08:00 採用が盛り込まれたという報道があります >>86 が、 沖縄ビジョンが策定されたとする情報は見当たらず、 他の民主党の沖縄政策を扱う文書で標準時の件が含まれているものも見つかっていません。 いろいろな時代の情報が混乱して伝わったものでしょうか。

[69] 民主党:全国キャラバン「おかしなことなくし隊」報告・沖縄 (2000/12/25 ) http://www1.dpj.or.jp/news/?num=13757

沖縄県那覇市

パレット久茂地前 街頭演説

●島尻 昇(沖縄2区総支部長)

沖縄振興策は沖縄に1時間時差を設ける事す。一時間、遅らせることで、株の証券取引所の営業時間が一時間遅くなります。当然、投資は活発化します。そのほかにも多くのビジネスチャンスが生まれます。」

[67] 衆議院会議録情報 第154回国会 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号 () http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/154/0025/15403190025006c.html

第154回国会 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

平成十四年三月十九日(火曜日)

午前十時二分開議

出席委員

理事 荒井 聰君 理事 武正 公一君

参考人

(民主党沖縄県連代表) 島尻 昇君

本日の会議に付した案件

政府参考人出頭要求に関する件

沖縄振興特別措置法案(内閣提出第五号)

○荒井(聰)委員 民主党の荒井聰でございます。

また、本法案の五十六条の金融業務特別地区における事業の認定を行う際に、沖縄時間を設定するという御意見がございました。具体的にはどのようなことを意味し、どのような効果をねらっているのか、お答えを願いたいと思います。

○島尻参考人 やはりもっと踏み込んで、一国二制度を導入するぐらいの意気込みが必要であるというふうに考えています。

その流れの中で、先生から御指摘がありましたもう一点の沖縄時間を設定するということになりますけれども、これもいわゆる一国二制度的なものになってまいりますけれども、本県の地理的な条件から見まして、沖縄に日本標準時間からマイナス一時間の時差を設定するということによって、例えば第五十六条、金融業務特別地区における事業の認定を想定されていますけれども、効果的に運用することが可能であると考えました。

これは、本土市場と違う時間、いわゆる異なる時差を設定することによって発生する、例えば株価の終わり値などの値を運用することによって、新たに沖縄市場を展開することも可能となる。また、その活用の仕方によっては、県益のみならず、また日本国の国益にも資する結果とつながっていくという考えに基づいております。

○荒井(聰)委員 沖縄時間の設定というのは、大変ユニークで示唆に富んだ御意見かと思います。確かに沖縄では五時、六時といってもまだまだ明るくて、時間が本土とは随分違うなという印象をあそこへ行くと一番最初に感ずることでもございますので、それを経済活動に反映するということは大変示唆に富んだものと思います。

[76] 民主党:民主党沖縄ビジョン (2002/08/26 ) http://www1.dpj.or.jp/news/?num=10686

10. 本土との間に時差を設定

本土からの観光客の活動時間を長くできるなど観光産業にメリットをもたらすため、本土との間に時差を設けることを、企業経営の負担等も勘案しつつ、検討する。

[77] 民主党沖縄ビジョン【改訂】 (2005 年8月 ) http://www1.dpj.or.jp/news/files/BOX_KOA0022.pdf#page=12

25) 本土との間に時差を設定

本土からの観光客の活動時間を長くできるなど観光産業にメリットをもたらすため、本土と の間に時差を設けることを、企業経営の負担等も勘案しつつ検討する。

[86] 甲午戦争から120年 日本は中国の敵ではない_中国網_日本語 (2013-12-16 10:44:53 李明艳著, ) http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2013-12/16/content_30906229.htm

わずか数年前の2009年、民主党の鳩山政権は、沖縄一国二制度、両岸(大陸部と台湾)及び日韓国民の沖縄訪問ビザ免除、沖縄の学生の中国語の学習、沖縄の通貨発行、中韓と同じ標準時区を設定、より重要なこととして沖縄からの米軍基地撤退などの内容を含む「沖縄ビジョン」を提示した。台湾紙・中国時報が伝えた。


[108] 沖縄県議会社大党・ニライの会県議会議員瑞慶覧功 (後に会派おきなわの会派長) は、 「暑い沖縄の特色」としてサマータイムを実施することが観光や経済やゆとりに有効だと提案しました >>101

[109] ただし簡単な言及のみに留まっており、 夏時刻夏季業務時間のいずれを想定していたのかは不明です。 瑞慶覧がその後議会 (本会議) でサマータイムを提案した記録は見られません。

[131] 日本国沖縄県沖縄市沖縄市活性化100人委員会沖縄市の将来ビジョンづくり部会は、 「約10年後の沖縄市のある家庭の風景をイ メージするものとして、ストーリーテリング手法にてとりまとめた」という物語 2020年の沖縄市のある一日 を作成しました。 ここでは、 「道州制導入により、沖縄にも時差が導 入されたため、上海との時差は無くなり」、 上海に留学する沖縄県民が増えたと描かれていました。 >>133 部会内に中国大陸の標準時と同じ +08:00沖縄県標準時とすることを望む意見があったものと思われます。 ただし、最終的な報告書には標準時に関する内容は盛り込まれておらず、 その後具体的な動きにはつながらなかったようです。

[116] 日本国沖縄県読谷村で開催された行政住民による政策ワークショップで、 夜型社会の改善のためサマータイムが提案されました >>115。しかし具体的な動きにはつながりませんでした。

[128] 夜型対策に夏時刻は逆効果なのでは... それとも >>123 のように夏だけ1時間遅らせる提案でしょうか。
[110] この時期、中央でもサマータイム導入が検討されていました。 日本の標準時
[101] () http://www2.pref.okinawa.jp/oki/Gikairep1.nsf/GoZentai/20080205000000?OpenDocument#20080205020030

平成20年 第 2回 沖縄県議会(定例会)

第 5号 7月 8日

○瑞慶覧 功 皆さん、おはようございます。

中頭郡区、北谷町出身、社大・ニライの瑞慶覧功です。

数少ない議会経験のない新人です。皆様の御指導、御鞭撻よろしくお願い申し上げます。

○瑞慶覧 功

それから道州制の問題もこれから出てきますけれども、やはり日本列島、沖縄から北海道まで気象条件も文化も異なります。単独州を目指すのであれば、もっと沖縄を主張することが大事であると考えます。そのためにかりゆしウエアをおきなわブランドとしてもっと県内外に進めていく必要があると思います。

また、今回質問できませんでしたが、暑い沖縄の特色としてサマータイムの導入なども考えていく必要があると考えております。そのことが観光産業や地域経済、さらにはゆとりある暮らしにつながってくると考えます。

[115] 沖縄の未来を考える市町村ワークショップ | 沖縄21世紀ビジョン | Think! うちなーの未来をみんなで考えよう () https://www.pref.okinawa.jp/21vision/workshop/Pcat=2&n=3_workshop.html

読谷村

実施期間:平成21年8月3日(月)14:00

参加人数:31人(うち行政職員12人、自治会役員など19人)

全体概要:

夜型社会を変える取り組みとして「サマータイムの導入」があった。

「うちなータイム」については、「ゆったりとした時間の流れ」としてとらえ、残すべきとする意見がある一方、「時間をしっかり守るべき」として変えていくべきものとする意見があった。


[60] 沖縄県にある観光業者の沖縄ツーリスト株式会社の経営者の東良和は、 沖縄西部標準時 +08:00 を採用することを提案しています。 本土からの観光客の感覚に対し中央標準時沖縄日の出が遅いため、 1時間繰り下げた方が朝からゴルフを楽しみ、 夜にはイルミネーションを楽しむことができる、 としています。また、東アジア各地との時差がなくなることによる経済効果や、 日本国内に時差が存在することが教科書に載るなど沖縄の存在感を高める効果もあるとしています。 >>58, >>1820

[61] 東は >>58 >>1821 の講演会でこの提案を披露しているようです。 沖縄県で発行されている新聞で旧西部標準時を紹介した >>1822 ようで、再導入の提案も記事に含まれていたかもしれません。 東がいつ頃から主張し始めたのかは不明です。 民主党のかつての主張を知っていても不思議はありませんが、 関係は不明です。

[63] 東以外にも独自時刻の導入を主張する人は少数存在しているようです >>1823, >>123 が、あまり支持を集められてはいないようです。 東も講演会の余談がてらに自説を紹介している程度のようで、 まだ実現に向けた具体的な活動というよりは支持者を広げようとしている段階と思われます。

[66] 観光客の時間活用を意識した時刻ということでリゾートタイムに似ていますが、 一般的にリゾートタイム時刻を早めるのに対し、 沖縄の時刻の提案は時刻を遅めるという点が逆です。

[1820] 復帰40年沖縄観光の課題と未来 ( 沖縄ツーリスト株式会社代表取締役社長 東 良和 氏 ) http://www.ogb.go.jp/-/media/Files/OGB/Soumu/40kinenkouen/06_kouen03-2.pdf?la=ja-JP&hash=4DADD0C57A3872F6001EC1896013E12673DF22B3

【番外編(1時間の時差の導入)】

時差の導入も、新たな沖縄観光の発展のカギではないかと思います。1時間の時差を導入したら、 東アジアと同一時間になります。 観光の立場で、私が強調したいのは、マイ ナス1時間の時差を設けることによって、本土 から来ると、時間を戻し1時間ゆったりするこ とができるということと沖縄のリゾートとして の価値が上がるということです。冬に沖縄での ゴルフを計画しているお客様から、「なんで7時からゴルフできないの」とよく聞かれます。日の出 が遅いですからと言っても沖縄に来るまでは信じてもらえません。 冬は早く暮れたほうがイルミネーションが楽しめます。 時差ができたら「日本には時差があります」と、全国的に小学校の頃から教科書で沖縄のことを学 んでくれると思います。

[1821] バックナンバー (2014年9月1日号 首都圏ソフトウェア協同組合 ) http://backnumber.cbz.jp/?t=bd46&m=2d33&p=2014090119_2594026506309147

沖縄ツーリストの東良和会長 である。先日、ネットワークの仮想化を実現する「オープンフロー」の開発研 究所として設立された沖縄オープンラボラトリの勉強会で東会長の話を聞いて、 その思考の柔軟性に感服した。

さらに驚いた提案は、沖縄は時差を設けて、1時間本土より遅らせる「特区」 にしてもらう、ということだ。現在は、東京で朝、明るくなっても沖縄は暗く、 夕刻、東京が暗くなっても沖縄はまだ明るい。観光客は東京時間で行動するの で、朝、暗いうちにゴルフのプレーを開始し、夕方、夕日を見ながら食事をす れば素晴らしい体験ができるのに、日が高いうちに夕食を終えてしまう、とい うようなちぐはぐが起きている。1時間時差をもらえば、多くのちぐはぐが是 正されるのではないか。

国内に時差を設けるのは前例があるそうだ。琉球国が日本に帰属して沖縄県 になった直後、宮古島、石垣島地域は本土時間と1時間の時差を設けていたそ うだ。しかし、台湾を日本に組み入れたとき、一体化政策の一環として時刻を 本土と同じにしたとき、途中にある宮古島、石垣島地域の時差制度もなくなっ てしまったそうだ。今度は「沖縄全体に時差を」ということだ。

[1822] 宮古、八重山はかつて時差が台湾と同様に1時間あった… | 八重山毎日新聞社 (2017年06月30日 ) http://www.y-mainichi.co.jp/news/31861

宮古、八重山はかつて時差が台湾と同様に1時間あったことを先に東良和沖縄ツーリスト会長が県紙に、先日は本紙のコラムが取り上げていた

[1823] 明日21日は、1年で最も昼が長い夏至。7年前の夏至の日、北海道… | 八重山毎日新聞社 (, 慶田盛伸, ) http://www.y-mainichi.co.jp/news/31814/

昭和の末の台湾旅行以来「時差はあるべきだ」がささやかな持論▼わが国は国内時差を認めないが、明治28年から昭和12年まで、東経120度以西の宮古八重山に1時間遅れの西部標準時が設定されていたことはあまり知られていない。日清戦争で台湾を領有した結果、台湾と先島に設定された▼当時の人々は太陽とともにある暮らしで、時差とは何の関わりもなかったに違いない。廃止理由も軍事上か、よくわからないまま 石垣で時計を1時間遅らせば、ゆったりとしたディナーと遅い朝のぜいたくな時間を楽しめる。魅力創出につながる▼時差1時間には香港、マカオ、バリ島、シンガポール。名だたるアジアリゾートが位置する。ご一考を。(慶田盛伸)

[123] 沖縄の課題「夜型社会」サマータイム導入!?: 沖縄へUターンしてわかった「沖縄エンジョイトーク」 (Okinawa-Higashi at 23:56 2018年05月25日 ) http://www.okinawa-talk.net/article/459591328.html

個人的に考えているのは、沖縄のみ日本時間より1時間遅くする、「沖縄時間」の導入も視野に入れてはどうか。

夏だけの「サマータイム」としての導入でも良いと思う。


[130] 日照時間を鑑みると、確かに沖縄で通年、または季節により +08:00 を採用することは、悪いアイデアとはいえません。 しかし本土時差が生じることによる様々な不便や経済的不利益、 既に中央標準時前提 (かつ日本国内で時差が存在しないこと前提) となっている社会システムや計算機システムの改修、 季節性時刻を採用するとした場合の切り替えコストや健康被害本土時刻を切り離し中国と同じ時刻を採用するという事実から否応なく生じる政治的メッセージ、 といったような事情を考えていくと、 メリットを遥かに上回るデメリットがあり、実現はほとんど不可能と思われます。

琉球、支那、日本の旧暦の差異

[12] 中国の暦と日本の暦はどちらも中国式太陰太陽暦とはいえ、 時差など細部で違いがありますから、日本本土と琉球の間でも日付が異なることが度々あったと思われます。 旧暦

支那と日本の元号の衝突

[3] 日本の元号支那の元号で同じ名称のものがいくつかあります。 琉球の記録にある元号の解釈時には、 支那の元号の可能性をまず検討する必要があります。 元号

現代日本における琉球日時の取扱い

[135] 日本の元号旧暦を扱った書籍や Webサイトなどでは、 特に琉球を扱ったもの以外、 琉球で使われた支那の元号旧暦に触れたものはほとんどありません。 元号旧暦を使った日付の処理や西暦との換算を行う計算機ソフトウェアでも、 琉球元号系や旧暦を扱えるものはほとんどありません。

[136] そうしたソフトウェアを開発する場合、 日本の元号支那の元号の名前の衝突に注意が必要です。 前の章、元号

[138] 現在一般的な計算機ソフトウェア時差の違いを扱えるものも多いですが、 過去の日時の取扱いは難しいことが多いのが実情です。 西部標準時も含めた日時処理を正しく扱えるものはあまりありません。

[137] 夏時刻については昭和のサンマータイム

データファイル

[2] 元号一覧データファイルは元号

[15] 旧暦と新暦の対応や日本・支那との比較は旧暦

[55] 祝日データファイルは日本の祝日

関連

[54] 南西諸島各地では、地名と「時間」を組み合わせ、 時刻に厳格ではないルーズな慣習を表現することがあります。 たとえばウチナータイム宮古時間八重山時間島時間のような語があります。 (こうした語は南西諸島に限らず、世界各地で見られます。) 地方時間

[134] 臺灣の標準時小笠原の標準時

メモ

[144] 黒島の石碑・説明看板 ( 版) http://www.zephyr.justhpbs.jp/kuroshima_hibun.html

矢橋式日時計 第107号

日時計のみかた

この日時計は、上のひさしの形をした板のかげが、

午前は左側、午後は右側の目盛にうつり、それで、そ

のときの時刻がわかります。

この半円形の目盛板は、その中心のまわりに回転さ

せて、時間のくるいをなおせば、常に正しい時刻を示

すことができます。

また、毎日の正午になると、上のひさしの形をした

板の先にある穴のかげが、ちょうど、下の「8」の

字型をした日付の目盛線の上にきて、それで、正午の

時刻と、およその月日を知ることができます。

この日時計の特長とあわせかた

これまでの普通の日時計には、次の2種類の時差がありま

した。

経度差 ここ(東経124.0°)と、中央標準時の基

準子午線(東経135°)の通る兵庫県赤石との経度差によ

る時差(ここでは日時計が常に約44分遅れる)と

均時差 四季の変化で、太陽が天の黄道上を移行する

速さが一定でないため、真太陽と、わたくしたちが時刻の

基準にしている平均太陽との相違による、最大16分まで

の歩みおくれがあります。

この日時計は、東経135°、北緯45°のところの垂直型日

時計とまったく同じ方向をむくように、すこし傾けておいて

ありますから、(1)の経度差による時差はありません。

また、目盛が等間隔になっているので、(2)の均時差によ

る時差は、下の均時差修正表に記してある日に、目盛板を多

少左右に回転して、その下方にある矢印の真上に、その日の

修正値がくるようにすれば、日時計から、直接、中央標準時

(誤差1分程度)を知ることができます。 矢橋式日時計

この日時計は旧黒島マリンビレッジの敷地内にあります。

[153] 高知シリウスふぁーむ便り・・石垣島のかげぼうし日時計 | ネクタイ外して野良へ・・農園工房シリウスふぁーむ便り () https://ameblo.jp/shiriusufarm/entry-12133577764.html

[159] () http://bunjin-k.net/yonaguni1.htm

明治29(1896)年、標準時変更によって西部標準時が設けられた際、1時間の時差をもって、与那国は台湾と同一時刻の標準時間帯となった。(ただし西部標準時の使用は昭和12(1937)年に廃止されている)。(宮城政二郎『与那国物語』1993年)