[2] 元号成立前の古代日本で用いられました。 現在も元号導入前の時代を表すために使われています。
[3] 元号導入後はほとんど使われなくなりました。 元号は即位紀年に名前を付けたものとして機能しましたが、 次第に改元と代替わりのタイミングのずれが大きくなり、 明治時代に一世一元となるまで、 ほとんど一致していませんでした。
[6] 天皇即位紀年の現在の一般的な表記は、 元号名スロットに天皇名を充て、 「天智天皇4年」 のように元号年風に表記します。
[7]
現在の天皇名 (漢風諡号) が定まるまでは、
いろいろな名前があり、
即位紀年もいろいろに表記されてきました。
[8] 現在でも、「天智4年」のような省略形など、表記のバリエーションがあります。
[4] 解釈の違いにより、 年代がずれる複数の用法が存在する場合もあります。
[21] 関連: 元興寺伽藍縁起并流記資財帳
[196] 天皇のほとんどは代始改元しており、 しかも明治時代以後一世一元が制度化されているため、 元号にかえて敢えて天皇即位紀年を用いる必要性はありません。 実際そうしたものはほとんど用いられなかったようです。 が皆無ではありません。
[272] 幕末の頃、一部で孝明天皇即位紀年が用いられました。
[197] 年表の類では元号、出来事、西暦年などと共に当該年の天皇とその在位年数を元年、 2年、3年といった形で示しているものもあります。 (支那王朝や朝鮮王朝も併記していることもあります。) 極めて限定的な用法ながら天皇即位紀年が大宝から慶応までの元号と併用されていると言えないこともありません。
[198]
日本年号史大事典巻末年表は皇位の継承があった年を元年として示しているため、
日本書紀の天皇即位紀年とずれが生じています。
[13]
「聖武天皇十五年
[18] 仮名遣及仮名字体沿革史料 - 国立国会図書館デジタルコレクション, 大矢透, 1909, http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992467/18
明治時代。
[19]
その頁で説明された文献の成立年が柱に書かれている。
縦書きで上から順に、
日本の元号 (元号名 + 元号年)、
天皇即位紀年 (天皇名 + 年)、
皇紀 (「
[20]
年はいずれも漢数字の位取り記数法。
元号年は第1年が「
[11] この論文は西暦591年から西暦730年の範囲を扱った表を掲載しており、 原史料の表記、西暦年とともに 「崇峻四年」から「聖武七年」のように天皇即位紀年を使っています。 (ただし元号年を示す必要がある4例だけ、 「白雉二年」 「白雉五年」 「朱鳥元年」 「慶雲三年」 としていまました。白雉を天智とするのは孝徳の誤りです。)
[22] 群書類従 第拾七輯, 塙保己一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1879818/1/505
天皇 + 年数 + 干支年。細かい表記揺れがいろいろ。
[24] 高倉(綾部市), , https://tangonotimei.com/ikrg/takakura.html
人皇八十一代安徳天真即位元年(治承四年)に当り、
(『吉見村誌』)
[25] >>7863 日本では元号導入後に年号紀年と皇位紀年が併用されてきた、 と書くものの、朝鮮との比較でこう説明しているだけで具体的な記述なし。
[16] PW-AC880 Manual - pwac880_mn.pdf, , https://jp.sharp/support/dictionary/doc/pwac880_mn.pdf#page=386
[年号と西暦の表示]
①年は西暦で示し、カッコ内に年号(『日本書紀』紀年をふくむ)を示した。「年」の表示は省略した。以下、同一の年号が続く場合は西暦のみで表した。また、外国関連事項で日本に特に関係のないものは、西暦のみとした。
②ア) 1872(明治5)12月2日以前の年月日は、日本年号と旧暦(太陰太陽暦)を基準にして示した。ただし、本文表記のうえでは便宜として、その年の大半と対応する西暦年をまずかかげ、カッコ内に年号を示した。
イ) 幕末の対外関係に関しては、西暦と日本年号とのくい違いをさけるため、それぞれ月まで明示した。
1855、2月(安政1、12月)日露和親条約に調印。 ウ) 人名の生没年も年号を基準にして西暦に換算した。
おだのなおたけ 小田野直武 1749−80(寛延2−安永9) 生没年は「寛延2年生まれで、安永9年に没した」と読みとる。厳密にいえば、小田野の生誕は「寛延2年12月11日」であるから,西暦では「1750年」生まれになる。 ③1872(明治5)12月3日以降は太陽暦によった。
④改元のあった年は、新年号のほうを用いた。ただし月(日)を明示したときは、その時点の年号を用いた。
1592年(文禄1)朝鮮出兵を契機に・・・・・・1615(慶長20) 4月、大坂夏の陣・・・・・・ ただし、1926年は「大正15」とした。 ⑤4桁の西暦年号で同一世紀の年代が続く場合は、上2桁の数字を省略し、略記号(’)で示した。
1617(元和3)・・・・・・・・・’33(寛永10)・・・・・・・・・’39 ・・・・・・・・・ ⑥南北朝時代の年号を併記する場合は、北朝、南朝の順で示した。
1336(建武3・延元1)・・・・・・・・・’61(康安1・正平16) ⑦「世紀」は書籍版では「C.」で示してあるが電子版では「世紀」に改めた。
[17] 「『日本書紀』紀年」とは何か明言されていませんが、 天皇即位紀年のことでしょう。
[26] 日本経済叢書 續 第3巻, 滝本誠一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1882126/1/265 (要登録) 右