延寿 (高句麗)

延寿 (高句麗)

[1] 延寿は、 朝鮮半島の元号の1つです。

太歳在壷銘

日時事例

[36] 「元」は「九」のようにも読めます。 >>7862 その場合元年は癸未年です。 >>1543 p.六七 ただその読み方を採用する研究者は少ないようです。

[33] 延寿文獻で伝わらない元号で、その正体には諸説ありました。

[34] 記録には高昌国の元号があります (y~1372) が、 では干支が合わず、 距離も遠いです。 日本の私年号にもあります (y~247) が、近代です。

[35] () が1文字同じ、1年ずれで近いですが、 新羅北魏は直接交通せず、新羅に接近していましたから、 合いません。 >>7862

[30] 濱田耕作は、 近隣墓等からと推定しました (y~2187)。 >>25, >>7862

[31] 日本昭和時代の朝鮮史研究者藤田亮策は、 墓制等から濱田耕作説 (y~2187) に賛同しましたが、 同時にその25年後の建元新羅の元号の始まりとする三国史記との矛盾も指摘しました。 >>7862

[59] 日本昭和時代の歴史研究者久保常晴は、 当時の通説により延寿元年を発見地の新羅元号 (y~2187) としていました。 >>19 それに基づき「歳在」の伝播を推測していました。 歳在

[5] 久保常晴は、 慶州路西里百四号墳出土蓋付銅鋺の底面に 「広開土地好太王壷杆」 と書かれたものがあるとし、 当地の墓制の高句麗の影響は示唆していました。 >>19

[8] 日本私年号の研究新羅私年号としています。 >>1543 新羅としたのは濱田耕作説によるものです。 史書から漏れたものかもしれず「一応」私年号と留保されていて、 その点は十分検討した上での判断ではありません。 私年号

[57] 大韓民国の研究者李弘稙 (-) は、 説 (y~1664) を提唱しました。 >>55 p.465 新羅逸年号と考えていました。 >>50 /199

[4] 近年は高句麗とする説 (y~1664) が有力で >>1555, >>1982 (高句麗史と東アジア, 武田幸男, , pp.260-261)、 20世紀末から21世紀初期の大韓民国では通説化しています。 日本の研究者も多くが支持しています >>1982

[58] 伝播経路の考察は少々修正が必要になりますが、 久保常晴の指摘した 「歳在」グループ内での「太歳在」の古さがより際立ちます。
[37] 久保常晴は高昌国説は時代と場所が離れているとはいえ、 文化的に高句麗と共通性が見られ、 歳在の伝播から見ても興味深いと述べていました。 >>1543 p.六七 現行説なら距離が随分と縮まっているわけで、流石の慧眼であります。 しかし元号の関係性は尚不透明なままです。

[51] 昭和時代の研究者坂元義種は、 新羅の出土であるものの、 三国史記で新羅人が元号は法興王以来と (への釈明で) 発言していることから新羅元号ではないとして、 高句麗に比定してよかろうとしました。 当時の新羅王が高句麗の勢力下にあったことを指摘しています。 >>50 (古代東アジアの日本と朝鮮, 坂元義種, 史林 51-4, 金石文にみられる三国時代の諸年号について, 孫永鍾, 歴史科学 1966年第4号) (普通には新羅逸年号と考えられている、 と当時の通説が説明されています。 >>50 /199)

[46] 時点の諸説のまとめが >>45 にあります。

[43] 「九年」と読む>>1555 (鄭雲竜1998) (y~4129) もあります。

[44] 様式から >>1717 (姜賢淑2015) 高句麗故国原王即位した説 (y~4128) もあります >>1555 (姜賢淑2015)

[32] 説もあります >>42 (y~2186)。

[47] 近年また新たに新羅説 (y~2187) が大韓民国で提唱されています。 >>45

[49] (y~1372) 説もあります。 >>45 (박선희2006 銀盒杅 명문의 연대 재검토에 따른 서봉총 금관의 주체 해명)

[39] 元号名は、 君主の長寿、在位の永続への願いを表すと言われます。 >>1555 (鄭雲竜1998)

[48] 道教の「延年益壽」の略とする説があります。 >>45

[6] 満州吉林省輯安県出城人造刻石墓の付近で出土した瓦当の周縁に、

丁巳□□□□歳□□□□□

□万世太歳在丁巳五月廿日

... の銘がありました。 広開土王碑にも近く高句麗と関係が深いと思われます。 碑はのものゆえ、 その前後のと推測されます。 >>19 (朝鮮古文化綜鑑 第四巻)

[7] 同じ「太歳在」が使われていることが注目されます。

関連

[2] 日本の元号延寿とは異なります。

メモ

[13] 古代文化 12(2), 日本古代文化学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3550485/1/8 (要登録)

[12] 古代学 2(2), 古代学協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2227249/1/48 (要登録)

[9] 古代学 18(2), 古代学協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2227315/1/8 (要登録)

[10] 史料 : 皇學館大學研究開発推進センター史料編纂所報 (5), 皇學館大學研究開発推進センター史料編纂所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4420869/1/2 (要登録)

[11] 考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 31(6), 日本考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3548515/1/14 (要登録)

[14] Museum (23), 東京国立博物館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4429416/1/6 (要登録)

[15] Museum (412), 東京国立博物館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4429800/1/7 (要登録)

[16] 東洋美術 第6巻, 朝日新聞社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2526227/1/300 (要登録)

[18] 古代学研究 (21/22), 古代学研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6062548/1/9 (要登録)

[20] 寶雲 (2), 寶雲舎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1523492/1/26 (要登録)

[21] 史林 = The Journal of history 33(3)(128), 史学研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11005296/1/8 (要登録)

[22] 史林 = The Journal of history 34(3)(133), 史学研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11005301/1/6 (要登録)

[23] 朝鮮文化研究 : 研究紀要 (4), 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部朝鮮文化研究室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4428085/1/10 (要登録)

[24] [朝鮮総督府]古蹟調査報告 大正13年度 本文, 朝鮮総督府, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1138339/1/158

[26] 大邱府史, 大邱府, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1908787/1/377 (要登録)

[40] 고구려의 稱元法과 年號 운용, https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART002607784 (PDF 全文あり) #page=14

[41] 哪些帝王的「年号」「谥号」「庙号」及政权的「国号」史书阙载直到考古重新发现? - 知乎, https://www.zhihu.com/question/319502342/answer/1622757434

カラー写真あり、低解像度ながらも銘文が判読できる程度