[10] 漢土でも日本でも越南でも朝鮮でも古くから混用例があるようです。
[17] 用例をみていくと日本でいう近世くらいまではあまり区別しようという意識がなかったみたいです。 近代以後区別する意識が強まっていって、 現在の規範と違うものを誤りとみなしたり、 どちらが原型かを議論したりする現象が各界で (互いに参照されることがほとんどなく) 起こっています。
[22] 個別の事例を追求した調査や研究はいろいろあるのですが、 総論的なものは意外と見つかりません。
[26] 各分野の人に聞いたらそれぞれの分野でこんな事例があるっていっぱい出てきそうですけどね。
[23]
いつから大
と太
が混用されるようになったのか (最初からなのか途中からなのか)、
いつから厳密に区別する意識が生じたのか、
混用されてた時代にも常に交換可能だったのか、それとも交換可能な場面は限られてるのか、
など疑問は尽きません。
[27] 個別の事例の表記史みたいなものがまとめられることはあっても、 他の事例や全体的な文字利用・受容史のようなものが参照されてなくて、 ときには頓珍漢な結論を出しているようなものもあったりするのはもったいないですよね。
[24] 日本だと奈良時代にはもうはっきり区別されなくなっているようで、 漢土から漢字が伝来した時点でもう混用されてた可能性が高そうですね。
[3] 「太」ったり、「大」きくなったり―九州・大刀洗編 - ことばマガジン:朝日新聞デジタル (The Asahi Shimbun Company, ) http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/moji/2011100200005.html
[4] HUSLD_25-1_22.pdf, , https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/24914/20141016150320898069/HUSLD_25-1_22.pdf#page=19
[5] 史実の大正をオマージュした架空の元号に太正があります。
[6] p.132
(ちなみにくずし字の運筆の都合から、江戸時代には「何大夫」ではなく「何太夫」と表記 するのが一般的)。
[11] <4D6963726F736F667420576F7264202D20332D332096F28E748E9B938C93833F96C182C6967B91B882CC96F28E748C6F2E646F63> - Honbun-4677_28.pdf, https://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=2689&item_no=1&attribute_id=20&file_no=31&page_id=13&block_id=21#page=5
[13] 拾萬字鏡さんはTwitterを使っています: 「大田と太田の表記のゆれが楽しい https://t.co/5mmnXDs4o3」 / Twitter, 午後8:54 · 2022年7月4日 , https://twitter.com/JUMANJIKYO/status/1543926244789538818
[14] フナと納豆のひと🔥(元マンボウ拾ったひと)さんはTwitterを使っています: 「ところで最近気が付いたこととして、大田南畝が太田南畝となっているウナギ関係の本がある。これは松井魁が間違えたのが始まりとみえて、その孫引き文献でたびたび誤りを引きずっているらしいことが判明した。」 / Twitter, , https://twitter.com/wormanago/status/1596654822144761858
最後に 2 —②をどう見るか,つまり「大」か「太」かについてである。韓国の学界では「大=太」に通
じるとし,銅鈴の文字を「大」とする見解が多いが,「太」の可能性を提起する見解もある26) 。確かに新 旧の写真から「ヽ」の画を見出すのは困難であるが,金石文の例から考えると,「太」と読むべきだと考 える。
[16] それなら「大」と読んで「太」と解釈するでいいのでは。
[19] 太鵬 プロフィール|吉本興業株式会社 () https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=9273
[20] >>19 大鵬 (力士) と区別のため「太」にしたとのこと。 (他に画数も理由と。)
[21] 桑原由気寄席オンライン~第70幕~【太鵬】 - ニコニコ動画 () https://www.nicovideo.jp/watch/so41759945
[29] >>21 で太
の話をしていた天津向が >>28 で大
になったのかw
[30] 現代では区別されるようになったとはいえ、 姓名判断程度の理由で気楽に他方にかえて一方が選ばれる状態にあるということは、 まだ「同じカテゴリー」意識が残っているということでもあるんだろうぬ。
[31]
画数が嫌だからという理由で大
や太
を犬
や多
や小
や細
にはしないだろうから。
[32] Xユーザーのしらかみさん: 「駅名や公共施設は「富貴」で地名や店名は「冨貴」なんですね 「太田川」も実際流れているのは大田川だし地名も大田町なのでむずかしい」 / X, , https://x.com/Akitashirakamii/status/1811398825267109899
[36] >>33 >>34 >>35
引用されているのは「最大の村に発展することを願って大
から太
に変えたのでは」
という説。
古代の大
表記を明治22年の合併で採用した時太
に変えたことを平成時代の地元ではそう理解しているらしい。
[37] その説は大
と太
を区別するようになってからのこじつけっぽいが、
このブログ筆者の「ルビの間違い」説も根拠がよくわからない。
[40] 誰の何のルビの間違いなのかがまずよくわからない。 >>38 によると水戸学の陰謀らしい。 >>39 によると江戸時代にルビはなく明治時代にルビを間違えたらしい。 >>43 だと昭和時代の町史が間違えた事になっている。
「大」の漢音は「タイ」、呉音は「ダイ」です。 最初は「呉音で太伯」と書き、漢音の時代に「、」の無い大伯(タイハク)と表記が変更された。 それを明治22年に呉音のタイハクに戻しました。
というが出典が何1つ書かれていないので真偽不明、検証不能。
「大も太」も小学校で習う漢字です。岡山県の国語教育のレベル低下に驚かされます。
と煽っているが、これではだからどうしたという話にしかならんでしょ。
「、」が無くなった理由⇒漢音で読むと「たいはく」です。 最初は呉音で「太伯(たいはく)」と表示され、時代が変わり漢音で「大伯(たいはく)」と表示されました。
とあるので音は変わらないように文字を変えたという主張?
[46] 現行日本法令大全 増訂13版(第1-17類), 博文館編輯局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2127075/1/833