称元

代始改元

[600] 代始 (だいはじめ) 改元 >>298 (だいし- >>29)、即位改元 >>71 は、 改元の種別の1つです。

概要

[74] 代始改元は、 新しい天皇皇帝国王将軍即位践祚に因んで改元するものです。

[4] ただし、必ずしも即位践祚の日に行われる (即位同時改元) とは限りません。 歴史的には翌年に行われることが多かった >>73 ようです。 改元時期

[75] 改元の種別には他に祥瑞改元もあります。 祥瑞改元は、祥瑞として出現した吉事を祝うものです。 代始改元代替わりというある種の吉事で、 祥瑞改元の要素が含まれるといわれます。 ただ分類上は明確に祥瑞が記録されているものを祥瑞改元 (ないし祥瑞改元かつ代始改元) に分類し、 それ以外の代始改元とは区別されるのが普通です。 日本では奈良時代代替わりと時を同じくして祥瑞が出現するタイプの祥瑞改元かつ代始改元が慣例的に行われていました。

[1] 日本にはほぼありませんが、アジア大陸では建国と同時に初代君主が即位するタイプの代始改元 (建元) が多数ありました。 また、から皇帝など君主は変わらないまま君主号が変わるのと同時の改元も多数ありますが、 代始改元に含めるべきかどうかは議論の余地があります。

[2] 即位に伴い (元号ではない) 即位紀年改元することを特に称元といいます。 称元という場合には、君主が変わらない在位中の改元のことを特に改元といいます。

[3] 元号即位紀年から発生した紀年法体系ですが、 日本では次第に天皇在位との関係が弱まっていきました。 中世近世には征夷大将軍の代替わりで改元されることがあり、 逆に天皇の代替わりで改元されないこともありました。 改元手続き

[602] 近代においては一世一元の制が各国で採用され、 代始改元以外は行われなくなりました。 元号名が定められることを除けば即位紀年に近い運用となっています。 (それ以外の改元を望む声もないでもありませんが、 近年中に実現し得るレベルには達していません。) 一世一元

将軍代始改元

[6] 正長度 () は、 称光天皇代始改元とされますが、 実際は践祚後16年が経過していて、 名目上のものでした。 >>440

[5] 実際は足利義持の死去 (「私之不祥」) による、 足利義教将軍代始改元でした。 >>440

[7] 朝廷にもその認識があり、 還俗する足利義教の名前や官位と共に論じられていました。 >>440 (建内記)

[8] また、重臣の死去による改元の先例を探し、 近衛兼嗣, 二条良基, 万里小路仲房らが死去した康応度 () を見つけていました。 >>440 (建内記 正長元年3月3日-7日条)


[9] 大永度 () は、 兵革、天変を理由と詔書にはありました。 >>440

[10] 実際には足利義稙を排斥して足利義晴を擁立しようとした細川高国が 「他の主君を立て奉らんがため」 改元を求めたものでした。 >>440 (宣胤卿記 大永元年8月23日条)

[11] 春日社司今西祐維は、 「将軍御替目に必以年号改□云々」 と書いて、将軍代替わり改元がおこなわれるとの認識を示しています。 >>440 (春日社司祐維記 大永元年8月23日条)

メモ