日本における干支年併記の廃止

元号名元号年干支年表示

[1] 東アジアでは、歴史的に元号名元号年干支年を並べる年の表示がよく使われていました。

[13] 元号と同形の東洋の即位紀年建国紀元 (民国紀元等) もこの形をとることがあります。

[259] かつては、更に連ねて干支を併記するのがより正式な表記と考えられていたようです。 改元が頻繁で西暦が一般的でなかった時代、干支が併記されていると年同士の関係を比較しやすく便利だったようです。

[609] あまり正式ではない場面 (民間など) では、十干十二支ではなく十二支だけを元号数に添えることもあったようです。

構文

東洋の日時表示

記述形式の歴史的変化

[14] 東洋の日時表示, 歳次を参照。

[15] 竹書紀年に1例ありますが、新しい時代に付加されたものと考えられます。 古代中国の日時

日本における干支年併記の廃止

[105] 太政官の文書に収録された日付の表記では、 明治5年までは

  • 明治干支
  • 明治干支
  • 明治干支
  • 明治
  • 明治干支
  • 干支
  • 干支
  • 十二支

... と多様な例が見られました。「昨干支」のような表現もみられました。

[107] 明治五年正月八日正院法令番号について定めるものでしたが、 「干支第何號」という表記で参照することを求めていました。 >>106


[108] 改暦があった明治6年から、「明治年」という表記に統一されているようです。 もっとも、直ちに新表記に統一されたわけではなく、旧表記が混在しているようです。 特に明治5年以前の文書や出来事に言及する場合などにそうなっているようです。

[109] 法令全書における明治五年正月八日正院 (>>107) の欄外注釈には、 干支改暦の布告により消滅とあります >>106干支のかわりに明治年の表記となった、と言いたかったのでしょうか。 だとしても改暦の布告には干支への言及はありません。 法令全書は他の法令にも、本文中の書式から干支を削るという指示が欄外注釈に書かれていたりしますが、 法的根拠は不明瞭です。


[5] 日本政府暦本においては、 明治7年暦、 明治8年暦は題名に皇紀元号 (明治)、干支年が併記されましたが、 それ以外の年は皇紀元号だけでした。 ただし明治6年暦 (改暦版) から明治42年暦には旧暦が併記され、 そのとしては干支年のみが表記されました。

[9] 皇統譜 では明治改暦以前は干支年日干支が併記されていますが、 明治改暦以後には併記されていない形で統一されているようです。 >>8

[2] 戸籍の日時

関連

干支年元号年表示

メモ