満州の標準時

滿洲の標準時

[59] 満州では、様々な時刻が用いられました。 現在は外満州ではロシアの標準時のいずれかが、 内滿洲では中華人民共和国の標準時 +08:00 が使われています。

[240] 中華人民共和国の標準時 +08:00 は、 日本中央標準時時差が1時間あり、 日本が進んでいます。

変遷の概略

[158] 満州の標準時の変遷の概略
d
時期
外満洲
北満洲 (鉄道)
北付
北満洲 (付属地)
北東
北満洲 (東部)
北西
北満洲 (西部)
南満洲 (鉄道付属地関東州)
南地
南満州 (その他)
支那
支那方面連絡鉄道
notes
備考
地方時
地方時
北付
地方時
北東
地方時
北西
地方時
地方時
南地
地方時
支那
地方時
d
地方時
地方時
北付
地方時
北東
地方時
北西
地方時
地方時
南地
地方時
支那
+08:00
notes
清国海関海岸時制定
d
地方時
+08:23
北付
+08:23
北東
地方時
北西
地方時
+08:23
南地
地方時
支那
+08:00
notes
東清鉄道開通
d
地方時
+08:23
北付
+08:23
北東
地方時
北西
地方時
+08:12
南地
地方時
支那
+08:00
notes
日露戦争開戦
d
地方時
+08:23
北付
+08:23
北東
地方時
北西
地方時
+09:00
南地
地方時
支那
+08:00
notes
日本軍用時改正
d
地方時
+08:23
北付
+08:23
北東
+09:00
北西
+08:00
+09:00
南地
+08:00
支那
+08:00
notes
清国海関標準時制定
d
地方時
+08:23
北付
+08:23
+08:00
北東
+09:00
北西
+08:00
南地
+08:00
支那
+08:00
notes
関東州標準時制定
d
+09:23
北付
+09:23
+08:00
北東
+09:00
北西
+08:00
南地
+08:00
支那
+08:00
notes
露西亜夏時間開始
d
+09:23
北付
+09:23
+08:00
北東
+08:30
北西
+08:00
南地
+08:00
支那
+08:00
notes
中華民国標準時制定
d
+08:23
北付
+08:23
+08:00
北東
+08:30
北西
+08:00
南地
+08:00
支那
+08:00
notes
露西亜夏時間終了
d
+09:23
北付
+09:23
+08:00
北東
+08:30
北西
+08:00
南地
+08:00
支那
+08:00
notes
シベリア夏時間開始
d
+08:23
北付
+08:23
+08:00
北東
+08:30
北西
+08:00
南地
+08:00
支那
+08:00
notes
シベリア夏時間終了
d
+08:26
北付
+08:26
+08:00
北東
+08:30
北西
+08:00
南地
+08:00
支那
+08:00
d
北付
+08:00
+08:26
+08:00
北東
+08:00
北西
+08:00
南地
+08:00
支那
+08:00
notes
満洲国標準時制定
d
+08:00
北付
+08:00
+08:00
北東
+08:00
北西
+08:00
南地
+08:00
支那
+08:00
notes
東支鉄道新標準時採用
d
+09:00
北付
+09:00
+09:00
北東
+09:00
北西
+09:00
南地
+09:00
支那
+09:00
notes
満洲国および関東州標準時改正
d
+08:00
北付
+08:00
+08:00
北東
+08:00
北西
+08:00
南地
+08:00
支那
+08:00
notes
標準時制定
d
+08:00+09:00
北付
+08:00+09:00
+08:00+09:00
北東
+08:00+09:00
北西
+08:00+09:00
南地
+08:00+09:00
支那
+08:00+09:00
notes
中華人民共和国夏時刻開始
d
+08:00
北付
+08:00
+08:00
北東
+08:00
北西
+08:00
南地
+08:00
支那
+08:00
notes
中華人民共和国夏時刻廃止
d
tzdata
北付
Harbin
d
現所属
ロシア連邦
中華人民共和国
北付
中華人民共和国
中華人民共和国
北東
中華人民共和国
北西
中華人民共和国
南地
中華人民共和国
支那
中華人民共和国

清國時代

[90] 国の皇帝満州族で、満洲も当然国領土でした。 満洲には元々満州族らが居住しており、支那漢族とは分離されていましたが、 次第に漢族が入植をはじめました。蒙古でも同じようなことが起こっていました。

[55] 外満州内満州も内外蒙古も、 国に属していた時代は近代的な標準時はなく、 地方時を使っていました。

[56] 農暦は、北京基準で決定されたものが満州でも用いられたと考えられます。 農暦中国の標準時

ロシア時代

[38] 西方からシベリアへと勢力を伸ばしたロシアは、 南下して満洲に侵入しました。 北京条約により外満州ロシア領となりました。 以後外満州標準時についてはロシアの標準時およびアジア大陸の鉄道標準時参照。 なお、露西亜もこの当時、近代的標準時を採用せず、 各地の地方時を使っていました。
[39] 日清戦争により遼東半島大日本帝国により占領され、 締結の下関条約により日本領となりました。

[111] 日本統治下の遼東半島でどの時間帯が用いられたのかは不明です。

[112] しかし満州に勢力を伸ばしていたロシアなどによる三国干渉の結果、 締結の遼東還付条約により日本遼東半島に返還しました。 にはかわりにロシア関東州租借し、 東清鉄道 (後の南満州鉄道を含む。) の敷設権を取得しました。 当時ロシアシベリア鉄道の建設を進めてきましたが、 建設の難航していた外満州区間を代替し短絡するのが北満洲 (内満州北部) を通る東清鉄道本線でした。

[46] tzdataAsia/Harbin は元の地方時+08:26:44 としています >>54

[2] 満洲近辺の露西亜の鉄道では標準時間と称してモスクワの標準時が用いられていたといいます。 正確には当時の首都であるサンクトペテルブルグ標準時が使われていたとみられます。

[116] 1898年頃には京奉鐵路支那から奉天に延伸しています。 当時鉄道で時刻をどう扱っていたのかは定かではありませんが、 1902年には清国海関海岸時 +08:00 を制定し、 京奉鐵路もそれを採用したといいます。 ロシアの標準時中国大陸の標準時アジア大陸の鉄道標準時

[43] ロシア内満州に侵攻しました。
[108] 東清鉄道が開通しました。

日露時代

[91] ロシアは全満州を勢力下に置くとともに、 日本の勢力下にあった大韓帝国にも干渉を続けました。 その結果、日露戦争が始まりました。 には、日本軍朝鮮半島を経由して遼東半島に上陸しました。

[207] には、 東経123度子午線の時刻 = +08:12以降の「満韓地方の基準時」 とすることが日本軍部隊に通達されています >>206。 これは主戦場の1つである遼東半島付近 (遼河) の時刻に当たります。

[151] 軍部隊の時刻を一定のものとするため、と説明があります。 それまでは部隊ごとに、あるいは現在地ごとに異なる時刻を使っていたのでしょうか。

[12] 日本軍野戦鉄道提理部は、接収した東清鉄道線などの運転をに開始し、 順次延伸しています。ここでも +08:12 が使われたのかは、不明です。

[129] 日露戦争開戦当時、韓国遼東平壌の時刻を適用する構想が日本陸軍にあったらしい >>128 といいます。これが +08:12 のことなのか、 また別のものなのかは不明です。 (平壌はもっと東です。)

[205] Wikipedia は、 支那海岸部、 朝鮮満州グリニッジ子午線基準の標準時が採用された >>420 としていますが、出典要検証とされています。


[23] Time ChangesCHINA, PEOPLE'S REPUBLIC OF は、 から Chosen (今の Korea) と Manchuria標準時 +09:00 としていました >>1256。 根拠は不明です。

[105] 末頃、 朝鮮半島鉄道や各国機関は +09:00 を採用しました。 朝鮮半島の標準時

[215] 旅順が陥落し、日本軍の支配下に入りました。

[109] には、 日本軍部隊に対し、以後中央標準時を用いるよう指示されています >>208, >>209, >>210。多くの部隊が中央標準時を用いているものの、 特に規定されたものではなかったため、異なる時刻を採用されると混乱するおそれがある、 と指摘されていました >>208鉄道時刻の誤解のおそれにも言及があるので、 野戦鉄道提理部もそれに従ったものと推測されます。

[213] 「満韓地方の基準時」は日時計で計測するよう指示がありましたが >>206中央標準時電信同期する >>208 とされていました。 関東州の主要都市が完全に日本軍の管理下に入り、現地インフラから安定した時刻を得られるようになったのでしょう。 「満韓地方の基準時」を使うよう指示されていたはずの各部隊がいつの間にかなし崩し的に中央標準時を採用していたというのも、 そうした事情と関係しているのでしょうか。


[73] 日露戦争日本海海戦 ( - ) でバルチック艦隊ハルビン時刻を用いており、 満洲ロシア勢力圏内で広く使われていたとの推測があります >>92。戦史の開戦時刻の比較から、露西亜側時刻は +08:22 と思われるとし、満鉄史夜話 >>92 はそれが哈尓浜時間 +08:26 が使われていた根拠としています。

[193] 日本海海戦について、日本側史料から執筆されたであろう Wikipedia 日本語版 >>191 とロシア側史料から執筆されたであろう Wikipedia ロシア語版 >>192 は、いずれもどのような時刻か明記しておらず、 全般的に異なる立場からの説明となっていて比較が難しいのですが、 例えば次のような時刻を示しています。

e
出来事
j
日本語版
r
ロシア語版
d
時差
e
日本軍連合艦隊から東京大本営へ打電
j
06:21
r
06:04
d
17
e
日本軍Z旗掲揚
j
13:55
r
13:25 頃
d
30
e
日本軍敵前大回頭 (トーゴー・ターン)
j
14:05 - 14:13
r
13:45 -
d
20
e
砲撃戦開始
j
14:08 頃
r
13:49
d
19
e
ロシア軍白旗掲揚
j
10:34
r
10:34
d
0
e
ロシア軍機関停止
j
10:53
r
10:53
d
0

[194] ロシア軍の降伏時刻が同時刻となっている一方で、 日本軍の打電のようなロシア側で当時知り得なかった情報に異なる時刻が示されています。 Wikipedia またはその出典の著者が時刻を変換したり、しなかったりした情報が混ざっているのでしょう。 孫引きでかつ要約された情報から結論を導くのは危険ですが、 日本時間より20分程度遅れた時刻を使って記述された文献があるとは言えそうです。 浦塩地方時+08:44 を使ったのかもしれませんし、 ロシア軍 (バルチック艦隊) がこの近辺の経度に合わせた船内時を用いたという可能性もあります。

[196] 満鉄史夜話 >>92 がいう日本側開戦時刻は14:08です。 これをロシア側で13:30と記録されていることから、38分の時差があったとしています。 しかしロシア語Wikipedia の記述を信じるなら、これは日本側 14:08 と同時刻とは言えません。 そもそもの問題として、戦史記載の時刻が作戦や記録で当時実際に用いられた時刻なのかどうかは不明ですし、 実際用いられたものだとしても満洲で広範に通用したと結論付けるのは早計とも思われます。


[47] 清國海関標準時を制定しました。 満州+08:00+09:00 に分けられました。 これが満州でどの程度実効性を持っていたのかは不明です (実質的に標準時電信局鉄道のような近代設備でしか意味がありませんが、 この時点でほとんどロシアのものしかなかったとも思われます)。

国境に近い滿洲都市琿春は、 +09:00 と明記されていました。 中国の標準時

[41] 発効のポーツマス条約により、 関東州日本租借地となりました。 南満州鉄道ロシアから日本に譲渡されました。 これにより南満州日本の勢力圏内となりました。 一方で、日本軍が占領できなかった北満洲は引き続きロシアの強い影響下にありました。

[10] 日露戦争満洲では +09:00 が使われた >>6 ともいわれます。 鐡道軍政で軍標準時である中央標準時が用いられ、 現地の日本人もそれに従ったものと思われます。 南満州の支那人や露西亜人がどうしていたのかは不明です。 北満洲では引き続きハルビン時間が使われたと思われます。

[110] 新民屯野戦鉄道提理部軽便鉄道清国京奉鉄路に接続しており、 当時ここで清国の時刻に切り替えたとの記録があります >>92。 鉄道時刻の +09:00+08:00 の境界だったと思われます。

[156] 付け日本政府発表によると Newchwang (営口) 海関報時球の時刻が改正されており、英国水路部は詳細不明なれど +08:00営口標準時となったのであろうとしています。 >>155

[157] 新民屯営口は、地理的には支那満州の境界付近の満州側に属します。 営口日露戦争時に日本軍の支配下に入った後、 事実上の租界が設置され、 には満鉄附属地に編入されています。 このように日本の強い影響下にあったため、報時球日本政府の管理下にあったようです。 日露戦争前は地方時を使っていたようですが、 この時 +09:00 ではなく +08:00 が採用されたのがどのような事情かは不明です。

[11] 野戦鉄道提理部から引き継いで鉄道運行を開始した南満州鉄道は、 当初日本中央標準時 +09:00 を採用していました >>64, >>201

[212] 以後、 関東州および満鉄附属地では西部標準時 +08:00標準時となりました >>211, >>118, >>132南満州鉄道も同時に0時より >>64, >>201 鉄道時刻をこれに改めました >>64, >>63, >>132

[106] 朝鮮半島鉄道や各国機関は +09:00 を使っていましたが、 この滿洲標準時變更によって1時間の時差が生じました。 大日本帝国保護領大韓帝国標準時+08:30 に改められ、時差は30分に縮小しました。

[186] 日本軍の 「二十九日 午前一時 安東縣發」の文書は、 「二十九日午前七時五分旅館出發七時三十五分新義州出發 (韓國時間八時五分)」 のように記載しています >>187安東清領満州都市 (現中華人民共和国領)新義州大日本帝国保護領大韓帝国都市 (現朝鮮民主主義人民共和国領) で、 の対岸にあります。朝鮮半島満鉄を結ぶ安奉線国境を超えていました。 安東側の日本軍関東州の標準時 +08:00 を使っていたのでしょう。 国境を超えて新義州でもこれを使っていたのか、 安東側部隊からの文書なので安東時刻を主として記述したのかは不明です。 韓國時間は、大韓帝国標準時 +08:30 と思われます。

[74] に、中華民国が成立しました。 農暦にかわりグレゴリオ暦が採用されました。
[42] あるいはに、 関東州中華民国からの日本租借地となりました。

[48] 中華民国標準時を制定しました。 満州+08:00+08:30 に分けられました。 南満州ではこれは日本側の標準時 +08:00 と一致していましたが、 北滿洲ではロシア側の標準時 +08:23 と若干の相違があり、 実効性があったのかどうかは定かでありません。 中国の標準時

[160] 満鉄発行の案内書によると、満鉄 +08:00 に対して長春以北の東清鉄道+08:23 を用いていました >>161

[195] 在奉天日本總領事館がまとめた文書では、 奉天経度東経123度23分時差は約1時5分となっています >>197

[198] 東京+09:00 とすると、奉天は約 +07:55 ということになります。 しかし経度地方時+08:13:32 で、かなり異なります。 北京地方時 +07:45:54 とも少し異なります。 南京地方時は約 +07:55 でほぼ同じですが、 支那大陸沿岸部と南満州で広く +08:00 が使われていたのに、 中華民国中央政府所在地とはいえ遠く離れた南京の時刻が奉天でも使われていたとするのは不自然に思えます。 奉天南満州鉄道沿線で、市内でも鉄道時 +08:00 が使われていそうなものですが、 一体どのような事情があるのでしょうか。

[166] より、 東清鉄道鳥蘇里鉄道は (露国?) 臨時政府の指示で従来より1時間早い時刻に移行しました >>167

[25] ロシアは1917年6月30日-7月1日 (おそらくユリウス暦) に夏時間に移行したようです >>117ユリウス暦3日に当たります。
[165] の報告によると、 露国臨時政府夜に標準時に復帰しました。 ロシアの標準時

[19] 以後東清鉄道において従来より1時間遅れた時間 (本来の哈爾浜地方時 +08:23) が採用されたといいます >>18ロシアでは1917年12月28日に夏時間終了とされています >>117 (ロシアの標準時参照)。 これがユリウス暦だとすると、 グレゴリオ暦に当たりますから、 ちょうどこれと一致します。

[75] まで、ロシアユリウス暦を使っていました。 東清鉄道も、同年までそれに従っていました。 >>69

[169] 公布施行日本の大正7年勅令第66号 關東都督府觀測所官制中改正ノ件は、 関東都督府観測所の業務に「標準時ノ觀測事務」を追加しました >>168(関東都督府観測所本所は大連にありました。)

[119] 東清鉄道は、から夏時間 +09:23 への切り替えを行い、 の間に +09:23 午後24時から +08:23 午後11時への切り替えを行いました。 これはシベリア地域を当時支配していた政府の指示に従ったものでした。

[93] これ以後の年のロシア (ソ連) の夏時間東支鉄道が従ったのかどうかは不明です。 少なくても鳥蘇里鉄道 (外満州) の +09:23 移行時には、 東清鉄道+08:23 を維持していたようです。 第一次カラハン宣言ソ連東支鉄道を放棄しました (その後撤回)。 1919年から1922年には日米等の連合国鉄道管理委員会東支鉄道の経営に干渉しています。 1920年頃、中華民国は鐡道付属地の行政権を順次回復しています。 従ってこの時期は夏時間を実施しなかった可能性が高そうです。

[189] 日本で出版された案内では、長春駅で20分の「時計調整」 が必要と説明されていました >>188

[120] 1920年頃、モスクワソビエト政府ロシア全域を支配下に置きました。 1919年に制定されたグリニッジ標準時からの整数時差標準時は、 その支配地域拡大に従いロシア全域に広がったものと思われます (が東支鉄道には適用できなかったと思われます)。

[94] 支那国有鉄路の規則には、 支那国有鉄路東支鉄道で23分の時差があることが記述されていました。 アジア大陸の鉄道標準時

[99] 大正11年出版の >>98 には、東支鉄道 +08:23南満州鉄道 +08:00 などとあります。

[152] >>88 には、ハルビン時間 +08:23 とあります。

[70] 大正時代満鉄のポスター >>69 215ページ, >>200 には、 長春駅のホームで23分の時差のある2つの時刻を4本の針で同時に示した時計が描かれています。

[71] 発行の南満洲鉄道旅行案内には、 滿洲支那支那時刻内地朝鮮より1時間遅れ、 「長春、又哈爾賓満洲里以東、浦鹽間」 は哈爾賓時刻支那時刻 + 26分との記述があります >>162, >>69 もこれを引用

[97] 出版の >>96 は、 南満州鉄道より東支鉄道が23分進んでいるとしています。

[163] 鉄道省時刻表 (の翻刻版) には、 「時差 支那沿岸時刻及南滿洲時刻ハ日本内地時刻及朝鮮時刻ヨリ1時間遅ク哈爾濱時刻ヨリ26分遅シ」 とあります >>164

[123] 1927年出版の >>122 は、南満州鉄道より東支鉄道が23分進んでいるとしています。

[29] 昭和初期 (3年-) の時点で、東支鉄道、 すなわち満州里-浦塩や長春-ハルビンはハルビン鐡道時 +08:26 でした >>28, >>80, >>81, >>82満鉄満洲内の鐡道路線は +08:00 でした >>80, >>81, >>82

[84] 昭和10年版 >>83, >>83 コマ509 には哈爾賓標準時廃止の注記があります。

[101] 出版の >>100 には、長春満鉄から東支鉄道に乗り換えるとき 26分進めて北滿時間とするよう注意しています。 (>>100 コマ179にも同内容の説明があります。)

[121] このように大正時代には東支鉄道+08:23 を使っていましたが、 昭和時代には +08:26 になっています。この変更が意図的なものなのかどうか、 いつ誰の判断で行われたのかは不明です。ハルビンの位置は +08:26 に近いようです。 ロシア革命の混乱により、あるいはロシアの標準時実施の影響によるとも考えられなくはありませんが、 確証はありません。1924年の満鉄の案内書 (>>71) で +08:26 となっているので、それ以降で +08:23 としている一般書 (>>97>>123) は古い情報と思われます。


[216] 関東州商工会議所から夏時刻の提案があったものの、 具体的な動きにはつながらなかったようです >>211

[214] には関東州各地の商工会議所からの陳情があり、 夏時刻の採用が検討されましたが、 満鉄の運行や支那との調整に影響を及ぼすとして、 に実施見送りが決まりました >>211

大連商工会議所 >>228
[217] この当時欧米各国で夏時刻制の導入が進んでいました。 日本本国でも独立して夏時刻実施が検討されていました。

[154] の新聞記事は、前年話題になった夏時刻導入が今年は話題にならない >>153 と述べています。前年の失敗で推進派も断念してしまったのでしょうか。


[219] 中華民国南京国民政府北京に進攻し (北伐)、 北京政府は滅亡しました。

[220] から中華民国農暦+08:00 で計算されるようになりました。 農暦中国大陸の標準時

[30] Time ChangesCHINA, PEOPLE'S REPUBLIC OF は、 中華民国時間帯滿洲各地を +08:30 または +08:00標準時としていました >>1256 中国大陸の標準時

[221] ShanksCHINA のうち滿洲 (#4, #9) を より +08:30 (それ以前はLMT) としていました >>222

[49] tzdataAsia/Harbin は、 を境に +08:30 としています (それ以前は LMT) >>54


[27] 齊々哈爾 (チチハル) 市内では、 +08:56 が使われていた >>69 (その出典は旅程と費用概算), >>81 コマ405, 410, >>82 コマ437, 439 ともいいます。

[85] 齊々哈爾の方が哈爾賓より西なのですが (+08:15 付近)、 なぜか時刻は進んでいたことになります。 ただし現時点で旅程と費用概算以外の出典が見つかっていません。 齊々哈爾黒龍江省の省都で北満洲の主要都市でしたが、 東清鉄道本線の駅から離れていて、市内に付属地は無かったものと思われます。 (露西亜や日本の領事館はありました。またかつてチチハル城内にも露西亜軍が駐屯していたようですが、 この時期には既に撤退していたと思われます。) ですからハルビン鉄道時と異なる時刻を用い(られ)た可能性はあるのですが、 それが +08:56 だというのは奇妙です。 ハルビン時間から30分ではなく、満洲時間 (昂齊鉄道の時刻) から30分で +08:30 (長白時区) だとすればまだ納得感あります。

[124] 東支鉄道と、その駅から齊々哈爾市内を結ぶ斉昂軽便鉄路は、 ハルビン時間 +08:26 を用いていました >>81 コマ407, >>82 コマ422

[126] 齊々哈爾付近を走る齊克線洮昻線四洮線では +08:00 が使われていました >>69 (その出典は旅程と費用概算), >>81 コマ405, 410, >>82 コマ437, 439, >>87

[125] 齊々哈爾を発って齊克線で移動する行程の注記には、 南満時刻なので30分戻すよう指示があります >>81 コマ409, >>82 コマ422。 どこで時計操作するべきなのか曖昧ですが、龍江駅 (齊々哈爾市内からの最寄り) 乗車前と解釈するのが自然です。とすれば市内は +08:30 ということになります。 この行程は >>124 の続きなのですが、入市時に4分進める指示はありません。 わずかだから省略した (または見落とした) のか、戻すべき30分が実は概数なのかは不明です。

[127] >>27>>125 はわずか2ページ隣の記述ですが、矛盾しています。 本当に +08:56 なら、30分戻しても +08:26 でしかなく、南満時刻にはなりません。
[155] Page 4235 | Issue 27923, 19 June 1906 | London Gazette | The Gazette () https://www.thegazette.co.uk/London/issue/27923/page/4235

No. 601.—NORTHERN CHINA—LIAIT

RIVER,

Newchwang—Beacon Removed in Approach^ Time Signal Altered.

The Japanese Government has given notice, dated 21st April, 1906, that the surveying beacon (New Beacon) on the eastern bank of Liau River, formerly situated at a distance of 3 cables S. 40° E. from Nodding Tommy Beacon, is no longer in existence.

Also, that the time ball at the Custom House Flagstaff, Newchwang, is dropped every day at Oh. Om. Os. Mean Time of the 120° of east longitude, or 16h. Om. Os. G.M.T., instead of on Saturdays at Oh. Om. Os. Local Mean Time as formerly. Further particulars in regard to this signal are not given, but it is presumed that Standard Time of the 120th meridian of eist longitude has been adopted at Newchwang for general use.

Approximate position, Custom House F.'agstaff on Chart No. 2894, lat 40° 43' 25" N., long. 122° 15' 55" E.

[Variation 4° Westerly in 1906.]

This Notice affects the following Admiralty Chart:—Liau River, No. 2894. Also,- List of Time Signals, 1904, page 78; and China Sea Directory, Vol. Ill, 1904, pages' 645, 649*-

[118] 国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1907年05月22日 ( 版) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950512/1

關東都督府告示第三十五號

關東都督府管内ノ標準時ハ明治四十年五月十六日ヨリ帝國西部標準時ニ據ル

明治四十年五月十四日

關東都督 男爵大島善昌

[211] 夏時制実施に関する件 (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C04016885600 (国立公文書館 アジア歴史資料センター 夏時制実施に関する件 ( 版) http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C04016885600)

關東都督府管内標準時

明治四十年五月十四日 告示第三十五號

關東都督府管内ノ標準時ハ明治四十年五月十六日ヨリ帝國西部標準時ニ據ル

[64] 南満洲鉄道株式会社二十年略史 - Google ブックス ( 版) https://books.google.co.jp/books?id=-7sjtmCOmwEC&pg=frontcover#v=onepage&q&f=false 85ページ

標準時の變更 會社の標準時刻は當初日本内地中央標準時に據つたが明治四十年五月十六日午前零時を期し本邦西部標準時に據ることに變更して從前の時刻から一時間後るゝことゝなつた尚朝鮮鐡道の標準時刻は元内地中央標準時と西部標準時との中間に介在し共孰れにも三十分を前後したが明治四十五年一月一日から中央標準時に據ることに變更したので會社標準時とは一時間の差異を見ることゝなつた

[18] 国立公文書館 アジア歴史資料センター 43.東清鉄道庁ノ哈爾賓地方標準時採用ノ件 同一月 ( 版) http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B12081039400

東清鉄道廳ハ一月十一日以降従来ヨリ一時間遅レタル時間即チ本来ノ哈爾賓地方標準時 (午前十一時二十三分=日本時刻正午) ヲ採用スヘキ旨告示セリ

[153] 新聞記事文庫 : 満州日報 1930.6.2 ( ()) http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10029888&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null

五月も過ぎ六月に入った。例のサムマータイム、今年は問題にならぬようであるが、日の永くなったことは確実である。

[35] 満州国の時差についてご存知の方がおられたら教えてください。残っ... - Yahoo!知恵袋 ( 版) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1387884833

残っている満鉄の資料によると、ハルビン時間は日本時間と1時間単位ではなく+23(または26)分という半端な時差があったようです。

[33] アジア大陸の鉄道標準時

満州国時代

[44] 満州事変が起こりました。
[37] 満州国が建国されました。 関東州満州国からの日本租借地となりました。

[7] 満州国では建国以来 +08:00 が使われた >>5 と一般には言われているようです。厳密に言えば、 建国から1ヶ月は標準時の規定がなかったと思われますが、 南満州ではおおよそ +08:00 が使われていたと思われます。

[104] >>102 は、1932年の標準時制定まで +08:00+08:30 が使われていたとしていますが、 根拠は不明です。 >>102満洲国中央観象台に関する書籍ですが、 標準時制定時点で中央観象台は未設立ですから、伝聞情報かもしれません。 (満洲国建国前から関東州満鉄附属地では日本の観測機関がありましたが、 +08:00 を使っていたと思われます。) >>140 は各地で異なる時刻を用いていると述べていますが、 具体的には何も挙げていないので、統一前に何通りあったのかは不明です。


[143] 国務院令第四號は、 国内各地で時刻が統一されていないとして、以後「新京の時刻」 を「公務執行時刻」の「標準」と定めました >>140。 これを受けて8日には東省特別区訓令 >>142、 15日には国務院令 >>141 で、政府各局や「一般人民」 への周知が指示されました。

[103] 満洲国国務院の決定で >>102, >>130から +08:00 (長春時間 >>135) を採用することとした >>102 (執政府発表 >>135) といいます。

[144] 満洲国官報に掲載された文書の限りでは、 あくまで政府機関の用いる時刻を定めたもので、厳密には標準時とは異なるように思えますが、 民間への周知も含めて実質的に標準時の制定と捉えられているようです。 なお、後の改正時 (>>8) には標準時と明記された勅令が制定されていますが、 元の国務院令が標準時を定めるものではないためか、 廃止の手続きは取られていないように見えます。

[21] 東省特別区 (ハルビンその他東支鉄道付属地) では、 その後もしばらくは +08:26 が使われ続けていました。

[145] >>139 は、 >>140 のことを指しているのでしょうか。 4月1日文書により時差が解消されたとはいっても、 東支鉄道が旧時刻のままだったということは、 市内の実態は旧時刻が使われていたのかもしれません。 それで新時刻を「励行」することになったのでしょう。 >>131 は、3つのうち2つは +08:26 とおそらく +08:00 でしょう。 もう1つが何を指すかは不明です。

[146] 東支鉄道+08:00 採用により、 満洲国の時刻はすべて統一されました >>135, >>20

[58] 天文学者山本一清は、 満州国の標準時+08:00 と定められたことについて、 非常に残念だとコメントしました。 山本は、満州国西端の +08:00 のみならず東端の +09:00 も不自然ではなく、欧州で導入が進む夏時刻のように +09:00 を採用する方が賢明であり、 日本中央標準時 +09:00 と一致させる便利さは自明であるから、 +09:00満州国の標準時として採用するべきだと提案しました。 >>57

[134] 満州国は、「建國の際」、 天文学者山本一清標準時+08:00+09:00 のいずれとするべきか意見を求め、 山本は +09:00 とするべきと力説した >>133 といいます。 おそらくは制定後の提案と同様の内容を満州国政府からの照会に対しても回答していたのでしょう。

[147] 後述の通り、結局は山本の提案に満州国も從うこととなりました。

[31] Time ChangesCHINA, PEOPLE'S REPUBLIC OF は、 Heilungkiang, Jehol, Kiangsu, Kirin, Liaoning, Manchuriaから標準時 +08:00 としていました >>1256

朝鮮もこの時刻に変更されたとしていました。朝鮮半島の標準時参照。

[223] ShanksCHINA のうち滿洲について、 から +08:00 としていました >>222

[50] tzdataAsia/Harbin は、 を境に +08:30 から +08:00 へとしています >>54

[40] これらは満州国の建国日に基づく根拠の薄い情報と思われます。

[140] >>138 コマ43

院令第四號

各省長興安局總長東省特別區長官 } ニ令ス

公務執行時刻ハ從來各省各開港不統一ナルヲ以テ之ヲ統整スルヲ要ス爾今必ス新京ノ時刻ヲ以テ一律ニ標準ト爲スヘシ當該省長總長長官ハ夫々轉命遵奉セシメラレ度

大同元年四月一日

國務總理 鄭孝胥

[141] >>138 コマ45 44ページ

國務院訓令第十號

民生部總長各部總長中東鐵路督辯ニ令ス

公務執行時間ハ各省區ニ於テ區々トナリ居ルモ爾今一律ニ新京時刻ヲ標準トシ統一スル様轉令和成度尚各省長ヲシテ管下一體ニ布告ヲ貼付セシメ一般人民ニ週知セシムル様取計ハレ度

( 各部總長督辯宛 統一スル様所属一體ニ轉令ノ上遵守セシメラレ度 )

大同元年四月十五日

國務總理 鄭孝胥

[142] >>138 コマ72

東省特別區長官公署訓令第四七三號

所屬各機關ニ令ス

國務院ノ令ヲ率スルニ云フ官公署執務時間ハ各省埠區々タリシヲ以テ今後ハ務メテ新京時刻ヲ以テ標準トナシ一律ニ歸セシム尚該長官ヨリ轉名遵守セシメヨト右令達致スニ付遵照スヘシ此ニ令ス

大同元年四月八日

東省特別區長官 張景恵

[95] 国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1932年11月22日 ( 版) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2958241/9?viewMode=

在外公館報告

◉滿洲國時間統一

本件ニ關スル本月十七日著在滿洲武藤特命全權大使電報左ノ如シ (外務省)

滿洲時間ハ四月一日ヨリ 新京時間ニ統一サレ居タル處哈爾賓ヲ中心トスル地方ニモ 十五日ヨリ之ヲ勵行スルコトヽ爲レリ尤モ 東支鐡道ハウスリーザバイカル線トノ聯絡上其準備ニ時間ヲ要シタルタメ 十七日午前零時ヨリ新京時間ニ變更スルコトヽ爲リ茲ニ 全滿洲時間ノ劃一實現セリ

[102] 旧満州国中央観象台史, 出淵重雄,

の国務院会議において, より満洲国においては120°Eの子午線を以て標準時とすることに決定した。 従来は127°30'及び120°E等の標準時が使われていたが, 今回120°E (大連時間) に統一したものである。


[185] 満洲電信電話会社の規定は、 報時に用いる時刻西部標準時とし、 関東庁観測所により提供されたものを用いると定めていました >>194

[148] 満洲国として初めて発行されたである、 発行のには、凡例で 「凡満洲國時刻平時即用東經一百二十度之子午線為標準」 >>149 とあります。

[202] 、日満ソ3国間の条約により、 北満鉄路満洲国買収されました。

[203] 北満鉄路ハルビン時間について、 「満州国がソ連から同線を買収、満鉄に運営を委託する直前に解消」 >>201 されたとするものもありますが、根拠は不明です。

1932年は1935年の「直前」ではないとは思いますが...

[1] 満州国の標準時日本中央標準時と同じ +09:00 に変更されました >>5, >>6

[8] 満州国勅令第一百三十三號 關於標準時之件により定められました >>17

[9] 移行の時刻は、 満州国國務院佈告第三號 關於新舊標準時相差時間之件により、 をもって とすると定められました >>230

[3] 関東州および満鉄附属地標準時も、 満州国と同時に改正されました >>15, >>14, >>107

[233] 標準時改正に伴い、官庁執務時間も改正されました >>232, 改正前 >>231。 基本的には表示上の時刻がそのまま (実質1時間繰り上げ) でしたが、 冬季間のみ表示上の時刻が1時間繰り下げられた (実質無変更の) ため、 標準時改正をまたいだ年末年始で時刻は1時間遅れとなったものの、 執務の時間はそのままとなったようです。

[229] 詳細は大東亜の標準時を参照。

[13] 沖縄県の一部と台湾総督府の管轄下で用いられた西部標準時も、 半年後に満州国に追随して廃止され、中央標準時に統一されました。

[72] 満鉄の時刻について、平井環の証言 >>92 によると、 元々大連若草山観測所報時によっていたところ、 “奉天鉄道総局が置かれた頃”に関東軍報時に切り替えられたようです。 奉天鉄路総局が、 鉄道総局が設置されたようですが、 この切り替えの時期は不明です。

[171] 日本勅令第705号關東氣象臺官制は、 旧関東観測所を改組して関東気象台を設置するものでした。 元の報時業務を引き継ぎ、「時ノ測定及報時」 の事務を行うことが定められていました。 >>170

[172] 関東気象台の測候所の設置範囲は関東州内でしたから、 報時業務の対象地域も関東州内のみで、その他の満洲国内は満洲国の機関の担当だったと思われます。

[178] 満洲国中央観象台官制には、中央観象台の業務として 「曆書編製」と「時間之測定、報時之鐘錶之檢定」(「時ノ測定、報時及時計ノ檢定」) が挙げられていました >>179

[235] 満州国官報に掲載された気象記録は、 標準時改正前までの結果となっていましたが、 改正後からに切り替わりました。 また降水量について日界の24時間分とありましたが、 改正後はに変わりました。 >>234 改正に際して特に注釈はありませんが、 気象観測におけるとなる24時間と觀測のタイミングは変更しないまま (時刻としては1時間繰り下げて) 継続されたようです。

[239] から 満州の気象情報データベースの凡例は、 「極力原文のまま」としつつ、 標準時+09:00気温降水量日界蒸発量日界9はとしています >>227官報掲載分と降水量日界が異なりますが、 いずれかの時点で再計算されたのでしょうか。

[241] 日本政府中央気象台年報には、 明治時代から、関東州滿洲支那のいくつかの観測地点の情報が掲載されていました。 中央気象台年報は基本的に観測時は中央標準時とし、 例外として西部標準時の観測地を示しています。 から西部標準時とされており、 から旅順のみ中央標準時とされていました。 中央標準時の気象観測の項

[242] この説明を信じると西部標準時採用から5年間は中央標準時のまま残ったことになりますが、 南京などの滿洲外の支那の観測点にも同様に注記がなく、 これらの観測点の時刻は検証が必要でしょう。 関東州旅順だけ途中で西部標準時から中央標準時に変更されたことになりますが、 関東州でだけ時刻を変更する合理的な理由も見当たらず、 以前の旅順の時刻も要検証でしょう。

[51] Shanks (2003) は CHINA のうち満州 (#4, #9) について、 から +09:00 としています >>222tzdataAsia/Harbinを境に +09:00 としています >>54。 根拠は不明です。1940年代頃に変更されたという情報があるが時期不明だった、 といったところでしょうか。 ShanksCHINA のうち +05:30 だった地域が同時に +05:00 となったとしていますが、関連は不明です。

[68] に出版された随筆 >>67 は、 内地から満州を訪問し、標準時太陽時とのずれに戸惑い、批判しています。 改正からわずか5年しか経過していませんが、「改正の理由を一向に知らない」とも述べています。 5年も前のことなど覚えていなかったのか、あるいは内地では大して話題にならなかったのでしょうか。

[45] 滿洲國の標準時いよいよ改まる! (日食特輯號) (山本一清, , 版) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167246/1/tnk000182_289.pdf

[53] >>45 より

  • 満州国標準時改正がにニュースになった。
  • 1934年から山本もこれを主張していた。
  • 満鉄、鉄路総局、満州航空会社など交通関係機関が推進していた。
  • 1935年の山本の訪満により促進された。
  • 新京中央観象台が中心に調整し改正がまとまった。
  • 台湾はこれで「唯一の異端者」なので、はやく改正するべきであると山本は考える。
  • これまでの安東での時差調整が不要となる。
  • 満州からソ連への移動も便利になる。

[17] 勅令第一百三十三號 (政府広報 第七百十五號 康徳三年八月六日 >>16 70ページ 所収)

朕経諮問參議府裁可關於標準時之件著卽公布

御名御璽

康德三年八月六日

國務總理大臣 張景惠

實業部大臣 丁鑑修

勅令第一百三十三號

關於標準時之件

東經一百三十五度子午線之平均太陽時定爲國內一般之標準時

附則

本令自康德四年一月一日施行

[22] 新聞記事文庫 : 満州日日新聞 1936.11.11 ( 版) http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00475112&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null

日満標準時の統一に伴う全満ダイヤの改正については、内地及び朝鮮との輸送機関連絡、通学列車の時刻等各方面に重大影響を及ぼすので鉄道総局輸送関係では満鉄、鮮鉄、その他関係船会社等と連繋を保ち慎重審議を重ねているが、この改正案によれば先ず第一に日満標準時統一によって満洲側は一時間繰り上げられるが、満洲における日出、日没の関係で実際上従来通りの時刻を維持するため、ダイヤを一時間繰下げる、即ち全ダイヤに一時間加算するというのである、例えば正午発の列車は標準時統一によって満洲の時間も一時間繰上げられて午前十一時となるが、ダイヤは一時間繰下げ午後一時として始めて従来通りの時間と相一致することとなる

[230] 満州国政府公報日訳 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2006052220075228958 58ページ (本文89ページ)

國務院佈告第三號

關於新舊標準時相差時間之件

爲佈告事査關於康德三年勅令第一百三十三號之施行茲定以康德三年十二月三十一 日午後十一時爲康德四年一月一日午前之零時合亟佈告周知此佈

康德三年十二月五日

國務總理大臣 張景惠

[36] ( 版) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167658/1/tnk000205_213.pdf

隣邦支那は,衆知の如き大きい地域を含む國であるから,標準時制の上から 言へば,可なり多くの問題を持ってるる土地柄である.之れとても,昔しは, 只,各地め地方時を用みるのみで,不便を感じない時代もあったわけである が,近時,共和國となって,國民生活を合理化する立場から,玄葦に3種類の標 準時が制定せられるに至った.帥ち,其れはノ

1.グリニチ東維120。を標準とする“東部標準時”,

2。グリ=チ東経105。を標準とする“瀧蜀部標準時”,

3.グリ=チ東経900を標準とする“彊藏部r隼時”

である.

三二は,地理上,上記の“束:部標準時”を用みてみたので,昭和7年に浦洲 帝國として三三後も,暫くは,この束維120。の子午線に擦る時刻を元のま曳用 みてみた.ところが,筆者は,地回學上,國民繧濟生活上,叉,日満爾國相互 の交通通信の關係上,満洲國が一刻も早く標準時制を改めて,東経135。の子午 線を新しV・標準となすべき事を,昭和7年以卒主張し績けた結果,途に昨昭和 12年に至り,この改正が實施せられるに至った・

[401] 【満州文化物語(46)】30年続いた「満州時間」 日本に「時差」があったとき - 産経ニュース (SANKEI DIGITAL INC. 著, 文化部編集委員 喜多由浩, 版) http://www.sankei.com/premium/print/170402/prm1704020010-c.html

この決定によって、内地、満州、朝鮮、台湾は同じ中央標準時を使うこととなり「時差」はなくなった。なぜ、こうした政策は採られたのだろうか。

昭和12年満洲弘法協会発行の「満洲国現勢」によれば、時差撤廃の目的について、それまでの「西部標準時」では生活の活動開始時間および停止時間が、日の出、日没時間に対して遅すぎる▽電信電話など通信事業従事者に多大な便宜がもたらされる-ことなどが挙げられている。

ただ、最大の狙いは有事を見据えてのことではなかったか。日露戦争がそうであったように、同じ日本軍が違う時間が戦っていては作戦も立てにくい。

[227] 気象表および略表の記載事項の凡例 | 北東アジア気象データベース () http://yamaharu-nds.jp/neamdb/legend/

【凡例】(極力原文のまま記載しています。)

本編は満州国中央観象豪観象機関に於ける六回気象観測成績及び其れに基き調査した る気象概況を記し、尚十時一回観測に依る国内簡易気象観測成績をも掲げたり

本編の記載注意事項下の如し

観測時 満州標準時(東経百三十五度の平時)に據り夜半を日界とする二十四時間制 を用ふ、但し日照時数は真太陽時に據る

温度 最 高最低気温は二十四時を日界とする値を掲ぐ

降水量 粍(mm)を以て示し二十四時を日界とする日量なり

蒸発量 粍(mm)を以て示し十時を日界とする値なり

[238] 対象データは

  • 対象期間:1904(明治37)年~1945(昭和20)年
  • 満洲(関東州を含む):満洲気象月報、満洲国気象略図等に掲載されている観象 台・観象所(最大で48カ所)

... とのことだが、この「凡例」は出典は不明。

ソ連時代-中華人民共和国時代

[114] ソビエト連邦および外蒙古内滿洲東蒙古関東州に進攻しました。 関東州中華民国からのソビエト連邦租借地となりましたが、 1950年代に中華人民共和国に返還されています >>113

[61] 当時在満州国だった日本人の記録によると、鞍山では中国標準時 >>60 (+08:00?) に切り替えられました。

[175] 中華民国夏時間を終了しました (中国大陸の標準時参照)。 鞍山中華民国も、30日のいつ時刻を切り替えたのかは分かりませんが、 中華民国の指示で支那滿洲の全域で一斉に切り替えた可能性があります。

[176] 1946年、中共傘下の東北行政委員会が成立しました。

[62] 東北政聯行政委員會は、 +08:00標準時としました。 満州中共軍もこれを採用しました。

[173] 中華民国は1946年から1949年の大陸支配時代に夏時刻を実施していますが、 滿洲はほぼソ連中共の支配下だったようですから、 初期にかろうじて一部支配できていた時期を除き、 夏時刻は実施されなかった可能性が高そうです。

[159] 以後内満州東蒙古中華人民共和国の支配下にあり、 その標準時 +08:00 (時期によっては夏時刻 +09:00) が用いられています。 中国大陸の標準時

[224] Shanks (2003) は、 から CHINA のうち滿洲の西部 (#9) は +08:00、 東部 (#4) は +08:30 としています >>222 (それまでいずれも +09:00)。 tzdataAsia/Harbinを境に +08:30 としています >>54。 根拠は不明です。

[52] Shanks (2003) は、 から CHINA のうち滿洲 (#4, #9) を +08:00 としています >>222tzdataAsia/Harbinを境に +08:00 としています >>54。 根拠は不明ですが、 Shanks はこの時点で CHINA 全体 (香港澳門台湾を除く。) を +08:00 に移行としています。

[32] の中露条約により、 ロシアの統治下にあったハサンロシア領で確定し、 洋館坪路堤付近の一部がロシア領から中華人民共和国領に変更されました。

蒙古

[86] 蒙古の標準時中国大陸の標準時を参照。

識別子

[115] tzdataAsia/Harbin を定義してはいますが、 1970年以前の違いは無視するとの採録方針のため、 Asia/Shanghai の別名としています。一応は別名としない定義も含まれてはいますが、 本項で示した通りどの都市の実際の時間帯とも一致しておらず、 いずれにしても1970年以前は不正確なものです。

満洲国臨時政府

[218] 自称独立国である満洲国臨時政府は、 満州国勅令に基づき、 +09:00標準時と定めています >>204

[226] もっともこの団体は亡命政府としての正統性も疑わしく、 単なるミクロネーション政治団体といったところでしょうか。
[204] 満洲国臨時政府公式ホームページ () http://www.manchukuo.net/

2017年10月19日

最近、台湾は標準時をUTC+9に変更する議論があります。我が政府はわざと我が満州国の時間帯に関する政策を声明します。

我が満洲国では康徳三年八月六日勅令第百三十三号に基づき、康徳四年(1937年)一月一日より、東経135度子午線の平均太陽時をもって国内一般の標準時と定めています。これは協定世界時(UTC)+9時間で、日本の標準時と同じになります。

時間帯

我が国では康徳三年八月六日勅令第百三十三号に基づき、康徳四年(1937年)一月一日より、東経135度子午線の平均太陽時をもって国内一般の標準時と定めています。これは協定世界時(UTC)+9時間で、日本の標準時と同じになります。

メモ

[65] ( 版) http://www.japanradiomuseum.jp/chinaradio.html

国土が広く、時差があるために現地で製作された番組はいったん録音したものを放送することが多かった。このため、中国国内には音源が保存されているという。

[66] 新聞記事文庫 : 京城日報 1937.1.1 ( 版) http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00475115&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null

[177] 新聞記事文庫 : 満州日報 1930.6.2 () http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10029888&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null

一方、いろいろな社会生活に、合理化の提唱せられつつあるに、時刻の方の合理化が一向、徹底せぬは如何のものであるか。時間の励行などということも、随分、久しい間の問題であるが、大連には大連時間あり、旅順には旅順時間ありという風で時間の歓迎の深刻でないことも、今さらながら遺憾とせらるるところである。

[237] 当時関東州の標準時が実施されちたはずであるので、ここでいう 「大連時間」や「旅順時間」というのは地方時間か。
[181] 満州国 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD

満州国版図では日露中の支配域ごとに異なる標準時が用いられていたが、満州国は東経120度を子午線とし、+8:00を標準時として統一した。 1937年1月1日に日本に合わせて+9:00に変更された[52]

[182] 「北京時間」是怎麼來的? - 壹讀 () https://read01.com/JMx80P.html

值得一提的是,1931年 「九一八」事變後,日本侵占我國東三省,1932年3月1日成立偽滿洲國,強令在東北使用日本本土採用的東經135度標準時。抗戰期間,淪陷區的日偽華北政權也曾試探使用東經135度標準時,但最終沒敢這麼做,還是使用中華民國正統的中原時。

[183] Remove many invented abbrs in 'africa', 'backzone' (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/87f960b0458754d83a15ab7f444e9ce1a2e5d168

[199] 丹東旅行 () http://www.ken-san.jp/burabura/ryokou/tantou.htm

丹東は以前の安東、鴨緑江の畔北朝鮮の新義州と国境を接する観光都市である。瀋陽が奉天といった昔、この間を安奉線が走り、私も子供の頃何回か通った。ここで時計の針を一時間ずらして、時差の調整をしたのを微かに覚えている。

[4] 気象資料提出の件 (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C01003257000

[26] 気象資料提出の件 (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C01003275600

[243] 気象資料提出の件 (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C01003445400

[244] ラヂオ年鑑. 昭和9年 - 国立国会図書館デジタルコレクション (日本放送協会著, ) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1260086/235