[2] 宝久 (当時の表記: 寳久) は、 江戸時代の日本の私年号の1つです。
[15] 現在までに1例知られています。
[8] 日本国岩手県花巻市に伝わる暦の書き入れにおいて、 に 「十二月始宝久元年ト成」 とありました。 >>7
[9] つまりの12月の初め頃に改元伝達があって、 宝久の元年となったといわれていたようです。 短期間実用された可能性もあります。
[11] ところが翌年以後には何の説明もありません。
[12] 暦に残された改元の記録 (>>8) は昭和時代後期の自治体史に収録されましたが、 特に解説もなく、 令和時代に至るまで私年号研究の方面では認識されずにいました。
[22] 、 日本国福島県の歴史研究者で福島県歴史資料館の小野孝太郎により、 福島県内の文書用例 (>>16) で初めて私年号として報告されました。 次のように説明しました。 >>14
宝
と繁栄を願う久
の私年号が発生した[33] 福島県歴史資料館はこの発見を受けて私年号の展示会を開催しました。 >>5, >>6
[37] 岩手県に残る記録 (>>8) の判明により、 天明3年とする推測が正しかったことが裏付けられました。 しかも比較的広い範囲で流通していた可能性が出てきました。
[40] 盛岡藩 (南部藩) の北と南に記録が残っているのは興味深いですね。 宮城県域でも今後発見が期待されます。
[3] 宝久の報告後ほどなくして同じ福島県下で天保期に宝力, 宝明が使われたことが明らかになりました。
[34] 日本国石川県下では入れ替えた久宝が使われたことが明らかになっています。 しかもその利用時期は宝力, 宝明と同年です。
[35] 更に、天保期に永長が福島県下、石川県下を含む各地で使われたことが明らかになりました。
[36] こうなるとこれらがまったく別個に起こった独立の現象とは言い切れなくなってきます。