光文事件

光文事件

[2] (こう) (ぶん) (y~2233) は、 大正から昭和への改元の際、 正式な新元号である昭和の発表前に東京日日新聞 (現毎日新聞) が報じた架空の新元号でした。

[77] 新聞社の捏造とはいえ、それに騙され利用した人がいたようで、 改元デマであると共に日本の私年号の1つでもあります。

[36] 光文事件日本史上最大最悪のフェイクニュース事件の1つです。

元号名

[84] 元号名光文です。

[85] 読みは「こうぶん」とされます >>1

紀年法

[86] 元年 です。

政府陰謀説

[55]元号光文に内定していたのに漏洩に気づいた日本政府が急遽差し替えたという陰謀説があります。

[6] 実際には光文は多数の候補のうちの1つに過ぎず、 政府内部でこれに決定したという事実は確認できないようです >>1。 かなり早い段階で「昭和」が最有力で、 「光文」は候補に残っていなかったとされます。

[20] 元号制度研究の権威である所功は、 当時の詳細な公式記録を閲覧したといい、 「すでに石渡氏や猪瀬氏が明らかにされたごとく、 全くありえない。」 >>21 普及版 p.82 (石渡 = 石渡隆之 (国立公文書館公文書専門官)) 「詳細な審議記録をみても、そのようなことはありえず、 全くの誤報というほかない。 (猪瀬直樹一九八三)」 >>21 普及版 p.629 としました。

[132] 平成時代近代諸元号現象は、 証拠が残っていないのは政府の隠蔽工作という主張もあり得るが 「本稿で扱う問題の範疇を超えている」 と漏洩差し替え陰謀論説から距離を置く一方で、 この噂が強力に根付いているのは庶民の政府に対する不信感を表現しているとしました。 漏洩した光文でさえなければよかったとすれば新元号の出典や意味はあってないようなもので、 天皇その人はどうでもよく天皇の権威だけを問題とする政府の姿勢を感じた庶民の密かな抗議行動ではないかと推測しています。 >>131

[133] といってもその「噂」を語り継いでいる 「庶民」はマスコミ関係者がほとんどなんですよね... 作者の人そこまで考えてないと思うよ

フェイクニュース責任

[4] 社長本山彦一は、辞意を表明しましたが、実行されなかったようです。 編輯局主幹の城戸元亮は、責任をとって辞任しましたが、 後に大阪毎日新聞編輯主幹に復帰しました。 >>1

[96] 「責任」を問われたのは管理職だけで、 捏造の実行犯らの処分を説明した資料は見当たりません。 お咎めなしだったのでしょうか。

[95] 現代のマスコミ関係者などは、これをもって「誤報の責任を取った」 などと主張しているようですが、 世間一般ではそうは解釈しないでしょう。

[3] 毎日新聞は、次の昭和から平成の改元を 「見事スクープ、63年ぶり雪辱果たす」と自画自賛しました >>1 (>>39)。

[5] 毎日新聞は発表前の元号という重大であるにも関わらず正確性を検証できない未確認情報を流布し、 社会を混乱させたことをまったく反省していないようです。 平成への改元その次改元に関する報道を見るに、 毎日新聞のみならず他のマスコミ各社も大差なく、 業界内の自浄作用すらなさそうです。

[83] 江戸時代改元デマ事件では犯人は厳しく処罰されていました。 改元デマ 表現の自由は重要ですが、 社会の混乱を招く嘘情報の意図的な流布まで野放図なのは困ったものです。


[97] 皇位継承直後に新陛下、新時代の出鼻を挫くようなとんでもない事件ですが、 刑事事件行政処分にはなっていないようです。 不敬罪新聞紙法もこういう事案には役に立たないのですね。

[98] 現代人から見れば言論の自由報道の自由のない暗黒時代のような言われ方をしている時期ですが、 この時代にはこの時代の「自由」があったわけです。

報道倫理の欠如

[56] 放っておいてもせいぜい十数時間で公表される未公表の国家秘密を盗み取ることに、 いかなる公益性も存在し得ません。 政府に対しては業務の遂行の妨害に他なりません。 国民に対しては真偽不明の怪情報によって秩序を乱す行為です。 業界内でしか通用しない幼稚な名誉欲、自己顕示欲で社会全体に混乱を引き起こされてはたまったものではありません。

[57] しかるにその後の経過をみるに、 毎日新聞社はじめマスコミ各社がこの報道倫理の問題を真剣に反省しているようには見えません。

[128] Xユーザーの大貫剛🇺🇦🇯🇵З Україноюさん: 「僕がロケット打ち上げの抜け駆け報道に憤る理由は、「その報道は社会に寄与するのか、邪魔をしてでも商売をしたいのか」という観点ですね。 社会のために、公表されていない情報を報じるというのは報道の重要な仕事。だから「社会の公器」とも言う。で、ロケット打ち上げ日を1日早く報じる意味は?」 / X, , https://twitter.com/ohnuki_tsuyoshi/status/1740280502807138510

[129] マスコミって分野と時代を問わず全部こんな感じなのかなあ? まったく無関係の話題なのに既視感しかない...

前後の改元と毎日新聞の誤報事件

[37] 東京日日新聞大正改元でも誤報していました。 大正改元

[38] 東京日日新聞の後身の毎日新聞は、 平成改元に先立つ昭和天皇のご闘病の時期にも、 不敬虚偽記事を掲載しました >>12

[39] 毎日新聞社平成改元時に新元号情報を発表直前に入手した、 と主張しているようですが、 社外に報道しなかったため、 社内関係者の証言 (自画自賛) しかなく、真偽は不明です。 平成改元

[40] 正式発表直前の確証のない情報 (国家機密) を盗み出して誤報を招いた体質は、 相変わらずのようです。

[41] 令和改元では、政府の保秘徹底が功を奏し、 毎日新聞社や他社に情報が漏洩することはありませんでした。

新聞日付

[66] 新聞日付欄も光文元年に改まっていたとする説があります >>62, >>63

[67] しかしそのような紙面は見つかっていません。 画像検索で発見できるウェブ上の写真はみな大正十五年のままです。 この説は誤りとされています >>64

騙された人々

[73] 収蔵品紹介 | 富士山かぐや姫ミュージアム, https://museum.city.fuji.shizuoka.jp/collection/old_document/detail/4232

写真あり

草書光文元年十二月二十五日

送り主は草書須津村長」とあり。 日本国静岡県富士郡須津村

内容
大正天皇崩御につき奉拝式
年代
光文元年12月25日

[78] ウェブ掲載写真を見る限り特に不審とは思われませんが、 この記載内容を信じるなら、 村役場ごと騙されて光文を使ってしまったということになります。

[70] 日本歷史 - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?id=DiwzAAAAMAAJ&dq=%22%E5%85%89%E6%96%87%22

49 ページ

それは東京日日新聞で、光文元年という新しい年号がついていた。私は光文元年という日付の葉書をそこで書いて、郷里の父に出した。弘文天皇かあるのに変だなと思いなから。この年号問題は未だ疑問の残る史的事件であった。 とりあつかわれていることを ...

[79] 実物が現存するか不明なのが残念かつ数十年が経過してからですが、 被害者本人による貴重な証言です。

[80] 用例や利用者の証言は現時点ではこれだけしかウェブ上で見つけられませんが、 まだ未発掘のものが眠っている可能性はあります。 既に長い年月が経過しているので、 当時の利用者の新たな証言を得るのは不可能に近いでしょうが、 日記などの形で記録が残されているかもしれません。 ただそれらが世に出てくるまでにはまだまだ時間がかかるかもしれません。

[82] 利用されたのはせいぜい1日、長くても2日程度でしょうから、 期間は極めて短いのですが、先帝崩御、即位改元という特別な日ですから、 まぼろしの新元号をすぐに書いて使った人はそれなりにいそうなものです。

光文戸籍

[68] 戸籍に光文元年と書かれた人がいるとする説があります。

[51] 亜留間次郎さんはTwitterを使っています 「新しい元号といえば、全力で誤報をかましてくれた光文事件というものがあって戸籍に生年月日が光文元年と記載された人が戦後に発見されて問題になった珍事件があった。 https://t.co/LikJT4bLT6」 / Twitter (午後3:46 · 2018年5月18日 , ) https://twitter.com/aruma_zirou/status/997367777278087168

[61] 改元にまつわる超ディープなトリビア5選! クリスマスが日本に定着した理由も、実は… 亜留間次郎が徹底解説!ートカナ(2ページ目), 文=亜留間次郎, 2019.03.30 14:00, , https://tocana.jp/2019/03/post_90044_entry_2.html

当時は情報伝達が未熟で、朝刊のみで夕刊を出さない新聞社が多かったことなど諸事情が重なった結果、地方では誤報であることが充分に伝わりませんでした。そのため、戸籍に「光文元年12月25日生まれ」と書かれてしまった子供が続出しました。

もちろん後から慌てて訂正したのですが、当時の手書き文書では訂正が追いつかず、戦後になってからも戸籍謄本が光文元年12月25日生まれになっていた人が発見されて、江戸時代の生まれかと悩むハメになったという珍事も起きています。

[48] 光文元年12月25日生まれ | 話のコレクション, 朧月夜, 2022-09-17 19:06:21, https://ameblo.jp/mirakuru460/entry-12483081597.html

この日、誕生した赤ちゃんには、

光文元年12月25日生まれ

と、戸籍に記載されてしまった子が、かなりいたらしい。

その中には、戦後になってもまだ戸籍謄本には、光文元年12月25日生まれと記載されている人がいて、

「江戸時代生まれ?」

と勘違いされたり、色々騒動があったらしい。

コメント欄

8. Re:無題

修正されないまま、数十年もたってしまった人も、

実際にいたそうです。

行政のミスですね。

朧月夜2022-09-18 11:55:51

[69] 残念ながら出典不明です。

[81] 「続出した」というのが事実なら戸籍関係事務の通知か何かにあるのかもしれません。 戦後に発見されたというなら当時の新聞で報じられたこともあったのかも。

[130] 大正時代に生まれた当日に出生届を提出してた人がそんなにいたのか、は若干疑問ではありますが。 現在でも当日提出の義務はなく、何日かして落ち着いてから提出することは多いのでは。

関連

[22] 誤った新元号の流布はこれ以前にも (以後にも) 何度かあったことが知られています。 偽の新元号を紙に書いて配る人は江戸時代に既にいたようです。 他の誤報も政府の陰謀によると主張する人がいたようですが、 光文事件と同じく (あるいはそれ以上に) 信用できる根拠のないものです。 改元デマ

[45] 同じ昭和改元で、 改元詔書を偽造した新聞社もありました。 京城日報改元詔書僞造事件

謎の映像・CM チャンネル

[104] これは昭和神化に置き換えた作品 架空の元号 に近い用法? しかしこちらの事例では実時間とリンクして使われている。

メモ

[7] 新元号は何? 各メディア必死の取材合戦 首相、皇太子さまに29日複数案提示(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース () https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190328-00000016-ykf-soci

あるベテラン記者は「朝日、毎日両紙は、決定の第一報をつかむのに社運をかけているようだ。中でも、毎日は『大正』から『昭和』に代わる際、『光文と決定』の号外を出しながら大誤報に終わった。汚名返上に懸命だ。

[8] 平成改元で雪辱果たしたんじゃなかったんかいw

[9] 新元号、虚偽情報で混乱?=発表日はエープリルフール:時事ドットコム () https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032801067&g=pol

[10] 毎日新聞エイプリールフールだったらよかったのにね。

[11] 光文事件で関係者がきちんと責任を取らなかったから、 未だに各紙各局が無意味な取材合戦を続け、 国民の知る権利だとか気の狂ったことを言い続けているのでは。

[12] 世紀の大誤報「光文事件」とは? 大正、昭和、平成の元号スクープ合戦を追った(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース () https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190331-00010001-huffpost-soci&p=2

同社の官邸キャップだった仮野忠男(かの・ただお)氏は、後に編集局長が次のように言っていたと振り返っている。

「光文事件があったうえに、昭和天皇が吐血した後の1988年9月26日に『マイニチ・デイリーニューズ』が昭和天皇逝去を悼む社説を誤って掲載し、回収する騒ぎを起こした。そのうえ新元号に関して誤報を犯せば、3度目のミスということになる。そうなれば毎日新聞に対する攻撃が起きかねない。だから非常に慎重になった」

[13] 漏洩情報を得ても公表できないなら、正式発表前に強引に取材する必要ないのでは。

[14] てか吐血情報だけで崩御の社説を準備しているとか不敬罪どころではないよ。 なぜ未だに会社が残っているのか不思議だ。

[15] 毎日新聞の記者が見せた執念? 元号決定の裏側にあった壮大なドラマ|テレ東プラス (2019.5.23 株式会社テレビ東京 - TV TOKYO Corporation著, ) https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2019/019516.html

2018年11月9日(金)放送の中から、最新作でも登場する島田秀平がプレゼンした"新元号決定の裏側にあったドラマ"の内容を紹介。信じるか信じないかはあなた次第です!

大正15年。毎日新聞の前身となる東京日日新聞が、大正天皇崩御の直後に新元号「光文」というスクープを掲載してしまったそう。

島田は、「実は誤報ではなかったのではないか? 本当は光文と決まっていたのに、スクープされてしまったので、第2候補だった昭和にした。正しい情報だったが誤報になってしまった」と推察。

[16] 既に否定された説だということを知らないのか、知ってて黙っているのか、 「信じるか信じないかはあなた次第」 といっておけば誤報でも許されると思ってこんな記事を堂々と公開しているあたりが大正時代からマス媒体はなにも変わっていないなーって。

[17] 大手柄のはずが大誤報…「光文事件」の顛末!「いだてん」第25話振り返り | エンターテイメント - Japaaan #いだてん - ページ 2 () https://mag.japaaan.com/archives/100963/2

「光文」の誤報、元宮内省臨時編集局勤務の島利一郎によれば、本当は自分の選んだ「光文」に決まっていたが、宮内省発表に先んじて報道されたため、「昭和」になった、ということです。

しかし一方で、内定した元号が発表ギリギリの段階になって変更されることはあり得ないという見方もあり、真相は不明です。

[18] 世界, 第 353~355 号 岩波書店, 1975 () https://books.google.co.jp/books?id=UBQ8AQAAIAAJ&q=%E5%B3%B6%E5%88%A9%E4%B8%80%E9%83%8E

284 ページ

一九二八) (九年頃、この「光文」について、書こうとしたら「とんでもない」とことわられた

ことがあった。当時は、それこそ、この「光文」が、とんでもない不敬事件をおこしいたこと

、そのいきさつなど、知る由もなかった。一度きめたけれど、何かの都合で変ったんだ

...

その不敬問題の出場所が、あきらかになったのは、一九五六年になってからで、 NHK

の「私の秘密」の番組に、ゲスト出演した中 隷*た。それが「光文」 「きまった」が、「事前」に

新聞で発表された為、あわてて、かえたのが「昭和」であった。そして、事前に発表した日日新聞は、誤報として、不敬

事件として、社の責任者の進退問題となった(毎日新聞百年史による)。重役会議で、

当時の矢野龍渓副社長は一旦辞表を出し、

社長をのぞく重役総辞職案まで出たが、一カ月もたった一九二七年一月二十九日、

城戸元亮主幹が一切の責任

をもって、役職を退いて約半年の外遊ということで、ピリオドがうたれた。この「不敬事件」

...

切端つまった大切なことであるのに表に出せない」ということである。そこで彼は江木翼

によばれて「絶対秘密だが」と前おきして相談され島利一郎(当時七三歳)という人が「

大正天皇崩御の際、次代の年号は私のつくった『光文』ときまりましたが、事前に新聞で

発表されだだめ、昭和に変更されました」

( ...

[19] >>1

1956年(昭和31年)9月17日、NHK総合テレビのクイズ番組『私の秘密』に出演した中島利一郎(元宮内省臨時帝室編修局編修官補)が、「大正天皇崩御の際、次代の年号は私の選んだ『光文』と決まりましたが、事前に新聞に発表されたため、『昭和』になりました」と証言している。

[92] ところでこの中島某の肩書は改元当時のものなのだろうか、それともそれ以前か以後のどこかの瞬間のものなのだろうか。 私が選んだって言ってるけど臨時帝室編修局ってそういう部署なの?

[93] そういう記録を見ましたならともかく私がやりましたってw

[94] 光文が宮内省案に出てこなくて内閣没案にしか残っていないことについて中島某の供述はないのだろうか? 差し替え派のマスコミ関係者が誰もそこを釈明しないのはどういうあれなん?

[28] 「光文」事件のような「新元号○○」お手柄合戦? | 毎日新聞出版 (2019年3月31日号 牧太郎の青い空白い雲/711 ) http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2019/03/31/post-2247.html

元号が「光文」となっている東京日日新聞の号外を見て政府は驚く。「新元号」が特定の新聞社に漏れていた。具合が悪い。そこで「かつて弘文天皇がいらっしゃった。この天皇は天武天皇との政争に敗れ、首を吊(つ)って、最後を迎えられた。その『弘文』と字は違うものの、同じ音では縁起が悪い」という妙ちきりんな理由をつけて、急遽(きゅうきょ)「昭和」に取り替えた。(中島利一郎・元宮内省臨時帝室編修局編修官補の証言など)

かくて、世紀の大スクープは「前代未聞の大誤報」になってしまった。

[29] 毎日新聞社は未だにデマ事件を反省せずに政府陰謀説を主張してるの? まじで?

[87] 元号の歴史を知っていれば弘文天皇と音通するのがどれだけ重大問題かわかるはずで、 それを妙ちきりんとか言ってる時点でねえ。。。

[30] 大正→昭和に改元直前の「光文事件」とは | ビジネスジャーナル (2017.06.09 ) https://biz-journal.jp/2017/06/post_19398_3.html

真相をめぐっては諸説あるが、事前に報道されてしまったために急遽、次点扱いだった「昭和」が正式採用されたともいわれる。

「平成」の次に来る新元号は、18年8月頃に発表予定である。

(文=青木康洋/歴史ライター)

[31] 令和改元をまとめた毎日新聞社の書籍 >>1069 では、 光文事件に言及しているのは1箇所だけでした。 日本政府の公式記録 昭和大礼記録 を引いて昭和の決定経緯を簡単に紹介していました >>1069 pp.159-160。 「当時の東京日日新聞 (現毎日新聞) が決定案だと報じた 「光文」 など5案が、 国府から若槻に提出されている。」 とだけ述べていて、陰謀論の類には言及しませんでした。

[32] 大正昭和改元は当時の政府が詳細な記録を残しており、 一方現在の日本政府は記録を残すことに消極的に見えるとして現政府の対応を非難する論調であるため、 当時の政府記録を尊重せざるを得なかったのでしょう。

[33] 逆に昔も本当は光文に決まっていたはずなのに記録は捏造されている! 今も昔も日本政府は嘘つきだ! という組み立てにもできたはずですが、 さすがにそこは踏みとどまったか。
[34] テレビが無い時代は「新元号」をどう発表していたの? 改元にまつわるこぼれ話 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン (2019年12月22日 松原夏穂 ) https://intojapanwaraku.com/culture/63504/

こうなった理由には、2つの説があります。1つは記者が間違った情報を仕入れた説。もう1つは、「光文」で決まっていたのに、情報が漏れたので「昭和」に差し替えた説。

今となってはどちらの説が本当か、わかりません。

しかし、昭和と共に最終候補となったのは「元化」と「同和」で、「光文」はありません。

これら宮内省の案とは別に、内閣も元号案をまとめていました。その中の1つに「光文」は見られます。実際に新元号の作成を進めたのは宮内省で、内閣の案はその後候補から外されました。内閣案の1つが選定作業中に漏れたのを、記者がそのまま報道した説が有力かもしれません。

[35] 後者説はあり得ず、前者説が定説で、後段で筆者もそれを認識しているようなのに、 「どちらの説が本当か、わかりません」 と後者説の可能性が残るような書き方。これが諸説あります話法か。

こんな論理があり得るなら、 2つの説どころか、 「記者が宇宙人から電波を受信した説」 もあって、どれが本当かわからない、 と説明しないといけない。

[42] 谷梅之助さんはTwitterを使っています 「東京日日新聞つまり、今の毎日が次の元号は光文と報じたが・・・。 #いだてん https://t.co/7fmyKua1ds」 / Twitter () https://twitter.com/umenosuke_tani/status/1145293043773259776

[43] D-Tlbq_U0AMpSxo.jpg (600×433) () https://pbs.twimg.com/media/D-Tlbq_U0AMpSxo.jpg

[44] いだてん 第25回「時代は変る」 (4ページ目) - Togetter () https://togetter.com/li/1371627?page=4

[47] コラム 6 元号伝説 - ポスト「大正」は「光文」か? | 史料にみる日本の近代 (, ) https://www.ndl.go.jp/modern/column/06.html

[49] 人、儚キニ百花繚乱 | 島田つき, 島田つき | 小説・文芸 | Kindleストア | Amazon () https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B07CW6YMJJ/wakaba1-22/

[50] 世界 - Google ブックス () https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=SDpVAAAAYAAJ&dq=%E5%85%89%E6%96%87

[52] 歴史年表・昭和元年~5年 (, ) http://daido.onamae.jp/syowan-dk2/shouwa1-5.html

東京日々新聞ほかの新聞社はこの日号外を発行し、新元号は光文であると報じたが正式発表前のスクープであったため、

不謹慎であるとして一転して昭和に変更になった。世紀の誤報事件となった。

[53] 近代諸元号現象

[54] 毎日デイリーニューズ - Wikipedia (, ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8E%E6%97%A5%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA

1988年9月26日、「A Nation Plugged Into Grief」と題した昭和天皇崩御を前提とした社説を誤掲載し、回収騒ぎを起こす。

[58] 老楼快悔 第9話『「昭和」は実は「光文」だった』, https://www.hakurosya.com/books/news.php?news_id=197

手元に大正15年12月25日の「東京日日新聞」号外がある。ここには大正天皇の崩御に合わせて「元号制定」として「光文と決定=枢府会議で」と報じられているのだ。枢府とは天皇の最高諮問機関である枢密院を指す。

この「光文」の報道は枢密院を激怒させた。この重大事項がなぜ漏れたか、威信にかかわる、というわけだ。緊急閣議が開かれ、光文に代わる新たな元号として「昭和」を上奏し、枢密院が政府案を承認して、詔勅を公布したのは同日午前11時。これにより東京日日新聞の大スクープは「大誤報」とされた。この事実が明らかになったのは昭和30年代も半ばになってからだ。

2019年1月25日

[59] 合田一道先生のエッセイ「老楼快悔」更新, https://www.hakurosya.com/books/news.php?news_id=168

元北海道新聞記者、現在百冊超えの書籍を著した有名作家。

齢八十過ぎの男が、その波瀾万丈の人生を彩る取っておきのエピソードを披露する。

[60] 差し替え説を唱えている人、なぜかマスコミ関係者が多い。不思議ですねえ。

[62] 新聞研究 (165), 日本新聞協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3360724/1/33 (要登録)

当時大阪で体験した人 (大阪の毎日新聞は慎重だった)

[63] 別冊新聞研究 : 聴きとりでつづる新聞史 (22), 日本新聞協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1797357/1/8 (要登録)

[64] マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌 (231), マスコミ市民フォーラム, アストラ, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3464069/1/29 (要登録)

[65] 大正後的新年號其實是「光文」?一場為了追求獨家報導的新年號烏龍事件, https://storystudio.tw/article/gushi/kobun-jiken

[71] 每日新聞百年史: 1872--1972 - Mainichi Shinbun Hyakunenshi Kankō Iinkai, 每日新聞百年史刊行委員会 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=plW9AAAAIAAJ&q=%22%E5%85%89%E6%96%87%22

[72] 毎日新聞七十年, 毎日新聞社社史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2934030/1/147 (要登録)

[74] 午後のAdagio:猪瀬直樹著『天皇の影法師』…新元号は「光文に決定するであろう」という号外, http://blog.livedoor.jp/yuko_kurusu/archives/51872161.html

[75] Manshū Nichinichi Shinbun 1926.12.25 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/mac19261225-01.1.3

[76] Hawaii Times 1960.10.21 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tht19601021-01.1.4

[88] コラム 6 元号伝説 - ポスト「大正」は「光文」か? | 史料にみる日本の近代, , https://www.ndl.go.jp/modern/column/06.html

〈光文〉が新元号候補の中に存在したということ自体は事実である。「昭和大礼記録」をもとに書かれた石渡隆之「公的記録上の「昭和」」(『北の丸』7)によると、〈光文〉は内閣がまとめた5つの新元号案の中に見えている。しかし、新元号案作成作業(勘進)の中心となったのは実際には宮内省で、勘進第1案10種、第2案5種、第3案3種の中には〈光文〉は見えない。逆に〈昭和〉はすべてに含まれている。第3案は〈昭和〉〈神化〉〈元化〉だが、内閣と宮内省が協議を重ねた結果、〈昭和〉が最終候補となり〈元化〉と〈同和〉が「参考」として添えられることになったという。〈同和〉は勘進第2案まで残っていたものである。これに従えば〈光文〉は内閣案の一つが選定作業中に漏れたに過ぎないということになるが、「昭和大礼記録」は編纂された史料なので〈昭和〉が最初から新元号だったというシナリオで再構成されたものだと強弁することも不可能ではない。

このように新元号は12月8日の時点で事実上、〈昭和〉に決定していたと考えられる。大正天皇が崩御した12月25日の「倉富日記」には「元号建定ノ件ノ御諮詢」についての記事があるが、改元詔書の字句の調整に関する記述が見えるだけで元号差し替えの痕跡は認められない。当時、御病状報道をめぐり、宮内省・政府と新聞社の攻防が熾烈化しており、宮内次官関屋貞三郎の日記の12月15日条には「新聞社ノ社会部長ニ面会、御重態ノ場合ニハ発表ヲ葉山ト東京トテ同時ニ行フコトヲ声明セリ」との記述が見える。〈光文〉は一木が心配した通り、内閣の作業の一部が漏れたもので、極度の情報管制が行われていたことから記者が検証できないまま飛びついたものであろう。

[89] というように「強弁することも不可能ではない」レベルの話。 「強弁」している人はマスゴミ関係者にやまほどいるけど、 毎日新聞社中島利一郎の曖昧な証言を事実と認めるためにはそれよりも確実なたくさんの記録の信憑性を否定する根拠を見つけ出さなければならない、しかし誰もそれをやっていないという。

[90] 元号をめぐる誤報「光文事件」はなぜ起きた?事件の経緯や現在の改元制度などを歴史好きライターが簡単にわかりやすく解説 - ページ 3 / 4 - Study-Z ドラゴン桜と学ぶWebマガジン, https://study-z.net/100192362/3

関係者の証言

1956(昭和31)年、NHK総合テレビのクイズ番組『私の秘密』に言語学者の中島利一郎が出演しました。中島は番組内で光文事件について語ったのです。その内容は、「年号は光文に決まっていたが新聞報道されたことで昭和になった」といったものでした。

情報漏洩に腹を立てた宮内省が新元号の発表直前に光文から昭和に変更させたという説は後の東京都知事である猪瀬直樹が書いた天皇の影法師でも取り上げられています。しかし、元号を急遽変更することはありえないという意見も少なくありません。「光文」が差し替えられたとする説は、真実とは言い切れないでしょう。

[91] なぜこんなまるで隠された真実の可能性があるような言い方をしているのか。 この記事の著者は本当は真実だと思っているのか?

ついでにいえば見出しが「関係者の証言」になっているけどこの書き方では誰がどう関係しているのかわからない。ただの言語学者ではなく元宮内省務めだと言わなければ意味がない。 そうでなければ誰も相手にしないレベルの陰謀論よ。

[126] Xユーザーの水月さん: 「省庁の部屋を施錠するというセキュリティ上で当然の事を「異常」とのたまう『マスゴミの異常さ』が存分に出てるツイートで怖え…毎日新聞狂ってるな。 さすが勝手に侵入して会議を録音し逮捕された道新記者が擁護される界隈やで。日本の新聞記者って自分は正義だから何でもありと勘違いしてんやろね… https://t.co/jpxM09yb9a」 / X, , https://twitter.com/sui72381132/status/1692120816648081525

[127] 新聞記者が日頃からこういう感覚で省庁に出入りしているのだとすると、 新元号案を事前に盗み見るのが異常だと感じないのも納得できるし、 誤報だ捏造だと指摘されても差し替えられたと強弁し続けるのも宜なるかな。 記者仲間が掴んだ情報は確実だと確信できるもんな。 一般人は日頃そんなザルだと知らないから信じられないけど。