江戸時代の改元誤報

改元デマ

[2] 改元デマは、偽の改元情報です。 定期的に発生してきたようです。

[5] 架空の元号の一種ですが、騙されて実用して私年号化した例もあります。

目次

  1. 定義と分類
  2. 改元デマの発生と伝播
  3. 日本の改元デマ事例
    1. 中世日本
    2. 江戸時代
    3. 幕末
    4. 大正改元
    5. 昭和改元
    6. 第二次世界大戦
    7. 平成改元
    8. 令和改元
    9. 令和時代
  4. 日本以外の改元デマ
  5. 研究史
  6. 関連
  7. メモ

定義と分類#

[37] 改元デマ改元に関するデマです。

[56] しかし、

といったものまで含めるとあまりに範囲が広がるので、 元号改元のそれ自体に関係する誤情報が流布されたものに限定して 「改元デマ」 と呼ぶべきです。

[83] 改元に関係していても、 改元手続きに関係するもの (元号を決めた、など) や元号の解釈に関係するもの (元号典拠これこれどういう意味である、など) は除外するべきです。

[58] また、 「かつてこれこれの元号が使われていた」という過去の改元の情報や、 「遠くのあの国ではこれこれの元号が使われている(た)らしい」 という遠隔地の改元の情報は、 どうしても誤情報が多く含まれる性質があります。 こうしたものまで含めてしまうと対象の性格がまちまちになりすぎてしまうので、 あくまで同時代 (近過去から近未来改元についての)、 同地域で流布した誤情報 (とそれに由来して広まった情報) に限定して 「改元デマ」 と呼ぶべきです。

[76] 同地域とは必ずしも想定される施行地域でなく、 直接的に影響を受ける可能性が想定される地域くらいがいいと思われます。 例えば近くの山で蜂起して改元したらしい、という事実でない噂は改元デマと呼んで差し支えなさそうです。

[77] 改元デマは、

の1つまたは両方で構成されます。

[84] 定義: 改元デマは、 改元が行われるまたは行われたとする情報か、 改元後の新しい元号名の情報か、 それらの組み合わせであって、 改元の時期が情報の流布の時期と十分近く、 改元の実施主体と情報が流布されたコミュニティーとが地理的その他の密接な関わりを有しながらも、 改元の実施主体の発した情報に由来しないか整合しないかその両方であるものをいう。

[3] 改元が決まっていないのに改元が起こると勝手に決めつけたデマと、 改元がありそうな状況で未発表の元号を勝手に決めつけたデマに分けられるようです。


[128] 昭和時代新聞業界の雑誌では改元誤報, 元号誤報と紹介されたことがあります >>103

[129] 昭和時代当時はどうだったかわかりませんが、「誤報」という言葉は 「何らかの誤解によって誤った情報が報じられる」 といった意味合いに感じられます。意図的な偽情報の流布や、 一般的情報流通の上流から下流への流れと違った草の根的な 「噂」のような流れ方は含まれないニュアンスがあります。

[130] そのような限定的なイメージを持つ改元誤報という語より、 幅広い情報流通形態を包含した改元デマという語がこの現象全体を表現するには適していると考えられます。

改元デマの発生と伝播#

[137] 改元デマの発生と伝播の実態の詳細は、資料が少なすぎてほとんどわかっていません。 今後も新資料の発掘が進み、 個別事例の検証や全体的傾向の分析に取り組む研究者が増えることが期待されます。

[138] 改元デマを悪意ある者が意識的に発した可能性も、 新元号予想のような悪意なき情報が偶発的にデマ化した可能性も、 誤読、聞き間違いなどまったく意図せず発生した可能性もあります。 個々のケースで発生事情は異なるとも予想されます。

[139] 中世東国私年号は当時の改元伝達ルートに何らかの事情で虚偽の改元情報が乗って伝わったと推測され研究が進んでいます。 しかし権力構造が不安定な時代の改元伝達公年号についても未解明なことが多く、 公年号私年号の垣根を超えて研究が進むことが期待されます。

[140] 逆に近世近現代は統治体制が確立され公年号改元伝達システムが安定運用されているだけに、 非正規の改元デマがいかに波及し得たのかという大変興味深い問題があります。 都市伝説等の広がり方との比較も必要でしょう。

[141] 改元デマを広める人達、信じる人達の意識の解明も待たれます。 中世東国私年号改元デマ説が提唱されるまでは、 私年号の提唱者と利用者が明確に区別されずに元号名に利用者の思想信条、 願望が反映されると理解されていました。 改元デマだったと判明してからは、 私年号の作者と伝達・利用者を分けて考えるべきで、 伝達・利用者の思想は必ずしも元号名のごとくではないと認識されるようになりました。 しかし弥勒を典型例に、 元号名が伝達・利用者に一定の思想的影響や一体感を与えた事例はあるでしょう。 改元待望説がいう改元伝達ルートが無機質で機械的な媒体ではないとの理解は、 近世近現代改元デマ現象の解明にもつながるはずです。

日本の改元デマ事例#

[28] 改元デマや、それに準じる誤情報等 (改元手続き関係の同時代的な虚偽情報など) で知られているものは多数あります。

[34] ★は、近い時代の公年号の不採用案を誤認して発生した可能性のある改元デマです。

[85] ◆は、「本来公年号改元予定だったものが漏洩を理由に差し替えられた」 とする誤情報が二次的に付加された改元デマです。

[9] ▼は、誤情報を信じて実用されたと考えられ私年号にも該当する事案です。

中世日本#

[35] 平安時代後期の承安2(1172)年泰平万平改元されるとの噂が京都にありました。 泰平

[67] この時代に既に正規の改元伝達ルートとは別に風説としての新元号情報が流通したことがわかります。 噂された新元号を実用したとする記録は未発見ですが、 実用した者まではいなかったのか、記録が現存しないだけなのかは不明です。

[57] 平安時代末期の源平の戦いの最中、 関東源頼朝は、 平家政権による寿永への改元を当初無視していた、 と言われていました。 同様に中世にはしばしば中央の改元に従わない勢力が出現します。 近年の研究では、 朝敵であるためや社会の混乱が理由で改元伝達されなかったケースもあったと考えられています。 誤った新情報を流す改元デマとは異なりますが、 偽の新元号を「正」の誤情報とするなら、 改元情報の欠落は「負」の誤情報とでもいうべきものでしょうか。 正規の改元伝達経路の機能不全は、 改元デマを生む土壌となりました。 延長年号, 中世私年号

[33] 元号ではありませんが、南北朝時代には配月の変更綸旨のデマもありました。 正中の改暦デマ

[32] 室町時代関東地方延徳▼の私年号 (公年号延徳とは別) が広まりましたが、 改元デマでした。 延徳

[23] 戦国時代関東地方福徳▼の私年号が広まりましたが、 改元デマでした。 福徳

[36] 戦国時代関東地方で、 正京正享改元されたとの情報が記録されています。 そのような事実はなく改元デマに当たります。 正京

[71] 応仁の乱の頃の紀伊半島近辺では西軍後南朝改元したと噂されました。 改元デマが疑われます。 明応

[40] その他日本の中世私年号は多いですが、広まった多くが改元デマではないかと疑われています。 弥鹿

江戸時代#

[24] 江戸幕府には日本各地で改元デマが恒例化していました。

[59] 日本各地で慶喜▼2年の私年号が使われました。 実在しない代始改元 (実際には約1年後)改元デマと考えられています。

[131] 10月、 尾張藩正禄改元デマがありました。

[132] 3月、 尾張藩宝永からの発表前に流布されました。 情報源は不明ですが、 朝廷での改元日より後、江戸幕府の施行前というタイミングであり、 尾張藩の正式発表前で一般庶民には情報の正誤を検証不能でしたから、 改元デマと同種の事案といえます。

[74] 末頃、 陸奥宝久▼の改元デマがあり、 一部で用いられました。

[22] 享和4(1804)年2月、 文化への改元 (朝廷では2月11日) 直前の江戸では、 元明改元されたと紙に書き付けて売り歩いた者があり、 処罰されました。

[25] 文化14(1817)年 (朝廷では翌年4月22日文政改元)江戸では、 永長改元されたと紙に書き付けて売り歩いた者があり、 処罰されました。

[65] 天保改元された頃、 永長改元されたと紙に書き付けて売り歩いた者があったといわれます。

[27] 天保8(1837)年加賀, 美濃, 陸奥 (福島県域) で永長▼の私年号が用いられました。 改元デマが疑われます。

[29] 加賀の一部で元暦▼2年の私年号が用いられました。 改元デマが疑われます。

[26] 天保15(1844)年12月、 弘化への改元 (朝廷では12月2日) 直前の江戸では、 嘉政★◆と改元されたと紙に書き付けて売り歩いた者がありました。

幕末#

[55] 幕末にはいくつか私年号が出現しました。 幕末維新期の私年号 その多くは改元デマの可能性が指摘されています。

[75] 天晴▼, 天政★▼, 天星▼, 天成, 神徳▼, 延寿▼, 大化改元デマと考えられます。

[73] 神治▼, 亀光▼も改元デマが疑われます。

大正改元#

[42] 大正改元のとき、 東京日日新聞大阪毎日新聞 (合併して現毎日新聞) は政府発表と異なる新元号の読み方たいせい」 を報道しました。 大正改元

昭和改元#

[41] 昭和改元のとき、 東京日日新聞 (現毎日新聞) は新元号が光文★◆▼だとするフェイクニュースを報道しました。 一部で実用されました。 社長は引責辞任を表明しましたが、実行しませんでした。 後に自称関係者が実は光文に内定していたと主張したため、 令和時代に至っても一部マスコミ関係者が陰謀説を唱えています。 影響の大きさではかるなら史上最悪の改元デマ事件といえます。 光文事件

[51] 改元詔書を偽造した新聞社もありました。 京城日報改元詔書偽造事件

第二次世界大戦#

[38] 第二次世界大戦の終戦アジア大陸に取り残された日本人の間で、 大新▼と改元されたとの噂が広まり、 一部で私年号として使われました。 大新

[50] この時代にはデマ以外にもいろいろな私年号が生まれました。 昭和時代の日時

平成改元#

[12] 平成改元に先立つ昭和50年代頃から、 いろいろな「新元号」 の噂がありました。 次のものが知られています。 >>15

[46] 昭和時代後期の改元デマ
  • 光元
  • 知光
  • 光和
  • 承天
  • 文建
  • 大元
  • 和晃
  • 光業
  • 光輝
  • 光紀
  • 光華
  • 高輝
  • 弘文
  • 明徳
  • 弥生
  • 桜花
  • 平和
  • 和光
  • 光章
  • 昭武
  • 旭日 (あさひ)
  • 旭陽 (あさひ)
  • (ひかり)

[70] 浅羽通明が自分の周囲や雑誌記事から収集したとされます。 >>431

[47] 「ひかり」が目立ちますね。 浅羽通明は、 表面的な平穏さへの苛立ち、 平穏さを打ち破る時代の夜明けへの期待が表現され、 (一世一元下で稀にしかない) 事件としての改元のイメージと結びついていると考えました >>431

[69] 昭和天皇がご高齢になったとはいえ、死を願うように取られかねず公に語りにくいタブー感が、 逆に密かな話題の楽しみを増したものだと指摘されています。 >>431

[142] 平和になるという噂があったといいます。 平和

[10] 光文事件 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%96%87%E4%BA%8B%E4%BB%B6

昭和の次の元号は「旭日(あさひ)」「和光」であるという流言蜚語も登場した[5]

[52] 浅羽通明 memoさんはTwitterを使っています 「たとえば(一九八八年)一月二十四日付読売新聞の連載コラム、「平成―新元号を追跡」の十五回は、兜町、印刷、広告、事務用品の各業界、政界に流れたうわさとして、→」 / Twitter (午後8:50 · 2016年7月13日 , ) https://twitter.com/asaba_memo/status/753194895137910785

[53] 浅羽通明 memoさんはTwitterを使っています 「→光元 知光 承天 文建 大元 和晃 光業 光輝 光紀 光華 高輝 弘文 明徳 弥生 桜花 平和 和光 という「昭和の次の元号」が報告されている。」 / Twitter (午後8:50 · 2016年7月13日 , ) https://twitter.com/asaba_memo/status/753194932500766720


[95] 平成改元時には、広義の改元デマの類ともいえる平成改元毎日新聞社情報漏洩疑惑が生じました。

令和改元#

[1] 令和改元の頃新元号が安久だとするデマ騒ぎがありました。 他にも「安」が入るというデマが数種ありました。 安久

[60] 平成改元前の「ひかり」といい、時代の空気のようなものが現れているのかもしれません。

[143] 新元号予想の上位に入った平和を決定ないし有力案のように誤解する人も出現しました。

[10] 「新元号『悠久』って本当ですか?」国民民主の議員「令和」公表前にツイート→削除 () https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/yukyu

[6] ネットに現れた未来人たちの予言した年号はことごとく外れた事象に対して「平行世界の住人」「禁則事項」「政府が予言を知って変更」などの説が乱立 - Togetter () https://togetter.com/li/1334279

[155] Xユーザーの伊藤 祐策(パソコンの大先生)さん: 「これは秘密のリーク情報なんですが、新元号は「皇暦」だそうですよ。」 / X, , https://x.com/ito_yusaku/status/1111193224306016257

[156] >>155 雰囲気的にジョークなんだろうけどおもしろくないしこういうのでも実際デマの元になるからな


[68] の新元号発表直後から、 当時の内閣総理大臣安倍晋三を嫌ういわゆる反アベの人々を中心に、 令和の意味や出典を曲解して貶める動きが見られました。 令和改元

[61] デマという程ではありませんが、 令和の発表直後に一部海外メディアが偏った意味で解説した記事を海外に配信したため、 日本政府外務省が公式の英語説明を発表する事態となりました。 令和改元

[86] 英語説明は今後慣例となりそうです。 改元手続き

[8] 時を経るに従ってエスカレートし、 新元号の偽の由来を考案して披露するデマがしばしば流されるようになりました。

[63] 栄和, 令和改元統一教会陰謀論も参照。

[66] >>64 陰謀論放射脳デマ反ワクチンのいつもの組み合わせ!

[87] 安久のような広範囲に広まった改元デマには一般の人々も関わっているので事情が複雑なのですが、

  1. [88] 安久をはじめとする虚偽の改元情報に基づいた政権批判
  2. [89] 未知の新元号に関する根拠のない予想に基づいた政権批判
  3. [91] 令和改元の一連の手続きに関する虚偽の情報に基づいた政権批判
  4. [92] 令和という元号名に関する虚偽の解釈に基づいた政権批判

... と時期によってデマの内容は変化しつつも、 特定の思想や陰謀論を信じる同じような人達が同じような主張を展開しているようにみえます。

[90] 従来型の改元デマとは少し性質が違って、近年増加しているといわれる 「自分達の主張の正当化のためならデマでもなんでもいい」 タイプの過激な人々の素材にたまたま時勢柄改元が選ばれたということでしょうか。

[144] 陰謀論反アベの類は除外するとしても、 令和改元前後の SNS 投稿等は改元デマの考察に有用な情報を提供してくれています。 平和, 安久, 令和改元など

  • [149] 改元の実施が確定していなくても、 改元しそうというだけで新元号予想は始まります。
  • [150] 改元しそうな情勢がなくても、 特に理由もなく新元号予想をしてる人は稀にいます。
  • [154] 誰かが予想をはじめると、つられて他の人も別案を出し始めます。
  • [145] マスコミがどれだけ特集したとしても、元号の選定の仕組みを理解していない人はたくさんいます。
  • [146] 新元号予想, 新元号の願望・提案, 公式な新元号案の区別がつかない人もたまにいます。
    • [147] 民間の勝手な新元号予想ランキングの記事を出典に、 日本政府がこんな元号を選ぼうとしていてけしからん、 と憤っている人がいます。
  • [151] 新元号予想大喜利大会です。
    • [152] 多くの人は、選定の仕組みは理解しなくても、改元の予定はなくても、 娯楽として新元号(っぽいもの)の候補を出して遊ぶのが結構好きです。
    • [153] 逆に少数ながら、選定の仕組みもしらないのに大真面目に予想したり、 他人の予想に怒ったり、 なぜか日本政府自民党を叩いたりしている人がいて、 大喜利だと気づいていません。
  • [148] 誰かの与太話の予想を有力候補案のように伝言していると思われる例がままあります。

[93] 改元そのものについてのデマではありませんが、 日本共産党キリスト教極左団体に関係する「市民」グループなどが 「政府に元号を強制されている」 などとするデマを流しています。 裁判で主張が却下されても活動を続けているようです。 こうした主張は以前から日本共産党が行っていましたが、 令和改元を機にまた出現するようになりました。 元号廃止論

[94] こちらの主張の人々は元号 (と天皇) 全体を嫌っているので、 (最終的に反政府活動に行き着くところは同じでも) 改元デマ改元経緯デマの人々とは重なっていないようです。

令和時代#

[48] 令和元年になってからの天災や凶悪事件、 令和2年のコロナウイルス騒ぎ、 令和2年の天災と事ある毎に、 もう一度改元しろと言って騒ぐ人が SNS に現れますね。 どこまで本気か知らんけど。 これは改元デマが生まれる素地ができつつあるのかも。

[49] 【超速報】改元決定, 2020/07/18(土) 16:16:59.39, , http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1595056619/

日本以外の改元デマ#

[186] 日本以外の改元デマは知られていません。

[187] 空間や時間を経て誤って伝わった例はあります。

[188] 日本改元デマを生む何らかの特殊な事情があるのか、 他国の研究が進んでいないのかは不明です。

[189] 関連: 私年号

研究史#

[96] 日本では、 改元デマだと判明したことが平安時代後期の泰平万平以来しばしば同時代的な記録に残されてきました。

[97] 複数の改元デマに言及した事例としては、 改元デマ (嘉政) の際に天保改元の際の改元デマ (永長) に言及したのが知られている最も古い記録です。

[99] 江戸時代末期までに、 薩摩藩の歴史研究で慶喜改元デマであることが確認されました。 慶喜 過去の改元デマを認知した研究として最古のものです。

[100] 昭和時代中頃、 日本私年号の研究 はそれまで私年号異年号の扱いをされることがあった泰平万平を、 改元デマとする同時代の記録を引いて、 私年号ではないと整理しました。 これによって私年号改元デマの区分けがなされました。

[101] しかしその後の研究者はこれを踏襲していません (かといって改元デマをすべて私年号扱いしているわけでもなく、 統一的な扱いがなされていません)。

[98] 国立公文書館石渡隆之昭和改元の記録を調査し、 50年前の光文事件元号差し替え説が成り立たないことを示しました。 光文事件 改元デマに関する二次的な俗説を扱った研究として最古のものです。

[102] 千々和到が主要な中世東国私年号改元デマ由来だったことを解明し、 私年号研究は新たな段階へと進みました。


[105] 瓦版研究者の平井隆太郎 (-) (当時立教大学教授、江戸川乱歩)新聞業界の機関誌にコラム記事を寄稿し、 近世改元デマについてまとめて紹介しました。 >>103 改元デマというテーマで多数の事例を集めた現在知られる最古のものです。

[106] 次のような内容でした。 >>103

[123] 最後の部分は特に出典も論拠もなく筆者の感想で文をまとめています。 新聞業界へのリップサービスなのか、 それとも新聞研究者というより新聞屋として本心で書いているのでしょうか。

[124] 宝永改元時に処分されたのは改元施行日 ( 改元手続き ) より前の非正規情報の流布だったからと考えるのが自然です ( 宝永 )。 ハイレベルが云々は何らかの根拠があってのことか、 瓦版研究者としての筆者の感触によるものか明らかではありませんが、 斯様な「独得の発想」が無根拠で断言できるものとは思えません。

[125] 考えてみれば近現代のマスコミが未発表改元情報を流布しようとするのと構図は同じです。 それがきっかけで処罰される可能性を筆者は思い至らなかったのか、 書かなかったのか、どちらでしょうね。

[126] またこの時代改元伝達には何十日もかかるのが普通で、 関所の役人が旧元号だからと通行を認めないとは思えません。 よほど不審な場合くらいでしょう。 少なくても公式の改元発表が到達しないほどの短期間で旧元号を認めなくなる状況は想像し難いように思われます。 即座に改元が伝わる現在ですら、 旧元号の文書が無効になることはありません。 瓦版屋が先走ろうがなかろうが、一般庶民には関係のないことです。

[127] この記事が掲載されたのは昭和54年。筆者は生まれで、 昭和改元は5歳のときのことでした。 筆者やこの時代の多くの人にとって改元はほとんど未経験に等しい出来事で、 しかも社会情勢が異なる遥か過去の改元のことともなれば、 想像が及びにくいのは致し方ないことなのかもしれません。 一世一元元号継続期間が長大化することの弊害です。

[191] 、 研究者の山田忠雄は、 江戸時代の元号の話題の中で改元デマを取り上げました。 >>190

[211] いくつかの話題のうちの1つで個別に詳細な検討がなされているわけではないとはいえ、 現代歴史学的に江戸時代改元デマを取り扱った最古の業績です。

[212] ただその考察には無理も見られ結論ありきのようにも思われます。

[213] 言論の自由がなく厳しい弾圧までなされたこの時代にありながら、 他の事件ほどの「筆禍に発展しなかった」と認めながらも 「単なる浮説以上に許すべからざる異説」 として禁止したというのは理由がありません。 せめて当時どのような言論がどのように処罰された事例があるのか検討しないことには、 このように結論づけるのは危険です。

[214] また、箱根の一件も、 役人が少々の書き誤りならともかく公布もされていない元号など不届き千万と拒んだ旨を引きながら、 「たとえ無知な誤解にせよ」 元号の改変を許さないと結論付けているのは強引です。 うっかりの誤り程度なら融通をきかせると当の役人が表明しているのですから。 また、 不正な元号の使用者は関所の通行許可が与えられていないだけで、 何の処罰も受けていないことにも注意が必要です。

[215] 聞いたこともない暦法紀年法日付が入った証明書を拒絶するのは、 行政手続きの運用として別におかしなことではないでしょう。

[157] 、 歴史研究者の河野昭昌永長長徳江戸時代私年号として報告しました。 >>158


[133] 平成時代になると中世東国私年号 (のいくつか) は改元デマから生じたものとする説は学界で通説化していきました。

[134] また、元号関係の出版物等で江戸時代改元デマがしばしば紹介されました。

[135] しかし改元デマ私年号の関係を総合的に分析した研究はなく、 中世、近世、近現代の改元デマ事案を通時代的な視点で検証することも望まれます。 公年号改元伝達ルートとの関係も考察を深める余地が残されています。

[136] 大陸での状況は未だほとんど不明なままです。

[183] 永長を素材に光文事件と関連付けた陰謀論が発表されています。 永長

[162] 発行、普及版発行の 日本年号史大事典 は、 コラムで私年号改元デマを取り上げていますが、 江戸時代改元デマは2つのコラムで元明, 永長, 嘉政を紹介しています。 >>160, >>161 原資料の記述を掻い摘んで紹介しており、独自の知見は特にありません。

[169] 令和改元直前の発行の一般向け雑誌の記事 (連載コラム) で、歴史研究者の竹内誠は、次のように紹介しています。 >>164

[180] 竹内誠江戸時代を専門とする研究者ですが、元号に関する業績は見当たらず、 独自の知見ではなく定説的事項を一般向けに解説したものと思われます。 記事の大部分は原資料の翻案や一般的事項で、 それ以外 (>>173 >>174 >>175 >>179) は時代の専門家としての肌感覚からの補足なのでしょうが、 特に根拠のない推測となっています。

[181] 特に >>179、正式に決定した元号が漏れた可能性は、「可能性」 レベルでは確かにあるといえばあるのですが、 現在までに具体的な「可能性」が確認されている事例は1件だけ (>>132) で、それも漏れたと断定できる証拠はなく、しかも本記事ではそれを取り上げていません。 その他はすべて偽の改元情報だったので、正規情報が漏れた「可能性」 をわざわざ文末の締めに使ったのは蛇足だったと言わざるを得ません。

[182] 改元作業があったこと自体が「何となく世間に漏れ出ていた」か、 というのはまさしくこれらの改元デマの記録を基に検証されるべきでしょう。 また、改元情報を秘密にしていたかどうかも、当時の距離と情報伝達速度を前提に検討する必要がありながら、 これまで十分に考察されていません。 宝永, 永長

[168] >>167

数?第一一九回江戸の改元とフェイクニュース屋?ポスト平成の改元は五月一日に実施されます。混乱のないように、その一月前の四月一日には、新元号...

されているが、幕府が公達するまでは秘されている段階で、瓦版の号外のように「永長と改元也」と断定的に書いた小さな紙を売り歩く者が江戸に多く...

[185] 久保常晴古事類苑を参照していたのは間違いないのでしょうけど、 >>184 の事例が日本私年号の研究にないのは、私年号改元デマを結びつけて考えていなかったからなのでしょう。

関連#

元号以外の日時関係デマ騒ぎについては架空の日時標準時改正デマ夏時刻ジョーク

[72] 取越正月

[4] 新元号予想改元デマは紙一重なので注意しましょう。

[7] 改元にまつわる詐欺もあります。 改元かるた

[31] 他国の記録に残された実在しない元号 古代年号白亀周啓得徳

メモ#

[43] 中世、近世の未発掘の改元デマ事例はまだまだありそう。

[11] 「改元デマ」でぐぐると1位が安久、 2位が光文で草www

[17] 平成改元でも令和改元でも、 陛下がご高齢になった頃に新元号のデマが生じるのは興味深い。

[18] 別に陛下の死を願ってデマを流しているのではないだろうけど、 一世一元の負の側面のようにも思える。

[19] たぶん延長年号中世私年号改元デマ、 新元号予想あたりは地続きの現象として総合的に考察する必要があるのでしょうね。

[44] 最初の私年号が出現する平安時代終わり頃に改元デマも出現しているのに注目したい。

[20] 平成末期、おそらく東日本大震災の頃から、 改元と大仏建立が必要だ、みたいなネタが Twitter とか、 Web 系の会社の社員とかの間で何度か盛り上がりましたよね。 だから改元デマの発生とか、 中世私年号が世直し改元願望から発生した説とか、 なるほどありそうな話だという実感があります。

[21] 実のところ Twitter の表示とか、 IT 系でも特に Web 系の会社とかは元号じゃなくて西暦を扱うのがほとんどじゃないですか。 だから元号なんて関係ないはずなのに、 改元を切望する。 もちろんただのネタなので、ほとんどの人は面白がってるだけで真面目に改元努力をしている人などいないでしょうけど、 日本の歴史の積み重ねが時代の最先端の分野までつながってるのが興味深いし、 中世私年号も元号自体より改元という事実が重要だったという指摘が現代に重なっておもしろい。

[39] 中世はどうだかわかりませんけど、江戸時代に江戸で流行ったような改元デマは、 きっと平成や令和の人々と同じで、 天災などの社会不安、 政治への不満とか風刺で改元があるのではないか、 新元号が何だろうとネタで話していたのがエスカレートしたものだったのでしょうね。

[62] 現代の中華人民共和国ベトナムでも風刺の私年号が発生しているのも興味深いです。 中華人民共和国ベトナム元号を使っていないので改元デマにはなり得ないのですけど。 中華人民共和国の私年号, ベトナムの私年号 それらは風刺性が強く、 日本改元デマは自然災害との結びつきが強そう、という違いはありますけど。