[293]
の元号法制定の頃、
を元年とする新元号制定を提案する人がいました。
[172] 昭和54(1979)年、 星新一はエッセイ きまぐれ暦 所収 単位について で西暦2000年を機に日扇、弐泉などと改元し元号と西暦を同期させるべきと冗談交じりで提案しました。 >>431
[11] 星新一は元号名を省略して2桁年号にできる利便性も指摘していました。 >>431
[12] いわば元号、西暦、西暦2桁年号の現代日本3大紀年法の大統一構想だったわけです。
[1] の頃、 を元年とする新元号制定と100年ごとの改元を提案する人がいました。 >>2
[3] Internet Archive に保存されているのは平成12年と平成13年のもの。 この期間には更新なし。 ページの著作権表示は「1999」。 >>2
[4] 新元号名の投票結果として示されているもの。
<option>>> Top 3 << <option> <option>望(のぞみ) <option>曙(あけぼの) <option>木霊(こだま) <option> <option> <option>>> 注目株 << <option> <option>二戦(にせん) <option>大和 <option>幻の池 <option>道延
[5] 2000年の頃は星新一案を軽く紹介する人がいたくらいで、 このような提案はほとんど話題になっていなかった記憶があります。
[15] 大多数の一般の日本人にとっては元号と西暦を併用する現状に大きな不満は持っていない (変化を望んでいない) し、 平成時代に入って衰退していた元号廃止論者 (共産主義者やキリスト教原理主義者など) は元号存続に関心を持っていない (折衷などの譲歩案には興味を持たない) という感じなので、 この種の提案を思いつく人がちらほらいたところで、大きな運動にはならないのでしょうね。
[16] 人気作家の星新一も政治運動として提唱したわけではなく意見を発表しただけに留まっていたとはいえ、 この提案は多くの人に知られることは成功したのです。にも関わらず大きな潮流とはならなかったことが、 大多数の日本人が現状の元号と西暦の存続を消極的に支持したものといえます。
[10] >>6 といっているだけで提案者も常用しているわけではなさそう。 SNS 投稿を見た感じこの提案者は日本の古代史に興味を持っているようで、 独特の見解を披露していらっしゃる (超古代史的)。