[1] 日本軍や自衛隊は、 それぞれの時代にそれぞれの軍用時を使っています。
海軍では外地作戦においても中央標準時を採用していた。したがって、現地時間とは合致しないが統一的な作戦を実施するために時刻を統一していた。ただし、局地作戦においては現地の判断で現地時間を使用していたこともあると思われる。日々の生活にはその方が都合がいいからである。
ハワイに行こうが、シンガポールに行こうが、海軍は日本時間のままでした。
たしかに違うタイムゾーンに艦が出入りするたびに時計を調整していては混乱します。
それでどこへ行っても日本時間で押し通したそうですが、朝食が午前二時半、夕食が午後一時になるなど、ハワイ作戦の実施部隊にはいろいろな苦労があったそうです。
現在、自衛隊の海外派遣部隊は現地時間で行動しています。
出撃以来5年近く大西洋で暮らしていた旭日艦隊も、現地時間で生活していたのではないでしょうか?
2、3時間のずれならともかく、時差は9時間もありますからね。
真夜中に露天甲板磨きをやれと言ってもできますまい。
では世界中あちらこちらに神出鬼没の紺碧艦隊は?
潜水艦内なら昼夜が逆転してもあまり支障はないようにも思えますが、どうなんでしょう?
ちなみに商船では正午に太陽が真南に来るように、毎朝船内時計を少しずつ調整しています。
ですが他船との連絡や報告書には必ずグリニッジ標準時を併用して正確を期すそうです。
出先の部隊が外地に
おいてローカルタイムは使わないのではないかと思います。
昭和16年12月1日の開戦の聖断によって軍令部総長から発せられた大海指十
六号の「別冊」六には「使用時ヲ中央標準時ト定ム 但シ要スル場合ハ海軍艦
船使用規則ニ依ル時刻ヲ附記スルモノトス」とあり、基本的に注意標準時を使
う旨軍令部総長による指示があったことがうかがえます。
聯合艦隊ではこれをうけて機密聯合艦隊命令作一号別冊によって指揮下の部隊
に対して「対米英蘭戦争ニ於ケル聯合艦隊ノ作戦」を行う際の要領を示してお
り、その「第三編 雑則」の「第一章 使用時」では「中央標準時トス」と記
述があり(それ以外の記述はない)、ここに中央標準時を使うことが規定されて
いたと考えられると思います。
なお、日本海軍では1937年に西部標準時(台湾、澎湖諸島などで使用)と中央標準時(時差1時間)が日本中央標準時に統一されて以降、中央標準時を一元的に運用した。同じく、「轟沈」に登場する伊10潜の日課掲示板には、「10、00配置に就け 11、00潜航 11、30朝食 16、45昼食 雷手入 22、00夕食 00、15浮上 01、00夜食 出撃三十日目」と白墨で記されている。
このように時刻表示は24時間制を採用し、例えば午後12時5分は 1205(ただし、針路の場合は 210度、ヨウソロー)と発声した。なお、戦線の拡大に応じて各地域では、その地域ごとに実態に即した局地的な地方時間を採用することもあった。
〔福田・坂本ほか1979〕、〔Rohwer1983〕、〔山内2000〕ほか
1894~1895年における日清戦争の敗北は、中国の半植民地化、欧米列強への従属化を著しく進めました。その結果、特に中国華北一帯で、民衆の抵抗運動が草原に広がる野火のように、激しく燃え上がったのです。「義和団運動」と呼ばれる運動で、1899年から広がり始め、1900年6月には、北京や天津を占領、北京の各国公使館を包囲して、各国の外交官を人質に取ったのです。
英・仏・露・米・独・伊・日・墺の8ヶ国は、連合軍を派遣して、鎮圧するのですが、この戦争では、距離も近く、いち早く軍隊を派遣して、多くの犠牲を払いながらも、北京を解放して、各国外交団を救出した日本の活躍が目立ちました。
各国の新聞は、日本の活躍を称賛した特派員の現地報告を載せています。ここでは、ロンドン・タイムスの特派員の記事の1部に、腕時計のことが出てきますので、その部分のみを記します。
「日本兵は、伍長ですらも、腕時計・羅針儀・双眼鏡を携帯している。日本の砲兵隊も、補給隊も実に素晴らしいが、その日本軍の弱点は、騎兵隊の乗馬が貧弱で、劣ることである。」
いかがです。英国や米国の軍部では、将校のみが腕時計をしていたその時代に、日本軍では、伍長という兵卒に最も近い下級の下士官までもが、腕時計をしていたという事実です。
イギリスの敏腕新聞記者は、さすがにこの事実を見逃さなかったのですね。当時腕時計は高級品ですから、伍長が自ら時計を買うのは不可能です。明らかに軍によって支給された品、下士官の標準装備品とされていたと考えられるのです。
義和団事件から4年後の1904(明治37)年に、日露戦争が始まります。この日露戦争の将校団の写真を見ると、前列の将校が全員腕時計をしていることが分かります。
大江志乃夫さんの『兵士達の日露戦争』に記された、兵士の家族宛ての手紙を見ると、やたらと時刻が出てきます。
「9日屯営を出発し、午後5時8分発車、6時夕食。翌10日午前5時29分大阪着朝食、11時30分姫路着昼食、午後4時55分岡山着夕食。…」とこんな調子です。
やたらと時間の記録が出ているのです。手紙の人物は二等兵卒ですから、軍による時間教育が徹底していたこと、そして彼自身出征の記念かもしれませんが、時計を持っていたに違いないことが読み取れます。
[678] 第22駆逐隊桂戦闘詳報(時刻緑威標準時) (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10080074900
退職後19年を経過した現在の私が当時を思い起こして感じていることを書かせて いただきました。
海上自衛隊においては、日常生活は当然日本の時刻帯で行われていますが オペレーションに関するものは、基本的にはGMTで動いていきます。 米海軍とのインターオペラビリティを重視し、その向上を標榜してきた海上自衛隊で あるからには、日本の近海で行動していても、使用時刻帯は米海軍に合わせてGMTを 使わざるを得なくなっていることだと思っています。
私が若い頃は、海上自衛隊内の訓練ではJSTを使い、米海軍との共同訓練になると GMTを使うという変則的なことをやっていたため、その時刻帯の使い分けで混乱をし てしまい、つまらぬ錯誤やミスということもしばしばあったように思います。私が 退官する頃には、基本的にはオペレーションに当たっては、米海軍が参加しようが しまいが、当然のようにGMTを使用するようになっていました。
そのため、艦の日課も当然JSTで動いているのですが、上級部隊からの指示・命令や 報告などについては、すべてGMTで行われてきます。その際、朝の日の出の時刻にも かかわらず、「202135Z」(※)などという時刻指示があった場合など、ただでさえ 睡眠不足の頭には混乱が生じてしまうのは仕方のないことかもしれません。ましてや、 長期の訓練航海でGMTに慣れきったところで訓練を終えて戻ってくると、また頭をJSTの プラス9時間帯に戻さなければならないのです。これは時差ぼけという現象ではありま せんが、プラスマイナス9時間という時間帯を行ったり来たりしたことによる後遺症と でも呼ばれるのでしょうか。
[12] 第22駆逐隊桂戦闘詳報(時刻緑威標準時) (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10080074900
内地との連絡のため、大西洋のドイツ海軍通信圏内に入るまでは、内地時間で通
した。そのため、東から西へと航行すると、経度一五度ごとに時間を一時間遅らせなけれ
ば、時差が解消しない。
臨時陸軍軍用定期航空発着時間表
1943(昭18)年10月
[3] 自 衛 隊 百 科 (5月放送内容) テ-マ:自衛隊の専門用語の解説 () http://www.mod.go.jp/rdb/tohoku/kyouryoku_kakuho/fmradio/2705-rm.html
[4] 自衛隊の方々は演習のときどのような腕時計を使っていますか。 - 空・海・陸全... - Yahoo!知恵袋 () https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1319369618
なお開戦に先だって、陸海軍は中央協定を結び、使用時分は「中央標準時」として、すべて日本時間で統一していた。
大海指第94号
昭和17年5月5日 奉勅 軍令部総長 永野修身
「ミッドウェー」島作戦に関する陸海軍中央協定
十一、使用時
中央標準時トス