[1] 東南アジアの国ミャンマーの標準時は、 です。 夏時刻はありません。
[49] 日本の標準時 とは2時間30分の時差があり、 日本が進んでいます。
[51] ミャンマーの標準時は、 ミャンマー時間、ミャンマー標準時、 ビルマ時間、 Myammar Time、Myammer Standard Time、 MMT などと呼ばれています。
[2] tzdata は Asia/Rangoon
を定義しています。
[37] 1899年に英国政府の情報から作られた Milne の表では、 Rangoon は報時球観象台の時刻 とされています >>36。
[38] 当時の電信各社は、各都市の時刻を次のように示していました >>36。
[40] 1904年の英印政府文書 >>39 が引用 によると、 当時 (英印本土の鉄道とは接続されていなかった) ビルマの鉄道では、 Rangoon local time が使われていました。 電信でもこれが使われていました。
[48] Shanks の MYANMAR は、 から としています (それ以前は LMT) >>47。
[78] tzdata の Asia/Rangoon
は、
元の地方時を 、 1880年を境に
「Rangoon Mean Time?」 としていました。
>>77, >>43
[42] は Rangoon の報時球観象台の経度で、 Milne が出典とされています >>77。
[63] tzdata の 2017年の改訂で、英印時代の文書 >>39 を根拠に Rangoon local time に改められました。 >>77, >>43
[111] の報告によると、 英印政府はビルマの鐡道および電信の標準時を としました >>110。
[24] 、鉄道と電信における印度標準時とビルマ標準時が施行されました。 印度標準時は、 Madras時間より9分早い時間でした。 ビルマ標準時は、 Rangoon 時間より5分23秒早い時間でした。 >>23
[8] つまり元の Rangoon 時間は ということになります。 >>78 とは逆なので、実際は5分23秒遅い時間だったとすると、 ということになります。
[269] 1905年末の時点で、 ビルマの標準時は だったといいます >>268。
[56] Time Changes の BURMA は、 1920年から標準時 (それ以前は Rangoon 地方平時 96.09E (= )) としていました >>1256。
[778] Time Changes の INDIA は、 Bengal province の Burma が1920年に標準時 としていました >>1256。
[79] Shanks の MYANMAR は、 から としています >>47。
[55] tzdata の Asia/Rangoon
は、
1920年を境に としています >>77。
[95] 1920年/大正9年の日本の資料は、蘭貢 (ラングーン) の時差を としています >>94。
[6] 、 英領ビルマは時刻を1時間進めて の戦時日光節約時を実施しました >>66, >>5, >>7。
[67] 夏時刻実施はには既に報道されていました >>66。
[68] これは灯火管制下で住民に夕方早く帰宅させるためのものでした >>66, >>5, >>7。
[20] これがいつ標準時に復帰したのか (しなかったのか) は不明です。
[80]
Shanks の MYANMAR は、
から
としています >>47。
tzdata の Asia/Rangoon
は、
を境に としています >>77。
根拠は不明です。
[14] 1943年、東部の一部 (旧タイ領土) がタイに割譲されました。 この地域ではタイの標準時 に切り替えられた可能性があります。
[100] 日本で昭和13年/1938年に発行された昭和14年暦から昭和18年/1943年に発行された昭和19年暦では、 緬甸は となっています >>106。 ただし戦時中 が用いられたことが知られている他の地域も、 開戦前の時間帯のままで記載されていますから、実態を反映しているのかどうかは不明です。
[18] Wikipedia のビルマ国記事は、時間帯を としています >>17。しかしその根拠は示されていません。
[19] 日本軍は共通の軍用時を
と定めており、
ビルマでも原則これを用いていました。
しかしビルマの標準時が に改められたかどうかはまた別の問題です。
日本軍の英領ビルマへの進攻は、ビルマの独立勢力と共に行われたもので、
実際1年後に軍政を終了してビルマ国として独立しています。
ビルマ国では西暦にかえてビルマ暦を推進する動きこそあれ、
日本の元号や皇紀は (現地人は) 使わなかったようです。
日本の中央標準時 を標準時とする根拠は今のところ不明です。
[81]
Shanks の MYANMAR は、
から
としています >>47。
tzdata の Asia/Rangoon
は、
を境に としています >>77。
実際にそのような布告があったのか、戦況からの推測日なのかは不明です。
[10] のビルマ方面に展開していたらしき部隊に対する日本軍内文書には、 英軍からの指示が「印度時間」で記述されています >>9。 詳しい事情は不明ですが、英印軍がビルマに進駐し、 作戦行動に印度時間を用いていたのでしょうか。 印度ではまで戦時夏時刻 、 から標準時 が用いられたようですが、この「印度時間」がいずれなのかは不明です。
[288] THE BURMA CODE VOLUME IV には、 の 1945年ビルマ日光節約法 が収録されています >>287。官報での告示により、 ビルマ標準時より1時間進んだ夏時刻を実施できる、と規定されています。
[12] 1974年には、ビルマの大統領がマレーシアを訪問し、 空港で1時間進めた、との記事があります >>11。当時のマレーシアの標準時は で、ビルマの標準時は です。
[298] 制定の1992年国家法令復古評議会法律第1号 法律群を廃止する法律 にはミャンマー日光節約法 が挙げられています >>297。長年未使用で今後も予定がないため廃止する法令の一覧にあり、 1945年ビルマ日光節約法を指している >>4 ようです (国名改正時に法律名も改正されているのでしょう)。
[91] 現在のミャンマー政府は、東経97度30分の時刻 () が標準時と説明しているようです >>90, >>92。
[54] ASEAN ではASEAN標準時 の制定が提案されていますが、 1時間30分の標準時変更となるミャンマーは反対しています。
[32] 中緬国境のミャンマー側の都市モンラーは、 ミャンマーの中央政府の統治がほとんど及ばず、 共産主義者の支配下にあります。 中国人観光客で賑わい、 経済的には中華人民共和国との結び付きが強いとされます。 主として中華人民共和国の標準時 が用いられているようです。 >>28, >>29, >>30 (2009年), >>31 (2010年), >>27 (2016年)