琉球古字

琉球古字

[21] 琉球古字は、 琉球国で使われていた文字です。

文字種

[22] 十干を表す文字が5種類あります。 十干五行 × () () の組み合わせですが、 五行に相当する5文字があり、兄弟の区別はありません。 これらの文字は五行自体には使われず、 十干の意味で使われます。

[111] 十二支を表す文字が12種類あります。

[112] これら十干十二支を表す17種類の文字が、 琉球古字やこれに類する文字群としてよく挙げられるものです。 これらは単独で、または漢字仮名と併用して用いられます。 その他に、広義の琉球古字に含めるべき次のような文字や文字状の記号があります。

[113] 数字 : >>78 >>110

[114] 象形文字らしきもの : >>78 >>110

[115] 暦注の記号 >>50 >>99

[116] 組み合わせて使われる絵記号らしきもの : >>90

[126] これらとの関係は不明ですが、宮古島文字とされるものもあります: >>127

字形

[117] 琉球の各地域で実用される(された)他、沖縄県を含む日本各地各時代で研究その他の目的で多くの媒体字形が示されていますが、 同じ字形で揃っているものが2つとないのではと思えるほどに字形の揺れが激しく、 まったく別字形ではないかと思われるものも少なくありません。

[118] それでも多数の事例を収集して比較観察すると、字形のどこを重視して複写した結果別の字形が生じたのかが何となく見えてきます。 一見関係性のない字形も含め、おそらく丁寧に観察すれば系統関係を整理できるはずです。

琉球での利用

琉球神道記

[23] 安土桃山時代日本本土から、 薩摩藩属国になる前の独立時代の琉球王国に渡航した僧侶の著書 琉球神道記 に記録が残ります。

[20] 出版ごとに字形が微妙に違っています。

[103] >>101 は「琉球神道記中に記されている神代文字」 と呼んでいます。 >>101>>94 を引用していますが、 >>94神代文字という表現はありません。 神代文字というのが日本本土でいわれるものを指しているのか、 あるいは天人の伝承があることから天人の時代、神代と素朴に書いたものかもしれませんが、 後者の解釈は少々苦しいでしょうか。しかし日本本土でいわれる神代文字のようなニュアンスなく使われています。

天人文字

時双紙

[54] 24-7.pdf, , https://okimu.jp/sp/userfiles/files/page/museum/issue/bulletin/kiyou24/24-7.pdf#page=2

[76] >>54 #page=5 時双紙A本③の左側の欄は

子 丑寅

卯 辰巳

午 未申

酉 戌亥

と書かれている。

[77] >>54 #page=3 の本文中の言及では, , で代用している。 特に は本来括弧であり、しかも下半分にアキを入れて全角にしたもので、 非常にわかりにくい。

[78] >>54 #page=5 干支文字の他に、象形文字らしき複数行の縦書き文のようなものがある (干支文字と混ざって書かれている)。

[73] p044.pdf, https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/11899/p044.pdf#page=9

[110] >>107 /190 に象形文字らしきものの一部

[246] 沖繩文化 = The Okinawa bunka 28(1)(77), 『沖繩文化』編集所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4437792/1/32 (要登録)

[92] 砂川双紙(うるかそうし)、時(とき)双紙について知りたい。 | レファレンス協同データベース, 国立国会図書館, https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000104335&page=ref_view

砂川双紙, 砂川暦

[105] 沖繩文化 = The Okinawa bunka 3(15), 『沖繩文化』編集所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4437733/1/6 (要登録)

[106] >>105 岡田氏の見解では、十二支文字は本土中世の金石文に類似しているか、 その略化したものであり、本土中世の書体に続くもの、と。具体例はなし。

[49] null, , http://www1.cts.ne.jp/~koyomi/kikou2-20.html

〈砂川(うるか)暦〉これは宮古島城辺町(宮古島市)砂川地区で使用された暦。流刑地であった宮古

島に流されてきた知識人などの協力もあって、幕末以来、近年までおよそ100年続いた。現在は

神宮館の暦を用いている。

●稲村賢敷氏……倭寇(わこう)起源説 『簠簋(ほき)』由来説

●岡田先生説……「大雑書」を参考にし、その知識を応用して作ったもので、古いものではない。十干十二支を文字でなく記号で書くことは、沖縄本島で使われてきたのと同じであるが、砂川暦は近年消滅したものか。

[52] 砂川双紙(うるかそうし)、時(とき)双紙について知りたい。 | レファレンス協同データベース, 国立国会図書館, https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000104335&page=ref_view

[53] 65_KJ00004913873.pdf, https://www.jstage.jst.go.jp/article/minkennewseries/65/4/65_KJ00004913873/_pdf/-char/ja#page=7

[56] 86_25.pdf, , https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48595/1/86_25.pdf#page=45

[79] こよみの学校 第79回 沖縄の砂川暦-干支や日の吉凶を記号に|暦生活 | 日本の季節を楽しむ暮らし, https://www.543life.com/content/campus/campus79/?srsltid=AfmBOooJTEMx0m6CEadV_b8BPR7Y67oZYd5O9cTqMHenphMi9X53Rorm

[50] >>79 十干十二支の文字の他に、暦注を表す文字9種類を紹介しています。 9種類中天火日地火日は同字形で色が違いますが、説明はありません。 他に願戻日だけ色が違います。 また、種苗日は3,4文字分くらいの幅で描かれています。

[99] >>94 /105 暦注の符号 11種類 (朱と黒を区別している)


[88] 宮古島城辺町比嘉 モノシリの家 神の帳, 昭和24年写 (昭和56年8月に >>84 著者が宮古島で閲覧) の一部分の白黒写真:

  • [86] >>84 図II 占書の絵文字 (宮古島)
  • [87] >>84 図III 占書の『神之帳』 (宮古島)

[89] >>86 は十干十二支の文字を使った表。

[91] >>86 みると同じ文字が別字形で、おそらく書き分けの意図なく、混在して使われていることをどう理解するべきなんでしょうね。

[90] >>87>>73 #page=10 下側や >>94 /82 と同形式 (同じではない)

[97] >>90 の一部は >>94 /84 に説明あり。

神代文字説

[8] 琉球神道記の文字やそれに類似した文字群は、 江戸時代日本本土では神代文字の一種ではないかと考えられました。

[42] 神代文字を古代文字とする説は当時から議論がありましたが、 現在では完全に否定されています。 琉球古字神代文字の類とする説も、もとより確実な根拠があるものではありません。

[43] しかし神代文字を信奉する一部の人々は近年に至っても独創的な見解を発表しています。

留守氏系統

渋川春海系統

[199] nikkan0001000470.pdf, https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/31060/nikkan0001000470.pdf#page=10

[200] >>199 渋川春海が弟子に伝えた十二支神代文字とされるもの

[59] >>58 昭和時代の研究者山田孝雄による琉球神道記から神代文字説が生じた経緯の推測。

[130] rekisikenkyu32_p93-107.pdf, https://opac-ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/webopac/rekisikenkyu32_p93-107._?key=USNDIJ#page=7

[1] 神代文字 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%97#%E5%9E%82%E5%8A%A0%E7%A5%9E%E9%81%93%E5%AE%B6%E3%81%AE%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%97

石鏡古字

[38] >>5 /89

[39] >>6 /100

[4] ho02_04229_0003.pdf, , https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ho02/ho02_04229/ho02_04229_0003/ho02_04229_0003.pdf#page=6

[7] 典籍雑攷, 山田孝雄, 山田英雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2932710/1/177 (要登録)

[41] >>5 /90 直澄は琉球古字を合体字と主張した、その元となった文字5+8個

[48] >>31 /96 /97 は神代文字説に砂川暦を参照した事例

[26] 修訂 絹と立方体 p.236

十二干説

[32] 昭和時代後期に、 琉球古字十二干の文字だと主張する者が現れました。 それによると、十干と「方」と「発」で十干干で、 代中期の10進法暦法の導入で十干となるより前から伝わるもので、 この十二干から十二支が生じたのだといいます。 >>31

[33] この説によると、その12字 (や他の神代文字) は甲骨文字金文などの古漢字から変化したものだと説明されています。 >>31

[34] >>31 によると神代文字古漢字で説明しようとする試みは清国人の説が既にあり、 それを発展させたのがこの説とのことです。また、 >>29 によるとこの説に続いて神代文字甲骨文字で説明しようとする信奉者が後に続いたようです。

[31] 九鬼神伝全書 : 中臣神道・熊野修験道, 吾郷清彦, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12262211/1/91 (要登録)

[29] 十二干 - Uyopedia () http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%B9%B2

[30] 忘空 - Uyopedia, , http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E5%BF%98%E5%85%AB#.E3.80.8C.E5.BF.98.E7.A9.BA.E3.80.8D.E3.81.AE.E6.A6.82.E8.A6.81

[35] >>30

琉球古字の11文字目は甲骨文字の「」、12文字目は「」であるが、琉球古字は殷代の十干そのものではなく、十干の祖形であり、琉球古字(原十二干)を12個の武器に喩えて置き換えたものが殷の十二干だという。それで竹内健は十二干としての11文字目は「」、12文字目は「」(正しくは旧字体で「發」)だとした。

しかし後世の「空亡」(くうぼう)や「忘八」という言葉から推定して「方・発」の代わりに「」も提案できる。「亡・八」から派生したならこの方が祖形に近い。

現行の空亡(くうぼう)は十干と十二支の組み合わせで余る最後の2支をいう。 これは「亡・八」が十二干の最後の2文字であることが忘れられた後になって、むりやり解釈した新しい意味であることが明白ではないだろうか。

空亡忘八に無理矢理結びつけた新たな解釈を提唱しています。

[36] 空亡は一応干支と関係ある言葉ですが、 忘八は説明すら放棄されていますw

[3] 琉球古字 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E5%8F%A4%E5%AD%97

[27] >>3 一見中立的な解説に見えるが、学術的な研究というより超古代史に分類するべき「研究」 があたかも最新研究のように紹介されている。一応それが定説の扱いにはしていないが、 かなりの分量と熱量で説明している。

[28] これを見たら知識のない人は甲骨文字から派生して十二干なるものを経て生じたというのが最新の有力説のように誤解してしまう可能性が高いのでは。

[65] 謹賀新年 - 北斗柄の占いについて思うこと, https://hokuto-hei.hatenablog.com/entry/2021/01/03/123734

[66] >>65

この中で竹内健は「神代文字は中国の甲骨文字や金文をレタリングしたものだ」という主張を展開していた。そしてその明白な例として、琉球神道記に収録された古字の十二支とされる文字の最初の三文字が甲乙丙の甲骨文字であるとしていた。

ことを紹介し、

神代文字が神代に使われていたということは、まず無いだろうけれども、どういった人達が神代文字を必要として何をオリジンとして神代文字を作りあげたのかは今後研究されるべき問題だと思う。

と述べています。この結論はまったくその通り。しかしこのブログ記事が琉球古字甲骨文字と似ているとし、

もし、この琉球古字に甲骨文字をレタリングしたものが混入しているとしたら

と述べることにはいくらか問題があります。

  • [67] この記事が参照している琉球神道記は昭和時代に刊行されたもので、 琉球古字の字形は原本と異なる。字源を議論するのに適切ではない。
  • [68] この記事が類似性を認定した3字のうち2字は+状の字形と状の字形で、 いずれも極めて普遍的な図形に過ぎない。
  • [69] 残る1字は▽▽状字形である。甲骨文字や金文として示された字形とは似ていない。
    • [70] 似ていないのだが、日本本土における琉球古字のこの字の変化形と見られるものに甲骨文字として示された字形と似たものがあることは少し考えさせられるものがあろう。

宮古島文字

[127] 昭和時代の解説書で宮古島文字なるものを紹介しているものがあります。 >>122, >>125

[128] 宮古島の住民が古来月日には漢字を、普通文字は日文の類を使うとして数種類が例示されています。

[129] 琉球古字とは節を分けて説明されています。

文字コードとフォント

[120] 琉球古字に明示的に対応した文字コードフォントは知られていません。

[121] 一部は他の文字記号字形が同一または類似しているので、 それで代替表記されることがしばしばありますが、 それだけでは賄いきれません。 また、一部は無理に代用して原形がわかりにくくなっており、 好ましくない状況といえます。

[119] 関連: 情報システムにおける神代文字

関連

[2] 沖縄古代文字, カイダ文字

メモ

[44] これらの文字群はまず琉球の文化として重要であり、 次に近世日本本土文字学の研究史として重要で、 加えて近現代の超古代史思想史の一側面として大変興味深いのですが、 それらに留まらず、 「知っていそうで知らない謎の形の文字群がどのように伝播するか」 という非常に面白い素材を文字の研究や情報伝達の研究に提供してくれているので、 もっと注目されて良いように思われます。

[45] 単純な幾何学的記号もあれば、漢字仮名に似たものもあり、 よくわからない複雑そうなものもあるものの、 わずか12文字という取り扱いやすい少ない文字数。 文章の一部分として使われるのではなく文字ないし記号として意識的に取り扱われたことが確実。 おそらく意図せぬ変化もあれば、おそらく何らかの意図があっての改変もある。 手書き文字も印刷文字も陰刻金石文もある。 それぞれの作られた時代と地域がほぼ特定可能。 ・・・こんな条件が揃った素材なんて他にそうそうないのではありませんか。