[44] 20世紀頃、グレゴリオ暦より更に改良された暦法の採用をめぐり全世界的に議論が行われ、 色々な暦法改良案が提出されました。
[2] 、 フランス天文学会が暦法改良案の懸賞募集を行いました。 匿名の有志者が5000フランの金をフランマリオン天文学会長に送り、 委託したことによりました。 50案が集まり、そのうち6案を選出して金牌と賞金を授与しました。 >>27
[3] 19世紀末、 ロシアはユリウス暦を用いていましたが、グレゴリオ暦を用いる他国との交渉の不便から、 新世紀を機に改暦を企てました。 、ペテルスブルグでロシア天文学会が主催し、 各官庁、教務院、学士院、各学会の代表者を招集した会議が行われました。 その結果、グレゴリオ暦は不完全であるため不採用とし、 新暦法の発達を待つことと決められました。 >>27
[4] その後暦法改良は欧州の産学官各界の重大な問題となりました。 のロンドンの列国商工業会議所連合会は、 全会一致により、 全世界共通の暦法を制定すること、 復活祭の日を一定にすることを望むと決議しました。 、ブルッセルの在外仏国商業会議所総会も同内容で決議しました。 >>27
[5] 英国の下院には、グロスクロード案が提出されました。 >>27
[6] ローマ教皇は、ベルギー国の外交当局者の交渉に応じて、 暦法改良に反対しないと宣言しました。 >>27
[7] 日本の衆議院でも、 中正暦や増田氏の暦法調査会が取り上げられました。 >>27
[8] スイス政府は、 グロスクロード案に対する意見を募集し、 列国会議を開催しようと企てました。 >>27
[9] 、 ペテルブルグで開催された列国学士院連合会の総会では、 パリー学士院代表のデランドルの提案により、 各学士院から2名以下の代表を選出した特別委員会を設置し、 暦法改良を議論することになりました。 >>27
[19] 第一次世界大戦によって暦法改良問題は事実上棚上げとされましたが、 終戦後にロシアと土耳古がグレゴリオ暦を採用、 ギリシャがトルプコヰッチ(甲)修正案を採用し、 「世界中の暦が始めて統一」>>27 されました。
[20] 、ローマの国際天文学協会で暦法改良問題の専門委員会で、 フランス代表のビグールダンの司会により、改暦案が示されました。 しかし週の改良に強固な反対があり、総会決議とはなりませんでした。 >>27
[21] 、国際連盟交通通過委員会で取り上げられ、 国際連盟事務局から各国政府を通じて各国・研究者の改暦案を募集しました。 185案が提出され、各分野の専門家で議論されました。 その結果、改暦問題が十分に理解されておらず、各国世論が統一されていないとして、 国際連盟から各国に暦法改正国内委員会を設置するよう要請されました。 次の各国他計15ヶ国に国内委員会が設置されました。
しかし他の各国はほとんど無関心でした。 >>27
[22] 、 国際連盟は次の3案のいずれを採るか決めようとしました。 >>27
[38] 、ジュネーヴの国際連盟交通通過部総会の暦法委員会では、 復活祭の固定を認めることが決められましたが、 暦法改正は合意に至りませんでした。
[10] 平山清次はの論文で、 当時の諸改暦案を次の通り分類しています。 >>27
[11] グレゴリオ暦の置閏法は、 平年が7年続くことがある (閏年が非連続的である)、 1年が太陽年より平均0.0003日長いことが欠点とされています。 >>27
[12] グレゴリオ暦の年始はニケア会議で春分をと定めたことにより決まったもので、 季節と何ら関係していないことが問題とされています。 >>27
[17] 年始の移動は10日差の冬至ですら大きな混乱が予想され、 平山はそこまでして季節を移動させる必要があるのかと疑問を呈しながらも、 40年間閏日を置かないか、 8年間1年を364日に減らすことで、 なし崩し的に移動させるという手法を提案しています。 >>27
[18] 各月の日数が著しく不均等なのが欠点です >>27。
[28]
第一次世界大戦後にギリシャが改暦した際、
グレゴリオ暦ではなくトルプコヰッチ(甲)修正案の置閏法を採用していたようです
>>27。
すなわち、
[1] 1930年代に世界暦協会のアケリス (Elisabeth Achelis) に提案された暦法である。 アケリスは現在最も使われているグレゴリオ暦の欠点として次のようなものを挙げた。
アリケスは前者2つを是正した次のようなルールの暦法を提案した
便利といえば便利な暦法である。しかし、曜日は宗教とも密接に関連しているので(どの暦法でも, 七曜は同じ日である)反対も多く廃案となった暦法である。
[46] 国際固定暦 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%9B%BA%E5%AE%9A%E6%9A%A6
1917年の陽暦元旦の際に「民間の年越しは、ほとんど陰暦によっ ている。数千年来の習慣を、どうしてにわかに改められよう。私は以前に浙江にいた時、 立春を年の始めとすることを考えたが、同じく閏月を廃するにしても、西暦より適してい るのではないか」(丙辰十二月初八日)という考えを示していたが、後に、西洋でも暦法 の改良が議論されているという記事を『中華新報』で読み、立春を一年の開始とし、一年 を365日に固定して閏月を無くすという宋代の沈括の案を元に、「立春を「孟春一日」とし、 驚蟄を「仲春一日」とし、清明を「季春一日」とする。夏、秋、冬もこれに倣い、各季節 は六節気分とする。閏日がある場合は、節気に従って加える。毎年の日数は、現行の暦と 同じとする。……改めた後は、孟春から季冬まで、いずれも「月」の字を使わない。某月 某月というのは、陰暦であれば適当である。陽暦でも某月某月と称するのは、全く筋が通 らない」という独自の暦を考案、友人の唐文治に共同で政府に提案し、さらに国際会議に 提案するという話をもちかけている(己未三月初一 – 三日)。その後、『新聞報』でも同様 の記事が掲載されたのを読み、同紙に自らの主張を投稿して検討を求めている(101)。実際に、 前述のように、1931年以降の『農隠廬日記』はこの独自の暦法によって書かれている。
「祭祀の道」の「第六回 太陰太陽暦と祭祀」(平成22年1月30日)で、私は、今回の主張の基礎となるものを述べてゐますので、もう一度読み直していただきたいと思ひます。ここでは、明治5年の改暦のことや、真正太陽暦(立春元旦説)のことについて述べてゐます。
このうち、真正太陽暦(立春元旦説)といふのは、戦前の国際連盟において、伊勢の皇太神宮を基点として、その真上の天空を通る子午線を基準とした真正太陽暦(日本暦)を採用したうへで立春を元旦とすることが提案されて検討されてゐたのですが、残念なことに、我が国が昭和8年3月に国際連盟を脱退したことによつてその採用が見送りになつた経緯があつたことを述べました。
[58] 世界の人々のかつての暦法改良への熱量はすっかり失われてしまいましたが、 未だにごく少数ながら新しい暦法を提案する人はいます。
[49] 現行暦の微修正 (佐藤明達、) http://tenkyo.net/kaiho/pdf/2008_03/2008-03-04.pdf
[56] Hanke–Henry Permanent Calendar
[57] ゼロから始まる暦の提案 | 永井俊哉ドットコム (4月 14 2013 ) https://www.nagaitoshiya.com/ja/2013/zero-based-calendar/
スウェーデンのゲーム会社、パラドックスインタラクティブが製作している歴史シミュレーションゲームの各作品には、2月30日が登場する。どのゲームもグレゴリオ暦換算の日付を表示しているが、プログラムの簡素化を目的として、1年を360日、各1ヶ月を30日間としてシミュレートしているため、本来31日が存在するはずの月からは31日が無くなり、2月も30日まで存在する。一部作品では外見上2月を28日間に収める為、2月の1日や28日を2日続けて表示する(それでもプログラム内部的には2月は30日間であることにかわりは無い)ようになっているものもあるが、そのような装飾を捨てて、グレゴリオ暦にもかかわらず毎年2月30日がめぐってくる作品もある。
書籍に表記される発行日が、ときに2月30日となる事がある。書籍の発行日は形式上の日付に過ぎない場合が多いので、このようなミスが起こりやすい。
賞味期限等に関して、安直に「1年後の同月同日」といったものを指定することがある。うるう日以外の日(一般に確率を考えれば99.9%以上)であれば問題ないが、うるう日には(さらに稀な確率として「うるう日のちょうど4年後」という指定でも、場合によっては)、それが存在しない年の「2月29日」を指定することがありうる。
[45] 13の月の暦 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/13%E3%81%AE%E6%9C%88%E3%81%AE%E6%9A%A6
[48] 暦Wiki/グレゴリオ暦/暦法改良問題 - 国立天文台暦計算室 () http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/A5B0A5ECA5B4A5EAA5AACEF12FCEF1CBA1B2FECEC9CCE4C2EA.html
[52] () http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1919/pdf/191904.pdf
[53] () http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1919/pdf/191910.pdf
[60] Kyoto University Research Information Repository: 最近の改曆運動だより () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167135
[61] () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167179/1/tnk000179_178.pdf
[62] () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/161762/1/tnk000130_039.pdf
[63] Kyoto University Research Information Repository: 改曆問題の重大性 () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/161700
[64] Kyoto University Research Information Repository: 曆法改正問題の現狀 () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/161699
[65] Kyoto University Research Information Repository: 改曆に關する社會の聲 () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/161696
[66] Kyoto University Research Information Repository: 平山淸次博士を悼む () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/168671
[67] Kyoto University Research Information Repository: 改曆, 天文新語など : 卷頭隨筆 () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/168452
[68] Kyoto University Research Information Repository: 宇宙を觀る, 人生を觀る : 卷頭隨筆 : 曆時制と天文學 (時と曆の特輯) () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/168207
[69] Kyoto University Research Information Repository: 新東亞文化建設としての世界曆の採用について (時と曆の特輯) () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/168202
[70] () http://rakusai.nichibun.ac.jp/hoji/contents/Brasil/PDF/1949/03/19490330bja10.pdf
[71] Kyoto University Research Information Repository: 改曆問題について會員諸氏の注意を促す () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167925
[72] The Death and Life of the 13-Month Calendar - CityLab () https://www.citylab.com/life/2014/12/the-world-almost-had-a-13-month-calendar/383610/