[34] 吉田は宮内省職員で、森鴎外に元号考を託され完成させました。 大正時代末期に宮内大臣から元号の選定の基準を示され、 新元号案を検討していました。
[35] 吉田の遺族が保管する資料によると、 には70近い元号案があり、「昭和」も挙げられていました。 同じくには31案ありました。 >>33 p.321
[23] untitled - article_2_8.pdf, , https://www.kansai-u.ac.jp/nenshi/sys_img/article_2_8.pdf#page=21
[24] >>23 昭和2年。前号で大正15年、大正16年とあるのを昭和元年、昭和2年と一括訂正する旨の訂正記事がある。
[21] 激レアモノ発見?! 明治45年7月31日という存在しない日付の新聞紙! 前日、元号は〝大正〟に‥ | 楠森堂 福岡うきはで二百年【在来種のお茶】, 2020.10.21, https://kusumoridou.com/blog/%E6%BF%80%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%8E%E7%99%BA%E8%A6%8B-%E6%98%8E%E6%B2%BB45%E5%B9%B47%E6%9C%8831%E6%97%A5%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E6%97%A5/
横の壁に貼ってある新聞紙の日付は「明治45年」との記載。 西暦1912年は、明治時代の最後の年でもあり、大正時代の始まりの年でもある。
…というか、調べて気づいた…
新聞の日付、明治45年7月31日という日は存在しない。
前日7月30日を区切りに大正時代(元年)が始まっている…
昭和48年の秋のことだった。島生まれの女性が役場へやってきた。
「ダメだらー。おめぇ、大正の生まれどうじゃあ、昭和じゃあなっけよ」
「ワーッ、ふじゃけナー、あが昭和元年の生まれどしどうじゃあ。喜久一アニィーや謙アニィーと違って、大正組の仲間じゃあなっきゃあ。」
謙次さんは、すこしあらたまった口調で言う。
「大正天皇が崩御されたのは大正15年12月25日(翌日、昭和改元)のことだったけど、A子さんが生まれたのはその数ヵ月前のことですよ。だから、昭和元年じゃあなくて、大正15年です、昭和というと、若く見えると思って…」
ちなみに、青ヶ島の人が昭和改元を知ったのは、大正天皇の崩御からちょうど1年後の昭和2年の暮のことだった。青ヶ島の荒磯で遭難した土佐船を、島の人たちが総出で救助したさい、漁船員から聞いて、大正から昭和へ変わったことを、ようやく知ったのである。つまり、青ヶ島では、大正時代は16年(書類上は大正17年もあった?)まであったわけである。
[13] 著者は当時村役場勤務。本人の体験と思われます。 執筆まで何十年か経過しています。 記録でなく記憶に頼ったなら細部まで正確ではないかもしれませんが、 大筋では正しいと見て良いのではないでしょうか。
[15] 後段は著者の体験ではありません。現地での伝聞でしょうか。
島民は大正や昭和の改元を、それぞれ1年近く知らないまま暮らしていたというものがある。このうち昭和の改元については、昭和2年12月に漂着した高知県の遭難漁船の船員によって初めて島に伝えられたそうだ。
[16]
出典は不明。参考文献として示されている村史等のいずれかでしょうか。
帰ってきて区立図書館のOPACで検索したら、青ヶ島村役場発行の『青ヶ島島史』(1980)と『青ヶ島の生活と文化』(1984)なる本を発見!
青ヶ島の人たちって、明治に改元されたことを知らなかったらしい。
昭和に改元されたことも昭和2年に知ったらしい。
遭難した高知の船の乗組員を村人総出で助けた時に「今、昭和だよ」って教えられたんだって。
その大変さを青ヶ島村教育委員会がまとめた「島史」をもとにまとめたい(青ヶ島村教育委員会『青ヶ島の生活と文化』1984年)。
- 1927年(昭和2年):この年の12月に高知の船が青ヶ島に遭難。このときに青ヶ島の島民は昭和の改元を知る(約1年遅れで、大正から昭和になったことを知ったわけですな)。
「大正16年元旦」(1927年1月1日)に配達される予定であった年賀郵便には「(大正)16年1月1日」の日付印が押印されていたが、1926年末の12月25日に大正天皇が崩御したため、年賀郵便の取扱いそのものが中止になった。ただし、それまでに引き受けていた年賀郵便は年が明けて配達された。訂正の意味で「(昭和)2年1月1日」の日付印が押印されていたものもある。
[11] 昭和への改元を1ヶ月以上知らなかった集落|Colorless Green Histories, https://hi.fnshr.info/2013/07/20/showa-nishiawakura/
[19] 南洋群島の各島に行き渡るのに時間掛かってそうですが、どうだったのでしょうかね。
[20] 19270101bja10.pdf, , https://rakusai.nichibun.ac.jp/hoji/contents/Brasil/PDF/1927/01/19270101bja10.pdf#page=15
ブラジルの日本総領事館には改元当日に電報で通知。 新聞は号外で崩御を知らせたが改元まで掲載されていたかは不明。 週刊なので直後の昭和2年1月1日号で報道。
[7] 大正100年, , http://www.choukokuji.jp/article/14162953.html
[8] 大正100年企画: Book! Book! Sendai 2011, , http://bookbooksendai.com/2011/taisho100.html
2011年は大正元年から数えて100年目に当る「大正100年」。
[10] 門司港レトロ大正浪漫100年祭, , https://www.mojiko.info/taisho/index.html
[9] 大正100年企画展 ~西暦2011~【Lets】レッツエンジョイ東京, https://www.enjoytokyo.jp/museum/event/492638/
開催日時 大正100年9月23日(金)~27日(火) AM11:00~PM17:00(最終日16:00まで)
[2] D-TmlRSUYAEmS6V.jpg (834×1200) () https://pbs.twimg.com/media/D-TmlRSUYAEmS6V.jpg
[3] フミさんの郵便・電信コラム (fumisan0822著, ) https://fumisan822.exblog.jp/tags/%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%B4%A9%E5%BE%A1/
[4] 昭和元年の年賀状|Stampedia founder's blog (スタンペディア, , ) http://stampedia.blog.fc2.com/blog-entry-59.html
[5] 本買いの本懐? 「大正16年正月」 (, ) http://honkainohonkai.blog74.fc2.com/blog-entry-79.html
[6] 公文類聚・第五十一編・昭和二年・第一巻・皇室一・大喪儀一 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001758772
[25] JOCK講演集 第3輯, 日本放送協会東海支部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1224862/1/9 (要登録)