永和

永和

永和 (日本)

永和の延長年号

[11] 日本国東京都府中市本町出土 板碑 (府中市教育委員会所蔵) 永和五年 五月十六日 >>390 04

[12] 日本国東京都府中市 板碑 (府中市郷土の森博物館所蔵) 永和五年八月 日 >>390 05

[13] 府中市の板碑で永和五年銘が6基、康暦元年は0基。 永和5年3月22日より後の延長年号のものが5基。 >>390 (8月が遅い例らしい。9月から12月は0基ということか。)

永門

[5] 資料総目録, 東京都中野区教育委員会中野区史料館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3448981/1/19 (要登録)

h-21 永門5年3月 板碑

[6] 志木市史 民俗資料編 2 (石造遺物), 志木市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642260/1/48 (要登録)

永和4年板碑 1基

富士見市 3基

朝霞市 2基

私年号「永門」と思われたが「門」の草書に見えたのは「わ」の変形

同一石工の作と思われる

[8] 日本私年号の研究 普及版 pp.185-188 永ワ 板碑 朝霞町、中野区資料館

埼玉県朝霞町「一乗院」裏山出土の板碑について, 坂井利明, 吉川国男 を参照している

(「永門」には言及なし)

[9] 仮名書年号

[7] 仏教考古学研究 - 石村喜英 - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?id=NbIwAAAAMAAJ&q=%22%E6%B0%B8%E9%96%80%22

373 ページ

これらはカッコ内の公年号を誤って記したか、異字にそれほど違和感や正誤感をもたなかったための表記であったものと思われる。ゆえに、私年号からはここでは除外し、同音異字年号として扱っておく。 また片仮名交り私文で表示した「永ワ」(永和)なども、これを「永門」とよく類似するところから「永門」とみて、私年号とすることも行私年号板 市・新座市など)に限定集中する 373 碑久保氏の同書以前にも、すでに服部清道氏の『板碑概説』(註 2 )稲村坦元 ...

374 ページ

恐らくこのほかにも幾つか五『海録』があり、久保常晴氏の説かれた(註 7 )ところによると、この中に古写経零本の奥書が収められ、それには「論「永ワ」とみて同音異字表記と見年図 119 木玉県北足立地区(富士見市・朝霞市・志銘正月われている。

375 ページ

た(註 9 )が、埼玉県で調査の『板碑』でもこれを「元悳(徳)」とし( # 10 )て、同様の観点に立っている私年号板 埼玉鼻比企 ... への疑問を併せて銘文中、年号の二字目がやや不明確ながら、大沢氏はこれを「元悳(徳)元年」と見て、「元徳」の同音異字年号 ...

379 ページ

板 私年号板図 130 弥勒 2 年 9 月 され、しかも「如」件」の用例からみれば、恐らく康永(一二~一四)前後のものであろうといわれる(註 2 )。同じ登米郡や隣 5 と見え、私年号としては他に全く未見のもので、久保氏は行書体の書体に限ってみれば、南北朝に ... 熟知の一基であるが、あるいは一般的といえるかどうか、これを同音異字の「至徳元年甲子(三四)」とすることが行われている。

387 ページ

5 福徳(欠、不明)、同浦和市 387 私年号板碑 11 千々和実篇『武蔵国板碑集録』二、旧比企郡菅谷村の条。 10 『板碑』 III (埼玉県板石塔婆調査報告書、昭和五十六年)資料編 7 九三頁。同氏と初めて面識を得た折り、同氏からお聞きした。 9 8 同右。

永和 (台湾)

[4] y~1532

[10] 台湾風俗誌, 片岡巌, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1875593/1/212 (要登録)

[1] 永和 (朱一貴) - 维基百科,自由的百科全书, , https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%92%8C_(%E6%9C%B1%E4%B8%80%E8%B2%B4)

[2] 永和 (朱一貴) - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%92%8C_(%E6%9C%B1%E4%B8%80%E8%B2%B4)

[3] 朱一貴 - 维基百科,自由的百科全书, , https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E4%B8%80%E8%B2%B4

メモ