コーストタイム

中国大陸の標準時

[33] 現在中華人民共和国は、 を全土の標準時として採用しています。

[681] 日本時差が1時間あり、日本が進んでいます。

変遷の概略

[266] その複雑な歴史を反映して、現中華人民共和国の支配地域では様々な時刻が用いられてきました。

[265] 支那内蒙古ウイグルチベット標準時の変遷の概略
date
時期
張家口
張家口
北京
北京
天津
天津
青島
青島
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上海
南京
南京
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広東
香港
香港
澳門
澳門
北海
北海
広州湾
広州湾
重慶
重慶
亜東
亜東
チベット
チベット
西チベット
チベット西部
西ウイグル
ウイグル西部
ウイグル
ウイグル
新南群島
新南群島 (中華人民共和国支配地域)
大陸政府の
date
19世紀末
香港
澳門
上海
,
青島
重慶
北京
天津
,
南京
date
上海
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香港
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重慶
亜東
西ウイグル
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広東
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重慶
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上海
青島
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広州湾
重慶
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天津
上海
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重慶
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1929
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,
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西チベット
西ウイグル
ウイグル
重慶
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,
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上海
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新南群島
西チベット
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,
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新南群島
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新南群島
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張家口
北京
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1951
張家口
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南京
青島
広東
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重慶
チベット
ウイグル
西チベット
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1960
張家口
北京
天津
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南京
青島
広東
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北海
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重慶
チベット
西チベット
亜東
西ウイグル
ウイグル
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張家口
北京
天津
上海
南京
青島
広東
香港
澳門
北海
広州湾
重慶
チベット
西チベット
亜東
ウイグル
,
西ウイグル
,
新南群島
(1974)
date
張家口
北京
天津
上海
南京
青島
広東
北海
広州湾
重慶
チベット
西チベット
亜東
ウイグル
,
西ウイグル
,
香港
澳門
新南群島
date
張家口
北京
天津
上海
南京
青島
広東
北海
広州湾
重慶
チベット
西チベット
亜東
ウイグル
,
西ウイグル
,
香港
澳門
新南群島
date
張家口
北京
天津
上海
南京
青島
広東
北海
広州湾
重慶
チベット
西チベット
亜東
ウイグル
,
西ウイグル
,
香港
澳門
新南群島
date
張家口
北京
天津
上海
南京
青島
広東
香港
澳門
北海
広州湾
重慶
チベット
西チベット
亜東
ウイグル
, , 夏 ,
西ウイグル
, , 夏 ,
新南群島
date
1992
張家口
北京
天津
上海
南京
青島
広東
香港
澳門
北海
広州湾
重慶
チベット
西チベット
亜東
ウイグル
,
西ウイグル
,
新南群島
date
tzdata
上海
Shanghai
重慶
Chongqing
ウイグル
Urumqi
澳門
Macau
香港
Hong_Kong

周辺地域については、満州の標準時朝鮮半島の標準時蒙古の標準時台湾の標準時越南の標準時南アジアの標準時

[64] 清国では紀年法として元号が、 暦法として農暦が用いられていました。 朝時代の政府発行の御定萬年書では、 北京地方視太陽時を用いて農暦が計算されていました >>4

[556] tzdataAsia/Shanghai >>60Asia/Chongqing >>136 を元の地方時としています。

[19] 1851年太平天国が建国されました。 支配地域は時代によりますが、首都となった天京 (南京) を中心とする中支南支の内陸部に勢力を持っていました。 太平天国は独自の紀年法暦法を採用していました。 太平天暦

[116] 1850年代、アヘン戦争アロー戦争を経て海関 (税関) は列強各国 (特にイギリス) の管理下に入りました。 当時は国の政府機関でしたが、後に中華民国に引き継がれました。

[22] 1864年太平天国は滅亡し、 清国の統治下に復帰しました。 残党も1870年代までに掃討されました。 これに伴い太平天国日時制度も使われなくなったとみられます。

[5] 1870年代には徐家汇观象台上海平時租界船舶報時していました >>4

[62] 東経120度の時刻とするものもあります。 フランス本国がグリニッジ子午線を事実上の本初子午線としたのは1911年です。 東経120度の時刻というのが と同じものなのかは不明です。 報時球 となったのは1903年とされています (>>157)。

[751] 清国を旅行した日本人の記録によると、 営口に滞在していたところ、 その日はだと言う者がおり、 西暦を使うのは西洋人日本人くらいだったので確認困難だったといいます。 >>750

[1224] 1935年米国政府時差の表は、 China CoastHong Kong1896年標準時採用としていました >>1225

[745] 独軍膠州湾に進攻しました。
[746] 清独条約施行され膠州湾は正式に独国租借地となりました。。 周囲に中立地帯も設置されました。 膠州湾租借地独国海軍省管轄となりました。

[461] 1899年英国政府提供の情報によると、 当時の各都市では次のような状況でした >>460

[473] 同じく当時の港湾報時情報によれば、

... でした >>460

[474] 国際電信会社は、この頃次の時刻を案内していました >>460

[488] 米国新聞によると >>487

[294] 付け報告によると、 Chifu (芝罘山東半島) 報時球 地方時 = GMT に落下させられることとなりました >>293天文時 = 常用時 だとすると、 ということになります。

[558] tzdataAsia/Shanghai は、 1901年を境に としています >>60。 根拠は不明です。


[63] 光緒28年/1902年には、中國海關東経120度時刻 海岸時 (コーストタイム) とし、 沿岸・長江の主要な港湾京奉鐵路京漢鐵路津浦鐵路で採用しました。 >>4

[115] >>102 によれば、 >>63 の出典は中華民国八年暦書の4ページです。 1902年に最初に制定されたのでしょうが、どのように拡大していったのかは不明です。

[157] 清國上海徐家匯 (Zi-Ka-Wei) 天文臺天文台長告示によると >>156より、上海フランス租界報時球 を採用しました >>156, >>218。 これは従来より遅いものです >>218。 つまりそれ以前は だったことになります。

[310] 徐家汇观象台は19世紀末に東経120度の時刻を標準時とした >>4 とするものもあります。数年ずれてはいますが、同じことを指していると思われます。

[635] Time ChangesCHINA, PEOPLE'S REPUBLIC OF は、 より東岸の Tientsin などの主要都市 (principal cities) のみで標準時 としていました >>1256。内陸部ではその後も日時計 (sundial) が使われ続けたともしていました >>1256。後に内陸部へ毎日1回電信報時されるようになり、 地域によっては正午時銃発火されました >>1256

[159] ドイツ政府は、より、 膠州湾租借地標準時 としました。 これに伴い靑嶋 (Tsintau) 海軍天文台報時球東経120°1814'地方平時から1分13秒2遅らせることとされました。 >>271, >>158 つまり元は でした。

[772] 頭、 漢民族大明顺天国を建国しようと試みましたが、 失敗しました。 同国は建国紀元として大明國を使いました。 なお、この国の標準時 とするものがありますが、 根拠不明で、香港の標準時からの類推に過ぎないと思われます。 大明顺天国


[243] 報告によると、 広東海関zone time を次の日曜日午前10時から採用することとなりました >>242 4ページ、11ページ。 つまりから海岸時 が施行されました。

[119] 香港澳門標準時としました。 広東江門三水梧州 (の海関系機関) も同時に を採用しました。 >>117

[118] ところで「海岸時」という用語は >>117 には現れません。 たまたま >>117 には使われなかったのか、通称だったのかは不明です。 1903年の >>218 には「China coast time」、 1906年出版の >>268 には「支那海岸時」とあり、既に一般的な用語だったとは思われます。

[540] シンガポール新聞報道によると、 営口 (Niu-Chwang) から汕頭 (Swatow) までの東岸と、 漢口 (Hankow) までの長江 (Yungtse) zone time を採用しており、香港 (Hongkong) 広東 (Canton) も採用するべきだと清国海関巡工司 W Ferd Tyler が動いており、 (香港の?) Chamber of Commerce もこれに同意し、 支那香港澳門標準時が実施される運びとなったとの文書が香港で出版されたようです。 >>539

Chamber of Commerce支那鉄道の延伸が進んでおり、今の時期の標準時実施が好ましい >>539 との見解を表明していました。この説明からは、この時点で付近の鉄道標準時が既に用いられていたのかどうかははっきりしません。
[541] この「営口から汕頭まで」という表現は以降に示す通り新聞報道でしばしば登場します。 汕頭広東地方の東端に位置しますが、都市としての広東 (広州) は更に西にあり、香港澳門とも近い位置にあります。 元々は「営口から汕頭まで」 が実施されており、更に西進する、 という意味だったようですから、後の時代の報道ではもっと簡潔に「営口から澳門まで」 とでも言えたはずですが...

[493] 米国新聞報道によると、

... という状況でした >>492

[657] 他の英国植民地というのがどこかは不明ですが、 英領ラブアン英領北ボルネオもこの頃香港に合わせて 標準時としました。 マレーシアの標準時

[636] Time ChangesCHINA, PEOPLE'S REPUBLIC OF は、 から Canton, Hong Kong, Kongmoon, Macau, Swatow, Samshui, Wechow標準時 としていました >>1256

[195] 1904年頃、広州湾租借地では の採用が検討されていたようです。 インドシナの標準時


[31] には、 清国海関巡工司ダブリエ・フエルド・タイラー主導により関係諸機関 (郵便電信鉄道等) との調整を経た標準時が実施されました >>117。これは全土を , , , , に分けたもので、ほぼ経度に従っていますが、 交通や電線の都合で調整が入っています。

[123] ただし、 >>117 には残念ながらその詳細の図は収録されておらず (原文には付図があった模様)、主要都市(開港場等)が列挙されているのみです。 海岸部の都市は既に を用いていたので、 新たに を用いることにしたと思しきいくつかの の都市と、わずかな の都市が挙げられているのみです。 (もっとも、この時代にはまだ全土で標準時を規定したといっても、 それら外国人が多数在住して電信や郵便が整ったわずかな都市でだけしか実態が無かったのでしょう。)

[256] の報道によると、 北海 (Pakhoi) が「ようやく」 zone time の採用を決めました。これは地方時より16分遅いものです。 >>257 つまり となったようです。

[637] Time ChangesCHINA, PEOPLE'S REPUBLIC OF は、 から次の標準時としていました >>1256


[721] 1904年頃の米国海軍天文台時差の表は、 次のように説明していました >>724, >>725, >>726。内容から海岸時実施前の状況を説明したものと思われます。

[208] 1905年末の情報では、 膠州湾租借地 とされていました >>268

[481] 米国新聞でも、支那時間帯採用が報道されています >>482

アジア大陸の鉄道標準時蒙古標準時

[194] 広州湾租借地を含む仏印は、1906年 を採用しました。 その後 1911年 に改正されました。 仏印の標準時

[79] 当時仏印広州湾租借地に接していた清国南部の雲南などの地域は、 仏国の強い影響下にありました。 1910年には、雲南昆明と、 仏印 (越南) のハノイとを結ぶ鉄道が開業しました。 海関制定の標準時 (>>31) によればこの地域は となりますが、鉄道や現地のフランス人 を使っていたのでしょうか。


[16] 清国時代末期、反政府主義者らは黄帝紀元など清国元号以外の紀年法を使うようになっていました。

中華民国 (大陸時代)

[315] 中華民国時代は、全土を完全に掌握した中央政府が存在せず、 自称中央政府、軍閥、外国勢力が割拠していました。各勢力はそれぞれの時刻を用いましたが、 いずれも完全な統一はできずにいました。

[631] 中華民国が建国されました。 当初は南京首都が置かれ、中支南支を中心に勢力を広げ、 北支清国と対立していました。 中華民国紀年法として民国紀元を、 暦法としてグレゴリオ暦を採用しました。 民国紀元グレゴリオ暦農暦

北京政府時代

[634] 清国最後の皇帝溥儀退位しました。 清国政府は中華民国北京政府に移行しました。 政府の正式な日時民国紀元グレゴリオ暦となりましたが、 紫禁城内に残った清室 (遜清皇室小朝廷) では清国元号 (宣統) と農暦が引き続き用いられました。 その他清国支持勢力は引き続き宣統を用い続けたといいます。

[58] 民国17年までは、 農暦北京東経116度25分 = に基づき計算されていました。 民国元年民国2年地方視太陽時民国3年以降の地方平均太陽時が用いられました。 農暦

[270] 日本軍膠州湾租借地に進攻しました。 日本の統治下となりました。 (第一次世界大戦 日独戦争) 当時の日本軍の時刻については日本軍の軍用時

[12] 中華民国にかわり中華帝国が成立しました。 紀年法民国紀元から元号洪憲に改められました。

[13] 中華帝国の滅亡により中華民国が復活しました。 紀年法は改めて民国紀元となりました。

[14] 中華民国にかわり清国が復活しました (張勲復辟)。 紫禁城内 (遜清皇室小朝廷) で用いられていた清国元号農暦が復活しました。 しかしには清国の再滅亡に伴い中華民国が復活、 民国紀元グレゴリオ暦に復帰しました。


[193] 大正7年出版の >>192 によると、

... が用いられていました。

[198] 大正4年出版、大正8年再版の >>196 には、次のような記述があります。

[65] 1918年/民国7年には、中央觀象台が5つの時間帯を定めました (満州蒙古ウイグルチベット領土として含まれていました) >>4, >>437, >>438

[2] 中央観象台制定時間帯

[66] 中央觀象台が出版した中華民國八年曆書には、 主要都市の時間帯地方平均時の対応関係が示されていました >>4

[125] この区分けと従来の海関によるもの (>>31) との関係は不明です。 中華民国八年暦書海岸時にしか言及 (>>115) がないとすると、 まったく新たに区域 (と東西2区の標準時) が定められた可能性もあります。
[134] 実施時期は不明ですが、民国7年に定められ民国8年暦書に記載されたということで、 民国8年正月施行かもしれません。

[742] 現代においてはこれが支那近代的標準時の始まりと紹介されることがよくありますが、 正確ではありません。


[587] 1919年には、 当時欧米で実施例が増えていた夏時刻上海天津でも実施されました。 しかし不評であり、翌年以降は実施されませんでした。

[28] >>27 によれば上海は各国商業会議所領事で議論した結果夏期時間制を採用することとし、 より実施したようです >>27

[26] >>25 によれば、上海に倣って天津 (の租界および民国現地政府) はからまでの間夏時刻を実施する (天津電信局はそれに従うが鉄道は従わない見込みである) ことから、 北京夏時刻を実施するべきかと各国公使団で議論されました。 しかし鉄道が夏時刻を実施しないことによる混乱を危惧し、 北京では実施されなかったようです。

[127] 中華民国中央観象台は、夏時刻実施時に、 時間制度をいたずらに混乱させるもので、標準時に戻すべきだと要請しましたが、 上海海関は既に実施されたものを戻しても混乱が深まるだけだと拒否しました >>126

[129] 中央観象台は、時計の時間よりも1時間遅らせる (つまり実質的に標準時通りの) 特別な制度を実施するなど上海の市内だけでも成功とは言いがたく、 他の都市も推して知るべしだと指摘しています >>126。 また、海関の中で夏時刻を実施したのは上海だけでした >>126

[222] 上海に元の標準時に復帰しました >>221

[303] 香港も検討しましたが、実施には至りませんでした (>>247)。

[128]民国9年には中央観象台は先手を打って春のうちに夏時刻を実施しないように要請し、 上海海関にも総税務司から指示が来ています >>126

[131] 海関以外や上海以外の都市の様子は不明ですが、 主導していたらしい上海が抑えこまれた以上、夏時刻は以後実施されなかったのかもしれません。

[304] 後年の新聞記事は、 極東の他の都市が夏時刻を実施しなかったのが失敗の理由としていました >>302

[747] 1919年ベルサイユ条約により膠州湾租借地独領から日本領となりました。

[15] には、遜清皇室小朝廷が廃止されました。 これにより特区のように清国元号農暦が公式に残存していた領域が消滅しました。

[151] 大正14年出版の書籍 >>150 には、「各省時差」として、 中華民国の分単位の時差が示されています。 現地情報ではなく各中心部の経度から求めたようにも思えますが、不明です。

[592] 米軍時間帯図では、 CHINA (滿洲蒙古ウイグルチベットを含む全域) のほとんどは無色ですが、海岸部は朝鮮国境から越南国境に至るまで で塗られていました。長江流域では内陸部まで塗られていました。 ただし PakhoiHAINAN (Kiungehow を含む) は で塗られていました。 >>591

南京政府時代

[130] 1928年中華民国南京国民政府北伐により北京政府は滅亡しました。

[639] 北京で行われていた編暦業務は、 南京紫金山天文台に移されました。

[68] 1929年からは農暦 で計算されるようになりました >>4GMT の整数時差であるだけでなく、南京経度にも近い時刻です。

農暦も参照。

[638] Time ChangesCHINA, PEOPLE'S REPUBLIC OF は、 1928年標準時が次の5区に分けられたとしていました >>1256

[640] この時点で中華民国の統治下に一度も入ったことのない朝鮮台湾 に含まれているのは謎ですし、上海 に入っているのも謎です。

[553] Shanks は、 CHINA のうち香港澳門台湾以外について、 より (#1), (#2), (#3), (#5, #6, #7, #8), (#4, #9) としていました (それ以前はLMT) >>439。 (滿洲。)

[557] tzdataAsia/Chongqing は、 1928年を境に としています >>136

[421] Wikipedia は、1928年支那内陸部で初めてグリニッジ子午線基準の時間帯が採用された (海岸部と満州1904年) >>420 としていますが、出典要検証とされています。

[655] 質問サイトの回答は、 この時期に標準時が改正されたとすると理由は何かを考察していますが、 一方で当時の新聞にそれらしい記事が見当たらないとして、 信憑性に疑問も示しています >>654

[773] の反乱で数日間存在した大同国について標準時 とするものがありますが、根拠は不明です。 大同


[499] 日本で出版された論文 >>500 には、「北京時間」で時刻の記載があります。 G.M.T. の記載もあるので、 だということがわかります。

[206] 刊行でに再発行された >>207 は、支那沿岸の標準時 としています。 各地の報時信号についても、地方時で信頼できないなどの注記があります (例えばコマ43)。

[174] ロンドンの出来事を報じた新聞記事には、 「上海時間午後二時半(ロンドン時間午前六時)」 >>175 とあります。 この時期のロンドン夏時刻ではないので とすると、 上海 となります。実際に上海でこの時刻が使われていたのか、 何らかの誤りなのかは不明です。

[413] 1934年に日本で出版された地図表時間帯の図では、 支那のうち、沿岸部全体と揚子江のかなり上流部までが同じ色で塗られています。 満州国と同じ色で、 を表すと思われます。 揚子江は、重慶付近まで同じ色になっています。 支那のそれ以外の地域は、チベットの一部 (チベットの標準時)ウイグルの一部 (東トルキスタンの標準時)、 それに外蒙古北部の一部が国境線を超えてソ連と同じ色で塗られているのを除き、 標準時不明を表す無色となっています。 重慶より上流の成都は無色です。 >>412

南京政府・重慶政府時代

[50] 1937年北支事変によって蒋介石政権が中国大陸の沿岸部の支配を失い、 かわって中華民国臨時政府 (北京) や中華民国維新政府 (南京) が設立されました。

[51] この時期、各地に様々な政権が樹立され、支那事変大東亜戦争の混乱が深まる中、 時刻も大いに混乱していたようです。

[670] 当時の中華民国の親日政権を大日本帝国傀儡政権であるとし、 日本中央標準時支那人に強要したと主張する人もいます。 しかし、次に示す通り、 実際にはそう単純でもありませんでした。 もし強硬に時刻統合を進めていたなら、 ここまで混乱した状況にはなっていなかったはずです。 (この時代に限らず日本政府時刻制度政策には積極性や一貫性が見られず、 戦略的視点があったとは到底思えません。 大東亜の標準時 )


[767] 北支内蒙古 から への移行が始まりました。 一斉切替ではなく、 徐々に新時刻に移行していきました。

[161] の報告によると、 蒙疆連合委員会 (中華民国領内蒙古の親日的な自治政府) は、 より 標準時とし、 をもって とすると定めました >>160 コマ6,7

[163] 北支鉄道事務局は を採用しました >>160 コマ8北支航空機の運航にも が用いられました >>662

[55] 北支 >>426, >>759内蒙 >>426 地域の日本軍中央標準時 を採用しました。

[186] 日本軍中支 (上海) の部隊の記録 >>185 には、 記録に使っている時刻が上海時間より1時間進んでいる旨の注記がありました。 記録の時刻が 上海時間 ではないかと思われます。なお北支 採用への言及はありません。

[760] 北京放送局 を採用しました >>759

[164] 在天津日本領事館中央標準時 を採用しました >>550, >>759。 報道によると、これは北寧鉄路その他特殊会社に追随したもの >>759 でした。

[761] 北京電信電話を管轄していた電政総局 を採用しました >>759

[768] 在北京日本総領事館中央標準時 を採用しました >>160 コマ8

[769] 在青島日本総領事館中央標準時 を採用しました >>160 コマ9

[162] 蒙疆地区標準時制定は、 日本満洲国北支方面軍との関係を考慮したもの >>160 コマ7 とされていました。 更に、北支の軍以外の民間の標準時も改正するよう要請があった >>160 コマ7 ようです。 つまり内蒙古の現地政府と内蒙古および北支日本軍北支鉄道は歩調を合わせて標準時改正したものの、 北支現地政府とはこの時点で調整がつかず、軍民間で時差が生じていたようです。

[551] 当時の新聞では北支標準時が改正されたように報道していますが >>545, >>548, >>550、本文には○○では1時間早くなる、 といった記述があって、正式な改正ではないことも匂わされています。 日本在外公館すら移行には時間差が生じています。

[56] その後中華民国臨時政府中華民国維新政府の支配地域では が公式な時刻とされた >>48 ともいわれます。 これが標準時なのか夏時刻なのか、夏時刻の通年採用なのかはよくわかりません。

[288] 昭和12年に発行され、 昭和16年までの変更が反映されたらしい日本政府 (日本軍) の時間帯図では、 支那のうち青島だけが となっています >>287昭和12年かそれ以前の版と思われる図では、青島 となっています >>289青島昭和12年支那事変勃発後すぐに日本軍が進駐していますから、 その時標準時が改正されたのではないかと思われます。支那の他の地域が のままですが、改正が無かったのか、何らかの理由で改正が反映されなかったのかは定かではありません。


[67] には、重慶国民政府 (蒋介石政権) の標準時間會議が改めて5つの時間帯を採用することを決めました >>4。 区割りには調整が加えられました >>4

[69] この時期長白時區満州国の支配下にあり、 中原時區も大部分は重慶国民政府の支配が及ばない状態だったと思われますが、 重慶国民政府の主張する領土全体の区割りが定められたようです。 ウイグルチベットもこの当時重慶政府の支配がほとんど及んでいなかったものと思われますが、 やはり領域に含められていたと思われます。外蒙古については不明です。

[70] この重慶国民政府時間帯に実施されることとなりましたが、 同時に戦時中のため当面隴蜀時區 を全土で採用することが決められました >>233, >>4

[217] に正式にこの重慶時間実施が正式に公布された >>215 といいます。

[77] しかし西方地域では無視されていたといいます >>60。 海岸部も重慶国民政府の支配が及んでいませんでした。 そもそも 以外を適用するべき支配地域がなかったということになります。

[777]中華民國二十六年七月二十四日」 (明朝体) 付紙面の記事。 「二十五年度」云々 (楷書体) とあるのは国内の記事で、民国25年度のこと。 「一九三六年」 (ゴシック体) 云々とあるのは美國 (米国) の記事。

[796] A14_0316_071(016)1682.pdf, , https://www2.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000002chosakai/A14_0316_071(016)1682.pdf

レコードNo.
A14_0316_071(016)1682
タイトル
同盟旬報 第3巻 第16号(通号071号)
掲載年
1939年

国民政府|各地標準時間弁法布告


[147] 日本昭和13年/1938年に発行された昭和14年には、 支那として記載されています >>145。 (香港澳門 満州国 も記載があります。) しかしその翌年からは支那の記載がなぜかなくなります。

[275] 昭和14年頃の日本側の記録には、北京時間重慶時間より2時間進んで記録されています >>272。それぞれ と思われます。

[183] の文書 >>184 には、 北京時間より重慶時間が2時間遅れていることが示されています。

[180] 日付不明 (1939年頃?) の >>179 には、 「重慶時間(上海時間より約一時間遅れ)」とあります。

[78] 新聞報道によると、 時点で既に2年、日本軍上海共同租界HongkewYangtzepoodistrict を支配下に置いていました。 両 district では東京時間が用いられ、上海の他の地区より1時間進んでいました。 >>276

[278] 両区は、元々共同租界のうち日本人が多く住んでおり日本租界と呼ばれていた地域とその周辺だったようです。 この記事は共同租界外の上海は既に日本の勢力下にあるとしていますが、 そこでは が用いられているとも読めます (あまり明確な記述ではありませんが)。

[49] 北京を訪れた山本一清は、 次のように報告しています >>48

[286] の在上海日本陸軍部隊から日本本省への報告には、 「上海時間」との注記があり >>285時差の存在がうかがえます。


[172] 南京での出来事を報じた大阪新聞記事には、 「現地時間」との注記があり >>173日本時間の記載がないため断定はできませんが、 時差があったことが窺えます。

[309] 末、南京国民政府が設立され、中華民国臨時政府中華民国維新政府は統合されました。

[24] 上海租界および上海特別市では、 から標準時 にかえて夏季時間 が用いられました。 >>23 (>>47 も参照)

[224] これは参事会 (Municipal Council) 決定によるものでした >>225, >>47

[366] 付けの報告では、 上海工部局で決定し、 フランス租界上海市政府も同意しているとあります >>365

[362] 香港新聞は、 上海からの報告として、 夜に共同租界当局から に1時間進めると布告があったとしています >>363

[534] 重慶発の新聞報道によると、 上海海関その他の政府機関は、 勤務時間を1時間繰り上げたものの、 時計は元の標準時のままとしました。 これは上海 (租界外) が支那領土であることと、 他の地域との関係の維持のためと説明されています。 >>533

[223] 終了はの予定でしたが、 延長してまでとなりました。 在上海日本領事館に切り替える運用としたようです。 >>23 (>>47 も参照)

敢えて「当館に於ては」と断っているので、公式には切替方法が定まっていなかったのでしょうか。

[220] 付報道によると、 深夜までと公式発表があったようです >>219

[641] Time ChangesCHINA, PEOPLE'S REPUBLIC OF は、 ShanghaiInternational SettlementFrench Concession夏時刻が実施されたとしていました >>1256

[561] Shanks は、 CHINA上海 (#3) について、 から から としていました >>439

[86] tzdata は、 Asia/Shanghai夏時刻を次のように定めています >>60

[454] 日本中華民国の外交交渉の記録には、 議事録で時刻をどう扱うかが確認されており、 時刻には「(日本時間)」、「(中國時間)」と注釈が付されています。 >>453

[176] 日独伊三国同盟ベルリン調印されました。 当時の日本の報道によれば、これはベルリン時間13:15、 日本時間20:15の出来事です >>177重慶の報道では、 重慶時間の18時の出来事だといいます >>178ベルリン (夏時間)、 日本 重慶 と考えられます。

[797] A21_0415_106(018)1572.pdf, , https://www2.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000002chosakai/A21_0415_106(018)1572.pdf

レコードNo.
A21_0415_106(018)1572
タイトル
同盟旬報 第4巻 第15号(通号106号)
巻数
第4巻
号数
第15号
掲載年
1940年
掲載月
05

上海で始めて夏季時間採用|日本側も夏季時間採用


[308] 上海夏時刻に移行しました >>307

[166] 在南京日本大使館の報告によると、 国民政府訓令により、 からに 「全国」で「サンマー、タイム (夏期時間)」 を用いることとなりました >>160 コマ15

[54] 日本で発行された天文学の雑誌は、 「東亞大陸在住の日本人社會」が通年夏時刻を採用している >>424 ことや、 なおも「新時刻」 と「舊時刻」 が混在している >>46 ことを紹介していました。

[361] の報告によると、上海共同租界は、 深夜に1時間戻して夏時刻を終えることと決定したようです >>360

[642] Time ChangesCHINA, PEOPLE'S REPUBLIC OF は、 ShanghaiCentral China (Hankow, Hangchoo, Nanking, Soochow を含む) が 夏時刻を実施したとしていました >>1256

[364] Shanks は、 CHINA のうち上海 (#6) とその周辺の杭州蘇州南京などの都市 (#7) について、 から から としていました >>439

[6] tzdata は、 Asia/Shanghai夏時刻を次のように定めています >>60

[311] 「昭和15年・16年・17年」と題した文書群に含まれる新聞記事切り抜きには、 南京からの報告で、28日の中央政治委員會第六十次會議で毎年の夏令日光節約時間の実施が決定されたとあります。 期間は開始、終了と定められました。 >>120 年月は不明ですが、1941年と推測されます。

[450] 日本の在上海総領事館から外務省への報告には、 「日本時間」との注記があります >>449上海側の時刻は明記されていませんが、 日本時間 とは異なる時刻が使われていたものと思われます。

[799] Tairiku Shinpō 1941.09.30 Morning — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tas19410930-01.1.5

[800] Hawai Mainichi 1941.10.18 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/mnc19411018-01.1.7

[798] A27_0508_135(021)0839.pdf, , https://www2.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000002chosakai/A27_0508_135(021)0839.pdf

レコードNo.
A27_0508_135(021)0839
タイトル
同盟旬報 第5巻 第08号(通号135号)
巻数
第5巻
号数
第8号
掲載年
1941年
掲載月
03

上海夏期時間制十五日実施|上海各社も夏期時間採用


[269] から日本の勢力圏内で が用いられたとするブログ記事があります >>268 が、 出典は不明です。

[312] >>311 に従えば、から南京国民政府支配地域は夏時刻 に移行したと思われます。

[149] に出版された随筆は、 「近頃」北支 を使っているらしい >>148 と述べていました。

[714] 日本新聞報道によると、 それまで中華民国南京国民政府は、 6月1日から10月末までを日光節約時間 としてきました。 >>713

[18] 中華民国南京国民政府中央政治委員会は、 日光節約時間全年適用案を決議し >>713大東亜戦争は全国各地で従来の日光節約時間 通年化して用いることとしました >>17, >>713

[103] >>102 は、華北政権が 標準時にしようと試み、 には と併記していたが、 標準時となることはなかったとしています。

[104] >>101 は、華北鉄道ラジオ放送などで が用いられたが、正式な標準時とはならなかったとしています。

[410] 海南島やその対岸の中国大陸本土一帯について、 日本軍時間帯の図は、 1938年版まで に塗っています >>433 が、 1941年版では に塗っています >>287海口北海は、 から に変わった地域にあります。 宜昌は大正時代 (>>192) に と記録があり、 1937年版では境界付近のためどちらに属しているかわかりませんが、 1941年版では 側に記述されています。 大正時代 (>>192) に だった梧州は、 1941年版で境界付近のためどちらに属しているかわかりません。 仏印管轄下の広州湾租借地も、 から に変わった地域に含まれますが、何の注記もありません。 こうした記述がどの程度正確なのか、いつどのような理由で変更されたのかは不明です。

[411] 海南島には1939年日本軍が進攻しています。 その後中華民国南京国民政府によって時刻が統一されたのでしょうか。

[801] Tairiku Shinpō 1944.04.06 Morning — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tas19440406-01.1.3


[314] 第二次世界大戦中は、戦災により世界各地の報時機構が不安定な状態にありました。 から民国30年には南京紫金山天文台南京中央廣播電台を経由して報時していました >>38 が、民国31年には停止しており、 かわりに東京報時を用いていました >>313。 当時上海徐家匯天文臺報時も不安定で、 東アジアで正常に動作していたのは東京くらいだったといいます >>313


[653] 中華民国重慶国民政府は、 標準時 から1時間進めた夏時刻 を実施しました >>652。 当日の新聞には、初の夏時刻実施の解説記事がありました。 現代戦においては時間を奪うことが重要であり、 工業化の遅れている同国にとって夏時刻制による時間の有効活用が勝利につながる、 とされていました >>652

[36] 東亞の標準時政策を論ず, 山本, 一淸著, ( 版) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167658/1/tnk000205_213.pdf

隣邦支那は,衆知の如き大きい地域を含む國であるから,標準時制の上から 言へば,可なり多くの問題を持ってるる土地柄である.之れとても,昔しは, 只,各地め地方時を用みるのみで,不便を感じない時代もあったわけである が,近時,共和國となって,國民生活を合理化する立場から,玄葦に3種類の標 準時が制定せられるに至った.帥ち,其れはノ

1.グリニチ東維120。を標準とする“東部標準時”,

2。グリ=チ東経105。を標準とする“瀧蜀部標準時”,

3.グリ=チ東経900を標準とする“彊藏部r隼時”

である.

[759] 讀賣新聞 朝刊, 2面 (左下広告上)

日本時間制讀々採用

【天津卅日發同盟】 北 (ねい) (てつ) () その () 各特 (しゆ) 會社では日本時間を採用 (さいよう) しつゝあるので天津 (てんしん) 日本 (れう) (くわん) で も五月一日より新時間 (せい) 採用 (さいよう) す ることゝとなつた

【北京卅日發同盟】 去る廿日北支 軍當局が中央標準時により廿四時 間制を採用してから各方面とも漸 次これに呼應追随しつゝあるが北 京放送局も一日から新時間を採用 し、また電信電話の總元締たる電 政總局でも五月五日から新制度を 採用することゝなつた

[47] Kyoto University Research Information Repository: 上海で夏季時刻採用 () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/168034

上海で夏季時刻採用 ( 版) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/168034/1/tnk000231_263.pdf

上海で夏季時刻探用

〔同盟上海五月29日發〕 共同租界工部局では,日光節約案として,夏の間,工部局各局部の時計の針を1時間つつ進める事になり,フランス租界工部局および上海特別市政府に1 燻垂チたが,いつれも異議なく賛成したので,五月29目の参事會で正式決定,近く一せいに實施することとなつた.

[46] 新東亞文化建設としての世界曆の採用について (時と曆の特輯) 井本, 進著、 ( 版) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/168202/1/tnk000240_185.pdf

最近支那に行った人から,よく聞く話であるが,『北京と言はす,上海と言は す廣東と言はす,今日支那大陸に於て皇軍の威力により,蒋介石政椹の支配を 脱した所は,皆一様にわが日本と同じ東経135度の標準時を新時刻として,公 式に用ぴて居る』(山本一清博士,大陸と時刻制).そして從來支那の同じ地:方 で用ぴて居た東繧120度の標準時を奮時刻と呼んで居る.之に蜀し新時刻を日 本時刻と呼んで居るのであるが,此の時刻の正午は日本の正午と同じ時刻であ って,奮時刻は夫れより一時間丈け遅れて居るのである.つまり日本の正午に は,奮時刻は午前11時なのである.そして未だに大部分の支那人は奮時刻を用 ひて居る.人が時刻を尋ねると,新時刻か奮時刻か何ちらの時間ですかと聞き返 す.つまり二つ時計がある鐸で一時間違ふのである.

[713] 國府日本時間を全年適用, 讀賣報知 夕刊 1ページ, 讀賣新聞社

國府日本時間を全年適用

【南京本社特電】(丗一日 發)國府では從來夏 () 時間として 六月一日より十月末まで「日光 (せつ) (やく) 時間」として支那 (しな) 時間を一時間 (くり) 上げ日本時間を採用 (さいよう) して來たが 汪主 (せき) は大東 () 戰爭 (せんそう) (すい) 行上時間は 最も節約 (せつやく) すべきことであるとなし 廿九日の中 (おう) (せい) 委員 (いいん) 會々議にお いて〝 日光 (せつ) (やく) 時間 (ぜん) 適用 (てきよう) 案〟を 決議、これを (ぜん) 國各地に適用 (てきよう) する ことゝなり、丗日國民 (せい) 府令を (こう) (ふ]、 (そく) 日施行した)

これにより日滿支三國は一律に 日本時間を採用、日滿華連絡の 一體化を圖ることゝとなつた

[267] 重慶日記/(2009年1月24日) : 東久留米 中国だい好き ( (zuixihuan著, )) http://zuixihuan.exblog.jp/10251548/

。なお、抗日戦争中に日本は中国でまことに無茶な標準時を採用していた。それは、1942年2月1日から日本軍占領下の全中国で「日本標準時」の採用を強要したことである。

[662] 一九三〇年代のメディアと身体 - 吉見俊哉 - Google ブックス () https://books.google.co.jp/books?id=Q3xxDgAAQBAJ&pg=PA144&lpg=PA144

一九三七年一月一日に実行された日満間の時差撤廃に引き続き、魔溝橋事変を挟んだ翌年四月二十日に、華北占領地の鉄道列車および航空機の運行標準時も東京標準時に改められ、同年十月一日から、「日満支最提経路」である釜山ー奉天ー北京間の「大陸特急」が運行されはじめた。

[101] ( 版) http://ci.nii.ac.jp/els/110009685235.pdf?id=ART0010167497&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1457406741&cp=

華北において日本標準時は, 放送局や鉄道にお い て 使 用 が 開始 され (BX38.4.21,4.26, 4.27, 5,15), 当初, ラジオ体操なども利用して機関 ・学 校 ・団体での普及が図られたが(BX38 .4.21, 4.26, 5.15, 7.2, 39.6.20), 正式に採用が宣告されることはなかった (郭 ,2001 , pp.275 )4) 。 ただし, 汪精衛政権の下 , 遅 く と も 41 年 に は 夏時間が導入されており

(華北政務委員会 , 1941 , 第 73 ・74 期 , 建署公牘 , p .5), これが日本時間 に一致したと考えられる。

国共内戦時代

[71] 大東亜戦争終結後には、沿岸部の多くの都市が に戻しました。 内陸部では引き続き を使い続けました。 >>4

[456] 付けの汕頭日本軍の文書は、 について「(中國時間)」 と注記を付しています >>455。敢えて断っているからには中央標準時 と異なる時刻だったと思われ、おそらく でしょう。

[407] 滿洲においては、鞍山 から に移行したとの記録があります (満州の標準時参照)。

[457] 中華民国夏時間最終日であり (>>262)、中華民国の指示による変更だったとすれば、他の地域も同じくこの日に移行した可能性があります。

[452] 付けの海南島日本軍の文書には、 「日課及週課 (中略) (中國標準時ニ改正)」とあり >>451、 この時期現地で とは異なる時刻が使われていて、 日本軍もそれを用いるようになっていたものと思われます。 中華民国の区割りではこの地域は と思われますが、 ここでいう「中国標準時」が なのか なのかは不明です。

[114] 中華民国内政部公函は、 終戦に伴い全国一律の を取りやめるとして、 区割りの改訂版 (行政院承認・施行、 修正) を示しています >>113

[40] 中華民国1945年から1961年まで夏時刻を実施していた >>39台湾の政府機関は説明しています。 だった地域は を、 だった地域は を用いたものと思われます。

[262] Yu-Cheng Chuang の調査 >>263 によると、 夏時刻が実施されたのは次の期間です。台湾に関する調査ですが、 中国大陸中華民国支配地域でも同様だったと考えられます。

roc
民国紀元
ad
西暦
s
夏時刻開始日
e
夏時刻最終日
roc
34
ad
1945
s
5/1
e
9/30
roc
35
ad
1946
s
5/15
e
9/30
roc
36
ad
1947
s
4/15
e
10/31
roc
37
ad
1948
s
5/1
e
9/30
roc
38
ad
1949
s
5/1
e
9/30
[41] 1945年は、夏時刻実施期間中に台湾中華民国の支配が及んでおらず、 大陸の支配地域のみで実施されました。 戦時中 に固定していたはずなのに夏時刻実施というのも不思議な話ですが...
[264] 現在の台湾政府機関の説明する夏時刻の実施期間は当時の政府文書に基づく期間に合致していない部分があるようです。 台湾の標準時を参照。

[181] の文書には、 「カロリンウエーキ時間ハ重慶時間ト三時間ノ差アリ」 >>181 としています。重慶 だとすれば、カロリン諸島米領大鳥島 だったことになります。

[42] 中華民国政府は、 回藏時區新藏時區に改称し区割りを一部改めた 全國標準時間推行辦法を決定し、 から実行することとしました >>4

[111] >>110付け、 >>112付け。

[374] 新聞報道によると、廣州 に復帰していました >>373

[137] 中華民国政府系新聞によると、 内政部が中央研究院天文研究所、交通部、国防部との協議により全国を5区に分けた時間帯を定め、 行政院の承認を得るところだったようです >>99

[260] 大東亜戦争の終結後すぐに国共内戦が再開されたため、 中華民国はその主張する領土全体を支配することができず、 1949年頃には大陸領土をほぼ喪失しました。従ってこれら中華民国政府制定の標準時夏時刻はその支配地域でのみ実施できたものと思われます。

[261] 以後の中華民国支配地域 (台湾省福建省の一部、 新南群島の一部) における標準時については、台湾の標準時を参照。

満州

[3] 滿洲および東部内蒙古は、中華民国の支配下にありましたが、満洲国として独立しました。 時代から満洲国時代に至るまで、支那本体とは異なる複雑な標準時事情がありました。

満州の標準時を参照。

[171] 外満州は元々の領土でしたが、露西亜に割譲され、 ソ連政府の標準時に従うこととなりました。

蒙古

[170] 蒙古は元々の支配下にありましたが、 外蒙古露西亜の影響下に入り独立、 東部内蒙古日本の影響下に入り満洲国として独立、 その他内蒙古支那の影響下に残り中華民国内の自治政府と分かれ、 それぞれで異なる標準時の歴史を歩むこととなりました。

[61] 外蒙古についてはモンゴルの時間帯を、 東部内蒙古については満州の標準時を、 その他内蒙古は本項の中華民国の章を参照。

朝鮮半島

[169] 朝鮮は、の支配下にありましたが、大韓帝国として独立した後、 日本領となりました。標準時に関しては支那とも日本とも少しずつ異なる事情がありました。

広州湾租借地

[57] フランス広州湾租借地は、仏印の管轄下にあり、 そちらの標準時を用いていました。

仏印の標準時を参照。

インドシナ

[661] 国はインドシナの一部地域を自国の勢力圏内としていましたが、 清仏戦争等を経て19世紀中にこれを放棄しました。

[422] その後用いられた時刻インドシナ時間を参照。

[436] 現在のインドシナ各国の中華人民共和国国境付近にあるカジノリゾートの時刻については、 リゾートタイムを参照。

琉球

[679] 琉球王国日本薩摩藩属国でしたが、 形式的には清国の勢力圏内にもありました。

[680] 琉球では清国元号が通用していましたが、 明治時代沖縄県が設置され、完全に日本の日時制度が用いられるようになりました。 琉球の標準時

香港

[802] 関連: 香港の日時

[96] 1841年英軍香港に進攻しました。 1842年香港島英領となりました。
[598] 1860年九龍半島英領となりました。

[291] 香港からの付け通知によると、 HMS Victor Emanuel 報時球 Hong Kong mean time = GMT落下させることとされました >>292天文時 = 常用時 だとすると、 ということになります。

[322] 1883年から、香港天文台報時業務を開始しました >>323香港地方時に基づき報時球を落下させていました。

[87] Wikipedia は、 より標準時 としています >>8, >>9

[295] の情報では、香港報時球 香港平均時 = GMT に落下させられていました >>296 天文時 = 常用時だとすると、 ということになります。

[599] 1898年新界英国租借地となりました。 九龍城砦飛び地清国領となりましたが、 間もなく清国の統治のおよばない領域となりました。

[596] tzdataAsia/Hong_Kong は、 元の LMT としています >>576Milne時差の表丸めたものと注釈があります >>576


[88] 香港標準時としました >>119

[252] 30日から を用いることは官報で告示されました。 これは地方時より 23不鮮明分18秒早めた時刻と説明されています。 >>253

[228] から GMT すなわち香港平均時 より 早い時刻に報時球が落下させられるようになった >>229 といいます。

[154] の英国水路部告示によると、報時球の時刻が地方平時13時から、 九龍天文台地方平時12:36:41.86 = 綠威平時17:00:00 = 13:00:00 に変更されました >>153

[155] つまり九龍天文台 です。 >>87 とはわずかにずれています。

[597] tzdataAsia/Hong_Kong は、 を境に としています >>576

[566] Time ChangesHONG KONG は、 から標準時 としていました >>1256

[595] ShanksCHINA は、 から としています >>567

[121] Wikipediaからとしています >>8 が、誤りと思われます。 の新聞記事には、商工会議所の会議で政府から導入の説明があったことが記されています >>258

[656] 香港の標準時制定を受けて、経済的につながりの深かった英領北ボルネオ英領ラブアンでも同じ標準時 が採用されました。

[216] 雑誌記事によると、1905年末に香港では 標準時でした >>268


[247] 1919年には、支那各地で夏時刻が実施されました。 香港でも日光節約法案が提出されたようです >>246Hongkong General Chamber of Commerceから まで1時間進める () 案をまとめていました >>302Chinese Chamber がこの案を支持していた他、 通年実施も提案していました >>302。しかし結局この年は実施されず、 翌年も再提案されたものの実施には至りませんでした >>302

[214] 1950年版香港法令集収録の1928年最終改正の1909年鐡道政令には、 鐡道時刻が「Zone time」であること、「Zone time」とは であることが定められています >>213。1924年版 >>212 に相当する規定が無いので、 1924年から1928年の間に追加されたことになります。

[210] 1937年頃の1911年法令の解釈に関する政令 (The Interpretation Ordinance, 1911) では、 標準時 と定められています >>3291923年>>329 にはその条項がないので、 1923年から1939年の間頃に追加されたものと思われます。

[664] 1932年には、 Chamber of Commerce夏時刻実施を提案しましたが、 反対のため実現しませんでした >>663

[241] 1930年代後半、30分標準時を早めること (通年夏時刻) が検討されていたようです >>2341936年には、 GovernorLegislative Council日光節約法案を提出しました >>301広州上海時差が生じることについては、シンガポールで 20分の通年夏時刻が実施されていることを指摘し、 問題ないとしていました >>301新聞報道でも賛成意見が表明されていましたが、実現には至りませんでした >>663

[306] 付け新聞記事によると、 通年または一時期に より1時間以下の加算を行う夏時刻を検討する委員会が設立されました >>305


[604] 英領香港では夏時刻 が実施されました。 には夏時刻が終了し、 新標準時 が実施されました。

[351] 新聞は、 より夏季時間として1時間進め、冬季時間はそれより30分戻した時間とする法令が制定されたことを報じています >>359新聞は、 香港政府公報節省陽光新法が公布され、 当日3時に1時間進めるとしています >>352新聞は、 (3時 >>353) より夏時刻が実施され、 新旧時間の混在で若干の混乱が見られたことを報じています >>350, >>353

[624] 香港天文台は、以前 から夏時刻としていました (>>622)。

[44] tzdataAsia/Hong_Kong は、 に1時間進めて夏時刻 としています >>576

[355] 新聞には、 まで 香港時間から となるとあります >>354。 別紙は (香港時間3時 >>356) に30分遅らせるとしています >>356, >>357, >>358。 (「香港時間」の意味が2紙で違っているようです。) 香港政府公報で公布されたといいます >>358

[605] tzdataAsia/Hong_Kong は、 標準時 に復帰としています >>576

[342] 現在の香港天文台 >>35, >>21Wikipedia >>29 は、 から まで夏時刻を実施したとしています。


[602] 日本軍英領香港に進攻しました。

[603] 香港日本により統治されていた期間、 標準時として中央標準時 が用いられたといいます。ただしその正確な時期は不明です。

[139] 日本昭和13年/1938年に発行された昭和14年から昭和18年/1943年に発行された昭和19年では、 香港 となっています >>146

[316] 香港で発行された新聞で、 の RADIO 欄には、 どのような時刻であるかの注釈はありません。 には、「All times are H.K. Local Time, 9 hours in advance of G.M.T.」 とあります。は不明ですが、 以降は「H.K.T.」とだけ記されています。 >>317

[408] 9月末から10月初め頃の新聞には、時刻の変更の記事は見当たりません。 12月末から翌年始の新聞にも見当たりません。 しかし翌年春の夏時刻 移行よりも前に に一旦戻されてはいるはずです。

[343] 現在の香港天文台 >>35, >>21Wikipedia >>29 は、 1942年から1945年まで通年夏時刻としています。

[89] tzdataAsia/Hong_Kong は、 戦況から を境に を境に としています >>576


[562] 1946年は、 に1時間進めて となり、 に1時間戻して となりました。

[318] 新聞には、 から1時間進めて夏時刻実施とあります >>319の他の新聞には、0時から1時間進めて夏時刻実施で、 格林尼治より8時間遅く、廣州より1時間早いとあります >>320

[615] Time Changes は、 から夏時刻としていました >>1256

[606] Shanksより としていました >>567

[608] tzdataAsia/Hong_Kong は、 に 1時間進めて夏時刻 としています >>576

[346] 香港天文台Wikipedia は、 夏時刻の開始日としています >>35, >>21, >>29

[607] 土曜日日曜日であり、 世界的な慣例からも開始とするのが妥当そうです。

[321] 中華民国から夏時刻に移行したようです。

[665] CouncilSummer Time Bill 1946 が提出されました。 この法案に成立しました。 >>663

[191] Summer Time Ordinance は、4月1日またはそれ以降の日の午前3:30から夏時刻 とすること、 12月1日またはそれ以前の日の標準時午前3:30から標準時 に復帰すること、 11月30日より前に復帰日の布告がなければ12月1日とすること、を定めていました >>190, >>209

[348] 新聞には冬季時間が「今(一)晨三時起實行」とあります >>347の新聞には、「昨(一)日晨三時卅分起, 恢復遠東標準時間」 とあります >>349

[616] Time Changes は、 まで夏時刻としていました >>1256

[609] Shanksから としていました >>567

[610] tzdataAsia/Hong_Kong は、 標準時 復帰としています >>576

[568] 香港天文台Wikipedia夏時刻の終了日としています >>35, >>21, >>29


[563] 1947年は、 に1時間進めて となり、 に1時間戻して となりました。 >>35, >>21, >>29

[368] 新聞によると、 政府発表に基づき、 に1時間進めて夏時刻に移行したようです >>367

[370] 新聞は、 3時に1時間戻した >>369, >>371, >>373、 3時に夏季時間が終了し3時30分に冬季時間となった >>372 としています。

[617] Time Changes は、 から まで夏時刻としていました >>1256

[569] Shanksから から としていました >>567

[625] 香港天文台は、以前 に終了としていました (>>622)。

[611] tzdataAsia/Hong_Kong は、 に1時間進めて夏時刻 標準時 に復帰としています >>576


[564] 1948年は、 >>35, >>21, >>29 3時30分 >>567 に1時間進めて となり、 >>35, >>21, >>29 3時30分 >>567 に1時間戻して となりました。

[532] 新聞報道は、 夏時刻の実施期間は総督 (Governor-in-Council) が特に定めない限り、 からまでである >>531 と述べていました。

[376] の新聞によると、 3時30分 >>377, >>378 (3時 >>375) に夏時刻 >>375, >>378 に移行しました。 「我國各地」 (中華民国支配地域のことか?) は に既に移行していました >>375

[380] 新聞によると、 3時30分に に移行しました >>379

[618] Time Changes は、 から まで夏時刻としていました >>1256

[612] tzdataAsia/Hong_Kong は、 に1時間進めて夏時刻 最終日曜日に標準時 に復帰としています >>576


[565] 1949年は、 >>35, >>21, >>29 3時30分 >>567 に1時間進めて となり、 >>35, >>21, >>29 3時30分 >>567 に1時間戻して となりました。

[382] 新聞によると、 3時30分 >>381, >>383, >>384夏時刻 >>381 に移行しました。

[386] 新聞によると、3時30分 >>389 (3時 >>385, >>387, >>368) に >>389 に移行しました。

[627] Time Changes は、 から まで夏時刻としていました >>1256

[613] tzdataAsia/Hong_Kong は、 第1日曜日に1時間進めて夏時刻 最終日曜日に標準時 に復帰としています >>576


[344] 1950年から1976年までの間、 次の時期に夏時刻が実施されました >>35, >>21, >>29, 1952年を除き >>567>>1256

y
s
開始
e
終了
y
1950
s
4/2
e
10/29
y
1951
s
4/1
e
10/28
y
1952
s
4/6
e
11/2
y
1953
s
4/5
e
11/1
y
1954
s
3/21
e
10/31
y
1955
s
3/20
e
11/6
y
1956
s
3/18
e
11/4
y
1957
s
3/24
e
11/3
y
1958
s
3/23
e
11/2
y
1959
s
3/22
e
11/1
y
1960
s
3/20
e
11/6
y
1961
s
3/19
e
11/5
y
1962
s
3/18
e
11/4
y
1963
s
3/24
e
11/3
y
1964
s
3/22
e
11/1
y
1965
s
4/18
e
10/17
y
1966
s
4/17
e
10/16
y
1967
s
4/16
e
10/22
y
1968
s
4/21
e
10/20
y
1969
s
4/20
e
10/19
y
1970
s
4/19
e
10/18
y
1971
s
4/18
e
10/17
y
1972
s
4/16
e
10/22
y
1973
s
4/22
e
10/21
y
1974
s
1973/12/30
e
10/20
y
1975
s
4/20
e
10/19
y
1976
s
4/18
e
10/17

[628] Time Changes1952年について 開始、 終了としていました >>125

[570] Shanks1952年について 開始、 終了としていました >>567

[626] 香港天文台は、以前 を終了日としていました (>>622)。

[398] tzdataAsia/Hong_Kong は、 次のようにしています >>576

[345] 法令上は が切り替え時刻です (>>191)。 当時の新聞は 切り替えとするものの他に、3時切り替えとするものもあります。 深夜ですし、細かいことは気にしない感じだったのでしょうか。 Shanks >>567tzdata はすべて を切り替え時刻としていますが、 根拠は示していません。

[622] 夏時刻の実施時期について、 香港天文台Webサイトに一覧表があります (同内容のページが2つあり、また英語版中国語版もある)。 このページでは標準時に1時間加えたのが夏時刻であると述べられています。 2017年現在、 Internet Archive によると 2013年以前の版 >>6202015年以後の版 >>621 の2種類の表が確認されています。 つまり2013年2015年の間に何らかの情報を元に訂正が行われたと思われます。

[623] tzdata香港天文台Webサイト >>619 を出典に挙げていますが、 古い表に基いているようです。

[232] 1970年代には、夏時刻の是非が議論されていたようです >>231

[324] 法定時UTC との時差により定められるようになりました >>323

[629] 1973年から1974年にかけた夏時刻について、 Time Changes には燃料不足による期間延長と注釈がありました >>1256


[571] 1977年1978年には夏時刻は実施されませんでした >>35, >>21

[574] Time ChangesShanks >>567から から としていました。 根拠は不明であり、誤りでしょう。


[333] Oil (Conservation and Control) Ordinance は、石油節約のため必要があれば立法評議会の議決により Hong Kong Time を任意の期間 GMT に任意分加えた時刻に変更できると定めました >>332

[573] 1979年 >>35, >>21, >>29 3時30分 >>567 から >>35, >>21, >>29 3時30分 >>567 まで夏時刻が実施されました。

[614] tzdataAsia/Hong_Kong は、 香港天文台Webサイトを出典に次のようにしています >>576


[572] 1980年以後、夏時刻は実施されていません >>35, >>21

[575] Time Changes >>1256Shanks >>567から から としています。 根拠は不明であり、誤りでしょう。


[601] 九龍城砦は、清国の統治が及ばなくなった後も英国領土ではなく、 無法地帯となっていました。とはいえ出入域は自由で英領香港の最低限の行政下にはありました。 時刻は周囲の英領香港と同じものが用いられていたと推測されます。

[600] 1987年九龍城砦英領香港の統治下に入りました。

[334] 1989年版収録の Interpretation and General Clauses Ordinance は、従来 (>>210) の規定にかえて、次のように定めています >>326 (いつの改正で変更されたのかは不明)。

[338] 通常の夏時刻と石油節約の夏時刻の2つの規定が併存していますが、 その意図は不明です。

[341] Summer Time Ordinance はここまでのいずれかのタイミングで廃止されたものと思われます。

[330] 1997年版法令集収録の1998年改正で、 標準時の規定におけるグリニッジ平均時UTC に置き換えられたようです >>188

[331] ということはの改正 (>>324) とは何だったのか謎になりますが...

[340] 2000年には Oil (Conservation and Control) OrdinanceGMT から UTC に置き換えられたようです >>339

[189] 中華人民共和国香港特別行政区の法令集収録の法令の解釈に関する政令でも、 引き続き同内容の香港時間 (Hong King Time) を定めています >>188


[579] 現在香港における時刻の管理および報時 >>323, >>577 (グレゴリオ暦および農暦) の管理 >>578 は、 香港天文台が行っています。

[90] tzdataAsia/Hong_Kong を割り当てています >>576

[328] Interpretation Ordinance, 1911(No 31 of 1911) () http://www.hklii.hk/eng/hk/legis/HKHistLaws/1937/220.html 1937年版、1939年より後の時点

The expression "standard time" meahs' standard time as used in the Colon y: that is to say, the mean time of the 120th meridian east of Greenwich, which is exactly eight hours in advance of Greenwich mean ·time.

[327] Interpretation Ordinance(1) () http://www.hklii.hk/eng/hk/legis/HKHistLaws/1950/109.html 1950年

"standard time" means the mean time 'of the I20th meridian east of Greenwich;

[190] Summer Time Ordinance(152) () http://www.hklii.hk/eng/hk/legis/HKHistLaws/1950/452.html

[6th September, 1946.]

1. This Ordinance may be cited as the Summer Time Short title. Ordinance.

2. (I) It shall be lawful for the Governor in Council In any year-

(a) to order that Summer Time shall be observed as from 3.30 a.m. on a day specified in such ordp.r being a day not earlier than the 1st day of April;

(b) by any order in which Summer Time has been ordered to be observed or by subsequent order to order that Summer Time shall cease to be observed as from 3.30 a.m. Standard Time on a day specified in such order, being a day not later than the 1st day of December.

(2) . If in any year in which an order has been made under paragraph (a) of sub-section (I) no day has, before the 30th day of November in such year, been specified ;'-IS the time from which Summer Time .shall cease to be observed, then Standard Time shall be observed as from 3.30 a.m. Standard Time on the 1St day of December in such year.

3. In any year as from 3.30 a.m. Standard Time on the day specified in any order made under paragraph (a) of subsection (I) of section 2 hereof and until the time as from which Summer Time shall under this Ordinance cease to be observed in such year-

(a) the time for general purposes in Hong Kong shall be exactly nine hours in advance of Greenwich Mean Time, that is to say, one hour in advance of the mean time of the 120th Meridian east of Greenwich and one hour in advance of Standard Time;

(b) reference to a point of time in any enactment or in any by-law, deed, notice or other document what- soever shall unless the contrary is expressly stated· be deemed to refer to such point of time computed in accordance with Summer Time.

4. Nothing in this Ordinance contained shall affect the use of Greenwich Mean Time or Standard Time for purposes of astronomy, meteorology, or navigation or affect the construction of any document mentioning or referring to a point of time in connexion with any of those purposes .

[332] Oil (Conservation and Control) Ordinance(264) () http://www.hklii.hk/eng/hk/legis/HKHistLaws/1964/1373.html

16. For the purpose of conserving oil, the Legislative Council may by resolution determine that for the whole or part of a year or for any period, Hong Kong Time shall be such period in advance of Greenwich Mean Time as shall be specified in the resolution.

[326] Interpretation and General Clauses Ordinance(1) () http://www.hklii.hk/eng/hk/legis/HKHistLaws/1964/578.html 1989年

67. Hong Kong Time

(1) Whenever any expression of time occurs in any Ordinance the time referred to is Hong Kong Time.

(2) For the purposes of subsection (1), "Hong Kong Time" means the time used for general purposes throughout Hong Kong namely, 8 hours, or such other period as may be determined by the Legislative Council by resolution under this subsection or under section 16 of the Oil (Conservation and Control) Ordinance (Cap. 264), in advance of Greenwich Mean Time. (Amended 27 of 1979 s. 17)

(3) A resolution of the Legislative Council under subsection (2) may determine Hong Kong Time for the whole or part of a year.

(4) Nothing in this section shall affect the use of Greenwich Mean Time for the purposes of astronomy, meteorology, navigation or aviation, or affect the construction of any document mentioning or referring to a point of time in connection with any of these purposes.

(Replaced 17 of 1977 s. 3)

[325] Cap 1 s 67 Hong Kong Time (INTERPRETATION AND GENERAL CLAUSES ORDINANCE) () http://www.legislation.gov.hk/blis_ind.nsf/AllVerAllEngDoc/851EF9E8B210D30048256648002C3E28?OpenDocument&bt=0

Version Date: 30/06/1997

(1) Whenever any expression of time occurs in any Ordinance the time referred to is Hong Kong Time.

(2) For the purposes of subsection (1), "Hong Kong Time" (香港時間) means the time used for general purposes throughout Hong Kong namely, 8 hours, or such other period as may be determined by the Legislative Council by resolution under this subsection or under section 16 of the Oil (Conservation and Control) Ordinance (Cap 264), in advance of Greenwich Mean Time. (Amended 27 of 1979 s. 17)

(3) A resolution of the Legislative Council under subsection (2) may determine Hong Kong Time for the whole or part of a year.

(4) Nothing in this section shall affect the use of Greenwich Mean Time for the purposes of astronomy, meteorology, navigation or aviation, or affect the construction of any document mentioning or referring to a point of time in connection with any of these purposes.

(Replaced 17 of 1977 s. 3)

[188] Cap 1 s 67 Hong Kong Time (INTERPRETATION AND GENERAL CLAUSES ORDINANCE) () http://www.legislation.gov.hk/blis_ind.nsf/E1BF50C09A33D3DC482564840019D2F4/3A430E5FF1B1705248256648002C3E27?OpenDocument

Version Date: 01/07/1997

Remarks: Adaptation amendments retroactively made - see 26 of 1998 s. 25

(1) Whenever any expression of time occurs in any Ordinance the time referred to is Hong Kong Time.

(2) For the purposes of subsection (1), "Hong Kong Time" (香港時間) means the time used for general purposes throughout Hong Kong namely, 8 hours, or such other period as may be determined by the Legislative Council by resolution under this subsection or under section 16 of the Oil (Conservation and Control) Ordinance (Cap 264), in advance of Universal Standard Time. (Amended 27 of 1979 s. 17)

(3) A resolution of the Legislative Council under subsection (2) may determine Hong Kong Time for the whole or part of a year.

(4) Nothing in this section shall affect the use of Universal Standard Time for the purposes of astronomy, meteorology, navigation or aviation, or affect the construction of any document mentioning or referring to a point of time in connection with any of these purposes.

(Replaced 17 of 1977 s. 3. Amended 26 of 1998 s. 25)

[339] Cap 264 s 16 Power to change Hong Kong Time (OIL (CONSERVATION AND CONTROL) ORDINANCE) () http://www.legislation.gov.hk/blis_ind.nsf/CurEngOrd/7BBD4B87EDAE7FDAC82564830028962C?OpenDocument

Adaptation amendments retroactively made - see 61 of 2000 s. 3

For the purpose of conserving oil, the Legislative Council may by resolution determine that for the whole or part of a year or for any period, Hong Kong Time shall be such period in advance of Universal Standard Time as shall be specified in the resolution.

(Amended 61 of 2000 s. 3)

澳門

[95] マカオ自由港となり、 に正式にポルトガル領となりました。

[92] tzdataAsia/Macau は、 元のLMT としています >>60


[529] ポルトガル領澳門標準時として採用しました (>>119)。 土曜日24時に、時計を「actual time」より25分50秒進めました >>528

[244] 標準時地方時より25分50秒早いものだった >>242 13ページ, >>528 ということで、元の地方時 ということになります。

[245] このとき、香港澳門広州 に統一されました (>>119)。 実施数日前の新聞で、香港政府と澳門政府の間で標準時実施に合意したことが報じられていました >>530


[122] ポルトガル を採用し、各海外領土標準時も施行されました (ポルトガル標準時法 >>503)。 澳門は引き続き であるとされています >>503。 これまで現地政府レベルの標準時だったものが、 この時初めて国家法に組み込まれたものと思われます。

[720] 1935年米国政府時差の表は、 Macao標準時採用としていました >>1225

[593] Time ChangesPORTUGUESE INDIA は、 Macao (Macau) が から標準時 としていました >>1256

[504] Shanks (2003) はから (それ以前はLMT) としていました >>580

[667] tzdataAsia/Macau は、 (古い版では >>666) を境に としています >>60

[203] 大正4年出版、 大正8年再版の日本水路誌にも、 澳門標準時 とありました >>202


[45] ポルトガル領澳門では、次の時期に夏時刻が実施されました。

y
s
開始 >>392
e
終了 >>392
st
開始時刻
et
終了時刻
src
出典 >>392
tz s
tzdata 開始日
tz e
tzdata 終了日
tz st
tzdata 開始時刻
tz et
tzdata 終了時刻
y
1946
s
st
>>506
e
src
>>506
y
1947
s
st
>>508
e
src
>>509
y
1948
s
st
>>510
e
src
>>510
y
1949
src
資料無し
y
1950
src
資料無し
y
1951
s
st
>>511
e
et
>>512
src
>>511, >>512
y
1952
s
st
>>522
e
et
>>523
src
>>522, >>523
y
1953
s
st
>>524
e
et
>>525
src
>>524, >>525
y
1954
s
st
>>526
e
et
>>527
src
>>526, >>527
y
1955
s
st
>>516
e
et
>>521
src
>>516, >>521
y
1956
s
st
>>519
e
et
>>520
src
>>519, >>520
y
1957
s
st
e
src
>>518, 澳門憲報第43號 6:064訓令
y
1958
s
st
e
src
>>517, 澳門憲報第43號 6:243訓令
y
1959
s
3月22日
e
11月1日
src
澳門憲報第12號 6:342訓令, 第43號 6:411訓令
y
1960
s
st
>>515
e
11月6日
src
>>515, 澳門憲報第44號 6:584訓令
s
e
src
澳門憲報第10號 6:721訓令, 第43號 6:815訓令
y
1961
tz s
tz e
tz st
tz et
s
e
src
澳門憲報第10號 6:947訓令, 第43號 7:080訓令
y
1962
tz s
tz e
tz st
tz et
s
e
src
澳門憲報第12號 7:218訓令, 第43號 7:340訓令
y
1963
tz s
tz e
tz st
tz et
s
e
src
澳門憲報第11號 7:491訓令, 第44號 7:664訓令
y
1964
tz s
tz e
tz st
tz et
s
st
>>514
e
src
>>514, 澳門憲報第42號 7:979訓令
y
1965
tz s
tz e
tz st
tz et
s
e
src
澳門憲報第15號 8:146訓令, 第41號 8:252訓令
y
1966
tz s
tz e
tz st
tz et
s
e
src
澳門憲報第15號 8:429訓令, 第41號 8:540訓令
y
1967
tz s
tz e
tz st
tz et
s
e
src
澳門憲報第15號 8:735訓令, 第41號 8:860訓令
y
1968
tz s
tz e
tz st
tz et
y
1969
tz s
tz e
tz st
tz et
s
e
src
澳門憲報第16號 9035訓令, 第42號 9156訓令
s
st
>>513
e
src
>>513, 澳門憲報第41號 9418訓令
y
1970
tz s
tz e
tz st
tz et
y
1971
s
e
src
澳門憲報第14號 9587訓令, 第41號 9702訓令
tz s
tz e
tz st
tz et
y
1972
tz s
tz e
tz st
tz et
s
e
src
澳門憲報第14號 38/72訓令, 第41號 126/72訓令
y
1973
tz s
tz e
tz st
tz et
s
e
src
澳門憲報第14號 61/73訓令, 第40號 182/73訓令
y
1974
tz s
tz e
tz st
tz et
s
e
src
澳門憲報第51號 282/73訓令, 第41號 177/74訓令
y
1975
tz s
tz e
tz st
tz et
s
e
src
澳門憲報第15號 51/75訓令, 第41號 173/75訓令
y
1976
tz s
>>393
tz e
>>394
tz st
tz et
s
e
st
>>393
et
>>394
src
澳門憲報第14號 67/76訓令, 第41號 169/76訓令
y
1977
tz s
tz e
tz st
tz et
src
未実施
y
1978
tz s
tz e
tz st
tz et
src
未実施
y
1979
tz s
tz e
tz st
tz et
s
>>395
st
>>395
e
>>395
et
>>395
src
澳門憲報第19號 78/79訓令, 第42號 166/79訓令
y
1980
tz s
tz e
tz st
tz et
src
未実施

[508] 1946年夏時刻開始の政令 >>506 には開始日時しか記載されておらず、 終了日時は不明です。終了日前後の公報にもそれらしき政令は見当たりません。 澳門地球物理暨氣象局地震監察中心 >>392 が開始の政令だけ引用しつつ、 終了日も示しているのは、何らかの内部資料か当時の新聞等の資料によるものでしょうか。

[594] Time ChangesPORTUGUESE INDIA は、 次の通り夏時刻の時期を示していました >>1256

[397] tzdata の情報は Shanks (2003) と一致しています >>580Time Changes とも等しいようです。

[505] 中文Wikipedia >>10 は、 澳門地球物理暨氣象局地震監察中心 >>392 と同じ情報を掲載しています。

[537] シンガポール新聞には、 澳門との電話開通の記事があり、地方時より澳門が30分進んでいることが記されています >>536。当時シンガポール でしたから、 澳門標準時 となり間違っていませんが、澳門夏時刻実施期間中だったはずで、 1時間30分差の だったはずで、なぜ30分の差で示されているのか不明です。


[391] 現在、澳門地球物理暨氣象局地震監察中心が時間の管理業務を行っています >>390

[91] tzdata澳門について Asia/Macau を定義しています >>60

[536] NewspaperSG - Digitised Search () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Search?ST=1&AT=search&k=%20YOU%20CAN%20NOW%20CALL%20MACAO

YOU CAN NOW CALL MACAO

Indian Daily Mail 12 June 1954 Microfilm Reel NL7324

YOU CAN NOW CALL MACAO With effect from Monday, Juno 14, tho Overseas Telephone Service will be extended to MACAO. The hours of ser.vicc will be irom 1.30 p.m. to 3.30 p.m. local time correspond•ng to 2 00 p.m. and 4.00 p.m. espoctively m MACAO. CALL «oc kings are NOW

中華人民共和国

[399] 中共は、大東亜戦争国民党と停戦しており (国共合作)、 終戦後ソ連軍と共に滿洲などに展開し、一応は国民政府と共存していました。 しかしやがて国共内戦は再開され、徐々に国民党を大陸から駆逐していきます。

[52]満州東北政聯行政委員會標準時としました >>4, >>7満州中共軍もこれを採用しました >>4

[400] 1945年はまだ国共合作中で、中共夏時刻に従ったものと思われます。 その後1949年まで大陸の国民政府夏時刻を実施していますが、 中共がどうしていたのかは不明です。 1949年はまでが夏時刻でした。

[405] 時点で大連ソ連の、 哈爾浜瀋陽天津北京中共の支配下にありました。 その後南京 ()、 漢口 ()、 西安 ()、 上海 ()、 青島 ()、 広州 ()、 重慶 () も中共支配下に入りました。

[75] 中華人民共和国の建国時に北京时间 を採用し、支配地域拡大に伴い全土で用いられるようになりました。 当初は各地で様々な時刻が混在していましたが、 1952年には新疆チベット を除き、本土全体が に統一されました。 >>4, >>7

[76] 厳密には建国当初 ではなく北京視太陽時が正式には採用されましたが、 実際には が運用されていたと推測されています >>60
[94] への統一が定められたのがいつかは不明ですが、 からの間であり、 が有力視されています >>93

[105] 西安人民广播电台北京时间を採用すると発表し、 これが北京时间という名称の初出とされています >>102

[106] 西安市人民政府 から に切り替えました >>102

[107] 成都中共支配下に入って数日で から に切り替えました >>102


[555] Shanks (2003) は、 広州西部の一部地域 (#5) について、 より (それ以前は ) としています >>439。根拠は不明です。該当する都市は次の通りです。

[97] 1949年中華人民共和国ウイグルに進攻、 1955年には新疆ウイグル自治区が設置されました。
[98] 1950年中華人民共和国チベットに進攻、 1966年には西藏自治区が設置されました。
[424] 1955年中華民国領だった大陳島中華人民共和国が進攻しました。 これにより中華民国中華人民共和国の事実上の国境が確定しました。

[81] チベット時間 が廃止されたのは1959年ともいいます >>60

[108] 郭庆生は幾つかの資料を検討しつつ、1960年以前は 、 1960年以後は チベットで用いられていると結論付けています >>102

[109] 郭庆生新疆について1969年7月1日から1986年まで の混乱期、1986年2月1日から としています >>102

[74] 1971年には、新疆チベットを含む中華人民共和国の支配地域全土が に統一されました >>4

[425] 1968年米国政府地図に基づくという 1972年日本で発行された地図では、 中華人民共和国新疆、それ以外が で塗られています >>549


[643] Time ChangesCHINA, PEOPLE'S REPUBLIC OF は、 1960年から 1977年夏時刻が実施されなかったとしていました >>1256

[559] Shanks は、 CHINA のうち香港澳門台湾以外の全域について、 より としています >>439tzdataAsia/Chongqing は、 を境に としていました >>136。 その根拠は不明です。


[43] 、中共中央办公厅と国务院办公厅の 在全国范围内实行夏时制的通知により、夏時刻が導入されました >>29, >>4。 1986年から1991年に夏時刻 が実施されました >>29。 時期は次の通りです。

y
s
開始
e
終了
src
出典
y
1986
s
e
src
>>4, >>60, >>439
y
1987
s
e
src
>>60, >>439
y
1988
s
e
src
>>60, >>439
y
1989
s
e
src
>>60, >>439
y
1990
s
e
src
>>60, >>439
y
1991
s
e
src
>>60, >>439

[401] Shanks (2003) と tzdata を切り替えとしています >>439, >>60Wikipedia に1時間戻して または進めて とした >>39 としています。


[774] 反乱勢力の大有国中原皇清国大圣王朝中華国について、 中文维基百科 と書いていました。しかしそれらの勢力が標準時を制定したとする根拠は不明です。 中華人民共和国の標準時からの類推に過ぎないと思われます。 太平, 皇清, 正坤, 顶古永和


[708] 2017年中華人民共和国農暦国家標準 GB/T 33661-2017 により規定しました。 用いる時刻北京时间とされました。 北京时间 (英語 Beijing Standard Time) は、 「中国采用的标准时间,即东经120°标准时。」 と定義されました。 GB/T 33661-2017

ウイグル

[72] ウイグル (東トルキスタン) では、現在、 北京時間 新疆時間 が用いられています。 ウイグルの標準時

チベット

[59] チベットでは、現在、北京時間 が用いられています。 チベットの標準時

雲南

[793] 雲南はかつては独立国で、独自の元号がありました。 雲南の日時

[581] 雲南省ミャンマーとの国境沿いでは、 ミャンマーの標準時 が用いられる場合があります。

[428] 中緬国境中国側の街瑞麗では、 街中でしばしばミャンマーの標準時がみられます >>427, >>440, >>441

[582] 国境地帯にまたがって居住するタイ族中華人民共和国内のでも、 ミャンマーの標準時が用いられることがあります >>429

[583] なお、逆にミャンマー側でも中華人民共和国標準時 が用いられる場合があります。 ミャンマーの標準時

[427] 「境界」をめぐる中国ムスリムの動態 ―松本光太郎先生との調査旅行の備忘録― (木村 自 ) http://www.tku.ac.jp/kiyou/contents/communication/33/Kimura.pdf

また,犠牲節の集団礼拝の時間をビルマ語のみで告知 している黒板も見られる(写真 6)。

写真 6 ビルマ語で犠牲祭開催時間を知らせる。 中国時間 9 時,ビルマ時間 7 時半と書かれている。

[440] 遙かなる雲南1990年9月⑨瑞麗・屯洪口岸 | 中華特急のスローライフ () https://nkurashige.wordpress.com/2012/03/23/%e9%81%99%e3%81%8b%e3%81%aa%e3%82%8b%e9%9b%b2%e5%8d%971990%e5%b9%b49%e6%9c%88%e2%91%a8%e7%91%9e%e9%ba%97%e3%83%bb%e5%b1%af%e6%b4%aa%e5%8f%a3%e5%b2%b8/

▼瑞麗では栄昌大酒店に泊まった。3つ星だが保山、芒市は招待所クラスだったので初めてまともなホテルに泊まった気がした。フロントの時計は北京時間と並んで仰光時間が明示されている。瑞麗は徳宏州一の大?都会。夜遅くまで通りは大勢の人でにぎわ路地ではビルマ人に交じってバングラ人やインド人(たぶん)の経営する食べ物屋や宝石屋がオープンしていた。

[441] 『雲南四川06★ミンガラパ!大好きになっちゃった瑞麗ミャンマー人街』 [雲南省]のブログ・旅行記 by 熱帯魚さん () http://4travel.jp/travelogue/10466837

ミャンマーの食堂にそっくり。

しかも、柱にかかっている時計の時間はミャンマー時間…笑

[429] 平成17・18年度国内外フィールドワーク等派遣事業 | 総合研究大学院大学 文化科学研究科 「魅力ある大学院教育」イニシアティブ 総合日本文化研究実践教育プログラム () http://www.initiative.soken.ac.jp/17-18nendo/5jigyo/seika-repo/repo-satoru1.html

タイ・マオの人々は中国領土内でもビルマ時間で生活し、日常の経済活動ではビルマ貨幣が用いられることも多い。かつての秤の基準などもビルマの影響を受けている。建物は高床式であるが、かつては家畜の飼育に用いられた1階は現在居間として使用されている。各家の敷地には特に垣根は設けられておらず、道も広く、村は開放的な景観である。仏教信仰が根付いているため各家庭には仏壇が設けられ、また村の寺には僧侶がいる。内戦を逃れた僧侶も多く、ビルマの遠方より中国に移り住む僧侶もいる。そのため寺では一日の決まった時間に大戦中の爆弾を再利用した鐘を打ち鳴らし、時報としている。かつては太鼓を用いていたが、金属の鐘は年々拡大する村の隅々まで響く。タイ・ヌーと比べて、シャーマンの存在は公に認められている場合が多く、治療者としての役割が強い。タイ・ヌーの地域ではシャーマンの存在はあまり公にしないが、攻撃的な隠れシャーマンが多いという。

台湾、澎湖諸島、金門、馬祖

[32] 臺灣は、元は支那人の地ではありませんでしたが、 國残党が征服したのに続き、 日本を経て中華民国の統治下に入りました。 このうち日本中華民国標準時を定めていました。

[659] 澎湖諸島は、 の時代に支那政権の統治下に入りました。 日本に割譲しましたが、その後現在まで中華民国により統治されています。 このうち日本中華民国標準時を定めていました。

[658] 金門馬祖は、福建省に属しており、 中華民国の統治下に入って現在に至っています。 中華民国標準時を定めています。

[660] 中華人民共和国は、これらの地域の領有権を主張しています。 中華人民共和国法令上は、これらの地域でも標準時 が適用されているものと思われます。

詳細は台湾の時間帯を参照。

新南群島、西沙諸島、東沙諸島、尖閣諸島

[298] 中華人民共和国新南群島 (南沙諸島)、西沙諸島東沙諸島尖閣諸島領有権を主張しています。 また新南群島西沙諸島の一部を実効支配しています。 更に、これらの諸島の所在する南シナ海等の管轄権を主張し、 人工島を建設するなどの活動を進めています。

[299] 中華人民共和国法令上は、これらの地域でも標準時 が適用されているものと思われます。

新南群島・西沙諸島については東南アジアの標準時と実効統治各国の項

東沙諸島については臺灣の標準時

尖閣諸島については日本の標準時南西諸島の日時

鉄道

[34] 国際便の標準時アジア大陸の鉄道標準時ロシアの標準時満州の標準時も参照。

南極大陸

[668] 中華人民共和国の設置した南極基地については、 南極大陸の標準時を参照。

識別子

[84] tzdata は、 中華人民共和国について Asia/Shanghai を定義しています >>60

[85] tzdata中華民国時間帯に由来して Asia/Chongqing (別名 Asia/Chungking)、 Asia/Harbin を定義していますが、1970年以後の異なりのみ立項するとの採録基準を満たさないとして、 いずれも Asia/Shanghai の別名になっています >>60。 同様に Asia/KashgarAsia/Urumqi の別名になっています >>60。 ただし別途参考データは用意されています。

[560] tzdata がなぜ上海を代表都市としたのかは不明です。 公式には、 人口最大の都市を選択する原則による、とされています。 上海支那の主要都市であり、 支那における近代的標準時発祥の地でもありますが、 他の都市で実施されない独自の夏時刻を実施したことがあるなど、 上海を代表とすることには疑問の声 >>135 もあります。

[135] [tz] Adding Asia/Beijing timezone into the database ( 版) http://mm.icann.org/pipermail/tz/2014-February/020596.html

What makes much less sense is using Shanghai TZ history for most of China. The city area of Shanghai had (according to Shank, as used in tz) Daylight saving time in the summers of 1940 and 1941. The rest of China had definitely no Daylight saving time in those two years, except for four small city pockets around Wuhan (Hubei), Nanjing (Jiangsu), Hangzhou (Zhejiang), Suzhou (Jiangsu), which, again according to Shanks, had DST in 1941, but not in 1940.

メモ

[124] >>4 の内容はおおむね >>102 に基づいているように見えます。

[132] 標準時報局~BPV ( 版) http://homepage3.nifty.com/Ogino/bcl/bpv.htm

[138] 中国近代における時間意識形成についての一考察 (阿川修三 版) http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/lit/l1601/l160103.pdf

[165] ( ()) http://www14.plala.or.jp/wappa/uijyun/deta/06/deta0803.html

小嶋時久がこれをまとめたのは旧満州や旧蒙古などの大陸で方角を探る際、気候的にも天体を利用しやすい。一つ覚えればそれだけでも役に立つし、複数覚えればさらに便利であることのみならず、その思考、手法を通じて宇宙の深遠さや大自然の美に触れ、親しむべきだという啓蒙も意図したと考えられる。

アジア各地域(原文はと東亜共栄圏)で異なる標準時に「いずれ規正する期が来るであろう」との予言している。

*発行日:初版(3000部) 昭和17(1942)年6月7日

再版(5000部) 同18(1943)年9月10日

[168] >>165 が言及しているのは >>167 ですが、東亜共栄圏云々がどこにあるのかは不明です。 >>167 は初版のようです。 >>167 は、日鮮滿は 、「東支那」は とし、 表中では天津 としています。

[187] ( ()) http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8377452_po_02Ka.pdf?contentNo=1&alternativeNo=#page=29

隴を得た共産党は到頭望み通り長白から崑崙までの広大な国土を掌中に収めたが,中原・蜀・新藏も含む本土を制した後の周恩来の提案に由る北京時間への全国統一は,絶対集権の王朝の「帝国の表徴」の復権の匂いを漂わせる。

[273] Page 1544 | Issue 27891, 2 March 1906 | London Gazette | The Gazette () https://www.thegazette.co.uk/London/issue/27891/page/1544

No. 182.—CHINA, SHANTUNG—NORTH

COAST.

Chifu Time Ball—Standard Time Adopted.

Information has been received from Captain

E. P. B. Charlton, His Majesty's ship " Hecla,"

that, on 20th September, 1905, the time ball at

Tower Hill, Chifu, was dropped at Oh. Om. Os.

Standard Time of the 120th meridian of East

longitude, or Oh. 5m. 34s. Local Mean Time,

corresponding to 16h. Om. Os. Greenwich Mean

Time.

It is assumed from the above that Standard

Time has been adopted at Chifu.

Approximate position, lat. 37° 32' 56" N., long.

121° 23' 30" E.

This Notice affects the following Admiralty

Charts:—Chin Tsu Shan to Chifu Bluff, with

plan of Chifu or Yentai Harbour, No. 1260.

Also, List of Time Signals, 1904, No. 175; and

China Sea Directory, Vol. Ill, 1904, pages 41,

568.

[274] Page 8647 | Issue 27744, 16 December 1904 | London Gazette | The Gazette () https://www.thegazette.co.uk/London/issue/27744/page/8647

No. 1178.—CHINA.

&ong Kong Time Ball—Time of Dropping

Altered.

The Government of Hong Kong has given

notice that, on and after 30th October, 1904, the

time of dropping the time ball at Kaulung,

Hong Kong harbour, would be altered from

Ih Om Os local mean time to Oh 36m 41 '86s P.M.

local mean time of the Kaulung Observatory, or

1 P.M. standard time of the meridian of 120° E.

from Greenwich, corresponding to 17h Om Os

Greenwich mean time.

Approximate position, time ball, lat. 22° 17' 47"

N., long. 114° 10' 08 E.

NOTE.—It is proposed that the standard time

of 120° E. or 8 hours fast of G.M.T. shall be

adopted for Hong Eong and for the whole east

coast of China.

This Notice affects the following Admiralty

Charts:—Hong Kong, No. 1466 ; Hong Kong

Harbour, No. 1459. Also, List of Time Signals,

1904, No. 37; and China Sea Directory, Vol. Ill,

1904, page 74.

[402] 中国夏时制夏令时实施时间与北京时间 () http://www.qingyunju.com/name/xiashizhi.htm

<p> 我国解放前几年在部分地区也曾实行过夏令时。1986年4月,中央有关部门发出“在全国范围内实行夏时制的通知”,具体作法是:每年从四月中旬第一个星期日的凌晨2时整(北京时间),将时钟拨快一小时,即将表针由2时拨至3时,夏令时开始;到九月中旬第一个星期日的凌晨2时整(北京夏令时),再将时钟拨回一小时,即将表针由2时拨至1时,夏令时结束。从1986年到1991年的六个年度,除1986年因是实行夏时制的第一年,从5月4日开始到9月14日结束外,其它年份均按规定的时段施行。1992年起,夏令时暂停实行。</p>

この部分を含むサイトがいくつかあり、おそらくそのどれかのコピペでしょう。

    <dir>
    <li>1935年至1951年,每年5月1日至9月30日。</li>
    <li>1952年3月1日至10月31日。</li>
    <li>1953年至1954年,每年4月1日至10月31日。</li>
    <li>1955年至1956年,每年5月1日至9月30日。</li>
    <li>1957年至1959年,每年4月1日至9月30日。</li>
    <li>1960年至1961年,每年6月1日至9月30日。</li>
    <li>1974年至1975年,每年4月1日至10月31日。</li>
    <li>1979年7月1日至9月30日。</li>

この部分は中華民国夏時刻のようです。ただし1935年は民国35年の誤りと思われます。 (一部日付がおかしいのですが、元資料からのコピペでしょう。台湾の標準時参照。)

    <li>1986年至1991年,每年4月中旬的第一个星期日2时起至9月中旬的第一个星期日2时止。具体如下:<br>
    1986年5月4日至9月14日,<br>
    1987年4月12日至9月13日,<br>
    1988年4月10日至9月11日,<br>
    1989年4月16日至9月17日,<br>
    1990年4月15日至9月16日,<br>
    1991年4月14日至9月15日。<br>
 </li>
   </dir>

この部分だけが実際の中華人民共和国夏時刻です。

おそらく著者は内容を理解せずに他のサイトからコピペでつなぎあわせたのでしょうが、 猛々しくも

<body ondragstart="return false" onselectstart="return false" topmargin="0">

コピペ禁止しています。

[403] “北京時間”是怎麼來的?--文史--人民網 (2751著, ) http://history.people.com.cn/BIG5/n1/2016/0616/c372330-28450740-2.html

1939年3月9日,抗戰中的國民黨政府內政部在重慶召集“標准時間會議”,對以前的五時區方案做了少量修改,並決定於1939年6月1日起實施,但同時決定“在抗戰期間,全國一律暫用一種時刻,即以隴蜀時區之時刻為標准”。可以想見,在當時的政治格局下,日本佔領的中國東部沿海地區還是在使用“中原時間”。到了抗戰勝利恢復使用中原標准時的時候,重慶、成都、昆明等地卻仍然使用“隴蜀時”,因此當時人們回憶“滬渝、滬蓉、滬昆等線民航飛機的旅客下機后需撥動手表,進退一小時”。

值得一提的是,1931年“九一八”事變后,日本侵佔我國東三省,1932年3月1日成立偽滿洲國,強令在東北使用日本本土採用的東經135度標准時。抗戰期間,淪陷區的日偽華北政權也曾試探使用東經135度標准時,但最終沒敢這麼做,還是使用中華民國正統的中原時。

[404] “北京時間”是怎麼來的?--文史--人民網 (2751著, ) http://history.people.com.cn/BIG5/n1/2016/0616/c372330-28450740-2.html

北京時間何時產生?中國科學院國家授時中心高級工程師郭慶生在《建國初期的北京時間》一文中,做過如下考証:

1949年1月31日北平和平解放后,“中原標准時”稱謂已不合時宜,況且舊政府敗退台灣后還繼續用此呼號播音報時。新中國廣播報時需要一個色彩鮮明、通俗上口的新名稱,這就為“北京時間”的出世鋪平道路。“北京時間”的問世及隨后取代五時區計時的舊制,是中國近現代時間計量的重大事件。

1949年9月27日全國政協第一屆全體會議通過“定都北平,改北平為北京”的決議。同年10月7日西安人民廣播電台稱:“本台時間以北京時間為准”。這是筆者迄今見到的有“北京時間”字樣的最早文獻。所以,“北京時間”第一次出現的日期,可以鎖定在1949年9月27日至10月6日的10天之內。

1949年9月27日,“北平”改名為“北京”的同一天,北平新華廣播電台改名為北京新華廣播電台。因北平新華廣播電台隸屬中央,所以其上級主管部門中央廣播事業管理處先行一步,將其更名的同時,一並將廣播報時呼號冠以“北京”稱謂,這是很自然的符合邏輯的事情。所以筆者推斷:“北京時間”的問世當在1949年9月27日。

可能是遵照中央廣播事業管理處的指令,新中國成立后的各地方廣播電台很快將自己的節目時間改為中央台使用的北京時間,以表示和中央一致。原屬隴蜀時區的地方政府陸續聲明採用北京時間。1949年11月2日,西安市政府通知:“本府征求各方意見,為與全國各主要地區時間一致,自本月三日起,停止使用隴蜀時間,改用北京時間。”成都市1949年12月27日解放,也在其后十余天內宣布使用北京時間。1950年初,在新中國成立后的短短幾個月內,全國各地除新疆、西藏外,實際上全都採用北京時間為統一的時間標准。而現在,我國新疆地區會同時使用烏魯木齊時間(東經90度標准時)和北京時間兩種標准。

值得指出的是,經過郭慶生考証,初期使用的“北京時間”不是我們今天理解的北京時間,也就是說它不是標准時,而是北京地方的視太陽時。當然,很快“北京時間”就採用了東經120度的標准時間了。

[406] “北京時間”是怎麼來的?--文史--人民網 (2751著, ) http://history.people.com.cn/BIG5/n1/2016/0616/c372330-28450740.html

到1902年的時候,中國海關就提出以這個“海岸時”作為中國的標准時間。1902年,掌管中國海關的“總稅務司”還是英國人赫德。而制定中國的標准時間這種事情絕對屬於中國政府的主權,由“海關”來制定實在是不合適,於是也隻能說得含含糊糊:“海岸時”隻在東部的各海關口岸實行,而在其他地區特別是農村內地,“其時區范圍未經規定”。然而,當時的鐵路系統,以及長江一帶經濟繁華地區,顯然也開始實行“海岸時”了。

[423] 国家授時センター、標準時配信コントロール事業をスタート_China.org.cn () http://japanese.china.org.cn/culture/2009-08/03/content_18255620.htm

中国科学院国家授時センターはこのほど陝西省東北部の蒲城県にある授時部で、配信コントロール技術と総合実験研究のプラットフォームを立ち上げる式典を行った。「科技時報」が3日伝えた。

この配信コントロール技術と総合実験研究のプラットフォームを立ち上げるプロジェクトは、国家タイムサービスセンターが打ち出す3期革新事業のうちの重要なプロジェクトのひとつで、将来的に授時部の多機能性を主体としたシンボル的な建物が完成し、標準時配信コントロールなど基礎的かつ将来性のある研究がより秩序よく展開できるようになる。授時部は、国家授時センターの重要な支部であり、標準時配信コントロールシステムなどのほか、中国で唯一の長・短波標準時配信システムと現在運転テスト中の低周波タイムコードによる標準時配信システムを備え、なかでも長・短波標準時配信については「中国科学院国家大科学運行プロジェクト」にも列挙されている。

授時部は、主に中国の標準時配信の任務を受け持つとともに、それと密接に関わるシステム稼動技術や設備の技術改造、グレードアップを展開するほか、システム機能の拡張や新システムの構築などの研究・実験も手がけている。このほかにも中国の総合原子時のデータ交換や比較対照作業、時間周波数コントロールの研究などを進める、中国の重要な時間周波数配信サービス基地として知られる。

「人民網日本語版」2009年8月3日

[434] 西苑附近に於ける戦闘詳報 (第2号) 昭和12年7月30日 独立混成第11旅団司令部 ( (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, )) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C11111407400

時刻ハ総テ支那時間ニ依ル

[435] 清河鎮附近に於ける戦闘詳報 (第1号) 昭和12年7月28日~昭和12年7月29日 独立混成第11旅団司令部 (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records 著, 版) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C11111406000

時刻ハ総テ支那時間ニヨル

[458] 中国現場コラムvol.29 新疆ウイグル自治区をゆく~時差がない編~ | 中国ビジネスヘッドライン () http://www.chinabusiness-headline.com/2011/09/15997/

中国でラジオを聴いていると、よく「北京時間7時です」などと、時間の前に「北京時間」という言葉を付けて言っています。中国内の東西南北全ての地域が北京時間で統一されているのです。

一説には中国国内に時差を設けると、北京と独立運動が頻繁に発生するウイグルやチベットとの間に時差を設けることになるため、北京との違いを意識させ、独立運動を助長することを恐れてのことだとも言われています。

[459] なぜ1つしかない(はずの)時間にわざわざ「北京時間」と言う必要があるんだろう。 日本のラジオで「日本時間」とかいうのは (海外のニュースとかでなければ) 聞いたことないけど。。。

[477] 「北京時間」是怎麼來的? - 壹讀 () https://read01.com/JMx80P.html

值得一提的是,1931年 「九一八」事變後,日本侵占我國東三省,1932年3月1日成立偽滿洲國,強令在東北使用日本本土採用的東經135度標準時。抗戰期間,淪陷區的日偽華北政權也曾試探使用東經135度標準時,但最終沒敢這麼做,還是使用中華民國正統的中原時。

[478] 「北京時間」是怎麼來的? - 壹讀 () https://read01.com/JMx80P.html

北京時間何時產生?郭慶生先生做過如下考證:

1949年1月31日北平和平解放後,「中原標準時」稱謂已不合時宜,況且舊政府敗退台灣後還繼續用此呼號播音報時。新中國廣播報時需要一個色彩鮮明、通俗上口的新名稱,這就為「北京時間」的出世鋪平道路。「北京時間」的問世及隨後取代五時區計時的舊制,是中國近現代時間計量的重大事件。

1949年9月27日全國政協第一屆全體會議通過「定都北平,改北平為北京」的決議。同年10月7日西安人民廣播電台稱:「本台時間以北京時間為準」。這是筆者迄今見到的有「北京時間」字樣的最早文獻。所以,「北京時間」第一次出現的日期,可以鎖定在1949年9月27日至10月6日的10天之內。

1949年9月27日,「北平」改名為「北京」的同一天,北平新華廣播電台改名為北京新華廣播電台。因北平新華廣播電台隸屬中央,所以其上級主管部門中央廣播事業管理處先行一步,將其更名的同時,一併將廣播報時呼號冠以「北京」稱謂,這是很自然的符合邏輯的事情。所以筆者推斷:「北京時間」的問世當在1949年9月27日。

[479] Kyoto University Research Information Repository: この頃の話題 : "超新星"のこと () http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167564

尚ぼ,聞く所によれば,北支や上海方面に出動中の皇軍は一齊にわが中央標準時を使用しつゝあるといふ.

[480] * asia: clarify comments re old Chinese time zones (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/be00a41d2072d33a4ea33cf98f7e2cee50189b38

[498] 中日の政治文化・国際戦略に見る東亜共同体の 可能性・方向性(上) (夏剛) http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/vol17-3/17-3ka.pdf#page=11

東・西部時間を設けた米国や11もの地方時間が有るソ/露と違って,中国は国民党時代から全国統一時間で地域の中央への帰属を強いて来た。

[501] Remove many invented abbrs in 'africa', 'backzone' (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/87f960b0458754d83a15ab7f444e9ce1a2e5d168

[502] Remove many invented abbreviations in 'asia' (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/1b99dcde6342dd10969041b32b00b813d4f4a36e

[552] 中国地図 () http://www2s.biglobe.ne.jp/~yoss/W-map/CHINA.html

清 時代の標準時は 1912年に制定。 辛亥革命後の中華民国政府もこれを継承しました。

中華人民共和国政府は、1949年 中原標準時区(UTC+8)を北京時間と改称、全土を 一つのタイムゾーンとしました。

[414] 时间测量及保持— 国家测绘地理信息局 () http://www.sbsm.gov.cn/article/zszygx/chzs/chkp/ddcl/200811/20081100044479.shtml

我国的多座天文台均参加测时工作,陕西天文台定时发播时号,供全国校正时间使用。

[415] Complete time zone information for multizone countries () https://home.kpn.nl/vanadovv/time/Multizones.html

Since 1980-05-01 China operates on one time zone. Before that the country was divided into the following zones. Note that before 1980 in some zones several changes in zone time took place.

[419] Complete time zone information for multizone countries () https://home.kpn.nl/vanadovv/time/Multizones.html

The China zones were researched by Jesper Norgaard Welen, July 2006.

[585] マカオ観光局さんのツイート: "【注意喚起:台風14号シグナル8に引き上げ】 本日マカオ時間8時に、マカオに接近中の台風の警報がシグナル8(暴風・嵐)に引き上げられました。 これに伴い、各交通機関にも影響が出ています。 現在マカオにおられる方は、引き続きご注意ください。" () https://twitter.com/macaotourism_jp/status/901599740348866560

[588] Republic of Beijian | Micronations Wikia | FANDOM powered by Wikia () http://micronations-encyclopedia.wikia.com/wiki/Republic_of_Beijian

Time zone Bejianese Standard Time (UTC+8)

[589] >>588 Republic of Beijian なる国家自体この Wiki の記事以外の情報がなく、実在するのか怪しい。

[590] Empire of Taihan - MicroWiki () https://micronations.wiki/wiki/Empire_of_Taihan

Time zone (UTC+8)

[644] 上海入国やビザ、時差や電圧などの情報 - ANA () https://www.ana.co.jp/ja/destination/asia-oceania/sha/area-basic-info.html?c=sha

日本時間から1時間を差し引いた時間が上海時間になる。

[645] 中国人民銀、6月以来の大規模な資金吸収-上海銀行間金利上昇でも - Bloomberg () https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-08-25/OV8A1P6JIJUO01

上海時間午後0時22分(日本時間同1時22分)現在、

[646] 上海ディズニーリゾート☆3月28日☆チケット正式販売開始 - アンメイスイの駐上海日常茶飯 | クックパッドブログ () https://macyinsh.cookpad-blog.jp/articles/50736

今年6月16日午後12時開園予定の上海ディズニーリゾート

3月28日来週月曜日、上海時間午前12時1分(日本時間午前1時1分)

ネットで正式にチケットの販売を開始する

[671] RELANJPさんのツイート: "[<南北首脳会談>金正恩委員長、北に戻って標準時から変更した理由] 昔中国に行った時にサマータイムで1時間はやくなっていて..日本と同じ...タクラマカン砂漠のオアシスにいるのに日本標準時でした のを思い出しましたww https://t.co/6m2b6yom7A" () https://twitter.com/RELANTOKV/status/990763304833306624

[672] MO_AH_PUB_BO_1941_12_00014_Grey.JPG (2000×1440) () http://igallery.icm.gov.mo/Images/Archives/BO/MO_AH_PUB_BO_1941_12/MO_AH_PUB_BO_1941_12_00014_Grey.JPG

[673] [tz] Time in Macau () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-May/026467.html

[674] Correct China DST transitions in 1986/91 (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/937286d45c0f89132f0bf2d92fc27c36ae909cd6

[675] * NEWS: Fix typo in announcement of China 1988 change. (timparenti著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/d62830d089244db5f75ae43ecf08aecd1f0e50da

[676] Rewrite history of Macau to match decrees (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/97fd2cd9639865cd230b25d70f649f4614a9bb05

[677] () http://www.zj.gov.cn/attach/zfgb/198608.pdf#page=19

[678] * asia: Correct spelling of “Fortaleza do Monte”. (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/3a46d8ebed130cdc3a604077f9055cf2cbffe199

[682] 时区_百度百科 https://baike.baidu.com/item/%E6%97%B6%E5%8C%BA?fromtitle=%E6%A0%87%E5%87%86%E6%97%B6%E5%8C%BA&fromid=1370270

1912年,其时位于南京为中华民国时期中央气象局,将中国划分为五个时区。1919年(民国8年),中央观象台出版的《中华民国八年历书》刊登了中国各大城市地理纬度表和所位于的标准时区及其标准时与该城市地方平时的比较表,发表了中国划分五时区的计划,同时提出了标准时如何传递的授时问题。

1949年中华人民共和国成立后,这些时区在大陆不再采用。但国民政府迁台后,仍维持采用1912年的时区划分,台湾地区的标准时间继续称为“中原标准时间”。中国首都北京位于东八区,东八区的标准时就是中国的标准时间。但中国的授时中心却建在陕西渭北。北京时间由中国科学院陕西天文台的原子钟确定,其误差率每30万年小于1秒。授时中心以BPM短波和BPL长波发出标准信号,各地的专用授时单位和广播电视系统以此为基准,校正自己的时钟后再公开向社会发布时间信息。

[683] 北京时间(中国国家标准时间)_百度百科 () https://baike.baidu.com/item/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E6%97%B6%E9%97%B4/410384

中国科学院国家授时中心台本部位于陕西西安临潼区。中国科学院国家授时中心授时部(二部)位于陕西省渭南市蒲城县,两地虽处于东七区,但全国统一使用北京时间,负责发布北京时间,而非当地的地方时。

[684] 北京时间(中国国家标准时间)_百度百科 () https://baike.baidu.com/item/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E6%97%B6%E9%97%B4/410384

2005年两会期间,一些中国全国人民代表大会代表提出来把中国时区加以小分的建议,提议分为以北京时间为基础的东部时间(UTC+8)、以陕西地区时间为基础的中部时间(UTC+7)和以新疆、西藏地区时间为基础的西部时间(UTC+6)。后又将该提议改为分为两个时区,即UTC+8和UTC+7两个时区,陕西、四川、重庆、贵州、云南比以西各省采用UTC+7的责任的时间。但该提案尚未付诸表决。

[685] 北京时间(中国国家标准时间)_百度百科 () https://baike.baidu.com/item/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E6%97%B6%E9%97%B4/410384

国家授时中心前身是陕西天文台,1966年经国家科委批准筹建,1970年经周恩来总理批准短波授时台试播,1981年经国务院批准正式发播标准时间和频率信号;七十年代初,为适应我国战略武器发射、测控和空间技术发展的需要,经国务院和中央军委批准,在陕西天文台增建长波授时台(BPL),1986年通过由国家科委组织的国家级技术鉴定后正式发播标准时间、标准频率信号。

国家授时中心负责确定和保持的TA(CSAO)和UTC(CSAO),并参加国际原子时合作。它是由一组高精度铯原子钟通过精密比对和计算实现,并通过GPS共视比对、卫星双向法(TWSTFT)比对等手段与国际原子时间标准相联系,对国际原子时的保持做出贡献,稳定度为10-14,准确度为10-13。

短波授时台(BPM)每天24小时连续不断地以四种频率(2.5M,5M,10M,15M,同时保证3频率)交替发播标准时间、标准频率信号,覆盖半径超过3000公里,授时精度为毫秒(千分之一秒)量级;长波授时台(BPL)每天定时发播载频为100KHz的高精度长波时频信号,地波作用距离1000-2000公里,天地波结合,覆盖全国陆地和近海海域,授时精度为微秒(百万分之一秒)量级。BPL长波授时系统的建立,将我国授时精度由毫秒量级提高至微秒量级,使我国授时技术迈入世界先进行列,该项目1988年荣获国家科技进步一等奖。

随着国家知识创新体系在中国科学院率先试点工作的开始,作为国家授时中心,陕西天文台所承担的国家任务和开展的研究工作得到了国家和科学院的重视和肯定,作为首批试点单位进入了科学院知识创新试点工程,并于2001年3月经中央机构编制委员会批准正式更名为中国科学院国家授时中心。

1970年12月15日,时间城开始向全国进行短波广播。半径达3000公里的范围内,人们第一次从收音机里听到日后耳熟能详的“……嘀”,刚才最后一响,是北京时间×点整。

[6] 『雲南四川06★ミンガラパ!大好きになっちゃった瑞麗ミャンマー人街』雲南省(中国)の旅行記・ブログ by 熱帯魚さん【フォートラベル】 (2010/05/02 - 2010/05/03 ) https://4travel.jp/travelogue/10466837

何だか東南アジアな雰囲気の珈琲店を発見。

ミャンマーの食堂にそっくり。

しかも、柱にかかっている時計の時間はミャンマー時間…笑

[11] 「北京時間」の基準は北京ではなかった=大晦日も厳戒態勢で...|レコードチャイナ (Record china著, ) https://www.recordchina.co.jp/b58157-s0-c30-d0000.html

2012年1月23日、新華ネットは、人々が一家団欒を楽しむ旧正月の大晦日にも24時間体制で中国標準時間を全土に供給する「授時兵」と呼ばれる人々の仕事を伝えた。

「北京時間」の基準は北京ではないことをご存知だろうか。中国科学院国家授時(標準時供給)センターは、中国の中心に近い陝西省蒲城県に置かれ、職員が24時間体制で「北京時間」を管理している。ここは国民の日常生活と密接に関わっていることはもちろん、衛星やロケット発射など、中国の宇宙技術の発展においても重要な役割を担っている。

北京時間は長波と短波によって供給されており、当直の兵士が立つ歩哨所はアンテナの真下にある。1969年10月以来、守衛任務に着いている中隊の兵士たちは、強い電磁波にさらされながらも「北京時間」を自分の命のように守り続けている。

[53] * asia (Macau): Omit redundant transition. (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/7867eda420f22cdad2cf591d3d37794bf47ebee6

[73] Haruhiko Okumuraさんのツイート: "1992-03-06朝日「中国、夏時間を中止」「春から秋にかけて時計の針を1時間進める中国の夏時間は、節電効果を狙って86年から実施された。しかし、「国土が広いことなどから、十分な節電効果も上げられず、一方で交通機関などに不便が大きい」(政府通知)と判断した」… https://t.co/jWs3dNghUo" () https://twitter.com/h_okumura/status/1028072961897422848

[80] 实行夏时制的六个夏天 (北京日报著, ) http://bjrb.bjd.com.cn/html/2017-08/25/content_169986.htm

[82] 國立公共資訊圖書館 數位典藏服務網 ─ 查詢服務 (昭和10[1935] ) http://das.ntl.gov.tw/sp.asp?xdurl=BrowseTopic/gipControler.asp&uid=topic_result_detail&cur_do_index=1&xml_id=0002310567&ctNode=213&dtdname=+%3A+%E6%97%A5%E6%96%87%E8%88%8A%E7%B1%8D

抗戰の首都重慶

136ページ (原本125ページ)

標準時間

重慶の標準時は、上海漢口の各市より一時間遅れて居る。故に重慶の午前八時には、揚子江下流地 方は既に九時であり、午後六時は、下流地方の七時で、すべての家に灯の點く頃である。一昨年政府 は全國各地方の標準時間を改正して五つの區域に分けた。卽ち、(一)中原區。 (二)隴蜀區。 (三)囘蔵區。 (四)崑崙區。 (五)長白區。 しかし暫くの間全國一律に隴蜀區の時間を標準として居たが、戰爭の結束を俟つて、 再び現狀に復した。標準時間の測定は中央研究院が取行ひ、時報は中央放送事業管理處が行ひ、電信 機關を使つて時刻を合はせ、各地の民衆の問ひ合はせに答へる責任を負つた。又時報の輔助機關を指 定して、各地方政府にサイレン並びに時標時鐘及びその他の信號を設置させ、民衆に時間を報知して 嚴守させて居ると云ふ事である。

[83] 國立公共資訊圖書館 數位典藏服務網 ─ 查詢服務 最新支那旅行案內 (昭和15年[1940] ) http://das.ntl.gov.tw/sp.asp?xdurl=BrowseTopic/gipControler.asp&uid=topic_result_detail&cur_do_index=1&xml_id=0001814309&ctNode=213&dtdname=+%3A+%E6%97%A5%E6%96%87%E8%88%8A%E7%B1%8D

271ページ

中華民國26年4月11日改訂

北支の時間は滿洲より一時間おくれですが山海關著發は滿洲時刻です

[100] 経済衰退で問われる本来の「地位」 : 1974年の香 港 () https://ir.ide.go.jp/?action=repository_uri&item_id=39348&file_id=26&file_no=1

10月20日 冬時間にもどる (昨冬石油危機以来夏時間採用)。

[409] 回復の槌音高い香港経済 : 1976年の香港 () https://ir.ide.go.jp/?action=repository_uri&item_id=39306&file_id=26&file_no=1

6月4日政庁は夏時間, 冬時間の切り替え制を廃止し単一標準時間 (香港時間) を設定する法案を発表。

8月4日政庁は各界の反対が強く “香港時間” 実施を断念。

[416] 目立ったソ連の浸透工作 : 1975年の香港 () https://ir.ide.go.jp/?action=repository_uri&item_id=39327&file_id=26&file_no=1

3月12日 政庁は次年度はサマータイム廃止。

[417] 華南経済圏の始動 : 1979年の香港 (真田岩助 ) </ZAD198000_008.pdf>

5月13日 省エネルギー政策として サマータイムも2年ぶりに復活。

[418] モンゴル調査行 (天谷孝夫 ) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsidre1965/55/5/55_5_475/_pdf

昭 和61年7月12日 か らの10日 間,内 モ

ンゴルを訪問 し調査 した ものであ る。

(1) 北京か らフフホ トへ7月12日 の13時,北 京国際

空 港に到着す る。農牧学 院の ダライとテ クシ(共 にモン

ゴル族)の 出迎 えに よ り市内へ。 19時 前の フフホ ト行 きの夜行列車に

て北京駅 を出発。 中国は夏時間 のため 日本と2時間の時

差が あ り,まだ日は高い。

[430] 気候変化に関する北京国際シンポジウムの印象 () https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1991/1991_06_0375.pdf

1990年8月9~12日,北京の図書館を会場として,外

国人約40名,中国人約100名が参加した国際シンポジウ

ムが開催された.

午前8時(夏時間を採用しているために午前7時に相当す

る)から午後6時近くまで多数の講演が行われた

[431] 第15回IMA(国 際鉱物学 連合)総 会― 北京― に出席 して (由井俊三 ) https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigenchishitsu1951/41/225/41_225_39/_pdf

東経105度 附近 で 日本 と時差2時 間の位置 であ るが,

中国全土が北京時 間の,し か も夏時 間を使用 しているた

め時刻は 日本 と同 じで,日 の出7時 日没22時 と夜 もなか

なか暗 くな らず,下 記 の ようなハー ドな 日程 であった.

[432] 土壌水分条件の異なる立地に生育するハンリュゥ (<i>Salix matsudana</i>) の水分動態の比較解析 () https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjfs1953/75/3/75_3_165/_article/-char/ja

測定 は1987年7

月4, 6, 8日 の3日1間 終 日 行 っ た 。

ムウス砂地 は北京 よりかな り

西方 にあ り,か つ調査 当時は夏時間を採用 していたた

め,デ ータ中の時刻は太陽時より2時 間近 く早 くなっ

ている二とを断ってお く。

[442] 北支那気象月報(概報)・昭和14年10月 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000217850

[443] 北支那気象月報第3部 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000217852

[444] 各国気象関係雑件 第一巻 4.徐家匯天文台ノ汽船ニ対シ気象報告無料供給方ノ件 (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_B04011374500

[445] 戦地に於ける標準時に関する件 (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03024304200

[446] 通信事務打合の為出張の件 (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03025013100

[447] Fix Asia/Shanghai 1940/9 DST transitions (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/3a424d270d0ce6d7327483c7ea1471505105a324

[448] [tz] [PATCH] Fix Asia/Shanghai 1940/9 DST transitions () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-October/026904.html

[475] [tz] [PATCH] Fix Asia/Shanghai 1940/9 DST transitions () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-October/026905.html

[476] Add 1 to 1949 Shanghai transition date (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/64926e9e44d27f85796a0fbdd183911eaf35b4a1

[535] NewspaperArchive® | daylight saving historic newspaper articles including obituaries, births, marriages, divorces and arrests. () https://newspaperarchive.com/tags/daylight-saving/?pci=31/

[538] North China Herald, June 24, 1916, p. 22 () https://newspaperarchive.com/north-china-herald-jun-24-1916-p-22/

[554] North China Herald Newspaper Archives, Dec 31, 1902, p. 11 () https://newspaperarchive.com/north-china-herald-dec-31-1902-p-11/

[584] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 15 June 1932, Page 12 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19320615-1.2.77

[586] NewspaperSG - Digitised Search () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Search?ST=1&AT=search&k=TIME%20SWITCH%20A.P.%20SHANGHAI,%20Sun.%20Shanghai%20went%20on%20daylight%20saving%20time%20today.%E2%80%94A.P.

Malaya Tribune 2 May 1949 A.P. Microfilm Reel NL3752

TIME SWITCH A.P. SHANGHAI, Sun. SHANGHAI went on daylight saving TIME today.—A.P.

[632] Newspaper Article - SHANGHAI LIGHT SAVING ENDS, Malaya Tribune, 2 October 1940, Page 7 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19401002-1.2.77

[669] Newspaper Article - Daylight Saving, The Straits Times, 12 March 1948, Page 2 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19480312-1.2.18.4

[686] Newspaper Article - Untitled, Indian Daily Mail, 31 October 1947, Page 1 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/indiandailymail19471031-1.2.19

[687] Newspaper Article - SHANGHAI LIGHT SAVING ENDS, Morning Tribune, 2 October 1940, Page 7 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/morningtribune19401002-1.2.48

[688] Newspaper Article - Daylight Saving To Conserve Energy, The Straits Times, 5 September 1946, Page 7 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19460905-1.2.84

[689] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING FOR SHANGHAI, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 1 June 1940, Page 2 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19400601-1.2.12

[690] Newspaper Article - Untitled, The Straits Times, 3 April 1920, Page 13 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200403-1.2.101

[691] Newspaper Article - NOTES & COMMENTS Daylight Saving, Malaya Tribune, 4 January 1937, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19370104-1.2.69

[692] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING IN HONG KONG, Morning Tribune, 14 June 1941, Page 11 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/morningtribune19410614-1.2.51

[693] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, The Straits Times, 11 June 1932, Page 19 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19320611-1.2.111

[694] Newspaper Article - Untitled, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 10 July 1918, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19180710-1.2.58

[695] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 15 June 1932, Page 12 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19320615-1.2.77

[696] Newspaper Article - Untitled, The Straits Times, 27 March 1920, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200327-1.2.83

[697] Newspaper Article - MINUS AN HOUR, The Straits Times, 27 September 1948, Page 3 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19480927-1.2.28

[698] Newspaper Article - SHANGHAI BROADCASTS, Malaya Tribune, 25 June 1941, Page 2 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19410625-1.2.18

[699] Newspaper Article - Daylight Saving., Malaya Tribune., 8 May 1919, Page 7 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19190508-1.2.41

[700] Newspaper Article - H.K. DAYLIGHT SAVING, The Straits Times, 28 December 1939, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19391228-1.2.68

[701] Newspaper Article - STARTING EARLY., The Straits Times, 9 October 1937, Page 17 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19371009-1.2.129

[702] UTC+8 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/UTC%2B8

香港は日本占領下では、名目上夏時間を通年実施し、日本標準時と同じ +9 であった。

[703] [tz] Hong Kong time 1941 () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-October/027100.html

[704] [tz] Hong Kong time 1941 () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-October/027100.html

[705] Newspaper Article - HONGKONG AND ZONE TIME., The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser (Weekly), 2 November 1904, Page 277 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepresswk19041102-1.2.37

[706] 網上時鐘(HTML) () http://www.weather.gov.hk/gts/time/clock_uc.html

HKT

UTC+8

[707] 本地時間 () http://www.weather.gov.hk/gts/time/basicterms-localtimec.htm

香港標準時間(HKT) = 協調世界時(UTC) + 8

[709] [tz] Hong Kong time 1941 () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-November/027230.html

[710] [tz] Hong Kong time 1941 () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-November/027237.html

[711] [tz] Hong Kong time 1941 () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-November/027241.html

[300] #時刻表にみる華中鉄道 () http://www.tt-museum.jp/tairiku_0290_kac1941.html

火車時刻表

1941(昭16)年9月

華中鉄道

[712] #時刻表にみる日中戦争中の中国の観光バス () http://www.tt-museum.jp/tairiku_0280_nan1941.html

[715] [tz] Hong Kong Time history () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-December/027359.html

[716] [tz] Hong Kong Time history () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2019-January/027365.html

[717] Hong Kong fixes for 1904 through 1952 (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/eea490a7f87a6c49ab9a292bb6f144177171a739

[718] Revert recent change to 1904 HK transition (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/c6b83759b2a4e4436c6009a441f9c8c3438a8604

[719] Reinstall the 1904-10-30 Hong Kong change (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/dfb5b6793c1e2cfe6e10376b7eccb377a11933e6

[749] () ftp://210.101.116.19/kyungsung_New/1938-04-17.pdf#page=1

[752] 標凖時統一 在北支陸軍部隊서 使用 http://www.nl.go.kr/nl/search/bookdetail/online.jsp?contents_id=CNTS-00094890117 http://viewer2.nl.go.kr:8080/main.wviewer?cno=CNTS-00094890117

[753] 中国近代における時間意識形成についての一考察 (阿川修三 ) https://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/lit/l1601/l160103.pdf

[754] Kyoto University Research Information Repository: 東亞の標準時政策を論ず () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167658

[755] () https://www2.i-repository.net/contents/myc/chosakai/A06_0211_030.pdf#page=8

[756] [tz] Hong Kong Time history () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2019-May/027992.html

[757] The longest day: when wartime Hong Kong introduced daylight saving | South China Morning Post ( Zoe Low Published: 7:00am, 28 Jun, 2019 ) https://www.scmp.com/magazines/post-magazine/short-reads/article/3016281/longest-day-when-wartime-hong-kong-introduced

[770] [tz] Asia/Shanghai timezone history and other information () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2020-April/028935.html

[771] [tz] Some time zone history (4) (, ) https://mm.icann.org/pipermail/tz/2021-March/029889.html