[435] 東洋の日時表示では、 「大歳戊辰」や「歳次戊辰」のように、 干支年の前に太歳を表す語を付けることがありました。
[10] バリエーションが多く、それぞれ一応意味はあったのでしょうが、 実質的な違いはありません。これらの語句を省略したものとも、 意味的な違いはありません。
[2] 干支年のみによる年の表記にも、 元号年との併記による年の表記にも用いました。 日時表示の他の要素との関係、 割書表記、 利用された時代などについては、 東洋の日時表示参照。
[24] 「歳在」 は、 漢土では、 漢の時代に既に見られました。 はじめ浙江、 山東、 河南方面が圧倒的多数を占めていました。 >>12 始めは山東方面と考えられ、 次いでその南方河南、浙江方面に拡大し、 やがて5世紀頃から雲崗、龍門、更には陜西と西方に広がっていきました。 >>19 5世紀末以後には更に広範囲で流行しました。 >>12
[26] 「歳在」 は、 朝鮮半島方面では、 広開土王碑 () 以来用例が見られました。 >>12
[58] 朝鮮半島では山東に相対する帯方郡県治址に近い黄海道信川郡龍門面 (>>50) に続き広開土王碑、 新羅地域の延寿元年、 百済地域の建興5年と半島南部方面に伝播した様子がみられます。 >>19
[8] 「歳在」 は、 日本では、 道後温泉碑の他奈良時代にも用例がありますが、 中世以後は稀で、擬古的な例が数点ありました。 >>25
[29] 日本の古い「歳在」の例では、 天寿国繍帳の意匠に高句麗の遺物との関係が指摘できること >>12 (天寿国曼荼羅の新研究, 青木茂作) と撰文者と推測し得る人物 (東漢末賢 (東漢氏の祖先は漢人だが帯方郡在住). 高麗加西溢, 漢奴加己利) が帰化人たること、 護身剣が百済から贈られたとされること、 威奈真人大村金銅合子墓誌の撰文者は不明ながら帰化人の可能性も指摘できること、 を踏まえて朝鮮半島 (高句麗や百済) との関係が指摘されています。 >>25, >>19
[70] 護身剣は、百済で作られたとされますが、 現存しません。 日本の記録上最古の「歳在」です。 偽作説もありますが、 久保常晴は推定される5世紀前半に朝鮮半島に「歳在」 があること、銘文が「歳次」でないことが、 偽作説に対する間接的な反証ともなると指摘しました。 >>19
[56] 「歳在」の初例が漢土から朝鮮半島へ約380年差、 朝鮮半島から日本列島へ約80年差と、 日本へ急速に伝播したことが窺えます。 5世紀前半の高句麗の圧迫で南鮮諸国が日本に接近した時期に当たることが興味深いです。 >>19
[63] なお久保常晴は「歳在」に「太歳在」を含めて集計しました。 久保常晴の収集した紀年銘のうち、 漢土の「歳在」中2世紀までの6例中4例が「太歳在」、 3世紀の14例中9例が「太歳在」で、 それ以後は稀です。 「太歳(在)」と「歳(在)」はどちらも同じ意味と考えられ、 詳しい「太歳在」の表現が初期らしく感じられます。 >>19
[59] 朝鮮半島の「太歳在」については延寿 (高句麗) も参照。
[68] 2世紀の 「青龍在」 (>>64) も、 青龍は太歳の別名で、これらが古い表現であることが窺えます。 >>19
[73] 日本では 「歳在」 は平安時代以後稀です (>>23)。
[9] 「歳次」 は、 日本の飛鳥時代以来見られ、 和銅・天平の頃に用例も多いです。 平安時代から鎌倉時代にも相当数見られました。 >>25
[30] 吉備真備墓誌をはじめ、 中国の色彩が濃く現れているように思われます。 >>25 (>>14), >>19
[57] 「歳次」 の初例が漢土から朝鮮半島に約300年差、 朝鮮半島から日本列島へと約40年差と、 「歳在」以上に急速に伝播したことがわかります。 >>19
[83] 「大歳次」は極めて稀にありました。
[21] 漢土では、 「歳在」が「歳次」に先行していました。 6世紀には「歳次」が増加し、「歳在」の約4倍にもなりました。 >>12
[22] 朝鮮半島では、 「歳在」が「歳次」に先行していた、といえるように思われます。 8世紀までは「歳在」が多くありました。 7世紀まで「歳在」が「歳次」を凌いでいました。 >>12
[27] 6世紀以後新羅では「歳次」が使用され、 「歳在」と併存するようになりました。 >>12 7世紀から9世紀にかけて「歳在」は「歳次」の盛行に圧せられて寥々たる使用状態でした。 >>19 9世紀から10世紀にかけて「歳次」が凌ぐようになりました。 唐の影響と考えられます。 >>12
[28] 朝鮮半島では、 10世紀には再び 「歳在」 が台頭してきました。 契丹や遼や金の支配に入った時代であり、 歳在が北方的色彩が濃いことが知られます。 >>12, >>19
[23] 日本では、 資料が少ないものの、 「歳在」が「歳次」に先行していたと思われます。 日本では「歳在」が「歳次」にすぐに取って代わられました。 風土記撰進で最も早い紀年を持つ 出雲風土記 (天平年間) で既に歳在は廃れていました。 >>12 奈良時代に「歳次」は60例を超えるのに対し「歳在」7例、 それ以後はまったく「歳在」のみ利用されているといえます。 >>19
[31]
久保常晴は、
歳在と歳次の分布の違いから、
道後温泉碑文は古いもので、
伊予国風土記
勘録当時の作為とは考えにくいと判断しました。
>>25, >>19
[189]
久保常晴はまた、
朝鮮半島の逸年号である永楽、
建興、
延寿がみな歳在を使っている点にも着目し、
それらの年代比定の正しさを補強しているものとしました。
>>1543 p.
[7] 「歳舎」は、 日本の戦国時代以降に極稀にあります。 >>25
[6] 「大歳」 「大才」 「大戈」 は、日本の鎌倉時代から南北朝時代に多いですが、 室町時代以後は珍しいです。 >>25
[102] その他星派も日本で使われました。 >>513 p.29
星月夜顯晦録二編 五巻五冊 高井蘭山作 蹄齋北馬画 (柏新堂)板 (1)「文化七年歳宿庚午春月發兌\東都書肆\麹町平川町二丁目・角丸屋甚助\大門通小傳馬町三丁目・關口平右衞門\東叡山谷中御門通三崎町・大坂屋茂吉\神田通鍋町・柏屋半蔵\下谷御成小路・柏屋忠七\湯嶋切通町・柏屋清兵衞」 (2)「文化己巳夏至日・高井伴寛思明」
[205] 重要文化財熊野神社長床修理工事報告書, 文化財建造物保存技術協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12711331/1/62?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)
大歳 + 斜め書き
[97]
Web 上には歳衣と書いたものがありますが、
歳次の変換ミスまたは OCR 誤認識が疑われます。
[101] これらの語は、日本語では 「ときは干支にやどる」 「ときは干支にうつる」 と読む >>513 p.29 ともされますが、 「とき」より「とし」の方が一般的かもしれません。
[103] 漢文でもそのように訓点を付け、 書き下し文にすることが多いです。
[104] できるだけ自然な日本語で訓みたいならそれが妥当なのでしょうが、 これは日付表示の定型句なのですから、 却って読みにくくなってしまうきらいもあります。 元が2字熟語 + 干支の形になっているのが、 間に干支を挟み込む形で2分割されてしまうのが美しくありません。
[105] わざわざ訓点を付けないこともありますし、 「さいじ」「さいざい」「りゅうしゅう」 など音読みするのでも差し支えないでしょう。
[110] 「竜」が付く接頭辞は支那南方や東南アジアで使われがちです。
[118] 「龍飛」は日本では江戸時代に広く使われていたようです。 詳しい調査はなく全体像は不明です。
[124] 青龍在がかなり古い時代にあり、 青龍と木星 (というか太歳) が関係するためとされます (>>64, >>68)。 近世の用法と時代が離れていて直接関係があるのか不明ですが、 注目されていないだけで間の時代にも用例はあるかもしれません。
[184] 龍集は十二支の異名と併用されがちなイメージがあります。
[160] 龍舎も日本で使われました。 >>513 p.29
[107] 国書データベース, https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100352676/12?ln=ja
原文の青龍干支に対して、青龍とは歳星のことで龍集の意味だ、 集はやどる、 と注釈があります。
宋天聖8年青龍庚午
[185]
江戸幕府から李氏朝鮮への国書には龍輯や龍集の事例があります。
[30] k7360_3.pdf - k7360_3.pdf, ,
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/44590/20180801132227955073/k7360_3.pdf#page=68
「龍飛」
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/44590/20180801132227955073/k7360_3.pdf#page=77
[33] field-2_p02-03.pdf, http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/65289/1/field-2_p02-03.pdf
[119] >>33 竜飛、竜集は東南アジアに移った明の移民が作った、 という説がある (陳荊和の論文で龍飛を見た) が、現地民は違った解釈をしている。
[120] >>34 慶長10年竜集乙巳 (日本側)、 竜飛戊申(1608)年 (カンボジア側)
[121] 清の建国はなので、 >>120 によれば >>119 説はそのままでは成り立ちがたい。
[139] 元号 + 龍飛が明にも日本にも越南にもあるということは、 元号を使わないことに清への抵抗が現れているとしても、 龍飛を使うことにそれを見出すのは難しそう。
[35] k6335_3.pdf - k6335_3.pdf, , https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/35743/20141016210107768708/k6335_3.pdf#page=18
[174] スナックかえるちゃん@運転荒い国仕込みさんはTwitterを使っています 「@freezedeer @INDYJO27 清を認めなかった明の亡命政権は東南アジアの石碑に清朝の年号を使わず「龍飛の年」として年号を刻んでますね。ベトナム漢文でそれをみたときニヤリとしました。」 / Twitter, 午後9:56 · 2010年11月20日 , https://twitter.com/aminah2500/status/5967643471249408
[148] - 9-4-3.pdf, , http://www.tisanet.org/quarterly/9-4-3.pdf#page=11
[144] (PDF) Cultural identity change of Minh Huong people in Vietnam: case studies of "Long Phi" era name | Wi-vun T . CHIUNG - Academia.edu, https://www.academia.edu/73663407/Cultural_identity_change_of_Minh_Huong_people_in_Vietnam_case_studies_of_Long_Phi_era_name
[145] >>119 説を踏襲、 龍飛 (Liông-hui, Long Phi) と 龍集 (Liông-ch, Long Tập) は明鄉人の fabricated (捏造) 元号だとしている。
[151] World History Connected | Vol. 17 No. 3 | Introduction to World History Connected 17.3, October 2020, Robert Eng, https://worldhistoryconnected.press.uillinois.edu/17.3/Eng.html
[152] >>151 南明滅亡のため Hà Tiên (河仙) では越南の華僑に広まっていた invented era name Longfei (龍飛) が使われた。
[126] 「龍飛」でなく「龍飛歳次」とするものは「龍飛」だけでは不十分という筆者の認識? 比較的早い時代に集中しているかも?
[141] でも「龍飛」が出てきたのより後の時代に「龍飛歳在」「龍飛歳次」が出てくるなら違うかなあ。 より強調したいとか装飾したいというので使っているのか?
[128] https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=12392&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1 #page=9
龍飛啓定壬戌冬十二月立春日
[129] >>128 「龍飛」は易 乾卦の「飛龍在天」に基づき、皇帝が即位しているの意。
[130] これは干支年ではなく元号名を飛龍が修飾している。 易 説の出典は不明。 皇帝がーというのは >>119 と同趣旨? (ただしこちらは明の皇帝ではなく越南の皇帝。)
龍飛保大丁卯年孟秋
[147] 20世紀の越南では干支年接頭辞としての「龍飛」の用法が崩れてきたとみるべきか。
[149] 國家圖書館〔臺北〕所藏の醫藥古典籍, mayanagi makoto, , https://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper01/TwKokka.html
末尾に「龍飛萬曆己卯/春月楊先春新梓」の蓮花木記を刻す。
[153] 读者云门户, https://archive.is/wWJz6
龍飛同治拾年(一八七一)十一月初六穀旦
[150] 明の時代から頭に来ることがあった! これも越南独自ではなかったということか? しかも清でも用例がある。
[123] 未标题-1 - 2018052316162339240.pdf, , http://wwj.beijing.gov.cn/bjww/resource/cms/article/362762/515595/2018052316162339240.pdf#page=83
明正統13年 龍集
[122] 6756_20230112140457-1.pdf, , http://www.pref.kagoshima.jp/ab23/reimeikan/siroyu/documents/6756_20230112140457-1.pdf#page=8
慶長元年 龍集
[113] なら (19), 高田十郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1489656/1/23 (要登録)
日本延享4年 (江戸時代) 龍飛
[115] 円光大師伝 縁起目録, 大村屋総兵衛, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/820006/1/39
享保
[116] 醍醐寺什宝品目 第1輯, 玉園快応, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1087711/1/18 左上
貞享4年
[117] 奈良県史蹟勝地調査会報告書 第4囘, 奈良県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/944557/1/100
安永9年
[176] https://ir.lib.shimane-u.ac.jp/files/public/0/3147/20170425020054849164/a007006h003.pdf #page=3
文政龍飛初元歳戊寅之九月九日
[175] 蛇譜 | CiNii Research, https://cir.nii.ac.jp/crid/1131130857715307904
「于峕龍飛文久元年歳在辛酉初夏上浣 萬卷書屋主人 誠齋武」(「直武」, 「誠齋」の朱印) の奥書あり
[177] 005.pdf, , http://ga.hanazono.ac.jp/pdf/005.pdf#page=204
旹龍飛壬子年良月穀旦、山城 州黄檗山萬福禪寺開山老人隱元琦書於松隱丈室。
寛文年間
[154] Microsoft Word - Pham Duc Manh_Tinh Phat trong lang tam Nguyen.doc - TinhPhattronglangtamnuquytoc.pdf, , https://hcmussh.edu.vn/static/document/TinhPhattronglangtamnuquytoc.pdf#page=13
(皇 越. 顯 妣 慈 誠 淑 人 莫 府 阮 氏 之 墓. 龍 飛 辛 ⺒ 仲 春 吉 旦. 男 澍 立 石) (1761)
#page=14
(皇 越. 贈 慈 定 老 恭人 阮 門 阮 氏 之 墓. 龍 飛 乙 酉 年 臘 月 造. 男 茂 ⻑ 立石)
#page=15
(皇 越. 顯顯顯顯 妣妣妣妣 慈 和 宜人莫 府 阮 氏 之 墓. 龍 飛 乙 酉 孟 冬 吉 旦. 男 洸 立 石)
(誥 贈. 順 淑 太 太 夫 人 阮 門 朱 妣妣妣妣 之 塋. 龍 飛 乙 卯 孟 冬. 孝 男 通 慧 立 石)
(明 故. 誥 贈. 顯顯顯顯 妣妣妣妣 慈 真 夫 人 鄚 府 元 配 許 氏 之 塋. 龍 飛 丙丙丙丙 申 仲 冬 吉 旦. 孝 男:... 栢, 柱, 柄, 式 (có bô ̣ “mô ̣c”); 孫 同立石)
[131] 6_KJ00000133720.pdf, https://www.jstage.jst.go.jp/article/tak/6/4/6_KJ00000133720/_pdf#page=4
マラッカ
[178] 個別研究 鄧石如研究 鄧石如(有紀年)作品目録, , http://yurinsha.net/tousekijyo/12140.html
〈款識〉嘉慶龍飛九年、歳在焉逢困敦、十有壹月丙戌朔、粤十有八日癸卯。古皖、鄧石如。篆于辨志書塾。
[179] 拍賣 | 中國嘉德(香港)國際拍賣有限公司, Website by FirmStudio (www.firmstudio.com), https://www.cguardian.com.hk/tc/auction/auction-details.php?id=56071
[182] 鎮番縣志 第143頁 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃, Donald Sturgeon, , https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=107130&page=143
嘉慶龍飛之十九年
[183] 耘莊詩稿: 2卷, 詞稿 : [1卷] - 丁繁滋 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=ImktAAAAYAAJ&pg=PP67&lpg=PP67&dq=%22%E5%98%89%E6%85%B6%E9%BE%8D%E9%A3%9B%22
壬申元旦
嘉慶 龍飛十七年
[181] 123 - 012101.pdf, https://nccur.lib.nccu.edu.tw/bitstream/140.119/59419/1/012101.pdf#page=50
慶興莊的命名淵源,能從《噶 瑪蘭廳志》的初稿記載來推論:「嘉慶龍飛,居民興思歸附,更其地曰慶興 社」。
龍飛指君王即位,這暗示慶 興莊成立於嘉慶元年,有恭賀嘉慶皇帝興隆的意思,討好官方的意圖溢於 言表。
[168] 蒼龍が使われた事例:
[190] 龍飛 (y~1751)
[167] 倉龍が使われた事例:
[95] 扶桑瞥觀捄籙, 李滂 (出版されたか不明) >>94
扶桑瞥觀捄籙序
先文和公薨後四年, 歲次庚辰十月之初,
孔子紀元二千○○年倉龍辛巳正月中浣五日河北省公署參事大興李少微序於
倉龍庚辰 (1940)九月十九日乙丑9 (陽曆十月十九日也),
9この年九月十九日は乙丑でなく乙未、乙丑なら十月十九日となる。思うに、この年の陰曆九月
一日は偶々陽曆の十月一日に當たっていたため、干支を數えるのに誤って十月の曆を用いたものか と推測する。
[114] 後涼の元号にも龍飛 y~820 あり。無関係の可能性が高い。
[188] 張璉の元号とされた竜飛 (y~1234) は、国璽の誤認だったことが知られています。
[191] Kanripo 漢籍リポジトリ : KR2f0009 世宗憲皇帝硃批諭旨-清-世宗胤禛, https://www.kanripo.org/text/KR2f0009/174
史官衘書内偽號係東明龍飛六年乙未十一月
[192] 都立中央図書館: 年号迷路, http://gaowei.cocolog-nifty.com/nengo/2005/05/post_b72c.html
- 佐々木正哉『清末の秘密結社前編』
- 題名どおりの本。前編とあるが、後編はない?。林爽文の叛乱についての記述が 詳しい(年号「順天」「天運」)。架空の人物による偽の叛乱情報を流す李梅(帰化 元年)、張雲如の反清復明運動(東明龍飛六年)などの記載も。
姉菅根弟孝太郎孝子〓物語 五巻五冊 高井蘭山作 蹄齋北馬・抱亭北鵞・〓亭北壽画 玉泉堂板 (1)「文化五載辰五月吉日發兌\東都書肆\江戸四日市・西宮弥兵衞\同浅艸北馬道町・大和屋文六\同・大和屋伊助」 (2)「文化第六龍會己巳孟春・高井伴寛思明」
[11]
昭和5年、
石田茂作は紀年銘の形式を研究しました。
[13] 昭和40年代、 久保常晴は歳次と歳在の利用について研究しました。
[34] 内容的には全編を 日本私年号の研究 に含めた方が良かったのでしょうが、 さすがに未掲載 (掲載準備中) の論文を収録するわけにはいかなかったのでしょう。 日本私年号の研究 は結論と最低限の根拠だけをまとめたダイジェスト版のようになっていました。
[33] 久保常晴の2つの論文には、 中国、 朝鮮、 日本の歳在と歳次の用例を収集した、 それぞれ計6個の表が収録されていました。 論文 (>>18) の方が発表が遅いですが、 紙面の制約のためか各表それぞれ古い方の10個しか掲載されていませんでした。 発表が古く本編の分量が少ない 日本私年号の研究 版 (>>16) の方が、表は完全版でした。 ただし先頭の10個を比べると微妙に出入りがありました。
[99] 前川清一は、 「歳次」や「龍集」は「年」を強めるものだ、と説明していました。 >>513 p.15, p.24, p.29
[202] 八百津町史 史料編, 八百津町史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9537038/1/426 (要登録)
[1] 太歳 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%AD%B3
[3] 太歳神 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%AD%B3%E7%A5%9E
[4] 太歳星君 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%AD%B3%E6%98%9F%E5%90%9B
[38] いわくらさんはTwitterを使っています 「この略字は初めて見た。 高い高いしているような字形 https://t.co/Zv2IAyzrE3」 / Twitter (午前5:57 · 2021年5月1日 , ) https://twitter.com/kanzisuki/status/1388236150683299840/photo/1
[41] shirin_099_5_685.pdf, , https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/240477/1/shirin_099_5_685.pdf#page=17
鏡の銘文 「慕興元年、歳在大陽。」
太康9(288)年説もあるが、 太歳の語の用法から永和4(348)年とも推定されている。 >>19 (三世紀より七世紀の大陸における国際関係と日本, 岡崎敬)
漁陽は河北省薊県を指すと言われ、 その方面の漢人からの伝播を明らかにしている。 >>19 (三世紀より七世紀の大陸における国際関係と日本, 岡崎敬)
[91] huibao_043.pdf, https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78853/huibao_043.pdf#page=7
[244] ioc12204.pdf, , https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/27147/files/ioc12204.pdf #page=19
「歳銘」。他に類例なく不明。