[9] 日時は生活に密着していますが、高度に政治的でもあります。
[38] どの暦を用いるかは、極めて政治的で宗教的な判断でもあります。 かつては多くの国で君主の在位年数を紀年法としていたことからもわかるように、 暦に関わる事項の決定は政府または宗教組織の統治行為で、 どの暦を用いるかはどの政府・教団に従うか、 という意思表示でもありました。
[30]
台湾では、
日本統治時代を西暦や民国紀元で記述するか、
日本の元号で記述するかの問題があります。
[41] 現代においては、世界中のかなりの地域で西暦が通用しており、
あまり政治的な問題とならない紀年法ではあるようです。
計算機システムなど、西暦のみに対応して世界展開している製品も少なからずあります。
しかし、地域によっては一般市民が西暦に馴染みが薄かったり、
宗教的にあまり好ましく思わなかったりすることもあるようです。
日本のように、西暦が一般市民に浸透していても、
公的には元号が好ましいと考えられているような地域もあります。
[5] 対立する勢力が異なる標準時を用いている事例は枚挙に暇がありません。
[6] スローガン的元号は日時制度としての実用性を切り捨て、 政治性だけを取り出したものといえます。
[28]
こうした事情ゆえ、暦法、時間帯の選択はプライバシーに関わる繊細な情報たり得ます。
[32] ところでそのように高度に政治的でイデオロギー性も高い日時制度というものですが、 反制度、反権力、反政府、新提案反対的な立場の人ほどその政治性に着目し、 反発の材料に使いがちです。 標準時や夏時刻の変更に反対する人達、 他の国や指導者を非難する材料に標準時や夏時刻を使う人達、 元号に反対する人達などに見られます。 歴史研究者や愛好者にも、 日時制度を無闇矢鱈と政治に結びつけがちな人達がいます。 曰く、日時制度の改変は為政者の時の支配の意欲の表れなのだとか >>36。
[3] 確かにそのような側面はあるのでしょうし、東洋思想における元号の役割や、 近代化における標準時の役割など日時制度と政治・思想の関わりは無視できないものではあります。
[34] ですが、より基本的な事実、つまり日時制度が社会生活の維持に必須の要素だということを忘れてはいけません。 日時制度が当たり前に整備されている現代の人達からすると見過ごしてしまいがちですが、 歴代の為政者達が日時制度を制定・改正したのは、 それが欠けていたからに他なりません。
[35] 暦法を改正した権力者が圧政を敷いたとは限りません。 標準時を改正した為政者が暴君とは限りません。 地方の日時制度を国家の標準制度に統一した為政者が地方を無視したとは限りません。 時刻制度改正を提案した大手IT企業が支配者気取りとは限りません。 そのような側面もあるかもしれませんが、 それは日時制度の改変とは別の材料と組み合わせて個々に証明されるべきことです。
[4] 城西語学12号表01のみ.ec6 - JOS-18801919-1202.pdf, , https://libir.josai.ac.jp/il/user_contents/02/G0000284repository/pdf/JOS-18801919-1202.pdf
[151] 標準時は、時に民族や国家の歴史と政治や宗教に絡んだ繊細な問題でもあります。 そもそも暦とは古来政治や宗教と密接に関わっているものです。 日時制度は人々の生活に深く関わるものであり、 統治の基本でもあります。
[13] そうした暦一般の事情を抜きにしても、 旧来の牧歌的な日時観念にかわって標準時制度が世界的に整備されていった19世紀末から20世紀半ばにかけての時期は、 植民地や帝国主義の時代でもあり、 標準時の普及は植民地支配や戦争の遂行とも密接に関係するものでした (具体的な事例は各地の標準時の項を参照) から、 旧植民地諸国には、旧宗主国によって民族の時間が奪われたと考える人達もいます。
[159] 仏蘭西は、欧州の幾つかの国がグリニッジ平均時またはその整数時差の標準時を導入した後も、 自国の標準時の基準を英国のグリニッジに置くことを好ましくないと抵抗していました。
[8] 19世紀から20世紀にかけての英印では、英国人の政府による標準時の制定に印度人の民衆が反対し、 独立運動の文脈で大きな事件となることもありました。 (英国人 vs 印度人の対立だけでなく、他の地域の時刻を採用したくないとの地域間対立の要素もあったようですが。)
[204]
昭和のサンマータイムについて、
日本共産党は、
日本民族に対する米国の押し付けと非難し、
反米主義と関連付けて扱いました。
[152] 朝鮮半島は、1時間毎に区切った時間帯で、ちょうど と の境界付近にあります。清国から大韓帝国として独立した頃、 朝鮮半島では地方時と が混用されていました。 大韓帝国はソウルの地方時に近い を標準時としましたが、 日韓併合の後に、日本の標準時に合わせて に改正しました。
[153] 大韓民国は、独立後、一時 を採用しましたが、 不都合だったとして に戻しました。その後も日本による支配の名残りを精算しようなどと主張して への変更を求める動きが何度も起こっています。
[154] 朝鮮民主主義人民共和国は、一貫して のままでしたが、 2015年に突然日本支配の名残りを除去する名目で へと変更しました。 この時大韓民国は、一方的な変更であると反発しました。
[29] そのわずか3年後、2018年に朝鮮民主主義人民共和国は、 南北統一の象徴として標準時を に再変更しました。 標準時の設定が高度に政治的な問題であることの典型例といえます。
[156] 東ティモールは、1時間毎に区切った時間帯で、ちょうど と の境界付近にあります。長年 を使ってきましたが、 2000年に に移行しました。
[157] いつから になったのかは現地でも明確ではありませんが、 インドネシア支配時代にインドネシア側の都合で変更されたのではないかと考える人もいます。 東ティモールの独立により、晴れて「正しい」とされる へと変更できたのです。
[232] 1時間単位の時差はわかりやすいのですが、 時差境界付近では不都合を感じることも多いのでしょう。 境界付近にちょうど辺境や属国が位置していると、 中央政府に時間を強制される意識が強くなりがちなようです。 次のような事例が見られます。
[161] 北海道は、日本の一部としての住民の意識は安定しており、 独立運動のようなものはありませんが、内地となってからの蓄積は他の地域に比べて浅く、 地理的にも辺境といえる地域です。経度としては日本の標準時 と との中間に当たります。北海道でも、 地域の独自性を明確にするため中央標準時と異なる北海道標準時や夏時刻が有効だと主張する人達がいます。
[135] サモア王国は、地理的に近い豪州やニュージーランドと経済的な結び付きが強かったため、 両国と同じ日付 (アジア日付) を使っていました。
[136] ところがその後米国の経済的、軍事的な影響力が増大した結果、 科学的に「正しい」日付という名目で、1日遅れの日付 (アメリカ日付) に切り替えました。同じ頃にグリニッジ子午線が本初子午線に確定した結果、 経度180度よりやや東側に位置するサモアがアメリカ日付を採用するのは、 確かに「正しい」と言えなくはありません。
[138] そのサモア王国は間もなく滅亡し、東西に分割されました。 月日は流れて現在はサモア独立国と米領サモアとなっています。 サモア独立国は豪州やニュージーランドとの関係がより緊密になっていることから、 かつてのアジア日付に戻しました。 米国の支配下にある米領サモアは引き続きアメリカ日付を継続しており、 サモア諸島は日付変更線により分断されることとなりました。
[223] 中華人民共和国は東西に広大な国土を持ちますが、 全土で が用いられています。 その狙いはチベットやウイグルも含んだ国家の統合の維持にあると (真偽はともかく) 言われています。
[230] ただ実際にはウイグルでは も公然と併用されています。 北京時間の強制が中共政府の少数民族弾圧政策の一貫であるなら、 厳しく取り締まられているはずです。 (しかし同経度のチベットで 以外が使われているという情報が流れてこないのは不思議です。)
[147] 元は1つだった国が複数に分裂した後、一方が時刻を改正した結果、 両者間に時差が生じるという事例は枚挙に暇がありません。 例えば次のような事例があります。
[31] 標準時の改正の話題になるとよく取り上げられる事例がいくつかあります。 こうした事例は、どちらかといえばネガティブなニュアンスで、 悪政により時刻が捻じ曲げられたような批判的な扱いを受けるようです。 もっとも時の政府が日時制度を変更するのは古今東西ありふれた事例であり (むしろ日時制度の改善は当然の責務でしょう)、 こうした事例が「悪政」かどうかを個別に慎重に検討することなく取り上げるのは無責任とも感じられます。
[229] [tz] [PROPOSED] Merge timezones that are alike since 1970, , https://mm.icann.org/pipermail/tz/2021-May/030150.html
[1] 日時のセキュリティー、日時のプライバシーを参照。