[24] 歳時習俗考, 平山敏治郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12171064/1/134 (要登録)
[1] 33_KJ00002403720.pdf, https://www.jstage.jst.go.jp/article/minkennewseries/33/1/33_KJ00002403720/_pdf/-char/ja#page=4
[3] >>58 これは大変興味深い分析で、江戸期の改元や改元デマとの類似性があるのかないのかも知りたいです。
[192] 川柳獅子頭 3(3), 獅子頭発行所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1511890/1/13 (要登録)
[193] >>192 私年号の福徳、弥勒を不時の正月の一種だったとする説。
[6] >>192 が参照している此花は明治時代後期の大阪で出版されていた雑誌。 13枝は明治44年1月1日発行 >>7。 どの記事かまでは不明。ウェブ上で閲覧できるところも見当たらず。
[9] >>33 は江戸時代の書籍に対する明治時代の注釈ですが、
本文で主張された私年号の後南朝説 (
[23] しかしたまたま(?)有名な宝暦9年の事案は弥勒十年辰の年と絡むので、 それで私年号と取越正月とミロク信仰と民俗学が混濁してしまっただけで、 他の時は弥勒十年とはあまり関係なさそうで、ましてや私年号との接点はない模様。
○武家功名記。上嶋氏下島氏支流の系圖を載たる條に。天靖元年としるし
て。分註に北朝は嘉吉三年と書たり。此天靖といへる南朝の年號は。をさ 〱きこえざるものから。今吉野十津川わたりにて。長祿二年高福院の弑 せられたまひしまでを。後南といひつたへたれば。なほその頃まで年號を 建られしにやありけん。後南とは後の南朝といへる心なるべし。また諸國 に三四百年ばかりのさまなる墓碑殘りて。彌勒某年。福徳某年などしるせし があり。近頃下總國野田の里にて。地中より尼妙心といへるが墓碑をほ り出して。彌勒二年三月二十五日と彫たりし。など𛀕もふに。南朝の餘黨 諸所にかくれすみけるが。なほ御世の年號を書んをねたくおもひなして。か くはものせしわざと見ゆ。陶淵明が甲子のみ書し跡にもな𛁚゙へつべくて。 いとかたほにもまめしき心ばへなりやと。太田元貞がものがたりき
[1053] 頭注
彌勒福德の年
號は關東及甲 州奧州等皆同 時に用ひたり 凶災の頻りに 行はるゝとき に私に此號を 立て年を改め しものにて後 の流行正月に 同しかるへし 遺臣の所爲に はあらぬなり 蜀山人の假名 世説にも彌勒 の年號の考あ り
[10] 奇態流行史, 廃姓外骨, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/927420/1/21
[2] 流行正月(仮作正月、取越正月とも)の若狭国での起原や祭事模様、諸国・江戸へ流布した経緯等について知り... | レファレンス協同データベース, 国立国会図書館, https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000072744&page=ref_view
北静廬『梅園日記』「流行(はやり)正月」の項に「伊勢安斎の『洗革記』によると、江戸にて安永7(1778)年5月晦日を大晦日、6月朔日を元日と称して正月行事を行う。若狭国よりはやり出て諸国に伝えける」「若狭の土民が山中で異人に逢しが、かくの如きすれば疫病を除くと教えし故に行いはじめたりという」とある。寛文7年、宝暦9年、明和8年、文化11年にも江戸で流行したとのこと。
[17] >>2 は若狭起源説があったことを伝えるが、 >>8 によると近江起源説もあったとのこと。 これはもしやみんな自分の地域の文化と思っている現象ではないのか!?
[4] 二倍年暦を信仰してる人々、これもその痕跡だと思ってそう、って見てたら本当にそう言ってるの見つけた草 >>5
[11] 日本民俗学 〔第1-4〕 隨筆篇, 中山太郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1449499/1/34
[12] 江戸時代の門松 : 名古屋市博物館企画展, 名古屋市博物館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13272373/1/21?keyword=%E6%B5%81%E8%A1%8C%E6%AD%A3%E6%9C%88 (要登録)
[13] 高志路 4(2)(38), 新潟県民俗学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6062233/1/26 (要登録)
[14] 脳 10(11)(119), 精神衛生学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1617922/1/24?keyword=%E6%B5%81%E8%A1%8C%E6%AD%A3%E6%9C%88 (要登録)
[15] 日蓮宗不受不施派読史年表, 長光徳和, 妻鹿淳子 編著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12267869/1/44?keyword=%E6%B5%81%E8%A1%8C%E6%AD%A3%E6%9C%88 (要登録)
[16] 俳諧七部集芭蕉連句全解, 伊藤正雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12457343/1/83?keyword=%E6%B5%81%E8%A1%8C%E6%AD%A3%E6%9C%88 (要登録)
[18] 614711.pdf, , https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/tosyo/file/614711.pdf#page=13
[19] 再正月流言,神猿 | (サイショウガツリュウゲン),シンエン | 怪異・妖怪伝承データベース, https://www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/YoukaiDB3/youkai_card.cgi?ID=6550014
■ 論文名 豊芥子日記
坂本の日吉山王の神猿が言うには、今年は天下が豊作だといい、また1匹は人々が多く死ぬといい、またもう1匹は今年も明け新年と改めればよいだろうと言ったので、5月1日を元旦として災難を除けたという。80歳ほどの老人が言うには、自分が8歳ぐらいのときに、年の半ばで正月の祭りを行ったのを覚えているという。
[20] 上伊那の送り盆 三題(振り万灯 百八灯 盆正月) | い~な 上伊那, https://blog.nagano-ken.jp/kamiina/life/581.html/2
若い衆がお盆休みをもう一日延ばそうと正月休みとして区長さんに力ずくで(ユーモラスに)お願いする行事ですが、これも江戸末期頃から行われていたとのことです。
[21] 子どもが公民館封鎖 南箕輪村田畑で伝統行事「盆正月」 | 信州・市民新聞グループ, https://www.shimin.co.jp/archives/11002
盆正月は100年以上前から続き、働き詰めだった農家の若者が盆休みの延長を求めたのが始まりとされる。以前は青年会が中心となって区役員の家も含め封鎖していた。近年は地区PTAが子どもたちに呼びかけて行い、コロナ禍を機に昨年から封鎖するのは同館のみにしている。