日本の紀年法

日本の紀年法

[1] 日本ではいろいろな紀年法が使われています。

日本の私年号

日本古代の日時, 幕末維新期の日時, 昭和時代の日時, 現代日本の紀年法

紀年法改良運動

[2] 大宝時代大宝律令 の制定により、 すべての公文書元号が使われるようになりました。 その過程に詳しい記録は残されていませんが、 制に倣ったものであり、 文書行政の発達のため従来の干支年 (60年周期) よりも長期間を取り扱えるようにするためもあったとする説もあります。 日本の元号法制, 日本古代の日時

[49] 大宝律令, 養老律令元号を使い従来のように干支年は使わないとしていました。 しかし実際には元号干支年の併記が広く使われるようになりました。 組み合わせによってそれぞれの長所短所を補い合う形が好まれたのでしょう。 東洋の日時表示

[50] 中世武家文書では、 様式 (用途や格式) によって、 元号を書くものと、を書かないものがありました。

[51] 江戸時代武家庶民文書では、 元号元号干支年を書くものの他に、 十二支年だけを書くものが多く使われました。 文書行政の発達と日常化によって簡易的な様式が好まれるようになったのでしょう。

[3] 江戸時代蘭学の発達や開国により基督紀元を知る者が増えて、 紀年法暦法の改良案も提出されるようになりました。 幕末維新期の日時

明治の紀年法改革

[14] 明治への改元と同時に一世一元の制が導入されました。 一世一元

[8] 皇紀も使われるようになりました。 明治政府皇紀を法制化し、 元号と併用することとしました。 皇紀

[96] 明治時代初期、 元号にかえて皇紀に統一することを提案する人もいました。 皇紀

[72] 干支年明治改暦時に併記が廃止されました。 日本における干支年併記の廃止 しかしその後も根強く生き残っています。 昭和時代の日時

近代の紀年法改革案

[21] 明治時代哲学者で後の東洋大学創設者である井上円了 (-) は、 明治時代後期に紀年法の改良を提案しました。 >>20

[22] 井上円了大化から明治までの元号が多すぎて覚えるのもほとんど不可能で不便であるとし、 いくつかの候補案を出しました。

  • [23] 神武紀元説 : 既に行われているが、年数が大きすぎて覚えにくい。 太古の昔は事件が少なく、近年は事件が多いので、いちいち大きな数になってしまって不便。 >>20
  • [24] 西洋紀元説 : 西洋との歴史の比較には便利、 神武起源との換算もしやすい。 西洋で使うのも必ずしも宗教的意味ではないのだが、 日本はキリスト教と関係ないので心情的に微妙。 ギリシャ、ローマの歴史が紀元前後にある欧州と違って日本ではその時期に事件少なく、 西洋のような慣用のない日本で使う理由はない。 >>20
  • [25] 紀元短縮説 : 神武紀元は長すぎるので短縮する。 日本史研究者は神武紀元が史実より古いといっている、 4,50年くらい引けば西洋紀元にも近づいて比較しやすい。 >>20
  • [27] 政変紀元説 : 天皇の年齢を減らすのは不敬だと反対があるので、 政治上の大事件を紀元にする。 例えば奈良朝、平安朝、鎌倉時代、足利時代、徳川時代のように時代区分して、 何紀元の何年のように言う。 >>20
    • [52] 年齢を減らす ・・・ 初期天皇の年齢が不自然に大きいので、 小さく修正する紀元短縮説のこと。 紀年論
  • [28] 年号削減説 : 元号は多すぎてその多くは数年しかないので、 中小元号をやめて有名な元号に集約して覚えやすくする。 2,30個になって記憶しやすく教育しやすくなる。 >>20
  • [29] 明治紀元説 : 事件の少ない古代が小さく事件の多い近代が多い神武紀元を逆転させる。 明治維新を紀元とし、それ以前は紀元前とする。 >>20
  • [30] 帝王紀元説 : 歴代帝王を紀元とする。 >>20
  • [31] 大化紀元説 : 最古の元号である大化を使って大化の改新紀元とし、 紀元前後を数える。 >>20

[97] 尾崎行雄改元を廃し明治元号を継続することを提案していたといいます。 新日本

[35] 尾崎咢堂全集 第8巻, 尾崎行雄, 尾崎咢堂全集編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2982340/1/365 (要登録)

[13] 大正改元昭和改元を経て、記号的用途なども含め短い年数でリセットされる元号制度を不便と感じる人達が皇紀を好むようになりました。 昭和時代の日時

[53] 法律春秋 2(3), 法律春秋編輯局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2262294/1/20 (要登録)

[54] >>53 昭和改元直後。元号よりも皇紀を使い、世紀で100年単位で区切って時代区分とするのがいいという提案。

[26] 皇紀よりも更に大きな年数の紀年法を提案する人もいました: 肇国ノ紀元

[36] 大東亜紀元


[37] 世界紀元天理教の教義に基づく紀年法ですが、 発案者は世界中で使われるようになるものだと信じていました。

大東亜戦争後の紀年法改革案

[7] 大東亜戦争後GHQ の介入のため元号制度は存続の危機に陥りました。 昭和の元号危機

[9] 昭和時代後期に従来の制度をほぼ踏襲した 元号法 が制定されたことでこの問題は収束しましたが (国民の大多数は現状維持派でした)、 それまでに (そしてそれからも細々と)、 いろいろな案が提出されました。

[47] 三笠宮崇仁の紀元節批判(1957年)|現代日本社会の諸相, https://note.com/brainy_turntable/n/n9b5ec8639ead

--以下,☆は昭和天皇の弟で古代オリエント史学者の三笠宮崇仁,★は同書の著者色川大吉である。

註記)色川大吉『近代の光と闇-色川大吉歴史論集-』日本経済評論社,2013年,242-243頁。〔 〕内補足は筆者。

☆「西暦にしたらよいですよ。(元号は)なにかにつけ,とても不便です。どうしても年号が必要なら,昭和をこのまま永久につづければいいのでは……」とかれ〔宮〕は笑っていた。

上のやりとりは,もともと1974〔昭和49〕年に月刊誌に掲載された対談の一節であり,三笠宮との交友をつづる同書収録のエッセーで紹介されていた。

[48] 三笠宮殿下は国民から「赤い宮様」と公然と呼ばれるような思想の方でした。 色川大吉日本共産党員で、元号に関しては自由自治の研究があります。

西暦の普及

[16] 昭和時代後期から西暦が普及を続けています。 現代日本の紀年法

[17] 一方で基督紀元西洋紀年法日本で使うことへの抵抗は根強く、 元号を重視する意見のほか、 皇紀の活用や、 新しい紀年法の提案なども止むことがありません。

[19] 真面目な提案とは思われないネタレベルのものも含めれば、 無数の紀年法案や改元案が WebSNS では観測できます。

[18] その他、社会全体への普及を目指さない集団や個人のレベルの現代日本の私年号は日々増加を続けています。 価値観の多様化に伴い、国の制度が全国民のすべての紀年法生活を統制する時代でもなくなっています。


[38] 第五回西安旅行記, , http://seian.co.jp/h-xian/xian8.htm

2月20日(日)

西大門を見学したあとは、碑林博物館へ。。中には、日本の昭和、平成などの元号を頂いた論語などもありました。でも、余談ですが、元号、もう止めませんかね、止めないまでも、中国の古典からとるの止めましょうよ。いつまでも日本は中国の属国のように思われますよ。だいたい日本のネーミングは気に入らない。日本アカデミー賞、日本アルプス、日本ライン下り、日本ロマンチック街道、原宿シャンゼリゼ、中野ブロードウエイ、もう恥ずかしくてしょうがありません。もういい加減止めましょうよ。サルマネは。でも、いくら中国から頂かないといっても、ミレニアム元年、2年なんてのはだめですよ、南セントレア市みたいな。

[41] 2月24日帰国。
[40] 年不明。平成23年?

[39] このタイプの元号廃止提案は珍しい。

[42] ℒ.さんはTwitterを使っています: 「令和に変わるとき、新しい元号は「西暦」にして 2019 から始めればいい、って解決法を提示したのが森博嗣。」 / Twitter, , https://twitter.com/slet_ikke/status/1671855196358717443

メモ

[43] 元号がいいと言っている人で西暦をなくせと言っている人はあまりいなくて併用すればいい派や各人好きにせよ派が多い印象。 それに対して西暦がいいと言っている人は元号はやめろ、 元号を使わせるな、公文書から排除しろ、 天皇制もやめろと攻撃的な人ばかりの印象。

[44] 元号をなくせと言い始める人は定期的に出てくるので、そういう人は多いのかと思ってたけど、 そうでもないとわかったのが令和改元のとき。 現状維持派の人は普段とくになにか意見表明する必要性がないから黙ってるだけで、 いつも元号なくせと言っているのはノイジーマイノリティーだとわかってしまった。

[45] あと、普段は何も考えずに西暦使ってるはずの「普通の人」の中にも、 和暦をやめて西暦を使おうと言い出す人が現れたときには、 なんでキリスト紀元にしないといけないんだ、 と不満を表明する人は案外多い ( 西暦など )。 民間の風習で勝手に使ってる分には違和感なく取り入れられるけど、 国が信教の自由を犯してまで強制するのは違うんだろうなあ。

[46] ありそうでまだ見たことがないのが、大正復活案。 よくいわれるように大正中華民国主体年数が同じ。 自国の紀年法を使っているようで実は日本台湾の共通紀年法になっている、 というのはおもしろい構造のような気がするし、 嬉しい人は実は多いのではなかろうか。

その他の日時制度

日本の暦, 明治改暦, 暦法改良案, 日本の標準時, 日本標準時改正案

メモ