Asia/Taipei

台湾の標準時

[38] 台湾など中華民国統治地域では、 現在 標準時として使われています。 夏時刻は実施されていません。

[140] 日本の標準時 と1時間の時差があり、 日本が1時間進んでいます。

著者および管理者は、法令に関する事項の正確性を一切保証しません。 本項の内容は自己責任でご利用ください。

目次

  1. 呼称
  2. 変遷
    1. 諸民族統治時代
    2. 鄭氏政権統治時代
    3. 清国統治時代
    4. 大日本帝国時代
      1. 標準時制定
        1. 報時システム
      2. 中央標準時採用
      3. 西部標準時復帰
    5. 中華民国時代
    6. 現代
  3. 金門・馬祖・東沙諸島
  4. 新南群島
  5. 尖閣諸島
  6. 大陸領土
  7. 中華人民共和国の台湾
  8. 台湾の元号
  9. メモ

呼称#

[143] 台湾の政府当局は、現在の台湾の標準時國家標準時間 >>141National Standard Time >>142 と呼んでいます。

[144] その他臺灣時間 >>6, 台湾時間, Taiwan Time >>6, 臺灣標準時間 >>6, Taiwan Standard Time >>6, 台北時間臺北時間 >>6, Taipei Time >>6, 中原標準時間 >>6, Chungyuan Standard Time >>6, 寶島時間 >>6, Formosan Time >>6国家標準時間と呼ばれることがあります。

[206] tzdataAsia/Taipei は、 CSTCDT と呼んでいます。 >>45, >>68, >>85 これが台湾でどれだけ普及している略称かは不明です。

[207] 計算機のソフトウェアで中国台湾時間CTT と呼ぶものがあります >>84。 これが台湾でどれだけ普及している名称かは不明です。


[13] tzdata では Asia/Taipei >>11 が定義されています。

[14] 第二次世界大戦以前の時間帯の変遷も正確に扱いたい場合は、 金門馬祖および東沙諸島用に別の識別子を用意する必要がありそうです。 南沙諸島も現在数ヶ国で分断統治状態ですから、それぞれに別の識別子が必要になります。 東南アジアの標準時

変遷#

[53] 臺灣標準時の変遷
時期元号臺灣 - 北部臺灣 - その他日本軍澎湖諸島新南群島 (中華民国支配地域)金門馬祖東沙諸島旧暦
西暦, , +++++++
1626西暦-++++++
1642西暦+++++++
1661永暦, 西暦++++++
1662旧2/1永暦++++++
1683++++++
明治++++++
明治++
大正++
昭和++
昭和++
昭和+,
1938昭和,
昭和,
民国,
1946民国
1962民国
1974民国
1976民国
民国
民国
tzdataTaipei
現所属国中華民国中華民国中華民国中華民国中華民国中華民国中華民国
[174] 臺灣太陽

諸民族統治時代#

[220] 台湾には諸民族が居住してきましたが、 長らく統一国家はありませんでした。 各民族はそれぞれの原始的な日時制度のもとで暮らしていたのでしょう。
[186] 西暦1281年漢土を統治していた元国は、 澎湖諸島を編入しました。

[221] 元国領土となった澎湖諸島では、 農暦元の元号その他元国日時制度が施行されたのでしょう。

[242] 中文维基百科は、 澎湖諸島元号についてから至元18年としています。 >>241 11月に澎湖巡檢司が設置され、 の版図に澎湖諸島が入ったものとされています >>243


[223] 元国は滅亡し、漢土には明国が成立しました。

[244] 澎湖諸島にかわってが統治しました。

[245] 中文维基百科は、 「1370年代,明朝統治中國後,」 に時代の行政機関を継承したとしています >>243 が、具体的にいつかは明らかにしていません。 元号一覧元の元号の最後の年で明の元号の最初の年としています >>241 が、根拠は不明です。 洪武元号元年です。

[246] 海禁により澎湖諸島から撤退しました。 中文维基百科のこととし >>243澎湖諸島における明の元号の最終年としています >>241


[187] 漢土明国が統治していた頃から西暦17世紀頃まで、 澎湖諸島では、 欧州の国和蘭を含む諸勢力の盛衰がありました。

[249] 蘭軍澎湖諸島に進攻しました。 (明万暦32年10月25日)、 蘭軍明国の要求に応じて澎湖諸島から撤退しました。 >>248

[250] 蘭軍台湾海峡近辺で拠点地を探していました。 澎湖諸島に拠点建設を開始しました。 >>248

[190] 西暦1624年明国澎湖諸島に出兵し、 蘭国戦争に発展しました (澎湖の戦い)。 条約により、 明国和蘭台湾統治を承認し、 台湾南部に蘭領台湾が成立しました。 蘭国澎湖諸島から撤退しました >>248

[247] 中文维基百科は、 明国行政機関再設置からの撤退までを明の元号が利用された期間としています。 >>241

[251] 澎湖の戦いの結果明国蘭国から澎湖諸島を奪回したものの、 行政機関は再設置されませんでした >>243

[191] 西暦1626年欧州の国スペイン台湾北部に進攻し、 統治下に置きました。 台湾北部は、 中米スペイン領メキシコ管下のスペイン領東インドとして統治されました。

[222] 台湾澎湖諸島で活動していた蘭国, 西班牙, その他欧州勢力は、 キリスト紀元ユリウス暦など本国の日時制度を使っていたのでしょう。

[210] スペイン人はグレゴリオ暦を使っていたのでしょう。

[224] オランダ本国は地域によってユリウス暦グレゴリオ暦にしばらく分かれていたようですが、 台湾ではどちらが使われていたのでしょうか。

[252] 東アジア地域のオランダ人は、蘭印方面のオランダ人と同じく、 アジア日付を用いていました。

[42] 台湾北部を含むスペイン領東インドは、 アメリカ日付を用いていました。 フィリピンの標準時

[4] tzdataAsia/Taipei は、 元の LMT としています >>11

[148] 西暦1642年蘭領台湾台湾北部に進攻しました。 スペイン領東インド台湾領土を喪失しました。

鄭氏政権統治時代#

[188] 西暦1661年、 大陸で滅亡した明国の残党の鄭成功は、 台湾澎湖諸島に進攻し、 統治下に置きました。 蘭領台湾は滅亡しました。

[211] 大陸で滅亡した明国の残党の鄭成功政権は、 明の元号永暦と、農暦を使いました。

清国統治時代#

[112] 西暦1683年漢土を併合した満州人の国清国は、 台湾澎湖諸島に進攻し、 福建省に編入しました。 鄭成功以来の政権は滅亡しました。

[253] 清国澎湖諸島に行政機関を設置しました。 >>243

[212] 清国の統治下に入った台湾では、 清の元号 >>256 p.5農暦が使われました。

[226] 清国統治時代、 漢民族の入植が進みましたが、 原住民もそのまま居住し続けました。

[259] 台湾原住民シラヤ族は、蘭国統治時代以来ラテン文字を使っていました。 清国統治時代には東洋の日時表示に影響を受けた独自のラテン文字表記の日付を使っていました。 漢語清の元号音訳され、農暦と共に使われました。 新港文書の日付表示

[189] フランス澎湖諸島に進攻しました。 その後撤退しました。
[86] 西暦1885年清国福建省から分割して台湾省が設置されました。
[147] 西暦1887年台湾福建省を結ぶ電信線 (海底ケーブル) 淡水 - 川石山線が開通しました。

[117] 西暦20世紀に入ると清国でも近代的標準時が導入されることになりますが 中国大陸の標準時 台湾清国領土だった時代には、まだ実施されていませんでした。

[225] 台湾在住の漢民族原住民も、 各民族の伝統的な日時制度のもとで過ごしていたものとみられます。 西洋式砂時計線香が使われていました >>176

[258] 以来天津条約に基づく開港場臺灣にも数箇所設置され、 諸国の外交官商人が居住しました。 外国人は本国の日時制度を使ったと考えられます。 キリスト教では AD を「主後」と訳して使っていました。 >>256 p.3

[257] 清国統治時代にも、 日本人の活動に関係して日本の元号明治臺灣域内で使われたことがありました。 >>256 p.3

大日本帝国時代#

[1] 明治28(1895)年日清戦争大日本帝国澎湖諸島に進駐しました。 発効下関条約で、 台湾澎湖諸島日本領となりました (接受)。 その年のうちに台湾平定の戦いがおおむね終結し、 台湾澎湖諸島の全域が日本台湾総督府の統治下となりました。

[214] 日本領となった台湾では、 日本の暦日本の元号が使われました。 ただそれが明示的な法手続きで実施されたかは不明です。 下関条約により国際法的に台湾日本領となった時点で、 当然に当時の日本法が適用される状態になったと考えれば、 自動的に和暦 (グレゴリオ暦)、 日本の元号 (明治)、 日本の標準時 (中央標準時) が実施されたと考えられなくもありません。 ただ実際にはその後台湾内地と異なる法域とされ、 従来の日本法は選択的にしか実施されませんでした。 従って従前の日時制度が継続したとも解釈できます。

[216] 実際上、 台湾居住の清国人 (漢民族) は、 おそらく、 当初そのまま清国暦 (時憲暦) と光緒元号を用いていたのでしょう。

[217] その他の台湾原住民は、 おそらく、 清国統治時代も日本統治時代初期も、 清国の制度と自民族の日時制度を混合して使っていたことでしょう。

[218] 日本の制度は、 日本人内地から移住し、 新しい統治制度が整備される中で次第に台湾に残った漢民族や、 台湾原住民の間にも普及していったものと推測されます。

[213] 日本領となった直後、 日本の統治機構が整備される前に台湾に在住していた清国人により設立された自称国家台湾民主国は、 永清改元しました。 首謀者は建国後すぐに清国に逃亡し、廃絶しました。 永清 それ以外にも清の元号を使い続ける反乱勢力がありましたが、 長続きしませんでした。 光緒

[227] 日本の統治が始まった直後の台湾では、 各地それぞれの地方時が使われていたようです。 西部標準時 その詳細は不明ですが、 新領地にさっそく渡航した日本の政府・軍関係者や商人が使っていたのでしょうか。 あるいは欧米系の商人や、 その取引先の漢民族系商人も西洋式時刻を使っていたのでしょうか。

標準時制定#

[131] 当初台湾では、 地域ごとに異なる地方時が用いられていて、不便だったといいます。 東京帝国大学標準時の検討があり、 政府に建議されました。

[8] 勅令第167号 標準時ニ関スル件日本西部標準時 が新設され、 台湾および澎湖諸島の全域に適用されました。 西部標準時

[228] 台湾時刻は徐々にこの西部標準時に統一されていったようです。 西部標準時

[127] Time ChangesTAIWAN REPUBLIC は、 から標準時 としていました >>1256

[93] Shanksから としていました >>94

[92] tzdataAsia/Taipeiを境に としています >>11

[146] 西暦1896年日本軍九州台湾の間の電信線 (海底ケーブル) が開通しました。

[80] 西暦1899年英国で作られた Milne時差の表では、 ITB 情報として、 台湾の時刻を としていました >>79

[229] 当時またはそれ以前に台湾電信業務で が使われたのか、あるいは日本内地からの類推なのかは不明です。

[232] 日本の元号は、 明治から大正改元されました。 台湾でも新元号に切り替わりました。


[230] 日本内地改暦後も旧暦が廃れず使われ続けたのと同じように、 台湾在住の漢民族農暦を使い続けていました。

[199] 大正3(1914)年には、 台湾の旧暦中華民国の農暦との時差によるずれが問題となりました >>176 台湾暦


[233] 日本の元号は、 大正から昭和改元されました。 台湾でも新元号に切り替わりました。

[234] 昭和時代頃、 日本では皇紀が普及していきました。 台湾でも広まったものと思われます。

[130] Time ChangesCHINA, PEOPLE'S REPUBLIC OF は、 1928年中華民国時間帯になぜか Taiwan を含めており、 標準時 としていました >>1256 中国大陸の標準時

報時システム#

[155] 台湾の時刻は、台北測候所で観測され、 島内各地の郵便局鉄道駅報時されていたといいます。

[71] 内地とは直接同期されていなかったようです。

[200] 1913年頃、 台北測候所から島内各地への報時システムが整備されました >>176

[73] 1937年標準時改正前の台湾気象観測では、 西部標準時 日界夜半24時間制が用いられていました >>72

[156] 明治30年から昭和12年中央気象台年報には、 臺灣の観測時が西部標準時との注記がありました。 その後は特記がなく、中央標準時となりました。

中央標準時の気象観測の項を参照。

[179] の新聞記事には、 次のようにありました >>178

臺灣臺中州大屯郡霧峯庄から台中市内への交通手段として、 帝糖の鉄道 (のち台湾糖業鉄道中南線) の他、 帝糖の直通自動車、 大里経由の林自動車の 2つのバス路線がありました。 2社の乗客獲得競争は激しく、 発車時刻を早めたり遅めたりしたため、 乗客は迷惑を被っていました。

そこで霧峯分室は、 霧峯駅前に標準時計塔を設置しました。

ところがこの時計は常に不正確で、 10分遅れた次の日は20分も進んでおり、 鉄道連絡の客には常に当て外れであり、 利用者はみな不満に思っていました。

[193] 報時機構の整備されていない時代ゆえのエピソードですが、 いくつかわからない点があります。 時計設置主体の「霧峯分室」は何者でしょうか。 紙面上何ら説明がなく、読者が当然に理解できたものとみられます。 政府機関でしょうか。 帝糖の鉄道は軽便鉄道線でしたが、 運行管理上時刻同期された時計くらい設置されていなかったのでしょうか。 「分室」は鉄道用報時信号を使って同期させられる関係性にはない機関だったのでしょうか。 時計塔設置前はどのように時刻を把握していたのでしょうか。 時計設置前の2社が時刻を早めたり遅めたり、というのは、 時計をいじっていたという意味ではなく、 時計を見ずに好き勝手なタイミングで発着していたと解するべきでしょうか。 帝糖は自社の鉄道線とバス線で連携もできないほどに好き勝手していたのでしょうか。

[132] 臺北測候所と臺灣の標準時 - 日本地理大系(臺灣篇), () http://ylhm.e-land.gov.tw/search.aspx?keyword=%e8%87%ba%e5%8c%97%e6%b8%ac%e5%80%99%e6%89%80%e3%81%a8%e8%87%ba%e7%81%a3%e3%81%ae%e6%a8%99%e6%ba%96%e6%99%82 http://ylhm.e-land.gov.tw/readfile.aspx?url=JPEG/R01/A03/99/R01-A03-99-99-000058205-00000-0000-i.jpg

臺北測候所と臺灣の標準時#

臺北測候所は島內の中央 測候所として臺灣に於ける氣象、地震調査、天氣豫報、暴風警報等を發布し て居る。圖の左隅に見ゆるものは經緯度實測の測點であつて、測候所の圓筒 形の風力塔の中心は東經百二十一度三十分四十九秒、北緯二十五度二十分 十九秒である。この經緯に基いて星の運行を測り時を測定するのである。臺 灣の午前十一時が內地の正午であると云ふ風に、一時間時計が遅れて居ると 云ふことは、臺灣での標準時が日本西部標準時のためで、內地の日本中央標 準時が東經百三十五度の子午線の時であるに拘らず、この西部標準時が東經 百二十度の子午線の時であるからである。臺灣澎湖島の他この西部標準時を 用ひて居る處に沖繩の八重山列島がある。 (寺本貞吉)

[178] 臺灣新民報檢索系統 () http://sinmin.nmtl.gov.tw/opencms/sinmin_data/newsXmls/19330907/05/SinminNews0007.html http://sinmin.nmtl.gov.tw/export/sites/sinmin/sinmin_data/newsContent/19330907/0907050.jpg

編號: 第 916 號

日期: 1933年09月07 日

版次: 05

標題:

當てにならぬ標準時計

折角の弊害防止も何等役に立たぬ

臺灣新民報, , 五面

[83] K20.1日数回観測の平均と平均気温 (近藤純正, ) http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke20.html

台湾の台北における1937年までの気象観測は当時の西部標準時 (東経120度を基準)で行われていたが、1938年以後は日本中央標準時 (東経135度基準)で行われるようになった。

資料

中央気象台編、1930~1940:中央気象台年報.

中央標準時採用#

[2] 西部標準時 から中央標準時 標準時が変更されました >>48, >>47 (内臺時差撤廢)。

[49] これは昭和12年勅令第529号によるもので、 沖縄県も含めて西部標準時は廃止されました >>48。 昭和12年台湾総督府告示第207号 臺灣ノ標準時ヲ中央標準時ニ改正 によると、となりました >>47

[203] 中央標準時統一に先立ち台湾軍 (日本軍台湾駐留部隊) はをもって中央標準時に切り替えています >>202

この「午前0時」がどちらの時間帯かは不明瞭ですが、 でしょう。
[81] 改正の経緯は、大東亜の標準時を参照。

[95] tzdataAsia/Taipei は、 を境に としています >>11

[158]標準時改正は、 臺灣経度にとっては約1時間の通年夏時刻の採用に相当するものでした。

[164] 時差撤廃後はあちこちで苦情の声が上がっていた >>161 ようです。

[157] 標準時の改正に伴い、官庁学校は、 就業時間を1時間繰り下げ (表示上の時刻が1時間遅れで、 実際の時刻はそのまま) としました。 鉄道もこれに合わせて運行しました。 1時間遅れの始業では午前が短くなるため、 昼食を何時に取るべきかという問題も生じました。 正午とするのが一般的でしたが、 工場では作業能率が低下しないよう、 としていました。 >>69

[192] 日本政府税関は、 西部標準時廃止に伴い、 執務時間と昼食時間を表示上1時間繰り下げ (= 実際の時間帯を維持し) ました >>180

[159] 一方で銀行法令で固定された営業時間のまま (表示上の時刻がそのまま、実際の時刻は1時間早く) となりました。 >>69

[160] せっかく内台標準時を一致させたのに、 勤務時間が一致しないのでは不便なままであるとして、 1時間繰り下げには批判もありました >>69

[82] しかしこうした措置は、 そのままの時刻とした場合に学校の始業が日の出前になるため、 睡眠不足による健康被害なども含めた検討が行われた上で実施されたものでした。 (大東亜の標準時参照。) そうした事情を考慮せず内地から他人事のように批判されても迷惑だったことでしょう。 もっともそうした批判は内地からだけではありませんでした。

[163] 臺灣で活動した実業家で、 時差撤廃を推進した臺北商工會にも所属していた三卷俊夫は、 改正直後のの新聞への寄稿で、 時差撤廃で就業時間が統一されなければ意味がないと非難しました。 南中前に正午となるのは不自然と認めつつも、 不自然を承知して時差撤廃したのだから、 太陽ではなく時刻に従うべきであり、 就業時間は原則元の時刻 (改正前の表示上の時刻、 実質的には1時間の繰り上げ) で統一するべき、 学校や鉄道の時刻も改正するべき、と訴えました。 日の出前の出勤については、 内地ほど寒冷ではないから早起き可能だと主張しました。 >>153 米領フィリピンケーソン時間が終業後の野外運動を推奨していたことを紹介し、 就業時間を早めて野外運動の時間に充てるのがよいと主張しました。 >>161

[165] もっともそのケーソン時間前年に一度実施されたのみで、 すぐに廃止されてしまいました。

[172] 臺灣総督府警務局衞生課の曾田長宗 (公衆衛生学者。後に台北帝国大学医学部教授、厚生省などで近代衛生統計学を確立、森永ヒ素ミルク中毒事件対策に尽力。) は、臺灣総督府の機関紙で、 時差撤廃後の業務時間問題について日の出時刻と睡眠時間の関係を通じた健康問題の観点から解説し、 無条件に内地と一致させることを良しとする一部意見に反論しました。 次のような内容が説明されていました。 >>162

  • [166] 昭和11年秋から時差撤廃の是非が激しく議論され、 10月に実施された。 少なくても当面は時差撤廃可否は議論の余地がない。
  • [167] 各団体の業務時間は暫定的に定まったが、 実施経験から若干の改正はあろう。
    • 臺灣総督府内は当初据え置き (実質1時間繰り上げ) の意向が強かったが、 各方面の意見を踏まえ1時間繰り下げ (実質同時間帯) となった。
    • 未だに据え置き時刻で内地と一致させろと主張する者がいる。
  • [168] 業務時間の変更で睡眠時間が変化し疲労回復に影響が出るので、住民の健康の問題になる。
    • 臺灣と各地の日の出と始業時間の関係を検討。 内地と完全に一致させると始業まで短すぎ、 日の出の1、2時間前に起床することになる。 よほどの根拠がなければ採用できない。
  • [169] 睡眠の重要性!
  • [170] 欧米の夏時刻のようなものは、 臺灣日の出日の入り時刻には合わない。
  • [171] 昼食時間問題は業務時間繰り下げにより13時が適切。
    • やむを得ず12時とするなら、15時にラジオ体操するなど配慮が必要。
[173] 熱帯に位置する臺灣の気候における通年夏時刻健康問題を扱った論文ですが、 ちょっと書き換えれば東京五輪の猛暑対策で夏時刻を実施するべきと主張する 平成30(2018)年の日本の騒動にも当てはまりそうですね。

[198] この時差撤廃は、 台湾民暦からの迷信的暦注排除の名目にも使われました >>175 台湾民暦

[96] Shanks (2003) は本改正の記述がなく、その後も のままとしています >>94日本先島諸島の記述も誤っています。 Time Changes にも本改正の記述がありません。


[108] 昭和13(1938)年大日本帝国無主地だった新南群島を編入し、 台湾管下としました。 標準時について法令で明確な定めはなかったとみられますが、 台湾と同じく中央標準時 が適用されたものと考えられます。

[204] 正式な領土編入以前から調査のため日本人が渡航していましたから、 以前から中央標準時西部標準時が用いられていた可能性もあります。

[205] 逆に、離島ゆえ、実際には地方時が用いられていた可能性もあります。

東南アジアの標準時


[185] 昭和時代 (西部標準時廃止前も廃止後も)、 内地では夏時刻の実施が検討されました。 実現した場合、 西部標準時地域もこれに追随して西部の夏時刻 を実施する、あるいは時差撤廃後の夏時刻 (実質二重夏時刻) を実施するという選択を迫られた可能性がありました。 仮に台湾 が実施されれば、かなりの不便を被っていたと思われます。 しかしそこまで具体化することなく廃案となりました。

[180] 公文類聚・第六十一編・昭和十二年・第四十一巻・官職三十九・任免(内閣~雑載) (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000007210&ID=M0000000000001765404&TYPE=&NO=

明治四十二年勅令第百二十二号台湾ニ於ケル税関執務時間ニ関ス...

西部標準時復帰#

[208] 日本政府は、 台湾の領有権放棄を要求する連合国ポツダム宣言を受諾しました。

[103] 、 昭和20年台湾総督府告示第386号により から 標準時が変更されました >>102とされており >>102、 午前0時から午前1時直前までが二度繰り返されたことになります。

[74] 台湾中華民国 (蒋介石政権) が進駐することが決まっており、 おそらくは中華民国の意向で、中華民国の海岸部の標準時である に切り替えることになったものと思われます。

[75] なお、この当時中華民国 (大陸) 海岸部では夏時刻 が用いられていたと見られますが、ほぼ同時期に標準時 に復帰したものと思われます。 中国大陸の標準時

[184] 西部標準時廃止台湾総督府告示だけでなく、 日本本国の勅令改正もありました。 この度の旧標準時への復帰は旧告示廃止する新告示という形になっており、 日本本国の勅令改正されませんでした。 厳密にいえば法令の不整合でしょうが、 時局柄気にする人もいなかったのでありましょう。

[201] 当時の住民 (漢民族、後の本省人) の日記で、 に 「時間一時遅ル」 と記録されたものがありました >>177。 いつ書き込んだかは不明です。

[99] tzdataAsia/Taipei は、 を境に としています >>11。 出典は台湾総督府告示です。

中華民国時代#

[107] 中華民国台湾に進駐しました。 臺灣台湾総督府にかわって台湾行政長官公署の統治下となりました。 (日本政府機関としての台湾総督府は翌1946年に廃止されました。)

[215] 中華民国台湾省では、 従来の日本の元号昭和皇紀にかわって、 中華民国が使われるようになりました。

[209] 同じ頃、 漢土中華民国汪兆銘政権崩壊により、 福建省東沙諸島中華民国蒋介石政権の統治下に入りました。
[87] 中華民国台湾行政長官公署にかわって台湾省を設置しました。

[3] 台湾澎湖諸島新南群島中華民国の支配地域では、 引き続き 標準時として用いました。

[12]日本領台湾の範囲外で現在中華民国の施政下にある福建省金門馬祖、それに東沙諸島も同じ を用いました。

[65] 1948年中華民国全國各地標準時間推行辦法を制定し、 臺灣を含むこれらの地域の標準時 であることが中華民国法として明文化されました。 中国大陸の標準時

[66] 実態としては台湾総督府告示によって定められた標準時中華民国の支配下になった後も用いられていたのですが、 中華民国は元の台湾で実施されていた法令にかえて中華民国本国の法令台湾でも実施したようで、 この時まで法令上の標準時は不明瞭な状態だったことになります。
[88] 国共内戦に敗れた中国国民党政府が大陸から台湾に移転しました。

[104] 1945年から1961年までと 1974年1975年1979年には中華民国 (蒋介石政権) で夏時刻が実施されています >>41

[40] このうち、1945年まで夏時刻 >>39, >>43 でした。台湾総督府はそれより10日早い から に切り替えています (>>103)。 どちらも台湾中華民国への移管 (>>107) 前のことですから、この年の中華民国夏時刻台湾では実施されなかったことになります。

[97] Shanks (2003) はから から としています >>94。 これは中華民国 (支那大陸) の夏時刻の期間であり、誤りです。

[9] Yu-Cheng Chuang の調査 >>43 によると、 1946年以後台湾夏時刻が実施されたのは次の期間です。

民国紀元西暦夏時刻開始日夏時刻最終日
3519465/159/30
3619474/1510/31
3719485/19/30
3819495/19/30
3919505/19/30
4019515/19/30
4119523/110/31
4219534/110/31
4319544/110/31
4419554/19/30
4519564/19/30
4619574/19/30
4719584/19/30
4819594/19/30
4919606/19/30
5019616/19/30
6319744/19/30
6419754/19/30
6819797/19/30

[77] 切り替え時刻は法令に書かれていないこともありますが、 年と部署によっては0時や24時と明記されています。

[46] tzdataAsia/Taipei は、いずれも0時に1時間進め、または戻したとしています >>45

[44] 中華民國交通部中央氣象局Webサイトは、 1945年から1951年の期間を5月1日から9月30日としていました >>39。 しかし Yu-Cheng Chuang は当時の政府文書を調査し、 1946年と1947年の時期が誤りであることを示しています >>43

[129] Time ChangesTAIWAN REPUBLIC1945年から1951年について から1952年から1975年まで前表と一致、 1979年は該当なし、 1980年から としていました >>1256

[98] Shanks (2003) は1946年と1947年も5月1日0時0分から 、 10月1日0時0分から としています。 1948年から1975年は前表と一致しています。 1979年は変更がなく、 から から としていました。 >>94

[151] 当時の新聞によると、 1961年をもって夏時刻制を廃止した後の 1962年以後も、 夏令時間と官公庁の夏季営業時間制度が呼ばれていたようです。


[89] 1955年大陳島中華民国が失陥して中華人民共和国の統治下になり、 現在の中華民国の統治地域が確定しました。

[91] 日本国会で、 社会党伊藤顕道が米国および日台韓の防衛協力に関して、 軍事的理由で3国の標準時が統一されたのではないかと尋ねています。伊藤は 「台湾が、やはりこの防空共同体制の一環として台湾がこの標準時を日本に合わせておるわけです。」 と発言しています。 >>90 しかし日本政府大韓民国とそのような調整を行ってはいないと完全否定していますし、 台湾でこの時 が用いられたとする情報は他に見当たりません。 大韓民国標準時改正に米軍 (司令部は日本国内の米軍基地) が関与していたのは事実のようですが、日本政府台湾は、おそらく無関係でしょう (当時台湾にも米軍は駐留していましたが)。

[64] には、中華民国領土全体の時間帯区割りを規定していた 全國各地標準時間推行辦法が廃止されました >>63

[67] その後標準時法令上どのような扱いとなっているのかは不明です。

[23] 函轉行政院規定節約能源實施「日光節約時間」 (民國68年臺灣省政府函) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%87%BD%E8%BD%89%E8%A1%8C%E6%94%BF%E9%99%A2%E8%A6%8F%E5%AE%9A%E7%AF%80%E7%B4%84%E8%83%BD%E6%BA%90%E5%AF%A6%E6%96%BD%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%85%89%E7%AF%80%E7%B4%84%E6%99%82%E9%96%93%E3%80%8D_(%E6%B0%91%E5%9C%8B68%E5%B9%B4%E8%87%BA%E7%81%A3%E7%9C%81%E6%94%BF%E5%BA%9C%E5%87%BD)

[24] 行政院函為節約用電實施「日光節約時間」自六十四年四月一日零時起至九月三十日二十四時止 (民國64年臺灣省政府函) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%A1%8C%E6%94%BF%E9%99%A2%E5%87%BD%E7%82%BA%E7%AF%80%E7%B4%84%E7%94%A8%E9%9B%BB%E5%AF%A6%E6%96%BD%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%85%89%E7%AF%80%E7%B4%84%E6%99%82%E9%96%93%E3%80%8D%E8%87%AA%E5%85%AD%E5%8D%81%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%9B%9B%E6%9C%88%E4%B8%80%E6%97%A5%E9%9B%B6%E6%99%82%E8%B5%B7%E8%87%B3%E4%B9%9D%E6%9C%88%E4%B8%89%E5%8D%81%E6%97%A5%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E6%99%82%E6%AD%A2_(%E6%B0%91%E5%9C%8B64%E5%B9%B4%E8%87%BA%E7%81%A3%E7%9C%81%E6%94%BF%E5%BA%9C%E5%87%BD)

[26] 行政院函為節約用電實施「日光節約時間」自四月一日零時起至九月三十日二十四時止 (民國63年臺灣省政府函) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%A1%8C%E6%94%BF%E9%99%A2%E5%87%BD%E7%82%BA%E7%AF%80%E7%B4%84%E7%94%A8%E9%9B%BB%E5%AF%A6%E6%96%BD%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%85%89%E7%AF%80%E7%B4%84%E6%99%82%E9%96%93%E3%80%8D%E8%87%AA%E5%9B%9B%E6%9C%88%E4%B8%80%E6%97%A5%E9%9B%B6%E6%99%82%E8%B5%B7%E8%87%B3%E4%B9%9D%E6%9C%88%E4%B8%89%E5%8D%81%E6%97%A5%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E6%99%82%E6%AD%A2_(%E6%B0%91%E5%9C%8B63%E5%B9%B4%E8%87%BA%E7%81%A3%E7%9C%81%E6%94%BF%E5%BA%9C%E5%87%BD)

[28] 電府屬各機關學校為本年夏令時間奉令延長至卅六年十月卅一日午夜廿四時止 (民國36年臺灣省政府代電) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%BA%9C%E5%B1%AC%E5%90%84%E6%A9%9F%E9%97%9C%E5%AD%B8%E6%A0%A1%E7%82%BA%E6%9C%AC%E5%B9%B4%E5%A4%8F%E4%BB%A4%E6%99%82%E9%96%93%E5%A5%89%E4%BB%A4%E5%BB%B6%E9%95%B7%E8%87%B3%E5%8D%85%E5%85%AD%E5%B9%B4%E5%8D%81%E6%9C%88%E5%8D%85%E4%B8%80%E6%97%A5%E5%8D%88%E5%A4%9C%E5%BB%BF%E5%9B%9B%E6%99%82%E6%AD%A2_(%E6%B0%91%E5%9C%8B36%E5%B9%B4%E8%87%BA%E7%81%A3%E7%9C%81%E6%94%BF%E5%BA%9C%E4%BB%A3%E9%9B%BB)

[29] 國防最高委員會規定全國各地自三十四年五月一日起至九月三十日止將時間提前一小時令仰遵照并飭屬遵照由 (民國34年國民政府訓令) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%9C%8B%E9%98%B2%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%A7%94%E5%93%A1%E6%9C%83%E8%A6%8F%E5%AE%9A%E5%85%A8%E5%9C%8B%E5%90%84%E5%9C%B0%E8%87%AA%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E4%BA%94%E6%9C%88%E4%B8%80%E6%97%A5%E8%B5%B7%E8%87%B3%E4%B9%9D%E6%9C%88%E4%B8%89%E5%8D%81%E6%97%A5%E6%AD%A2%E5%B0%87%E6%99%82%E9%96%93%E6%8F%90%E5%89%8D%E4%B8%80%E5%B0%8F%E6%99%82%E4%BB%A4%E4%BB%B0%E9%81%B5%E7%85%A7%E5%B9%B6%E9%A3%AD%E5%B1%AC%E9%81%B5%E7%85%A7%E7%94%B1_(%E6%B0%91%E5%9C%8B34%E5%B9%B4%E5%9C%8B%E6%B0%91%E6%94%BF%E5%BA%9C%E8%A8%93%E4%BB%A4)

[30] 夏令「日光節約時間」自本年起停止實施 (民國65年臺灣省政府函) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%8F%E4%BB%A4%E3%80%8C%E6%97%A5%E5%85%89%E7%AF%80%E7%B4%84%E6%99%82%E9%96%93%E3%80%8D%E8%87%AA%E6%9C%AC%E5%B9%B4%E8%B5%B7%E5%81%9C%E6%AD%A2%E5%AF%A6%E6%96%BD_(%E6%B0%91%E5%9C%8B65%E5%B9%B4%E8%87%BA%E7%81%A3%E7%9C%81%E6%94%BF%E5%BA%9C%E5%87%BD)

[31] 電本省所屬各機關學校為三月一日零時起全國實行日光節約時間 (民國41年臺灣省政府代電) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%9C%AC%E7%9C%81%E6%89%80%E5%B1%AC%E5%90%84%E6%A9%9F%E9%97%9C%E5%AD%B8%E6%A0%A1%E7%82%BA%E4%B8%89%E6%9C%88%E4%B8%80%E6%97%A5%E9%9B%B6%E6%99%82%E8%B5%B7%E5%85%A8%E5%9C%8B%E5%AF%A6%E8%A1%8C%E6%97%A5%E5%85%89%E7%AF%80%E7%B4%84%E6%99%82%E9%96%93_(%E6%B0%91%E5%9C%8B41%E5%B9%B4%E8%87%BA%E7%81%A3%E7%9C%81%E6%94%BF%E5%BA%9C%E4%BB%A3%E9%9B%BB)

[32] 電省屬各機關學校為奉行政院令自五月一日零時起施行夏令時間 (民國39年臺灣省政府代電) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%BB%E7%9C%81%E5%B1%AC%E5%90%84%E6%A9%9F%E9%97%9C%E5%AD%B8%E6%A0%A1%E7%82%BA%E5%A5%89%E8%A1%8C%E6%94%BF%E9%99%A2%E4%BB%A4%E8%87%AA%E4%BA%94%E6%9C%88%E4%B8%80%E6%97%A5%E9%9B%B6%E6%99%82%E8%B5%B7%E6%96%BD%E8%A1%8C%E5%A4%8F%E4%BB%A4%E6%99%82%E9%96%93_(%E6%B0%91%E5%9C%8B39%E5%B9%B4%E8%87%BA%E7%81%A3%E7%9C%81%E6%94%BF%E5%BA%9C%E4%BB%A3%E9%9B%BB)

[33] 電省屬各機關學校為奉行政院令自五月一日零時起施行夏令時間 (民國40年臺灣省政府代電) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%BB%E7%9C%81%E5%B1%AC%E5%90%84%E6%A9%9F%E9%97%9C%E5%AD%B8%E6%A0%A1%E7%82%BA%E5%A5%89%E8%A1%8C%E6%94%BF%E9%99%A2%E4%BB%A4%E8%87%AA%E4%BA%94%E6%9C%88%E4%B8%80%E6%97%A5%E9%9B%B6%E6%99%82%E8%B5%B7%E6%96%BD%E8%A1%8C%E5%A4%8F%E4%BB%A4%E6%99%82%E9%96%93_(%E6%B0%91%E5%9C%8B40%E5%B9%B4%E8%87%BA%E7%81%A3%E7%9C%81%E6%94%BF%E5%BA%9C%E4%BB%A3%E9%9B%BB)

[34] 電省屬各機關學校為奉行政院電知本年夏令時間仍照成例鐘點撥早一小時 (民國38年臺灣省政府代電) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%BB%E7%9C%81%E5%B1%AC%E5%90%84%E6%A9%9F%E9%97%9C%E5%AD%B8%E6%A0%A1%E7%82%BA%E5%A5%89%E8%A1%8C%E6%94%BF%E9%99%A2%E9%9B%BB%E7%9F%A5%E6%9C%AC%E5%B9%B4%E5%A4%8F%E4%BB%A4%E6%99%82%E9%96%93%E4%BB%8D%E7%85%A7%E6%88%90%E4%BE%8B%E9%90%98%E9%BB%9E%E6%92%A5%E6%97%A9%E4%B8%80%E5%B0%8F%E6%99%82_(%E6%B0%91%E5%9C%8B38%E5%B9%B4%E8%87%BA%E7%81%A3%E7%9C%81%E6%94%BF%E5%BA%9C%E4%BB%A3%E9%9B%BB)

[35] 電省屬各機關學校為本年夏令時間自五月一日零時起至九月卅日午後廿四時止 (民國38年臺灣省政府代電) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%BB%E7%9C%81%E5%B1%AC%E5%90%84%E6%A9%9F%E9%97%9C%E5%AD%B8%E6%A0%A1%E7%82%BA%E6%9C%AC%E5%B9%B4%E5%A4%8F%E4%BB%A4%E6%99%82%E9%96%93%E8%87%AA%E4%BA%94%E6%9C%88%E4%B8%80%E6%97%A5%E9%9B%B6%E6%99%82%E8%B5%B7%E8%87%B3%E4%B9%9D%E6%9C%88%E5%8D%85%E6%97%A5%E5%8D%88%E5%BE%8C%E5%BB%BF%E5%9B%9B%E6%99%82%E6%AD%A2_(%E6%B0%91%E5%9C%8B38%E5%B9%B4%E8%87%BA%E7%81%A3%E7%9C%81%E6%94%BF%E5%BA%9C%E4%BB%A3%E9%9B%BB)

[36] 電知實行夏季時間 (民國35年臺灣省行政長官公署代電) - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9B%BB%E7%9F%A5%E5%AF%A6%E8%A1%8C%E5%A4%8F%E5%AD%A3%E6%99%82%E9%96%93_(%E6%B0%91%E5%9C%8B35%E5%B9%B4%E8%87%BA%E7%81%A3%E7%9C%81%E8%A1%8C%E6%94%BF%E9%95%B7%E5%AE%98%E5%85%AC%E7%BD%B2%E4%BB%A3%E9%9B%BB)

現代#

[50] 現在、中華民国經濟部標準檢驗局の委託により中華電信研究院國家時間與頻率標準實驗室UTC(TL) を管理しています >>52, >>51


[116] 2017年Yohan Ting標準時 に改正することを提案しました。 中華人民共和国と距離を置けることや、 日本の標準時大韓民国の標準時と一致することがメリットとされています。 >>109

[145] この提案には多くの賛同が集まり、 台湾政府で検討されました。 しかし台湾政府は否定的な見解を表明しました >>133

[109] 我國應調整時區至GMT +9 - 提點子-公共政策網路參與平臺 (Yohan Ting ) https://join.gov.tw/idea/detail/90028e3c-f785-438a-836b-25b0b8fb8e1b

提議內容或建議事項

提議我國時區由目前的 GMT +8 提前至 GMT +9,與日韓相同,脫離中國大陸標準時區

利益與影響

台灣其實在過去也曾經屬於GMT +9時區,與台灣類似經度的南北韓也屬於GMT +9時區,由 GMT +8改為 GMT  +9也可象徵性的脫離中國(GMT +8)的從屬,讓到台灣的陸客或是外國旅客淺意識體會到台灣與中國大陸的互不相從屬關係

且台灣所處的地區,如果時區提前1小時,在冬季下班時間不會這麼暗,夏季也可充分利用陽光

[110] 「台湾の標準時変更を」 市民が発議 中国大陸の従属からの脱却ねらう | 社会 | 中央社フォーカス台湾 () http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201710200001.aspx

同提案に対する意見の総数は19日、立案に必要となる5000件を突破。2カ月以内に所管機関から回答が出される。

[118] 「中原標準時間」也要被消失? - 中時電子報 (2017年10月20日 01:03 中國時報 洪凱音/台北報導 中時電子報著, ) http://www.chinatimes.com/newspapers/20171020000455-260114

[119] 反制改時區 民眾提案維持台灣現有時區 - 中時電子報 (2017年10月22日 10:50 工商 崔慈悌 中時電子報著, ) http://www.chinatimes.com/realtimenews/20171022001300-260407

[121] 飛同小可 航空業憂飛安 - 中時電子報 (2017年10月20日 01:03 中國時報 陳祐誠、周毓翔、郭建伸/台北報導 中時電子報著, ) http://www.chinatimes.com/newspapers/20171020000457-260114

[122] 挖歷史說真相 連署改時區去中國化太好笑! - 中時電子報 (2017年10月19日 11:20 中時電子報 徐秀娥/綜合報導 中時電子報著, ) http://www.chinatimes.com/realtimenews/20171019002440-260405

[123] 台灣改「日韓時區」連署成功 主管機關須2個月內回應 - 中時電子報 (2017年10月19日 21:51 中時電子報 丁世傑 中時電子報著, ) http://www.chinatimes.com/realtimenews/20171019005736-260407

[125] 改時區脫離大陸?丁守中酸:改自己的中國姓不更簡單? - 中時電子報 (2017年10月20日 18:09 旺報 徐維遠 中時電子報著, ) http://www.chinatimes.com/realtimenews/20171020004795-260407

[126] 改時區「去中國化」?葉毓蘭諷:改美東時間更省事 - 中時電子報 (2017年10月20日 11:42 中時電子報 黃以謙 中時電子報著, ) http://www.chinatimes.com/realtimenews/20171020002776-260407

近期網上發起改時區連署,希望台灣能提前1小時,與日韓同步,並藉此去中國化。對此,亞洲警察學會秘書長葉毓蘭痛批,少沒出息了!要改就改成不中不日的GMT+8.5,或乾脆與美東時間同步,這樣熱線更方便。

葉毓蘭今(20日)在臉書發文,對改時區的輿論提供意見。她表示,為了和中國不同,就要改時區?那要不要陳林李張、趙錢孫李等姓氏都一起改,甚至四川料理、上海菜,最好連大米、麵條都不要吃了!

[120] 台灣改時區?鄭智化:代表自己是日本人?低能! - 中時電子報 (2017年10月20日 23:29 中時電子報 吳玫穎 中時電子報著, ) http://www.chinatimes.com/realtimenews/20171020005805-260404

[128] 「台湾のタイムゾーンを日本に合わせよう!」という提案を台湾芸能人が「低能」と一蹴=台湾メディア-サーチナ (2017-10-23 16:12 ) http://news.searchina.net/id/1646422?page=1

[124] 沢山の人が真剣に考えている問題を自分の意見に合わないという理由だけで低能と罵る自己紹介芸能人と、 数ある記事から敢えてそれだけ選んでわざわざ翻訳記事にする大陸系ゴシップサイトサーチナとかいう絶妙な取り合わせよwww

[16] 台湾の標準時変更か現状維持か 内政部「変更の効果は限定的」 | 社会 | 中央社フォーカス台湾 () http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201712200002.aspx

先月24日、提案に関する会議が行われ、発議者や賛同者、所管機関の内政部をはじめとする関係機関の職員が意見を交わした。

内政部によると、変更を求める発議者の発議理由にからみ、標準時の変更により台湾と中国大陸の関係を明確化できるか、国際的存在感を高められるかが会議の重点とされた。出席者は概ね、効果には限りがあるとの考えを示し、台湾のソフトパワーを宣伝、あるいは人権問題に対する成果を宣揚することで台湾と中国大陸の違いを世界に知ってもらうよう提案した。

内政部は、標準時変更は国民の生活リズムには影響がないものの、日光の活用による節電効果には限りがあるとし、変更初期には交通安全にリスクが生じる恐れがあるほか、交通機関のダイヤ調整などで印刷費などのコストが増えるなどの可能性を指摘している。

[133] 我國應調整時區至GMT +9 - 提點子-公共政策網路參與平臺 () https://join.gov.tw/idea/detail/90028e3c-f785-438a-836b-25b0b8fb8e1b

回應日期 2017-12-19 (已編輯) 回應機關內政部

[134] 網友提案台灣時區「同步日韓」內政部回應了 - 生活 - 自由時報電子報 () http://news.ltn.com.tw/news/life/breakingnews/2289383

[135] Petition calls for change of Taiwan's time zone from China's to GMT +9 | Taiwan News (2017/10/23 17:28 Taiwan News著, ) https://www.taiwannews.com.tw/en/news/3280802

[136] Petition to jump time zone passes official threshold - Taipei Times (Sat, Oct 21, 2017 ) http://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2017/10/21/2003680754

[137] Petition to jump time zone (to UTC +9) passes official threshold : taiwan (投稿日 21 Oct 2017 ) https://www.reddit.com/r/taiwan/comments/77sqr0/petition_to_jump_time_zone_to_utc_9_passes/

[138] Move Taiwan to a different time zone! - Taiwan / Living in Taiwan - Forumosa (Jun 2004 ) http://tw.forumosa.com/t/move-taiwan-to-a-different-time-zone/10551

[139] 台湾の標準時が変わる!?そこから見える台湾の「脱中華」 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ () http://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/taiwan-time-zone

金門・馬祖・東沙諸島#

[181] 金門馬祖東沙諸島は、地理的にはアジア大陸に近い離島ですが、 中華民国の大陸領土喪失後も現在まで中華民国政府の統治下にあります。

[182] これらの地域は大日本帝国台湾には属していませんでした。 国共内戦以前は中国大陸と同じ時刻を使っていたものと思われます。 中国大陸の標準時

[434] 東沙諸島プラタス島日本人が入植して台湾に編入するよう政府に要請しましたが、 国領土であることを確認しています >>433。 当時日本人がどのような時刻を用いたか定かではありませんが、 国の海岸時台湾西部標準時も当時 でした。

[183] 現在金門馬祖東沙諸島台湾と同じ時刻を使っているようです。

新南群島#

[25] 中華民国が領有を主張する新南群島 (南沙諸島) の一部は中華人民共和国フィリピンマレーシアベトナム実効支配しています。

[54] 中華民国支配地域では本項の台湾の標準時が、それ以外では各国の標準時が適用されているものと思われます。

[58] 1948年時点の中華民国法令上は全域で本項の台湾の標準時が適用されているものと思われます。

尖閣諸島#

[55] 中華民国 (と中華人民共和国) が領有を主張する尖閣諸島は、 日本国実効支配しています。 日本国法令上、尖閣諸島には日本標準時が適用されています。

[57] 中華民国法令上は本項の台湾の標準時が適用されているものと思われます。

[106] なお、尖閣諸島を含む先島諸島は、 かつて台湾大日本帝国の統治下にあり西部標準時が実施されていた時代、 同じく西部標準時が実施されていました。

日本の標準時を参照。

大陸領土#

[56] 中華民国が領有を主張し、一部は実際にかつて支配していたアジア大陸の各地 (支那満州蒙古ウイグルチベットなどの大陸地区) は、現在中華人民共和国ロシア蒙古ミャンマーインドなどが実効支配しています。

[59] 大陸支配時代の標準時の区割りの法令は既に廃止されており (>>64)、 現在は標準時未制定状態なのでしょうか。 中国大陸の標準時

[235] 各地の実情は、各項を参照。 中国大陸の標準時満州の標準時蒙古の標準時ウイグルの標準時ロシアの標準時チベットの標準時ミャンマーの標準時

[236] 雲南方面からタイに逃れた国民党の落人村については、 タイの標準時参照。

中華人民共和国の台湾#

[60] 中華人民共和国中華民国実効支配する台湾その他の全域を自国領土と主張しています。

[61] 中華人民共和国法令上の扱いは不明ですが、 現在中国大陸全土で実施している標準時台湾にも適用されるものと思われます。 中国大陸の標準時

[62] 中華人民共和国標準時中華民国台湾の標準時 ですから、現在は実質的に同じものです。 かつてはそれぞれで夏時刻を実施していた期間があり、 1時間のずれが生じていました。

台湾の元号#

[237] 台湾では、統治してきた諸勢力の元号が使われました。 現在は中華民国民国紀元が使われています。

[219] 台湾の元号

[238] 大日本帝国時代は皇紀西暦が併用されました。

[239] 中華民国時代は西暦が併用されています。

[240] 他に干支年十二支年が併用されています。 一部で仏暦なども使われています。

メモ#

[100] Shanks (2003) は、 CHINATAIWAN に重複して台湾の情報を記載しています >>94。 両者とも時刻に関しては同一内容です。

[101] 他の実効支配していない領土については必ずしも情報を重複掲載していないように見えるので、 なぜ台湾支那に含まれているのかは、よくわかりません。
  • [196] 官暦と民間暦を通してみる伝統と近代の交錯 -日本統治時代の「台湾民暦」と国民党統治時代の「農民暦」を中心に-, 游舒婷,
    • [175] () http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/14966/1/14-22.pdf
    • [197] https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=8302&item_no=1&page_id=13&block_id=21
    • [175]

      「國語普及、風氣一變、復非墨守舊株之時(筆者訳=国語が普及 し、気風も変わった今日において杓子定規の様には行けず)」、さらに時間の一体化が要求されるた め、「茲機内臺時差撤廢(筆者訳=内地と台湾の時差撤廃という時宜を得た)」という名目で暦注の姿 が一切廃除された(『昭和 13 年台湾民暦』1938)。

      [176]

      1914(大正 3)年の新聞紙 に「暦の問題―対岸暦と台湾民暦」というタイトルで報道された。 台湾民暦に旧暦の 9 月 は 30 日にて大の月であるのに対し、対岸暦では 29 日止にて小の月となる。台湾人はどちらに従うの がいいかと議論された。その相違をもたらす原因は「支那中央観象台」と「台北測候所」のそれぞれ によって測定された入朔時刻に一日のズレが生じたことにある(『台湾日日新報』1914. 11. 28)。

      この記事の執筆者は林澄清である。前述したが、林は台湾総督府の雇員であった一方、日師でもあ った。林は、「日の吉凶は無論陰暦にて算出するのである」「台湾居住の者は台湾民暦の測算に従ふべ きは勿論にて、対岸人とっても殊に福建・広東人は真に吉凶の判断を求めんとならば、矢張り台湾民 暦の指示する日取を信じてよいのである」と述べている。「真の吉凶」を理由として日師や民衆に、 時間の標準を台湾民暦、すなわち台北測候所のデータに従うべきだと勧告していた。

      清国統治末期の台湾では、西洋の砂時計や線香など多くの計時用具があったが、政府が民間の 様々な計時用具に対し一定の標準時を維持させた形跡はみられない。およそ 1913 年になってから、 台湾全島の統一時報システムが確立され、台北測候所との間で正確な時刻合わせができるように規定 された(呂紹理 2006:59)。

      [195] 参照されているのは >>194 の元の本。

      [177]

      1937(昭和 12)年、日中全面戦争に突入、時間の一体化が要求され、台湾は西部標 準時(東経 120 度)から日本の標準時(東経 135 度)の使用地域に入った。9 月 30 日の『台湾日日 新報』夕刊第 1 面で、「今夜十一時、お宅の時計を一時間進め、午前零時にして下さい」と布告され ている。国民党政府が台湾を接収した後、台湾は「中原標準時」(東経 120 度)の使用地域に入っ た。それによって、1945 年 9 月 21 日に、宮本世材は「時間一時遅ル」と気づいたと思われる。

[17] 台灣時區變換的八卦 - Yu-Cheng Chuang ( 版) https://blog.yorkxin.org/posts/2013/08/26/time-zone-in-taiwan/

[149] 國立公共資訊圖書館 數位典藏服務網 ─ 查詢服務 () http://das.ntl.gov.tw/sp.asp?xdurl=BrowseTopic/gipControler.asp&uid=topic_result_detail&cur_do_index=1&xml_id=0000123517&ctNode=213&dtdname=+%3A+%E8%88%8A%E5%A0%B1%E7%B4%99

本省昨日起施行夏令時間,上午十一時發放午音

[150] 國立公共資訊圖書館 數位典藏服務網 ─ 查詢服務 (1962/05/25 ) http://das.ntl.gov.tw/sp.asp?xdurl=BrowseTopic/gipControler.asp&uid=topic_result_detail&cur_do_index=1&xml_id=0001723101&ctNode=213&dtdname=+%3A+%E8%88%8A%E5%A0%B1%E7%B4%99

夏令時間今年廢止,辦公減兩小時

[261] 中華民國一百一十二年政府行政機關辦公日曆表 行政院人事行政總處全球資訊網-DGPA--公告, 文號:中華民國111年6月7日行政院院授人培字第1113026663號函, 公告時間:111.06.07, https://www.dgpa.gov.tw/information?uid=83&pid=11013

[260] 歲時祭儀專區, https://www.cip.gov.tw/zh-tw/news/data-list/0991B05985DBFF77/index.html?cumid=0991B05985DBFF77

[457] https://kwansei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=27746&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1