本初子午線

本初子午線

[13] 本初子午線 (中度) は、経度0度線です。

[14] 歴史的には各国それぞれ様々な本初子午線を用いていました。 現在はグリニッジ子午線 (に近い子午線) が本初子午線となっています。

グリニッジ本初子午線

[11] 国際子午線会議

旧インド本初子午線

[15] Time in India - Wikipedia, the free encyclopedia () https://en.wikipedia.org/wiki/Time_in_India

Postulating a spherical earth, the book described the thousands years old customs of the prime meridian, or zero longitude, as passing through Avanti, the ancient name for the historic city of Ujjain (23°10′58″N 75°46′38″E), and Rohitaka, the ancient name for Rohtak (28°54′N 76°38′E), a city near the Kurukshetra.[1]

旧パリ本初子午線

[12] 日本船主協会:海運資料室:海運雑学ゼミナール ( ()) http://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_276.html

本初子午線(経度ゼロの子午線)は、英国のグリニッジを通る線で世界中が統一されているはず。ところがフランス国内で発行される地図の本初子午線は、何とパリを通っている。

しかし英国と歴史的にライバル関係にあるフランスにとってこれはあまり面白くない。そこで、国際標準としてはグリニッジ案を認めるものの、国内ではあくまでパリを通る経線を本初子午線としたわけである。

経度ゼロの栄誉?をライバル英国に奪われた悔しさは分かるが、国内用と国外用で経度が2種類ある不便に今も耐えているフランス人の頑固さには、脱帽せざるを得ない。

京都・東京旧本初子午線

[16] 江戸時代から明治時代初期の日本では、 京都江戸東京子午線中度とされていました。

[2] 本初子午線と標準時の制定 ( ( 版)) http://uenishi.on.coocan.jp/m910shigosen.html

[3] 暦Wiki/時刻/日本の本初子午線 - 国立天文台暦計算室 ( ( 版)) http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/BBFEB9EF2FC6FCCBDCA4CECBDCBDE9BBD2B8E1C0FE.html

[4] 近代デジタルライブラリー - 法令全書. 明治15年 ( ( 版)) http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787962/240

[6] 暦Wiki/歴史/明治以降の編暦 - 国立天文台暦計算室 ( 版) http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/CEF2BBCB2FCCC0BCA3B0CAB9DFA4CECAD4CEF1.html

[26] 日本地図の経線: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201806/article_14.html

[7] 本初子午線をゆくPart I 京都編 ( 版) http://stelo.sakura.ne.jp/135e/hizakuri200203.htm

江戸時代以前の国内の地図には経緯度の概念がなく、江戸時代後期の1779年に刊行された長久保赤水の「改正日本與地路全図」が、現在知られている日本最初の経緯度線入り地図である。この地図の経線は、0度とこそ記されていないものの、京都が基準になっているという。

日本で初めて定められたと言える京都基準の本初子午線は、江戸時代を通じて使われていたが、明治に入ると東京を本初子午線とした地図が刊行されるようになった。

[270] 本初子午線をゆくPart I 京都編 ( 版) http://stelo.sakura.ne.jp/135e/hizakuri200203.htm

本初子午線の基準となったのは、上京区西月光町にあった京都改暦所。江戸幕府が寛政の改暦作業を行うために設けた天文台である。

[269] 本初子午線と標準時の制定 ( 版) http://uenishi.on.coocan.jp/m910shigosen.html

明治維新以前には京都を「中度」とよび本初子午線(中央経線)とされていましたが維新後は一時、東京になっています。[内務省:内務省年報 明治十八年報告(復刻版 三一書房 1984 p287)]

東京の本初子午線もあちこち移動したようです。明治初期は現港区虎ノ門のホテルオークラ付近(当時は赤坂区溜池葵町三番地)にあった内務省地理局測量課で1882年(明治15)からは皇居東御苑天守台跡の内務省地理局天文台でした。[荒井郁之助:日本ノ地學經度 東京地學協會報告 第七巻一号 1885 p17-32][藤井陽一郎:内務省地理局の三角測量事業 「科学史研究」70号 日本科学史学会 1964 p74-75]

[5] 日本標準時も参照。

蘭印旧本初子午線

[21] 蘭印では中部ジャワ子午線中度とされました。 標準時中部ジャワ時間とされていました。

日本基準本初子午線改正案

[24] 昭和時代中期の大東亜戦争中、 国粋主義者が本初子午線東京天文台基準に改正することを提案し、 帝国議会請願しました。

[25] 日本政府は技術的に困難だと否定的な見解を示し、 実質的に拒絶しました。

[20] 現代視点だと馬鹿げた発想に見えるかもしれませんし、 当時も科学者から見たら面倒だから勘弁してくれという感じだったのでしょうけど、 そのわずか50年前には世界各国で自国基準の本初子午線を定めるのは普通のことだったんですよ。 フランスなんてもっと最近までグリニッジ子午線採用を拒んでいたし。

[22] 真正太陽暦とも関係あるのでしょうか。 しかし真正太陽暦伊勢神宮を基準子午線とするものなので、 別派閥のように見えます。

その他

[27] Templar calendar

[28] メートル法と標準時(落書き帳 記事集), https://uub.jp/frm/search.cgi?KJN=1&KJNS=3290+15066+45385+67006+73957+73958&ORDR=NON&TITLE=%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E6%B3%95%E3%81%A8%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82&KIX=1

アメリカ合衆国の独立当初には、独立の「あかし」として首都ワシントンの国会議事堂を経度の原点とする考えもあったようです。

他の天体

[17] 地球以外の本初子午線

メモ

[1] ( 版) http://www.inopedia.jp/img/f_users/r_107834278img20100618143133.pdf

[8] 本初子午線 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%88%9D%E5%AD%90%E5%8D%88%E7%B7%9A